熱海、伊豆山山頂部のスタジオから初島を見下ろす。ゆっくりした時間を楽しむ。 美しい華に囲まれた生活は嬉しい。無駄の固まりだけれど、金は使い切れないぐらいあるからどんどんと無駄をしよう。ミシュラン飯で旨いものを食べ過ぎると痛風で痛い目に遭うが、それでもヒモジイよりは数段マシだ。 こんなに機械文明が発達して、生産活動が活発化して豊富に物資が世界中で過剰に生産されるようになった21世紀になっても、依然として日本には貧しい人たちは多い。貧しい人たちとは、総じて不自由で悪質な生活をする人たちの事である。
一部の強欲な資本主義家が大半を搾取しているから、人類に平等に価値が分配されないという事実は実際にはあるにしても、もう少し個人が自分なりに考えて行動したら、もう少しマシな人生になるのにと思う。
僕から見て、貧しい人たちには以下の特徴がある。彼らの人生には救いが無い。いくらたくさん働いて小銭を稼いでも豊かにはなれないと思う。根本から自分自身を改造しないと不幸なまま死ぬことになるだろうと思う。
1 時間が貧しい=豊かな自由時間がないのでいつも働きすぎでヘトヘトになっている
2 お金が貧しい=お金がないので、いつもぴーぴーして節約疲れでげんなりしている。だから小銭が出来ても貧乏性が直らない。
3 知恵が貧しい=自分の頭でちゃんと物事を考える習慣がないので上司や会社の言いなりで動くので馬鹿丸出し
4 行動が貧しい=豊かさというのがどういう事かという経験がそもそも無いので、何をどうしたら良いか具体的な 改善策を知らないし、行動化できない。
5 関係性が貧しい=家族がいない、親がいない、妻が(夫が)いない、子供がいない、孫がいない、友人がいないなど、人間は社会性の動物である。総じてそういう関係性に失敗している人が多いと思う。人生の基本がなっていないのでそうなるのだね。
例えば1の時間である。毎日の通勤時間は無駄の典型だ。往復2時間なら毎日起きてる時間の1割以上を無駄にしている。使用するエネルギーも無駄だから、それがずっと30年も続けば取り返しのつかない時間、労力、コストの無駄になる。そういうことを知っていても改善しないというのは集団そのものが馬鹿の集合だからだろうと思う。ある意味キチガイ集団が日本人なんだね。
会議も無駄の典型である。会議で売り上げは出来ないし利益も生まない。負け犬の傷の舐め合いをダラダラとやっても無駄しか生まない。合意形成をしたところで、物事には所詮勝ちと負けしかないのだから、人の事はどうでも良いので結果に勝つことだけ考えて行動すれば宜しい。仕事とは結果である。(質でも量でも)
薪能 月の道 |
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