泣いても笑っても相場はあと2日でおしまい。年末年始のお休みに入る。だから普通は玉を落としてお休みするのが良いのだが、僕はほぼ玉が入りきって別段不都合がなさそうなので「おねんね」状態でほったらかしになる。まあ低位株はこの一年相場らしい相場はほとんどなかったというものが大半だったと思う。2013年の戻り高値を抜けないものが大半で、いわゆるペナントやフラッグの保合い状態が今もほとんどの銘柄の実相だろうと思う。指数が高値を更新しても、ウンともスンとも動かない暇すぎる状態にずっとあったものが多いから事実あまり動いても儲からない。儲からない時にジタバタしても一緒だというように達観というか諦観というか興味無しというか、まあそんな状態の一年だったと僕は思う。それでも練習は数枚とか10枚とかはちゃんとしている。感じがはっきりとわからないと困るからだ。そんな小さな練習でも400万か500万は利食いになるが、引かされているものもあるからそれを損切りして軽くする。すると1年通じてみれば「なんも変らんねえ」ということになる。
かとってこのままダメダメで上げ相場が終わるなんて思ってはいないから、玉が寝ているということになっている。それでも少しここにきて「うねり」や「リズム」がハッキリとしてきたような感じが場帳からはするのだが、従来6ヶ月のうねりだった低位株が、ここにきて3ヶ月のうねりに周期が短縮してきたせいでもあるんだろう。3ヶ月戻り3ヶ月押すという繰り返しなら、値幅が同じなら、値は結局同じということになる。少し上がると利食いが出るが、少し下がると買いが出るという狭いレンジの売買に大半の人がなっている、つまり「高望みはしない」という堅実な玉操作の人が大半であるということなんだろう。倍加波動をするものは「材料」によるストップ高連日というケースが大半だから、広がりが無いということになる。つまり投機熱はまだまだだと言う事だろう。上下2割程度のリズムの反復が大半であるから、10本も折れ線を書いている人なら、数枚(4−5枚か?)程度のうねりの練習をするには「良い時期」だろうと思う。
相場の上手い下手というのは、目先の細かい玉操作の巧拙も無論あるのだが、「自分の取れそうな場所」が自分で見えるか、わかるかどうかという点も相当に大きいだろうと思う。操作があまり上手くなくても、「ここは取れそう」と思えれば、おっかなビックリでも出動してなんとかかんとかぎこちなくても波に乗れる。細かい操作が上手な人でも「ここで取れるの?」という疑問が湧けば、建てるのが恐いという気持ちになるものだ。現在5301の純空の練習をひよこさんが僕と同じようにしているが、彼女は戻り高値圏で売りから入ることに「慣れ」が無いから「少し恐い」とビビっているんだろうと思う。いくら言葉で僕が詳しく 上手に説明しようと御本人が自分で経験して(たまには痛い思いも当然するだろうが)、自分なりの「感じ」を受け止めないと、わかるものもわからんという事である。練習という経験によってしか会得できない感じという事だから、相場は「身体的な感覚と技術」と僕がくどい説明をするのである。だから方法論は実に単純だが、やらせてみると上手い下手がはっきり現れる。書くまでも無い事だが、出来ない人が9割である。それは小さな損が必ず出ることへの抵抗感というか恐怖感なんだろうと思う。数万か数十万か、とにかくそんな金額がロス(あるいは評価損)として出ることがしばしばあるという事だ。ダメな人(練習を継続できないで練習そのものから脱落する人)の分析をしてもしょうがないのだが、一つ言えることは仕掛けをして曲がったとする。(5割がそうだろう。)曲がったから落として損切りとなる。ここまでは全員一緒だ。その後、「同じ銘柄を少し時間を空けて、同じ方向に(買いなら買いで、売りなら売りで)建てる」ことが出来る人が少ない。多分、また失敗して損切りになったらどうしようという疑念が湧いて動けない。出来る人は多分2割ぐらいだろう。すると結果的には全体の1割ぐらいしか継続的に練習にはなっていないことになる。練習の目的は「利食い」ではなく、最初は「波になんとか乗る、降りる」というはずが、損益が気になって前に進めない。感覚の醸成が目的のはずが損をするという恐怖心で前に進めない。この繰り返しにハマる。つまり器がミニでどうしようもないという自分に気がつく。そいつの勇気と意思の値打ちは数万か数十万ということだろ?そんなミニの器で500枚も1000枚も扱えるように成るはずが無いのが当然で、いつまでたっても「お遊び」から抜けられないのがきっと最初の関門なんだろう。「損切り、損切り、損切り」が上達のコツと昔から言われている真実の意味を結局は理解できずに終わるという事なんだろうと思う。値動きというものはそんなに長い間、一方通行で動く事は「稀」である。グラフをたくさん書けば誰でも陰陽がどこかで切り返すのはわかるだろう。特に今年のようにあまり値動きが大きく無い保合いなら「鯨幕相場」(陰陽が交替で出る保合い相場)が多かったから短い天底でドテン、ドテンの3ヶ月周期で利食いになるはずだ。買っても売っても上手ければ取れるということだ。だから買いだけで取るなら底で買って2月して売ったら、すぐに買えば高いから引かされる。そこで「しまった」と思えば投げれば良いのだ。そしてまた2月して下げてきたら、前回の買値付近でまた分割で買って2月待っていると利食いだろうと思う。練習には良い時期だが、ブログを周回して見ると、うまく動けている人はそんなに多くは無いようだ。
なんで出来ないか(損切りが)という理由は、きっと相場を始める人の金銭に関する態度というか向き合い方にあるんだろうと思う。それは相場の元金が貯蓄でコツコツ溜めたものだから、欲を抑えてしたい事も諦めて絞り出した「なけなしの金」だから1円たりとも無駄に出来ないという心理によるのだろうときっと思う。つまり禁欲的な金の作り方(貯め方)にあるからだと思う。もっと楽しく金儲けして作った金なら、やり方も変るんだろうと思うのだが。「プロテスタンティズムの労働倫理」というもの、そのものである。気持ちは分かるのだが作ると溜めるの差がわかっていない。
一方で相場は投機であり労働ではない。金は記号だ。だから労働的な金の扱いが通用するはずは無い。「損少利大」という組合せが上手い事ということを理屈で理解は出来ても、まず先に損が出るということを心理的に許せない。だから伸びる利になる玉を先に落として、ヤバイ損になっている引かれ玉を暖めるという愚行を自然に身につける。これではいつまでたっても安定して大きく儲かるはずがない。逆をやっているのだから鴨の大量生産プロセスに並ぶことになっている事態に自分で自覚がないのだろう。「まあいいか、俺には関係ないから、、」とこちらは笑って見ているわけなのだ。
爺さんが安さんに教わった時に「天国の気分で儲かる」という記述があったと思う。だから相場とはまさに快楽であると思う。労働のような辛さが少しあるとすれば、それは入り口に入るための資料作りに時間と手間がかかるぐらいのものだろうが、それだってやっていれば結構楽しいものだと経験的には思うのだ。
今日はお買い物に町に降りた。戸田書店というここいらでは一番大きな本屋で雑誌と新書を買った。
「貧乏」の研究を敬愛する湯浅誠君が書いているので買った。後は玉村爺のSINRA,ウチダ君のもと同僚、平川君の終末論的資本主義論に、「日本政治への正しい絶望法」というコピーで新潮45を買った。
貧乏の研究を見れば、逆をすれば大抵儲かると思う。何事も考え方と実行法の問題であると思う。 |
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