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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

書庫日記

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幻想の生産と消費

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 相場でゴハンが現在食べて行けない人のために、少しはマシになるためにするべき初歩的な事は共通していると僕は思う。だから「ああやれ、こうやれ」と具体的な事を少し書く事が出来るし、「君がしたい事ってこういう事じゃない?」という御本人によくわかっていない事を例証もできる。仕事用のちゃんとした道具を完備して、基礎の練習をコツコツやれという以外に方法は無いのだ。相場だけが例外であるはずがない。すべての仕事は同じだろうと思う。
僕のテキストを読めば「ああそうか」とよほどの馬鹿でない限りは容易に理解できるのだが、実際に実行するのか(できるのか)?という点は個人差がとても大きい。なぜならかなりの時間や手間が最初のうちはかかるからであり、それを一応完備したからといって、即座に相場が上達するというものでもないと思う。まあ個人差があるが10年ぐらいは普通の人なら誰でも必要な時間だろうと、大きくなった他の人の経験談を聞くと共通しているような気がする。
 相場師は職人仕事に近い。コックとかピアニストとか外科医とか、実行することで失敗を繰り返しながら徐々に上達する感覚的な技術だと思うから。いくら高い本を読んで知識が一応ついても即座にそれがお金になることはまず無いと思ったほうが良いだろう。練習中は「損が出る」ほうが最初は多いだろう。下手だからという他ないのだが、自分の下手さを自覚しながらすこしずつ出来るようになるしか方法がないのである。プロが「損切り、損切り、損切り」というのはだから正しいのである。それが出来ればプロに近づくのである。

知識でお金になるのなら、1冊100万でも1000万でも僕は安いと思うが、知識の通りにアマチュアが実行できるのか?と言えば一番容易な基礎の道具の完備や少枚数の分割でさえ、100人いて出来る人はほとんどいない。数百人いて1、2名の確率だ。そんなことは最初からこちらは分かっているので、少しはマシな人(上達する要素と可能性がありそうな人)以外には僕は話をしたくない。書き込みに強弱があるのは当然で、実行者の譜を見れば5秒でその人の程度はすぐにわかるのだ。

 同じ銘柄を固定して2分割を繰り返し何度も売りと買いを組み合わせて実行すると、小さな波でも乗って降りる経験から様々なことがわかるようになるし、またそのうち段々と出来るようになる。前回の5541太平洋金属(ベトナムさんも同じものを買いだけやっていたね)をその後の練習用の売買譜と解説を上げる。

2/2    318  −1
2/4    337  1−
2/12   361  1−
2/16   368  2−
       369  1−
2/19   358  −4

3/12   343  −1
       340  −1 となった。利食いは49円ぐらいだろう。

 試しを 2/2 発会 −1 318 と買いから入ったということは、「よくわからないまでも一応強気(上げるかな?)」と多分その時は思ったのだろう。(ほとんど記憶にない、どうでも良い事である。いつも曲がるから。)昨年夏に高値を取って、日柄で半年だから、期日向かいで買いで入るという一応の仕掛けの定石である。月足を書いていれば馬鹿でも考える方法だ。(当たる、曲がるはやってみないと無論わからないが、、。)
月足をたくさん書けば、低位株の周期が半年が多いのは見当がつくだろう。その見当をつけるためには量を書いて身体で納得して「実行する」=ちゃんと定期的に建ててみる=ことが最初の一歩なのだから、しない人に出来るはずが無いということになりはしないのか?居過ごし以前の怠慢が多くの人の実体だ。相場は見ているだけでは金にはならないのだから、、。自信を持って(単なる個人の思い込みでしかないが、無いよりは有ったほうが動機付にはなるだろう。もともと演繹的根拠などいくら探しても無い世界の事なのだから、、。)まず1枚試しを建てないと何も始まるわけが無い。試しは上下どちらでも宜しい。自分の好みの方向で良い。
 さてそれが(安値を)狙いすぎて失敗して下が入らない。=買い始めが1週は遅すぎる=安値を狙いすぎるという結果で上げてしまった。悪い玉は即座に落とせというがしょうがないので 2日後に3/4  337 1−と落として丸。
その後もスルスルと戻して行く。買い遅れた失敗なのだが慌てないで次を狙えば宜しい。いちいち細かい事を気にすると気鬱になって良く無いのだからとにかく着いて行くことだけ考える事だ。ダメなら落として休むだけのことだ。次(の安値)までしばらくは時間があるのなら逆指しして売って見る。方向なんてどうせ当たらんのだから考えても無駄である。
新値6本で3/12に、「そろそろか?(目先戻り天井)」と感じて
1−  361と売り建ち。当日陰線引けとなって 371が当月の高値になった。
その後も売値より上があるので3枚乗せてみる。2週で値幅が少し出たし、上が重い感じがしたので多分W底をつけにいくという感じもしたのである。折れ線の見れば誰でもわかるが昨年夏の天井はW天井だったから、底も対応してWになるんだろうと仕掛けの前からいつもの当たらん予想をしていたのだが、そんな感じになってきたので、最初の−1をあっさり落として入り直せば良いと感じたから、その通りに動いたまでのこと。やりながら修正打を打てば良い。=つまり相手に合わせて行くプロセスだ。
売った感じ(空売り)は上が詰まって抜けないのだからたぶんお辞儀だろうが、それがどれぐらい(値幅と日柄)かは無論かわらんので、落ちさえすれば宜しいだけのことでこれも3手で買い落ち。丸にして目先高値から陰線新値が出るのを待つ。2−3週で出るかな?ぐらいはいつもの事だ。上げが6本なら前後は出るかな?と休み3つを開けて3/11 337の6本を見て、翌日は2回出てみたという所だ。

 買いは341.5平均だ。利食い分49円を入れるとコストが1枚25円下がるので、この2枚の平均は実質316円ということになる。昨年来安値は13年2/17 315ザラバだからそれと同じ買値になったことになる。結果論だが一年で一番安い値で仕込んだら、3−6ヶ月後に売れば大抵は大きく利食いになることが経験的に多いからあとは3ヶ月後に売っても良し、押目を重ねて拾って1年忘れても良し、勝手に金が増えるということが恐らく起きる。ほんの数枚の分割の単純な繰り返し売買が出来るだけで、小さな波に乗って降りるだけで素人離れした玉操作になってくるのだから、最低でもこんな程度の分割が自在に何時でも出来るぐらいまでは反復練習をする必要があるのだが、売買に「当てる」要素は多く無いのが理解できるだろう。少しだけ上下に振幅が出さえすれば相場師は飯が喰えるということである。上下両方向に小さな小さな波(変動率で15%ぐらい?)に乗って降りてまた乗る。こんな程度の小波は場帳や折れ線グラフを50も書けば常に毎月でも起きているのが眼がついている人なら誰でもわかるはずだ。そういう銘柄を選択して好きなもので練習すれば良いというのがわかるはずで、業績だの金利だのノイズの入る要素は一つもない。ノイズを無視しろ(材料はどうでもよい)という部分がアマチュアの当て物博打と異なるポイントなのである。相場をするとは単なる値動きの振幅に対するこちらの反応ということである。わかっていても出来ない現実を「どう工夫して乗ること、降りる事、重ねる事、逆指しすること」が出来るようになるのかだ。それが仕事としての相場の分水嶺なのは言うまでもない。

 300名に実験的に2年ほど教えて、10年で出来た人は3名だった。東大、東工大、6大学、医大卒がゴロゴロいる秀才でも結局一人も出来ないのだ。記憶力が良いとか計算が鋭いとか勉強なんて人一倍出来ても相場が出来るようには1ミリもならないという事である。それぐらい「感じて素直に動く」ということは困難なのであると思う。逆説的に指摘すると「考えるから出来ない」という事でもある。いくらうだうだ考えてもネーチャンは口説けない。「感じて動く」ということはSEXに似ている。相場の上手い人にスケベが多いのがうなずける。ベトナムさんは(スケベ)だから上手いのだと思う。
 身体的な反射動作を東大仏文卒の内田樹さんは合気道の身体運用技術について「身体知」という言葉をよく使用するのだが、相場に必要とされるのは分析的、演繹的技術知ではないのである。技術知では確率5割を絶対に越えないのに対し、身体知は100%に近い反射の利食いを実現している。その論理的、演繹的説明が現代数学や科学では不可能だという点で、「有効性」が高いからプロが飯が喰えるという結果が生まれるという事実があるのだと思う。
 「さて君にはこれが出来るかね?」というのがこのブログの前々からの主題の一つでもある。できそうもないのなら相場は止めておけと言うのが親切というものだろう。「知らぬが仏」とは言うけれど、必要以上に金があってもどうせ幻想であり個人的に大きな意味が有るとも僕には思えない。「格差」論議が姦しいが、少し資金が多ければ年金の5倍や10倍はこんな単純な操作だけで取れると僕は思うので、老後が心配な若者は時間をかけて出来るようにしてみれば良いと思う。成功すればまた新たな格差を生むはずだが、(僕のように普通の庶民の)貧乏人が毎月200万も200万も遊ぶのは苦痛である。大抵は身体を壊して崩れて終わると思う。贅沢な暮らしをしても結果的には時間とともに金は残るのだ。
 メルセデスのCL55という車は1700万円だ。カローラの多分5−7倍ぐらいはするんだろう。「贅沢が素敵!」と本音で思うのなら相場で取った人様のなけなしの金をリアルに払って乗ってみれば良いと思う。なんでも経験である。実用性なら両車に大差はない。単に「気分の問題」だけである。生産と消費の実体と幻想の差異が体感できるだろう。だから相場師とは所詮幻想のための(情緒的な、感覚的な)商売なのである。

棄てられた時間

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 便利な世の中になったと思う。一世代前まで、僕の父母の時代は戦争を経験して何もなくった瓦礫の中からの復興だった。丁度現在の福島、東北の被災後の生活に少し似ていたから「その日を食べて行く、なんとか人間並みの暮らしに戻る」というのが国民的スローガンだったのだろう。戦時中の「欲しがりません、勝つまでは」というスローガンとか「贅沢は敵だ!」という大本営発表の全体主義というのは、劣勢な状態の群衆心理には心地よく響くという特性があるから、全体が劣勢の時には例外はすべて「不謹慎とか売国奴」とかいう名詞でくくられて排除される。どんな社会でも多数の支配する心理というのはそういうものなのだろうし、北朝鮮や中国やアメリカだって似たようなものだろう。労働者革命によって達成されるはずの共産主義の平等国家のはずのそれらの国々も、実体は強固な官僚制、軍政を基礎にした個人崇拝の強権政治が実体で、「上に逆らえば殺されかねない」という意味では平等では有る.(爆)
 戦後の日本経済の成功と失敗を経験してきた僕としては、1989年を頂点として下落した株価を元に考える時に、自分の生活と照らし合わせてみると、物質的には「夢のような暮らし」が実現したという意味で幸運な世代の最後の一群に分類されるのかもしれない。「贅沢は素敵!」というアッケラカンとした唯物史観のラストランナーというわけだ。戦争が嫌いで、高等教育を受けて、お金儲けに奔走して、欲しい物や事の大半を既に老年を迎える前にすべて所有、経験して「欲しいものが欲しい」という糸井のコピーに代表されるような飽食の時代の申し子という稀なる世代ということで、現在の若者たちとは随分と異なる。
 昨今の新聞雑誌の風潮は「格差とテロ」がキーワードで、なんだか暗いムードに満ちている。ネットやテレビの普及で50年も前には一般人が知らなかった世の中の状態が映像や数値で細かく報道されるから、どうしても自分のそれと比較して物事を考えるという習慣が強まるのは致し方ないのだろう。タダでさえ集団主義が大好きなみずほの国の農民の遺伝子は、100年や200年では変らないのではないのか、仮に容易に変化するぐらいなら日本民族はきっと残ってはいなかったのだろうと僕は思う。この国が移民に受け入れに消極的で(拒否的とさえ言える)内と外の区別を厳密に行うという意味で「集団の掟」にしばられたい心理というものは、種の保存には実際に有効に作用していると思われる。格差というマスコミ言語をもう少し具体化してみると、自己と他者の具体的な生活上の差異ということなのだろう。物で見ると、車を(家でも服でもごちそうでもなんでも良い)持っている人と持っていない人、持っている人でも一台の人と複数所有の人、軽自動車とロールスロイスやベントレーの人というぐらいのバリエーションが実際にはあるのだろう。必要性と経済性だけならば、都市部ならバスとタクシーとJRで十分賄えるのは誰しも同じだろうと思う。所有によって生じる効能の有効性は「有る無し」が決定因だが、効能以外の有効性(快適性とか表象性など)は千差万別だから価格によって差異化されて商品化されるのが実体である。「いかに素敵な贅沢か」とは「いかに無駄な部分に金をかけるか」に表象される幻想価値体系ということで、詳しくはボードリヤールでも読んで欲しい。
 株価が1989年末の225で4万円付近から暴落して2012年まで23年が経過して一応の底を打ったと仮定すると、89年に50歳だった人は現在73歳、60歳だった人は83歳でそろそろその世代の大半はお迎えが来たか来つつ有る世代という事だろう。世代の交替に応じて、欲望と幻想の質量が変化するというのは当然だろうから、次の世代もまた同様な欲望と幻想を持つのだろうというのが株価循環論の根底を為すというふうに僕などは考える。その強弱こそが天井の高低に左右するのだろうし、現代の50−60代がどのような欲望と幻想を抱いて投機に励むかは興味深い。
現在を去り行く世代は20世紀の最後の10年を「郷愁をもって貧しく平等な日本」をきっと夢に見たから株価が急落したのだろうと文学的な僕は思う.(笑)幻想の数値とはその幻想を夢見る主体の思う通りに恐らくなるのだろう。欲望の逆説だと笑ってしまえばそれまでの事だが、そうやって実現されるはずの「みんなで貧乏」なはずの現実が産む「格差」とはどういう矛盾なのだろうか?1/20のに減価した不動産や株価の表記によって、投げる人と拾う人という交代劇が無限に繰りかえされる。投げる人がどんどんとあの世に逝って、拾う人は栄光の廃墟に新しい灯をまたともす。
 20世紀初頭にもグローバリスムの栄光と挫折の時代はあった。T.S Eriotの韻文が再び蘇る。
 
  Teach us to care or not to care,                           Ash Wednesday

桃山温泉「猫の湯」

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「今年の春から専業になります。」そう昔の生徒は言った。猫塾からの生徒では初めての女子である。
いわゆる女相場師だから、「唐獅子牡丹の恐いネーチャン」かといえば、至って普通のOLさんだが、もう安月給は疲れたから止めるということで、4月か5月か知らないが相場で自立して生きて行くということを聞いた。ご成功をお祈りしたいと思う。こういう逞しい女子が今後はどんどんと増加して、猫を鍋にして喰っていくのだろうが、喰われる前に早いとこ引退でもして優雅に温泉猫でもするかなと思う。相場に未練が無いと言えば「大嘘」で天からの大崩れを戴きたいという個人的な欲望は残っていて、それはしばらく先だろうから、それまでは止めるわけにはいかないのである。元気ならなんとか間に合うかと思うから、一日2−3回は温泉に入って、相当規則正しい栄養をとって、全くストレスのない生活をしているのだが、こんな真面目な相場師ってそうそういないだろうと自負しているのだ。

10年位前に僕の講習会に来て、それからオフ会とか特訓コースとかでいろいろアドバイスしたし、会いに来た動機が洒落ていて林照太郎以外の相場師を一度見てみたかったという事で、普通のスケベな中年だったからたぶんがっかりした事だろう。とにもかくにも10年基礎の分割の練習をして場帳をちゃんとつけて、売りも買いも、リズムとうねりとつなぎと基礎的な事が出来るようになって、資金も数倍になったから決断したことだろうと思う。「おめでとう!脱力してゆっくりやってね。」と大書きしておこう。
 相場師は実際は地味で華のない仕事である。あまり興奮しているような売買では長くは持たないし、「自分で取れる所を取る」という自分なりの時間軸が感覚的にわかってきたような人にはもうするべきアドバイスは「少なめにゆっくり売買しろ」ぐらいしか言う事はない。強弱なんて誰が予測しても曲がる事が多いのは承知しているのだから「拘っても無駄で損が増える」と思えばさっさと踏んだり切ったりでしばらく休むという事になるが、一旦波に乗れたらなら玉は相当期間寝て動かないという事になる。途中の仕切りを入れて吹きを売って、その後の押しを拾ってと細かい丁寧な売買も少しはするだろうが、そんな比率は大きくはないだろう。だから仮に上げ相場が3年の日柄があったとすれば、一番美味しいのは最後の数ヶ月(3−6ヶ月)が大半で、上げを取るなら天井までついていく以外に美味しい部分は余り無いけれど、途中のレンジの保合いで売ったり、買ったりで動かしすぎると最後まで気持ちが持たなくなって玉が痩せていくということになりやすい。だから面倒だねと思えば長大月陽線3本建ちぐらいまでなにもしないというようなことが増えてしまう。30億取った遠藤サンはそういう売買だった。売買というよりは保有だったというほうが当たっている。出来高が買いの時点の20−30倍までは粘ったということだが、当時と現在は異なるから現在ならば浮動株が1日で1回転するぐらい人気がつくまで何もしないような売買であるから、2−3年仕込みから仕切りまでは当たり前という寝方であったと思われる。まあ倍加とか3倍化ぐらいは当然で、それをくるくる単価を下げて玉数を極大化していくような上げ相場の乗り方である。

 新居のガスの開通に立ち会って、どうせ来たなら新しい温泉に是非入ってみようということで、午後は桃山温泉「猫の湯」に40分ほどゆっくり浸かってみた。そのせいかカッタルイのでその後の場帳で眠くて眠くて2回もマッサージチェアのご厄介になったのだ。やはりナトリウムカルシウム泉と単純アルカリ泉は効能が異なる感じがする。脱力という意味では新居の湯のほうが大きい感じだが、肌触りは野性的でツルツル感は上がって30分ぐらいすると新居のほうが強いような気がする。
景色と浴槽がゴージャス(外国製の琺瑯だ)なので「王様気分」でお昼からお風呂は素敵だ。浴槽もほぼ2倍の容量だから脚を伸ばして身体が浮くのが良い。温度は調節可能だから寝てしまうぐらいの温い湯が心地よい。ハイアットのプレジデンシャルスイートという感じ。小成金って良いでしょ?(爆)
家具が一つもないガラーンと広いリビングは日差しがとても強かった。タブレット端末で後場の注文を出してみたが、電波状況はグーである。因に光回線の申し込みをしてみたが、敷設調査をしてくれるらしい。固定の光が入ると安定して早いし使い放題なので助かる。5000円ぐらいの料金なら電話もついてお得だから、データ通信を開通したらキャンセルして移動用はOCN/Atermとi-phoneで十分だろう。
MOA美術館をオフィス代りにするつもりなのだ。蕎麦屋とカフェとレストランがあるので、お昼は外食がきっと多くなると思う。まるで山の上なのに都会暮らしだね。便利な時代になったものだ。

ジョイス再読

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  鷹揚な涙が、ゲイブリエルの目に満ちた。自分はどの女性に対してもそんな気持ちになったことは一度もないが、そういう気持ちを愛と言うのだと彼は悟った。涙がもっとたくさん目にたまり、うっすら暗いなか、ぽたぽた雨の垂れる木の下に立つ若者の姿が見える気がした。ほかのいろんな姿もそばにあった。彼の魂はいまや、死者たちの大いなる群れが棲む場に近づいたのだ。彼らの変幻自在な、ゆらめく存在を意識することはできても、把握することはできない。彼という自立した一つの個も、灰色の、見えも触れもしない世界に消えていきつつある。これらの死者たちがかつてそびえ、生きていた確固たる世界自体が、少しずつ溶け、縮みつつある。
   ジェイムス ジョイス  「死者たち」  柴田元幸 訳  より

 ノマドライフは基本的に全部棄てる暮らしだと思う。棄てられないと多分病気になる。重くて病むのだ。
棄てる物は、会社、人間関係、規範、住所、故郷、実家、お金、物、不動産、動産、証券、名誉、過去、自負、知識、記憶、欲望となんでも棄てる。棄ててしまって困ったらそのつどまた作るか拾う。残るのは家族と猫の現在だけの暮らしのノマドライフだ。定住する人々は蓄積統合することがスタイルだが(インテグレート)ノマドライフは逃亡が全てを微分して差異化する(ディファレンシエイト)移動軸だから、移動するために必要最小限の物や事以外は必要ないのだろうと思う。一時的に所有することはあるのだが、それは保有が目的ではなく、一時的な「使用」が目的である。だから使用には拘るが所有には拘らない。物が身体性を持つ道具かどうかということであり、お金は無論、便利な道具である。身体性を持って使わないと用をなさないのである。それ以上の量は全てが幻想の記号だろうと思う。
 自己と他者の関係性の中で、それを不特定多数あるいは単数と自己の交換についての記号がお金というエネルギー量の形を取っているのが資本主義のルールなんだろうから、回転の過程で増価したり減価したりする不思議な記号でもある。扱いの上手い下手の大きな個人差が生まれるものだが、積分には大きな差が出にくいが微分は大きな差になることが多いと経験的に思う。それは大半の人が「出来ない」せいであるだろうし、出来なくても積分生活をする限りにおいては不便は起きない。しなければ良いだけのことだからだ。
 内田さんのラジオ(辺境ラジオ)を聞いていると(ポッドキャストで何時でも無料で聞ける)、日本人の分類に「海民」と『山民」という区分がある。「海民」はマドロスで港ごとに女がいたりする風来坊で根がない、ヒラヒラする人生だ。住所不定無職(笑)。昔はきっと海賊だったかもしれない。マジな感じがちっともしないのである。決めごとは瞬間的で直感的である。祭りが好きで「ハレとケ」の落差が原基となって放浪し移動する。目的無し、ただただ移動していないと苦しくなって死んでしまうのだ。一方『山民」は農民である。定住し集団生活が基本で掟に縛られて「人生は重い荷物を持って長い坂道を登るがごとく」というような苦節を持って尊ぶというようなある種天然Mな人たちで、比率で言うと98%以上がこれに当たるのではないか?と僕は推察している。のろくてかったるいのでおつきあいしたくないので、僕はそんな『山民」の巣窟たる大都市をトンズラしてしまった。すると呼吸することが楽になった気がする。重いものなんて持ちたくないので、「誰かに背負わせるのが楽だ」というふうにきっと吞気ものの海民は考えるのだろう。「外注主義」とも言えるのか?分業できるものでコチラとアチラを分割する線をきっと僕は「逃走線」と呼ぶのかもしれない。こちら側とあちら側。混じり合うことが無い境界線なのか?架橋する手立てがあるのか?僕はよく知らない。

チビッと張って休む

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「愛しの○○様」というヘッドと「貴女の猫』というサインアップは僕のラブレターの定番だった。「だった」という過去形は現在はこういう形式で記述することは洒落以外には滅多にない。滅多に無いということはごく稀にはあるということで、
1相手が美女であること
2相手がこちらを受け入れる姿勢があること
3相手が「変りたい」という強い願望を感じさせること

ぐらいの最低の必要条件がある。猫塾で僕の生徒だった50名ぐらいの女子の中で、美人はきっとそんなメールを何度か受け取った記憶があるんだろうと思う。冗談が効く相手でないと、昨今はセクハラだとかなんとか言われて面倒な事になるから使用は極めて危険な様式ではあるが、無論猫は「相当の読書家で野性的なスレンンダーな美女が好き」というのが好みということで、これは素敵な車から降り立つ様が絵になって決まるという美意識の問題であり、12気筒のW6とかメルセデスの美しいクーペから降りて来て欲しい女というイメージは限られるのじゃないかと思うからでもある。AKBみたいな小便臭い小娘が出て来たら「孫」だねということになるから、俺は誘拐犯という事にきっとなるんだろう。(ロリコン趣味は皆無です。)広告批評のカバー写真になるような美意識という事でもあるんだろう。

優雅(エレガント)と豪華(ラグジュアリー)が渾然一体となったような女性ということで、思わず

I do not hope to turn,again.
 ということになるんだろうかと思う。

T.S Eriotとミッシェルフーコーとニーチェやクロススキーとその前後を読み込むインテリの力というのは実に魅力的だが、それに猫好きとくればまずほとんどあり得ない条件と言えるのだが、そんな凄いネーチャンは居ないだろうと思っていたら、実は一人いたのである。しかも相場師志願とくれば「奇跡的」発見!ということになる。
 そういう人でも、相場を練習して上達するのは容易ではない。なまじインテリが邪魔をして、「理屈で相場を考える」という一番してはいけない事をインテリ故に習慣的にどうしてもしがちなのだ。ところが相場というものは、ちっとも理屈のように合理的な動きかたというのをしないものである。大きく張った時に限って予想なんてものが曲がるように出来ているものだ。だからムキになって大きな勝負に出る時に限って曲がるということが起きるのだ。すると感情的になって損を取り戻そうとして更に悪手を打つ。それが重なるとすぐにオケラ街道まっしぐらということになる。

だからチビッと張って休む、チビッと張って休むというのを繰り返して、損でも益でもどうでも良いので、相手の感じ(上下か横か)をなるべくつかんで着いて行くという以外にないのだろうと思う。だから一攫千金なんてことは普通は起きないし、仮にそういう事が起きた人は、たぶん短時間のうちに居なくなるものなのだ。逆目は5割の確率だからである。

だからちっとも真面目に相場なんてする必要は無いのである。チビッとやって、後は大半の時間は寝ているに限る。大抵、一年のうちに「ここだ」というような時間帯はそんなに多くも長くもないからだ。少し建てたり落としたりを上下両方向に動かしてみれば自然に結果が出るものだ。猫はうつらうつら一日のうちで寝ている時間が一番多い動物だが、それと同じぐらい寝ているのが結果的に資金効率上は一番効果的に儲かるのだ。僕も含めて相場をする人の大半は貧乏性の人ばかりだから、どうしても頻度と時間が多くなる。それを抑制するのが苦しいからだろうと思う。

さて本日、新居の本契約を完了し、移転登記の申請を行った。温泉権も登記されるらしいが、泉質分析表を受け取った。3本の源泉の混合泉ということで、ナトリウムカルシウム泉、PH8.1弱アルカリの高温泉という表記だ。なめてみたのだがあまりしょっぱくはない。少し苦いかな?
発売時のトーメンのパンフレットがついてきた。間取りはいろいろあって195平米というのが最大の超豪華なお部屋らしい。4億円だったそうで、僕はA TYPE  136平米の2LKを買った.鍵を受け取って電気の契約をした。あとは水道とガスとNTTの契約が残っている。眺望と温泉が売りで発売したフラットだったらしい。現在29戸あって定住者は9戸。僕が加わると10戸だから3割は実際に住んでいるということになる。この2年で熱海全体もリゾート定住が倍増しているからリゾート定住が流行になってきたのだろうと思う。購入者の年齢層は60−75歳。保有期間は約10年ぐらいで適度に死亡、相続によって回転する市場である。都会のネオンが恋しい人には無理だが(熱海にネオンは無いです。)、眺望や温泉や魚や野菜ののんびりライフが好きな人には良い暮らしだろうと思う。
 因に都会のようなリーマンの仕事場は皆無で給料もあっても実に安いから、小説家とか芸術家とか相場師とか自分で完結する仕事ぐらいしか選択肢がないのだろう。和三郎、是銀、山種が住んでいる理由がよくわかったということだ。怠け者向けであるのは確実であると思う。チビッと張って休むのが向いている暮らしだね。
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