北星学園での講演
今日本はピークアウトして長期低落期に入っています。これ以上ひどいことにならないうちに、できるところから何とか手当をしなければいけない。一人一人がそう考えて、できる範囲で崩れてゆくものを押しとどめ、失敗を補正してゆけば、破局的な事態は少しずつ先送りできると思います。
それでもいまだに経済成長とか成長戦略とかいう虚しいことを言っている人たちがいます。五輪とか万博とかカジノとかリニア新幹線とか、古いタイプの産業社会のモデルにまだこだわって、「選択と集中」で起死回生を願っている人たちがまだまだ多くいますけれど、それは貴重な国民資源をどぶに捨てるような結果にしかなりません。
日本の国力がピークアウトしたのは2005年です。何の年か覚えていますか。2005年というのは小泉内閣の時です。その時、安保理の常任理事国に立候補したけれど、アジア諸国の支持を集めることに失敗して常任理事国入りを果たせなかったのです。共同提案国になってくれたアジアの国はアフガニスタン、ブータン、モルジブの三国だけでした。
すでにバブル経済は崩壊した後で、日本経済は失速しており、ここで政治大国として国際社会に存在感を示すというのがいわば最後の賭けだったのですが、それがはなばなしく挫折した。これはけっこう大きな歴史的転換点だったと思います。国際社会から日本への期待というのがどれほど低いのか、それが骨身にしみてわかった。これが大きかったと思います。世界的な政治大国だと思っていた自尊心を深く傷つけられた。それからですね、日本がおかしくなってきたのは。
それから12年が経った。もうずっと長期低落局面です。でもまだ「負けしろ」はあります。まだまだ日本は豊かです。温帯モンスーンの豊かな自然に恵まれ、社会的インフラは整備されているし、治安も良いし、観光資源もあるし、食文化もエンターテインメントも高い水準を誇っている。国民資源を見たら世界有数のストックがあります。たしかにフローのレベルでは勢いが落ちているけれども、ストックは豊かです。だから、この豊かなストックをどうやって生かすか、どう使い回すか、それが問題です。
大学だって数が多すぎると言われていますけれど、高等教育機関が多すぎるというのは、よく考えたらすごいことなのですよ。研究者がいて、教員がいて、教室があって、研究設備があって、図書館があって、体育館があって、緑地があって、プールがあって、宿泊施設があって・・・これだけの教育資源がある。単年度の志願者と募集定員の需給関係で考えるから「多すぎる」と判定されますけれど、長期的に見れば貴重な資源です。これをニーズがないからと言って、駐車場にするとか、スーパーに売るとかいうのはあまりにもったいない。他にどういうふうに活用できるのか、それを考えるべきなんでだと思います。
日本がこれ以上崩れないように、どこかでターニングポイントを迎えることができるように、発想を切り替えないといけないと思います。僕に何か特別な知恵があるわけではありません。とにかく「衆知を集めて」対話する、みんなで知恵を出し合ってゆきましょうということに尽きると思います。
今日は学校教育の危機的現実を直視した上で、どうすれば次世代の人たちに生きる知恵と力を与える学びの場を確保できるのか、それについてみんなで知恵を絞りましょうという話を致しました。僕も微力ながら一所懸命知恵を絞り、一臂の力をお貸したいと思っております。皆さん方のご健闘を祈念しております。ご清聴、ありがとうございました。
内田 樹の研究室 北星学園での講演より一部抜粋
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本講演はもっとずっと10倍ぐらい長いのだけど、スペースの関係でお尻の部分だけの引用とした。是非、全文をじっくりと読んでみて欲しい。blog.tatsuru.com
毎度の事だが、内田さんは女子大の哲学の先生だったから、その理路の展開がじつに丁寧でクドい!が伊丹十三賞をとるぐらいに論点が実に面白いから虜になるひとが多いだろうが、短期的な予測はほぼ外す。その外し方が僕はまた好きだから、常に彼のブログのファンである。
2005年をピークとして、没落する日本を憂いて、私費を投じて私塾を作り、門下生350人に武道と人生の何たるかを教えるおせっかいな爺さんであるが、教育者としては立派な行いであると思う。神戸に住んでいたら是非門下生になりたいものだが、きっと嫌がられるだろうな。
老人になって良いことがいくつかあると僕は思った。それは先がそう長くないという事で、ある意味で諦めとか諦念とか割り切りというものが自然とその人なりに生まれる場合があるということだ。
一方、未練たらたらで残りの時間をなんとか何かにしがみつくように生きる人も結構多いようだが、そういう人はきっと人生のすべき時間にすべき事をしわすれた人、出来なかった残念な人なんだろうと思う。まあすがりついて出来る事はやっておくほうが心残りが減ってよいのかもしれない。
やり残していることはさて僕に何かあるだろうか?自分の欲望や家族の欲望で達成できていない事は具体的に何だろう?物質的な事は目に見えるからわかりやすいし、その大半は必要十分以上に達成されてしまったような気が個人的にはする。おなかいっぱいでゲップが出るほど贅沢をしたような気もするし、だから実際筋分と太ったし、それで身体の動きが鈍くなっているとも思うが、面倒だからダイエットなんてしたくない。アメリカなら100キロ以上の巨漢だってウヨウヨいるのだから、70キロになってもまあ大した事は無い。高脂肪で人より十年早く死んでもそれがどうした?40歳から22年ももうたっぷり遊びすぎて飽きてしまっているぐらいだ。
健康にここまで全員がきたし、誰も深刻な病気になっている人は家族にはいない。誰も経済的に困窮することなく自分の選んだ仕事を自分のペースでこなして、比較的裕福に生活している。不満というような具体的なものが有るようにはどこからも聞こえてこない。かえってそれが無いことのほうが不幸で、欲望が希薄化してくると向上心も減って動きが鈍くなるような気もする。
内田さんの指摘するような日本の没落の現実はまだ当家には起きていないけれど、今後がどうなるのかは無論誰にもわからない。ただし裕福であるという部分はまぎれも無い事実なのだから、それを活用して今後も裕福に愉快に愉しく今日を生きるというスタイルに徹することが一番現実的な幸福であるという事実は全く以前と変化が無いだろうと思う。
美味しい食事を作ってみんなで笑顔で食べる暮らし。家族が素敵な家に済んで、素敵な服を来て、素敵な車に乗って人生を毎日楽しんで生活する。仕事も遊びも愉しく効果的に拡大再生産する暮らしといのは、内田さんの指摘する暗い未来とは随分と風景が異なるなあと思う。
ちっとも仕事なんてしないで、満漢全席を杭州で食べて熱海に別荘を買って一番高いメルセデスに乗って箱根にシャガールを見に行く暮らし。そんな具体的な幸福が一番シンプルでわかりやすいと思う。みんなしたら良いのになんでしないのだろう?といつも不思議だな。メロンを2個買って、1日2回1/4ずつ食べると完食に4日かかる。それで大抵は嫌になる。
プライムビーフにパルミジャーノチーズを混ぜたフランス製のパン粉でビーフカツレツを作ると実に旨いのね。ほんとレストランより旨いです。明日の心配をするよりも今夜のご飯を楽しむほうが数倍も大事でしょ?と僕は思うな。老人には先なんてないんだから、、。