恩田陸
内田樹の研究室という例のブログを3ヶ月ぶりに読んだら、今年の10大ニュースというのが書いてあった。
個人にとって重大な順番で書いているものの、上位3つ以外にはまあほんわかしたあまり順番に意味の無いことらしい。トップニュースは内田さんは今年65歳のはずだが、一昨年末に母上が無くなって法事を昨年7月にすませたら、今度は兄上が(2歳上)秋に無くなった。ガンだったという事であっという間だったらしい。これで下丸子の小さな家の記憶は内田さん以外にはもう誰もいなくなった。きっと再婚されたのは一人暮らしが寂しくなったからなんじゃないかと失礼ながら思う。人は一人で生きて行くよりも誰かともたれ合って助け合って生きていくほうが自然で楽しいだろうと思う。66歳で68歳のお兄ちゃんが死んだという事実。
僕は70歳の長姉と68歳の次姉がいるので兄弟は現時点では全員存命なのだが、世間では誰が欠けてもちっとももう不思議な年ではなくなったという事だろう。内田さんは自分の総てのテキストの想定読者を自分の兄ちゃんと平川君(アーバントランスレーション社長)を想定してずっと長い間書き続けてきたそうだ。つまりこの二人には少なくともリーダブルなテキストというのが彼の質的な基準だったということで、その片方を失った痛手は計り知れないだろう。彼のテキストに今後少なからぬ変化が生まれそうだ僕は感じる。
二番目は合気道の難しい特殊な修行を受けた事らしい。三番目は能の舞台で「敦盛」を演じた事。
それ以外は順不同でたくさん講演をしたり、海外旅行に行ったり、たくさん本を書いたり50回も新幹線に乗って学士会館に29日も泊まったり、果ては車を8年ぶりにBMWからメルセデスに買い替えたりとどうでも良い事だったらしい。とにかく急がしすぎてこんなペースだと過労死しないかと実に心配なんだが、KBSでの「辺境ラジオ」では声の調子はお元気そうだからまだ大丈夫なのだろうと安心している。
きっと不自由で自分のあまり好きでもない事を我慢している人は早死にするが、わがままに自分の好きな事しかしない人はストレスが少ないから死ににくいのかなあとも思う。忍耐というのは決して人を育てない。人を育てるのは葛藤であると思うから、そういう方向で人生を生きることが重要なんじゃないのかと個人的には思う。
さて昨日は湯河原まで12キロ近く歩いたが135号線の途中で熱海に2軒だけあるラブホのあたりから真鶴半島が遠望できる。この真鶴という場所の名は僕の大好きな作家、川上弘美の長編小説の一つの場所だ。特色があまりないなんという事はない寂れた漁村の観光地(小さなビーチと漁港と森があるだけだが、、)で、よくぞここをテキスト化したものだといつも感心する才能である。
惚れた男と結婚して長女が生まれてしばらくして夫が突然蒸発する。その時にわたしは妊娠していた。結局は蒸発がはっきりしたので堕胎した私は夫を待つ。そういう私が小さな旅に出るのが真鶴であるという日常的な小説である。新しい恋人が出来てもやはり私は蒸発した夫を思い出して真鶴に何度か出かけるという筋立てである。
川上のテキストは常に失われた貴重な者、人=幽霊が主題で回転していくのだが、そのそこにはいないものがそこに有るものを規定するという神話的な物語性が心地よいトーンを醸し出す。そのトーンを支えるのが言葉であるという構図なのだ。恐ろしい感性だと思う。彼女の葛藤はここにある。
さて村田沙耶香と恩田陸を10冊ほど続けて読んでいる。村田の不思議な壊れ方とは何のメタフアーなのだろう?少子化の原因はここにあるのかもしれないね。 |
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