小川亭 夜のメニュー
夏休みがそのまま秋休みになって、ずっと気分はお休みのままだ。売買も最低限度しかしていない。
「つるとはな」という老人雑誌は、実はマガジンハウスの編集者が独立して小さな出版社を作って、ゆっくりと年に1冊「人生の先輩の良い話を聞く」という画期的な作り方をしている。今年で3年目だが実にためになる壮年向けの教育雑誌だと思う。同じように、野際陽子と桐島陽子の本を3冊ほど読んだ。桐島洋子の「林住期ノート」1989年、家庭画報に連載した記事を書籍化したもので1990年バブルの時に出ているが、僕は古本をアマゾンで拾った。初版だったがちゃんとスカートまでついている。ちょうど50歳ぐらいの時、子供3人をなんとか高校を出して、さてこれから自由に自分のために生きるという宣言書のような本である。
未婚の母で3児とも別の男の子供だが、好きな生き方をするというわがままお嬢さんの勝手でデタラメライフというまあ常識的には批判が多い人だったのだろうが、まあほとんど日本人にはいないリベラルなインテリだ。文春の編集者をしてから作家になった才女なんだろうと思う。現在79歳のはずだから30年も前にリベラルな女子がいたという事で日本も捨てたもんじゃないなあと思う。
人生の優れた先輩たちの話を聴きたい、読みたいと思う。これからの貴重な老いの生活のヒントになるだろう。
僕は初孫が今年で9歳になったが、娘が結婚して10年たったという事で、その前年に娘の亭主の父親が亡くなった。享年57歳だったから僕は当時51歳で6つほど年長の社長さんだった。僕は今年で61歳だから彼を超えて、自分の父親の年と並んだから、いつぽっくり来ても不思議は無い。今年は事実2月に肺炎一歩手前まできて入院したし、そのまま死んでいてもおかしくもないだろうと思う。
やり残した事があるか?と思うと別にもうないなと思う。欲しいモノがあるか?というのももう無いなと思う。だからもうモノでも事でも欲を拡大しうる余地も意味も自分的にはほとんどないという事だろう。人それぞれだが「足るを知る」ということが僕のケースではこんな程度の事なんだろうと思う。
40歳の手前ぐらいから上昇志向というのが皆無になったせいなのか、仕事とか金とか名誉とか地位とかいうような世俗的な価値観はどうでも良くなったので、一番注意して暮らしてきたのは「自由に豊に生きる(物質的、時間的、感情的、思想的に自由という事)」というだけで後はどうでも良かった20年だったし、その意味では言葉は知らなかったがこれが僕の林住期だったような気がする。相場以外の仕事も少しはしたがまああまりマジではやっていない20年だったように思う。そもそも仕事なんて下らんことに時間を取られたくないという理由で相場で生きてきたのだから、まあ結果オーライという事にしておこう。誰かに、何かに制約されない毎日の生活というのが目的だったように思う。手段は時間と相場と金という事だったろう。
何かがしたいのなら後回しにしないですぐに実行したほうが良いと50歳を過ぎたら思う。ラーメンを食うのでも彼女とデートするのでも何でも良いから具体的に自分がしたい事があるうちはそれをすぐにすることだ。すると実行するたびに一応の欲望は達成される。するとすぐに次の欲望がムクムクと出てくれば宜しいし、どんどんとそれを即座に実行する事だ。やがて全部実行してしまうと何もしたい事がなくなってくるだろうと思う。そこから更にヒト頑張りで、何かを無理矢理見つけてやってみると大抵はもういいかと思うだろう。長生きをするヒトは「なんでも良く好き嫌いがなく食べる」のが秘訣らしい。やはり食べる事が一番大事なのかもしれない。明日死んでも良いように今日のうちにしたい事はみんなしておこう。死んだら金は使えないよ。(爆) |
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