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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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代官山 T-SITE

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天王洲アイル SLOW HOUSE

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京浜運河 イルミネーション

 平均的な美意識では満足できなくなってくると、モノに拘るようになると思う。商品企画のお仕事とかをしていると、トレンドや飽きの周期というようなものに周期性や自立性があるんじゃないかという事に気がつくだろう。これはめったに逆行などしない素直な流れのようなものだと思う。KINFORKというアメリカ雑誌があるが、その商品を天王洲アイルのSLOW HOUSEで見て買い物をしてきた。良いセールの革のソファーがあったが今度買ったAUDIのシートと同じ素材と色だった。38万が26万と3割引き。今はこれがトレンドだと思う。

正月の4日に友人を羽田に見送りに行った。途中で湘南T-SITEに寄って、鎌倉の行きつけの飲茶屋でランチを食べた。それから東京まで走って、西新宿のFUNGO DIININGに寄って、また22時まで代官山のT-SITEに行って本を買った。このように本ばかり古本も新刊もとにかく買っている。東中野の古本屋はセールで2割引だったから16冊買って1300円ぐらいだった。ツタヤでは6册で13000円ぐらいだったと思う。代官山の本屋の上には素敵なラウンジがあるので、買った本を読みながらワインを飲んだりできるお洒落な空間がある。

 TSUTAYAの社長は、昔は婦人服の企画をする鈴屋のバイヤーだったから、生活全体に関してのファッションセンスが実に良い。だから商品もサービスもカッコいいミーハーテイスト満載で僕は好きだねと思う。
例えば車雑誌にカーグラフィックという月刊誌がある。日本で一番信用できる小林正太郎という人が編集をしていた雑誌だが、これの30年以上前からのバックナンバーを揃えて売っている。こういう本屋は他にはないね。

 どうやら景気回復の恩恵に預かって大きく儲けた人が少しはいるのだろう。こういう時は金とクロコダイルが流行るという現象が起きる。18金のブレスレットの500万の時計とか100万、200万のクロコダイルのシューズやバッグが売れるという変な現象だ。僕も好きで昔買ったからよくわかる。
100万円のシューズとか500万円の時計なんて無駄の固まりで無意味の記号なのだけれども、そういう無意味な事をしたくなるほど気分が厭世的になる時間というのがあるんじゃないのか。

結局は人類は少しも進歩なんて実はしていないのじゃないか?物質的に豊かになったようにも思うけれども争いごとは絶えないし、貧しい人は貧しいままだしそれが減るとも思えない。
残った時間が10年だとすると、せいぜい気張って楽しんで愉快に暮らそうと思う。

運と不運と

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来宮神社   護摩炊き

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初日の出

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朝焼けのピンク富士山

「運が良いとか悪いとか、人は時々口にするけど
  そういう事って確かにあると貴女を見ててそう思う。」   
   無縁坂  さだまさし


年末から正月の4日までマダムの女子校時代の同窓生が鹿児島からお泊りに来た。
不運にも11月に旦那さんがガンで亡くなって、茫然自失で幽霊のようだったのでマダムが心配して呼んだのね。まあ無理も無いと思う。64歳だからまだ若い。平均より15年早いということは、その分連れ合いは早く一人きりになってしまう。
彼女はまだ57歳で小学校の先生だから、まだ仕事がある分だけなんとかなるだろうが子供もいないから病気の老親二人を抱えて大変だろうなと思うが、何か具体的な事が出来るかといえば、話を聞いて慰めるぐらいしか出来ないということだろう。

 人生の不幸は突然にやってくるし理由などないのだから、黙って受け止めてやり過ごすしかないのだろうと思う。時間が解決するものはするだろうし、しないものはしない。
一方、息子の義父が12月に交通事故に会って入院した。バイクで接触して肋骨を追って肺に血液が溜まったらしい。なんとか正月には退院したらしいが、不幸は突然にやってくる。
 男の厄年は数えで60だから、僕は昨年は後厄で1月に入院することになった。きっと人生の節目になる年周りということなのだろう。皆さんも60歳前後は用心されたほうが良いといらぬおせっかいだが、疲れが溜まってひどい事にならないように注意されたし。

今年は大晦日に来宮神社に行った。護摩炊きをしてお祓いを見た。その後、十国峠に初日の出を見に早起きした。零度以下で実に寒かった。それでもなんとか元気に新年を迎えられて僕は運が良かったと思う。
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友人宅の大浴場温泉分析表

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12月も冬の花火の熱海です

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女流作家ばかり読んでいます

ずっとさぼっていた。本だけ読んで、1日相場のある日は10枚ぐらい場帳を書いても10分ほどで終了した。建て玉なしの完全な丸でもう3ヶ月も月末に月足、週末に折れ線を書いているだけ。今年今日が書き納めだろうと思う。

 1日10時間ぐらい本だけ読んでいるらくちん生活で、岩盤浴に行ったり義母の買い物につき合ったり鎌倉、小田原、富士と近場にドライブや散歩に行ったり、ちんたら極楽ライフだ。飽きるがあえて死ぬほどでもないから、自炊しながら緩く緩く暮らしている。

 図書館に行って1週間で10冊ほど借りて読み散らかしてまた返してまた借りる。毎年固定資産税を60万、自動車税を15万支払っているから、本ぐらいいくら借りてもきっと罰は当たらんと思う。
もう欲しいものが無いと働く必要も気力もゼロなので、うすぼんやりと生きている。
春にはまた4人目の孫が生まれるから、それまできっとずっとお休みだろうと思う。相場も面倒だから多分しないだろう。冬にも熱海は花火がある。温泉用のガス湯沸かし器が故障したので交換した。その間は友人のマンションの大浴場をずっと借りている。人様の風呂も良いもんだねと思う。
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奥湯河原の遊歩道

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226事件の立て札

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湯河原の温泉街

 日本人が定住しはじめて農耕や牧畜生活を始めたのはまだたったの1万年ほどにも満たない時間だそうだ。それ以前は縄文人のように狩猟採集生活でノマドのように定住しないで獲物を追って移動しながら生活していた時間が20万年以上もあったそうだ。縄文文化とはそういう時代の文化である。
社会とか都市とか集団生活によって文化が集約的に発達するのは農耕による富の蓄積と階級の発生が動機だから、それ以前と以後では全く考えかたと感じかたにも大きな差があったのだろうと思う。弥生文化がそれで次第に大陸からの水稲栽培と定住をスタイルとする弥生民族と以前からの縄文民族が混血しながら日本人ができていったのだろうと思われる。純粋な山の民は次第に追われていって、アイヌのように北に逃げて行ったのだ。征夷大将軍という呼称は朝廷が朝敵=蝦(えみし)を討伐する軍人のボスの役職名だったのだから、大和朝廷は結構ずっと蝦夷に悩まされていたんだろうなあと想像できる。大和朝廷=組織化された階級社会、蝦=自由で放浪する社会という区分だったと思われる。
 福島県庁の公務員の定年後の生活調査によれば、60歳で定年を迎えた公務員はその10年後には半数が死亡していたという調査結果となっていたそうだ。定年まで働いていたのは男性が大半という事だから、男は会社に勤めている間は健康だが、定年退職するとそれは緩慢な死刑宣告をされたことに等しいような結果になっているという事で、それはする事が無い、張り合いがない、運動しない、目的や楽しみが無いという劇的に変化する定年以前と以後の生活と時間の変化に対応できないで病気になって死ぬということが5割の人に起きているという事だ。女性は60歳の以前と以後でも家庭での仕事や生活に大きな変化は起きないので男性のような極端な死亡率とはなってないそうである。
 梅原猛や中上健次を読んでいると、縄文人(路地の人は縄文の直系と思われる)への羨望と回顧が実に強いなあと思うし、事実戦後の階級化、組織化が進んだ会社的社会は実に息苦しくてつまらないから、それを打ち破るようなモノが生まれないかなあ?と期待していたら、実は制度化が進んだ社会そのものが自壊作用を起こして勝手に壊れていくという進みゆきに昨今はなってきたようだ。それは人口数の劇的増加と今後の急激な現象によって引き起こされる自滅作用であると思われる。
 昨日も湯河原の温泉街を2キロほど歩いて気がついたのだが、シャッター通りになった商店街で廃業が目立つのは、射的やスマートボールの店、居酒屋、飲食店、旅館が多い。それも間口が2-3間の小さな店ほどたくさん潰れている。統計だと結構大きな規模の旅館、ホテルが(大体年間の宿泊客が3万人、1日100人平均ぐらいの)10件潰れて、その跡地にリゾートマンションが一棟(50-100戸)立つそうである。使用頻度は月に1回は無いそうだ。

 社員旅行とか新婚旅行で来ていた旅客がどんどんと減って、別荘を持つゆとりのある金持ちたちに置き換わるのだろうが、その比率は 30万対100  ということになる。つまり1/3000という頻度差に置き換わると飲食業は成立しないという現実がシャッター通りという現在なのだろうなあと思う。コンビニでさえ潰れていた。1/3000という頻度差は3000名の会社の社長1名ということで、まあ少ないという事だから、日本人は凄く60-65歳まで真面目にコツコツと労働する割には結果はひどく貧しいというのが現実なのかもしれない。この貧しさの本質は、金が無いこともあるが金の使い方を知らない、時間が無いこともあるが時間の使い方が下手だという遊びの経験値が低いことが主因だろうと思う。個人的に何か一つでも二つでも徹底して凝るということが無いせいだろう。

 縄文時代は自由だった日本人は水稲栽培を始めた弥生時代から働くばかりで不自由になった。遊び方をきっと忘れてしまったのだろう。だから寅さんのようなキャラクターが国民的ヒーローとしてカリカチュア化されるという事なのだろうと思う。居そうで絶対居ない人なのだ。
それでも日本人の寿命は戦後劇的に伸びたから、林住期や遊行期の楽しみ方を真剣に考える時期に来ているのだろうと思う。
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沢の水で珈琲を入れる

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東海自然道ハイキングコース

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湯河原駅前  小田原百貨店  舛添元知事御用達(爆)

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焼き肉祭り

 今日も長距離を歩いた。正午から友人と二人で日金山山頂から、泉築を通って湯河原に下る東海ハイキングコースを11キロ下った。熱海駅で拾った友人と35分ほどで笹尻から標高610メートルの十国峠まで上がって、姫の沢公園の山頂駐車場に止めて、そこから3時間かけて標高20メートルのJR湯河原駅まで11キロ、16500歩ほどをちょうど休憩15分を入れて3時間で下ったことになる。標高差は590メートルで気温は10度ぐらいだった。

 登山道は良く整備された尾根道で両側を沢が平行して走っている。熱海の水道の水源地がここなのだ。人口が3.2万なのに観光客はピーク時には30万人以上もくる日があると、どうしても水道が不足するので、水源確保が切実な問題だった。そこで3割を姫の沢地区から取水して、残りの7割を三島の柿田川湧水から現在は調達しているそうだ。
仮に東海地震などの大規模災害で電気の供給が止まれば水道もエレベーターもガスもストップするのは確実なので、飲み水の確保が重大な生存のポイントになる。その点で車さえあって、山道が通行可能ならここの水源で水の確保は可能だと思う。湧水量が実に豊富であり、水質も素晴らしい。沢に水で今日は珈琲を湧かして飲んでみたがすばらしく柔らかい軟水だった。

JRに乗るのは多分5年ぶりだと思う。5年前にベラビスタを買った時に契約に来て以来だろうと思う。湯河原ー熱海は190円だった。半分以上がトンネルで、それは伊豆山の地下をくりぬいて走っていることになる。3-4キロはあるんだろう。いつも伊豆山周辺をハイクしているので、あああそこだというのが良くわかる。伊豆山神社からトンネルの入り口が見える場所があるのだ。熱海駅から友人宅まで歩き、彼の車で再度、日金山まで戻る。そこから熱海駅に戻って、友人のワイフを拾って今度は函南の焼肉屋で打ち上げです。

 熱海も湯河原も箱根も全山、紅葉の最終段階で燃えている感じ。日本人は結局のところ、死ぬ前の興味の行き着く先は花鳥風月だというのは西行法師の時からきっと変わらないのだろうと思う。そろそろ僕もそんな時間になってきたという事だろう。
芭蕉にしても西行にしても旅に死すというのは実にカッコいいと思うね。ハイキング中に心筋梗塞でポックリというのは男の死に方の理想かねとも思うね。
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