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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

書庫日記

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 今月の &Premium というマガジンハウスの生活雑誌の特集は 2拠点居住を実行している家族10組の具体例を載せている。平日は都市部で仕事をして休日は田舎の別荘や山小屋で自然に囲まれた生活をする家族。あるいは旦那が都市部で単身赴任で妻と子供は湖畔で動物とリゾートライフをするとか、田舎に移住してネットのお仕事と農業で生計を建て都市に小さなアパートを借りて必要な時にはそこを使うとか、企業のリーマンで縛り付けられるような不自由で非効率な時間とコストを嫌った有能な自由人たちのハッピーライフを特集している。こういう暮らしを自分で組み立てられる人は頭がすごく良いのでどんな状況になっても独自の力で豊かに生きる知恵と力があると思う。30代から80代まで何歳でもやる気のある人なら出来るという事だろう。気力と体力と頭脳と身体が健康なら可能な素敵な暮らしだ。どうせ一度しかない人生なんだからたっぷりと楽しまないと損だという快楽主義者のほうが実行力があると思うな。きっとストイックなのは浮かばれない世の中なんだろう。ストイック=引きこもりが同義語化している昨今だな。まず好きで得意な事を中心に仕事と生活と家族を考えているから、他人の意思で自分の生活が大きく乱れない。つまり「明日、どこそこに転勤しろ」なんていうグローバル人材(爆!)のようなチンケな労働条件などを受け入れる必要性が全くないということだ。つまり平たく言えば自営業のような人でないと無理だろう。そういう人の比率が現在では人口の5%ぐらいまで減少してしまったから、反語的に相対価値が増すという現象がおそらく生まれているのである。みんなが「いいなあ、、そういう暮らし」という奴だ。出来れば俺もしたいなあとみんなが思う仕事と暮らし。金だけあっても多分出来ないと思うな。

  時間と場所と人 この3要素をどう変化させて生活全体を自分の好きなように組み立てるか?という発想で自分の人生を設計するという思想は至極真っ当だと思うが、会社員になるとこの3要素をほとんど最初から会社の都合で規定されてしまう。だから「自分の頭で考えて工夫する」ということをしなくなる、というか出来ない頭の構造になる。だからそういう人が引退するとすぐに痴呆化してしまうのだろう。勤務地も勤務時間も勤務内容と所得が人(家族の)限界値を規定するから、どうも窮屈な事になってしまい、自由な生活をしたくても仕事のせいで出来ない。都市生活は貨幣による物とエネルギーの交換生活と同義語であるから、まずは貨幣収集生活にほぼ全員が没頭する。しかも無限大の時間を無限大規模の貨幣収集に没頭するのが資本主義のテーゼなのだから、それに逆らうという事は物的優位性から遠い場所に置かれることになる。その葛藤で起きるのがアル中と鬱病と相場は決まってると周囲を見て思うな。そこにしか逃げ場を見つけることが出来ないのだろう。

果たして自由な生活に無限大の貨幣が必要か?と言えばそんなことはほとんど無意味である事のほうが多いよな気がするのだ。基本的な生活にそれほどの貨幣が必要なら人類はこんなに膨大に繁殖は(地球人口で70億)しなかっただろう。あくまで貨幣信仰とは脳内幻想に過ぎないと僕は思うな。

 内田さんが「マルクスを読もう」という若者向けの本について、今後AIがアメリカで実用化されると総労働人口の30%程度が失業する事態が生まれ、それが社会を酷い状態に変えるという予測を書いている。いわゆる「マッドマックス的未来」を予想している。貧富の二極化の行き着く先の世界をどう修正するかについて、マルクス的な手段=生産手段の国有化(あるいは公営化)と所得配分の公平化が、人類生存の鍵になるという考えを書いているので引用する。そんな事にならないように、まずは自分の力で生活できるような力をつける事だと思うな。
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あと一つだけ書き加えておきたいことがあります。それはもしかするとアメリカでマルクスの再評価が始まるかもしれない・・・というちょっとわくわくするニュースです。
僕は『フォーリン・アフェアーズ・レポート』というアメリカの外交専門誌の日本語版月刊誌を定期購読しています(日本のメディアがまず書くことのない「アメリカの本音」が赤裸々に吐露されているので、「宗主国」の人々が今何を考えているのかを知るにはまことに便利な道具です)。その今月号の巻頭論文が「マルクスの世界」と題されたもので、そこにはこんなことが書いてありました。
「ソビエトとその共産主義モデルを採り入れた諸国が次々と倒れたにも関わらず、マルクスの理論は依然としてもっとも鋭い資本主義批判の基盤を提供し続けている。特筆すべきは、マルクスが、この40年間のように、政府が対策をとらない場合に先鋭化する資本主義の欠陥と弊害のメカニズムを理解していたことだ。マルキシズムは時代遅れになるどころか、現状を理解する上で必要不可欠の理論とみなされている。」(ロビン・バーギーズ、「マルキスト・ワールド 資本主義を制御できる政治形態の模索」、『フォーリン・アフェアーズ・レポート』、No.8, 2018, p.7
アメリカではあと少しでAIの導入による巨大な規模の「雇用喪失」が見込まれています。控えめな予測で14%、不穏な予測で30%の雇用がオートメーション化で失われます。失業した人たちを「機械化で失職するような先のない業界に就職した本人の自己責任だ」といって路上に放り出したら、アメリカの路上を数百万を超えるホームレスがうろつくことになります。市場は縮減し、経済は破綻し、治安も公衆衛生も悪化し、行政サービスも途絶えた『マッド・マックス』的終末論的光景が広がることになる。なんとかして完全雇用の手立てを講じないと破局が到来することはもうわかっているのです。でも、新技術を導入して人件費コストを削減することを企業経営者に断念させることはできません。ここで政治と経済が対立することになる。
資本主義社会のさまざまな矛盾は「富裕化する資本家」と「窮乏化する労働者」の絵に描いたような対立として尖鋭化しています。資本主義が延命するためには、どこかで市場原理の支配を抑制し、資本財を広い社会層に分配し、完全雇用を実現するための政策的介入を行わなければならない。もちろん「そういうこと」を僕たちは学生時代から何万回も読んだり書いたりしてきましたけれど、同じ言葉をアメリカの政治学者やエコノミストが口にする時代になったということに、僕は少なからず驚いています。アメリカ人たちがマルクスを読みなおす時代が来るのでしょうか。これがアメリカとマルクスの「かつて一度失敗した出会い」の仕切り直しの機会になってくれるといいんですけれど。
                         内田樹の研究室より転載
 

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孫たちがやっと帰った。スゲー疲れた。気晴らしに、今夜は焼豚と煮卵を作る。

高齢化率と転地効果

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浴衣のキミはススキのかんざし?
 

高齢化率(人口に占める65歳以上の人口構成比)がどんどん上がっているらしい。
統計値では2060年までずっと上がり続けるということで、あと40年以上はずっと老人がどんどん増えて日本は耄碌大国まっしぐらだから、この先は真っ暗日本を覚悟したほうが良いのは当然だと思うが、それでもなんとかそういう状況の中でも知恵を絞って楽しく暮らすには、現役の人のお邪魔にならない老後の生き方を準備工夫するのが良いんじゃないか?と僕は思う。五木寛之も同じ事を書いていた。平たく言うとカッコイイ老け方と死に方という事である。アンチエイジングなんて見た目のお馬鹿な戯れ言なんかでごまかしても人は必ず老けて死ぬのだから、現実を正面から見据えよと言いたいなあ。現実を見ないふりで人生をごまかしてもすぐに底割れするぜ。

 子供や孫のいる幸福な老人はその家族の役に少しはたつようにしたら良いだろうし、いない人は友人や疑似家族などと連携して孤立しない楽しい老後環境を作るようにしたら良いのだと思う。先日83歳の爺ちゃんボランティアが2歳の行方不明幼児を救出して拍手喝采を浴びたが、まあ普通の老人にはなかなか出来ることではないので真似してかえって現場の足手まといでお邪魔になるのが落ちだから、災害が起きても義援金でも送って見ているほうがマシだろうなと僕は思う。

 看護でも介護でも年金でもそうだが、現実は自分がどれに御世話になっても税金がかかる。だから人に迷惑をかけない老後というのは、自分の金で自由に生きて人の御世話になるべくならないで、人の御世話を少しは自分の出来る範囲で実行して暮らすというのが良いのだと思う。自立する自由な老人が良いと僕は思うな。メイ サートンなんてロールモデルになるんじゃないか?と僕は再読しているところだ。家族がいなくても立派に老後を海辺の家でペットと住んで逝っている。孤独も楽しみようがあるというインテリな死に方だな。文学や教養はそういうところですごく人生の役にたつと思うよ。人間が一番困った時、悩んだ時に役にたつことを知恵とか教養と言うんだな。馬鹿な人はそれが金だなんて誤解したまま死ぬけど。それは金が無い惨めな生活があまり長かったせいで、頭がおかしくなった人たちなのだが、そういう人が増えているでしょ?これも資本主義の限界と弊害だな。

 無理なことは続かないのだから、毎日の日常的な事を確実に実行することが廻り回って社会の役にたつ(需要を産む)という事である。それでも出来ない事、出来ない時は確実に出てくるだろうから、そういう時は堂々と人様の御世話になったら良い。そのためにもちゃんと普段は税金ぐらいは支払えと思うな。(所得税、法人税、資産税、自動車税となんでも宜しいと思う。)貧乏人が肩身が狭いのはその自覚が(社会に需要面で貢献不足の自覚)あるせいだろうと思うな。まあしかたないな、能力の個人差が(ツーか資本主義的適性と欲望の程度という下らん能力差)どうしてもあるんだから。記号の使用価値についてあまり考えていない人が増え過ぎたということだ。

 その中でも住む場所を変える=都市からリゾートへ=というのは老人向けの良いプランだ。
地方都市のリゾートは人口が減少しているからスカスカで土地や不動産が安い。だからコストが安いのでゴルフやスキーをしてもとても安い。ハルトモさんがさっそく今年からリゾマンを借りて実行している。越後湯沢なんてバブル時の温泉プール付きマンションが10万円で売っているという。冬はすごく寒いんだろうが、床暖房ぐらいは奮発して改装で入れればちゃんと住めるだろうし、広くて安いところでゆったり住むと気持ちがとてもおおらかになる。都会にいる子供や孫がスキーやハイキングにくればホテル代わりになる。こういう時は年間で多分数日なんだから、ちゃんと地方の名物料理なんて作ってみるのも良いだろう。近場の穴場までハイキングやドライブに連れて行くのも良い。僕は今年は下田の先の西伊豆にある瀧口葡萄園という場所にぶどう狩りに200キロ走って孫と行った。日本で一番大きな藤稔という葡萄を脚立に乗って鋏で切るというのをさせてみたが、藤稔の茎は8ミリ以上あるので、11歳児でも簡単に鋏では切れないのだな。しかも一房1キロ近くある重いものあって、スーパーで売っている葡萄が実際はどういう場所でどういうふうに稔るのかを目視させると良いだろうと思ったからだ。体験型の学習のほうが効果的だろうと思う。5種類の葡萄があんなふうに実っているというのは大人でさえ目視しないと理解できないと思う。ゴーヤもお土産に頂戴した。あんな蔓に出来るんだな。
デズニーランドにいくのも楽しいだろうが、イルカと一緒に泳ぐような体験スイムも子供は興奮する。背びれをつかんでいるとグイグイと連れて行かれる。まあそんなお遊びもしてみれば良いなと思った。2時間半で11000円を高いと思えばしないだろうが、所詮は金は記号と思えば別にいいんじゃないか?と僕は思うな。学習塾に行くよりいくらかマシだろ?
 僕の子供は多分子育てに疲れているから孫を数日か数週か預かって親代わりをしてやれば、一息つくんだろうと思う。普段とまったく時間も中身もエネルギー配分も変わるから老人のボケ防止には刺激の種類が特別良いかもしれない。3、4日一緒にいるとヘトヘトでマジ痩せるぜと思うな。金も少しかかるぜ。豪華にやれば毎日10万ぐらいは必要だな。
 医療用語で転地効果というんだが、実際にやってみると田舎の時間はお日様と同期するのが基本で、体内時計が自然に戻って鬱病なんて半年程度で全快する人がほとんどなのだな。やった人しかわからない。薬なんて飲んでも鬱改善の効果は無いよ。体内時計の狂いからなるんだから、時間を変えないと直りっこないだろ?どこ見てんのよ、つくづく馬鹿だねと思うな。養老先生が半年交代で大人も参勤交代をしろというのは、そのほうがきっと頭がクリアになって仕事の効率が全体的に上がると考えているからだと思う。それぐらい普段している都会の業務って無駄ばかり目立って駄目なんじゃないかな?アマゾンの奥地の非言語民族家族の時間当たりの生産性を先進資本主義の家族は超えることができないというレビーストロースの指摘にどう答えられるんだろう?(笑)

 3800万人いる老人の1/3の富裕層と中間層, 1300万人でも都市からリゾートに移動すれば、都市部の不動産価格は下がって都市部のもっと広い場所で現役世代が住めるようになるだろう。渋滞も解消するだろうし、都市部一極集中の弊害が緩和される。豊かな1300万人の老人が移動すれば(貧乏だと無理だろうと思う)それにつれて医療、介護、奢侈、サービス関連需要が地方のリゾート地付近に移転するから、均一的な分布が住み易さに繋がってくると思う。あと40年はそういう傾向がずっと続くのだからビジネスなら4回転はチャンスがある。
 おおまかに見れば、那須、軽井沢、房総、伊豆、富士五湖、京都、和歌山、六甲、城崎、別府と温泉地周辺にリゾート開発された場所が固まっている。これを有効利用しない手は無いと思うし、金と暇がある恵まれた老人がどんどん有効利用することが現役世代のためでもあるんだろうと思う。

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  宮本輝の「森のなかの海」を呼んだ。彼の本は多分20年ぶりぐらいだったろうと思う。ずっと、親子や家族について書いている大御所だから筆の確かさは折り紙つきだが、今回は彼の2001年の作品だが色あせることが全くないという点でも優れた作家である。携帯小説とはそこが決定的に異なる。例えば家族の崩壊の物語を最近の若手女子、山内マリコなどと比べてみても「子供や家族の有る無し」の描写の現象論的差異はいかんともしがたい。無いものを想像で書いても全然伝わるものが無いのは当然なことであり、あるものをあるように書くか、無いように書くかとは全く異なる質の差になるのは当然である。

 1996年に起きた神戸の阪神大震災で起きた家族の喪失と不幸の連鎖をどう再生していくのかという棄てられた妻の魂の再生の物語なのだが、これが凄い。震災で両親が死んだ、あるいは離婚して棄てられた不幸な少し曲がり始めた少女たち8人と離婚した女と息子2人の森のなかの共同生活を描く疑似家族の魂の再生の物語というような中身なのだが、まあ読んだ人しか感じない事だから、暇がある人は読んだら良いんじゃないのかなと思う。 
 嫌みな話で恐縮だが、忙しい現代では普通の人はゆっくりと優れた文芸作品をじっくり味わうような時間的な裕福さをほとんど持っていない。金儲けに這いずり回っているうちは気持ちがそういう場所には絶対到達しないから仕方が無いことだが、まあそれが一段落して自分なりの余裕ができれば何をするか、それで大体育ちがわかると言えるんだろう。書籍の売り上げが時代とともに減少しているという推移は、少子化と比例して文化と知性の明白な後退と低下の反映だと僕は思うが、マスの傾向というのはそういうものである。
マスはお手軽に流れる。「サーカスとパンとワイン」というのはギリシャ時代のネロの頃からの愚民化政策の中軸でこれはマスの性質上は多分どうしようもないだろうと思う。

 日本でお盆と正月のお休みは、忙しい人が年に2回だけ休暇を取れる貴重な期間だ。だから普段は出来ないことを僕もがんばってしようとする。それは自分の家族へのささやかな協力と協業ということだ。僕は自分の子供に対しての育児は30年ぐらい前は全く出来なかった駄目親父の口で、我が家のそれは100%マダムのワンオペだった。まあ今なら棄てられる典型的な男だろうと思う。ところが孫が来るとなんとか数日は(4、5日が限界だが)張り切る。120%ぐらい体力、気力、金を使って消尽することにヘトヘトになる。もうお腹一杯というぐらいの孫たちの欲望を散財するのが僕の夏休み(休んではいられない!)。あと2日なんとか体力を持たせて孫についていく。でもこういう恵まれた環境に僕がいるのは、するべき事を多分するべき時間に躊躇なくしてきた結果だと思うのだ。遅れれば今は絶対に無い。だから家族の人生に多分正しい事というのは無いのだ。あるのは正しい時間だけなのだ。それがいかに困難かは現実を見ればわかることだ。誰もほとんど出来ていないのだから。

なんでか知らないが、200キロほど6時間で走って、最後の30分の山道の休憩で山頂から駿河湾の壮大な背景を見ながら、孫たちはいきなりダンスを始めた。8年連続で夏休みはフジロックに行くという彼らの家族の習慣は、身体が伸びるということは楽しく踊るといういう事なのだろうと思った。僕の知らない世界を孫たちは知っている。その僕の知らない世界は実は子供たちが作っているという事実である。

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