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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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どうもありがとうございます。
変なオッさんから、ギフトが来た➖❗
また、海老鯛だわ。

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誕生日スペシャル、海老ロース

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伊東の山奥、山カツ亭

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伊東 丸山公園 紫陽花パラダイス!

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今夜は、豪華な金目鯛だな

第三帝国

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ロベルト ボラーニョ 第三帝国

 僕のブログは閲覧者が400−500名ぐらい毎日来る。page viewで1500−2500程度がもうずっと3年以上は続いている。相場関連の固定ファンが多分多いのだろうと想像する。コメ欄に書き込みがないのは仲良し子良しになりたいなんて人がほとんどいないせいだろう。たぶん何か有効なことが書いてあるかもしれないと読んでいるらしい。期待外れの三振空振りだろうなあと思うな。これだけズケズケ本音を書けば反発が多いのが当然だろうが、黙っていて何も言わない人が大半だ。炎上大好きの僕としてはたまに和歌山ミカンみたいのがくると張り切るが5年に1度ぐらいしかそいうのは来ないんだな。再開したのは(以前は猫塾という有料専用自社サイトで書いていた)2013年だからもう足かけ5年、1000タイトル以上もだらだらと日常をそのまま書いている。きっかけになったのはi-phoneとMac Airを買って簡単に取った写真が記事に取り込めるとわかったから。機械音痴だから面倒なことは嫌なのだが、馬鹿ちょんで携帯で取って取り込んで、テキストを書くと立派な猫次郎日記が出来てしまう。田舎暮らしは暇だからすることがないので、テキストなんて僕は何字でも何時間でも書ける。2011年の震災以降はしばらく一人暮らし(年寄りの猫はいるが)だったから毎日することがないのだ。まだ都心に住んでいれば、レストランがある、伊勢丹がある、映画館がある、靴屋がある、本屋があると暇つぶしに時間と金を使うことが出来たのだが、田舎は僕の物質的欲望のレベルを満たす質量を備えた店舗は皆無である。例えば服は御殿場アウトレットと無印とユニクロしかないのだ。だからいくら金があってもそもそも全く無意味で、金を使う対象がゼロなんだから相場なんてする意味が全く無い。欲しいモノはネットサーフィンで探してポチッとやって買う以外に方法が無い。あとは年に数回行く東京で見つけて買う。(7年間数えてみたら平均年7回は行っていた。)
 少ない年金でなんとか生きている貧乏な老人ばかりが周囲にいるのだから、それでなんとかなってしまうような価格構造の社会があるのだ。それがつまり田舎の定義である。57年生きてきてこんな緩くて金がいらない世界があるのなら、都会で命を縮めて金儲けに奔走していた自分の人生の時間はナンだったんだろうか?とアホらしくなってしまった。所詮はどうでも良い時間の無駄である。
 5000ccクラスのV8,V12のジャグアーやメルセデスにずっと35年も乗っていれば「良い実用車」だと誰でも感じると思うが、そういう習慣がないと宝の持ち腐れになる。階級というのはそういうモノだから、背伸びしてそれを維持するのはそれなりの戦いが出来ないと多分無理だと思う。でも田舎の熱海でもっと快適に車を転がすのなら、サイズは小さいほうが断然楽だし、FRよりFFか4WD(急坂 斜度10%以上)のほうが安全で良いだろう。つまりミニのワゴンなんかが最適だと思う。見る目さえあれば、そして懇意な修理工場を探す力があれば中古なら50万ぐらいで良い個体がゴロゴロあるから、金なんていくらも要らない。それで素敵なカーライフが出来る。
 だから物資的な裕福さを実現するには、金と時間を有効に使う賢い頭のほうが金そのものの絶対額より数段は重要であるという意味を理解できないと「お間抜け」ということなる。「使ってナンボ」なんだが、「使えない」人が大半で、そういう人を「使えない人」とか「終わった人」と僕は呼んでいる。つまり資本主義的には無意味な人なのである。こういう人が補食の対象となることが多くで、またの呼び名を「鴨」というのだ。

 大阪往復の新幹線でベルンハルト シュリンクの「階段をおりる女」を読み終えた。10年ぶり「週末」以来の長編だが、よく書けているなと感じた。またヒロインの過去と主人公の過去が交叉してすれ違う。こういう恋の話は素晴らしい暇つぶしだが、好きなのは男性だろうなと思う。
今日からはまたボラーニョの遺稿「第三帝国」だ。

 人が老いるということ、人が病むということ、そして人が死ぬということ。それを正面から自分の出来事として受け止めるようなグータラ生活にしていきたいなと思う。

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週末 からは、もう10年ぶりか?
相変わらず、良いな❗

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七年ぶりかの新幹線

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名古屋 通過
周囲では、マンダリンが炸裂してる。
車内放送は、英語ではあまり意味ないですよね。

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京都も曇天

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大阪城なう

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梅田スゲー!

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富士川 なう

新幹線はやだなぁ

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 月曜日に見舞いで大阪まで新幹線に乗って行こうと思っていたら、また殺人事件が起きた。「不特定多数を誰でも良いから殺したい」という欲望が正常であるかどうかは別として、その動機は貧窮と自己疎外感からくる恨みという秋葉原事件と同じような心理なのか?本人以外には知る由もないが、どこにいても起こりえる事件で、マムシに噛まれた、暴走する逆走自動車に突っ込まれたのと同じことで、自分で防ぐのはかなり難しいだろうなあと思う。
 「人生の幸不幸とはまさに運である」という事実は、こういう事なのだろう。多少の努力や才能も関係するのかもしれないが、隣に誰がいるかなんて電車に座っているとほぼわからない。グリーン車だと果たして確率は低くなるだろうか?逆に恨みの対象になりやすいのか?
 日本人は同質化圧力が極めて高い国である。だから同質化に失敗した人(群れと同じようにできなかった人)の疎外感が著しく強いから、集団への恨みがこの種の事件にきっとなるんだろう。別に政治的なイデオロギーが強くあって、反政府運動をするとかそういう政治意識やムーブメントには結びつかないのだ。疎外されて、あるいは自分から疎外の籤を引いて引きこもりから貧窮になって、社会との接点を喪い自分がこうなった環境や社会を恨んで復讐する。相手は誰でも良い。こんな自分になってしまった(つまり酷い敗北感の自意識の塊なんだろう)誰かを何人かでも殺したい。その先なんて考えもしない。どうせ死刑になるだろう。自分で自殺するのは怖くてできないから死刑になれば国家が殺してくれるだろう、そう多分期待してもいるんだろうと思うな。だからキチガイにつける薬はないなと思う。トホホな状態なんだから、そういうトホホな人がいる場所をなるべく避ける以外に方法が無いが、多分現在の日本はそこいら中トホホな人がうようよいるんだから、避けようも無い。僕が貧乏人をほとんど信じないのは、そういう事をする可能性がきっと金持ちより数倍も高いからだ。金持ちは貧乏人より喪うものが少し多い分だけ、理屈に合わない事をする確率は低いので安全性が高いのだ。グルーっと見回して、働かなくて一生生きて行けるような裕福な人は、覚せい剤で捕まることはあるかもしれないが、刃物を振り回して公衆の面前で暴れるような例はほとんどない。あるとすれば政治的な革命による殺害だから、ISと同じでちゃんと理由があり、避けようがある。

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今夜は肉うどん

明日は大阪でも、旨いうどんを食べたい。
上本町のうどん屋に行こうかな?
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