ここから本文です
猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

書庫日記

記事検索
検索

最後の夏休み

イメージ 1
海賊船も所在ない、、


 夏が終わる。芦ノ湖の気温は午後3時で22度と少し半袖では肌寒いぐらいだ。キリが出ていて西岸の周遊道路の視界は5メートルという所。ヘッドライトをアッパーにしても対向車が見えるのはせいぜい20メートル手前で時速30キロで走ってもきついカーブがギリギリという感じで、普段は楽しめる富士山は霧の向こうに有るのかさえもわからない。熱海のフラットでは数キロの視界があるのだから、そこから裏山を500メートルほど標高が上がった箱根の山頂は別世界だ。夏が完全に終わって、秋がとっくに始まっている。一部の紅葉が既に始まった広葉樹があるほどだから、自然の暦は早く賢い。
 海賊船の客も減って、夏の終わりの観光地は何故か少し寂しい。こうやって秋が足早にやってきて、沢山の人たちの夏休みが今週で終わる。東京から2泊で来客があって、今夜の花火は大型ヨットで見物したら、マダムは明日から東京で1泊のお仕事でご出張。久しぶりに熱海で一人の夜になるが、考えれば今年の正月からずっと一緒だったことになる。単身赴任、週末婚の静岡のど田舎で一人暮らしを7年したというのに、まだそれに良く慣れてはいないということか、食事を作るとか掃除をするとかその量、頻度、インターバルが孤独ゆえの緩さというものがあって、まあ自分しかいないならサボっても良いよねというのが二人暮らしになるとなかなか効かなくなるのは何故だろう?「あれをしてください」とか「これをしてほしい」とか「それはいけません」とかご命令が飛ぶ。個人の考えるあるべき共同生活のルールという不問律というようなもの(すごく言語的に厳格なものではないにしろ)は、母語のもつ自然な文法のようなものに似ているんだなあ、、そんな風に感じてしまうのは僕だけなのか?
 今日で8月が終わって、また1200枚の月足グラフを更新して、短い陰陽線を書き加えてほとんど動きのない鈍いだらけた保ち合いを書き加えるという作業を4、5日かけてまたすることになるんだろうと思う。それでも8月は記録的な来客数があったから、熱海の僕のフラットは実に賑やかだった。いろいろ孫や客と遠出もしたし、いろいろ美味しいものも食べたり買ったりしたのだから、老人一人、二人でする普段の生活よりも変化があったのには間違いない。気分転換にチタン製フレームの眼鏡を鼈甲柄のセルフレームの眼鏡に変更してみたりして、ほぼ毎日短パンとTシャツで過ごす夏休みの小学生のような暮らしをしていた。台風も水害も高波もいろいろあった8月だったが我が家だけに絞れば実害はゼロで、運が良いのだろう、猫と一緒に夏風邪もひかず、怪我もなく無事に夏が終わりそうだ。

 客が来ても5人までならAUDIワゴンは使いやすい実用性の高い車だなあと改めて感じた。
1日200キロ程度のドライブならこれ1台で十分楽しめるなあと思ったのだが、V8直噴40バルブ4.2Lというエンジンは初めて乗ったがメルセデスの5.5Lより更にパワフルで2トンのアルミボディーを軽々と加速させるから、もう少しアクセラレータを重くしたほうが安全じゃないの?とも思うのだ。5人乗れば300キロ増だがなんてことなく鋭い加速。いかにもメルセデスを意識した加速性能という感じが強調されているんだな。ピエヒはきっと権威主義を嫌う負けず嫌いの合理主義者なんだろうと思う。Eクラスワゴンが長かった僕としては「成功した自由業のスタイリッシュな実用車」というカテゴリーにぴったりの新しいアイコンを手に入れたような気分であるかなと思う。しかもちょっとやれた10年落ちの地味なこんな素敵な車が200万円以下で手に入る日本の中古車市場というのは世界一コスパに恵まれていると思うのだが、その割にはまだ輸入車の販売シェアが低いのは新車価格が高いせいだろうと思う。外車=高い=壊れる=面倒というイメージなんんだろうなあ。動物を飼うとかペットと遊ぶとか楽しいことをするには、ちょっとした苦労も楽しみのうちなんだが、そういう悦楽的な暮らしという意識からはほど遠い忙しい
人ばかりが大半なんだろう。パナソニックのテレビや冷蔵庫のような静かで壊れない、あるのか無いのかわからないような機械が自動車だと思っている人がきっと大多数なんだろうなあと思う。

 さて残った今日の1日をどうしようか?今晩からはグラフをしばらく書くのだから残りの半日は厚木のコストコにでも行ってマダムのワインでも買ってこようかな?帰りに大回りで湘南Tサイトまで足を伸ばしてなにか新刊がないのか探してみるのも良いのかな?自分だけの夏休みというのはそういえば1日もなかったような気がするなあ、、。

食べる事と張る事


イメージ 1

バルミューダのポットを買った。
イメージ 2
注ぎ口が細くドリップがしやすい

イメージ 3
伊坂は東北色

 
 人間は物を食べて消化してエネルギーに変えて生きている。そして排泄して運動して寝る。人生とはそれを何年か(長い人はなんと100年、36500日ほど)することになる。それ以外にあまり生物学的に重大な意味は無い。それだけを大切に高級に素敵にできれば人生はすごく幸福だと思う。そういう観点で人生を見ている人や人種は少ないが、中国人はことさらそれに真剣だ。実に食う事を大切にする。だから凄いごちそうがあるのは、やはり中国だなあと思う。
 僕には中国人の友人が数名いるが、仕事のできるひとはみんな美味しい店をよく知っている。そして必ず一緒に食事をすることから仕事が始まる。接待抜きの仕事などあり得ないという習慣で、それをしないと本音で旨味のある商売にはならなかった。もう25年ぐらい前の話だが、当時と今ともそんなに変化なんてないんだろうと思う。

 僕のブログのコンテンツは食べるとか料理するとか、食に関するコンテンツが多い。僕は職業に食べるということを一度も考えた事がなかったが、次に生まれ変われるのなら体力さえ許せば料理人になりたいなあと思う。快楽を作り出す仕事という意味でも実にエロチックで娼婦の次にプリミティブな快楽的な意味があるんじゃないのかとずっと考えていた。10年ほど前に懸案の十二指腸潰瘍が完治して、インプラントを4本入れたせいで、食べ物の消化が実に容易で快適な状態に変わってから生活習慣に食の要素が実に強くなったと思う。「旨いものを旨いな」と感じることはわかりやすい快楽の典型で、数ある快楽の中でも結構民主的な要素が高いので、誰ともわかりあえる要素が高いと思う。だから僕のテキストの読者の中でグラフや場帳をたくさん書くような人には「こんな楽しみがあるほうがより快楽な人生が素敵ですよ」と具体的なことをおせっかいに書いたりする。旨い、美味しい、これはイケルというのは金が儲かるというのとは異質の強い快楽であり、金儲けの具体的な動機になりやすい。同じ空腹度なら旨いものほど快楽は高いのだから、一番コスパが低い快楽を相場師は目指すべきだというのが僕の持論である。 つまり相場をするような人は、普通の労働で得られる金では満足できないほどひどい強欲であるのだから、その強欲をコスパの悪い快楽で奢侈する存在論的必然性があると思うからである。だからそれがわかった人は僕にいろいろ素敵な豪奢でかけがえのない快楽を与えようとする。だから安い回転寿司なんて食っているような奴は基礎的な欲望が三流か四流の最低レベルだから僕はハナから馬鹿にする。「おとといコイ」っていう感じだ。相場を馬鹿にしているとしか僕には見えないからだ。そういう所を適当に手抜きをしてしまうような奴にロクなのはいないなあと経験からは思う事が多いのだ。

 資本主義とは快楽を追求する個人主義の政治経済形態である。個人がそれを真摯に追求することでしかシステム自体が健全な発展をしない仕組みになっている。相場師は資本主義の鬼っ子である。いわゆる制度的に呪われた部分が彼の仕事なのだ。なぜ使用できない過剰な物を資本主義は必要とするのか。
320キロも出るそんな飛ばす道もないような車を何故資本主義は次々に作るのか。
交換が不能になった世界、贈与しか機能しない世界がおそらく人類を今後待っているのだろうと僕は思う。あと120年か140年先にはきっとブローデルやウォーラスチンの夢想する脱資本主義世界が生まれているのかもしれない。それが始まるまではいびつで過渡期の半端な交換と贈与が混在する世界を人類は生きて行く必要性に迫られるのだろう。航海の海図はどこにもない。市場は残るが大きく変質するのだろう。政府ではない何か、おそらく自発的市民がそれを作っていくのだろうと思う。資本市場が変化したら相場師という商売も無くなってしまうかもしれないなと思うのだ。アメリカでカールマルクスの資本論が再考されはじめたのはそんな意味もあるんだろうとフト感じたのである。

イメージ 1

 水害、高波、台風、停電、酷暑、地震とこの夏は結構日本が困った時間帯だったんじゃないのか?と思う。それに加えて火山噴火,南海トラフ,関東大震災,富士山爆発まで加えて、どうやら危機一髪がてんこ盛りの状態らしい。いずれもその発生を詳細に予測することは現代科学では無理だから、個人的対処にしても「あらかじめ、、、、しておく」ぐらいの準備しか出来ないし、極論を言えば日本で住むという選択をするかぎり誰もが避けようが無いと思う。新聞によると、直下型地震の主因の活断層は日本に2000カ所以上もあるから、自分の住んでいる場所がどこであってもどれかに該当する。だから地区という意味で日本にいる限り避けることが出来ない。一方でプレート境界のズレにより起きる海洋型地震とその津波なら、被害は海岸線付近のほぼ10キロを避ければ(標高で50メートルほど)津波だけはほとんど回避できる。100万年に1回の大規模隕石衝突やカルデラ噴火のような危機的災害は無視するほかない。地球にいる限り避けようが無いので人類ほぼ全部が消えてなくなることを心配しても所詮無意味である。 
 あとせいぜい健康寿命は長くて10年と僕は思っているので、その期間だけなんとかすれば良いという軽い気持ちの準備しかしていない。つまり数日内に総て復旧するという能天気な甘い予測で楽しく生きている。(笑)田舎に来てから何度大きな地震があったのかはもう覚えていない。それなりに地震らしく揺れるという意味では数回だったが、箱根の噴火警戒が出たのは意外だった。静岡県に来て7年が過ぎたが、災害や事故による停電は3回起きた。1回は函南ダイアランドで深夜3時頃落雷事故でほぼ4時間後に復旧した。別荘地総てが停電したが、非常電源でマンションの通路の照明だけはついていた。次は2年前午前5時ごろから10時頃までこれも送電事故ということで熱海で起きた。町の1/3ほどが停電して間もなく復旧した。あと1回はマンションの補修点検の停電で午前9時から午後3時まで6時間ほど止まり、エレベーター、パレットなど全部止まったがこれは予告があったので事前に外出して事なきを得た。
 熱海のマンション生活は、電気、ガス、水道、温泉、トイレ、エアコン、インターネット、wifai総てが電気がないと動かない。車も回転式パレットとシャッターが電動だから停電中は外に出られない。つまり役に立たないので普通の暮らしが出来ない。仮に何らかの災害で通電が長期間不能になるととたんに原始生活を余儀なくされるのだが、そうなれば太陽光発電の一戸建てに住むという選択肢以外に対処の方法は無いし、そういうつもりは今の所はない。熱海には発電所がないのだから、どこかからの送電のはずで東電が駄目ならこの町全体が駄目ということである。まあ東電が駄目なら日本全部が駄目だから「なんとかせい」という他言いようが無い。小屋暮らしをしているわけではないのだから、ガソリン供給含めたインフラ整備は政府の責任だろう。なんのために税金や料金を払っているのか?と文句を言うだけだ。

 ほどほど町から離れた山の上の耐震構造の建物というのが僕の結論だった。だって都内の耐震構造のマンションに住んでいて震災で大家が出て行けという避難民の一人だったからである。ちっとも建物の損壊はなかったのに遺産相続のあおりを食らって立ち退きを強制された。建物自体を壊して土地を売りたかったという事である。弁護士入れて400万ほど金をもらって立ち退いたが、また地震がくることを前提に立地は山の上=津波無しという事にした。だから海辺のリゾートは選択外である。100キロ圏内に原発無しが前提でそんな避難はしたくない。浜岡は止まったからトラフが来ても大丈夫かな?使用済み燃料の保管のほうが心配だがまあそれは僕は知らない。

 7年で熱海は激変した。7年前が過去最低でそこからどんどん盛り返して今は活況を呈している。少しづつ新しい店が出来たり、新しいホテルが出来たりしている。駅舎も新設されて観光客が押し寄せて混雑度合いが酷いぐらいだ。僕は移動に関しては鼻が利くほうで、最低の年(2011年8月)に静岡に移転した。株価でも大底だった。不動産は底で買って1回転がして買い乗せした所ということになる。自家使用と家族用使用だから投機ではないが、値はつくからいずれは金が動く。リゾート定住という新しい老後のスタイルは熱海で盛んになった住み方だが、その回転は男で10年、女で15年ぐらいが標準だ。
60−65歳で買ったら70−75歳で売って死ぬか病院、施設送りが男のケース。60−65歳で買ったら75−80歳で売って死ぬか病院、施設送りが女のケースだから、都市部の不動産より回転が早いのである。クルクル転がるから結構面白いなと思う。

  矢野さんという今年古希を超えた日本で一番たくさんリゾートマンションを売った不動産会社の役員さんの弟子からマダムにマンション住み替えのご案内が来た。玉が少ないから売ってくれという事なんだろう。べつに月10万の管理費がもったいないとも思わんし、34万の固定資産税が惜しいとも思わんのでまだしばらくはマダムは売らないと思うが、僕が死んだら運転手がいないので駅の付近まできっと降りるんだろうなと思う。マダムは59歳だから一人でまだ15年は生活できるだろう。1100万で買ったスコーレが5700万で売りに出ている。https://www.royal-resort.co.jp/b_detail.php?id=21786
アホか、そりゃボリ過ぎだろう?と思うが人の欲にはキリが無いな。

イメージ 2


優しく弱い家族と厳しく強い家族

都市が失うもの

イメージ 1


 晴耕雨読どころか晴読雨読ぐらい毎日本ばかり読んでいる。飯と風呂と炊事と場帳以外の時間は昼寝をしながらずっと読書している。まあ平均で毎日文芸書のハードカバー2−3册というハイペースだから未読の在庫が300冊ぐらいあってもあっというまに半分ぐらいは既読に変わる。すると「こいつすごくいいね」というのが何人か出て来たら、こんどは函南図書館にいって開架、閉架合わせて当該作家の著作総てを借りて読む。1回十冊まで借りることができるのでまあ1週しないでほとんど読みきる。活字中毒というのは恐ろしいもので、文字を酸素のように消化して二酸化炭素のように排出する。排出するものは目に見えない「何か」なんじゃないのかと想像する。言葉というのはそういう呪いを持っているなと思う。
 新刊書籍雑誌販売というのが町の本屋の正式な職業名だが、僕は父親の本屋を継がなかった。3店舗ほどあった書店のうち2店舗は借り店舗だったので閉めて、自宅の店舗にはずっとその後も母が住んでいた。商業地だったので17号国道沿いのりそな銀行本店の斜向いの一等地だったから、その後しばらくして売ったら1億近い値で売れた。相続税を支払った後にそれは老後の母の生活資金になった。

 祖母も母も長寿だったから我が家は女子はきっと長生きで男子は早死にする家系なんだろうと思っていた。兄が生後8ヶ月で死んで、父は61で死んだから、まあ僕もそんなに長くはないんだろうと思って自分で引退を40歳に決めたのだ。20年もあればほとんどやりたい事は出来るだろうという予想だったし、事実したいと思ったことの大半は既に何度も過分にしてしまったような気がする。向上心なんて元来ゼロだから、もっとこうしたいというような事は40歳以前でほとんど無くなってしまった。唯一出来ていなかった事というのが「死ぬ程本を読む生活」ということで、現在僕はそれを死ぬ前に真面目に実行している最中であるという自覚がある。姉が今年の6月に71歳で死んだから僕にはあと8年ぐらいの時間があれば幸運な方なんだろうか?と漠然と思う。姉は健康で積極的な人だったから、こんなにあっさり死ぬとは自分もきっと思っていなかったろうが、人の命というのは家族でもわからない。今日、さくらももこさんが死んだという報道があったが53歳で乳がんだというから、50歳を過ぎればいつ人は死ぬかもしれないと思って生活したほうが良いなとつくづく思う。さくらももこさんは東中野の僕の近所に住んでいたことがあったのね。

 どうせ一度の人生だから、その貴重な時間は自分のなるべく自由に生きたいと僕は思う方だったから、自由であれば他のことは大抵我慢することができるほうだろうと思う。貧乏なんてちっとも実は困らない。でもそうは思っていても貧乏することが一度もなかった恵まれた人生だった。きっと用意周到なんだろうと思う。困る前に解決してしまっているタイプなのね。若い時(30歳ごろから)結構金周りがずっと良かった幸運な人生だったので、人並みの贅沢は総て実行してそのほとんどにうんざり飽きているせいなのか欲しい物をもうほとんど見つけることが出来ないという不幸な目に現在は遭っている。だから生活に変化が欲しくて通貨至上主義経済圏の都市部の生活を7年前にきっぱりと棄てた。まあ田舎は仙人暮らしのようなもので大金の個人的な使い途はほとんどない。豪邸をドカーンと建てるとかパチンコ屋をドーンと建てるとかそういう類いの欲望があれば良いのだろうけれど、まったくその手の金の使い方には興味が元々無いのだから邪魔なだけである。第一そんな面倒なことをすれば読書の時間の大半を取られてしまう。何かに時間を取られる事ほど不自由な事はないからだ。時間は金の10000倍貴重だと僕は思うので、リーマンは絶対にしないと25歳の時に既に決めていた。通勤、会議、移動などすべて時間の無駄ばかりで全く僕の人生にとっては意味がない。それら総てが僕の貴重な人生を無駄に変えてしまうと感じたからである。

 

イメージ 2


さて昨年から、米の品種を変えてみた。前は魚沼のコシヒカリを友人の農家から買っていたのだが、今年から北海道のななつぼしというブランド米に変えた。食味ランキングというコンテストがあって、七つ星が特Aをずっと獲得しているのではやり旨い米のほうが良いなと思ったので変えた。
魚沼はキロ2000円だったから5キロで1万だったが、これは天日干しだった。でもななつぼしのほうがやはり旨いのだな。気候変動よって米の味も変化するということである。
ななつぼしは10キロで通常4680円なのだが、セールで200円引き、更に僕はTポイントというのが毎月1000−2000とかつくので、1000円から2000円割引になる。つまり10キロ4680円が2900円ぐらいで送料無料で買えるのだ。しかもこれがまた400ポイントぐらいつくので、実際は2500円ぐらいで買えることになる。キロ250円だ。以前の1/10ぐらいに下がった。米や水は重いので持ちたくないから通販が便利だ。こうやって重いもの、かさばるものはみんなネット販売に行き着くんだろうと思う。どうりでスーパーやデパートが売れなくなるはずだ。僕のように一家族の奢侈が田舎に行くだけで伊勢丹新宿は年間500万ぐらいは売り上げが下がったはずで、バーニーズも同じように客を喪った。都市部の通貨史上主義経済圏は飽きられているんだろうと思う。アマンダブルックスも同じ事をしている。田舎やリゾートのほうが自由で優雅でオシャレでカッコイイからだ。だからか、熱海には都市部からの移住組がどんどん増えているようだ。熱海の不動産はここ数年で20−30%価格上昇が起きている。中古マンションが売れ過ぎて在庫不足なのだが、新築する土地がもうほとんどないのである。だから中古が上がって回転が効いているのだろうと思う。トウシロウの僕が7年で3つ買っているのだから、、。需給が締まるのは当然だな。

SOLO LIFEと肉料理

イメージ 5


4時間かけた完成形

イメージ 1
産直の唐辛子。カレーはこれに限る。7本使用で激辛

イメージ 2

これ安くて本格的なビーフシチューです。ドミグラソースなんて使っちゃ駄目よ。

イメージ 3


 
男子が(あるいは女子が)一生を通じて幸福に生きる秘訣というのを真正面から考えてみよう。飲んで食って番って出して寝る。一生とはその質的な無限反復を言う。質は個人の才能と努力と運に依存するから最低から最高までいろいろだ。高い方が楽しいに決まっていると思うな。仕事なんて下らん事をしている時間は少ないほど宜しい。人生には金儲け以外にも素敵な事が多すぎると僕は思うな。下らん事は最低時間で十分だと思う。
 時代と環境にも大きく左右されるんだろうが♂として選ばれる対象としての要素は以外と単純な気がする。♀は現実的で保守的だから(なぜなら生存確率を上げるのが♀の最大の母性本能だから)、駄目な♂と番う必然性は全くないのだな。♀♂で生涯未婚率に2割ほどの劇的な差異があるのはそのせいだと思う。駄目な男(あるいは女)とセックスする必然性は全く無いのである。それこそ時間の無駄である。それをすれば子孫がまた駄目になる遺伝確率が上がるからだ。この点でホモサピエンスは既に量的飽和点に達した感があるので、生存本能自体に瑕疵が生じている部分が先進国の個体では顕著に発生しているという自覚がないんだろうと思われる。まあぬるま湯に浸かり過ぎて大半が能天気なんだな。自分の遺伝子が生き残らないでも良いかというのは脳の損傷の程度が致命的だろうと思われる。(爆)

 ここがポイントだが、その駄目かどうかという部分の具体条件は意外に昨今はプリミティブになってきた。イクメンとかカジメンとか、育児や家事の能力が優れていることが♀に選ばれる要素で大きな比率になってきたのは、♀も外で働くことが当然視されるようになってきたから雄が家事をやるのは実際の毎日の生活に必然的に不可欠の要素になってきたからだ。「飲んで食って番って出すこと。」生命はこれ以外の要素で生存の決定因などないのだが、そこを押さえている個体は多くないという事実である。多分大半が馬鹿だから?(爆)
 他にも後期資本主義体制下という特殊条件下では稼ぎがデカイ、金持ちだ、頭が良い、コミュ力が高い、生殖能力が強いとかいろいろあるんだが、要は個体としての生き残りやすい特性を持っていることだ。
 昔のように♂が一家の長として大きな所得を得て家事にお手伝いさんや執事を複数雇えるようなスケールの富豪は例外として、普通の一般家庭では自分でやるか、アウトソーシングで買うかしかサービス使用の選択肢は無い。コンビニが流行るのは、家事サービスの最大項目=料理と食事を手軽に製品として手軽にいつでも少量でも買える(弁当とか調理品とかお菓子とか)。だから親が富豪で自分も一生富豪だという人は別として99%の人は自分で基礎的なサービスを上手に日常的に実行できることが幸福の前提条件になると思う。つまりソロライフであろうがペアがいても子供や孫がいても、基礎サービスがちゃんと上手にできる事が幸福な生活の基本である。金の要素も無いではないが、たくさんあれば良いというものだけでもないなと思うのだ。あっても上手に実行や使用できないなら馬鹿と同じで豚に真珠。
 ソロライフの時代前期(結婚する前の時代)とソロライフ時代後期(離婚後の時代と片方が死んでソロになったシングルアゲインの時代)のどちらでも、健康で料理が出来て家が奇麗に整って清潔でマシな身なり(服と車)がある事が♀の排除条件を覆す最低限度の常識性、社会性の自由度の担保価値ということだろう。高潔なイデオロギーの病弱で不潔で貧乏な革命家なんて絶対にモテナイのだな。そんな青臭いガキよりメルセデスやジャグアーで迎えにきて、素敵な別荘でカリフォルニアワインなんて開けて素敵な肉料理と温泉でモテナシて、ジルドルーズやミッシェルフーコーの存在論を語るキザなインテリ金持ちのほうが数倍モテルに決まってらあと経験からは思うのだ。
「数億は余分でいらない金があるから、結婚して仮に俺が先に死んだらいくらかは多分遺産があるぜ」とわかりきった男なら金に困った美女がいくらでも集まるのは四国の富豪を見ても明かだろう。年齢差があるほどその確率は上がるから当然な組み合わせということになるんだな。特段、愛も糞もないんだなあ、幸福っていうのは現在の現実生活状態を言うのであって、それに近いのは何か?を真面目に考えて今すぐ実現する必然性がある具体物なのだ。そこのリアリティに男女差が顕著にあるから、未婚率の男女差が埋まらないのである。田舎暮らしが嫌いな女は都会のリッチライフと便利が好きなのである=つまり貨幣経済が好きなのである。

 

イメージ 4


赤ワインに一晩つけた伊豆牛


さて肉料理が好きな女子が激増中だ。肉料理は魚と比べて作るのはすごく簡単だ。火加減と副素材と調味料でほぼ決まるから金と練習で少しやれば馬鹿でも上達する。焼き肉なんて良い肉と備長炭とロースターの良いのがあれば専門店に行く必然性なんてほとんどないよ。馬鹿でも出来るから。
少し手がっかったビーフシチューでも素材の肉の塊の善し悪しで味の7割ぐらいが決まるが僕は大仁という場所にある伊豆牛専門店(牧場が経営する平井精肉店という店)の角切りを使用するのだが、このブロックはデカイ。1ブロッグが80グラムぐらいと巨大だから、普通の肉屋の4倍ぐらいのサイズだ。刺しの入り方も上等で、とにかく飼料が一流なので肉質が素晴らしい。それで100グラムで450円とバカ安いのである。これを食べると他のブロック肉は食う気がしない。4人分で600グラムとして肉だけで3000円だ。これぐらいの材料を星レベルのレストランで使用すると一皿5000円は当然だと思うな。4人で食べてワインを開けると安くてまあ8万前後だろう。そういうレベルの幸福を自分で作って食べるのは楽しいなと思うよ。レシピはルマンジュトウの谷さんのが良いよ。
平井精肉店は通販もやっているからまとめて3万ぐらいいろいろ買って冷凍すると便利だ。昨今は冷凍庫の良いのが安く売ってるから(コストコなら300Lで数万だ)良い材料をネット宅配するほうが日本中から良い食材を買えて安全で便利である。外食なんて何を使っているかわかったもんじゃないから安いのは危なくて食う気がしないのだな。

 三角関数やマーケティング理論や英語教育の強化も良いが、ビーフシチューの美味しい作り方とかカルビや鮑の美味しい焼き方やわかりやすい幸福実現のための具体策を教育をしないんだろう?馬鹿じゃねえのかなあ?大量に忠実な愚民を作るという目的しか持っていない公教育の欠陥を親が指摘しないからなんだろうなあ。愚民再生産システムの確立が自民党のやっている教育改革って事なんだけどなあ、、。
友だち
白猫次郎
白猫次郎
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(16)
  • ベトナム
  • Mr.Blank
  • key09.hatenablog.com
  • rem。
  • タートル
  • pka
友だち一覧
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

開​設日​: ​20​13​/1​2/​21​(土​)

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン

みんなの更新記事