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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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低位株戦線異常なし

値洗いなんてどうでも良いが上がれば増えるし下がれば下がる。どうせ数枚試しの空売りする以外は全部丸代金の現物買いであるから多いか少ないかと言ってみたところで生活には所詮無関係だ。それでも場帳にPF欄を作って、目先の高値から1000万ぐらい押したらその時点で利食いになるものを値動きとは無関係に適当に20−30枚ぐらい落とす。それで出来た資金を単価を下げてマーキングにある安値を増玉する。いかにも雑な売買なんだが(売買と言うよりも片張りの鞘の自動的な乗り換えなんだが)面倒だから適当に動かす。ストレッチの準備体操だ。するたびに自動的に利食いで増玉になる。多銘柄の場帳やグラフをを丁寧につけていれば誰にでも出来る簡単な錬金術と言って良いだろう。売買主体なんていないのだ。やっていれば勝手に身体が動くようになる。少し大きな相場を取れば大卒のリーマンの生涯所得(2.1億平均らしい)ぐらいは誰でも取れるようになる。ただし10年ぐらい基礎が必要だろうが。だから説明のために僕の単銘柄の売買譜で10−20枚ぐらい建ったり落ちたりするのを見て、少し売買譜を読めるようになった人が合理的でないと疑問を持って質問したりする。お答えは「猫はいいかげんで大体なんで見ても参考にはならんと思うよ。」と本音を書くのだが「裏があるんじゃないのか?」と変な想像をしてしまう人もいるようだ。裏なんてマジ無いよ.(笑)
10/17の目先安値から11/26日まで値洗いでプラス1000万ほどだった。別にどうということない毎度のリズムの変化だし、こんな程度で上げが終わるはずも無いから、目先高値までだって2000や3000ぐらいは2−3ヶ月で増えるんだろう。毎月でも程度の良い中古のベントレーぐらいは買えるがもうメルセデスが2台あるからどうでも良い。記号になった金なんてこんな程度の値打ちしかないのだ。納税の関係で今年は利食いしないと夏前から書いている通り、持ち越して適当に玉ツラを整える以外はしていないし、したくない。ゆっくり売買しないと儲からないからだ。上げはまだまだ数年は続く。(と思う。ただしよく曲がるんで信じるなよ.笑)慌てる乞食は貰いが少ないのは相場も同じだ。月足グラフを100枚程度長期に(30−50年)書いた経験のある人なら誰でもわかっているように、陰陽どちらの線組みでも反転して(流れが一方向に動き出して)一番長い線は3−6ヶ月目になることが大半である。だから小動きの時は売っても儲からない。従って玉を溜めて上げを待つというのが「お仕事」の本質である。つまり一旦建てて収まった玉はしばらく寝るということだ。
1177(底のトピ)から1406(今日のトピ)までわずか230ポイントだ。指数に比べて低位の戻りはまだまだ鈍い。「熟睡」と言う感じである。底練りのへばりつき.(笑)だから熟睡でプラス1000ならムクッと起きればプラス4000や5000は当然毎回動くのである。面倒だから何もしないという時間のほうがだから断然多い。つまりお暇な奥様と同じ種族が長っパリの相場師なのである。都内のお昼の高級レストランの豪華ランチで毎度彼女たちとは出くわした。していることも似ている、おベンツで伊勢丹でお買い物.(笑)映画を見て、お茶を飲んで、お喋りして本屋に行く。暇つぶしの人生なのだ。だって「働くのが死ぬほど嫌い」という理由で選んだ商売なんだからそうでなくては困るのだ。最近はお山の暮らしだからド下手の手習いでお料理を作って暇つぶし。鯛を買ってはアクアパッツアなんて作っている。

落として丸にする時だって、個別なんてとんと見ない、値洗いがプラス5000万とか7000万とかなった翌日に全部成り行きで売っておしまい。「利食いは諦めって言うだろ?」ドカンと億以上の現金が口座に出来る。まだ大抵は上があるから適当に大型株の年初来高値更新を1−と空を売る。8830や8604が僕は多いが。たったの1000株だ。担がれてもそのまま。300円でも500円でも放置である。崩れそうな気配で50枚ぐらいに増玉してあとはまた2月以上もおねんねである。そんなことを数回繰り返しているとそのうち毎月売買が出来る時間軸がようやく訪れる。それまではただ待つしか無いのがこの商売の上げの過程であると言えるだろう。底練りから天井までの上げと天井から1番底までの下げがお仕事の主たる時間軸だが、値位置が高いほど回転率が高まる。スピード感のある操作になるのだが、現在はスローでないと回転しない。そういうことが体感的に経験してわかるにも最低でも10年かかる。だから一通りマシな売買が出来るまで20年ぐらいは誰でも多分かかるのだ。だからひよこさんあせっちゃダメだ。(2度、3度と経験すれば上手くなるからである。)偉大な相場師はだからみんな長寿だったろう。山種、是銀、和三郎。値動きが出ない限り仕事にはならんからだ。
それでも昔と違って、為替が変動性になり、株も外国人が増えたから振幅が大きくなってきたのは、金融業界にはチャンスである。それは沢山の大半の個人が合法的に収奪される機会が激増しているということだ。貧乏人のポケットから金持ちのポケットに合法的に金が移動する場所を「相場」という名前で呼んでいるのである。それが資本主義の本性と見破ったのがカールマルクスだった。上部構造と下部構造。そういう資本市場の本来的な性質を「呪われた部分」と僕は呼んでいる。豊かになろうと望む大半の人々が実際には最後に不幸を買う市場である。

爺さんは来る生徒全員に言っていたそうだ。「どうせ相場をするのならなんとしても10億円ぐらいは儲けないと相場をする意味が無い。せいぜいおまけしても5億だ。そのためには基礎をしっかりと固めなさい。」なんとかハッパをかけて基礎をさせたかったんだろうと思う。きっと自分がするのが遅れたからだ。
相場をする人は素直で真面目な人が多いから、僕の生徒もそんな事を聞いて真面目にグラフや場帳を書いて、分割の練習を人一倍マジにする人が多いようだ。ベトナムさんは爺さんの言う通りにしたその典型で、借金から初めて10年で1億オーバーだ。あときっと数年で上手いから5億か10億になるんだろう。3000枚もグラフを書いて50万円用紙代を使っている。10億あるとカイエンが80台買えるが何台買えようとそんなもんに意味は無い。消費が相場の目的なら乗るなら「今でしょ」というのが常に正解なのである。お金は生活が出来ればそれで宜しい。いつでも作ることが出来るのだから。
僕は爺さんにはそんなことは言われなかった。「こいつに言っても無駄だな。」ときっと見た目で思ったんだろう。チャラ男に見えたに違いない。俺は逆に爺さんに聞いてみたかった。
「爺さんよ、あんた10億作ったのは偉いけどね、その金で何を買うんだよ?」
きっと爺さんは「株を買う」というんだろう。(爆)5億の家を建てても寿命は誰でも似たようなもんである。だから金額の多寡よりも重要だと僕が思うのは、楽しく稼いで人生を謳歌することのほうが10億そのものよりも数倍も大切だ。時間は金では大抵買えない。
 底で先月拾ったティアックが3割ぐらいは戻している。多分今年の高値を目ざすんだろう。倍加波動の始まりだ。100円以下の銘柄は総じてそんな動きが増えている。潰れそうなユニチカが1月で3割も上がるのだ。低位株の水準訂正で、緩和資金が市場に入っている証拠である。「なんでもかんでも上がる。」というのが上げ相場の基本姿勢だから業績の芳しくないものほど上昇率が高いという非合理的な事が起きる。だから理屈っぽい人はあまり儲からない。目先、節分天井を目ざして一相場あるんだろう、予定調和の通りになってきたなと思う。金曜にすきま風のサクサの 297 2−は順調に下げている。窓を一つ埋めたらまた次の窓を埋めるかな?高値で掴んだ材料買いの全員が資金が3ヶ月で半減するというのが常の相場という事だろう。低位株戦線異常なし。
若い時「どうやって遊んで暮らすか?」という事を不謹慎にも考えた。多分大学2年の20歳ぐらいだったろうかと思う。誰にも迷惑をかけないで(実際にはたくさんかけていると思うが)、仕事なんてなるべくしないで、「好きな事」をして楽しく暮らすことは出来ないか?とグータラな事を考えていた不良だった。綺麗なネーチャンのケツばかり追いかけていたように思う。若い男なんてみんなそんなもんだろう。だからあれから40年経ってもちっとも成長していないし成長なんて興味ないのだリベラリストだし、そんな生活をしたいと思っていたらいつの間にかそうなっていたというのが現実だ。強く望んだものは必ず手に入ると僕には強い信念か自己信仰がある。例外は無い。かと言って多大な犠牲を払い、赤貧洗うがごとしで好きな事をしているわけではない。多分同年代の資産分布で上位3%のクラスターに入るぐらいには裕福だろう。身体を働かないで金を作るには頭が働く必要があるが、それは頭の使いかたにコツがあって、思考や思索では飯は喰えない。蛇やトカゲの原始脳=動作の反射を使ってお金に仕事をさせるという方法だ。だから変人なんだろうし、なかなか変わった方法論だから誰もやらない。出来るような人はほとんどいないから坊主丸儲けということになりやすいとやってみて初めてわかったのだ。相場師というお仕事は反射的動作のお仕事であるから理屈は無用である。種銭があればなんとかなるだろう。5000万は欲しいね。
きっとアルチュールランボーが若くしてパリを棄ててアフリカに逃げたとかジャックケルヤックが ON the Road  を書いて放浪の旅を文学にしたからだろう。それでも好きな事をするのには実際に「金」がいるなと思ったのは現実的だったし、それがどのぐらいの「量」なのかは漠然としか考えなかった。初任給が12万ぐらいの時代で200万円ぐらいが大卒の年収ぐらいだったから、10年分なら2000万、5年なら1000万だから、それぐらいは多分最低必要だろうと思った記憶がある。5−10年遊んで暮らせばそのうちなんとかなるだろうという楽天家なのだ。1年先の事だって分からないのだからずっと先の事など考えても時間の無駄だ。何かに束縛されたり制約されたりするのが死ぬほど嫌いだから、朝起きたくない、好きな女と昼までグズグズ寝ていたい、通勤が嫌いで、会議はもっと嫌いだからリーマンはしたくない。旨いものを喰ってグータラ好きな本でも読んで好きな場所に旅に出たいとか能天気な暮らしがしたかったのだ。じつに他愛なく分かりやすい欲望の質だろ?2DKの狭い都内のマンションが2500万ぐらいの時代だったと思う。1977年ぐらいの事だ。そもそも動機が健全な市民とは言いがたい。金とは徹底して交換価値の表象なんだと思っていたから、有用なのは塊としての金であり、それで商売とか相場とか金を使って金を稼ぐことが「仕事の本質」とガキの頃から思って来たので(商人の息子だったせいだ)、金は転がせという親の教えだったんだろう。
習慣は定着する。リーマンとしての月給なんて最初から馬鹿にしていたから(大学時代にバイトして就職時には800万ぐらいは持っていたし相場もしていたマセたガキだった。)、どうやったら小さな会社で仕事の本質を覚えてそれを利権に絡ませて金を塊として動かすかしか興味は無かった。ローンでちんけな家を買う馬鹿な上司を見て「こういう風になるとおしまいだね。」そう思って7年ぐらいはアルバイトの仕事をサイドワークにしながらつまらない安月給のリーマンをしていた。チャンスは来る。来たチャンスを生かすには自分で掴むしかないし、リスクとリターンを考えてヤルかどうかを決めるのだが、若気の至りで勢いをどう使うのかばかりを考えて動いたのは上出来だったろうと思う。2000万の資金で会社を分有して5年で10億の売り上げを作ったら手元に1億ぐらいのキャッシュが出来た。それで会社は売った。すっきりした。初回の利食いは成功だった。
 税法とか資金繰りとか実際の実務的なことをリーマン時代に勉強しておいたことが役にたって、その後もダラダラ随分と贅沢な暮らしをしてみたが、働き過ぎると身体を壊す。その通りになって5年で身体はガタガタになった。これは予定外の失敗だった。もう病気にならない楽な仕事をしようと思って、爺さんに会いに行った。ちゃんと道具を本の通りに揃えて。それで後半のグータラ人生が始まった。
爺さんは玉帳を一目見て、ニャッと笑ってこう言った。「売りはやらんのかい?もっとゆっくりとした売買をしなさいよ。」これだけである、僕が具体的に売買のやり方を個人的に習った記憶は。

練習生に何か書く時に「もう少し具体期に親切に丁寧に教えてやれないものかな?馬鹿でも理解できるように」
そう思うとテキストはクドくなる。言い方はきつくなる。それでも伝わる人とそうでない人がいる。俺のせいだとは思わない。テキストの読解は当人の頭の善し悪しと思う他無い。

試し玉は重要である。11/21に倍加したサクサを1−と売った。316の空売り玉だ。208 2−と2日早かった手仕舞い売りの試しの買い玉後のお話。感覚も売買も一連の動きなのである。297 2−の乗せはそのままだ。
今朝ツッコンだので1枚買い落ち。少し利食いになった。相場全体が強くても弱いものもある。例外だ。でも場帳で動きに慣れれば上げ相場でも下がるものは当然ある。真似ろとは無論言わんが、値動きを感覚が自然にトレースできているのかの確認には逆方向にちょっと動いて見るのも自分の感覚の確認には良いだろう。ズレがないかどうかという事である。練習とはそういう柔軟な動きがいつでも出来るようにしておくという事である。
そういうことが出来るようになれば、「グータラ遊んで暮らす」ことぐらいは容易だろうと思う。


「投げと踏み」

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身体感覚と言語について少し書こう。僕の玉操作というのは現在は「ゆっくり、ふわっと置く」というイメージを買い玉では大事にしている。だから忙しくてシャープなスパッとかストンいう動きを嫌う。これはこういう時期は(初段の上げの後の深めの押しから戻るような時間軸は)意識して嫌っているもので、なるべくネチネチとへばりつくように、心配の壁を相場が登って行く時の操作の自己イメージにしている。
 うねりながら相場は上下して結果的に相場は長い時間軸では上昇する。(少なくとも2012年の安値から指数でも2年で倍加している。)だから、数ヶ月少し押して、あるいはリズムの底に向かって2週とか2ヶ月とかかけて下げていく過程を分割で(2回もあれば5回もある)そっと試し玉を置いて、曲がって底抜けて下にいくのをまたそっと置く。コツンと来そうな手前というのはどんな時でも2−3日でざっくりと突っ込みが出るもので、ここでも同様にそっと置く。するとコツンと来る。寄りが大幅に安く寄るんだが、引けは戻して前日比では終値でマイナスだが日足は陽線みたいな足になる。つまり「コツン」という音がする。(僕には聞こえるが、他の人がそういう音がするかどうかはわからない、感覚的に感じることだから。)
ここまでに大抵は一応2ヶ月程度なら10枚程度は僕は建て切っている。遅れれば失敗という事だ。20−50枚の予定で買って、10枚が建たないのなら買い遅れということに9割ぐらいがなるもんだ。その後は新値で戻り始める。3−5本戻って押すを2週ぐらいで始めて、5−7本で一呼吸。そこから押すか(2−3本)持合うかする。この時点で大半はもう買いの平均値を越えているから落とせば利食いであることが多い。2分割が出来るようになって、少し上等な片張りの玉操作の基本操作だから、誰でも専業になると通る平凡な過程だろうと思う。立花さんや安さんのように特別に上手な人が単銘柄でうねりを取るケースははここから200−300枚に総玉を膨らまして長い上げと長い下げを繋ぎとドテンを適当に入れながら美味しい場所を取って生活する.一番短い景気循環でもキチンサイクルの4.4年ぐらいだから上げ2年下げ2.5年ぐらいの時間軸になるんだろうが、実際はもっと長い場合が多く、前回の低位株は上げ3年、下げと底練りが都合7年ぐらいの10年1セットの1サイクルになっていた。だから上げだけしか相場が出来ないと7年は何も出来ないから多分暮らしてはいけない。売りが重要な生活の要素なのは、時間配分は下げのほうが長いという事実である。
 基礎の2分割の最初の最初は、この繰り返しを底付近でするのが良いかと言えばそうではないと思う。ここは結構突っ込み買いで難しい場面なのだ。下手な人はもっと楽な場面でしたほうが利食いになりやすい。それはつまり底を少し過ぎて戻り5本で上げ順行に移る。数ヶ月の(3ヶ月の整数倍)の上げなら新値で13本や23本はあるものだ(折れ線を50銘柄位3年も書いたら誰でも分かるだろう。新値の本数を天底をいくつ出るのか数えるだけのことだ)
だから上げ順行に移って最初の押し(まあ3−5本ぐらいが多いだろうと思う)を分割で3本目で−1とか5本で−1とか建てるほうがすぐにコツンときて反発するから簡単である。
僕が100回同じ銘柄で100回同じこと(2枚上限の分割)をやれやれと練習生にクドく書くのは、上記のような操作の難易度に関して、どこが簡単でどこが難しいかということを自分でやって初めてわかるということを体感しろという意味もあるのだ。上手く行かないで損をしながら、「どこの操作が悪かったのか?」ということが大事で、別に安値をドンピチャリと買う、戻り高値をドンピシャリと売るのが「上手」というのでは決してないのだ。天底は当てようとしてもなかなか当たらない。分割というのはプロでも当たらんから分割するのである。だからこそ大体で良いんだよ、それになれて何度もくり返して(反復)その波ごとの速度や強度の違い(差異)に慣れて上手に波に乗れるような流れるような操作を出来るようにすることが上達の本質なのである。単発の売買なんていくらマグレで当たっても長い相場人生の中では微々たるものでしかないからだ。継続性の無い操作の利食いなどどうでも良いのである。「朝の成り行き1本で行け」というのはつまり数円の価格差などどうでも良いので上手くタイミングに合わせる事のほうが上達にとっては何倍も大切であり、そのためにはそれを逃さない技法上のコツが「成り行き」という答えなのである。ここまで理解してたどり着けない人が95%以上もいるのだから実行するだけで見違えるほうに洗練されるということなのだ。値に拘るうちはヘタクソで儲からないのである。(シバシバ合わないで乗れないからだ。)波の長さや強さに応じてそれに合わせて自然に乗って降りることが気負い無く出来るようになることが「上達する」という事である。だから試し玉を落として損が出てもそんなものは「相場のコスト」なんだから出た方が良いということになる。特に資金の小さいうちは本玉を建てるのが失敗すると大きな損になる。だからこそ、試し玉で損を切ってしばらく待つ(2週とか2月とか)事が重要なのである。

玉操作の要諦は「投げと踏み」と言われる所以である。

野生の呼び声

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ここでバックの物語が終わってもよいのだろう。それから何年も経たぬうちに、森の狼たちの種に異変が生じたことにイーハット族は気がついた。頭と鼻に茶色のブチがあり、胸の真ん中を白い裂け目が走っている狼たちが目につきはじめたのだ。だがそれ以上に、群れの先頭を走る幽霊犬のことをイーハット族は語る。彼らはこの幽霊犬を恐れている。なぜならこの犬は彼らよりもしたたかで、厳しい冬には彼らの野営地から食べ物を盗み、罠を解除して、彼らの飼う犬を殺し、一番勇敢な狩人にも平然と挑むのだ。
 いや、話はさらに悪くなっていく。野営地に戻ってこない狩人もいるし、喉を無惨に切り開かれた姿で一族の者に発見された狩人もいる。彼らの周りの雪には、どんな狼の足跡よりも大きな狼の足跡が残っている。秋が来て、イーハット族がヘラジカの動きを追うたび、彼らが決して足を踏み入れない谷間がひとつある。そして、焚き火を囲み、悪霊が来てその谷間を棲みかに選んだ話を聞くたび、顔を曇らせる女たちがいる。
 けれども、毎年夏にその谷間には、イーハット族に知られることなく、ある訪問者がやってくる。それは大きな、壮麗な毛皮に包まれた狼で、ほかの狼みなと同じようでもあり、違っているようでもある。晴れやかな森の地から狼は独り渡ってきて、木々のあいだの開けた場所に降り立っていく。そこでは朽ちはてたヘラジカ革の袋から黄色い水が流れ出て地面に吸い込まれ、そこから高い草が生え、腐植土がその上を覆って黄色い色を太陽から隠している。狼はここでしばしば思いにふけり、一度長く、哀しげに吠え、ふたたび去っていく。
 だが彼はいつも一人ではない。長い冬の夜がやって来て、狼たちが食料を求めて山から谷間に下りてくるとき、時おり彼が、青白い月光の下、あるいは北極光のちらつく下、群れの先頭を走っていく姿が見うけられる。仲間たちよりはるかに高く彼は跳ね、堂々たる喉はより若き世界の歌を響かせている。それは群れの歌だ。
         「野生の呼び声」ジャックロンドン    より転載

 「少しは酒が飲めたらどんなに良いかな」と思うのはこんなジャックロンドンの散文詩のようなテキストを読み終えた夜だ。ヘラジカの死骸の片隅で彼は何を思い、そして吠えたのか?酒が飲めたらもっと僕の想像力に翼が生えるだろうし、秋の夜は更に深く長くもなるんだろうと悩ましい。
 野生動物、ホクシング、航海、社会主義などジャックロンドンは多様なテーマで数多くの小説を残した。今度の「モンキー」はジャックロンドンの特集号だ。引用したのは「野生の呼び声」のラストの4パラだ。無論柴田の訳出である。今号の池沢夏樹と柴田の対談もなかなか冴えている。

 「書く」以前に体験があった。だから彼の文体は形容詞や形容句に凝ったり絶対にしない。ストレートな言葉で弾丸のように言葉が飛び出して突き進む。動物の形をとったある種の英雄物語なのだ。いわゆる文学臭がゼロの文体で雑誌を中心にガンガンと書いた作家である。午前中に2500字をペンで書いて推敲もしないままに横で妻がそれをタイピングして原稿を売ったというぐらい上手い大衆文学なんだろうと思う。アメリカンノベルの典型でフォークナーから一番遠い場所にいる作家と言って良い。マークトウェインとヘミングウェイの系統だろう。美文は大嫌いなのである。

 読んでいるうちに僕はいつの間には狼になっちゃうんだね。北アメリカのずっと北のほうの風景が行ったことも無いのに頭に自然に湧いて来る。ラングの選択が上手いから「樹木限界線」とか「スノーシューラビット」という言葉の選択で一気に世界に引きずり込んで行くスピードがあるんだな。

 文明化されるという方向と野生に帰るという方向は無論真逆だよね。僕たちは無理ヤリ文明化されることを社会に強制される圧力に晒されてなんとか青息吐息で生きている。いつの間にか何故か全員が死んだ鯖のような目つきになるだろ?朝の通勤電車に乗っている男女の目付きは全員がそうなんだ。勇気があれば拒絶することも出来るのにしようともしないんだ。飼い犬になって鯖の目をして嫌々生きて行く。
でも真逆の野生に帰るバックを通じて、別の生き方、逆方向の生き方があるのに誰でもきっと気がつくだろう。多分、相場を仕事にしたい連中というのは、文明化される事が嫌いな人種なんじゃないのか?読みながら僕はそう感じないわけにはいかなった。相場が残酷な殺し合いでなかったら、僕たちはこんなにも心が燃えるということも無かったろうにと思うんだ。だって自分が勝つということは相手を殺すという事だから。それが野生という事の掟だからね。
相場とは少し違うんだが、相場を志す人に是非ロンドンの「野生の呼び声」を読んで欲しいなあと思う。

モノ作り幻想の終焉

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 日本の物作り幻想は終わったねとソニーを見てると思う。ヒット商品が何も無い。したがって我が家にはいつの間にかソニー商品は一つもなくなってしまった。以前若い時にはこれでもたくさん買ったのよ。一番最後の商品は14年前のバイオと5年前のエキスペリアというスマホが最後だった。電池1本でさえソニー製はもう無いのだ。どうしてこんな事になったのだろう?
経営者と社員がきっと馬鹿だったからに他ならない。ロクな商品がないから買うものが一つも無いのだ。テレビはもう10年以上赤字の垂れ流し。なんでリストラやコストダウンがきちんと出来ないのだろうか?何でアップルのような魅力的な商品を作れないのだろうか?経営者と社員がきっと全員無能だからだろう。(ごめんね馬鹿馬鹿と言って、だって欲しいものがマジないんだもん)特にこの15年ぐらいのソニーはヒドイ状態で、ヒットはほとんど何も無い。オーディオはアップルに、テレビはサムソンとシャープに、パソコンはデルやアップルにみんな持っていかれて久しい。なんとか黒字は映画と保険とゲームぐらいだろう。毎期の決算は資産売却の売り食いであと3−5年も持つのかどうかさえ怪しい。あの潰れて松下に吸収された三洋電気とそっくりな状態の凋落にある。
戻れば空売りの格好の対象でそのうち多分中国か韓国企業に吸収合併されるということに多分なるんだろうなと思う。創業者がいなくなると20年位でダメになるという日本企業の典型パターンになってしまった。品川の本社も売って丸裸の状態だ。電気製品が全部モジュール化してしまい、大量に世界規模の数量で外注して自分で組み立てを必要としないモノになったしまったという時代認識の遅れが仇になったということだ。かろうじて自動車は部品点数が3万ぐらいあるからどうにかなってはいるが、これも今後電化が進むとどうなるかは分からない。ユーザーはモノが欲しいというよりはモノを通じて体験する快適な生活が欲しいのだから、売りたい物と買いたい事の間にズレがきっと生まれているんだろう。ソニーの昔のユーザーの大半は「ワクワクするような新しくてカッコイイライフスタイルという表象」という意味でソニー製品を買っていたのだろうと僕は思う。そういう期待感を感じる商品が出てこないと復活は絶望的だろうと思うが、気の利いた話はトンと出てこない。
 大量生産、大量消費というかつての中産階級の(貧しい物に餓えた時代の)欲望は全て色あせた。いつの間にかモノが溢れで誰でもモノが簡単に手に入るぐらいの供給過剰が当然の世の中になっている。その中で先進国の消費者の欲望を喚起できる物とは、相当高度に魅力的な商品でないと満足しないだろう。その商品は相当の完成度と適度の希少性が高価格の担保である。「高いからなかなか買えないがでも欲しい」という微妙な心理の商品だろう。そういうモノが無いわけではない。ルンバというロボット掃除機とかファンデルローエの椅子とかコルビジェのデスクとかはカッコいいから少し高くても買うだろう。
一方で購買力の二極化は著しい。所得上位5%と下位20%では1000倍ぐらいの差が実際にはあるだろう。5000円のデジタル時計と500万の手巻き時計といういう具合だ。同じ時計でも誰に合わせて作るのか絞らないと答えが同じはずがない。
そういう事を考えてモノ作りをしている日本企業が一体いくつあるんだろうか?と考えると怪しいねえと思うのだ。欲しいと思う商品のほとんどが食品以外では日本製がほとんど無いのはどうしてだろう?一概に高い安いの問題ではないのだ。大半がカッコ悪くてダサイという事である。安くて品質が良いという欲しい商品はあるのだ。ユニクロのアンダーウエアなんて結構良く出来ているからシーズンごとに僕は買う。毎度試してみようかなという気がするからである。たった1000円の無地のTシャツでもなかなか肌触りの良い綿ニットを作っているからだ。でももっと良いのならHOMの下着のほうが良いのなら5−10倍の金はいつでも払うのだから、500円のパンツも5000円のパンツもどちらでも気に入れば買うのである。ポイントは「欲しい」と思うかどうかで、嫌いなら10円でも買わない。ゴミを増やしてもしかたが無いからである。飽和するほどモノに囲まれた消費者にとってゴミとモノの差とは「欲しいと思うかどうか」の差である。ゴミばかりをいくら安く売ろうとしてもそんなもんはいらないよ。作るモノがゴミばかりの企業に「モノ作り幻想」があるのはイタダケナイ現実だろう。

 自分も含めてそうだろうが、消費者は便利で贅沢で豊なことにもうとっくに慣れている。製造販売技術と感性がそれに全く追いつけていないのは、作り手がそういう豊な生活をちゃんと真面目に考えて自分で実行していない証拠だろう。毎日寝る暇もないほど働いても何になるんだろうか?下らん無駄ばかりを組織的にしているケースが実に多い。周囲の顔色ばかり、上司の顔色ばかり見て仕事をするから、客の事はそっちのけなんだろう。
作り手が胸を張って「これは最高だもんね」という商品はそれなりの味わいというものがある。別に手作りに限らんがジャガイモ一つでも旨い物は旨い。僕はポテトサラダをよく作るのだが、メイクイーンという品種はサラダに合っている。食べた感じ、香りと味がサラダ向けなのだろう。焦がしたベーキンとキュウリとマヨネーズとの相性が抜群だ。一袋200円の商品だが、それを買うのにわざわざ20キロ余計に走って500円のガソリン代を払っても産直の販売所に出かけて行く。欲望ってそういうもんじゃないの?だからスーパーの総菜なんて何が入っているか怪しげで買えないのだ。一方、工業製品はアマゾンでいつでもどこにいても手に入る。油性ボールペンのリフィルなんて1本80円で売っているが、地元の文房具屋では100円だ。成り立つ訳が無いだろう。世界堂という新宿の画材屋に半年か一年に一回、グラフ用紙とかボールペンとか修正ペンとかインクとかまとめて3−4万買ったらそれですんでしまうのだ。送料は無料で2日で届く。これは売り方の問題だろうと思う。地元の小さな文具屋は全部潰れてしまうだろう。
 日本中世界中がこんな風に売り方も買い方も急激に変化しているから対応が下手な企業は全部そのうちに没落していく。イタリアへの衣料品でも注文から着荷まで4−5日なのだ。品揃えは伊勢丹の数十倍もあるのだからサイズさえ有ればどんなブランド、どんなデザインどんな色柄でも検索で買える世の中だ。「働く」ということ「仕事」ということ「欲望」ということを、もっと真面目に正面からきちんと考えて実行しないと全ての物作りが無駄になるんじゃないのかなあ?とモノを作らないワガママな僕は思うのだが、、。
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