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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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変ってしまったこと

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明日はクリスマスイブだ。1日早いが、今日の夕飯は久しぶりに富士宮のBIOSに予約を入れた。マダムが食事をして、夜の新幹線に乗って新富士から東京に帰ることになる。なんか単身赴任の奥様だが、まあ夫婦の形というもの随分と時代とともに変化する。生き残る種は「強い種」ではなく「変化に対応する種」ということだから、好きか嫌々かは別としても変化していくことに抵抗してもしかたない。それにしても両親の時代から僕の時代へ、そして息子や娘の時代と3代で大きく変化したものは何だろう?僕がすぐに思い浮かぶのは「女性」である。
一言で言えば、マリリンモンローからAKBへと変った。善し悪しは別として「変ってしまった。」と懐古的に書くことにする。モンローがケーキのロウソクを吹き消す写真は美しい。その美しさは唇と瞳とケーキを支える指先にあると思う。こんな女はもういなくなってしまった。そもそもドレスを着る女が実に少ない。しかたが無いが残念だ。
何で女が外で金を稼ぐ必要があるのだろう?きっと「自立したい」からなんだろう。「自分の好きにしたい」ということなんだろう。「もっと、もっと好きにしたい。」という事なんだろう。つまり欲望がどんどん肥大するという意味で、資本主義もグローバリズムも貧富の拡大もその欲望の動機の大半はきっと女性のせいだろうと思う。大半の男はそれに奉仕しているだけなんだろうと思う。
 我が家は毎年、クリスチャンのせいかクリスマスにはクリスマスプディングというドライフルーツをラム酒につけたものを入れたケーキーを沢山焼く。3週で20個以上は作って、友人などに配るのだ。これが焼けると間もなく歳が変るようになってもう何年たったか覚えていない。
 さあそれでもなんとか元気で今年も終わりそうだ。いろいろ変ってしまったがしかたがないと思う。

ベタ凪ぎ

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山は寒い。でも天気予報で見ると東京と名古屋ももっと寒いようだから、静岡はマシなほうかもしれない。日照時間が一番長い県らしいから、温暖だということだろう。暖流が海沿いに流れるから沿岸から近い場所は山でもそんなに低くならないし、雪も降って年に2回ぐらいがこの3年の統計だが、今年の2月は特別雪が酷かった。まるで閉ざされて3日は動きが取れないありさまだ。まあ今年はそんなことになって欲しく無いと思うが、お天気はどうしようもない。
 今年もあと1週間ぐらいで終わる。特筆すべき事など何一つ無かったような気がするということは無事だったという事だろうから運が良かった。今日は夕飯を沼津の中華料理店で取り、買い物に西友に寄った。フカヒレ麺、エビとモンゴ烏賊とキノコの炒めと餃子と紹興酒、これで二人で5000円、安いでしょ?西友で牛乳と果物と野菜といろいろで5000円、都合1万円。仕事の道具でマーカーを3本買った.360円。仕事用の支出はこれだけ。中年二人だと金などいくらもかからない。相場師は安上がりだと思う。今週はこれしか多分使っていないと思う。明日は税金を5万円。なんか税金払うために生きているような気がするが、まあいいやと思う。天下の周りものだし、政府に世話になっているものね。水道とかガスとか道路とか、選挙やインフラはお金がかかるものね。節約なんてする気はないし、第一、物の値段なんて買う時にはほんとんど見ない。見ても同じだ、どうぜ誤差だから時間の無駄だ。好きな物、欲しいものは何でも買うが、その好きな物や欲しい物がほとんど無いというか興味が無いんだろう。面倒でどうでも良い。テレビもあまり面白い番組もないし、本を読むぐらいしかやる事が無い。これで相場がないとする事が全くなくなる。
5301 370 1−  戻り3本で売り増。けっこう踏ん張るねという感じ。6440のが弱い。
5007が原油安で連れ安していたのが今日は材料が出たのか上げたので2枚落とた。 180 1− と196 1− 僕にしては珍しく分割売り上がり。口座違いでこうなっただけ。買いは11/14,164
−1 10/24 167 −1だった。試しで少し買うと止まって、なんか材料が出て戻る。厚く買うほど下げなくなっているということだ。銘柄なんてどれでも一緒だろうと思う。順番で転がるだけだろう。最近の買いの利食いはみんな同じパターンでネタ待ちで吹き上げるというパターン。ネタは何でも宜しいという感じ。動くための言い訳を探しているようでもある。押目買い、戻り売りという一番容易なセットだが本気で買うほど溜めないうちに戻り始めるようなものが多い。上げの理由は「過剰流動性」だというだけの話。新聞に書いてある通りだろうと思う。
 そうそう誰かのブログに折れ線用のカラーマーカーの質問があった。これ使い良いよ。120円(?)だと思う。10色ぐらいあるし、細さも3種類ぐらいあったと思う。僕は0.5を使ってます。
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武道というのはいわば人はどういう場合に死んで、どういう場合に生きるかということだけを研究するものですから。武道の相手は原理的には「敵」ということになります。でも、この「敵」という概念は因習的な敵とは違います。「敵」には心身のパフオーマンスを標準値以下に下げるすべてのファクターを数え入れることができる。風邪を引いても、友達に批判されても、恋人に裏ぎられても、親が死んでも、雷に打たれても、会社が倒産しても人間の心身の安定は乱れます。心身のパフォーマンスを下げるファクターって、そういう風に考えると無限にあるわけです。原理的にはウイルスから妻まで(笑)、こちらの心身の安定をかき乱すものは全部「敵」にカウントできる。
 そういうふうに考えると、「敵を倒す」というのは言うほど簡単な話じゃないことがわかる。「風邪のウイルスと戦う」とか「幼児期の心的外傷を倒す」とか「津波の虚を衝く」とか、そういうことは出来ませんから。こういうのはもう「来ることは仕方ないとして、あとはどうやって折り合いをつけるか」というふうに考えるしかない。 
 だから武道的に考えると、「そういうことがあっても平気」なシステムを構築するにはどうしたらよいか、というふうに考えを切り変えるしかない。ウイルスと対抗するためには、ウイルスが健全で無垢な身体に侵入するというスキームを採らない。それよりは、人間というのはいろいろな常在菌の巣窟で、菌の構成比率がちょっと変っただけなんだから、こっちの菌を少しこっちへ回して、、、というふうに計量的に考える。考えてみたら自分がこの世に存在すること自体天変地異のようなものなんだからーーー僕の場合なんか、「ウチダの存在自体が災厄である」という言い方をされることがありますしーー、雷撃に打たれたり、地震で家が潰れたりするくらいのことは「ありがちなこと」だと思っていたほうがいい。そうやってどんどん「折り合ってゆく」ようにする。
 ですから、相手が人間の場合でも、なんとか折り合うようにする。こちらも折れるから、そちらも折れてね、というふうに「ナカとって」ゆく。
 体術の場合なら、ぼくの身体があって、相手の身体がある。それが触れ合う。相手が手を抑えるとか、肩をとらえるとか、突くとか、そういうふうにぼくの可動域を制限してくる。そのときに「ぼくの身体の自由が制限された」というふうには考えない。逆に、新しいファクターが参加したことによって、ぼくの身体と相手の身体を二つながら含む「第三の身体」がここに出来た、というふうに考え方を変える。これが武道的な意味での「ナカとって」だと思っているんです。この「第三の身体」はもちろんぼくが単独で動いているときの「第一の身体」ではないし、ぼくに攻撃を加える「第ニの身体」とも別ものです。でも、身体の一部が接触して、そこを支点にして絡み合っている以上、だいぶ造りは複雑ですけれど、それもまたひとつの身体であることには変わりはない。頭が二つ、体幹が二つ、手足が合わせて八本の身体には固有の構造法則があり、運動法則がある。だいぶ複雑ですけど、法則がある限りは、第三の身体を自在に動かすことも可能である、と。武道的な「活殺自在」というのはそういうことだと思うんです。
 ぼくが相手を好き勝手に動かすわけじゃない。ぼくと相手を共に含む身体の「主体」だけが、おのれの手足をーー八本あるわけですけどーー好き勝手に動かすことができる。その第三の身体の「主体の座」をどのように略取するか。武道の技法的課題はそういうふうに書き換えることができるとぼくは考えているのです。
 「われわれはおばさんである」ウチダタツル 逆立ち日本論 より転載

 長々と転載したが、マダムと二人で休日に手造りピッツアをコシラエて生地の発酵を待ちながらウチダさんのこんなテキストを僕はつらつら笑いながら読んでいる。ウチダさんに相場させたらきっと上手いかも?と思うのね。テキストを読んで、なぜこんな武道と身体のお話を僕が転載したのか理解できる人は、きっと相場の「活殺自在」の名人なんだろうと思う。相場は身体的な反射動作の行為だから、頭で考えているうちは事実いつまでたっても永遠に上手くはなれないし、仮にマグレで少し大きくなったにしてもそのうち必ずオケラになるよと僕は思う。ウチダさんの説明と同じ事をソロスも再帰性理論として書いているし、自分が参加することで常に事態が変容していくメタフィジカルな世界の主導権を自分がどう取るのかというボードゲームのようなものである。相場の玉操作の基礎的な練習とは「第三の身体」をいわば感じ取って「ナカとって」その主導権を我が手に握る練習と言って良いだろう。自分が第一の身体、波が第二の身体、建玉を含む値動きが第三の身体であると書き換えると相場の値動きの仕組みと自分の果たすべき役割が少しは理解できるかもしれない。主体は相手の値動きがまずあることによって、「ナカとって」こちらの建玉があるというスタンスだ。値動きに対する「ナカとって」こちらの建玉を含む第三の身体。だから相場に対してけんか腰では最初から話にさえならない。理解の浅い人は「逆張り」が喧嘩腰だというようなひどい誤解をしている。値動きの癖に対する反射でしかないのにだ。このどこに西洋の近代合理性世界があるんだろう?そういう範疇の外側に(辺境に、ノマドに)存在する世界というものが実はあるんだね。気がついている人はとても少ないんだなこれがさ。感覚の鋭い人、勘の良い人だけだね書いていることが少しわかるのは。

相場を戦争という対峙的な概念で捉えると多分いつまでたっても人は相場に上達しないと思う。売り方と買い方の闘いというような映画や劇画でならわかりやすいニ項対立概念で捉えるのはお馬鹿なアマチュアに説明するためには単純で楽なのだが、実際の張り手は買い方が一瞬でドテンで売り方に変化するのだから、変幻自在に時間軸に応じて玉のポジションを変えて行くのが相場の実相である。その実相の一部を自分がどのように時間軸に応じて演じて仕舞うのかというのが相場技術論と言えるだろう。その意味で通信速度が飛躍的に発達し資金規模と速度と強度が増しても、実相は昔と変化の様態は基本的に人間のやることだから大きな特徴的な差は起こらない。参加者が増えた分だけ更に単純化、規則化、長期化が強まったとさえいえるだろう。100年前と比べて、人間の呼吸数も心拍数も大きな変化がないのと同じことであり、人間が欲望と恐怖を感じるのも程度の差はあるかもしれないが、常に深刻であるという点では変化がない。
 今日は猫のブログ再開の1周年だそうだ。この間、ブログを見て道具を揃えて基本の練習をぼちぼち始めた人たちが複数いるのだろう。何しろ500も毎日アクセスがあるのだから関心だけはそれなりにきっとあるんだろう。大半が上手くいっていない人の数だと僕は思うね。練習生には半年で月足100枚ぐらいは最低でも書けよと夏に書いた。さてどうだろう?自分に課した約束をちゃんと自身でできたかな?仮に相場が仕事だと本気で思っているのなら実現出来ないと失格だよね。「人間失格」という太宰の小説があったよね。それぐらいはできていないと、自分のしたいことは出来るようにはならないというのがきっと自分でわかったんじゃないかな。自分に甘いとそもそもどうにもならん世界だよ。したいこととは理解することなのかな?理解なんてできたってどうにかなる事だとまだ思っているのかな?(笑)「ナカとって」活殺自在に動作することではないのかな?書いても書いてもわからない。場帳も折れ線も月足も書いても書いても先達に追いつかない。練習してもちっとも上手く波に乗れない。そんな気分の人がきっと多いだろうと思う。「そんな程度」がきみの現在の実相と認める他ないだろう。誰の責任でもない自分の実相なのだ。それぐらい「上達」というのは遅くて自覚できないものだろうと思う。さて半年やってみて今後はどうするのか?という事だ。まだ入り口にも大半の人は実は達してはないのだ。匂いをかいだだけだ。でも諦めたらそれで全てが終わると経験的には思うよ。地味にコツコツ続けているとある日「なんだそうか」と出来る日が来る人が1人でもいると良いなあと僕は思っているんだな。
 

逆立ち老人論

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内田さんと養老さんの対談はオカシイ。でもご本人が高級漫才というだけあって指摘が鋭いから暇つぶしには最適だ。爺だから好き勝手を言うが、これを素直に実行してみたら、きっと気分良く暮らせる人も多いのだろうと思う。それで老人が具体的に快適に暮らすにはどうするかなと僕が個人的につらつらと考えてみた。金持ち老人御用達という限定だが、まあ相場で金が出来たらしてみると面白いかもしれない。下手に子や孫に金などまとめて残すとロクなことにならんのは世間を見ていてそう思う。自分で作った金は責任を持って自分で使う習慣がないから「こんな日本が出来てしまった」のかもしれない。一億総無責任体質。

「元気に楽しく生活して歳を取ってそのうちお迎えが来たらポックリ逝く。」来年還暦なので当面それ以外考えて実行することはない。あとどれぐらい時間があるのかはダレにも分からないし、わかったからと言って焦って何かするようなのは普段ちゃんと出来ていない証拠なんで見苦しい。明日死んでも後悔しない今日の生き方というのが理想なんだろうと思う。だから向上心なんてものがあるうちは、ダメダメということなんだろう。いい歳になったのなら「ほんの少しでも変えたら今より全てが悪くなる」という状態にあるのが一番良いということになる。そう考えると出来ていない事ばかりのような気もするが面倒くさがりな性格は直らないから、まあそれなら不良のまま死んだほうが楽だと安易な道にハマりやすい。(笑)
 健康診断のお誘いが町役場から毎年来るが一度も行ったことがない。国民健康保険料を夫婦で200万も毎年支払っているが一度も医者にかからないから意味がないと言える。家族内で所得が2000万の人が3人いるようなことが起きると無駄な税金や保険を支払うように仕組みは出来ているが、常にシステムの例外という範疇にずっといたのだからしかたがないという事なのだろう。まあ誰かが助かるんだろうから別に良いけど。もう7−8年はしていないと思うが、別段検診で癌が見つかっても何もしないだろう。死ぬときは死ぬし、がん細胞なんて毎日数万個も誰にでも出来てるのだがら、それが塊で成長するかどうかの差異でしかない。免疫力とキラー細胞が強ければみんな癌細胞は殺されて消える。だからキラー細胞が強い状態の個体は生き残りやすいという単純な事だろう。ストレスの無い暮らし、適量の運動、食事、温泉入浴、睡眠と至って当たり前のことをしていれば良いだろうと思う。田舎の1人暮らしにストレスなんてあるわけがない。ストレスがないのがストレスだ.(笑)だから反動的な事を少しブログに書いて、寄って来る鴨を待っているとごくたまには変なのが挑発的に書いて来ることもあるんだが、リンクを辿って見ても何も無いことが大半だ。自分の事は何も表現できない無能の輩がクレーマーになるという世相そのものだからこういうのが沢山増えればウハウハになるのは目に見えている。将来は黄金が保証されているも同然だなと常に思う。もう10年以上も前からこんな状態には慣れっこで、猫塾の頃はサーバーを自前で仕立てて専用回線を引いてプログラマーを雇ってやっていたが面倒でやめた。2チャンに爺さん同様すぐにスレッドが立ったりとポジショントークが姦しい。「5割未満しか当たらない」と最初から書いてるわけでそれを読まずに何タラ言ってもどうしようもないレベルなんだが、提灯つけて曲がった自分の技量と馬鹿さ加減の反省がないと、いつまでたってもその先に進まないのが相場というもんだろう思う。


 それでも成金の先輩たちがした実際の生活という意味で更に歳を取るとヒントとなるようなものがある。
歳を取ると手先が滑るとか脚が弱るとか眼が見えにくいとか一般的な運動能力の低下は時間の問題で避けようがないんだろう。その対策として、 1 運転手  2 調理人  3 お手伝いさん  という数名の介護とか助手がいるとかなり高度で裕福で快適な暮らしが出来るはずだ。

1 実際に邱永漢は、ロールスロイスを買って、運転手を雇って、ロールスを1速で左車線を最低速度でころがして都内の車道を散歩している。渋滞で迷惑な話だがロールスに追突する馬鹿はいないから誰も文句を言わないからだろう。どうせなら前後2台に挟まって散歩するほうが更に安全かもしれないが、無駄な金の使い方としては人を小馬鹿にしていて洒落ていると思う。運転手とボディーガードは兼務させているんだろう。アメリカでも女優がボディーガードを信頼して雇っているのは有名なお話だ。安全を金で買う必要が日本よりも強いという証拠だろうと思う。最近は日本も無差別殺人が起きるようになってきたが、銃の保有は原則禁止だからまだ数量的には脅威の頻度はそう多く無いけれど、金持ちほど当然狙われやすいというリスクは避けようがない。田舎はニュースそのものが少ない。交通事故で婆さんが引っ掛けられて1人死んだだけでも6時のニュースに出るのだ。だから犯罪はアッという間に知れ渡る閉鎖社会である。その意味で不思議な事が起きるには、事故と事件だから、危険ドラッグ絡みが最近のトピックスだ。沼津のシャッター商店街でドラック販売店があったらしいが、そこに買いに行く途中でラリって交通事故が起きたらしい。今は店は潰れたが、ネットの宅配に切り変えているという。1日20人には売るという話だから、結構普及しているのだろう。ドラッグ使用の緊急搬送が6000軒発生というからその5倍や10倍は使用者がいると見た方が良い。中国が供給元でドンドン出しているのだから、逆アヘン戦争と言えるかもね。「やるなあ、、共産党!」

2 これも邱永漢は小説家で当たってから香港で中華料理の若いシェフを住み込みで雇った。毎日の献立を二人で3食分ずっと考えるらしい。当然素材は凝りに凝っているんだろう。金をかければ切りがないが、4本脚は椅子とテーブル以外は全部食べる国民性だから喰うことには無限の金を使うというのが大陸的だなと思う。以前、杭州で満干全席ツアーに参加したことがある。党認定の一級調理師というのが数十名いるのだが、共産党幹部の晩餐会などを作る人が過去の宮廷料理を再現するのだ。僕が喰ったのは、蒋介石が毛沢東に追われて逃げる最後の晩餐のメニューの再現だったが、1人バーゲンセールで20万だった。通常なら80万だそうだ。一級シェフがツアーボスの舎弟だったから大安売りだった。延々14時間、途中でお散歩に4時間の休憩を挟んで128皿が出て来た。ワシントン条約違反の食材がごっそりだ。こういう飯を食うと栄養過多で早死にすると思う。思い出しただけでゲップが出る。
よく介護用の弁当宅配なんてサービスが最近多いようだが(コープ静岡のチラシに出ていた)、見た目あまり旨そうには見えない。一番良いなと思う対策は、京都のマンションに住むのはどうか?カウンター割烹の質が京都は日本一高いから料理人を雇って煩わしい思いをするより、一流の割烹の大将を月に10回雇ったと思えば良い。30万で済む。あとの20日はステーキでもイタリアンでもフレンチでもお茶漬けでも適当に組み合わせると便利だろう。自分で料理するのが出来なくなったら京都に住むのはいい選択枝かなと思っているのだ。

3 これはメイドということで、移民法が変らないと今の所は実現は無理だろう。日本人でしたいような人はいないだろう。だからアジアに行くしか方法は無いか?それでも資本主義というものは辺境を作り出して、外延的拡張を本義としている。世界にはもうアフリカ以外に市場の外延的拡張は地理的に無くなってしまったが、不思議な事に今度は貧窮を作りだして内部に拡張を開始している。先進国の貧富の拡大というのは、この資本主義の本義を内部的に作り出している「変態系」であると僕は理解している。だからそのうち困った人が「お手伝いさん」になるのかもしれない。
ここで日本人は村意識が強いから、失敗して落ちた人に救いが無い「恥」の文化が災いしている。理解力もあるし、器用で頭が良くて礼儀正しい人が日本には多いのだ。だからそういうサービスの質をメイドとして商品化する企業が何で出ないのだろう?多分経団連の社長連中はみんなリーマン出身でそういう発想を持てないという事なんだろう。だから落ちた人はみんな「村八分」にしてしまう。有効利用を考える頭がないのだろう。官僚がアホなせいもあるだろう。メイドを制度的な職業に仕立てることが可能なら、福祉予算は減額され税も少なくなるし、良い事ずくめなんだろうが、そんな発想が民主党にはないんだな。
「枝野、少しは頭使え!」と言いたい。
カズオイシグロの「日の名残り」という小説がある。ここの執事のお仕事をする人がいると日本は変るだろうと思う。中間層が没落減少して階級化が進むと次の世代にはそんな動きも出るのかもしれない。

本能の値段

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「キッチンが走る」というNHKの料理旅行番組がある。キッチンがついている車で日本全国を回って、出たとこ勝負で(無論、事前にADが調査済みなんだろうが)食材を見つけて、その素材をいろいろ組み合わせて有名シェフが料理して生産者の人を招いて素晴らしい料理を振る舞うという良い企画番組だ。この番組以外にも、コウケンテツがアジア食紀行という番組で、アジア各地の名物料理を訪ねて歩く番組も楽しい。
「食べる」という事は、生きることの本質的部分で一番重要な行為で、どんな偉くて立派な人も2、3週も飲まず喰わずなら多分死ぬ。どんな高級な哲学もお仕事も「喰う」という基本と比べれば、ちゃちな玩具ぐらいの重要性しか人体の「生きる」という部分には影響しない。、食べる、排泄する、性交するという3つは、人間の日常生活にわずかに残る、「滅び行く自然」である。日本人カップルの4割がセックスレスという調査結果があるようだが、性交が無くなってもすぐには死なないが(そのうち日本人は滅びるが)、食べると排泄するのは無くならない。無くなる時は死ぬ時だ。でも僕たちは、このように自分の生活に最後に残った自然をあまり大事にしてはいない。ひどい人はコンビニ弁当やカップ麺で済ましたり、もっと酷いとカロリーメイトやお菓子を食べてすましてしまう。仕事や金儲けに忙しいとついつい疎かにして、その結果栄養が偏って病気になったりする。特に日本人は意味なく「クソ真面目」な人や組織が多いから、ゆっくりと食事をしたり、休憩を取ったりするのを罪悪視するという馬鹿げた心理的風潮があるようだ。
「営業マンは昼飯に5分以上かけるな」なんて僕も新人の時にナンセンスな事を上司に言われたものだが、9年後に、僕が会社を作ってその元上司を雇って部下にして一緒に3時間かけて恵比寿のタイユバンロブションで食事をしたことがある。「美味しい食事は5分では無理ですね。」そう皮肉ったら彼はニヤニヤ笑っていたのを覚えている。彼はその5年後、池袋の地下道でホームレスをしているのを一度見た。ちゃんと5分以上食事に時間をかけていたら、そんなことにはきっとならなかったろうにと思う。
 家の中でも「人間の自然」に関係する場所を清潔に豪華にするとネーチャン受けするのは当然だ。トイレ、キッチン、寝室とバスである。人間が裸になったり、欲望を直接さらけ出す場所だから、そこが清潔で豪華というのは女子の本能にダイレクトに刺激と快感を与える。知り合いのラブホ経営者が言っていたが「料金は5割高くても、バストイレとベッドが清潔で豪華な部屋」の稼働率は、普通の仕様の2.5倍だそうである。支払いは男だが決めるのは女なんだ。だから彼のラブホは2年ごとに水回りとベッドの総入れ替えをしていた。3年前に彼が死んだ時に遺産の確定を国税がしたが38億が課税遺産だったという。ウハウハに儲けていたという事だろう。73で妾が3人はいたものね。家(別宅がいくつか)がいくつあるのか本妻さえ知らなかったそうだ。そういう豪快な男もいるんだなあとなつかしい。在日で旨い焼き肉屋も繁盛していた。彼は人間の本能を良く理解していたビジネスマンだったということだが、そういう商売上手な日本人を僕はほとんど知らない。それは日本人の発想の根本的な前時代性ということに尽きるだろう。組織原理が未だに「藩」なのである。日本中の会社が「○○藩」「××藩」と同じで殿がいて、老中がいて、奉行がいて足軽がいるという成り立ち、つまり樹木状(ツリー構造)の意思行動決定プロセスしか持たない。彼のようにリゾームが無秩序に並列するような組織原理にしないと複雑化した消費にはきっと対応できないのだろうと思う。40億を自在に操る巨大なボスと時給800−3000円のバイト300名というような組織とは言えない組織だったと思う。そういう怪物みたいな男を、現代の日本の教育で作れるわけがないと僕は思うのだ。東大卒を100人集めても不可能である。HONDAとソニーを見たらお里が知れるというのが現状だろうと思う。怪物初代経営者がいなくなれば、ただのクズの集団であるというだけだな。
 こういう変った男を作るのは母親の役割が大きい。こういう男は何故か「おばさん」的発想なのである。きっとカーチャンといつもダラダラ下らん茶飲み話ばかりしていたんだろう。話題が直ぐに横にすっ飛ぶし、「うんうん」と言いながら「実は何も聞いていない。」当たりは柔らかいが目は笑わないというタイプが多いようだ。

 普通のビジネスマンを止めて、マダムが忙しくなって、嫌々料理をせざるを得なくなって、本を読みながら、「こんなもんマズくて喰えるか!」というような自分で作ったものの酷さを体験すれば、どんな不器用なアホでも何回も同じレシピを繰り返し反復して作れば、段々と少しはマシになる。それは火加減とか調味料のさじ加減とか食材の選択とか調理の順序や下ごしらえという無数の要素を時間内に手際良く順列組み合わせることに「慣れ」が出来るからに他ならない。幾ら世界一有名なシェフのレシピを持っていても、彼と同じ料理は作れない。その手際が天地ほども異なるからだ。多分相場の練習も同じ事だろう。レシピなんて簡単なものほど良いのである。要はそれを自分で実際に実行できるか否かという自分の能力の問題であると断定できると思う。
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