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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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冬の華

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 ますます経済的な傾向を強める人間存在と人類の消費に対し、ますます密接に絡み合う実行(生産)と利益の機械仕掛けに対し、逆の運動をおこさなければならないと証明することの必要性。その逆の運動とは、人類の過剰分の豪奢を排除することであると、わたしは言いたい。人類のなかからは、平均的人間とはちがった形成と保存の条件を持った、より力の強い種が、より高次の類型が、光に浮かび上がってこなければならないのだ。この人間の類型についてのわたしの概念、わたしの比喩は周知のように「超人」という用語である。
 今や完全に予見可能となったこの第一のみちの上に、適応が、平均化が、高次の「中国趣味」が、矮小化のなかの満足が、ーー人間存在の水準の一種の停滞がーー形成される。地球経済全体のこの管理、それは必ずや介入するはずなのだが、その管理をわれわれが一旦手中に収めたら、人類はみずからの最良の意味を見いだすことができるだろう。つまり、そうした経済のために動く機械仕掛けとしての意味を。ますます小さくなり、ますます巧妙に「組み合わされた」歯車の巨大な装置としての意味を。支配し命令するあらゆる要素の、ますます強くなる剰余的性格としての意味を。最小の力と価値をあらわす個々のファクターを集めた巨大な集合としての意味を。この衰退、細分化された有用性への人間存在のこの適応、それに対しては逆の運動をおこす必要がある。つまり総合化し、全体化し、正当化するような人間存在の創造という運動を。そうした人間存在にとって、人類のこの機械化は、存在の高次の形態を発明するための基盤としての限りにおいて、彼の存在の前提条件なのである。
 それだけにいっそう、彼にとっては「均一化した人間たち」の群衆からの敵意が必要であり、その群衆に対する距離の感情が必要である。彼はそれらの群衆のうえに立つのであり、それらの群衆によって生きるのである。貴族主義のこの高次の形態は、未来の形態である。ーーー道徳的な次元で言えば、この全体の機械仕掛け、あらゆる歯車の連帯は、人間存在の搾取における最大限度をあらわしている。しかし同時にその機械仕掛けは、搾取に一つの意味を持たせてくれるような、何らかの人間存在をも前提にしているのである。もしそうでなかったら、その機械仕掛けは実際には、人間の類型の堕落、ーー最も大がかりな退行現象ーー以外のなにものでもないということになるだろう。
 わかってもらえるだろうが、わたしが攻撃しているのは経済楽観主義である。その楽観主義にしたがえば、あらゆる人間の経費の増大につれて、あらゆる人間の利益もまた必然的に増大しなければならないかのようなのだ。われわれのケースはむしろ逆であるように思われる。あらゆる人間の経費の決算は、最後には完全な赤字で終わるのだ。つまり人間存在は堕落する。だからこの巨大なプロセスはいったい何の役にたったのか、それすらもわからなくなってしまう。何の役にたつ?新たなる「何の役にたつ」ーーこれが人類に必要なものだ、、、。

 部分的には必然性が、部分的には偶然が、あちらこちらで作り出すことに成功したもの、すなはちより強い種の生産のための前提となる諸条件。それをいまやわれわれは理解し、意識的に意志することができる。つまりわれわれは、そのような上昇が可能となる諸条件を作り出すことができるのだ。
 これまでは教育は社会の利益だけを念頭においていた。将来可能であるはずの最大の利益をではなく、まさに現存の社会の利益をである。社会のためには「道具」だけが必要とされてきた。力の豊かさがいまより大きいと仮定すれば、社会のではなく、将来の利益を目的とするような、そうした力の温存を考えてみることも出来るだろう。
 このような責務を果たすためには、人々が次のことの理解を深めていくことが必要だろう。社会の現在の形態は力強い変容の過程のなかに巻き込まれていること、その結果、いつの日か社会は自分自身のためのものとしては存在できなくなるだろう、より強力な種族の手に握られた手段としてしか、存在できなくなるだろうということ。
 人間存在の劣悪さが次第に酷くなっていくことは、まさに、より強力な種族の訓育をわれわれに考えさせるようにする力である。そのより強力な種族は、劣悪な種において一層衰退していくもの(意志、責任感、自身、みずからにさまざまな目標を定めることができること)のなかに、まさしく自分の過剰を見いだすのである。
 手段が何であるかは歴史が教えてくれる。つまり、現在平均を形成している人間たちとは逆に、自己保存の利害関係のよって孤立すること、。逆転された諸価値の実行。パトスとしての距離。現在最も低く評価され、最も非難の対象となっているようなものすべてのなかの自由な意識。西欧の平等化は、今日では後戻りできない大いなるプロセスである。むしろその進行をいっそう促進すべきだろう。
 それゆえに、溝を穿つことの必要性、距離の、ヒエラルキーの必要性が生じた。そのプロセスの進行を遅くする必要性ではなく。
 この平等化された種が実現されるやいなや、それは一つの正当化を要求する。平等化された種は支配権力を持った種に仕えることを本質とするのであり、支配権力の種は平等化された種を基盤とし、それを基盤とすることによってはじめて、自分自身の責務の高見に上昇することができるのだ。
 支配することだけで責務が終わるような主人たちの種族だけが問題なのではない。自分固有の生の圏域を持った種族、美や勇気や文化のための、もっとも精神的なことに関してすら正しい態度で振る舞うための、過剰な力を持った種族。大いなる豪奢を持つことの出来る、肯定的なる種族、、、充分な力を有すがゆえに、美徳の命令による圧政も、倹約も、衒学趣味も必要とせず、善と悪の彼岸に立つような種族。それは稀少で珍奇な植物のための温室となるのである。
     「未来の強者たち」 フリードリッヒ ニーチェ

相場に「左脳」は使わない。だから少しは何か他のことに使用しないと左右のバランスが崩れてただでさえ変人で言葉が通じない現状はきっとますます悪化するのだろう。べつに悪化しても僕個人が生活上で取り立てて困るというようなことは60年でほとんど起きたことがないのだから何か現実的に経済利得のためにニーチェやドルーズを読むということでもない。
経済利得などもうほとんどどうでも良いと思うから、そういう面倒な雑事は普段はなるべく手を抜いている。興味の無いことに人は情熱や時間を多く裂くということはしないだろう。
r > g とトマ ピケティーは「21世紀の資本」で書いている。その通りだろう。だから何だ?というのか。
相場なら面倒だから低位株をずっと2013年から1000枚1億くらい現物買い持ちして数ヶ月か数年かは知らんが倍加するまでほったらかし。それだけでは飽きるから感覚と操作の練習で、毎日ストレッチの健康体操のようなもんだから純空で30枚1000万ぐらいは控え目に売ってみる。それで50万でも100万でも利食いになればマダムや孫の小遣いにでもなるんだろう。立花さんと同じような比率の操作なんだから、それこそ慣れが出来れば「馬鹿でも出来る」うねり取りなんだが、慣れが必要な事だから初心者はきっと上手くいくのに10年ぐらいはきっとかかるんだろうと思う。
>充分な力を有すがゆえに、美徳の命令による圧政も、倹約も、衒学趣味も必要とせず、善と悪の彼岸に立つような種族。それは稀少で珍奇な植物のための温室となるのである。

100年前にニーチェが予言したそういう新しい種族とは誰だろう?圧倒的に力動的で孤独な個人としての過剰な力を持った種族。きっと「民主制」が破壊された後に生まれる種族なんだろうと僕は思う。先進国で出生率が自然に下がっているという事実は、たぶん本能としての母性が差異化された生殖を恐れている証拠なんだろうと思う。ベランダで雪を受けたクリスマスローズが開花した。旬の時期がいつかを聞き忘れたのだけれども名前からはきっと冬の華なのだろう。厳しい環境にあっても咲く華はきっとあるという事だろう。
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「結局科学とは、人間存在のーー個人のではなくーー自分自身やあらゆる物事に対する感じ方を確立しようとするものであり、したがって科学は、諸処の孤立した存在や集団の特性を排除し、そのことによって永続的な関係を確立しようとする。こうしたやり方で認識されるのは真理ではない。そうではなくて人間存在が、とくにその存在の舞台となる時代すべてにおいて、認識されるのだ。ということはつまり、ひとつの亡霊が捏造されるということである。あらゆる人間はたえずその捏造作業に参加しているのであり、そうすることによって彼らは、人間の本質の一部をなす、万人の合意点を探し出そうとしているのである。その作業にいそしみながら、人々は、長いあいだ信じて来たことと逆に、本質的でない多くのことが存在するということを知った。また、本質的なものを確立するという観点からは、これまで信じられてきた人間存在の生というものがただ「現実」(たとえば身体、持続、物質など)への信仰に基づいているだけだということ、それ以外に現実に関して証明されていることはないということを知ったのだ。つまり科学は、種の本質を構成したプロセスをたどりなおすだけであり、その種の本質なるものは、幾つかの事物に対する信仰を人々に蔓延させ、信仰を共有しないものを排除して破滅の道を歩ませようとするものなのだ。獲得された感受性の類似(空間に関しては、時間の感覚、何が大きくて何が小さいかの感覚)は、種が存在するための条件となったが、しかしそれは真理とは無縁である。「強度」や「脳の混乱」や特異体質といったものは思考内容が偽りであることを証明するのではなく、ただそれが正常ならざることを証明するだけである。正常ならざるものは集団で生きることができない。知識の分野において支配者として君臨するものは、やはり集団の本能なのだ。集団は、よりいっそう長く生きるために、みずからの固有の生存条件をもっとよく知りたいといつも望む。感情の画一性は、かつては社会や宗教が追い求めるものだったが、いまでは科学がそれを追い求めている。あらゆる事物に関する正常な趣味が確立された。知識とは持続への信仰に基盤を置くものなのだが、その知識は持続の最も粗雑な諸形態(集団、民衆、人類)に仕える奴隷となり、もっとも繊細な諸形態、特異なる趣味を、排除し抹殺しようとするーー知識は個人化を疎外するような動き、ただ一人の人間にとっての生存条件でしかないような趣味を疎外するように働くのである。ーー種とはもっとも粗雑な錯誤であり、個人とはもっとも繊細な錯誤、種よりも後にやってくる錯誤である。個人は自分固有のために闘い、自分の新しい趣味のために、あらゆる事物に対する自分の比較的独自な立場のために闘うーー彼は普遍的な趣味を軽蔑し、自分の立場がその普遍的趣味に勝るものだと考える。彼は支配することを欲するのだ。しかしまさにそのときに、彼は自分自身が何か変りやすいものであることを、自分の趣味が変りやすいものであることを発見する。彼は自分の線s内さに導かれて、個人など存在しないという秘密を、どんなに短い瞬間における自分も次の瞬間には別のものに変っており、自分の生存条件は無数の諸個人の存在条件に他ならないのだという秘密を、発見するのである。」
             フリードリッヒ ニーチェ 
            「選別の供儀としての悪循環」より転載

>正常ならざるものは集団で生きることができない。
そうニーチェが言ったのだから「僕は正常だとは思わないが、それが都合が悪いということはない。都合が良いように亡霊に対処すれば良いし、自分の個人的な趣味を優先するし、集団の感情の同一性の逆の方向に進めばよいだけだろう。」
集団の錯誤と個人の錯誤が交錯して現実の値を生むのだろうから、あらゆる事物に対する自分の比較的独自な立場のために闘うというのは僕の趣味に合致してもいるし、普遍的な趣味をも軽蔑もする。「全ての労働倫理を愚弄する」というのはそういうことなんだし、それで納得がいくならば問題はないだろう。
ということで、小原庄助さんのように曇りの朝は濃いコーヒーを飲んだ後にゆっくりと朝風呂に入った。外気温は3度で室温が20度を超えた浴室はミストサウナのように真っ白であるし、小窓から入る外の冷気はまだ春は遠いことを伝える。

読書中心に少し料理を加えてゆっくりと猫と共同生活をすること、生活様式を都会のそれと変更することにしばらく時間がかかったが、石の上にも3年と言うけれど、身体というものはきっと自然に自分と環境の時間に折り合いをつけて行くものだろうと思う。空と山と海を見ていると「中とって」折り合うということが出来るようになる。いくら急いでみたって天気は自分の都合に合わせてはくれない。「諦めが肝心」と諺は言う。精神病になった都会の患者が田舎の農村で生活を始めると2週間ぐらいすると自然に散歩しながら微笑しはじめるという臨床報告を良く目にするし、実際に都会の人がバカンスに行くのはそんな効果をきっと心のどこかで期待してもいるんだろうと思う。
近代合理主義は神を殺して祭壇から引きずり下ろし、そこに金を祭った。「金が欲しい」という感情の画一性は科学の目的になった。それは最も粗雑な錯誤に他ならないんだろうと僕は思う。

日本はみんな犬ばかり

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 阿部ちゃんがAPEC首脳会談での催しでAKBとEXILEを使ったらしいが、なんかこれ政治色アリアリだねと嫌な気分がする。北朝鮮のマスゲームとそっくりで笑える。
「頭が悪いやつは身体を使え」みたいなシグナルで、とにかく上の言われた通りに「ごちゃごちゃ言わんで一生懸命にチームのために踊れ」と言っている訳である。まあ確かに他に使い道がないならそれも良いが何も取り込まれんでもいいだろうと思うが。もともとサブカルから始まったものが「売れるとメジャーに取り込まれる」という現象は世界中でどこでも起きるが、それを政府の干渉に犬のように対処すべきかというとコレは戴けない。べつに両者がどうのという好みの問題は別として、体制批判精神の無いところに「サブカルの面白み」は失せる。天皇陛下の前じゃサングラス外して歌うのかい?(笑)スタイルというのはそんなもんかい?
なんかノーベル賞貰った田舎の学者が、ついでに文化勲章貰って「日本人として最高の栄誉」なんて間抜けなコメントしていたが、そんなに王様から勲章もらうのが嬉しいのかとアホらしいなあ。イモ筋丸出しだろ?権威に弱い学者なんてダメなんじゃねえのといつも思うんだ。そんなもん辞退するべきだろう。
反面 「STAP細胞はあります!」と言い切って実は無かったとしれっと「魂の限りやったがダメだった」と言った彼女は相当にご立派で業界をそもそも舐めている、それで上司が自殺するというのもなんか変なお話だ。死ぬほどの事が彼がしたのかよくわからんが、「ああ、チェックミスで申し訳ない」で済む話だろう。どんな「指導」があったの?と勘ぐるほうが普通で、できれば一度俺もそんな指導がしてミテーと書いたらセクハラか?
 桑田君は勲章をポケットから出してヤフオクに出したらと言ったか言わんかしらんが、やればよいのにと思うんだが、右翼に脅されてビビったらしい。まあそれなら最初から辞退すれば良いんだよ。大江君もお断りしたし、「そんなもん入らん!」ときっぱり言えばいいんだろうが、「空気」のせいでそれがまだまだしずらい国だということなんだろうね。まあ人気で喰っていたり、スポンサーがいたりすると多数に逆らうというのは商売上は命取りという部分が常についてまわる。だから多数決をもってする民主制とはつまるところ衆愚政に陥りやすいが、それでも専制よりはマシという歴史の教訓なんだろう。「有名人」というのはマスコミに追いかけられて社会的に「正しい」態度を強いられるというベクトルが嫌でも働くから、薬をやって捕まるとアウトとか、不倫をするとアウトとか実に規制が厳しいなあと思う。もっとルーズなほうが自由だろと思うが基本的に秩序だった正しさとか正確さ、礼儀とかに強い親和的価値観を持つ国民性だからということもあるし、それがきっと世界一「安心安全」という社会になったせいなんだろうが、そこでは異文化の対応に「どう対峙して良いかわからん」という状態が出て来ると何かパニくっておろおろしている様子だ。国内であの種の蟹工船のような公安虐殺事件が出ても「闇に葬られる」が「公開処刑」だと非人道的だと言って騒ぎまくる。もともと戦争やっているんだから「人道的な戦争」なんてありっこないだろう。戦争、革命とかテロがそもそも人道的なわけがない。「やるか、やられるか」って世界だもんね。その点相場は全部「お金」という記号で済むから割り切れるという意味では便利よね。いやなら「やらない選択肢」がちゃんとあるものね。こちらがそんな世界を無視すれば相手から喧嘩をふっかけられることは少なくともないからねえ。
 アメリカやイスラエルはやったらやり返せという喧嘩のルールだから、1人民間人がやられたらドローン使って相手が民間人だろうがなんだろうが無人機でドンドン爆撃して数倍、数十虐殺を無差別に一瞬で現在進行形で実行しているわけで、それがビジュアルになって僕らに伝わっていない(恣意的に伝えていない)だけのお話で、いわば相手国に侵略しているからそれにイスラムが反撃するのは戦争なら当然の行為であろうから、そんな場所にノコノコ行けば誰だって戦争材料に使われるのは当然予測できるだろう。それをしているのは実はノーベル平和賞もらったオバマなわけだ。まったくイスラムを知らない僕だって「危うきに近寄らず」ぐらいの常識はある。日本政府としての対応は言葉で相手を非難はするが実際は見殺しが当然でそうなるのをじっくりと待っていた、その当然の結果になったということだし、「イスラム憎し」の国民感情をこれで煽って、自衛隊の国民救助を盾にとって海外派兵に筋道をつける魂胆がアリアリで安保法制の筋道をつけるのに有利になったとこれもイタダケナイなあと感じるのは僕だけじゃないのだろうと思う。そんなに戦争がやりたいのかなあ、今の右翼はさあ、。
 野党がアホだから選挙は自民の大勝ちで終わったけれども、その結果が戦争じゃどうしようもないなあと思います。若い人はなんで怒らないのかなあ?不思議な気分です。爺さんはもう戦争に行けないけれど、若い自衛隊員がストライキぐらいやったらよいのにと思います。225じゃないけど防衛大卒って犬ばかりなのかよ?

 先進国は一応の民間需要が飽和すると構造的需要不足が慢性化して、結果大不況になる。すると自分で需要を作るには「戦争破壊」が一番手っ取り早いというのは資本主義の構造だ。だから部分的に代理戦争をどこかで見つけてドンパチを始める。20世紀はずっとそんな100年だったが21世紀も同じことになるのかな?人間の考えというのは100年どころか1000年たっても結局同じということなんだろうな。需要不足が原因だからもっと先進国はどんどん金を使えばよいわけだ。みんながギリシャになれば戦争するお金は無いから、景気はずっと良くなるよ。
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 先月もGQの占いを出したらネタ受けした。毎日つまんなくてクドイ相場の説教話なんて書いてるほうだってマジにつまんない。雑誌の下らない贅沢消費ネタのほうが「面白味」という点で数倍勝るから、僕はリベラルだがKINFOLKやGQのような美しい贅沢が大好き。お金だけは使いきれないぐらいあるが欲望の対象が毎日どんどんと少なくなっていく。しかたないから毎日することも特にないから相場を少し張る。するといつの間にかまた増えちゃうんだよ。使うより増えるほうが多いと金は常に余る。自分ではもうどうしようも無いんだね、自分1人じゃどうにもならん。こうやって多分「格差」というのは自然に出来ていくんだろうと思います。「結婚して良かったね」そう本気で思うのはこんな時だけだ。している事にもう意味さえ救えない。エリオットのASHE WEDNESDAYの詩が身にしみる冬の夜、、。「枯れたら相場は少しだけ上手くなる。。」そうは思うが枯れたら相場の意味は無い。
 今月はリゾートSEXのページと「脚」の美しい女優、榮倉奈々のショット、河毛俊作のベンツのエッセイを無断転載してみよう。彼曰く「大人になったらベンツに乗ろう!」とジャニスジョップリンが昔歌っていたそうな、、。きっと ベンツ=無駄で贅沢な大人の記号 という意味なんだろう。
反面、僕が大嫌いなのはドケチの右翼で、なんか馬鹿そうな所が阿部ちゃんにそっくりな気がする。見た目で馬鹿なのがアリアリで、発言すれば自分でオバカを証明していると思うから、頼むから海外では「黙ってろ!」と思うが実によく喋る.(笑) 阿部ちゃんが喋るほど「あんなオバカを日本人は首相に選んだのか」と確実に思われるから、あのサルコジが大統領の時のフランス文化人の深い羞恥心が忍ばれる。同じことをトッドが本に書いていた。『帝国以後』だったように思う。
 大江君から始まってスズキ編集長も内田さんも映画監督の河毛俊作も左がかかっているリベラルがこの世代には多いんだろうが、学生運動で負けて、体制に取り込まれてコロリと転向して、こんどは自分が体制になっちまってダメダメな人生なんだけど、それでもアメリカ的暮らしに憧れた世代だから、結構「贅沢好き」のオッサンたちでもある。僕も8年ぐらい遅れて彼らを追いかけた口で、「贅沢をして、いかに無駄を費やして人生の暇を笑い倒すか?」という視点で僕は本でお料理なんか習って平和でお気楽な毎日を送っている。そもそも世間を最初から舐めているし、舐めて贅沢三昧が出来るならマジな過労死より楽チンだろ?というぐらいアッケラカンである。家の飼い猫よりも幸福そうな同僚をほとんど見たことが無いのもここ数年は事実であるしー。住宅ローンに子供の予備校や親の介護に塾のお金、やめとけきゃ良いのにみんな借金だからフウフウ言って会社に通う。それでなんとか返し終わった頃は家はボロボロの不良資産で子供は不登校のプー。ドラッグなんて手を出さなければまだ良いが引きこもりで仕事をしない。(俺のことだ 笑)なんであいつら毎朝眠いだろうに満員電車乗って安月給貰いに犬のように嫌いな会社なんて行くんだろ?と不思議でならない。俺なら全部放り出してとんずらするね。まあ学校で刷り込み入れられて惰性でそれ以外にすることがきっとネエんだろうなあ、まあご苦労さん、がんばれ!全国の過労死一歩手前。

「全ての労働倫理を愚弄する」というニーチェと同じ祝詞を後半の生活信条にしてみたら、相場師ぐらいしかすることが見つからなかったというだけの窮屈なお話で、やってみればなんと言う事もないスゲー地味な商売である。グラフと場帳で最初は肩こりひどくてマジメゲル.1000枚!1000枚!1000枚!と漬け物じゃねえんだろうが、とにかく信仰だから良いも悪いもねえんだな。やってりゃそのうちわかるから。(笑)商売地味だから、せめて私生活には「お花が欲しいよね」というのは人情で、「お花ではお腹が膨れないけれども、お腹はもうそんなに40過ぎれば減らないし、48時間ぐらいは水だけ飲んでりゃどうということなく絶食ぐらいはすぐに出来る。酒も飲めない安上がり!つまり欲望の多くは失せた。実に哀しいのだがその大半は既に失せたのだろうと思う。考えたら今年は還暦で世間並みなら年金暮らしの余録の時間に突入しているのだから、いつポックリ逝っても不思議は無い。だから我慢だけは絶対しないことにしている。(ア、一個だけしているのは利喰わない我慢)好きな事だけ好きなだけするという生活はやってみればわかるがやればやるだけ「好きな事がどんどん減る」というか「飽きる」という当然の引き算なんだよなあ。まあやった奴しかわからんだろうがね、そんなに良いもんでもないから「アーもう一度貧乏にナリテー!不便をしてミテー!飢えが恋しい冬の朝」とイヤミを書いておく.(笑)
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2015121日水曜日、猫次郎<nekojiro612@gmail.com>さんは書きました:
こんばんわ、元気そうでよかったね。でも相場仕事は学校の宿題じゃないから、する事を決めて実行するのも自己の能力と責任だから、リーマンみたいな待ち姿勢では100年経ってもとても無理よ。出だしというか出る以前からもう間違っているという自覚がないのが大半ですよ。それで上手くなるのかね?バカでもわかることがわからないんだから、つける薬無いでしょ?
お二人以外はみんな金カン君と一緒でねーちゃんの鴨になっちゃうよと思います。
まあちゃんと道具を揃えておやりなさい。

というお返事を書いたら返信が来た。

おはようございます。
わざわざ記事にしていただいてありがとうございます。
同じグラフと場帖を書いていても質が違えば成長は全然違います。
売買の練習もそうでしょうし、実践力がなければ上達も金儲けできない。
多くのヒントを与えてて頂いてたのに実践出来ないし、ヒントにも気づいていないのは呆れられるのは当然だと思います。
お二人と違い大化けする要素が私には見当たらないかもしれませんが、自身の作業の仕方、練習の仕方を見直していきます。
勝手にどうぞ。としか言いようがないと思いますが、数%に入れるように改めていきます。
著しく成長されているのが女性ばかりなので、なぜ?を考えて、自身も成長していきます。
よろしくお願いします。

一度しかお会いしたことがないから、失礼だがどんなお顔の人かもう記憶に無い。作業(月足、折れ線、場帳)はそれなりにちゃんとしているのはブログを開設させたから確認済みだ。要はそこから先の事が進まないで困って悩んでいる人がきっと大半なんだろうと思う。15人ぐらいグラフの会には来ているはずで、女性お二人は未参加だから別に特別僕が彼女らに何かを教えているわけでもないし、全部書籍やWEB上に公開されているのだから、見れば同じ情報という事であるのに「成果に大きな差」が出てしまう。それこそ「月とスッポン」ぐらいの変動感覚と建玉操作の差異。
 習得しようとすることは「値動きの受け止め方と玉操作」という同じ目的で、銘柄、道具、日柄も同一なのに。だからいわば、同じ鉄棒で「蹴上がり」の練習を同じコーチの下でしているのと同様な状態であろうかと思う。クラスでそれがなんとか出来る人が2名いて、それ以外は全員出来ない。
その出来ない理由をいくら探しても出来るようになるかどうかは僕にはわからない。出来る人は言わんでも出来るし、出来ない人はきっと永久に出来ないのだろうとしか言いようが無いのである。
僕のコーチングは「そこで手首を柔らかく返せ」とか「もっと足の先の反動を大きく振れ」とか「あと2センチだけグリップを縮めてみろ」とか「あと体重を3キロ絞れ」とか「有利に華麗に出来るようになるための具体策」を少し彼女たちの身になって書いているだけだ。読めば馬鹿でもわかるように書くというのが僕の親切とおせっかいという事なんだが、読んでも自分で実行しないと微妙な差異がわかるわけがない。それはコツとか感じとか「自分で感じ取る事柄」であって、感じるのは僕ではなく実行する当人なんだから、僕にわかるわけないだろ?
 習い事でダメな人の最大の特徴は「理屈を理解できれば即座に上手に実行できるようになれる」というとんでもない過った思い込みに自分で気がつかないことであると個人的には思う。理屈なんて単純で誰でも日本語さえ読めればわかるのだ。99%の人が多分理解できる。では理解した後に実行して上手に出来るのはたった1−2%しかいないという事実はどうして起きるのか?「繰り返し実行し続ける」ことが困難だからだろう。だから相場の練習とは「出来るようになるまで何度も失敗を繰り返しながら出来るようになるまで動作を続ける」以外に論理的な方法は無いだろ?「それをしているの?」と僕は聴いているのだ。
多分してはいるんだろうが、成果が出ないということだろう。そんな簡単に成果なんて出ないし、たぶん10年ぐらいは誰でも普通はかかるよとこれも最初から書いてる。入り口に到達するのだって容易ではないが、それでも女性お二人はなんとか入り口のドアを見つけたようだという事である。

100人いて90人出来たらマジ僕が困るよ。だってゴハンが食えなくなるから(笑)。だから1、2%出来る人が生まれるというのは正しい遺伝子残存確率なんだろうと思う。そうしないと日本独特の「酒田の相場師」の伝統が廃れてしまうからだ。

さてオネーチャンたちに「僕個人の売り玉」のお話

9110 ユナイテッド海運
1/13   365 1−
1/14   367 2−
1/20   358 −2
1/22   365 1−
1/23   367 2−
       373 2− 
 となった。3ヶ月の天井付近をまずお手合わせに2分割で建てて、試しを落として再度、売り建ちした所だ。
グラフからわかるように5本の海運株のなかで9110を僕が何で選んだか?10月の安値買いは9107だったでしょ?利食いで落としてその後は気に入らないから買っていないのよ。
鞘の変動と値の変動。その周期のわずかなズレ。なんとなく「感じ」で僕は9110を売り玉に場帳から選んだの。
ひよこちゃんが銘柄を選ぶのが下手なのは(御免ね)個別と異銘柄の鞘の感覚が身体に入っていないからだろうと思うよ。終値だけの場帳じゃそんな感覚は絶対に出来ないからね。道具の差が感覚の差になるよ。
変動率ランキングなんかで選んだら個人的感覚の選択じゃないでしょ?(ドアホと同じ道具を使うなということです。)確率論に踏み込んだ時点でもう相場は負けなのね。言っているのは主観的「感覚論」なんです。だから正しい答えなんて絶対に無い世界のお話ですよ。自分に合っているものを選ぶのがまず成功の入り口であり、僕の選んだものがひよこさんに合っているかどうかなんてわからんよ?道具、資金量、分割の型、日柄の取り方、腕みんな異なるんだから同じ結果になるほうが不思議だろ?

月足だけではわからない細かい部分が折れ線だとどんな馬鹿でも見えるよね。半沢直樹じゃないけれど、変動値幅が倍返しと3倍返しぐらいはどんな馬鹿でも1秒でわかる。10月のボトムから12週ぐらいしたら一応注意だよね。だから試しを売ってみた。売ったら落ちて転がった。その転がった感じが良いから本玉に進んだということなんだ。場帳と折れ線までは客観情報だが、その後の試し玉と落としの感じは主観情報でそれは「僕だけの利食いの感じ」(別に損切りの感じでも同じだね。シホちゃんの1821の下値の落としと同じだ)。
試しは 1− 2−だが2度目は 1− 4−と倍返し。(笑)値動きに応じた自分の待ち受けの強度が変化しているね。ここが主観のミソだろ?
9110と9107を比較してみれば10月ボトムの鞘は7円、1月ピークの鞘は39円と5倍だね?12月のピークは37円でほぼ最大だ。Wトップ?(笑)
昨日の鞘は30円だ。詰まって来たろ?

上記の10行位の細かい事を総合して僕の原始脳は勝手に「イッパイ臭いかなー?」ときっと感じてるのね。説明のためにクドクド書いているけれど、実際は一々そんなこと「考えたりは」一切してません。「なんかイッパイ臭くね?」と感じたら
1−
1−
−2
それから
1−
4−なわけだ。
全く考えてないんだよ。身体が勝手に動くのよ。なんとなく相手の強度に応じてこちらの強度も動くのよ。そうなるまで何度も「反復と差異」なんです。それを「基礎の練習」と呼びます。
指数とか為替とかNYとか公開情報なんて見てないよ。個別株の値動きに関係ないものを選ぶ癖があるし、そもそもそんなもん即座に値に反映されるはずだと思うからどうでも良いでしょ?ノイズですよ、子供騙しの。指数そのものを売買するのじゃなければ僕には関係ない。99%の人が使っているもの使えば同じ結果になるんじゃないの?それは確実に「負け」ということでしょ?「なんで自分から負けの要素を増やすかなー?」と実に奇妙ですね。だから僕は指数は売買しないもの。(爆)
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