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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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熱海市民

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中央が初島

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立派な楠

 熱海市役所でマダムが転入届けを出して、印鑑登録をした。健康保険証も当日貰えた。これで彼女は熱海市民だ。僕は函南町民だからなんかこちらのほうが田舎臭い!事実景色も田舎丸出しなのは昨日の菜の花でおわかりだろうと思う。イノシシや狸の出る場所って都会じゃ想像外でしょ?さらにマムシもいるでよ.(笑)夫婦の住所は別々で「別居」状態ということになるが、別段すごく仲が悪いということはない。

 なんで熱海に転入かと言えば、税理士が言うのには今年の税金が50万は安くなるというコメントで紙一枚でそんなに変るならしない手はないねということで中野から熱海市民になることにした。例年以降も20万は減額だという。熱海は毎年人口減らしいが、これで少し歯止めがかかった。僕はまだいいかなと思う。現在、友人の一級建築士と内装変更のあれこれをしているので、工事を終えてお引っ越しが出来るのは早くて6月ぐらいにきっとなるんだろうと思う。なんか大工が忙しいということは、近隣の不動産は売れているのだろう。金はある所にはあるからだろうと思う。熱海は月曜日の午前なのに観光客で実に混雑している。良く行く「○番」という少し高めの中国料理店はランチの客で行列で、歩道に10人以上並んでた。並んで喰うほどの店ではないのよ.(爆)
 手続きの後に、新居から駅まで徒歩でどれぐらいかかるのか実験してみる。下りは20分、ぴったり2キロである。因みに上りは30分。心臓がもう一つ二つないと無理というぐらいキツい。車が通らない階段の近道があるのだが、この勾配が急だ。踏み外すと大けがになるかなと思うほどで使用するのは高校生、小学生たちだ。熱海は広いグランドを作る平坦な土地が限られてる。だから桃山小学校のグランド、熱海高校のグランドが災害避難場所で、僕の新居のお隣で、駅からは徒歩で30分は山道と階段を登るからまあせいぜい60歳ぐらいまでしか無理だろう。それ以上の人は助からないという設計かなと思った。まあ順番なので致し方ないという事だが、車は必需品です。特に小型の四駆が良いだろう。でかいメルセデス2台なんて最悪のケースであるが、まあそれはまた後で考えることにする。あまり乗らないしねえ。
 桃山小学校のグランドを見下ろす道の上から 初島を遠景にスマホで写真を撮ってみると、同じ静岡でも駿河湾と相模湾の海の色が随分と異なるような気がする。お天気のせいもあるのだろうが(曇天だった)相模湾のようが暗い海の色をしている。富士山も見えないからあまり静岡らしくないと言えば言えるのだろう。校舎は授業中なのか「しーん」としていた。田舎の学校という感じ。
その道の脇に樹齢推定200年以上はありそうな立派な楠が鎮座ましますという感じ。桃山が熱海に一番早く開発された温泉地だからか、区画は広く豪邸が立ち並ぶ。その天辺に僕の新居になる12階建ての建物があるから、恐らく熱海で一番高い(高度がという意味)場所に位置しているということになるのだろう。全てを見下ろすという視覚の角度というのはこんなものなのか?と思った。別に得に偉くなった気分は別にしないのだが、よくこんなものを2億以上も出して昔の人は買ったのだろうね?と実に不思議な気分である。僕ならせいぜい払っても5000万という感じだね。都内で5000万のフラットはせいぜい70−80平米が良い所だろう。中野のフラットは140ぐらいはあったので2億ぐらいの物件だった。駅から徒歩3分なら相場であると思うが、それでもオーナーは20年賃貸に出しても、賃貸自体は赤字だったようである。転売してやっと黒字だというから不動産商売もなかなか厳しいのだなあと思う。デフレだからしかたがないということかね?


旧くて新しい時間

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 早春のお散歩は楽しい。山道を6キロ位歩くと、ふうふう言いながらも細胞のそれぞれに酸素が入って二酸化炭素が出てという「体内で交換する」感じが実感できる。グータラ生活で冬は寒いので歩かないからなまっているのがわかるのだ。でもゆっくり3キロ下って一休み、マリーでバケットを買って今度は上りの3キロは効く。歩くのが良いのは「頭が真っ白」になって感情と思考が全部リセットされる。自分の過去のデフォルトが綺麗にキャンセルされるから、身体的行動こそ全てだなという再認識を頭脳の前頭葉ではない部分で感じるからなんだろう。脳が一番「裏切る」臓器であるという養老先生の指摘は実に鋭いなあ。脳は都合の悪い事を常に「誤摩化す」ための臓器なのかもしれない。日曜日の午後の別荘地というのは、土日のリゾート客は早々に帰京してしまって定住している老人たちが犬の散歩をしているぐらいだ。フラットから管理センターまで往復で4キロ90分を6キロに伸ばすと150分はかかる。全てが傾斜10度以上の坂だからシューズは重要で僕は登山靴を履いて歩く。キーンというアメリカブランドの中国製の軽い靴だが足首のホールドと靴底のグリップが秀越で同じものを色違いで3足も買って交替に使用してる。箱根も歩いたし、愛鷹も登って6メートルぐらい滑落した。幸運にも大事には至らなかったが冬の斜面は霜があるので危険だと思い、それ以来冬は止めている。
 別荘地の春は梅と菜の花が満開で、遠くに雲を抱いた富士山が綺麗だ。この景色ももうすぐ終わるがノマドライフはきっと動けなくなるまで続くのだから、次の土地でまたしばらくなんとか慣れを作って生きて行くのだろう。適応能力が高いとも思えないが、土地とか建物とか不動産とかは全く興味の対象外で、良い馬と本だけあればご機嫌だ。「居着く」ことに耐えられないのだろう。マグロと同じで回遊していないと窒息死してしまうような体質なのかもしれない。ほっつき歩いているのが性に合っているのだ。遠い遠い先祖は大陸の騎馬民族だったのかもしれない。殺戮と虐殺にある種の共感と諦観があるから、自分が狩るほうにも狩られるほうにもなるのがこの世の掟なのだから、弱い奴を見つけて狩る。満腹ならあとはお昼寝でのんべんだらりと腹が減るまで何もしない。

 モンゴルの草原のテント暮らしとかヨーロッパのジプシーとか近東やシルクロードのキャラバンとか都市と都市を往来して交易したり、略奪したり破壊したりするような固定的な体制の価値感を破壊する文化が理由なく魅力的に映る。倫理を越えた生存の掟というものがきっとあるんじゃないかと思うし、人間だけが例外であるなんて思えないのだ。細胞は脳とは別の原始的な記憶があるのじゃないかとフと感じる瞬間がある。一度も行ったことがない外国の風景をテレビや写真で見た時にデジャブではないが不思議な懐かしさを感じる瞬間がたまにあるのは何故だろう?たかが400年の資本性だけが全てとは決して経済の結論だとは別に考えもしないし、適応のやり方にも様々な角度や好みがあるという点で農奴制の中世よりはマシになったが工業化を進めすぎたせいで過剰な生産と不足する需要という現象が常態化してから「微分」することにより大きな価値が生まれたのだろうと思う。「意識」や「自我」といったけったいな脳が作り出した構造物=幻想にずっと捕われて不自由な壁を自分自身が勝手に作り出して困っている、そんな構図が現代なのかもしれない。
 身体性に立ち返ると即座に「幻想」は不思議に消える。身体の記憶は脳よりも確実だ。旧い恋歌には「電話番号を指が覚えている」というのがあった。指が勝手にボタンを正確に押すという状態を指して言うのだろう。結局は
身体の反復行為の習慣化が動作に直結するという状態だから、思考や記憶の入り込む余地が消滅する。その一瞬の間の消滅が「同期」という状態なのだろう。自分が「賭ける」のではなくて自分が「賭けそのものになる」状態なんだろう。
 自然科学に代表される近代という合理性は「要因と結果」という因果に永遠に呪われている。自然科学の合理性というのはある種の近代宗教と言ってもよいだろう。学校教育の導入によってそれが一般化し、思考の道筋は極端に狭猥化した。合理性で説明できないものは存在を認めない。どこかの国のオ馬鹿な官僚のようでもある。
仮に民主制が多数による小数の排除が目的であるとしても、現実に市場で起きているのは少数による多数の排除だろう。つまり市場とは少数による多数の排除だとすれば「民主的」であるはずもないという逆説によって成り立つ宇宙だ。6キロの山道を散歩して、山の早春の冷たい風に吹かれた身体をゆっくり暖かい湯船で浮かせると思考のチャネルに羽が生えるのか。疲れて老いた筋肉も明日にはきっと元に戻るだろう。交換された細胞にも原初の記憶は残るだろう。また新しい春が僕にやって来た。

老後は ON THE ROAD

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 40歳ぐらいからもう20年ぐらいグータラ遊んでいる。遊ぶのもすぐに飽きるのは、きっと昔は普通の仕事をしていた記憶が脳のどこかに残っているからだろう。だからたまに(5年か10年かに一度)仕事の真似っこみたいなことを始めて、少し当てて2年ぐらいはやるんだが、また飽きてすぐに止める。結構器用な所もあるので、大当たりは無理でも1億や2億の会社ごっこの売り上げぐらいは良いアイデアと優れた駒が数名いれば当たるから小救いで3つぐらいやったが、田舎にいるのでそんな事ももう無くなった。2−3名で各人手出し100万の300万の有限会社だと設立3年は消費税が免税だったからその間数億売ってあとは会社ごと売っておしまい。経費をバンバン落とすためのお仕事だった。だから一緒に遊んでくれる人がいないのだ。40からだからもう20年、いわゆる普通の勤め人はしていない。最後にしていたのはある小さな30名ぐらいの会社の雇われ社長を義理で1年半ぐらいやったが通勤が面倒なので止めた。
 当時から日本を車で廻るグランドツーリングみたいのが好きで、ハイウェイスターみたいなラクチン旦那車が多かった。ジャグアーのW6やメルセデスが大半だった。車の旅は良い。時間の制約がほとんどないし、活動範囲が広くて気まぐれが効く。「天皇が泊まる宿」という昔の雑誌をもっていてそれで宿を適当に予約して2−3泊の高級温泉宿を4−5カ所決めておいて移動時間を2日ぐらいゆとりを持つとぐんといろいろ廻れて楽しい.十和田に2泊、八戸で鮨を昼に喰って、飛ばして山形に遅く入って、湯の花に3泊、その後新潟に走って、寺泊で鮨を喰って、金沢に1泊、翌日山城のべにやに泊まる。3泊して京都に返ってハイアットで2−3泊して最後は六甲に2泊して東京に戻る。2週はないと廻れないし費用だって二人で200や300はかかるんだが、こんな遊びを一緒にしてくる人はもう周囲にはマダムぐらいしかいないのだ。お金の問題ではなくて、平日の忙しい季節に自由に時間とエネルギーとお金を使うという習慣が僕の周囲の人たちには無いのである。40−60歳のリーマンたちはどんなに偉くても時間とお金とエネルギーを自分だけのために使えない仕組みの中でしか生きられないという資本主義の実に不便な構造の中で全員が呼吸している。だから大半はストレスの塊だ。「死んだ鯖の目」で毎日通勤しているよ。自由で勝手気ままに資本主義を笑い倒すような人は周囲には皆無なのだ。そのくせセコイんだよなあ。発想が積分(インテグレーと)一本やりで微分(ディファレンシエイト)がないから、死ぬまできっと働いているんだろう。「資本主義と分裂症」をきっとよく読んでいないんだな。資本は積分をしばらくした後に「微分」しないとだめなのね。そうしないと個人には永遠に救いなんてないですよ。自殺や過労死って必然だろ?と思う。ボタンの掛け違いをしている自覚が無いのね、オツムが悪いから、、。
ジャックケルアックがON THE ROAD を書いた時には、積分なんてほとんどしないそういう元気な若者がたくさんいたが、そういうのが爺になってどうなったのだろう?戦争反対で麻薬とジャズと酒とSEXでラリってそのまま死んだかね?
 引退族ならケルヤックの真似事も可能だろうが余りゆとりがない人が多いから、同じお金ならきっとラクチンな海外のクルーズになってしまうのだろうし、そもそも運転で2000キロや3000キロも走る人はほとんどいないのだ。マジに遊ぶのだって努力が結構必要だ。お遍路さんも良いけれど、日本霊場めぐりを車で廻るような豪快なのもいいよねと思う。
 30代も中頃になると僕は海外には全く興味が無くなってしまった。食事のせいだろうと思うが、とにかく結構保守的なテイストなので日本にいるほうが今はゆっくりと寛げる。たまに上海とか杭州とかも満干全席を食べに出たりもしたが、もういいかなという感じだ。飛行機が嫌いなせいもある。あんなデカイものが空を飛ぶのは不自然だから、必ず落ちるのは当然だと未だに思っているぐらいだから。玉村豊男がワイナリーを作ったので去年の夏に遊びに行って昼飯を食ってきた。現在、日本には200ぐらい個人経営のワイナリーがあるらしい。彼の雑誌SINRA は「田舎暮らし、スローライフ」の教科書みたいなものだが今月は日本のワイナリーの紹介で特選で6カ所レストランやオーベルジュ併設の紹介ページがある。
 お金と時間のある老後には、こういう日本中のワイナリーをゆっくり廻って走るような旅も良いのだろう。僕は全くの下戸だから酒は飲めないが、ワインと美味しい食事はつき物だから、緑の農園を見ながらゆっくりと食事を楽しむのは小さな幸福の縮図だろうといつも思う.将来を案じて暗くて不安な老後なんて最低の生き方をしたいなんて僕は絶対に思わない。元気で動けるうちに精一杯自分の脚と自分の舌で走り回って、食べまくって、温泉入りまくって「ああ、楽しかった」と言ってコロっと死にたいねえと思う。戒名不要、葬式不要、死んだら骨はそこらの海岸にでも棄ててくれ。そしたらきっと風に戻ると思う。
 ベトナムさんが帰任して暇ができたら、くたばる前に一度一緒に男二人で廻るかね?男二人だとアレだと思われて宿に拒絶される可能性もあるんだが、、相場は今ならWi-Fiでどこでも出来るし、一日10万のノルマでやれば宿代なんて運転していない方が助手席で移動時間中に日計りで稼ぐでしょ?負けた日は罰ゲームで道の駅で野宿ですね.その日の生活がマジにかかると盛り上がるよ。(爆)地方創世とかトリクルダウンなんて言うけれど、結局取った奴が自腹を切って豪快に国内で遊べということでしょ?なんでみんな成金になってもしないかなあ?

資本の共同幻想

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 中川農林水産相の元妻が路上でキスしたとか文科相が献金を貰ったとか国会中継を流していると変な質問を野党がする。テレビ中継があるからなんとかして政権の支持率を落として困らせたいという野党の腹が見え見えだが、もう少しマシな話題はないのか?と思う。震災からもうすでに4年がたつが復興も原発もはかばかしく進んでいない。未だに仮設住宅に住んでいる人、避難している人も沢山いるのだろうし、汚染された国土の回復も進んでいない。それでまた原発を再稼働して大きな地震があったらどうするつもりなのだろう。あと70年ぐらいは起きないと思っているのかな?地球規模で起きる自然災害に人間の対処は限られるから、なるべくそういう場所を避ける以外に手が無いが、日本中で可能性があるのだから、ある意味日本に住むなら居直って暮らす以外に方法が無い。仮に首都圏直下の大地震が起きると帰宅困難者が800万人出るという試算だし、東南海地震の津波は最大33メートルの高さだから数分で来れば海岸付近では逃げ場は無いだろう。下ネタとか金とかそういう次元のお話を週刊誌でするのはギャグでも良いだろうが、予算委員会の質疑に馴染む質なのだろうか?こういう政党や議員しか戦後の教育は生まなかったし、それは我々の程度の反映でもあるのだから自業自得だがやはり頭痛がしてくる。
 災害への対処なんてあまり意味が無い事に気を揉むと毎日が楽しく無いと僕は思うので、どのみちもう還暦だし、そんなに先が長いとも思わないから「今ある時間をなるべく自分にとって、あるいは家族にとって有意義に過ごす事」だけに集中するのが対処の本質だろうと個人的には思う。災害であれ、病気や事故であれいずれくたばる事に差はないのだが、それがいつかは誰にも分からないからある意味人生は面白いのだろうと思う。
明日、確実に自分が死ぬとわかっているなら今日会社に行くリーマンが果たして何人いるんだろう?と思う。24時間しか本当に残っていないとすれば「仕事」の優先順位なんて一番後回しになるんだろうと思うのだが、、。
だとすれば人は自分本来の欲求に逆らって毎日生活していることになる。不自然な事を繰り返してそれで病気にならないほうが不思議だろ?と僕は思う。過労死とか自殺とか僕の年齢でも相当数の人が、仕事のし過ぎで死亡したり重篤な病気になるのが目立つ。まあ60歳なら昔は長老なんだろうが、気分だけは昨日まで学生だったという感じに近いから孫が3人産まれてもガキのままであるから、したくない事はしない事にしてもう随分とたつ。

猫と長く生活していると人間の馬鹿さ加減と行動の無駄に嫌でも気がつく。猫の欲求は単純で、食料と排泄と睡眠と交尾しかない。動物が生きるということはその4要素以外にないし、それ以外はあまり生存に関して重大なマターであるとも思えない。だから本質的に優先する人生のマターは以上の4つを堪能する以外に根本的に深い快楽はないのだろうと思う。だからと言って保守党の政治家が路上でわざわざキスする必要もまた無いとは思うが、、.単なるアホという他ない。自分が誰であるかという自覚がきっと無いんだろうし、そういうのを選ぶボスのセンスってどうなの?とも思う。
 アップルがダウに採用されるという記事を読んだ。先日i-phone6を触った瞬間「終わったね、この会社」と直感的に感じた。たぶん、まだしばらくは業績は伸びるだろうが(中国で売るから)製品としてこの会社に期待する未来はもう無いんだなと感じた、結局ジョブス以外では作れないという事であり、彼の死とともにアップルは僕の中で終わった会社になったという事だ。あとは優良な時価総額のでかい普通のブルーチップに変るだろう。相場ならローリングで売り持ちであると思う。ソニーかつてが失敗したのと同じ事をきっと繰り返すことになるだろう。3−5年は多分もつだろうけれど、、。理由は単純で、製品が「カッコわるい」「ダサイ」「田舎臭い」からだ。ちっとも欲しいと思わないからである。
「特別な物」と「汎用品」との差異とは一体何だろう?それが魅力の差異のヒントだと思う。時計でも車でも建築でも食事でも深い満足を得るには結局はこの「特別である」という事に拘る以外に選択枝を僕たちは持てないのだ。この「特別さ」が外れた時、物が瞬時に「ゴミ」と同義に変る。きっと資本主義の幻想とはそういう構図で成り立つ世界なのだろう。

 さて5301,5302の比較グラフを上げる。パープルが5302、5301はグリーンだ。
左のブルーは昨年高値時、右の赤は今年の高値時だが、昨年の両銘柄の鞘は150円、今年は50円まで縮小している。5302の上昇は17週(約90日)で定石、5301は既に失速しているので、見合いで売り上がったということである。
 7本の代表的な5000番台の低位株で「人気」が続いたものは例外的に5302しか無かったということで、他は保合いのレンジの往来に現在終始しているようだ。年末5301を売りから入って少し取ったが幅がないので乗り換えしてずっと売っていたが、どうやら天井したらしい感じが強い。昨日戻り2本で2番天井を取ってきたが
2−と増してみた。弱気だったシホさんが、「上げ相場ならいっそ買いのほうが良いのでは?」と頭によぎったと2/26の記述にあるが、まさにその瞬間が天井で大半の弱気が総踏みとなって天井する。ドテンをすれば往復ビンタでやられることが多いケースなんだろうと思う。
 初心者の売りの練習の要諦は高値を「売っちゃ踏み」「売っちゃ踏み」を飽きるまでやって更に売り続けることにあると僕は経験的に思う。それが出来ないからいつまでたっても1ミリの進歩もないのである。3月でも半年でも同じ方向に売る。そのうちうねりは変るものだ。気が長い人にしか出来ないことで、だからこそ「団子」で狙うともたないのは言うまでもない。損少利大というけれども必要な損は払わないと勉強にならないということである。
5302の10月の底値の鞘は3−5円だ。高値はそれが15円以上出ている。それが30円にならないなら既に天をしたという事なんだろう。そういう細かいことがわかるには自分で折れ線を書かないと体感できないだろうと思うから「道具の整備」の重要性を僕が言うのだが、面倒でしない人のほうが多い。
 資金が少なく、道具もハンパで、経験も無いし、練習も下手、さらに感覚が無く相場をすれば1000に一つも勝てないのは「当然だ」という自意識が欠落している。初心者の全員に言えることなのだが、指摘されると図星だろうが「反発」する。自分が怠慢であることをどこかで自覚しているのだろう。
 ピアノの練習を始めて1年や2年で飯が喰えるほど上達して観客を集めるレベルに果たしてなれるだろうか?そんな天才は1000万人に一人もきっといないだろう。それを同じことを相場で自分が出来ると思う人の「思い上がり」って一体なんだろうと不思議に思う。世間知らずと言えばそれまでだが、政治家の質が低い理由がこの程度の国民性にあるというのと同じだろうなと思った。事実そうした「共同幻想」を食い物にして資本主義のルシファーは生きているのだ。
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1個500−700円ぐらいで出来ます。



3時半まで読書してたら寝坊した。なんかさがみが上がってるのでベッドでスマホで成り行き売り。

ついでにインバースを軽くナンピン。指数は動くが先物だけで実体はない。ちょうど三尊の典型みたいな天井型が増えている、(8306とか)高値で3本押して2本戻りとかだね。買い手の交換が起きるのだが、高くなると買いたくなる人が買って、それまで買っていた人は売り抜ける。いつもの風景.(笑)

さてローストビーフサンドイッチが今日のブランチ。猫に齧られた。

特製ソースを作る旨い。
今日はタマネギソースだが、タマネギのみじん切りにみりんと醤油で炒める。肉を焼いた後のフライパンを使うとコクが残って抜群に美味しいからね。


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