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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

書庫日記

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C200 代車なう

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白は実物より大きく見える。
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グリルはエンブレムがセンター配置になった。

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内装はコテコテだが素材が安っぽいのでがっがりな感じ。

Cl55の12ヶ月点検の代車
走行870キロのピカピカ新車!これに乗るとメルセデスの小さい新車に乗るより、5年落ちぐらいの程度の良い最高クラスの中古車のほうが断然良いと僕は思うな。コスパでは10倍ぐらいの満足の差があると思う。脚とエンジンと音が全く異なる。
ウサギ小屋のタワマンに住む働き蜂向けって感じだ。



ヤナセの12ヶ月点検でCLを出したら新車のC200が代車で来た。
ちっこい、見た目はSそっくりで派手で内装はコテコテだが素材はいかにも安っぽい、乗り心地も安っぽいし特に音が駄目、脚は固いが粘りが無い、エンジンは軽いがトルクがない、とまあ僕は全く満足できなかった。値段は知らんが500−600ぐらいだろうから、CLの1/3なので比べるほうに土台無理があるか。大衆と高級の差と言えばそれだけの事だが、まあ乗ればわかる満足の差だろうか?
2日で飽きるから買う事は100%ないと思うな。でも30代から50代のリーマンには良いんじゃない?と思う。トヨタ乗るよりは押し出しが強いし、ブランド力があるから見栄えが良い。いちおう小ベンツだし、、。
 僕には9年落ちのCL55の味が最高なので、どうも現在のところ他のメルセデスを買う気がしないのだが、シューティングブレイクのCLS63AMGだけは玉があれば試乗しようかなとも思う。audiA6の4.2の走りは高級感はないが、着実でトルクフルの一語だから、どんな道、どんな天候でも安心して踏める良い車だ。サイズが小さい目だから取り回しが楽で棲み分けというか乗り分けが出来て便利だ。
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赤尾ローズガーデンの頂上より相模湾を見下ろす。
中央の白い建物が、隈健吾設計の小枝ハウスというカフェ

運動不足はまずいなあということで、本日はお天気も良いのでお散歩のために、赤尾ローズガーデンという庭園に行って来た。熱海駅から車で15分ぐらいの場所にある、バラを中心にした広い公園で山の斜面一帯が植物園になっている。

昨年、建築家 隈健吾さんが設計した「小枝ハウス」というカフェがオープンして、都内からもたくさん入場者が来ている。入場料は1000円だが、JAF会員だと800円で何名でも入れるから、会員証を持っていこう。今日は、ここから鹿が谷公園という伊豆スカイラインの頂上付近になる国立公園を散歩した。まだ桜には早いがあと1ヶ月ぐらいしたらすごい見事な桜を楽しめるだろう。熱海にきて7年目でやっと来た場所だ。
今日は5キロ、7300歩、34階分歩いた。お腹が減るね。

ミメーシスの家系樹

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天ぷら蕎麦と鴨南蛮、中野のいつもの蕎麦屋で
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母娘三代の女系
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たいめい軒のオムハヤシ


 ユングは集団的無意識としての「原型」理論を作り上げた。そこでは夢や神話や人間集団で、動物がとりわけ重要な役割を担っている。それはほかでもない、動物は進歩と退行の両局面をそなえた系列と不可分の関係にあり、この系列では個々の項がリビドーを調整する変換機の役割を果たしうるからだ。そこから一連の夢解釈が導き出される。気がかりなイメージがあったとすると、それを原型の系列に統合することが求められているからだ。こうした原型の系列には、女性と男性の、あるいは子供のシークエンスだけでなく、動物、植物のシークエンス、さらには四大元素や分子状態のシークエンスも含まれている。博物学の場合と違って、ここで系列の優越項となるのはもはや人間ではない。ライオンやカニ、猛禽類の鳥、シラミなど、一個の動物がなんらかの行為や機能との関係で、無意識の何らかの要求に応じつつ、人間にとっての優越項になることもありうるからだ。バシュラールはロートレアモンの分岐する系列をうちたて、実に美しいユング的書物を著している。メタモルフォーゼの速度係数と、個々の項がもつ完全性の度合を考慮しつつ、これを系列の存在理由となる純粋な攻撃性に関連づけているのだ。ヘビの牙やサイの角、イヌの歯やフクロウの嘴、さらに高次なところではワシやハゲタカの爪、カニの鋏、シラミの脚、タコの吸盤など、、、。ユングの全著作を通じて、比率にもとづく類似にしたがいつつ、一個の巨大なミメーシスが、その網の目のなかに自然と文化を統合している。そこではすべての系列とすべての項が、そしてとりわけ中間的位置を占めるすべての動物が、この「自然ー文化ー自然」という転換のサイクルを支えているのだ。それが「類似的表象」としての原型である。
 
 系列に沿った相似を成り立たせ、模倣によって系列全体を横切り、系列を究極の項にまで導き、ついにはこの最終項への同一化を行うーーこうした想像力の魅惑を、構造主義があれほどまでに激しく告発したのは、はたして偶然だろうか?この点に関して、トーテミスムをめぐるレビーストロースの有名な論文こそ、明確な記述を提供してくれるものはない。レビーストロースの主張は、外的な相似を乗り越えて内的相同性に向かうべきだ、という点に集約されるからだ。そこでもとめられているのは、もはや想像力の世界を系列的に組織化することではなく、悟性の象徴的、構造的秩序を作り上げることである。もはや相似を段階的に配置し、最終的に「人間」と「動物」とが神秘的な融即のうちに同一化するところに導くのではない.
差異を秩序づけ、関連相互の照応性に達することが求められているのだ。なぜなら、動物は種の示差的関係や、弁別的関係にしたがって分類されるのだし、また同様にして、人間も所属する集団にしたがって分類されるからだ。トーテム制度では、ある人間集団がある動物の種に同一化するという言い方はされない。集団Aの集団Bに対する関係は種A'の種B’に対する関係に等しいと言いあらわされるのである。ここには、先のものとは根本的に異なる方法がある。つまり、二つの人間集団があり、それぞれが独自のトーテム動物を持つとすれば、二つのトーテムが二つの集団相互の関係に類似した関係にとらえられるとき、どのようなことが起っているのか、たとえばカラスのタカに対する関係はどうなっているのか、考えてみなければならないというのだ、、、。

 このような構造主義の方法は大人と子供、男性と女性など、他のさまざまな関係にも適用される。たとえば戦士と少女が驚くべき結びつきを示す場合、両者をつなぎあわせるような想像力の系列を作ることはひかえるべきであって、むしろ関係の等価性を有効にするような項を求めようというわけだ。たとえばヴェルナンは、結婚と女性の関係は、戦争と男性の関係との関係に等しく、そこから結婚を拒む処女と少女に変装する戦士とのあいだに相同性が成り立つ、と述べることができた。要するに、象徴的悟性が、比率にもとづく相似に、比例関係にもとづく相似を置き換えたのである。相似の系列化には差異の構造化、初項の同一化には諸関係の対等性を、想像力のメタモルフォーゼには概念内部におけるメタフアーを、自然と文化の大いなる連続には、自然と文化のあいだに相似なき照応関係を配分する深い断層を、さらに始原のモデルの模倣には、モデルをもたず、いわばそれ自体が始原であるようなミメーシスを、それぞれ置き換えたのだ。
  ミル プラトー「強度になること、動物になること」より転載
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マダムが12年やった東中野の花屋をこの3月末で閉める。娘はその4軒となりに3倍のスペースを新たに借りてアルバイトを二名雇って花カフェを新規オープンするそうで、取り壊し前にいろいろ道具や資材の運搬に東京にワゴンで出かけた。朝6時に出ても中野についたのは9時過ぎだから、朝の東名は川崎から激混みだった。周辺まで含むと3000万の人口の圧倒的な量というのを思い知る。こういう過密な集積的な場所で僕は55年も生きていたんだなあと感慨深い。運転手以外にはすることは無いので、古本屋に行くとかデパートでたくさん買い物するとか美味しい食事をするとか、普通の純粋なおのぼりさんを楽しんで10時に無事熱海に帰った。
 昔より体力が無くなっているのか、たったの300キロほどのドライブが結構疲れる。
息子も娘も孫も全員元気で良かったなあと思う。我が家系樹はどんどん拡大する一方だから、少子化とかは他の惑星のお話で、毎年どんどん賑やかになっていく。結婚が早い、出産も早い、金儲けするのも早い(ほぼ全員が30歳までに自立して自分の会社を起こしたり、店を開いたりする)と家系樹の特性はノマド的。
きっと親と一緒に暮らして親の仕事のやり方とか餌の取り方、時間的な行動とかを見ているから、どこかで無意識の刷り込みがあるんだろうと思う。いちいち教えていないことだが、やはり生き方の基本は似てくるのは不思議だなあと思う。30代で億を稼ぐようなミメーシスのやり方はどれも似たようなもんだろうと思うな。ある種の無謀さなしには達成できない何かということ。非言語的な知性とでも言う何かか、、。

 今のところ、孫の男女比は1対3で女子拡大という伝統そのものだ。僕の兄弟の男子は僕だけで姉と妹で1対3、マダムの家系も同様に1対3で女子拡大。これを打ち破るには息子があと1名男子をお嫁さんに産んでもらう必要がある。まだ20代で若いので可能性は高いなあと楽しみだ。還暦を過ぎると欲はもうあまりないが、家系樹が拡大していくのは一番の楽しみだ。裾野が広いと金なんていつのまにか全部吸収されていくものである。

 始原のモデルの模倣には、モデルをもたず、いわばそれ自体が始原であるようなミメーシスを、それぞれ置き換えたのだ。
 
 

四ツ谷なう

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さくらは11カ月、11キロ

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四ツ谷は人がいっぱい!

中野の長男宅に行ったら孫は大きくなっていた。商売も順調に育っているらしい。
40名で8億売るというから、俺より儲けているな、まあ頑張れ!
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マダムが来たのでお花のある暮らしになりました


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沼津で一番足繁く通うのは 伊豆屋の天丼 2000円


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一方で 牡蠣フライは 湯河原が大きくて美味しい  1400円

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こういうのを見ると、過去30年駄目だったから今後も駄目と思うかな?

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スーパーゼネコンは11月天井して3ヶ月押して、切り返し始めているでしょ?
多分2番天井にならないで、前の高値を抜くと思いますね。

平成が終わる(2)

昨年末に平成の30年を総括して欲しいという原稿を頼まれたが、私が書いたのは「これから後『無慈悲で不人情な社会』が行政主導・メディア主導で創り出されてゆくだろう」ということだけだった。新年早々に気鬱な話を読ませてしまって、読者の皆さんには申し訳なく思う。でも、ほんとうにそう思っているのだから仕方がない。
過去の総括を求められたのに、これから日本を待ち受けるディストピア的未来について書いたのは、「これまでの30年を総括するためには、これからの30年を予測して、前後60年のスパンでおおまかな趨勢を見る必要がある」と考えたからである。今回はそれを踏まえて、過去30年間の総括をしてみたいと思う。
率直に言えば、1989年からの30年間は日本にとって「落ち目」の日々だった。そして、この長期低落傾向はこれから先もう止まることがないと私は思っている。「落ち目」とは具体的にはどういうことなのか、そして、なぜそれは「もう止まることがない」と私が断言できるのか、それについて思うところを書き記したい。

1989年、昭和が終わり平成が始まった年にベルリンの壁が崩壊して戦後40年余にわたって続いてきた世界理解の「枠組み」が失効した。東西冷戦構造というのは重苦しく、血なまぐさいスキームではあったけれど、わかりやすい構図だった。さまざまな政治的出来事は「資本主義対共産主義」「アメリカ対ソ連」「右翼対左翼」という対立構図の中でだいたい説明できた。その構図で説明することが不適切な論件であっても、それで説明できたような気になれた。その意味ではシンプルな時代だった。
90
年代に、その「大きな物語」が失効した。もう、「大きな物語」は使い物にならない。そんなもの、要らない。人々はそう思ったし、口にしもした。
その頃、「ポストモダン」という言葉がさまざまな文脈で使われたが、定義のはっきりしないその語に人々が託したのは「万人共通の世界理解の枠組みとか判断基準は失効した。これからは、みんな好きな仕方で世界を見て、好きな仕方で世界を切り取ればいい。国家のことも、共同体のことも、公共の福祉のことも私は与り知らない。ほっといてくれ、好きにさせてくれ」といういささか投げやりな気分であった。
それは日本ではまさにバブル経済の時代だった。ご記憶だろうが、あの時代、人々は株の売り買いと不動産の売り買いに狂奔した。高校のクラス会で最初から最後まで同級生たちが株と不動産の話しかしていなかった年のことを覚えている。私はどちらとも無縁だったので話題から離れていた。するとひとりの同級生が「内田は株をやらないのか?」と訊いてきた。「しないよ。金は額に汗して稼ぐものだろう」と答えたら、万座の爆笑を誘ってしまった。「内田、お前はバカか。金が道に落ちているんだぜ。しゃがんで拾えばいいだけなんだ。お前はしゃがむのがそんなに面倒なのか?」と意地悪く切り立てられて答えに窮したことがある。どこに金が地面から生えている国があるものか。いずれ誰かの懐から落ちたものだろうと思ったが、言っても相手にされないと思って黙っていた。それから数年して、多くの日本人が懐の中身を地面にぶちまけてバブル経済は終わった。
バブル経済とその瓦解が日本人の心根にどういう影響を与えたのかについての学術的な分析があるかどうか私は詳らかにしない。だが、その経験が日本人の心の深いところで「純良なもの」「無垢なもの」を損なったということは直感的にわかる。相当数の日本人がその数年の間におそらく生涯で最も陽気で蕩尽的な日々を送った。それが勤労によってではなく、一日何本かの電話のやりとりだけで手に入ったという事実は想像以上に深い傷を人に残したと私は思う。一つには、「額に汗して働き、真面目に生きていると、そのうちいいことがある」という素朴な条理に対する信頼が傷つけられたからである。紙くずを高値で売り抜けた人間がこの時代で最もクレバーな人間だと見なされたからである。しかし、バブルの崩壊はもう一つ、勤労への信頼の喪失よりももっと深く、致命的な傷を日本人に残した。そんなことを言う人を私は自分の他に知らないけれど、それは「国家主権を金で買い戻す」という国家戦略が不可能になったということである。わかりにくい話なので、これをご理解頂くためには少し説明をさせて頂きたい。

戦後日本の国家戦略は、一言で言えば、「対米従属を通じての対米自立」というものだった。敗戦国にとっては占領国=宗主国アメリカに徹底的に従属して、同盟国として信頼される以外に国家主権の回復と国土回復の方途がなかった。だから、この選択には必然性があった。
現に、昨日までの敵国に拝跪することで日本は1951年にサンフランシスコ講和条約で形式的主権を回復し、68年に小笠原を、72年に沖縄を領土回復した。だから、その時点まで「対米従属を通じて対米自立を果たす」という国家戦略はそれなりに有効だったのである。そう評価してよいと思う。
しかし、朝鮮戦争特需、ベトナム戦争特需というアメリカの戦争への加担によって追い風を得て、経済力においてアメリカの背を追うようになった日本人の頭の中に、80年代のある時点で、ふと「徹底的な対米従属以外の選択肢」があるのではないかという夢想がかたちをとった。
もともと60年代以降の高度成長期を担ってきたのは戦中派世代である。彼らを駆動していたのは「次はアメリカに勝つ」という敗戦国民としてはごくノーマルな「悲憤慷慨」の思いであった。
江藤淳はプリンストン大学に籍を置いていた1963年に中学の同級生とニューヨークで邂逅するが、商社勤めのその友人は酔余の勢いを借りて江藤にこう言う。
「うちの連中がみんな必死になって東奔西走しているのはな、戦争をしているからだ。日米戦争が二十何年か前に終わったなんていうのは、お前らみたいな文士や学者の寝言だよ。これは経済競争なんていうものじゃない。戦争だ。おれたちはそれを戦っているのだ。今度は敗けられない。」(『エデンの東にて』)
ここまで過激な表現を取らないまでも、1970年代まで現役だった戦中派ビジネスマンたちには「アメリカと経済戦争をしている」という自覚は無意識的には共有されていたはずである。この対米ルサンチマンは、バブル期に広く人口に膾炙した「日本の地価の合計でアメリカが二つ買える」という言葉にもはっきりと反響していた。当時、経済力で宗主国を圧倒し、「金で国家主権を買い戻す」という途方もない夢がいきなりリアリティーを持った。1989年に三菱地所がマンハッタンの摩天楼ロックフェラーセンターを、ソニーがコロンビア映画を買収したのはその無意識的な願望の表出である。

バブルの崩壊は日本人にさまざまな傷を残したけれど、誰も口にしない最も深い傷は「国家主権を金で買い戻す」という一場の夢がかき消えた失望がもたらしたものだったと私は思う。
アメリカからの政治的独立を「金で買い取る」というのは、表向きは「対米追従」姿勢を貫いたまま、事実上の「対米自立」を果たすという点では伝統的な国家戦略と背馳するものではなかった。だが、国家主権を「懇願して下賜される」のと「札びらで頬を叩いて買い戻す」のでは、こちらの気分に天地ほどの開きがある。これは日本人がおそらく世界で初めて思いついたオリジナルでトリッキーなアイディアだった。そんなことを言う人を私は自分以外に知らないが、バブル期の国民的熱狂のうちの一部は間違いなくこの「有史以来一つの前例もないアイディを日本人が自力で思いついた」ことのもたらす高揚感だったと私は思っている。
そう考えると、バブル崩壊後の「失われた二十年」という言葉に込められた深い脱力感が理解できる。それは単に金がなくなった、貧しくなったという話ではない。戦後半世紀日本人が信じてきた「額に汗して、真面目に働くことで少しずつ暮らし向きがよくなり、世の中が明るくなり、国富が増大し、ついにはアメリカから国家主権を回復して、晴れて主権国家に立ち戻る」という個人と集団を一つに結びつける「シンプルな物語」が失効したということを意味したからである。
それは、個人のレベルでは、勤労や正直や誠実や連帯といった徳目に対する素朴な信頼が失われたということであり、集団のレベルでは、一人一人の真率な努力がついには国力の向上に繋がるというイノセントな夢が消えたということである。
人間が「落ち目」になるのは、単に金がないとか、健康状態が悪いというような理由からではない。これからどう生きれば分からなくなった時に、人間は毒性の強い脱力感に囚われる。日本人はバブル崩壊時点で、戦後60年奉じて来た国家目標である「対米自立」のための手立てを見失った。またもとの卑屈で展望の見えない対米従属路線に戻るか、何の手持ちのカードもないまま対米自立路線を突っ走るか。選択肢はそれしかなかった
2009年に成立した民主党鳩山政権は「手持ちの外交カードがないまま対米自立を企てた」場合に何が起きるかを誰にでもわかるように教えてくれた。宗主国からの「処罰」が下るのを待つまでもなく、外務省・防衛相を中心とする官僚たちと大手メディアらの「対米従属テクノクラート」たちが束になって鳩山を引きずり下ろしたからである。
気がつけば、いつの間にか「対米自立という目的を失った、ただの対米従属」技術に熟達した人々が巨大なクラスターを形成して、日本の指導層の一角を占めていたのである。とりあえず彼らにとっては、この「目的なき対米従属」スキームが継続し続けることは、彼らの個人的なキャリア形成や資産形成には大きなプラスをもたらす。だから、対米従属そのものが自己目的化し、抑制を失って暴走し始めた。それが現在の日本の姿である

日本が「落ち目」になったのは個人の努力と国力の向上を結び付ける回路が失われてしまったからである。その回路が「存在しない」ということは対米従属テクノクラートたちも知っている。だから、道徳教育の強化や、「日本スゴイ」キャンペーンや、「クールジャパン」幻想や、排外主義的言説を撒き散らすことを通じて個人の努力を公的なものに向けろと必死になって煽っているのである。
日本が「落ち目」だということについての国民的合意が形成され、なぜそうなってしまったのか、そこからの回復の方位はありうるのかについての自由闊達議論が始まらない限り、この転落に歯止めはない。
               内田 樹の研究室より 転載
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昨日に続き、今日も内田さんの「平成が終わる2」を転載する。いつものように切れ味抜群のテキストを読むと、朝から僕はすっきりした気分で、一日が清々しい。テキストの内容はどうあれ、その文体の切れ味と構想の射程が素晴らしいといつも僕は関心する。きっと専門がフランス現代思想だったせいもあるんだろう、きっと武道(合気道)の達人でずっと学生時代から40年以上も同じ修行をずっと続けて来た身体的な英知が深くテキスト全体に浸潤しているから、このようなリーチの長いテキストを構成することが自然に出来るようになったのだろうと思う。とにかく彼のテキストにしろ、講演にしろ読んでいて、聞いていて大変に面白いのだ。ぜひyou-tubeで無料で聞けるのでグラフ書きのお伴に暇つぶしで聞き流してほしいなと思います。
 中国共産党の全人代で、読むべき推薦図書10冊に内田さんの「日本辺境論」が候補に挙がったそうで、その際に中国共産党批判部分だけは削除したいという要請があったらしいが、きっぱりとお断りしたということで、そこを省いたら本の意味が無いというお答えをしたそうである。他に日本人の書いた本は1冊も候補に上がらなかったというぐらいよく本質に切り込まれたテキストなのだと思う。認めていれば中国で一番売れた日本人の本ということになったろうし、たくさんお金が儲かったろうが、そういうことにあまり興味のない学者なんだと思う。そのくせチャリンコでBMWのショールームに行って、その場で「これをくれ」と言って「本当ですか?」と疑われたらしいし、その8年ほど乗ったBMWを後輩に譲って、出版で儲けた金でGQ編集長の鈴木さんに「次に乗る車は何が良いか?」と聞いて「メルセデスベンツしかないでしょう!」と言われてそれを買ったそうである。最近バックしてバンパーを擦って修理代が30万と言われて憤慨していたそうだ。なんか妙に俗っぽいから面白いなと思う。
>アメリカからの政治的独立を「金で買い取る」というのは、表向きは「対米追従」姿勢を貫いたまま、事実上の「対米自立」を果たすという点では伝統的な国家戦略と背馳するものではなかった。だが、国家主権を「懇願して下賜される」のと「札びらで頬を叩いて買い戻す」のでは、こちらの気分に天地ほどの開きがある。これは日本人がおそらく世界で初めて思いついたオリジナルでトリッキーなアイディアだった。そんなことを言う人を私は自分以外に知らないが、バブル期の国民的熱狂のうちの一部は間違いなくこの「有史以来一つの前例もないアイディを日本人が自力で思いついた」ことのもたらす高揚感だったと私は思っている。

「札びらで頬を叩いて買い戻す」という行為、金の交換価値に言及するこの部分こそが今までの日本人とこれからの日本人の決定的な差異なのじゃないかと僕は特に感じる。善悪や倫理の問題ではなく行為と生活実感の問題として深く現代日本人の心根に浸潤するほど一般化している何かなのだろう。不動産や株式の売買による利潤を「博打」と決めつける内田さんの世代が作り出したバブル経済の時代とその敗北をひきずった30年が変えたもの=それが農耕民族の額に汗して働く日本人の心の深いところで「純良なもの」「無垢なもの」を損なったという認識なのだ。
定住する民=農民=蓄積型のパラノイア  移動する民=遊牧民あるいは狩猟民=消尽型のスキゾフレスキという二項対立の図式にすれば理解しやすいのかもしれない。その比率が以前と比べて変化してきたのだろう。後者が増加してきた証拠ではないかと思う。そういう人が少しずつ増えてきたことにみんな気がつき始めたのだろうと思う。
「働く(労働する)という事に本来そんなに重大な意味と価値があるのだろうか?」という素朴な疑問をずっと僕は子供の頃から持っていて、「そんな事はしないで良いならしたくないなあ、もっと良い事、楽しい事、価値ある事がいくらでもあるんじゃないですか?」ってずっと未だに思っているから、「まあ働くってことは食うためにすることで、食えれば別段しないでもいいかな?」というような緩い生活になってしまった。そういう暮らしが出来ると思えば、従来の農耕型の労働(同じ時間に会社に行って同じことをずっと何十年もやる労働)の価値に関する見直しが起きるのは自然なのだろうと思う。それは外国の価値観が日本の価値観と対峙することから生じた何らかの変化であり、それを1989年以来ほぼ30年間ずっと負け続けてきたという落ち目の時間だったという事だろうかと思われる。だからといって、またこのまま30年ずっと僕たちの子孫が負け続けるか?と言えば一概にそうとは言えまい。
「新しい遊牧民型の日本人がリベンジを始めるかもしれないではないか?」という構想は彼の思考のリーチにはどうやら入っていないらしい。「札びらで頬を叩いて買い戻す」という行為で労働しない人たちが増えていると僕は思う。トマピケティーの書く21世紀の資本がそれに当たるだろう。