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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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遊行の門

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五木寛之 『遊行の門』  経験的に読み応えがあると思う

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ららぽーと平塚   デカいが何も無い

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大和豚 ロース定食  平日30食限定 1000円

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自家製ピッツア レシピ   桜えびとコーンの味噌マヨネーズソース
これ実に旨いです!    老後の楽しみは料理が良い。


ウイリー シュルホルツ 1  
1956年チリ コロニア レナセル生まれ 2029年ウガンダ カンパラ没

 コロニア レナセル、すなわち「再生コロニー」はテムコから40キロのところにある。一見すると、それはこの地域に数多く見られる大農園のひとつにすぎない。しかしながら、注意深く観察すると本質的な違いがいくつか見てとれる。まず、コロニア レナセルには、学校、診療所、自動車修理工場があり、チリ人がおそらく過度の楽観主義によって「チリの現実」あるいは単に「現実」と呼ぶものに背を向けて生きる事を可能にする自給自足経済システムが機能している。コロニア レナセルは収益性のある事業である。その存在は不安を与える。そこでの祭りは、貧しかろうが裕福であろうが村人を招いたりせず、内輪で密かに行われる。死者はコロニアの墓地に埋葬される。最後に、もう一つの違いを生んでいる要素、おそらくもっともささいな事ではあるが、コロニアの内部を垣間みた者やわずかな訪問者の注意を真っ先に引いたのは、住人たちの出身地である。すなわち全員が、例外なくドイツ人なのだ。
 人々は日の出から日没まで共同作業に従事した。農民は雇わず、土地を区分けして貸すこともしかなった。表向きは、不寛容や兵役を逃れてアメリカ大陸に移住した多くのドイツ系プロテスタント分派のひとつとして通ったかもしれない。だが、彼らは宗教分派ではなく、チリにやってきたのは、ちょうど第二次世界大戦が終結したときである。
 彼らの活動、あるいは活動を覆い隠す謎は、ときおり全国紙のニュースとなった。異教徒の乱交パーテイー、性奴隷、秘密の処刑が話題にのぼった。目撃者たちは、鵜呑みにはできないものの、一番広い中庭に、チリ国旗ではなく赤地に白い円と黒いハーケンクロイツが描かれた旗が揚げられていたと証言している。また、そこにはアイヒマン、ボルマン、メンゲレが隠れていたという噂も流れた。実際にはコロニアで何年か(園芸に打ち込んで)過ごした唯一の戦犯はヴァルターラウスのみで、この人物はのちに、ピノチェト政権の初期に行われたいくつかの拷問への関与が疑われた。実際、彼は1974年に西ドイツで開催されたサッカーのワールドカップで東西ドイツが戦った試合をテレビで観ている最中に、心臓発作に襲われて亡くなった。
 コロニア内部では同族結婚が行われ、それが原因で奇形児や知的障害児が生まれているとも噂された。地元の人々は夜間にトラクターを運転するアルビノ一家の話しをし、おそらく加工を施したと思われる、チリ人読者を驚愕させた当時の雑誌の写真のいくつかには、休みなく野良仕事に精を出す、どちらかと言えば青白く真面目な顔の人々が写っている。
 1973年のクーデター以後、コロニアの話題はニュースとならなくなった。
 五人兄弟の末っ子として生まれたウイリー シュルホルツは、十歳になるまでスペイン語を正しく話せなかった。それまで、彼の世界と言えば、コロニアの有刺鉄線で囲まれた広大な世界のことだった。一家の厳格な規律、農作業および風変わりな教師たちに支配された彼の幼年時代においては、国家社会主義的至福千年説と科学信仰が等しく結びついて、それが彼の内気だが頑固な性格と奇妙な自信を鍛え上げた。
   『アメリカ大陸のナチ文学』 ロベルト ボラーニョ より転載
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 夏の仕事というのでもないが(1円にもならんが僕には大事な事だ)、トランスアメリカ文学はあまり人気が日本ではない。あえて言えばガルシアマルケスとガルパスリョサぐらいしか読まれていないようだ。第一本が売れていないし、その売れない本の中でも特に読みにくいから翻訳されるものがとても少ない。それは総じてスペイン語とポルトガル語のテキストが長いという事、テキストの背後にある文化的な教養部分がかなりないと意味も比喩も通じないから、特殊な知識を自分で取り込む努力を少なからずしないと楽しめないという最初のハードルが高いせいもあるだろう。それでも村上春樹が午後の仕事の大半を英語の翻訳に宛てたように、柴田元幸がMONKYという翻訳雑誌を勇気をもって刊行したように、外国から学ぶという姿勢はまだ日本人にも残っているとも感じるので、残りが多くない時間しかない僕にとって、なるべく奇抜で意味と感動があるような文学に接近した生活はとても大事なので、「これは良い」という部分だけでも抜粋して紹介したいと思う。

 シュールレアリズムという文藝運動(芸術運動)を知っている人は多いだろうが、その反対のインフルレアリスモという文藝運動を知っている人はあまりいないと思う。あのノーベル文学賞を取ったシュールレアリストの詩人メキシコ人の駐インド大使、オクタビオパスを批判したのは(過激に朗読会を妨害さえしのが)このボラーニョである。50歳で夭折したが、死因は肝臓疾患で、売れて有名になった途端に死んだが、元は詩人だった。
 金儲けは身も蓋も無いえげつない闘争の世界だが、文学で食って行くのはどんな国でも実に困難なことだから、才能がある、努力をするというだけでは無論だめで、ある程度テキストの質の文化度を意識的に低く抑えてアホな読者のレベルが低いほどマーケットは大きいという逆説的な商業世界であることを認識して何かを書く必要が職業作家にはある。これが難しいのだろう。高すぎれば誰にも理解されず、低すぎれば読むに耐えない。金がからむとこうしてややこしいことが起きる。芸術の形態として文学は不完全な形態なのだ。その点音楽は自由で完璧な形態だ。どんなアホでも理解抜きに感動できるからである。

 さて今日は気分転換に湘南平塚にあるららぽーと湘南平塚という地域最大の商業集積に行ってみた。4階建ての大きなビルで、元は日産の工場跡地を再開発したものらしい。三井がやっていた。店舗も広くなんでもあるがなにもない(必要なものは全てあるが欲しいものは一つもない)という地方都市の特性が明白に出ているモールだった。
でもパンを買ったり、スーパーでチーズやハムを買ったりはした。大和豚というブランド豚の生産者が直営するというトンカツ
屋でランチを頂いた。これはイケル!肉質が素晴らしい。臭みが全くないのは飼料が良いからだろう。
1時間ほど冷やかしたら、湘南T-SITE という蔦屋の本屋に行ってまた本を買った。なんやかんやと4時間ほど遊んで帰ってきた。五木寛之の「遊行の門」というエッセイを再読している。昨日は日野原医師が大往生されたようだが、普段から死を意識して生活するようになるのは還暦ぐらいからだろうか?孫が生まれれればそろそろと感じる人も多いだろうとも思う。
梅雨が明けて暑い。運転していてもあまり冷房が効かないぐらい外気温が高い。37度もあった。それでも夜明けとともに起きて、ゆっくりと温い風呂に入って朝焼けの山を見るのは気分が良い。読書がはかどるのが嬉しい。
 老人はソロライフ(一人で暮らすこと)に大半の人がこれから入ることになるだろう。結婚していてもやがてどちらかは先に死ぬ。大抵は女子が生き残るが逆のケースもたまには起きる。そのときの練習を誰しもしておいたほうが良いだろう。
遊行とはそういう時間のことである。


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1953年 チリのサンチアゴに生まれる。1968年、一家でメキシコに移住。1973年、チリに一時帰国し、ピノチェトによる軍事クーデターに遭遇したとされる。翌74年、メキシコに戻る。その後、エルサルバドル、フランス、スペインなどを放浪。

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鮨どころ 英    1500円のランチ握りだが 旨い、良いネタ!良い仕事。

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13号の巨大桃   平均400グラムある。

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中性脂肪が444で激ヤバです。


ローリー ロング  3 
1952年ピッツバーク生まれ 2017年ラグーナビーチ没

 彼は太り(体重120キロを超えた)、金持ちになり、やがて金を持つ者がみな向かう場所へと向かった。カリフォルニアである。その地で、カリフォルニアキリスト教徒カリスマ教会を創設した。信徒の数は多く、『メッセージ』を伝えるのはいたって容易だったので、風刺詩やユーモア詩を書く時間さえあった。それを読んで彼は笑い、その笑いがテクストをいくつもの鏡に変え、そこには一点の染みもなく、テキストのどこかの部屋にひとりでいる、または彼の友人、伝記作家、代理人と称する、彼と同じくらい太った見知らぬ人々と一緒に別の慈善ディナーに出ている最中の彼の顔が映っていた。彼はたとえば、レニ リーフェンシュタールとエルンスト ユンガーがセックスする詩を書いた。百歳の男と九十歳の女。骨と骨、死んだ組織同士のぶつかり合い。なんということか、と悪臭漂う広い書斎でローリーは言った。老いたエルンストがドイツ人売女を容赦なく犯し、彼女はもっと、もっと、もっととせがむ。いい詩である。老いた男女の瞳は燃えて、羨むばかりの輝きを放ち、老いた顎がきしむほどお互いを吸い合い、それとなく教訓を与えながら読者を横目で見やる。その教訓は明白だ。民主主義の息の根を止めなけれほど生き永らえさせるのか。何が彼らを不死に近い存在にしてしまうのか。流された血?聖書の飛行?跳躍した意識?カリフォルニアキリスト教徒カリスマ教会は地下に潜った。エルンストとレニが、羊の群れる谷間の燃えさかる二匹の犬のように、離れられずに交わり続ける迷宮。盲目の羊たちの谷間で?催眠術にかかった羊たちの谷間で?俺の声が羊どもを
催眠状態にするのだ、とローリーロングは考えた。だが長生きの秘訣はなんだろう。純潔。さまざまな側面から調べ、千年期を創出することだ。そして指先が、「新しい人間」の身体に触れたと思う夜もあった。彼は20キロ痩せた。エルンストとレニは彼のために天上で交わっていた。それが熱気に満ちてはいるが低俗な催眠療法ではなく、真の「燃える聖餅」であることを彼は理解した。
 
 こうして彼は完全に発狂し、「狡猾さ」が彼の身体の隅々まで行き渡った。彼には金、名声があり、辣腕弁護士がついていた。ラジオ局、新聞、テレビ局があった。アメリカ上院に友人が何人もいた。そして揺るぎない健康を手に入れるが、2017年3月のある日の正午、ボールドウィン ローシャという名の黒人青年に頭を吹き飛ばされる。(終)
   ロベルト ボラーニョ 『アメリカ大陸のナチ文学』より転載
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 今日から世間は三連休になっているらしいが、リーマン社長を辞めてもう22年ぐらいはたつのだから休みの長さなんていう感覚はゼロで、それが長いんだか短いんだか、嬉しいのか悲しいのかさえさっぱり実感っていうものが僕にはない。実際に社会的一般平均感覚的尺度なんてものが果たしてあるかどうかは知らんが、きっとそれがあるとすれば酷く乖離しているのがきっと猫の生活というもので、猫には明日も昨日もなくて今、ここしかないのだろう。30連休でも300連休でも好きなだけ休んでみれば、労働ってなんだろう?という基本的な疑問を少しは正面から考える人も増えるとは思うが、休んでいるうちに餓死する人が大半だとするとしたくても出来ないのが「休む」という行為の本質なのかもしれんなあとも思う。裕福とは実際には片務的な行為と状態なのだ。
それにしても3連休で高速道路はどこも20キロ30キロと渋滞で、こんな極暑の日に渋滞の車内ではイライラがつのって不快な行楽になんて行くのはよほどの物好きかオ馬鹿しかいないんだろうと思うが、そのよほどのオバカが日本の大多数というのはどうしたことだろうと毎度毎度思う。こういう大多数がきっと阿部に投票しているのだろうなあと思うと確かにうなずけるような気もするが、、。
 コウケンテツという男子の料理家がいるが、彼の焼豚のレシピを見つけて、普段の焼いて煮るレシピとは異なるので、さっそく安いロース肉を500グラムぐらい買って、一晩つけ汁につけ込んで200度のオーブンで両面を18分ほど焼いてみたらこれが実に良い出来で、ラーメンでもチャーシュー飯でもなんでも来いというぐらいの良い出来だった。
先週買った巨大桃は13号で、1個平均で400グラムもある。これが15個入っていると6キロぐらいで何と2000円とバカ安だから、1個150円で極上の超甘い桃が買えるのだから、今なら甲州に行って桃狩りをするのが良いだろうと思う。共選所という場所が10ぐらいあるのでこれを3つぐらい回ると良いのが見つかると思う。
 桃を毎日3つ4つ冷やして食べて、自家製のチャーシュー飯なんて食っていると栄養過多で病気になるという典型が僕の今年の健康診断だった。血液がドロドロでこのままでは脳梗塞か心筋梗塞のリスクが高いという医師の診断で、さっそく投薬開始と相成った。高コレステロール血症治療薬 ピタバスタチンを夕食後1錠服用ということで28日分もらった。まあこれで直るのなら楽で宜しいかねとも思う。

 大体、毎日好きなごちそうを好きなだけ自分で作って食って運動も労働も全然しないで食っちゃ寝で風呂でゴロゴロ昼寝と読書だけの暮らしなんだからデブになるに決まっている。贅沢病ということで北朝鮮のデブと同じようなもので、それでも痛風や糖尿にまだなっていないのが不思議なくらいである。ミサイル打たないだけまだ無害だが、大体もう欲望や興味というものが多くはないのだから、このまま心臓疾患とか血液疾患でコロッといけば予定調和みたいなものではある。貧乏で死にたくても死ねないのと比べるとラッキーなほうだろうと思う。


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14年物  樽熟成の貴腐ワイン  日本酒用の麹を使用した甘口です
蔵本直売で200本限定販売

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富士吉田 うどんの三浦屋   肉つけ汁うどん  肉は馬肉です

ローリー ロング  2  
1952年ピッツバーク生まれ 2017年ラグーナビーチ没
 
 彼は「没個性的」であろうとした。聖書の観光客や聖書の遭難者向けにガイドブックを書いた。身体に「タツゥー」を二つ施した。
右腕には彼の探求を象徴する破れたハート、左腕には彼の仕事を象徴する燃える本。また、「口謡」詩を試みた。それは絶叫でもオノマトペでもなく、聖書に対応するがその一部ではない部族に似たゾンビたちの言葉遊びでもなく、幼年時代や恋愛を思い出す農夫のつぶやきでもなく、この世の終わりのラジオのDJのように熱く、親しげに語る声なのだ。そして彼は、何かを学び取ることができるが、アメリカのラジオの電波に乗って流れる「没個性的な声」を認識できるかどうか確かめるために、「ラジオのDJ」たちと友達になる。口語的でドラマチックな声音。全身が目の人間が、全身が耳の人間の意識を身につけるまでさまよい歩く。こうして彼は何年もの間、教会から教会へ、家から家へと移動を続け、他の者たちが本を出してる間、本を出す事もなく出世もせず、しかしオルソンの理論や他の「理論」の泥水に潜り、疲れていはいるが目は見開いて、(本人の意志に反し)詩人を父に持つ息子にふさわしく書き続けた。
 ついに地下から現れたときは別人にようだった。以前よりも痩せ(身長185センチ、体重60キロ)、老けていたが、「大いなる道」へと続く、少なくとも早くそこにたどり着けるはずの近道を既にいくつか見出していた。そのころ彼はテキサス審判の日教会で説教し、かつては漠然としたその政治思想は今や秩序立っていた。アメリカ復活の必要性を信じ、それまで経験されたものとは何もかも異なるはずの、その復活の「特質」を「知っている」と信じていた。また、アメリカの家庭とそれが多様な真のメッセージを受け取る権利、シオニストのメッセージやFBIに操作されたメッセージに毒されない権利を信じ、個性とアメリカが新たな活力をもってふたたび宇宙競争に着手する必要を信じ、不治の病が共和国の体の大部分を蝕んでいること、外科的手術を施す必要があることを信じていた。オルソンを忘れ、父親のことも忘れていたが、詩のことは忘れず(短編と詩と「思想」からなる『ノアの箱船』と題した本を出し、成功を収めた)、南西部に自分の主張を広めることに専念した。それにも成功した。彼の言葉は人々に届いた。ラジオの電波に乗って、ビデオテープを通じて。実に単純だった。過去はますます早く消え去っていったが、ときおり、真の道を見つけるのにあれほど骨を折ったのが信じられないと考えることもあった。    (続く)
     『アメリカ大陸のナチ文学』   ロベルト ボラーニョ  より転載

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 男子と女子は多くの部分で身体も脳の反応も非対称だから、感覚的な事や情緒的なこと、そして特に時間的な事が全く異なる要素できっと出来ているんだろうと強く感じることがよくある。それは身体の構造上の機能差、器質上の性能差に起因しているように思う。妊娠と出産が代表例で、人間の臓器のなかで卵巣ほど劣化が早く激しい臓器はないということで(ある婦人科の高名な体外受精医の話しだ)、子供を生むなら早いほど安全で効果的であるというのが既にわかっているにもかかわらず、そういう社会的な誘導政策を高校生ぐらいの若い女子に伝えて改善策を取ろうというような女性政治家をあまり聞いた事が無いのは何故だろう?論理的効率なら早いにこしたことはないのだから、露骨な少子化防止対策をするなら、15歳で2000万ぐらいの出産奨励一時金でもつければ(20歳まで1年で200万づつ減額するようなシステムなんてどうか?)貧乏人ほど子供を毎年生むということが起きるだろう。効果のないオリンピックなんてやるのに大金を使うぐらいなら、もっとマシな国体の未来を左右するような問題に金を使うような大きな翼の政治家が生まれないのは何故だろう。アホの代名詞阿部のように前世紀のオバカな愚作ばかりを繰り返すから日本がどんどんと滅びて行くのだろう。まあ、それでも5年も愚作を言い続ければ、相当の馬鹿だって気がつくのだろうからそろそろ支持率に大きな陰りが出るのは当然で、念願の憲法改正まで保つかどうかは怪しい情勢になってきているようだ。
なんでもそうだろうが、物事の勢いというのは一端決まるとなかなか逆転するのは難しい。流れの通りに進むのが大衆の予定調和だとするのなら、このままなし崩しに崩れていくのが自然という事ナノだろう。籠池劇場にしても、文科省次官劇場にしても直接内閣府のスキャンダルなのだから、内閣官房の権力の問題点という共通項があるんだろうな。一番の高笑いは、洪水被害を地元で受けた麻生あたりなんじゃねえのと思う。

 甘糟りりこの小説を終末に2冊読んだ。1冊は3人の中年女子の不倫話しが湘南と東京で展開する「たられば」小説なのだが、元来女性週刊誌の連載ものだから読者の意識レベルは最初から期待できないから、自分は安全な場所にいて、小説という虚構での憂さ晴らしの「こんな非日常があったら主婦は気晴らしになるかも、、、」というような筋書きで大半が進む。だから「韓流スター」似の若い誠実な在日男子をセフレにして離婚した中年女子が母子家庭を支えながら地味に働くとか、大学時代の憧れの女子が金持ち奥様になっているのをクラスメートが同窓会で口説いて不倫に持ち込むが、こんどは奥様の旦那の会社が倒産して、夜逃げになるような状態で、「転落ストーリー」でザマアミロ的なカタルシスの発現期待とか手法としては実に幼稚である。まあでも読み手が喜べばそれで良いのだから、あまり漫画のストーリー批判をしても無意味なのだろうかとも思う。小道具としてレプタイルのバーキンが出てきたり(300万のクロコのバーキンを150万で下取りするとか、、)湘南の辻堂の大黒屋という老舗のトンカツ屋が出てきたりと一応事実を踏まえては書いている。こういうのは借り手が多いのか、函南図書館には6冊ほど蔵書があるのに、ボラーニョなんて1册も置いていないのだから、マジ司書の質を問われるというものだ。
はやり地方都市の文化行政なんて所詮なこんなもんなんだろうねえ、、。僕は5年で120万ほど函南町に固定資産税を払っているので、熱海に引っ越しをしても堂々と隣町の函南図書館で年間200冊ぐらいは借りていると思う。マダムのいない4日間(火曜から土曜まで)の自由な時間はほとんど本ばかり読んで暮らしているからだ。テレビはたまにニュースを見るのと(週に数回)、音楽代わりにyou-tube をつけるくらいだ。ビデオも映画もこのところ全く見ていないし、別段見たいなあとも思わない。20代の頃、毎日3本も映画を名画座で見ていたのが嘘のようだ。
 さて月曜は毎年好例の桃狩りに山梨、勝沼に出かけて共選所を3つ回った。13号の巨大桃を僕は2ケース買ったが、昨年は7月7日に同じコースを逆回りで走っている。富士山を時計回りで1周290キロ。7.8キロ/L
大人4名でフルタイム4WD、荷物たっぷりで山道をガンガン踏んで抜きまくりにしては宜しい燃費だと思う。
ルートは沼津、富士宮、139経由で富士吉田、勝沼、山梨、大月、富士吉田、御殿場、沼津というルール。
外気温の最高は37度(勝沼)で沸騰していたからアイスばかり買ってなめていた。山梨市の醸造元で3代目の杜氏が日本酒用の麹で14年ものの甲州葡萄の貴腐ワインを作っていたので買った。甘口だが絶妙に旨いというマダムの評。酒と果実と野菜を買いに1日遊んでいる。平和な老後がすぎて行くなあ、、。

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不妊女子の生態と詩の効用

ローリー ロング  1  1952年ピッツバーク生まれ 2017年ラグーナビーチ没

 ローリーの父親で詩人のマーカスロングは、チャールズオルソンの弟子であり友人であったので、オルソンは年に何日か、マーカスがアメリカ文学を講じていた大学のあるアリゾナ州フェニックスに近いアセラデロのロング家で過ごすのを習慣としていた。オルソンにとり、愛弟子のひとりとともに過ごす数日は快適そのものだった。そして、これらすべてを考え合わせるために、オルソンは幼いローリーにも深い親愛の情を抱いていて、彼に詩を本格的に読むことを教え、「投射する詩」と「投射しない詩」についての最初の個人授業を施したのはオルソン(そしてもちろん父親)だったのだろう。別の可能性としては、アリゾナの黄昏が永遠に止まってしまっている間、ローリーがポーチの下に隠れて、二人の話しを盗み聞きしていたのかもしれない。
 いずれにせよ、手短に言えば、「投射しない詩」というのは伝統的な作詞法、われわれ読者がそこに、臍や睾丸をいじったり、喜びや不幸を誇示したりする市民としての詩人のさもしさの一端を見ることが可能であるような「閉じた」詩、内面的な詩のことである。それに対し、「投射する詩」というのは、ときにエズラパウンドやウイリアムカーロスウイリアムズの作品によって具現化される「開かれた」詩、「移動したエネルギー」の詩、詩作のテクニックが「場の詩作」に対応する詩である。一口に言えば、そしてオルソンが方向を見失ったところでわれわれも方向を見失うのをよしとするなら、「投射する詩」とは「投射しない詩」の対極にある。
 少なくとも幼いローリーロングはそのように理解した。「閉じた」詩はダンやポーであり、またロバートブラウニングやアーチボルトマクリーシュであった。「開かれた」詩はパウンドやウイリアムズ(ただしすべての作品ではない)であった。「閉じた」詩は個人的な詩であり、部族の記憶の狩人(詩人)から、部族の記憶とその生成の本質的部分の受け手(読者)に向けて書かれる。そしてローリーロングは、聖書は「開かれた」詩であり、聖書の陰で動き回ったり這い回ったりする大群衆は、光り輝く「言葉」に飢えた理想の読者であると考えた。この巨大な空っぽの建物を構想したとき、彼はまだ17歳にもなっていなかった。だが当時からすでに精力的であったので、直ちに仕事に着手した。その建物に住まい、探検しなければならない、そこで真っ先にしたのは、ほかでもない聖書を買うことだった。というのも家には見つからなかったからである。それから一節また一節と暗記し始め、その詩が自分の心に直接語りかけてくることを知った。
 二十歳のとき、米国真の殉教者教会の庇護のもとに説教師となり、詩集を一冊出版したが、誰にも読まれず、啓蒙主義者だった父親さえも読んでくれなかったばかりか、息子が偉大な「変幻自在な移動の書」の陰で這い回るものたちと一緒になって這い回るのを見て恥じていた。だがローリーロングはいかなる挫折にもひるむことなく、すでにニューメキシコ、アリゾナ、テキサス、オクラホマ、カンザス、コロラド、ユタをハリケーンのように回り、その後ふたたびニューメキシコから針が逆向きに進む時計のごとくそれらの州を回った。するとローリーロング自身にも逆転が起こり、内蔵と骨が身体の外に露出したかのようで、オルソンに(「投射する」詩と「投射しない」詩にではなく)幻滅を感じた。オルソンの詩はーーー理論的に幻惑されたのと自分の無知のためにーーー読むのに時間がかかり、詐欺に遭ったに等しい気がした(『マクシマス詩編』を読んだときは、読後3時間吐き続けた)。米国真の殉教者教会にも幻滅を感じた。信者たちは、聖書の大平原を見てもその遠心力には気づかず、大平原は見ても火山や伏流を見ていなかった。彼は過ぎ行く歳月、哀れなヒッピーと哀れな売女に満ちた70年代にも幻滅した。自殺を考えるほどに!しかしそうする代わりに読み続けた。そして書き続けた。手紙、歌詞、戯曲、テレビや映画の脚本、未完の小説、短編、動物寓話、コミックのあらすじ、伝記、経済や宗教のパンフレット、そしてとりわけ今挙げたすべてのジャンルが混交した詩を書いた。       (続く)
      『アメリカ大陸のナチ文学』   ロベルト ボラーニョ  より転載

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 日常的な事を急がないで少し下手でも凝って自力でこなすような濃い暮らしをしてみると、3泊4日のマダムのリゾートステイのインターバルはなかなかこちらにも都合が宜しい。火曜に帰って土曜に来る、4日働いて3日遊ぶ、休むというのはアラ還の女子にはきっと好都合なサイクルで、これを50週ぐらい毎年やっていたら、自然に基礎体温が上昇した。前は足や尻や手の先が冷たかったのが僕よりも暖かいことがあるぐらいになったから免疫力が上がって病気になりにくい強くて良い身体ができたのだろう。好ましい事ではある。よく若い人でも婦人病で悩みが多いと聞くが、女子は毎月生理があるから血を流して生きているという宿命がマジにヤバい。だからその点の考慮を怠ると思わぬ陥穽にハマる。きっと海老蔵さんの奥さんもそいう陥穽に捕まったという事だろう。運というよりは都会人は全般的に無知で時間貧乏なのね、基本。でもその自覚はないんでしょうね、そこにいる限りには。だから転地効果なんて医者は言うのよねえ無責任にもさ。ガンなんてものはきっとその結果だろう。細胞の遺伝子のコピーミスなんだから、常に日常的な事なのだ。だから日常の質を上げる以外に方法論はない。日本中の温泉地の婆さんが実に元気なのは当然の結論という事なんだろう。だから真似れば良いということになる。
ガンにかかってからジタバタしても手遅れになるリスクが高いのなら、なんで予防的な暮らしをしないのだろう?と実に不思議だ。思考する、行動するということが出来ない人が多すぎる。それで対症療法の効く、効かないに行くしか無い。でも違う次元の対処法ってあるはずだと思考しない所が現代人のオバカな所なのだけど、まあ自覚がないので直しようがないのねえ。
ゆっくりと女子の体質が変化するのに5年ぐらいはかかるという事なのだろう。年に200回も温泉に入れば変化が起きないほうが不思議ということで、はやりリゾートライフの実益は「天然温泉掛け流し」の効果は抜群なんだろう。

 昨夜は9時ごろに42度の温めの湯に30分ほど浸かって、その後2時間ほど読書をして寝た。昼間に銀行に4軒ほど行って用をすまし(月1回のお勤め)、実に残念なロースカツランチを三島で食べて、農産物直売所で野菜を買って、函南図書館に寄って7册返して6冊借りて、文春の今月号をチラ見して戻った。真夏日なのか外気温は32度、ヒナタに止めるとクーラーが効きにくい。スコーレはグラスエリアが広いので昼間はベッドルームでエアコンを入れると暗くて涼しいから、暑いシャワーを浴びて、冷たい温泉に浸かって昼寝というのが日常である。猫が暑いので大理石のテーブルに飽きると涼しいベッドに入ってくる。早く寝ると目覚めも早く4時半には起きて、また温い風呂にゆっくり30分ぐらい浸かる。身体と湯の境目がわからないぐらい温いと汗もたくさんはかかないので苦しくならない。上がって熱くて濃い珈琲を落として(今日の豆はアラビカ神山)また本を読む。4冊ほど久しぶりに読むものが見当たらず、甘糟りりこを借りた。マガジンハウスのライターだ。ファッション、食、スポーツ、自動車などお金で買える資本主義的悦楽をブランド満載で経験的に書くので同時代性が僕と強い。まあ懐かしいと言えば懐かしいなと思うし、いまだにシッポに殻の残りが少しはついてもいるんだろうと思う。
マーガレットハウエルやコムデギャルソン、ジャグアーやポルシェやメルセデスが少し変わったにしても、タバコを止めたせいで太ってサイズアップということで、3Lが4.2とか5.5になってもトルクが太って燃費が下がって距離が減ったということは運動量が年なりに落ちているという事なんだろう。

 250グラムの合い挽き肉(伊豆牛と淡島ポーク)に卵、ミルクで溶いたパン粉、塩4グラムにナツメグと胡椒をこねる。
タマネギ半分もみじん切りでバターでしっかり炒めて冷えたら足してまた捏ねる。すると大きなハンバーグが2つで切るので(1個180グラムぐらいはある)半分は冷凍し、一つだけ厚めの鉄板で両面を焼く。オーブンを200度にして、茄子と半熟卵とエリンギを足して、200度で10分焼くとフンワリと絶妙なハンバーグが出来上がる。合挽のほうがフンワリするので僕は好きだが、孫が来たらビーフ100%に帰る。なんか肉肉しいのが好きだということで、、。
下準備の最中に慣れると、ゴールドラッシュや枝豆を上手に茹でるとかか出来るようになる。なんでも慣れとコツだろうね。

 ソースは、ケチャップ、焼き肉のタレ、バター、醤油とナツメグと胡椒で一煮立ち。これを肉と野菜はオーケーですね。マダムのときはオロシ醤油になるということで、まあ好みで上がりが変わります。
きっちり計ってはいないが、慣れればコネから焼き上がりまで30−40分だと思います。外食するのでもパレットから車出して店を往復して食事すると熱海市内でも60分では難しい。マシな所だと往復入れて3時間はかかるから、自分で作るの合理的なんですね。でも多くに人は金と暇の問題でコンビニ弁当に堕落する。スーパーに行くと、同年代のおっさんの多くは刺身とビールと冷凍チャーハンを籠に入れてますよ。これダメですねえ、貧しくて、侘しくて、悲しくてねえ、、。
ロイヤルホストの質ではダメなんですよ、もう少し質を上げると有名洋食店になるけど、タイメイケンくらいの質は日常的に欲しいでしょ?だから自分で工夫して作るしかない。それには質的な良い所を都内で複数経験する以外に方法は無いと思うねえ。

 食って、寝て、運動して排泄する。生きるというのはこの無限反復で、「労働する」という要素はどこにもない。生殖をくわえるとこれが個人から人類に拡大するだけのお話。教育とは実は正しくない歪んだ部分の幻想を個人に植え付けるものだから、「よく見て考えろ」という他にない。ポラーニョをしっかりと読むと目が少し冷めると思うな。
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いろいろ買ったIKEAの食品

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萬珍楼 前菜4種 3800円と瓶出し紹興酒十年

 日本の全盛期を支えた高度経済成長は終わりました。大量生産、大量消費という20世紀の原理は、もはや個人に幸せをもたらさず、21世紀のIT革命と金融主導のバーチャルなグローバル経済は、過剰な情報とともに、終わりのない競争を、私たちに強いるようになっています。
 それでも、都市の人々はマネー資本主義を頭に植え付けられ、会社員という幻想的な身分にこだわったあげく、住宅ローンにしばられ、朝晩の通勤電車に疲労し、望まない競争に巻き込まれています。その果てにあるのは、ひとりが総勝ちして、あとはみんな負け、という殺伐とした世界のイメージですが、先行きの不幸を自覚していても、原始的な共同体社会にはもう戻れません。
 一方で、自然と時間と人間関係が豊かなはずの地方では、高齢化と人口の急激な減少で生活基盤が崩壊する危機が、静かに進んでいます。2040年には、全国の市町村の実に半数が人口を維持できずに機能不全に陥るという、衝撃的な論考も発表されました。しかし、その瀬戸際にありながらも、閉鎖的な村社会の掟は、土地に住む人々をしばり、変化に対応した新しい取り組みはなかなか進みません。取り組んだとしても、アイデアや機動力の不足から、成果に結びつかない場合も数多く見受けられます。
 物質的な豊かさが飽和した時代に、私たちは、そのように複雑に折り重なったジレンマを背負うことになりました。それらの問題、ひとつの明確な解を与えることは、むしろ不誠実な態度だといえるほど、現代社会は人が生きるのに難しい環境です。(中略)

 中心にあるのは、すでに終わりを迎えている「経済成長」ではなく、「持続可能性」という、同時代をドライヴさせる「生きた)原理です。「失われた十年」と呼ばれた20世紀最後の十年は、拡大を続けてきた日本の消費社会が縮小へと転換する時代でした。それでも高度成長の幻影に引きずられていた私たちは、「失われた二十年」を過ごし、2011年3月11日の東日本大震災で、20世紀の仕組みや考え方がすでに通用しないことを思い知りました。
 では、次に来るスタンダードとは何でしょうか。成長第一主義から脱し、環境に配慮した持続可能な生き方が、今後、ますます問われていくことはまちがいありません。そうした流れを敏感にキャッチした人たちが集まっているのが、葉山という場所なのです。
 この本では、文化と生活意識の高い海辺の町で、その担い手となる人、場所、店を訪ね、それぞれの物語を聞きながら、次代の感性と生き方の可能性を探りました。取材をしながら発見したのは、一つひとつの小さな物語が、葉山以外の場所にも水脈のようにつながっていて、やがて大きな像を結んで行くことでした。そこから得たメッセージが、より広く、より多くの方々に届くように祈っています。

 前世紀を引きずる競争社会で必死にがんばって、その先に何がある?
 資本とか、権力とかに雇われず、自分の足で立つ。
 お金をかけないで、おしゃれに暮らす。
 個人を大事にしながら孤立せず、社会とも情報ともつながる。

 価値観の転換は、可能なのです。

  「住む場所を選べば、生き方が変わる』    清野 由美  より転載
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ステージ上の明菜ちゃんは、ユルフワのパーマネントをいきなりワンテールのポニーに結びなおして歌い出すんだね。
 
 『じれったい、じれったい、結婚するとかしないとかなら
  じれったい、じれったい、そんなのどうでも関係ないわー
  特別じゃない どこにもいるわ  ワ タ シ 少女A』
 
ご存知バブルの寵児ソバージュ明菜ちゃんはもう今年で51歳になったらしいのだが、20周年のコンサート時は37歳でまだなかなか元気だったのがyou tubeで見られるから、僕は毎月末のグラフの更新はそんなのを50本も連続して流している。「そんなのどうでも関係ないわー」という歌詞が(瑕疵が?)僕は好きなんだねよね、元清瀬の(東京都下の清瀬市 西武池袋線です)のヤンキーがアイドルになって「愛の難破船』で沈没しちゃってリストカットしたぐらいから時代が大きく曲がったような気がするんだね。

転載した清野さんの本は、東京女子大卒の感度の良いおしゃれなインテリライターが時代の変化を身体で感じてこういう風に生き方を変えて行くほうが良いだろうというひとりの宣言のようなもんじゃないのかと思う。前時代の廃れた怪物の石原慎太郎は「湘南」という地区の定義はトポロジーとして三浦から小田原の手前の二宮までとしていたようだが、アルツハイマーとボケが本格化して都合の悪い所だけが惚けるという醜い老人の象徴として日本一有名になったから、それから親父の時代が絶滅して女に時代に東京はなったというわけである。小池さんとは男より勇ましい女だから、じれったい、じれったい、結婚するとかしないとかならじれったい、じれったい、そんなのどうでも関係ないわーという世代の代表であると思う。

 僕は台風が来るらしいというので、それなら港北のIKEAで買い物して、お昼は中華街で飲茶ランチが良いかしらということで、火曜日の愉しいデートということになった。友人夫妻と4人でもV8 AUDIはとても早いが、西湘バイパスでは僕を抜いて行った白いクラウンが2キロ先で黒い覆面クラウンに捕まっていたので、「用心、用心、スピード用心ですね、だって250キロぐらい20秒ぐらいですぐに出るからです」
 マダムは花屋の仕入れでガラスベースを16個買って中野の店まで配送したらしい。僕はチョコやジュースやビールとか電球とか細かいものを1万ぐらい買いました。それにしても、萬珍楼の前菜盛り合わせは旨い。これで3800円は高価だとは思うが、他に変えがたい。日本一!!だねきっと。平日お昼に4人で2万円というランチは小金持ちの特権だろうが、引退したらそれぐらいの贅沢が出来ないなら働いた意味があまりないんじゃないのかねと思う。貧乏な人はひとり1620円の時間無制限の150種飲茶バイキングなんて店に入って毎度がっかりするのですよ。大阪でベトナムさんが入った店がそういう場所だったみたいでしょ。ちゃんと良い店で一番素敵なメニューを頼むのが一番お得で美味しいんだけど、貧乏性が直らないとソンをするんだねえ。それは社畜ばかりが増加してなんか実に切ない社会だけれど、例外的に愉しい人だって実はそれなりにはいるんですよ。

 今日はコムデギャルソンオムの白い麻パンツとアビレックスのカーゴパンツ、それにローガンの18オンスのデニムを買った。昔から僕は古着屋が大好きだ。カッコイイものが多いからと選ぶ目の差がすぐに出るから。差異化というビジュアルの差が出やすい場面こそ、お金の値打ちが何倍、何十倍と差異化されると思うねえ。
 
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