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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

書庫日記

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昨日のローカルニュースで地方再生ということをやっていた。静岡県は日照が長く地味が豊かで農作物もたくさん取れる。昔から温暖な豊かな土地柄で日本の保守的な地盤の典型だった。餓える人がほとんどなかった土地だから何でも楽天的で東北のような影がない。かなりの馬鹿でもなんとか死なない土地柄だったと言える。だから企業が市場調査をするのは静岡市が多かったし、その意味で日本の縮図だろう。とにかく「地味で勤勉でよそ者嫌い」の典型で、19世紀の農民社会がそのままである。性格は見た目は一見明るいが慎重でこすっからいので、企業誘致なんてのがお得意技で外部性を引き込んで結構上手い商売をしてきたし、それが円高で企業が海外に逃げると今度は「富士山観光世界遺産」で中国人をひっぱってきて凌いでいる。
ニュースでは現在の日本で一番人口減少数の大きなのが北海道で、次が静岡県ということだから、いかに自動車などを中心とした輸出型の加工組み立て産業が多かったかがわかる。僕が気がついただけでも静岡東部にはトヨタ東日本と東レ、明治、森永、大きな製紙会社などの工場がある。西部にはスズキ、HONDA、ヤマハがある。関連の下請けがたくさんあるという事だろう。郊外店といわれる都市型資本の系列店で無い物は無いぐらい東京郊外と同じ店揃えで全然楽しくないので僕は入ったことが無いのだが、無駄な付加価値消費をするような場所は、50キロ圏では御殿場にあるアウトレットモールぐらいのもので、あとは必需品ばかりである。静岡の伊勢丹なんてまあヨーカ堂と大差ないつまらなさであり行く気にもなれない。均一という意味でリーマンの月給は20~30万前後と決まっていて、上がりもしないが下がりもしない。特殊な技能が必要な仕事はあまりないから、特殊な人がほとんど生まれない。昔からの土地持ちが金持ち、利権の伝承で貧富の逆転がまず起こらない構図という意味で面白みに全く欠ける。家老の息子は家老だし足軽の息子は足軽となる。地方都市の典型だから若者には魅力がない。すると少し勉強の出来る子供は大学が東京や名古屋にあればそこに行ったきり帰ってこない。頭の少し良い若者が全員地元の静岡を離れて、ソフトヤンキーばかりが残るから向上心なんてかけらもない。おかげで休日のイオンは満車で入れないぐらい繁盛している。これでどうやって地方再生なんてできるのだろう。無理に決まっている。「何が魅力か?」という事を若者が知らないのだから、まずそこに気がつかないと再生どころかそのうちに消えて無くなるほかあるまい。
 
 現在アメリカで最も人気のある都市はオレゴン州ポートランドだろう。以前にも書いたが、そこには「美しい生き方」という具体的なビジュアルのスタイルがある。老人の僕でさえ「こういう暮らしは素敵だね。」というスタイルとしての美しい絵があるのだ。それを支えているのは住む人の感性や感覚が「上質のもの」に囲まれてゆっくり慌てないで生きる時間の豊かさにある。人口70万人の小都市といえる規模だから可能なスタイルなのだろうが、ネイサンとケイティという二人の若夫婦がKINFORKという雑誌によって発信したスタイルだ。

KINFOLK』は、「料理をすること、何かを作ること、何かをすることを楽しみながら、創造性にインスピレーションを与えること」をコンセプトに、年4回発行されているアメリカ・オレゴン州ポートランド発のライフスタイルマガジン。ネイサン・ウィリアムスと妻ケイティ、ダグ・ビショフと妻ペイジの2組の夫婦によって2011年に創刊された同誌は、現在12人のチームと、写真、エッセイ、スタイリング、料理など多様な分野で活躍する50人以上のコントリビューターによって作られており、昨年には日本版が創刊された。
静岡にはポートランドと比べても負けないぐらいに美しい自然がある。それなのに周辺都市は醜い、ダサイ、かっこわるい3拍子が揃うのは何故だろう。日本の田舎の大半の悪い見本の代表選手なのだ。だから魅力が無いので若い人が逃げて行く。住んでいる人間のせいに決まっている。頭の中身とセンスの問題で、それは主に年寄りの責任である。こんなにネットが発達してなんでも世界中の情報がすぐさま入手できるのになんで若者はアニメーションとフィギアで終わってしまうのだろう。どんどんどこかに出かけて行って「こんな素敵な世界」があるということを自分の目で見て真似るということをしないんだろうか?お金の問題とは思えない。海外に行くのにそんなに大金など必要ない時代になっているのに。それを引っ張ってきて展開する若者がもっと増えてくれば、生活はすごく変るはずなのに。危険ドラッグを吸って燻っている場合じゃないんだろうにと思うのだ。















火の用心

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日本は以来150年、アメリカを欲望してきた。それはヘーゲル的に言えば「アメリカに欲望されることを欲望してきた」ということと同義である.日本の近代化、植民地主義的侵略、太平洋戦争、日米同盟という歴史に伏流しているのはこの欲望である。(中略)
 アメリカからの自立はアメリカへの依存を基礎とするしかなく、アメリカの許諾を得ずに政策決定をするためには、その自決権の行使についてアメリカからの許諾を得なければならない。この「ねじれた」考想は江藤に限らず、日本の「親米愛国」派の全員に共有されている。この「ねじれ」について加藤はこう書いている。「現在、日本は「アメリカ」との関係の中で、さまざまな自己矛盾、自己葛藤を経験している。その未来像をありうべき枠は、「アメリカとの自由かつ平等のパートナーシップ」である。しかし、その未来像を追求した果てに、ぼくたちは決め手として相手の「善意と寛大」に期待するほかない、ずいぶんと奇怪な関係構造のなかにいることに気づくだろう。」

 戦後の日本外交史に一貫して伏流しているのはアメリカに対するこの「ねじれ」である。親米的政策は反米的心情に裏打ちされ、反米的政策は親米的心情に駆動されている。
日本の左翼は伝統的に反米ナショナリストである。安保闘争を支えた政治イデオロギーはマルクス主義だが、闘争にエネルギーを備給したのはナショナリズムである。そうでなければ、「55年体制」の下で、学生運動や市民運動やメディアや知識人の間に左翼があれだけ圧倒的な影響力を維持できたはずがない。
 右翼は政策的に親米ではあるけれども、心情的にはもちろん反米である。日本国内にオフリミットの米軍基地があり、外交戦略のいちいちについてホワイトハウスにお伺いを立てないと政策決定もできない日本の従属国的なあり方に右翼が満足しているはずがない。「従属国であることに満足するナショナリスト」というのは形容矛盾である。しかし、右翼が批判するのはロシアや中国や韓国であって、彼らの口からアメリカ批判はほとんど聞かれることがない。
 日本のエスタブリッシュメントの本流を形成している親米保守派のポジションも同じようににじれている。保守という以上は日本の伝統文化や価値観の「保守」を優先的に配慮してよいはずだが、彼らの急務は何よりもアメリカの世界戦略を支援し、アメリカングローバリスムに追随し、「小学校から英語を教える」というようなアメリカ事大主義を宣布することである。
  (内田 樹「街場のアメリカ論」より転載)

 内田先生は毎度歯切れが宜しい。マンガのように痛快なんで、僕は彼の本をトイレとバスルームで読む事が多いのだが、面白いのでついつい長湯になる。それにしてもなんか師走だというのにいきなり選挙かよ?面倒だなあと思うんだが、庶民の都合とか阿部ちゃんは考えたりはしないナルシストなんだろうね。消費税なんてもうどうでも良いじゃねえか、どうせ日本は植民地同然なんだから、大人しく金融緩和だけせっせとしてインフレにしてバブルを作ってしばらくウハウハ言ってるうちにオリンピックが来て、その後バブル崩壊でドボンと来るのは辺境の国の毎度の猿芝居のシナリオなんだろうから、貧乏人殺しをわざわざご丁寧に確認するために700億も国費を使うなよアホと言いたいねえ、、。政治の話をちょっと書くとまた変なのが来るんでやめとこう。俺は右翼は大嫌いなんだよねえ、、頭悪いのが多いからねえ、、。選挙はいつもにこにこ共産党と決めています、赤旗は取らないし、党員でも無いし、寄付もしないけど、政策で選ぶと好みはここしかないと思います。政治の役割は所得配分機能が最大の役割で、お金というのは作るのが上手い人と下手な人が必ず出るから、それを調整するのが政府の仕事なんだろうと思います。年収が300とか200とかいう人の暮らしを僕は残念ながら想像出来ないし、したくもないからマリーアントワネット状態で、「パンがないならお菓子を食べろ」に何を書いてもなっちゃうんだからしかたがない。
内田 樹「街場のアメリカ論」というご本は、「日本はどうしてこんな国になったのか?」という自己批判を込めたアメリカ日本関係論だ。素人が書くから実に面白いし読み応えがあるんだなあ、、。僕は彼の「身体論」とか「修行論」が結構好きなんだなと思う。養老さんが好きなのも身体=自然 脳=人工物という対比が面白いからだ。脳という臓器の作る「幻想」(例えばお金という記号)の拡大によって都市型社会が拡大しすぎてニッチもサッチもいかなくなった先進国の腐った頭脳に対して新鮮なのはマルセルモース、レビーストロース、ジョルジュバタイユの経済論だ。やはりフランスは一流の洗練された頭脳に満ちているなあ。物作りなんてド下手でワインとチーズ以外にロクな工業製品は一つも無いし、男はセックスばかり追いかけて恋に疲れて一生を終えるのが幸せだというようなスケベな国だが日本と比較にならないぐらい「カッコイイ」考えとか思想が生まれる理由は何だろう?近代世界の中心という意識があるからだろうか?その近代とは王制を潰したことから始まった。1789年、フランス革命だっけ?あれから200年以上もたつが日本は王制のままだもんね。最も中国みたいに見た目共和制に変わったかに見えても共産党朝廷(コミュニストダイナスティー)に先祖帰りするケースも多いから政治とはまあやってみないとわからないという事だろう。
 今週あたりから場帳を書きながら「オヤ、、」という感じが強くなってきた。潮目が変った感じがしている。「来るね、上げ潮が、、」という感じが強くなっている。流れが変ったのが随所に見られる気がする。シナリオ通りの10月のふるい落としの後、スルスルと戻るのは強い証拠なんだろう。こういう時は少し試しに売ってみて踏まれて感じを見るのも宜しいかという事で、朝の寄りで1枚売った。
6675  11/18 208 2−   丸
      11/21 316 1−
            297 2−(後場1時半ごろかね?)

別に試し玉は反対方向に建てても構わないが、する人は多くはいない。欲しいのは「感じ」であって小銭ではないからだ。
 投票日までは結構上下に意外に大きく動くかもしれないなあ、、キナ臭い感じが強いのね、低位株がね。

生き残るための技術

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ほぼ1年間相場を中心にブログを書いてきた。前回連続して書いていたのは2004年から09年のリーマンの後までぐらいだったから、その時期のコメは相場戦略の板に投稿したものが一部と、その後の書き込みは猫塾のサーバーだったから、それを廃棄したのは2011年ぐらいだったはずでサーバーのログは全部マシンと共に棄てている。前半は買いで、08年前半からは空売りについて主に書いていたので、あれから随分と時間がたっている。WEBからは消えていても別に相場は商売なので2011年からは売りポジションの大半を閉じてポツンと買って戻れば外すの底練りをごく少量していただけだったが、完全○という時期はほとんどない。2011年の地震の後、お山に移動して2012年ぐらいから少し多めに買い始めて今にいたるが、底を大きく離れた13年からは特に売買の頻度が極端に落ちたのは自分の玉帳のページを見ればわかる。
 急いだリズムの売買を出来ないでは無論無いし、今でも月に数枚は酒田の逆行を買って、戻りを外すことがあるにはあるが、それも本玉を本気で建てるかどうかという試しの売りだから、建てたいというような対象が無い限りは、落としてそのままというもののほうが断然多い。場帳の銘柄が現在235もある手前、50やそこいらは常に1枚や2枚の試しは常に建っているし、本気で建てると50−60枚は直ぐに建つが、「当たり」がそうそう出るでもない。
 読み手にはご縁があるからリンクを辿って、「道具の整備と基礎的分割の練習」の必要性をクドイぐらい書いているのだが、そのせいか練習生の多くが、ちゃんとグラフや場帳を習慣化しはじめたのは好ましいことだと思う。やはり女子のようが上手いしコツを飲み込むのが早いのは10年前と同じだから、そのうち50年もしないで日本社会は優れた女性の支配下に落ちるなという予感が僕にはある。彼女たちは僕のテキストに対してのセンサーの感度が良いのである。身体の仕組みの差異かなと思う。(♀でないから想像だが、、)
相場を上達して、その成果として大きなお金を作りたいというのは自然な欲望だろうと思うし、現在の仕事に疑問を感じて、相場を仕事にしたいという人の気持ちも自分がそうだったからよく分かるのだが、経験上言えることは、相場を職業にするのは容易ではない、というかすごく困難な道のりだろうと思う。(針の穴に駱駝を通すぐらい困難だ事実。)学校の勉強と重なる部分はまず一つもないからで、情報とか経済学とか経済理論なんて百害あって一利なしの世界だろうと確信する。要は慣れとコツなんだからひたすら同じ事の繰り返しを愚直に行う根気につきる。「こんな事を繰り返して何になるんだろう?」という疑問が消えて細胞がやっと一つ増えるのにでも鈍い人は10年かかる仕事だ。練習生の多くはそれに気がついて幸運だったということだ。とにかく時間がかかる仕事だし、基礎はちっとも面白くもないし、儲かりもしない。それでもそこを通過しないと先は無いのだが、ただ成果をなんとかマイナスにしないように淡々と同じ事の繰り返しの連続の中で、徐々に上達して行く以外に方法は無いと思うのだ。知識では勝てない世界だというのが理解出来るのだって3年やそこらは基礎をちゃんとやりながらでもかかるだろう。
 相場には無関係だが、習い事の上達の秘訣を合気道を30年続けた内田樹さんの言葉を紹介しよう。大学教授を引退して自分の道場を作って、生徒に「武道」を手出しで教えている。東大出のフランス現代思想の哲学者が「生き残るための技術』=「武道」について宗教学者の中沢新一との対談集で次のように書いている。

 どうして人類が「死霊」や「鬼神」という概念を持つようになったのか、その由来を僕は知りません。けれども、その機能ならわかります。それは「センサーの感度を上げろ」ということです。もし生き延びたいと思ったら、目に見えず、耳に聞こえず、匂いも、触感もない「それ」を感知できるようにセンサーの感度を最大化しろ。それが「霊的なもの」という概念から導かれるとりあえず唯一の実践的命令です。僕たちの祖先は数万年前に「死者」という概念を持ちました。そして、それによって、「存在しないものが切迫する」という実感を手に入れました。この実感を手がかりにして、目に見えず、音が聞こえず、匂いもせず、手触りもしないが、自分の生存にかかわるかもしれない、何かとてつもなく危険なものが接近してくる時に「アラーム」が鳴るように心身を訓練しました。あらゆる手立てを尽くして、その訓練をした。僕はそれが人間性と呼ばれるものの原基的な形態ではないかと思っています。
 合理主義者の中には、「いったいお前たちはいかなる妄言を口走っているのか。外形的、数値的にエビデンスが示されないときに『何かがやってくる』というような判断が下せるわけがないではないか」とせせら笑う人がいるかと思います。それに対しては、申し訳ないけれど、あなたにわからなくても、僕らにはわかる、と答えるしかありません。そして、経験的に言えることは「アラームが鳴らない人間」よりも「アラームが鳴る人間」のほうが生き伸びる確率が高いということです。          内田 樹 「大津波と原発」より転載


 大きな上げ相場がやってくるというのは大津波がやってくるという予感と少し似ています。大きな制御できないエネルギーの塊がやってくるという事です。上げなら乗っていればよいだけの事ですが、津波には必ず大きな引き潮があります。
その引きで大半の人が死滅してしまいます。相場の引き潮をどう乗るのか?という技術こそが具体的な「生き残りの技」なのですが、それが出来る人はちゃんと基礎が出来た人以外にはいません。生き残れば嫌でも総取りというのが相場の世界の掟なんですね。大相場とはある意味で人間が制御できない「欲望と恐怖の」波のようなものです。それに溺れないようになんとか乗るのが相場師というお仕事の「呪われた部分」なのですね。余計な事を書きました.(笑)

デモラグしようよ

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GDPが2機連続でマイナスだったらしい。きっと消費税の影響が残って、手取り賃金の実質的な減少で需要不足が表面化したということなんだろう。わかりやすい算数計算で給料以外の所得がきっとほとんどない人たちの割合が多いから(年金生活者も同じだ)それが少し上がって(2%の賃金上昇)も、税率が3%上がって、年金や保険料がちょっと上がると手取りの金額が減る。それに少しインフレになって、電気代とかガソリンとか輸入食品とかが上がると買える物が実質上少なくなる。GDPの中で消費の割合は大きいからこの需要品目が悪いと全体に響く。そして住宅や自動車は使用期間が長いので特需が税率上げの前に多く出たからしばらく元に戻るのにかかるという事だろう。
 別に日本に限らず、リーマン以降の資本主義世界は需要の落ち込みに政府がリフレで対応して、どんどん金を刷ってばらまいた。その金で市場にあるもの(債券や株式)を片っ端から政府が買いまくって価格の下落を止めた。政府が「上げるぞ!」と言って率先して買うんだから値が戻るのは当然である。金融市場に直接的に関与して市場価格を引きずり上げるのは買い方に有利でフェアーな立ち位置とは到底言えないと思うが、、そうしないと市場そのものが破壊される場合はなんでも有りであるというのはシカゴ学派の考えの基本なんだろう。(建て前はともかく本音として)
 問題は需要不足だが、これは構造的な問題で(人口減と消費の飽和)でいかんともしがたいのが先進国の現状だ。特に日本のような村社会では周囲の目や空気を必要以上に気にする習慣があるから目立った消費をすると大抵叩かれるという変な風土があるから、派手な車とか豪邸とかネーチャンとかは白眼視される。国民経済学的には、不足する需要をその人が引き受けているんだから拝んでありがとうと勲章でもやればよいはずが、嫉妬や妬みで陰口を叩くのが通例だろう。儒教国の通例で長幼の秩序という発想が根底に習慣的にあるから(どこの国にも非合理的な習慣があるから別段珍しいとも思わんが)平社員がベントレーで社長がプリウスでは格好がつかんという事になる。だから派遣社員が相場で勝ってベントレーで時給900円だが1200円だか知らんが、そういう種類の手間仕事にわざと冗談で通勤するようになるなら日本もナカナカ棄てたもんじゃいないと思うんだが、まだそういうオシャレなワーカーはほとんど見ないだろうと思う。労働価値を愚弄し労働の成果を嘲笑するというのはそういう事がスタイルとして必要だが、ごく稀にこういう人がいると全員「見ないふり」をして目を瞑って通り過ぎる。(笑)資本主義の内部にあって、労働価値を愚弄するというスタイルは復古的と言うよりは斬新と言って良いと思うが、経済が記号化した社会が一般化すれば可能なスタイルではある。是非、「教育勅語」でもあたらに作って平成の維新とでもして立憲君主主義で歌ったら宜しいかと思う。天皇陛下が稲穂の国の儀式を田植えで象徴するようにフリーターがラインワークをベントレーで通勤すれば儀式になるんだろう。富と価値と労働の逆転が起きれば少しは自分たちの毎日している仕事の本質的な意味を考える人が増えるんだろうと思うんだが、、。

結局「革命的」ということは、何も暴力革命をする事ではなくて(武器も所有しないでゲバ棒で出来るはずもないだろう)所得と消費のスタイルに置いてこの長幼の序列を積極的に破壊、陳腐化することだろうと思うのだが、大半の団塊世代がダメダメだったのは、いつの間にかこの序列に自分のほうから並んでしまったことなんだろうと思う。「つまんねえ世代」だなあといつも思う他無い。「やりくり上手と勝ち逃げ」という事は個人的にはあるんだろうがチマチマしていて夢が無い。だからそんな親父を見ている段階ジュニアたちは馬鹿にしてフリーターになったりして働く事や所属することを否定しているのかもしれないなあと思う。そんな中にあって、GQ編集長の鈴木正文さんが「デモラグ」という言葉で、贅沢をしようという提案をしている。デモラグというのはデモクラティクラグジュアリー=僕らの贅沢という意味の言葉だ。
女王陛下のティアラのデカイダイアモンドの贅沢ではなくて、庶民が生活の潤いという意味での贅沢の必要性である。人はパンのみに生きるに非ず。薔薇も必要であるということ。今月号を読んでみたら?

ごっつあんデス!

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吹き値を売って、突っ込みを買うという組合わせは実際は多くない。吹き値が出るような時は相場全体がたいていは高いから、どんな悪業績の株もあまり下がらないことが多い。つまり吹き値と突っ込みが同時に起きれば、「めったにない事」だから仕切りと仕掛けのチャンス到来ということで、異銘柄で乗り換えることが出来る人には好都合だ、操作は1−1なんでポジション維持だが、両方の鞘の美味しい部分をさらえるのでするに越したことはない。ということで久しぶりのストップ高に遭遇した。
 6675  202 2−と売って
 6310  226.5 −1と年初来安値を拾った。ごっつあんデス,オス!チャリンと一つ鐘が鳴った。

 昨日は、ひょんな所で鹿さんに会ったし、その帰りにマダムがいきなりクリスマスプディングを作りたいので伊東の青木に直行せい!というご命令が出たので、シコシコ山道をクだって無事到着。僕はお魚売り場に直行してなんか特売ないかな?と探していると朝どれの
素晴らしく押しそうなサバがいた!2匹で380円だ。1匹で十分なんだがモジモジ考えてると「ええい、そんなもん買ってしまわんか!」とドツかれたのでサバを買う。特売の商品は3枚おろしにしてくれないことが多いのだが、「あのーすいません、このサバ3枚に出来ますかねえ?」と低姿勢で売り場の兄ちゃんにお願いしてみたら暇なのか『いいっすよ」と1拍あったが引きうけてくれた。それで夜にマダムがプディングを作りながらしめさばを作るのである。突っ込み買いと吹き値売りと同じで、同時に出来るのは素晴らしい!主婦もプロになるとさすがにこういう芸当が出来るのだ。僕は二つ同時に料理なんてこんがらがって出来ませんから、やはり慣れというのは重要である。

 ということで今夜は一人で鯖鮨をいただくこちになった。ごっつあんデス!
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