今夜は、珍健太郎 の坦々麺 ザーサイのパンチが利いてて旨いです。
霧で視界が30m 自分がそうだから、注意がそこに集中するという事はあるんだろうと思う。「移住生活」という出来事について、自分以外にどんな人がどんな場所で生活しているのか?という問いに小説家は具体的なイメージで答える。
マーガレット ドラブルが「昏い水」で描いた、カナリア群島の老後の逃避生活というのは、ゲイの大御所作家が若い恋人を連れて50年間いろいろとありながらもスペイン植民地で大西洋の天国のような島でのんびりと執筆活動をしながら朽ちて行く様を描く、西欧人にとれば最も成功した人生の終わり方の理想を描いているんだろう。弥生以降の日本人のような農耕民族は死ぬまで有る意味で生まれた土地で田畑を耕して労働するのが理想なのかもしれないし、そういう価値観で集団が成立している以上はそれに逆らって自分なりのルールで生きようとすると軋轢は激しい。今は珍しくなった終身雇用制というのはきっとその会社版だったんだろうと思う。同じ制服を着てみんなで一緒にラジオ体操をする始業時の風景を見て、僕はひどい頭痛がしたものだ。こういう農耕社会では土地所有が富の源泉なのだから、一旦確定した所有権をめぐって年代、時代を通じてどうそれを維持管理するかという視点が、豊かさの指針になる。ほとんど移動のない世界では、変化は戦争以外では人為的には起りにくい。一方で狩猟採取社会では、獲物が移動するのだから、狩人もそれを追って移動する。移動すれば生活環境そのものが変化するから、土地所有の価値よりも環境への適応性、柔軟性のほうが生き残りの要素になりやすい。採取や狩りの方法は多彩だから、真似をするより独自の道を探すほうが獲物に遭遇しやすいという事だから、人と異なる方法論を編み出す、研ぎすますという方向に全体が進みやすい。魚とイノシシでは道具も場所も異なるからだ。 だから住み慣れた土地を捨てて、新天地に進んでいく。移住するということは、古い可能性を捨てて、新しい環境に適応する自分に賭けるという投機なんだろうと思う。
熱海に移住する人が老人以外でも近年は少し増えたらしい。市役所の観光課で、熱海を盛り上げて若い人を都市部から呼ぼうという取り組みが盛んで、そのために都会から若い夫婦をどう呼んで、どういう仕事の可能性を広げるかという取り組みに行政が直接参加している。「苗床」というフリースペースを安く貸して、事務所代わりにレンタルさせたり、そこに集まる都市部からの移住者のコミュニティーを作り、イベントを開いたりして相互の人的交流を作ろうとしている。ここでも土地の所有と使用に関しての新旧の軋轢が大きくて、新しい店舗などはなかなか参入障害があって物事が前に進まない。結果的にそれが物価高に結びついて新サービスの多くが広がらない。旧世代が全部交代して老人が死滅すればもっと具体的な発展の可能性が広がるのだろうが、老人はなかなかしぶといから死なないのだなあと思う。そのせいで熱海で一番流行っているのは大病院なのだ。平均で3時間は待たされて3分診療というのだから、需給バランスが崩れているということだろう。
東京などの地下鉄があるような大都市以外に住むということは、毎日の生活の移動に車やバイクなどの個人の移動機械の操作の必要性が重要な行動の自由になる。20世紀は自動車の世紀と言われるのは、個人の移動距離がすごく長くなった(移動時間は短くなった)ことで、様々な組み合わせの可能性が増えた。例えば婚姻だ。100年も前は、同じ村やせいぜい隣村の人と婚姻するのがせいぜいだったのが、100年たつと2000キロも離れた人、あるいは1万キロ離れた外国の人と婚姻するのも珍しくなくなってきた。所変われば品変わるではないが、言語、習慣、常識、歴史がまるで異なるのだから、生活も当然異なる。モビリティーということは、移動性が高いという事だから、車が或る人は遠くに自由に移動できるからその点で選択肢が広いから有利なはずで、だからみんなが車を欲しがったのが20世紀だったのだろう。ところが、自動車保有のコストが高いためにそれを所有することが都市部ではもう困難になった。年間100万円の保有コストを支払えない給与生活者は自転車に乗ることになった。(年収200万の都市在住の非正規プアではしかたがない。)一方で、田舎では5万円の中古車が売っているから登録込みで30万ぐらいで立派な動く車が買える。保有コストは税金とガソリンだけだから(修理費も多少はかかるが年間で20万もしないだろう)非正規の年収200万でも車は買えるのだ。暮らしやすいという意味では田舎のほうがずっと緩くて豊かにくらせる。
地方では人口が少ないから店舗販売での成功はほぼ期待できないが、ネットを上手く使った販売なら拡大の可能性があるわけで、アマゾンではないが、そういう方向に今後は全体が移って行くだろうと思われる。インスタをやらないと若い女性にはアプローチが利かないという状態になってきたようだ。
不動産サイトを見ていると、150平米の中古鉄筋のマンションは、新宿区では大体1−2億円ぐらいが相場だ。フルローンで金利1%で借りて100−200万、2%なら200−400万が年間金利支払い。20年ローンなら5%返済なら年間で500−1000万返す必要が有る。月に最低でも50万から120万ぐらいは支払いが必要で、そういう家賃を支払うには月給で300−500万は必要だから、まあ儲かっている社長さんでないと無理である。なんとか家族4人が兎小屋のような狭い150平米のマンションに暮らすだけでもそんなに高いコストがかかるのだから、都市部の生活なんて捨ててしまえば良いのだが、会社が都市部にあるから我慢するしかない。そう都市部の住民の全員が我慢しているというのが日本の悲しい住環境の縮図なんだろうと思う。
大都市で安サラリーマン(安サラリーマンの定義=年棒1000万程度でカボチャの馬鹿の詐欺にひっかかるような人たち)をするというのはコスト対効果的には最悪の選択肢なのだが、人口の98%ぐらいの人が無自覚にもそれをするのだな。みんなで渡れば怖くないって事自体を今時まだ人が信じているって事実が実に不思議なのだな。環境の変化を見ていない、考えていない、自分の頭で考えて損益計算できない人が98%いるという事なのだろうなあ。全員が不思議にも大卒なんだから何を習ってきたんだか?と思うな。コスパなら田舎の家賃や土地が安い場所で、高い所得の可能性に賭けるのが一番コスパが良いのだから、熱海で相場師はコスパ的には一番低リスクで効率が良いので、歴代の相場師にはそういうのが結構いたということだろうと思う。バブル時の2億のマンションが今ならたったの1000万から3000万で売っている。掛け流しの源泉供給で屋内駐車場パレット付き、138平米、駅から車で5分タクシーで1000円、見晴らし良しで静か(朝は鶯が鳴いている!)。だから最近はIT企業の社長さんとO大使館勤務の奥さんが買ってポルシェターボで遊びに来るようになった。
あと1000人ほどがリーマン辞めて日本中から熱海に相場師をやりにやってくれば、地元の景気がよくなって上手いレストランなども出来るんだろうと思うなあ。そういう町興しをなんで市役所は考えないんだろうと、、。
相場師特区とか作って、住民票がある人は3−5年限定で株取引の所得の税率を減免すればすぐに人はたくさんくるぜ。一度でも来させればあとは転がるよ、きっと。
まあ公務員はボンクラばかりで頭が悪いなあと思うな。少し金があるのが1000人もやってくれば、もっと不動産も値上がりするから、業者も儲かるし以前の所有者も利食いできるから回転する。カジノ法案より予算が低くてすぐに出来て楽だろうと思うが、まあ行政は何を見ているんだろうかと思うな。 |
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