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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

書庫日記

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買い場が近いか?

12月の月足を書いて玉の8割を利食いで落とした。5月の連休前に丸にしてから、空売りを交えながら6−8月に低位株をコツコツ底値で拾ったものが大半で16万株ほど拾った低位の建設が秋に化けたが面倒なので放置していた。税率改正があるから一旦利食いでバイカイとも思ったが、今年は休みが長いからNYもそろそろ天井くさいし、休みの間に崩れると目も当てられないから買い玉を軽くして越年し、後でゆっくり拾う方が性分に合っている。3ヶ月で3倍になった熊谷組を落とすのもいつもなら無いのだがまあいいや。
NYの高値の周期は5年が多いのでそろそろ天井しないほうが不思議な気もしている。エリオットで見ると崩れれば来年の5−10月が底になるはずでそうなると日本株も連れ安になるんだろう。高値を抜いても勢いがないからダブルトップくさいかなあ?(お前ら信じるなよ、たいてい俺の予想は曲がるからな!)
 折れ線グラフを80本ほど書いているが、ちょうど底値に到達しそうなものがあるので
先週買い玉を1枚建てた。8585(blue),8589(red)でまだコツンとは来ていない。高値からちょうど150日経過だから150−180日ぐらいのW底の折れ線になりそうな感じがしている。225やtopixは新高値だが指数は先物のおもちゃになっているから、個別の低位はまったく逆の動きになっているものも多い。指数が新高値でも低位には新安値付近がいくつかある。年明けそういうものを中心に500枚ぐらいは拾うことになるんだろう。他銘柄の場帳をつけるメリットとはそういうことで、個々の銘柄の買い場なんて後から見ればせいぜい年に2−3回あれば多い方なのだから、安ければ買う。上がれば落とす。(高ければ売る、下がれば落とす。)単純な売買ほど間違いが少ないから長い目で見れば効率的に儲かるというわけだ。こうやって具体的に書いても、それを同じ事をする奴はほとんどいない。たいてい逆のことをやって大損になって相談しにくる。そもそも相場は個人的な感覚と操作の仕事なんだから、自分の建玉を他人に相談するようなレベルでは(心構えがぬるくて甘い奴)相場をする資格が無いと言ってよい。だから相談を仕事にするのは割に合わないのだ。”アホか、オメーは。全玉すぐに落とすんだろ?”以外に言う事がないのである。だからブログを読んで指導しろなんて言う奴は相場をやる資格は無い。お前と俺は相場で殺し合いをしているんだぜ。そういう自覚がないなら家族が泣く前に相場なんてやめちまえということだ。

ノマドの馬

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中野に住んでいたときはたいてい3−4台車を持っていた。ジャガー、メルセデス、ポルシェなどだが今はメルセデス2台で十分な気もする。ハイキング、買い物用のワゴンとデート用のクーペだ。400−500馬力あってもせいぜい2000回転ぐらいしか回す場所がない。欲望の質量が田舎にいると下がるのだろう。そのくせ月に1000キロぐらいは山道を走っているからポテンザがすぐにつるつるになる。ヤナセに言ったらコンチネンタルに変えられた。京都往復をしてみたがソフトで疲れない。250キロも出す区間は京都往復でもせいぜい200キロもないのだから、こんなもんで上等だろうがさてそれならさらに使い切れない金を稼ぐ動機がもう無いのだからどうしても相場に興味があまり湧いてこない。5000万買い建てて5000万取れた。今年は2回転だった。それでもういいかなという気になる。孫が何人も生まれる年になれば2000万も使わないのだから、いくら取ろうが生活が全く変化しないのなら相場は時間の無駄以外の何者でもなくなってしまう。それでも365日24時間まあ何もしないわけにはいかないので、場帳を丁寧に書いてグラフも必ず更新している。グラフは肩が凝るから毎週水曜に2時間三島のマッサージ屋に行く事にしている。都内より人件費が半分ぐらいなせいか実に安いが丁寧なのに感動した。田舎の女性は親切で誠実だなあと思う。チップを渡しても受け取らない。贈与経済が成立しないのである。なんとかならないのか?非正規採用の年収200万とプーの相場師5000万では逆転が起きる可能性はゼロに近い。つまり金が可能性の決定項となり社会が固定化してつまらなくなる。
赤のナンパだが仕事は好きでないし、したくもないし、できれば本でも毎日読んでいるほうが性分に合っている。だがまともな本屋はないからアマゾンと図書館で調達する。
4WDが無いと雪が降ると手も足も出ないが、そういうときはお籠りするほうが安全ではある。ベントレーのコンチネンタルGTCを買おうかどうか考えているが試乗にいくのが面倒で見積もりだけで放置している。道は狭いし路肩はヤワだし2.5トンの5.3mメートルのフルサイズは田舎の暮らしには過剰で扱いにくいことこの上ないが、相場師の消費は常に過剰をもって良しとするから、そろそろ乗っておかないといつお陀仏になるかもしれない。心残りがあるほうが幸せかどうか?なやましいがくだらない問題ではある。
かみさんに運転免許をとらせて何か新しい車でも買えば少しは気分が変わるかもと
期待しているのだが、一向に花屋が楽しいらしく教習所に行く気配もない。酒をたくさん飲む人だからおそらく免許は取りたくないのが本音なのかもしれない。30年間助手席にしか乗ったことがないからものぐさになってるのに違いない。
ノマドロジーは定住しない生活スタイルが彼らの生き方を決定化した。つまり農耕とか定職とか安定や拡大とは無縁の変化ばかりの毎日を生きて来た人々である。騎馬民族は馬の足の早さと航続距離が生き残りの大きな要素となるから、そういう馬を用意しているほうが生存上有利だったということだ。征服するかされるかどちらかしかなかったから、曖昧は許されなかった。その点が機械の本質的な性格によく現れている。だから日本車が農民臭がプンプンするのは当然ということなのだろう。馬に乗るというより動く冷蔵庫かテレビに乗ってるような気分にどうしてもなるから、日本車に乗る気がどうしてもしないのだ。
 CL550を3月に買ったのだが、ルックスは食物連鎖の頂点にいるようなツラをしていて実に品がない。相場師はおそらく食物連鎖の頂点を目指す職業なのだろうから(殺るか殺られるかの商売である)ドスの利いたツラの車が正直向いている。あと何台乗り換えるかはわからないが、体が動く限りはショーファーを雇いたいとは思わないだろう。獲物は自分で取りにいくのが相場師のDNAなのだから。

相棒も昼寝

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 イメージ 2一人と一匹の暮らしだが、12歳になった猫は今日も寝ている。毎日15時間ぐらいは寝ているかもしれない。ルンバが大嫌いで掃除機が動いている時は、マッサージチェアの上に避難している。長く一緒に居ると相手が何を望んでいるのかが言語がなくても伝わるようになるというのは本当である。相手との関係性というのが
相場では一番大事な要素の一つだから、相場師に女好きが多いとか動物を飼うというか一緒に暮らすのは自然なことなのだろうと近頃思う。どちらとも関係性が重要な要素になる。だから相場師に社会性が生まれるとすれば一緒にいる人との関係性以外にはない。
場帳からの値動きの感じ、例えば目先月末か月初に高値をつけたとする。それから定石どおり酒田で3本逆行して安くなる。中には5本逆行も混じる。あああれが目先の天井だったかな?と感じたとすれば、戻りを待って売るもよし、見切りでそのまま落としてもよし、利食いならどちらでも大きな差は生まれない。見切りも利食いもトータル利食いなら千両である。利食いで破産した相場師はいない。利食いなら常に金は増えているわけで、増える量以上に使えない限り金は勝手に増えてしまう。そういうことを目先の高値や安値をあまりこだわらないで玉をスムーズに動かすという動作の質が重要な上達のポイントだなと理解ができるようになる前に9割以上の参加者が金がなくなるというのが現実の相場である。だから玉を建てるのは控えめにしろと相場巧者はいうのだが、ヘタクソほど玉操作が下手なのに大きな玉を建てては逆行して大損を繰り返す。
下手の3要素というのがあって、順バリ、追っかけ、値動きベッタリを言うのだが
大きな玉を建てては自滅するのはそんな人が大半だからで、そんな人をたくさん見ていると相場教室をやるのが嫌になったということもある。
試し玉を1枚建てる。売りでも買いでもよい。1枚売って踏まれたら落とす。すぐに重ねてはいけないというのは、一旦踏んで日柄をみるという時間軸が操作に入る入らないかがその後の玉の厚みや時間軸操作に大きく影響するからで、逆指しをすべきか再度売って入るかがその後の判断の分岐点になるからである。ここが天井かどうかなんて、後になって初めてわかることである。だから酒田を使うなら1日1回、寄り成り以外に売買しても意味が無いということが大きな損をして初めて身に沁みてわかるようになるということだ。負けた人の9割がそれさえ理解できずに退場してしまう。そういう怖い世界で相場師は生きている。予測は常に曲がっても、なんとか相場で飯を食うレベルで取れるようになるにはそんな苦しい体験を何度か通過する必要がある。通過儀礼とでもいうのか。
通過儀礼をなんとかクリアして一人前の相場師で食えるようになっても相場も金も所詮は幻想であるということが理解できるようになった人なら、使いきれない金など溜めて何になるのか?楽しく使って世の中の役に立つ以外に過剰な金の効用はない。ナンパの左翼はいつも金を見るたびにそう思っている。だからマダムが4万円のラペルラのパンティーを伊勢丹で何枚買っても怒ってはいけない。8万円のブラジャーもそれに何枚か追加するべきなのだ。ああ君にぴったりで素敵だよと言う以外相場師の言葉は無いのだ。だから過剰な金を無駄に使う気がない人は相場師には絶対に向かないのである。

猫次郎は猫次郎

まあブログのタイトルとか書き手の名前とかそんなものはどうでもよろしい。
読んで解る奴は解るし、解らん奴は解らない。言語や構文の解釈や理解というのは
学校の現代国語の解釈とは異なって、正解というような明確なものはそもそも断定できない。それは正解というよりむしろ共感にちかいものなのだろう。だから1000人読んで数名解ればましな確率といってよいのだろう。プリンを食ったことのない人にいくらプリンの味を説明しても伝わらないのと同じことなのだ。
共感を通底するものが経験であるとすれば、いかなる相場師も同様な経験をするだろうが、その経験の土台となるような認識に大きな個人差がある。つまり形式的にいうならば、グラフの枚数だったり場帳の筆記年数だったりするわけで、それをバカラ氏とむかしくどくどアマチュア向けに書いたことがあったが、解るやつは解るし解らんやつは永久にわからないものなのだろう。養老さんが馬鹿の壁といってたな。僕たちと同じように、ある仕事を辞めて相場師専業になる投資家はそれこそ数えきれないほどたくさんいるんだろうが、その中で飯を食えるレベルに到達するものは1%もいないだろう。労働者が6000万人いるとして1割が仮に本気で相場をすれば600万人。税務署統計(ある関西の税務署の署長に話だが)によると年間5000万以上投資で儲けている人は26万人に1人だというから600万人相場の参加者がいてもそれなりにいい暮らしができる奴は23人ほどということになる。プロ野球の選手より少ないということか?スポーツは向き不向きが最初からある程度わかりやすいが、相場師はそれがわからない。だから参加者が多い分だけ確率が下がるということなんだろうと思う。

売買という単純なゲームでそれで食えるようになる人とお遊びで金を捨てる人の決定的な差とは何か?考えてみれば簡単なことで、投じた時間と経験と情熱の差という以外に何も思い浮かばない。その大小が決定的な差となる。変動感覚と売買技術の差と林さんなら言うのだろう。その差は結果的には人生で数億、数十億の差になる。軽自動車やチャリンコとメルセデスやベントレーの差といえば分かりやすい。必要十分な機能と過剰な存在との差がそれなのだ。現実と幻想の差といってもよいのだろう。だから相場師はどうあがいても強欲だし、それを否定してもしかたがない。
金が道具という特徴なので極端な差になるのが相場師の宿命である。ただしどんな熟達した相場師でも最後に生き残るかどうかはわからない。最後の最後で破産する相場師も少なくないからだ。リバモアしかり是銀しかりである。だから幻想の世界で生きる相場師たちは、今日生きている、今日だけは旨く生きている、明日のことはわからないそういう構えで生きるという覚悟がプロという人たちの通底器になっている。”投げと踏み”それが上手くできるかどうか、今日を生きるとはそういう動作の質の差だろう、とフと思う。
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