伊豆長岡温泉に「弘法の湯」本店という立寄湯兼旅館がある。普通の施設と異なるのは温度が何種類かある「岩盤浴」のベッドが50ぐらいはあって何時いっても空いてるから待つ事が無い。しかも一日いても(10時から23時だったと思う)1500円と安い上に、午後4時からは1000円と更に安い。タオル持ち込みの人なら1日1200円になるそうだ。休日でも値段は同じだ。バスタオルとフェイスタオル2枚づつと着替え用の浴衣は使い放題と豪勢だ。だから暇な人は岩盤浴2−3セット(1セット50分)とミストサウナ、普通の露天なんかをローテーションで回す。優れものは、浴槽にバドガシュタイン鉱石の石材を使用していることで、あの有名なラジウム鉱石である。だから癌になって医者に見放されてしまった人が最後にたどり着くような部分も多分あるんだろうと思う。安いから誰でも使える医療代替行為として素晴らしい福祉事業なんだろうなあと感心するのだ。昨日は友だち夫婦が行くというので三島の駅でマダムを夕方新幹線から拾って一緒に出かけた。
個人的な事だが、僕は親父が胃がんで61歳で亡くなった。もう35年も前の話だが、今年は還暦だから、そろそろ親父の死んだ歳になる。家系とか遺伝とか体質なんてものはこちらではどうしようもないのだから、同じような死に方に多分なるであろうとずっと若い時(30ぐらいから)から思っていたし、事実胃潰瘍で何度も痛い思いもしたので、避けようの無いことは諦めるという割り切りを持ったから「残り時間を好き勝手」という発想がもうずっと30年ぐらい続いているが、なかなか死なない。(爆)
先週は利食いを少し入れてみた。150万以上は取れたんだろう。すると弘法の湯には1000回入ることが出来る。そんなに長くはきっと生きていないと思うから金に意味があるとも思えない。
だから仕事をしても、遊んでいても、何もしないでただボーッとしていても、誰かに自分の時間を取られるのが一番の苦痛である。リーマンのように自分の一番重要な物(つまり残った生存時間)を人に安値で売るなんて「キチガイ沙汰」だと本音でずっと思っていたから、30歳で会社を辞めたらすっきりとした記憶がある。安値で売った分は取り返すという主義だから、その後は今度は人の時間を安値で買って取り戻すということを考えてしばらくやったが、途中で飽きて止めた。「もういいか」と思ったのである。限られた資産を売買してもきっと幸福な気分にはなれないなと思ったせいもある。
それより実際に自分にある時間だけを個人で有効に使用する=僕の場合は仕事なんて一切しないでチンタラ猫のような怠惰な暮らしをする ほうがよほど気分が宜しい。働かないのだから働かないで喰って行くのに金がとりあえずは少しいるんだろうから相場でもするかという消去法が仕事になっただけの話である。門前の小僧である。流儀なんてだからなんでも宜しい。一つに決めて10年やってダメなら諦めろで良いんじゃないか?と思うし、大抵の事はマジにやればたぶん身に付くものだと思う。出来た人は普通に生きていけるだろうし、出来なかった人は死ぬ。世界の生存ルールとは所詮そんなものだろうと思う。
30ぐらいから車で、関西、九州、東北、関東甲信越の有名温泉を休日はたくさん廻った。たくさんの泉質に入ってみて、自分に有った(快適だと感じた)湯というものがあるんだなと思った。100や150は行ったと思うが、これは「数」をこなすことで分かった(身体的に納得した)ことであり、頭脳的、言語的に理解したこととは異なる。多分千万単位のコストがかかっているはずで(数えていないからハッキリした額などわからないが)3−4日でも連続で宿泊してみれば翌週に身体に反応が出る。強烈な反応、穏やかな反応と様々で、その中で自分の心地よい反応のものが一番良い。強烈というのは関東圏で言うと、草津と天目山の2つがある。強酸と強アルカリの対照的な泉質だが、僕はアルカリのほうが合ってるような気がする。
都会の暮らしは忙しい。別に自分が無職でも家族が普通の仕事をしていればその影響を嫌でも受ける。家族でも「考え方」を強制することは出来ないから、それぞれが自分の時間を自分のために使うのが幸福の基本要素だと思うので、僕は自分の方法を強制しないしされたくないので、田舎の山暮らしになったのだろう。震災で押し出されたというのがきっかけとなった。だから年に数回、東京に行くと急がしいので眼が回る。人の歩行速度が実に早いし、話ぶりも早口である。リズムが全然合わないのだから、もう立派な田舎者になれたようなのだ。テレビの影響も大きいだろうか?僕はあまり見ないから少ないとは思うが、画面がコロコロ切り替わる速度についていけないし、頭が痛くなる。秒単位で変化するものには対応なんて出来ないのである。
世界のトレンドが「加速化」にあるとすれば、僕は逆張りで「減速化」の方向で生きているし、仕事も同様で(相場を仕事と言えばという意味で)ゆっくり、のろく、ダサイ売買をしようとしている。だってみんながしないからだ。したくても出来ないというほうが正解だろう。誰もいない場所には獲物がたくさんいるはずという仮定は結構正しいなあとやっていて思う。相場とは共食いの世界だから、加速化して疲れた人がこけた時に出て行って、ごっそり骸を拾って来るのがラクチンである。 |
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