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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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専業相場師の最大の敵

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 60歳定年を迎える人が周囲に増えた。法改正に伴い現在は定年延長で65歳まで同じ企業にお勤めする人もきっと増えたのだろうが、労働期間というものはそれぞれの人生の都合があることだから個人の価値観だと思う。企業社会人の常識というものをそもそも最初から舐めている僕のような男からするとリーマンを辞めて相場師になろうなどと思う人を「相場なんて向かないことをわざわざ選んでくれてどうもありがとう。せいぜいがんばって下さい。」と言うことに毎回しているのだが、それは本音で「シメシメこれでまた鴨が1人カモーンだわ、客なんて呼ばんでも続々来るから楽でいいなあ!」と思うのだ。下手な人が小銭(3000万か5000万か)持って入って来る市場は事実とっても美味しい場所であり、「鴨ネギ」大歓迎である。無論全てが自己責任の世界だが、そんな事を大学受験以外に今までの人生で一度も経験したことない人がやれば10中8、9は失敗する。その失ったお金はこちら側に入って来るからだ。コレが「しめしめ」という理由である。
40歳で通常の社会通念の「お仕事」を早めに辞めた不良猫の戯れ言として、仮に「相場で第二の人生を」と考えている人に「お情け」で余計なお世話を少し書くことにする。個人的な経験をもとに書く事だし、競技者の感覚と技量に最初から大きな差があることだから、初心者向けに書くことなので自分を点検するために整理してみると参考になるだろう。

 「職業として飯を喰う」というレベルはどんな職業でもそれなりの「腕前」と商品の「品質」が際立つことが前提であると思う。方法論は単純で、優れたレシピなんていくらでもある。重要なのはそのレシピの実現可能性に対する身体の限界性と言える。つまり当人の身体が動くのかどうか?という単純な事が9割以上の人が「全くできない」から失敗するのである。
タイムカードを押して「はい」と毎日上司の指示をきくと給料日にはお金が振り込まれるというそんな便利な手抜きの世界は相場には存在しない。戸板一枚下は地獄である。漁師と同じその日暮らしのヤバイ仕事である。釣れようが釣れまいが呼吸している限りコストはかかるが魚がいない日がザラにあるからとにかく焦りの連続になる。売買がどうしても早くなる。早くなるとゆっくり売買が出来ない。出来ないと大きくは取れない。そしてやがて悪手を売って自滅する。
相場専業で飯を喰うというレベルはアイデアとか思いつきで実現することは稀で「万に一つもあり得ない」と思われる。荒波さんのサイトに行くと、異なった書き方で経験的に「するべきこと」の基本を流儀は別として(時間軸がデイだから当然だが)書いている。それは基礎の習得のための練習法ということで、それは爺さんの本にクドく書いてあることである。(株式上達セミナーとか商品相場の技術とか酒田罫線法とか)
 商売として相場をするということだから、一番重大な事は「今日この日一日をなんとか生き残って最高の一日にする」ということだけであり。「明日の事は誰にもわからない。」ということだ。だから将来の事をあれこれ考えてもロクなことがない。3日後、半年後、10年後、20年後なんてどうなるか全く未知のことであり、明日核ミサイルで資本主義が終わっているかもしれないのだから悩んでどうなるものではない。「今日、この市場で生き残って可能な限り快適な暮らしをする。」ことの毎日の連続をどう実行していくかだけが重要である。金の作り方と使い方のバランスが一番現実的には重要だ。実に唯物的で精神論なんて入り込む余地は1ミリも無いのである。バランスが悪いといつまでたっても貧乏と縁が切れない。相場をするのなら貧乏は大敵である。貧乏な所に大きな金がくるはずが元々ないだろうと思わないのが貧乏人の哀しい性だ。(司馬遼太郎の刷り込みの功罪が大きいなと僕は思うのね。)儒教思想は組織論成立の前提として有効だろうが、個人の最大限の拡張とは老壮の思想のほうが相場には合致している。この切り替えは頭が良く無いと出来ないことだろう。100人いて数人と僕が言うのはそのためだ。「群れない」で生きるというのは人間の遺伝子に逆らっているからである。上手い相場師に「おへそが曲がっている人」が多いのは当然の帰結と言えるだろう。
 基礎をする(道具の整備、基礎の分割練習)ことが仮に苦しいとかつまらないとか意味が無いとか感じるのなら、殺される前に「即座に相場は辞めておけ」と強く思う。つまり彼には全く適正がないのである。ただし、このように感じることがずっと続くのが普通の人の感覚(娑婆っ気が抜けない凡人の感覚=つまり僕のような男のことだ)であり、それは多分10年ぐらいはずっと続くだろう。3年や5年では多分娑婆っ気は抜けない。30−40年も馴染んだ後天的な習慣を抜く事は事実容易ではない。「世間の目」が気になるうちはダメであるということだ。比較思考で発想すること事態が負け組みの証拠である。だからその間は控えめに相場を張ることだが、大半の人は「一発勝負」に出て負ける。しかもコテンパンにやられて再帰不能になって脚が出る。

 若いうちなら別の仕事で再起も効くが、60歳の男に社会的な労働の市場価値はほとんどないのが現実だから、「負けたら終わり」という自覚を強く持たないとすぐにお釈迦になる。億なんてお金は相場ではそれこそアッという間に飛ぶから、ほとんどの人にとっての資金はあっという間に無くなるリスクの塊である。だから普通の感覚の人(60歳までの人生がサラリーマンだった人=雇われてお金を貰って生きて来た人)の大半は相場なんてしないほうが良いだろう。年金とわずかな貯金で地味に質素に暮らす事が合っていると思う。家族がいるのなら尚更だ。
 なけなしの虎の子の資金で相場を張るのだから「後が無い」状態を常に強いられるから、資金の豊富な人と比べれば、最初から逆のハンディを負っている。(ファンドや法人は個人の数万倍の資金だ)。しかも道具もイイカゲン腕もヘボだという「自覚」がないから直ぐに死ぬ。死んだ理由が死んだ後でもわからない人が9割以上が現実だ。だからこそ、「自分の出来る範囲」というものがまずわかるようになるのでさえ5年やそこいらは時間的にかかるのだから、その間は地味な基礎以外に出来ることはない。楽しい事など一つもないし焦れるし思ったような成果など多分ほとんど出ない。それでも残れればなんとかなるのだが、大半は残れないのである。だから生き残りのコツは常に「損切り」である。「悪い玉は即座に消せ」この一言に相場は尽きる。これさえ出来れば名人なのだが、それが出来ないのである。だから相場の基礎の練習とは「損切り」である。まずこれが出来るための練習という事が一番大切だ。でも出来ないから残れないのだね。分割の繰り返しという単純性の中に「自分の特技」を発見できるのか?まず第一はそこにヒントがあるだろう。

 生活という意味で家族を喰わすには、資金量は最低でも5000万ぐらいは必要でそれ以下だと「お遊び」にどうしてもなってしまう。5000万の半分2500万か2000万を平均2割で年間転がして400−500万だがこれでは無論喰えないだろうと思う。だから大きくなるには時間がかかる。2000万から始めて億を越えるぐらいに大きくなるには10年ぐらいは誰でもかかると思う。辛抱の連続で、結果毎日はちっとも楽しく無い。だから相場なんてやる意味が無いという堂々巡りが10年ぐらいは嫌でも続くと思う。でも残れればそれから先は別の世界が待っている。「どんな世界か?」は自分がなってみないとわからないから書いても意味が無いが一例が僕のブログの生活だ。自由で裕福で退屈な生活だ。そんなに大したもんでも無論ないのだが、さあそれでもやる意味があるのならご自由にと言う他無い。相場師の最大の敵とは「娑婆っ気」であると僕は結論したのである.(爆)

既に天井したかな?

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 アップしたのはTOPIXの月足グラフだ。12月は上げの8か月目で単陰線で上ヒゲが長い。僕の感覚では既に天井したと思う。2段上げの中段の揉み場を現在形成中に見える。
まあ当たるかどうかは無論わからんが12/8が指数の天井だったろう。すると2−3ヶ月、値幅200円程度の押しは最低でも今後あるんだろう。昨年も同様に8ヶ月上げて3−4ヶ月押して反発だから、多分同じようなことになるのかな?金融など主力は既にお辞儀をしているし、6−12週程度の調整は多分あるのじゃないか?と思うので直近に最後まで強かった主力を少量試しで売ってみたのだ。(1801など)
低位株はほとんど上げていないものが大半であるから、もうこれ以下に大きく売られるとも思えんし、指数が弱いと天底一致で逆に低位は上がる可能性もあると思うので、買い玉は維持したまま、指数連想性の高いものを少し売っている。(まあ10枚ぐらいのお遊びだが)いわゆる現在はロングショートのポジションとなっている。
 節分と彼岸のW底で整理終了が一番軽い調整だが、折れ線の日柄のサイクルから見ると80本引いているグラフでは8−12週の周期の繰り返しがこの3年ほどの平均であり、今回も同様のサイクルの反復が目立つ。
天底一致のものは、直近天井は建設と陸運、海運であり直近底は金融、不動産、機械などが多いようだ。
ロングショートのうねり取りのほうが目先は回転が効くんだろうと思う。
 三菱UFJ証券のエリオットのアナリストと久しぶりに見立てが一致した。ほぼ3年ぶりだな。ブロードニングフォーメーションから調整入り。春が安く夏から本格的な上げ相場が始まるという感じに後ズレしそうな感じが現時点では強い。

同じ時のなかで

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 「利食いドテンは愚の骨頂」と本にはあるのだけれど、実際にしてみるとそうでもない事も多い。何事も経験だからそんなものかどうかは自分でちゃんと経験して感じたほうが良いと思う。よくアマチュアの思い込みに「空売り恐怖症」というのがあるのだが、それは売りに関しての基礎的な練習をきちんとしていない証拠であり、そんな程度では一生の損益は確実にマイナスであると断言できる。
相場の少し上手い人は「売りが上手い」に決まっているし、「売りこそ相場の胆である」というのは真実だ。売りよりも更に難しいのは「休み」とか「玉が寝る」という状態であり、これにも年季がかかる技術だろうと思うが、長くなるので書かない。
2013年に6771を平均95円で10枚買っていたのだが、昨日高いので売った。1年以上寝っぱなしだった玉である。でも倍加しているからこれで宜しいと思う。
210  10− と一括手仕舞い。その後、どうせなら下げも取れるかな?というスケベ根性で209 1−    213  1− とチビッと昨日空売りしてみた。べつに210 10− と繋いでも良いんだが面倒だし、年末から空売りで都合20枚ぐらい売ってみた感じでは総玉利食いで終わるから、上値の重いのは承知している。ということはこのまま上に抜けそうも無いのだから一旦は押すのかな?節分天井のつもりでいたのに、節分底か彼岸底になるかもね?とコロコロ気分が変る。別に俺のせいじゃないんだよ、相場様がそういうふうに動きたいのならそれにこちらの玉づらを合わせるのがお仕事だから致し方ない。
今日は20円安と崩れたみたいであるから、手が合っているということで、「現在の自分の感覚は合っている」という証拠だからそこで商売をしない手はない。「売り玉を増せ」そう相場が言っているのが僕には聞こえるのだなあ。「生きた貨幣」?(笑)

ということで売って買い堕ちした6440を戻り2本戻りで再度売り建ち  
421 1−
年初来高値の1821も年末現物売りの利食いの後、1週待って売り建ち  
163  1−   
170 2−
今日が年初来高値のWトップ臭い1801もおまけに  697 1−と売ってみた。根拠なんて何もないのだが、「イッパイで伸びない感じ」がしたからだ。まあ数日たつと売った感じと方向が合っているかどうかは見当がつくんだろう。

 5301,6440、6675と売ったものは全部利食いで買い落ちた。つまり上がったものは下がる、値動きはジグザグに動くということの証拠があって、その値動きに対して、酒田は逆張りで玉を建てる、増す、維持する、落とすという一連の操作が必要で、その「上手い下手」がそのまま損益と直結するということである。予想はどうでも宜しいし、どうなるかわからないのである。だってジグザグなのだから。
 ひよこさんが「空売り恐怖症」というなんかダサイことして担がれてそうなった経験があるんだろうから、「ゆっくりと引っ張って、煮詰まってきたらポツンと売れ」というような売り方のコツを少し実技で見せれば、彼女は賢いからわかるんだろう、そう思ったのだ。メールで「買いなんてどうでも良いの、いくらで買っても底付近なら大した差なんてないんだよ、利益は9割が売りなの。」と偉そうな事を書いた手前、まあ実際譜ぐらいないと納得されないだろうと思ったのだ。
たまに下手な人というか下手以下の人がメールで売買譜をくれるのだが、総じて「手が合っていない」のだ。場帳は書いているのに「見ていない」のである。同じ銘柄の同じ値動きを見ているはずなのに変な所で仕掛けて損をしている。「もしもし、眼がついている?起きている?」と聞きたくなる。僕の買った所で投げているし、僕の売った所で買っている。ご苦労様だが、必ず損になっている。真似ているつもりが反対をしている人が大半で笑える。「オメーラ、ちゃんとやれ。」そう言いたい.(笑)
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 今日は、というか今日もサボった.(笑)お仕事が始まっている人もきっと多いのだろうが、年末年始に休園だったクレマチスの丘が今日から再開なので遊びに行った。11時まで寝坊して、朝風呂にドブーンと入ってスープとパンの軽い食事をしてお洗濯を干してからお出かけだ。
夏と冬はマダムのお花屋さんは3週間のお休みを取る。まあ店で売るような普通の花はあまり置いてないからアトリエ営業と自称しているものの、まあ適当なお遊び営業である。だから夏と冬の2−3週はずっと南箱根の僕の所で過ごす。バカンス用のフラットなのである。
 冬の庭園はひっそりとしてほとんど人がいない。冬咲きの薔薇とクレマチスがわずかにあるだけだが、枯れた芝生の庭園に吹く風が冷たくて心地よい。ここには素敵な本屋があるのだ。NOHARAという変った名前の本屋で、NYのメトロポリタン美術館のショップのような品揃えである。
絵葉書あり写真集、画集あり、文芸とエッセイありだがいずれも美意識の結晶である。品揃えをした人の感性は静岡一というか、代官山のツタヤより良いかもしれない。それで数冊買った。
エドワード サイード 「オリエンタリズム」 上下
スーザン ソンタグ  「同じ時のなかで」
スピヴァック     「スピヴァック 、日本で語る」
池沢夏樹       「嵐の中の読書」

5冊買って13000円ぐらいだった。本を持って、ヴァンジ美術館併設のティールームでお茶した。ここのタルトは750円とお高いのであまり売れないのだが実に美味しい。二人でケーキとコーヒーで4000円ぐらいするのでガラガラである。だからいつ行っても座れるのが良い。
店の前には巨大な楠があって、樹齢は書いていないけれど200年以上はきっとたっているのだろう。人間の営みを見下ろしてきたような威厳があるからとても好きな木だ。
もう4時半ぐらいになると薄暗くなる。それでSCの本屋に行って、マダムの記事が4ページ乗っているという「フローリスト」というプロ向けの雑誌とdancyu「日本一のレシピ」を買う。結局僕のお小遣いというのはほとんどが本代だということかな?
 夕飯は沼津の「王味」(ワンミ)という四川料理のお店で食べた。返ってきたら8時を過ぎて猫が怒っている。こうやって冬の一日が終わる。
労働なんて僕はもう永久にしないだろうと思う。
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 われわれは「歴史の終わり」という局面にあるのではなく、それどころか、行く先が全くわからない進化の荒波のまっただ中にあるということ。古典的な見方を採るのであれば、「近代化の度合い」を比較し、ーーー例えば、日本と中国をーーー、異なる構造的条件やぜマンティークの伝統によって、両者の差異を説明できたのかもしれない。だが、社会の進化を観察しようとしているわれわれにとっては、世界社会という社会システムに焦点を定める以外に他の途は存在しない。
 
 われわれの未来を予想したとき、これまでとは異なる社会分化の形式は見えてこない。旧い諸形式への退行、つまり成層的あるいは環節的(部族的)分化への先祖返りは可能であるものの、それはかなり大がかりな破局の後でないとちょっと考えにくい。存在論的ないし論理的な根拠からすると社会分化の可能なタイプのリストを機能的分化で閉じることはできないが、かといって、別のタイプの分化を考案することもまたわれわれにはできない。考え得る最悪のシナリオは21世紀の社会が、包摂/排除という超コードを受け入れざるを得なくなる、というものだろう。これは、人間のある部分は人格(パーソン)となり、他の部分は単なる個人(インディヴィデュアル)となる、ことを意味している。すなはち或る者は(成功した、あるいは不首尾に終わった)経歴によって機能システムに包摂され、他の者はこれらの諸システムから排除される結果、身体だけが残り、その日の生活に汲々とするしかない、ということ、或る者は人格として独立し、他の者は身体として孤立する、ということ、参与(コンサーン)と無視(ネグレクト)とが、包摂と排除の境界に沿う形で差異化されるということ、排除という緊密な連結と包摂という緩い連結が、悲運と幸運とを分けること、そして、排除という否定的統合と包摂という肯定的総合、これら二つの統合の形式が拮抗するであろうこと、を意味している。
 いくつかの場所。例えばブラジルのスラム街や、別の形でゲットー化した大都市の街区、で、われわれは上述した状況をすでに観察できる。したがって、人口の増大と移民によってこの種の分化が、ヨーロッパにおいてでさえ、力を得ると考えることは決して非現実的ではない。そして、繰り返すが、これは政治による規則や公共投資によって回避できるような地理的、空間領域的な問題ではない。それは、世界社会という社会システムとその人的環境との関係にかかわる問題なのである。
   ニクラス ルーマン「現代社会をどう概念化するか」 より転載

 絲山秋子の「ニート」を読んだ。すこぶるラングの切れ味の良い女子だなといつも読むたびに思うインテリだが、伊達に文学賞を総舐めにしていないなあとは思う。「言葉の扱い」というのに天性の才能がある典型だろう。
「ニート」は作家の私(女子)とニートの君(男子)のお金と身体の関わりかたについての現代的解釈と言って良いだろう。
ニートの君は、お金はないし、アップアップで電車代もない。かつてひょんな事から気も合う君は、嫌いでもないから飲んで潰れた拍子に何度か寝た相手ではある。私は本を書いて少し当たってお金が入って、それで思い出したようにダメな君のことをサイトで見つけて釣り上げる。上野に誘って焼き鳥をたらふく食わせようとしても、身体も食欲も減退して女子ほどにも上手い焼き鳥がもう喰えなくなるぐらい「弱った君」がとても心配になる。
「そうだ、この男を買おう(飼おう)。ただし寝るのは後だ。直ぐに寝たら買春になるから、、、。」そう考えた私は、翌日アサイチで何ヶ月か喰えるだけの金を振り込むという粗筋である。夕方あなたからメールが届くのを心待ちにする「乙女な」私というありがちな現実小説なんだろうと思う。こういう逆転の構図が力のある女子に受けるのだろうし、僕のようなダメンズにも受けるというのが今日的な文学的風景という構図なんだろうと思う。「アリがちで分かりやすく、ラクチン」ではある。

 僕もニートのような者なので少し反論を書くとすれば、ニートの多様性認識が不足しているのは絲山とルーマンは同類であるなあと思う。そうでないニートも多分それなりにはいるんだろうと思う。  
 同期のちんけな会社の社長の3倍のギャラを1/5の時間で創り出すニートも昔から兜町には少数はいるはずと思うが、小説には多分ならんだろうし、なってもあまり売れんだろうなあと思う。

 包摂と排除、内部と外部というニ項対立で描写するモデルから一旦飛躍するのには、空間的飛躍という体験は貴重だと個人的には思う。 ひきこもりという状態もある意味で空間的飛躍の一例だが、飛躍の後に待っている「金欠状態」が恐くて99%の人はそれをしないのが現実なのだろう。まあ、してみてもこの国ではなかなか死なないと思うから、誰でも一度ぐらいは人生経験としてやってみれば良いのになあとは思うが、全員が真面目な国民性だし、基礎教育はラットレース向け専用という偏向がきつい国柄であるから、それ以外は多分「村八分」が当然となる。「リベラルが足りない!KINFOLKを読め」と言いたいねえ。
目クソ、鼻クソの餌の差に釣られて走らざるを得ない社会というのがグローバリズム環境下での「労働価値」であると断定すると、共感を得るのは今は亡きマルキストぐらいのものだろう。なんで無理して「成長戦略」なんて嘘をマジマジと語るのか?そうではなくて定常社会での、生物の食物連鎖の血を血で洗う生存戦略という本音を書かないのかしら?と不思議でならない。みんなあまーい夢を見たいのだろうねえ、、。有りっこ無い夢は現実化しないというのはルーマンを引用するまでもないことで、誰でも知っている。「身体だけが残った」ニートは実に良いよと僕は思うのだがね。身体以外にすごいものはきっと無いだろうにと思うんだがね.(爆)
買ったパイオニアが上がり、売ったJUKIが下がる。坊主丸儲けという事が今日も起きる。90円台でずっと昔に10枚買った池上通信機が倍加して200円まであった。指数に無関係に低位が動き始めている。ノイズを無視するには空間的飛躍は役に立つ。東大教授が言うことを少しは聞いてみたらよいのにと思うが、、。虫取りだって玉転がしだって大差ない気が僕はするがね。
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