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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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クルミとレーズンのベーグル  発酵中です

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猫カフェのランチメニュー、これに珈琲プラスで1000円か

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ロベルト ボラーニョ 「アメリカ大陸のナチ文学」

「かくて人間の創造以来はじめて、人間は真に恒久的な問題ーーー経済上の切迫した心配からの解放をいかに利用するのか、科学と指数的成長によって獲得される余暇を賢明で快適で裕福な生活のためにどのように使えば良いのか、という問題に直面するであろう。」と彼は考えたのでした。
 ところが、ケインズは心配もしていました。「富の蓄積がもはや高い社会的重要性をもたないようになる」、すなわちゼロ金利の時代が到来すると、「財産としての貨幣愛は、ありのままの存在として、多少いまいましい病的なものとして、また、震えおののきながら精神病の専門家にゆだねられるような半ば病理的な性癖の一つとして、見られるようになるだろう」とも言うのです。(爆)
「もちろん、そのようになってもなお、満たされない強烈な目的意識をもって盲目的に富を追い求めるような人々が大勢いることだろう。しかし、その他の者は、もはやこのような人々に拍手し激励する義務を負わなくなるだろう。」
 まさにこれを象徴するのが、オックスファムの報告書が毎年指摘する、世界の富を独占する一握りの富裕層のことです。2016年の場合、世界の上位8人が所有する資産が、下位36億7500万人の資産と同額であったことをこの報告書は指摘していましたが、この8人に限らず、富裕層の多くが、「財産としての貨幣愛」の呪縛から逃れることができないでいるです。今後、オックスファムやフォーブスに世界の富豪として紹介された人は尊敬に値しなくなるのです。(中略)

資本主義でない「市場経済」を取り戻す
 日本のようにすでに資本を過剰なまでに保有する国では、人々の生活や企業活動は国家より小さな地方を単位として、資本が自己増殖しない経済システムを作り上げるべきです。グローバル化して取引が複雑になればなるほど、東芝の不正会計がそうであるように不正が紛れ込んでくるのは歴史の常です。ブローデルは
、市場経済を「予想外のことが起こらぬ『透明』な交換、各自があらかじめ一部始終を知っていて、つねにほどほどのものである利益が大体推測できるような交換」と説明し、資本家や経営者たちが不透明な取引から富を獲得する資本主義とは区別しています。この「市場経済」という概念が、新しい経済システムのヒントになります。
 日本やドイツのような資本の希少性を解消した国では、「ほどほど」の利益とは、ROEで見て2%程度で十分です。すでに資本が十分満たされているのですから、新規投資は必要ないわけです。利益は倒産リスクに備えればいいことになります。21世紀以降、全国企業の倒産金額がもっとも多かったのはリーマンショックがあった2008年度、14.2兆円でした。全国企業の純資産は2015年度末、636.3兆円なので、倒産リスクを考えればROE2.2%で十分対応できるのです。
 ところが、日本の企業の最終利益は2015年度41.8兆円と過去最高益を更新しています。一方、2015年度の総人件費は173兆円といまだに1998年度の173兆円を下回ったままです。「閉じた経済圏」で市場経済を実現するには、株式会社というシステムも大きく変化する必要があります。
 近代という無限に広がる空間のなかで、株式会社は「より遠く」へ行くための最適な資本調達制度でした。株式会社は不特定多数の株主から「より遠く」へ行くために巨額の資本を効率的に集めることができました。しかし、21世紀の資本が過剰な時代に「より多く」の出資を求める必要はありません。マイナス金利下でも、銀行貸し出しが伸びないのですから、企業の資金需用はもう無いのです。「閉じた経済圏」では、会社と株主など利害関係者の距離を「より近く」することで、会社と利害関係者の間の信頼を維持していくことが可能となります。

   「無限空間」の消滅がもたらす「新中世」  水野和夫  より転載
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 金曜日なのに珍しくマダムが熱海にいるので、ブランチを作って、ベーグルを焼くことにした。
ニの岡ハムという美味しいハム屋が御殿場にあって、僕はいつもわざわざ4時間往復100キロ走ってベーコンを買いに行く。2ブロック買うと6000円とか7000円なんだが、味も香りも他には代え難いということで、手間と暇をかけても旨いものが食いたいとそういうコスパ無視の生活をするようになる。
 余裕というか、無駄ばかりというか、快楽と平安に存分に銭と暇をかけられないような生活は僕にとれば「貧乏で残念な人たちの人生」という定義なんで、遊んでふんわか愉しく緩く生きる人が一番才能と運に恵まれているのだから、そういう人の比率が上がれば日本はもっと住みやすくなるんだろうとも思うね。
 今朝は根菜と紫キャベツとベーコンのスープに、ハムとクリームチーズとルッコラとトマトのサンドイッチを作った。パンは茅ヶ崎の美味しいパン屋  ブレッド&エスプレッソのバケット(290円)だ。これにオリーブオイルをたらすのが流行だ。このサンドイッチは現在はニューヨークでブレーク中のレシピをGQで見て真似た。現地で30センチで1800円だというからハーフなら900円という所だろう。原価で見るとおよそフルサイズで1000−1100円というところかな?これにスープとサラダ(トマトと紫キャベツのオリーブレモン漬け)と旨いストレートコーヒーで1000円ぐらいならどうか?と猫バルのランチメニューで考えてみた。日替わりで週に5日5メニューぐらい1日3セットとして15メニューぐらいはいるかなとも思う。
 パン系とご飯系と麺系の3つを5日ぐらい用意すると飽きないなあとも思う。麺は激辛汁無し担々麺を入れるのと、薬味てんこ盛りの牛肉ぶっかけうどんは入れるつもり。儲ける気はないので材料は良いのを使いたい。席数を絞って満員で入れない店(友達優先)にして、ビールとワインと珈琲は良いのを置く。

 音楽はジャズピアノだけ。熱海駅から予約送迎サービスをメルセデス、ジャガー、ポルシェで1000円のオプションにしたいなあと思う。現在メルセデスのsクラスで送迎しているのは箱根の強羅花壇だけだろう。1泊1部屋20万ぐらいの宿なんだよね。そういうハイクラスのムードのある花カフェがいいかなあとも思う。
イメージ 1トッピング満載の冷やっこと赤飯(炊きおこわです)ブランチ

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今日は明菜ちゃんなんてyou tubeで見てたな。北ウイング懐かしい、、。

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水野の新刊、金が欲しい人は必読かね?

不遇の国際政治学者ヘドリーブルの予言

 ポスト近代の社会を考える際、近代よりひとつ前の時代の中世にヒントを得たのが、国際政治学者ヘドリーブル(1932−1985)でした。ブルは、中世のようなシステムが、近代主権国家システムにとって代わる可能性があると言い、その証拠として次の五つの特徴をあげています。

 1 国家の地域統合
 2 国家の分裂
 3 私的な国際的暴力の復活
 4 国家横断的な機構
 5 世界的な技術の統一化

 上記の五つの特徴は、主権国家システムにおいては「例外的」情況、ないし対処不能な事態です。しかしこれら5つはブルの死後、すべて実現したと言っていいでしょうう。

1、国家の地域統合は、まさにEUそのものです。
2、国家の分裂の最大の事例は、ソビエト連邦解体(1991年1月)でしょう。他にも破綻する例が相次いでいます。
3、私的な国際的暴力の復活については、2001年の9.11以降の世界各地でのテロの常態化です。
4、の国境横断的機構は、「国境を超えて暴力に従事する非政府的集団」を指すので、2014年に一方的に国家樹立を宣言したISがそれに相当します。
5、世界的な技術の統一化はもちろん1990年代半ば以降のIT革命と金融の自由化のことであと考えられます。
 こうした5つの特徴の多くが、1991年のソ連解体に端を発していることは偶然ではありません。国民国家システムの中にはソ連も入っています。ソビエト共産国家とアメリカを中心とする資本主義国家は、フランス革命以後どちらも生産力をいかに高めるかを競ってきました。
 その一方の旗頭であるソ連が1991年12月25日に崩壊(ブルが指摘する2の特徴)したからこそ、EU実現(ブルの言う1)の可能性が一気に高まったのです。
 市民革命以後、資本主義も社会主義も市民(軍人も含む)の欲求に応えるのに、どちらが優れているかを競いました。ソ連が軍人の「過剰」な欲求に応えてその負担に耐えかねて崩壊したのに対して、資本主義は一般市民の「過剰」な欲求に十分に応えて、その役割を終えようとしているのです。ソ連の崩壊は資本主義の勝利ではなく、生産力増強の時代の終わりを意味していたのです。だから、社会主義国家の崩壊は資本主義の終焉につながっていくのです。
 国民国家と資本主義からなる近代システムは1970年代後半に限界を迎え、1990年代のその影響や対応策が具体化して現れてきたということです。アメリカ資本帝国とEU帝国の誕生もそのころでした。
 1977年の段階で「新中世主義」を提示したブルの洞察は、あまりに先鋭的で、当時の国際政治学会では異端視されました。しかし、1985年の彼の没後に、大いに注目を浴びるようになったのです。


「悪しき中世的」な現象も
しかし、今の時代に中世的現象が多く生じていることが、そのまま中世回帰の肯定を意味するわけではありません。「悪しき中世的」現象もすでに起きつつあります。
 今、挙げたばかりの3私的な国際的暴力の復活であるテロの常態化などは、その最たるものです。あるいは近年、アメリカが、日本の名だたる部品メーカーの幹部を独占禁止法に違反する「価格カルテル」などで摘発する事件が、オバマ政権時代から相次いでいます。これは罰金刑では済まされず、企業の幹部たちは、アメリカに上陸すれば逮捕され、多くは刑務所に収監されます。アメリカ資本のために、アメリカ政府は個々までの「日本たたき」をしなければならなくなっているわけですが、これは日本から見れば、もはや「より遠く」にあるアメリカまで出かけてビジネスを展開すること自体が、大きなリスクになっているということです。
 外部でビジネスを展開するだけで、ここまで苛烈な法的リスクが待ち受けているのは、非常に中世的です。
「より遠く」へ池場、中世社会がそうであったように、21世紀の現在においてもテロ事件に巻き込まれます。先述したように、2013年には、アルジェリアにあるBPの天然ガス採掘プラントの工事現場ばイスラム系テロ集団に襲撃され、現地で作業していた日揮の日本人社員10人を含む多くの人が命を落としました。
「悪しき中世」はこうしたミクロ的現象にとどまりません。たとえば、、ピケティが指摘した「新しい世襲資本主義」や、国際NGO団体オックスファムが言う「縁故資本主義(クローニーキャピタリズム)」が横行しているのです。
 オックッスファムが「貧窮拡大の一因として、大企業などが政府の規制や国際政策に影響緑を及ぼす『縁故資本主義』を挙げた。富める者の資産の3分の一は相続によるもので、43%は縁故主義に関係していると分析した」と日経新聞も報道したほどです。
 縁故資本主義とは、もともとはアジア危機の同族優遇が危機の原因だと欧米諸国が批判したときき使われた用語でした。しかし、現在は、欧米などのグローバル企業がその影響力を駆使して、政府に対して自社に有利な税制や規制緩和を働きかけることが富の集中の原因だと指摘されているのです。
 まさに、市場に任せろ、自助努力をしろと迫る社会が、中世身分社会と同じような状況になっています。こうした「悪しき中世」にどう対応するかも、「中世的)現象が起きているという自覚がなければ、何も考えは生まれていません。

「閉じる」経済圏の重要性
 重要なことは、中世システムの長所、短所を参照しながら、近代システムが抱える困難を克服するようなモデルを粘り強く構想していることです。
 たとえば、EU帝国や中国、ロシアが現在のままで、ポスト近代に耐えうるとは思えません。「陸の時代」の主役と思われた新興国も、今や経済成長にブレーキがかかり始めています。EU帝国もまた、テロが相次ぐとともに、難民問題に頭を痛めています。こうした情勢を見れば、決して「陸の時代」が安泰だとは言えません。
 現代は「海の時代」から「陸の時代」への移行期にあり、そのために「長い16世紀」同様、不動のドルを動かした1971年のニクソンショック以来さまざまな混乱や秩序の危機が起きているのです。「長い16世紀」では、宗教改革が起こって、プロテスタントとカトリックが血みどろの闘争を繰り広げました。ルターの登場から対立を集結させたウエストファリア条約まで、およそ130年かかっています。
 現在起きてるシリアの内戦、ISのテロ活動などを見ると、その姿は、宗教改革の時代の混乱と重なります。だとすれば、今回の危機は1971年のニクソンショック、あるいは1974年のニクソン大統領弾劾以来50年も経っていないのですから、その集結には、まだ数十年単位の長い時間がかかると見るべきです。しかしそれをふまえても、なお「陸」の優位性は変わらないと思います。もはや、、無限の膨張が不可能なことは明らかなのですから、ポスト近代システムは、一定の経済圏で自給体制をつくり、その外に富(資本)や財が出て行かないようにするが必要です。その条件を満たすには、「閉じていく」ことが不可欠になります。

「貨幣愛」をすて切れない人は病院か刑務所へ
 そして、十分に「閉じる」ためには、経済的には定常状態であることが要請されます。現象だけに着目すれば、すでにゼロ金利、ゼロ成長に突入している先進国は、意図するかしないかにかかわらず定常状態に入っていると見ることもできます。そもそもゼロ金利は「理想の社会」なのです。日本とドイツは、これ以上生産力を増やす必要がなく、必要な資本が満たされた社会に到達したのです。それを示すのが両国のゼロ金利でした。ケインズは1930年に著した『わが孫たちの経済的可能性』という論文のなかで、百年後には「ヨーロッパとアメリカにおける平均的な生活水準はおよそ4倍に引き上げられている」と述べました。
 1930年当時のヨーロッパとアメリカの一人当たりのGDP(生活水準を表す代表的な指標)は、4641ドル(1990年国際ドル価格表示)です。一方、現在の日本は23569ドルと推計され、1930年の欧米の水準の5.1倍となっています。日本の経済状況は、ケインズの予想した通りになっています。
「経済問題は、百年以内に解決されるか、あるいは少なくとも解決のめどがつくであろうということである」とケインズが言ったように、日本やドイツは「経済問題、すなわち生存のための闘争」という「最も切迫した問題」から解放されたのです。

       水野和夫 『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』より転載
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 本屋に行くとまあ大抵は何か4−5冊買う。特に蔦屋や湘南Tサイトのような充実した品揃えの書店に行くと最低でも3−4時間は暇が潰れるし、スタバのような喫茶店とか小洒落たバルやレストランが併設されているような場所ではできれば買った本を読みながら1日ゆっくりとしていたいと思うほどだ。昨日も5冊2万円弱買ったが、経済書なんてのは比率が低くて1割未満がほとんだ。買う本で値が張るのは、大抵は画集とか写真集、売れない哲学書と翻訳の文学もので、1冊が3000円とか5000円とかするものが僕の場合には大半で図書館には費用対効果で置いてない本ということである。最近僕が強くハマっているのはロベルト ボラーニョというチリの作家である。ピンチョンやプルーストに並ぶ世紀の天才という誉れ高いが残念ながら50歳で夭折した。こんなことを書いても99%の人が絶対に読まない作家だし、そもそも「アメリカ大陸のナチ文学」などという架空の書き手の人生と作品集を作るという、おぞましくもどこか切なく滑稽な架空の文学事典を企画する、しかもそれは結婚して子供が出来て食うに困って嫌々書いたそういう作品であるという点で、実に100%天真爛漫な詩人の仕事であると思われる。
 チリ空軍の大尉が飛行機を飛ばして大空に詩を描くというインフルリアリスモという文学は、オクタビオパス(ノーベル文学賞受賞のメキシコの詩人、シュールレアリスト)を徹底して批判したという意味で反体制的である。この一点だけをもってしても読むに値すると僕は強く感じたので、読むのがもったいなくてしかたがないので、わざと行くたびに1冊ずつしか買わないのだ。全集が白水社から全8巻出ているにもかかわらず。遺作となった「2666」は10カ国語に翻訳されている。世界中の誰もが彼の文学を理解できないという点をもってしても実に偉大なのだ。それに比べると経済や政治マターなんて実にちょろいねえと僕も水野もきっと言うだろう。マジに考えるだけ時間の無駄である。算数の下3桁ぐらが合っていれば生活に困らないという点で単純なんだから、バカでも解ける問題なんだろうとは思うが、そういう風に書くと風当たりが強いのね。そういう人は僕より先に病院か刑務所に行くんじゃないのかねえとも思うが、別に他人がどうでも興味がないので構わない。
 さて ツレズレハナコという女子の料理サイトとレシピ本は秀越である。旦那さんがなんと結婚後4年で急性胃ガンで夭折した(42歳)。そういう不幸を乗り越えて、♀一人で生きる、一人で酒を飲んで料理を楽しむという♀の一人暮らし(solo life)を書いている。結婚しようとしまいと最後は女子がsolo lifeになる確率は日本では♂の4倍あるのだから、堂々としているという点で♀は凄いねと思う。僕も見習って、真面目に料理と洗濯と掃除をしているのだね。実は相場より面白いとも思うね。今日のランチは、お赤飯とトッピング満載の冷やっこ。うずらの卵、シラス、ミョウガ、紫蘇、葱、胡麻、に超高級な醤油(200cc 4000円!)とシンプルだけど旨いねと思う。

 梅雨本番で伊豆山は雲の中にあるので、周囲は常に昼間でも真っ白な霧で視界不良、100メートルもないと思う。昼でもライトをつけないと運転が危ない状態がこの時期は起きるようだ。近くの交差点で新車のクラウンが横転して亀をひっくり返したように反対になって通行止めになっていた。狭い山道をスピードが出ているとクルッと横転してしまうのだろう。ガードレールがあったので助かったようだが、無ければ数10メートル落下して死亡事故になるのだろうと思う。僕が4WDを増車したのは生き残る確率論を挙げるためだ。林住期をsoloでも快適に生きる。僕の毎日のスタイルだ。
イメージ 1こんな感じで22年間も寝ていると病気にはなりにくいと思う

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パンとピザの教科書

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一次発酵は23度で3時間

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オニオンとシラス、トマトとツナのハーフ&ハーフ
原価計算では2枚で1180円。とても旨いよ!

 毎度感じることなのだが、人生は実に不公平にできているものだなあと思う。家族、猫、健康、料理、時間、自由、金、贅沢、教育、思想と感覚、以上は僕が普段から実に大切に感じている対象だ。あまり他人と大きな差はないかなとも思うが、仕事というのはこの中には入っていない。仕事はまあもう僕にはあってもなくてもどうでも良いものだから、興味の対象外にいつのまにかなってしまったようだ。
 そかしこれでもある時期は(18歳から40歳ぐらいまで)人の数倍よく働いた時代もあったのだが、そんな昔の僕を知っているような人は周囲にはもう数名しかいない。働くというのは身体に悪いことも多いようで、周囲でも自殺したり、ノイローゼになったり、大きな病気にかかったりというような人は還暦ちかくなるともう珍しくもない。だからできればお仕事なんて生きて行くのに必要な金だけ作れれば宜しいかと思うから、あまり人生を賭けてやるようなもんじゃねえよなと40歳の時に感じて、後は手抜きになって相場で食うことにしたが、下手なもんでまあ大した事や大した金にはならんのだが、それでも家族4人がどうにか食えて、子供も学校を終えて結婚して息子はまた会社なんてまたよせば良いのに始めやがって、孫がどうやら4人も出来て、なんとかえっちらこっちら全員元気で生きている。貧乏人の息子だったからいつかそのうち遊んで暮らしてやると思って働いてきたんだが、なんとか40歳からもう22年ほど遊んでヒラヒラ暮らせるような結構なご身分になれたのは、運が実に良かったということだろう。将棋の14歳の天才棋士が勝つたびに言う事とおなじで、勝つには運が一番大事なのだから、運が落ちないような暮らし方をしないと転ぶという事が誰にでも起きると思う。

 海老蔵さんの奥さんが乳がんで34歳で亡くなったという記事を読んで、「早いねえ実に残念!」としか言いようがない。34歳と言えば、僕の長男と同じだから、我が家でそれが起きればまさに逆縁ということになる。美人で才媛でこれから2人の子育てがあるというのに実に哀れという他に言いようがない。62歳まで馬齢を重ねてもまだなんかピンピンしている自分が申し分けないような気がしてしまう。でも運が落ちないようにするのには、人生は難しい事をしないに限るねと思うので、食う、寝る、風呂に入る、遊ぶ、という反復を毎日無限に質的に高いポジションで継続するのが良いと個人的には思う。できれば美人のマダムがいるほうが張り合いが有るというもので、少し贅沢で金がかかる女のほうが僕には愉しい。

 今日はマダムを9時半の新幹線に熱海で乗せて、僕は茅ヶ崎の本屋に行った。パンとピザの本を買って、道具と材料を小田原の西武百貨店で買って、4時間かけて生地から作って2枚大きなピザを焼いた。
タマネギとシラス、トマトとツナをハーフ&ハーフで焼いたがこれが実に美味だ。同じ4時間をどう有効に遊ぶかというのはとても大事だから、ここに金と暇をかけると運が良くなると思う。

 フォカッチャとベーグルの焼き方をまず2週間でマスターする。二次発酵しないで出来るのでミスが殆どないらしい。それになれたらバケットに挑戦する予定だ。できるようになったら猫カフェとか猫バルでも趣味でやろうかなあ?これはお仕事じゃないのね。お遊びなの。
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怪獣3匹来襲

 孫がいきなりくるというのが4時間前にわかったので、速攻で冷蔵庫を空にして9品ほどおかずを作る。こういう時は冷蔵庫、冷凍庫の買い置きとか作り置きとかあると助かる。
それでも大人4人と子供3人の食欲とは凄いもので、普段は多くて2人のこのフラットに轟音というか爆音に近い笑い声が轟く。

 およそ老人以外には住んでいない29戸フラットで定住は9戸、15名ほどだろうが、ここに5人平均年齢が半分以下のが加わると環境そのものが変化する。

西暦3000年には日本の人口はたったの2000人まで減少して、絶滅危惧種に日本人はなるらしいが、子供の数が増えないとどうにもならない。我が家は孫が現在4名で、♀3、♂1なので女子比率が高いという歴史的な遺伝をずっと継承している。

 そろそろ順番でいくと僕が棺桶に入るのは近いはずだが3世代先の孫たちは21世紀の後半を生きることになる。水野和夫の予想では、資本主義の死滅はおよそ百年以上はかかりそうだということで、資本主義は死んでも市場主義は多分残るのだろう。長い21世紀を終えた後、孫の子供たち(ひ孫)が22世紀の時間を生きることになるんだろう。子供の貧窮が昨今の日本では問題視されているようだが、我が家にとっては別の惑星のマターだ。このまま運良くますます元気に育って欲しいねと思うな。

『爺ちゃんは大きな温泉のある熱海の山に住んでいた。婆ちゃんは花屋だった。爺ちゃんの仕事は相場師だったらしく、いつも大きな外車に何台も乗って本ばかり読んで、料理をいつもたくさん用意して待っていた。」孫の作文はきっとそういうものになるだろうと思う。

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真鶴 honohono  のブイヤベース

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江ノ島  ロアジのジェノベーゼと白海老

北京でぼくは、シモーヌドボウ”ォワールのキューバ革命をめぐる談話を呼んだ。その1週間あとぼくは万里の長城でキューバから中国を訪問した青年によって書かれたとおぼしい、白墨の『フィデルカストロ万歳』という煉瓦壁の上の文字を発見した。その文字の若々しい活力は心よいものであった。それは中国の青年たちが人民公社や工場の壁に書きつけている雄渾な漢字と似かよった特質をそなえていた。おそらくは希望の特質を。
 北京のホテルにはコンゴの政治局員の青年がいた。コンゴの独立宣言前後、ぼくはかれとたびたび話しあったが、かれもまた、フランスの新聞でボウ”ォワールの談話を読んでいた。ぼくとかれとが、ともに、最も深い感銘をうけたのは、談話の次の部分である。
 『バチスタ政権の下で、絶望のあまりヨーロッパに亡命した若いインテリの多くは申しました。「意気沈滞は非常なものだったので、このようなめざめが可能だとは想像もできなかった」と。カストロはこれが可能だと想像し、信じ、これを現実にしたのです。迷いからさめた若者たちは信頼をとりもどし、キューバに帰国し、今では熱情のさなかにあります。カストロは彼らに、またすべての人々に、一定の情況の下では人間を変えることができることを実証したのです。』

戦後青年の日本復帰  1 大江健三郎  より転載

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土曜日の夜に来て、火曜日の夜に東京に帰る。僕のマダムの生活時間割は熱海と東京の往復を新幹線で行うツバメのような女だ。リゾートとワークで頭を切り替えるというひどくモダンな生活をしていて、現代の典型的なスタイルの先端なんだろうと思う。子供が二人に孫が現在4人。

 最近、ソロライフという独身女子のサイトを見て僕はニヤニヤしながら覗き見をしている。鈴木涼美とかツレヅレハナコとか料理や愛やセックスなど現代女子の本音トーク爆裂でマジ愉しい。レシピなど参考にして、独り飲みのおつまみなどを真面目に3品ほどは作る。今朝は茸のオイル漬けを仕込んだ。
日本青年はなぜ急速に劣化したか?これが最近の僕の研究命題となっている。


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