今回からカレー粉をSBに変更してキャベツを入れてみる。
肉は合挽きからチキンに変更。少し唐辛子を増やして辛くした。
朝からこんなことしかする事がない。別段金がすごく欲しいとも強くは思わない。
自分が何か欲しいものがあるのかがもうわからないからだね。
2005年、小泉政権の時、日本は国連の安保理常任理事国になろうとしてみじめな失敗を喫しました。その時に、国際社会から日本は「主権国家」だとみなされていないという痛苦な事実を日本人は思い知らされました。日本を支持することを拒んだ国々の論拠は「日本が常任理事国になっても、アメリカの票が一つ増えるだけだから」というものだったからです。そして、その指摘に日本政府はひとことも反論することができませんでした。 今の日本には国民的な目標がありません。何もない。「経済をなんとかしてほしい」と選挙前の街頭インタビューでは有権者は言いますけれど、「なんとかしてもらった後」に何をしたいのかについては言葉が続かない。生活に困窮している人が「まともな生活ができる程度の金が欲しい」というのはわかります。でも、すでにずいぶんリッチに見える人たちまでが「金が欲しい」というのが僕にはよくわからない。「その金で何をする気なんですか?」と訊いてみたい。きっと株を買ったり、不動産を買ったり、仮想通貨を買ったりしたいんでしょう。でも、それはどれも「金を増やすため」の活動です。それは「金が欲しい」ことの理由にはなりません。でも、今の日本ではほとんどのビジネスマンが「金が欲しいのは金が欲しいからだ」という循環論法に陥っている。 これから日本はどうなるのでしょう。先ほど「潮目の変化」が来ていると書きました。僕はそう感じます。それでもまだ日本人は「次の夢」を見つけることができずにいます。 日本人はこれからどんな「夢」を見るべきなのでしょう。そもそも果たして「次の夢」を見ることができるのでしょう。この問いに軽々に答えることは自制しなければなりませんけれど、それでも一言だけ言わせてください。そのような国民を統合できる「夢」がもし存在し得るしたら、それは「これまで誰も思いついたことのないようなまったく新しいもの」であると同時に「あ、それね。その手があったか」と聞いた全員がたちまち笑顔で得心できるような「懐かしいもの」でなければならないということです。新しくて、そして懐かしいもの。そういうものを見つけ出すのはたいてい若い人たちです(老人にはいささか荷が重い仕事です)。 『街場の憂国論』文庫版のためのあとがき
文庫版のためのあとがき
内田樹 より一部転載
================================================================
いつものような内田節炸裂だと気持ちがよい。駄目な日本をそれでもなんとかしたいという内田先生は、読者に夢の答えを聞いている。それも若い人たちにそれを託している。次の夢とは具体的に果たしてなんだろう?
「これまで誰も思いついたことのないようなまったく新しいもの」であると同時に「あ、それね。その手があったか」と聞いた全員がたちまち笑顔で得心できるような「懐かしいもの」でなければならないということです。新しくて、そして懐かしいもの。そういうものを見つけ出すのはたいてい若い人たちです
僕には、それはきっと「家族」ということじゃないかと思う。しかも大家族!産業構造(つまり資本主義生産)に生活と時間と場所を分断された核家族ではない、ひとつの原始的な大きな単位の大家族。10人か15人ぐらいの大きくて緩い繋がりの数世代が共存して生活する大家族がきっと次に人類の「懐かしいもの=夢」になるんじゃないのかなあと思う。そういういくつもの大家族がリゾームのようにお先真っ暗な日本を埋め尽くす。現存の民法が無意味になるような家族の大変化が起きないと世界の大変化はきっと起きないんだろうと僕は思う。
生産するために分断された時間、人、場所、スタイルが再度統合されるためには、生活の目的は生産から消費(消尽)に移行する必然性があるだろう。つまり拡大し限界まで作りすぎた財を今度は消尽するための人口構造の発見が必要となる。 |
>
- Yahoo!サービス
>
- Yahoo!ブログ
>
- 練習用