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日記
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詳細
SALEで買ったストレッチパンツ 990円。
> 歴史というような学問が存在して以来、記録(ドキュマン)を役立て、記録に問いかけ、記録に照らして自らを問うことが行われてきたことは、まぎれもない事実ある。記録への問いかけは、記録が語ろうとしたことを知ろうとしてだけではない。果たして記録が真実を語っているか、なにを根拠にそれが真実だと言えるか?記録は誠実なものか、それとも虚偽を伝えるものか?十分調べられたものか、それとも、確かめられていないものか?真正なものか、それとも手の加えられたものか?それらをも明らかにするためである。だが、これらの問いの一つ一つ、および、すべてこの大きな危機的不安は、同一の目標をめざしていた。すなわち、それらの記録の言うーーーときにはほのめかすだけのーーーところから、過去を、記録がそこから発し、今では記録の背後のはるか彼方に消え去ってしまった過去を、再構築することである。
猫次郎は難解なテキストを読み込んで自分一人で納得しているという状態が好きだ。特段、優れた書き手、20世紀最高の才能の書き手の一人のテキストなどに遭遇すると、引用しないではいられない。それが後世から実存主義と呼ばれるか構造主義と呼ばれるか、はたまたフリードリッヒ ニーチェと呼ばれるかミッシェル フーコーと呼ばるかはどうでも良いことだ。固有名詞の区別に僕はあまり意味を感じない。
さて今年は年初から外国人の売り超しが華やかだった。3月1週までおよそ8兆円(現物と先物の合計)弱を一気に売った近年では珍しい規模だったと思うが、その規模の割には突っ込みは浅い。売っても大きくは下がらない底堅いという感触だなと僕は感じるので、相場というものが常にジグザグで動くことが習性であるという事実はいつも同じだから、大きな売りの後には必ずまたそれに応じた大きな買い戻しが入るんだろうなあとタカをくっているようなところがある。いわゆるリターンリバーサルが大規模に起きたのだから、コツンがくれば後は一気に戻るんだろうと思う。突っ込みも押しもみんな買えと対処は単純だ。どう大規模に売ってみても8411は190円を割れない。しかも値の位置は底値圏なのだから買って放置してしばらく遊んでいれば良いなあと思う。きっとそのうち上がるんだろうと思う。
そのような煮詰まり方のものが増えている。
ここにきて初心者の人が長い月足グラフ(30−50年規模の)を書いて、現在の株価の値位置が48年前より安いものがあって呆れている。48年前と言えば僕が14歳、中学2年生でちょうど生意気にタバコを吸い始めた頃である。あの頃はハイライトが多分80円ぐらいだったと思う。現在ハイライトはいくらだろう?なんと410円だ。5倍のインフレが起きている。賃金だって初任給はそれぐらい上がっているだろう。80平米の都内のマンションは現在7000万円。当時は1500万円ぐらいだったのか?僕が28歳の時(1983年)西早稲田の明治通り沿いの駅から徒歩15分の70平米が4300万円だった。坪204万円。現在は坪350万円ぐらいだ。それでも1.5倍になっている。
一方で輸入物価の下落は激しい。昨日、ユニクロの店頭セールで買ったストレッチパンツは中国製だが990円だった。元値は2900円、日本製なら普通は18000円ぐらいはするだろう。(同様の品質の僕の愛用するデザイナーブランドコムデギャルソンは30000円ぐらいはする。)3万円が1000円ということは1/30だ。デフレは凄いなあ!その意味では日本株の主力どころはデフレなんだろう。日本板ガラスは800円だ。(併合前は80円だ。)1500円していたものが80円だからこれも1/20だ。ナイガイという靴下メーカーは550円だ。(併合前は55円だ。)こういう価格がずっと続くことが自然だろうか?
価格というのは需給の結果だから理屈ではない。だから安いというのは現物株に買い需要がないということだが、需要は永遠に無いのだろうか?という問いに僕は次のように答える。
周期的に人間は必ず飽きるので反対のことをしたくなる。欲望というものの本質はそういうものだ。だから飽きれば逆の動きになることが多い。飽きる周期は通常は10年とかかかるから反対の方向に動く流れは忘れた頃にやってくる。
長期の株価変動グラフを手書きすることが重要だということは、そういう現象をどんな馬鹿でも身体で覚えることが可能な方法だからだろうと思う。身体的な動作というものは反射的に生じるものであるから、反復性がある。慣れというものが大事な要素なのだ。その慣れの中で小さな微妙な差異に気がついて自然に身体が動くようになる、あるいは動かないようになる、ということを「上達」と人は呼ぶのだろう。
さて東京も桜の開花が宣言された。月末には満開になるのだろう。春は早い。 |
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猫次郎さん、書き込みありがとうございます。
ひょっとしたらおわかりかもしれませんが、僕は猫塾でおせわになりました。 お恥ずかしい限りですが、今になっても1ミリも進歩していません。場帖はかろうじてつけていましたが、グラフは足の更新もずいぶんとなまけてしまいました。 「せめて泥鰌を捕まえる鴨くらいにはなれるかもしれない。」などとおこがましいことを、結果も出さずに書いてしまいましたが、鴨がどじょう(小金)を咥えても相場師に食われるのがおちだろう、などとほんとは思ったりしています。 しかしこの世界で多少でも稼げるようになるか、なれないかは別として、相場に参加する以上はグラフと場帖は必要です。こつこつ書くしかないと改めて思います。 >感覚はグラフと場帳を書くと誰でもできる 猫次郎さんであるからこその言葉ですが、そこに希望をもってやるしかありませんね。 僕の場合寝食忘れて没頭するくらいの時間が一定期間必要だろうと思います、それでも鴨のままかもしれませんが、シルバー時間をあるだけ費やす、鴨のまま終わっても悔いないようにやろう、と思います。 [ 小鉄 ] 2018/3/17(土) 午後 0:03
このような交錯が幻影をつくりださないで欲しいものだ。ある歴史的な諸学問が連続的なものから非連続的なものへと移行し、と同時に他の歴史的な諸学問が非連続のひしめき合いから絶え間なく大いなる統一へと向かったなどと、外見に欺かれて、考えないことだ。政治の分析においては、人々は制度や経済による包括的な決定に敏感になったが、観念や知の分析では、差異の働きに次第に強い注意を向けるようになった、などと考えないことだ。繰り返して言うが、記述についてのこの二大形態は、互いに気づかぬままに交叉している、などど思わないことだ。
事実は、それらは、此処と彼処とに提出された同一の問題であり、ただ、表面に反対の結果を惹き起こしたものなのである。これらの問題は、一言にして次のように要約される。つまりは、「ドキュマン」を問題にすることである、と。誤解しないで欲しい。歴史というような学問が存在して以来、記録(ドキュマン)を役立て、記録に問いかけ、記録に照らして自らを問うことが行われてきたことは、まぎれもない事実ある。記録への問いかけは、記録が語ろうとしたことを知ろうとしてだけではない。果たして記録が真実を語っているか、なにを根拠にそれが真実だと言えるか?記録は誠実なものか、それとも虚偽を伝えるものか?十分調べられたものか、それとも、確かめられていないものか?真正なものか、それとも手の加えられたものか?それらをも明らかにするためである。だが、これらの問いの一つ一つ、および、すべてこの大きな危機的不安は、同一の目標をめざしていた。すなわち、それらの記録の言うーーーときにはほのめかすだけのーーーところから、過去を、記録がそこから発し、今では記録の背後のはるか彼方に消え去ってしまった過去を、再構築することである。記録は常に、今や沈黙へと還元された声をもった言語として扱われてきた。その痕跡はあやふやだが、うまくすると解読可能なものとして。ところで、今にはじまったものではないが、おそらくまだ終わってもいない或る変動によって、歴史は記録に対する位置を変えるようになった。すなわち、歴史が自ら第一の仕事として課するのは、記録を解釈することでも、記録の語る真偽や表現のなんたるかを決定することでもなく、内部から記録に働きかけ、仕上げることなのである。すなわち、歴史は、記録を組織化し、截りとり、区分し、秩序あるものとし、いくつかのレヴェルに分け、系(セリー)をうち立て、十分に適合するものとそうでないものとを区別し、諸要素を見定め、統一性を明確にし、諸連関を記述するものとなる。それゆえ、記録はもはや歴史にとって、惰性的な素材、ーーーそれをとおして歴史が人々の言動や、ただ形跡だけが残っている過去を再構成しようと試みる素材ーーーではない。すなわち、歴史は、記録の織物自身のうちに、さまざまな統一、総体=集合(アンサンブル)、系(セリー)、諸関係などを、明確にとらえようと試みることになる。永い間歴史がそこで満足してきたイメージ、そこに歴史が自己の人間学的正当化を見い出してきたイメージから、歴史をひきはなさなければならない。たとえば、ずっと昔から集団的な記憶となったイメージは、物質的な記録を用いて、その思い出の新鮮さを取り戻そうとした。歴史とは、(書物、テキスト、物語、帳簿、証書、建造物、制度、取り決め、技術、物件、慣習などの)記録的物質性=素材性にかかわる仕事であり、その物質性を作品化することである。そして、この物質性たるや、いつでもどこでも、あらゆる社会において、自然発生的なものであれ人間が組織したものであれ、残存の形を与えるものなのだ。記録は、それ自身としても、正当な権利からいっても、「記憶」でありうるような、歴史の好都合な道具ではない。歴史とは、一つの社会にとって、大量の記録、歴史がそこから離れられない記録、に対して、規約を与え、仕上げる、ある一つの仕方なのである。
ミッシェル フーコー 『知の考古学』より転載
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底打ち完了で反騰開始した低位株 1日3回食事をして、1、2回温泉に入る。運動はしない日が多くて、平日は場帳を30分ぐらい書く。週末は折れ線グラフを120本分5日分まとめて書いて、月初は1200枚の月足を4−5日かけて書く。好きな本を読む。週に2回ぐらい買い物に出る。それの永遠の繰り返しをしている。たまに少し遠くに外出する。100%車で出る。旅行はそういえばしばらくしていない。リゾートに住んでいると動機があまりないからだ。東京や横浜、鎌倉は旅行とは言わないだろう。外泊してもホテルならあまり旅行な感じがしない。そもそも家がホテルのようなものだ。なんでもあるし、実に便利だから変なところにいくとかえって不便なので行く気がしないのだ。
春休みは孫が泊まりに来る。1週間ぐらい来るから猫が可哀想だ。猫は子供が嫌いである。だからどこかに隠れてじっとしていることが多い。きっとアウトレットに洋服を買いに、沼津港に寿司を食べに、長泉に美術館と庭を見に行くだろう。普段は親に買ってもらえないスキな物をすきなだけ買ってやる。爺と婆は責任がないので楽だ。安全だけ配慮して良い顔だけしていると1週間なんてあっという間に過ぎてしまう。
マダムは58で僕が62で、あと何年一緒に元気に生活できるだろう?熱海は単身世帯が40%を超えるというから、時間の問題で誰でもそうなる。夫婦の場合は男が先に死ぬのが8−9割だから、我が家の場合もそうだから安心だ。自分が残るとヤバいと思う。友人の父親がそうだった。彼は現在84歳。奥さんが60代の前半に亡くなって、一人暮らしを横浜でもう20年以上している。炊事洗濯掃除と何でも上手でゴルフ好き。子供と一緒には暮らさない。男の健康寿命は70歳というから、あと僕は8年だ。長男は現在36歳。あと8年で44歳だから、僕が70代で死ぬと長男は多分マダムと一緒に暮らすだろう。あるいは施設に入れるかもしれない。66歳の女性は元気だから、多分80歳ぐらいまでは施設に入らないで自分一人で暮らすだろう。運転が出来ないからもっと駅付近の徒歩で生活が出来る狭いフラットに移るだろうと思う。
あと8年寿命があるとすると大きな一相場の往復を乗れるかな?と思っている。
景気敏感株の主力は(5401、9101、8411、8604、7011などコア30の主体)3−5年暴騰して5−7年暴落して5年底練りする。このサイクルは規則正しい。
1998−2002年 底練り
2003ー2005年(2007年)暴騰
2005(2007)−2012 暴落
2012−2017 底練り
例外的に、非鉄は1−2年分先行して動くので、5706、5707は既に2016年から暴騰を始めいている。このまま行くと2020年前後に景気敏感株は目先の天井をつけるだろう。
5401で1000円、7011で2000円、5410で2000円というところか。上げで5倍−10倍、下げで1/10というのはいつもの通りだろうか?まあついていくだけだな。 |
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