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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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「いま、ここ」の幸福

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月足リスト  2月更新後    4100は同じ結論なんだねえ、、毎度ですが。

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鎌倉  ひろみ    天ぷら屋さんですが小林秀雄や川端康成が贔屓にした店
昼は3000円から、夜は1万円から

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cafe  ヴィヴモン ディモンシュのイチゴパフェ  780円



熱海駅を大回りで往復して、6キロ、58階、8705歩 歩いたきた。スタート9時過ぎで着が正午だから、途中で熱海図書館で少し雑誌を読んだり、靴屋でスニーカーを冷やかしたり、郵貯で支払いと預金をしたりで雑用と運動の午前だった。お天気は快晴で気温6度で少し風があるが、気持ちの良い日差しである。桜も咲いて春が来ているなあと思う。

 仕事が無いと(あるにはあるが時間もかからんし、義務も目的もないので一般通念上は仕事とは言えないかも?)このように365日24時間、する事もあまり無く暇であるから、ベトナムさんなんか定年したら気が抜けて何をして良いか迷いそうで困るらしいが、目的指向が強い人(何でも良いが10億作るとか豪邸建てるとか本気でしたい事があるのは幸福だろうと思うが、こちとらノンポリで怠けものなんでそんな世俗的な事は面倒で興味が無いので大半を無視)はきっと困るだろうね。そこいくと猫は気ままにただダラダラと生きているのね。
 ウルトラマンから仮面ライダーに価値観の転換が起き大きな物語が完全に終わって、「いま、ここ」という個人消費にしか物語がない不幸な時代に僕たちは生きているのだから、自分の快適や快楽を自覚できない人やそれの実行を躊躇するような人は地獄の苦しみ(ツーか、分裂症で自殺しやすい)に出会うことにきっとなるんだろう。
 とにかく「いま、ここ」にしか僕たちの人生は無いのだから、それを尊重して生活する以外に幸福な手段はないのである。時代の空気は「東京タラレバ娘」を生み出したが、それは「いま、ここ」についての欠落感の存在を浮き彫りにしているのだろうかとも思える。

 ベトナムさんが400枚の月足を更新して4100が買いだと書いているが、僕の2月の足は1200枚ほど30−50年の月足を更新して45ぐらいは拾い始めても良いかというものがあった。因に4100は最初に選んでいるから、同じ方法論と道具でやっていると同じ結論になって(同じタイミングと量と分割になるとは限らんが)まあ結果もそう大きな差にはならんのじゃないか?とも思う。
でも彼はニトリで椅子を14000円で買うとか、稼いだ金の使い方はこれまた異なるようで、彼はデカい1200万のレクサスだし、僕は中古のA6.(150万車検付き10年落ち)仕事の道具は僕はテーブルはコルビジェの大理石の60万のテーブル、彼は息子と共用の狭いやつ、これ駄目でしょ?受験のお邪魔ですよ!用紙は巻いて大工に作らせたラックと二つ折りだ。とにかく「いまここ」には個人の差異があって面白いが、仕事は似たような結果で億の金にはなるんだろうと思う。1000でも2000でも良いがとにかく長いのを書くのが前提だろうと個人的には思うのね。あとは寝て待つ。(爆)

かといってこのリストのように買えるのか?と言うと500人に見せてもちゃんと出来た人は過去にはほとんどいないのねえ、、。
「欲の前では99%以上の人間はマジ無能か馬鹿?」って思いますよ。

19世紀の男根主義者

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孫娘は6歳でテレビを見ながらマッサージをする。時代の変化は鋭く早い。

2017年は、例年に比べて「3連休」が少ないそうだ。
そうなると、大切な休日を少しでも有意義に過ごしたいところ。ところが、美容・健康器具を販売するテスコムの運営サイト、「女性キレイ研究所」によると、独身アラサー女性の約8割が「休日の過ごし方に後悔している」という結果が出た。
「気づいたら夜になっていた」・・・
調査は、25ー34歳の独身女性221人を対象に、インターネットで実施した(ジャストシステム調べ、2017年2月3日公開)。それによると、「予定のない休日に、後悔する過ごし方をしてしまったことがありますか?」との質問に、「ある」と答えた女性は176人で79.6%。「ない」は45人(20.4%)だった。なんと、約8割が「後悔」しているのだ。
具体的に、どう後悔したのか聞くと、
「炊事、洗濯、掃除もせずにダラダラと夜まで寝てしまい、腰痛で目覚めた」(34歳)「起きたら暗くて日の目を見なかった」(33歳)「ネットサーフィンして頭が痛くなり1日が終わった」(27歳)「朝からゲームをし過ぎて気づいたら夜になっていた」(32歳)
などと、予定がないゆえにダラダラ、無気力に過ごしてしまったとみられる。
では、「1人で充実した休日を過ごすためには、どうしたら良いのか」を聞くと、1位が48人で「買い物」と回答。2位は「映画館」(26人)、3位「カラオケ」(20人)、4位「本屋・図書館・漫画喫茶」(19人)、5位は「旅行・温泉」(10人)だった。
6位が「カフェ」(8人)、7位「美術館」(6人)、8位「サウナ・スパ・マッサージ」「習い事」「ライブ」で5人、9位が「ジム」の4人、10位は「散歩」(3人)。「その他」が7人いた。
ただ、実は「特にない」との答えが55人と最も多かった。「リア充な過ごし方」が見つからないがゆえに、「休日の過ごし方に後悔している」といえそうだ。            livedoor  newsより転載

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♀の独身で子無しという25−34歳という時期は、きっと大半が実質的にはOL=職業婦人ということなんだろうと思う。まあこういっちゃなんだが(つまり僕は上野に言わせると男尊女卑のアジア的専政の男根主義者と言われるんだろうが)女子のこの年代は、生物学的には子産みの最適期なんだから、それ以外の物事に没頭しても全部無駄だろとマジに思うが、つまり生物学的には無意味なんだからさっさと良い♂を見つけて楽しいセックスでもしてどんどん子供を産んだら暇でなんていられるはずもないなんだろうと思うねえ。3年に1人でも10年で3人だから人口は増えるからそれで上手く行くんだろうが、日本や先進国の大半がしていることはまるで逆で、生物学的に正しい方法論と真逆を大多数がしているわけだ。資本主義の本質は差異化だと僕は常に言うのだが、多くの人と異なる事をする勇気というのがまずは成功の第一歩だといつも書くのには、成功者<失敗者という厳然とした数の大小の関係が覆ることは無いという事実がある。仮に自分がリアリストだとすれば現実を尊重しないで何で成功の可能性が有るのか?と考えてみれば宜しいかと思う。100人に一人ぐらいの事ができないで成功なんてあるはずもないだろう?どんな成功かは別としてそれなりの業界でそれなりの結果になるのには数千、数万のトップ付近でないと無理だろ?と思わん頭って悪すぎないかね?

 まあそうしたいんだから好きにすれば宜しいが、後で婆になって子無しで悔やむというケースも周囲には凄く多いのだから(上野のように全てお一人様の老後になる)、良く考えて自分のライフスタイルとかお相手を選ぶのが大事だねと思う。ここで相手に対する信頼感とか期待が全くないといわゆる村田沙耶香の小説のような(消滅世界とか殺人出産とかコンビニ人間とか、、)♀のスタイルに行き着くということにきっとなるんだろうなあと思うが、例外的にはダルビッシュの元の奥さんとか宇多田ヒカル、椎名林檎、古い所では桐島陽子なんてケーではしっかり子供も生むし男も捕まえるししたい仕事もするわけで、要は個人の才能、能力とパートナーの選択眼という事につきるんじゃないのかねえとも思う。村田の世界は事実上、サイコパスだろ?と思うがそんなに病んでないでもっと楽しく生きたら良いのにねえ?それのが楽で楽しいぜよと思うねえ、、。別に38までコンビニバイトしながら小説書かなくても良い気がするんだよねえ、、。それで救われる女がいるんならまだしも、自分以外には救えんのじゃないかなあ

「1人で充実した休日を過ごすためには、どうしたら良いのか」という問い自体に問題が実はあって、充実した休日は一人ではなく誰かと一緒に過ごしたほうが良いんじゃないの?と思うね。遺伝子が残らないと生命維持が不可能なのだから、一人という事は人口受精でもしない限りは遺伝子はそこでプツンと途切れる=つまり生き残りの本能レースには負けるという事だろ?負けた後にダラダラ敗戦処理のような時間を過ごしても意味があるとも思えんが、、。
このダラダラ感が「リア充な過ごし方」が見つからないがゆえに、「休日の過ごし方に後悔している」という無意識な自覚って事だろ?と疑ってみたらどうかしら。19世紀の男根主義者としては率直にそう思うね。       
イメージ 1カシミアニット2枚で7000円  最終セール。2ヶ月で70%の値引きという世界はどうなの?と思う。プロパーは13000円でした。無印のミャンマー製。

社会学者でフェミニスト(女性解放論者)として知られる上野千鶴子氏の発言をめぐってネットで炎上騒ぎとなっています。上野氏が炎上というと保守系の人から攻撃を受けていると短絡的に考えてしまいますが、今回はそうではなく、本来なら上野氏の支持者であるはずのリベラル系の人達からも批判されています。上野氏の発言のどこに反応しているのでしょうか。上野氏は中日新聞とのインタビューで、人口が減少し、衰退していく日本社会について「みんな平等に緩やかに貧しくなっていけばいい」と発言しました。上野氏は、人口減少を食い止めることは不可能であり、人口を増やすには移民を受け入れるしかないが、日本で移民政策を実行するのは無理であると主張。このまま貧しさを受け入れるしかないと結論付けています。炎上ポイントは「貧しくなればよい」という部分と「移民は無理」という部分の2つに分かれるようです。「貧しくなればよい」という発言については、主に世代間論争的な話になっています。若い世代の人が、上野氏らの世代(上野氏は現在68歳)に対して「自分達だけ豊かな時代を謳歌しておいて、後は貧しくなればよいというのは無責任だ」と批判する図式です。「移民は無理」という部分に対する批判は、主にリベラル系の人たちから寄せられています。移民を拒否するかのような保守的な発言はケシカランというわけです。上野氏はガチガチのリベラル系とみなされている人物ですから、本来なら「移民を受け入れ、多様な価値観を許容する豊かな社会をつくりましょう」という趣旨の発言をするだろうと多くの人は想像します。しかしインタビューでは、「皆で貧しくなればよい」「日本では単一民族神話が信じられてきた」「多文化共生に耐えられない」など、かなり突き放した、皮肉めいた発言のオンパレードでした。日本は物質面では近代化を達成しましたが、精神面では前近代性を色濃く残した未熟な社会です。上野氏の発言を好意的に捉えれば、こうした状況に嫌気が差し、多少投げやりになってしまったのかもしれません。発言の是非はともかくとして、客観的に見た場合、今の日本人は(無意識的に)上野氏が主張するような「皆で貧しくなる」道を望んでいるように映ります。人口減少という避けられない状況を目の前にして、これを改善するための処方箋(女性の社会参加、移民受け入れ、雇用の流動化、企業のグローバル化・IT化)についてはすべて消極的です。確かにこのままでは、本当に皆で貧しくなるしか選択肢がなくなってしまいます。上野氏の真意は不明ですが、今回の発言に関しては、日本が貧しくならないための問題提起と捉え、皆で議論するきっかけにした方が建設的でしょう。
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上野の「スカートの中の劇場」を読んだのは40代だったと思うけれど。随分と威勢の良いネーチャンがいるんだねと僕は励みになった。この国でリベラルでいるという事は居心地が悪いことのほうが多いと思うけど、少しインテリなら右は馬鹿というレッテル張りをされるからそれには普通は知性がきっと耐えられないのだろうと思う。どんな思想体系や哲学を読む人でも、そもそもそういう金にならん事ができる時間のある人は金持ちのお嬢(上野は京都の医者の娘)かボンボンでないと無理だから、リベラル=小銭持ちと大体相場は決まっていると思う。(自分もその一人だし。)
貧乏人は金がないから、物事を自己利益から突き放してゆっくり考えている暇がない。金を稼ぐ事が急がしてく金を使う、頭を使うことに時間や気持ちを配分するゆとりがないという決定的な差異があるからで、これを「お育ち」とか言って文化的な差別の要素になんかするのでカチンと来たりもするんだろうと思うが、金で容易には買えないものがそのうち欲しくなったりするのだろうと思う。お嬢やボンボンは、そもそも金に困るような切実さとは無縁だから、本来どうでも良いと思っているし、死ぬまでに時間さえなんとかすれば後は関係ないと思っている。(だって彼女は配偶者も子供もいないから、、)リッチなお一人様の老後の手配は済んでいるからだ。だから言いたい本音を素直に言って別段炎上しようが関係ないということだろうと思う。

 別に金が無くて少し昔より貧乏になるぐらいどうという事はないだろう。移民を入れて複雑化した多民族、多様化社会という住みにくい国を目指しても、日本人が上手に対応できるとも思えないし(満州で失敗済み)、それより「欲しがりません勝つまでは」という大本営のほうが日本人は本音できっと好きなんだろうと思う。それが証拠に嘘で固めた阿部小学校に8億値引きして土地を売るようなけったいな事をする首相に50%もの支持率があるなんてどう考えてもこの国の選挙民は半数はマジキチガイ沙汰だねと思う。

 ベトナムさんが日本勤務になったらしいが、僕はミャンマー製のカシミアニットを2枚最終セールで買ってみた。無印良品の13000円のカーディガンが3500円だったので2枚買った。多分原価ギリかなあと思うが、金がある無しとかより金をどう使用するかのほうが人生に大きな差が出ると思う。
          


壁と卵と、、

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熱海ゴルフ&スパ

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初島、大島を見下ろすクラブハウス  センターにスコーレが見える

 ビッグブラザーという近代を支えた疑似人格回路は「政治の季節」の終わりとともに徐々に壊死を始め、人々はこの回路がもたらす「大きな物語」を虚構の中に求めるようになっていった。しかし、グローバル/ネットワーク化の進展によってビッグブラザーが完全に死した現在ーーー国民国家よりも貨幣と情報のネットワークが上位の存在として君臨するようになった現在、私たちが虚構に求める欲望もまた変化することになる。貨幣と情報のネットワークが世界をひとつにつなげた今、虚構は「ここではないどこか」ーーーすなわち外部に越境することではなく「いま、ここ」ーーーこの現実の生活世界の内部を掘り下げて、そして多重化することでその姿を現す。

 そのとき人々が現代において個人の生活の生を国家や歴史が意味づける大きな物語が機能する「もうひとつの世界」=「ここではない、どこか」を手にいれるためではなく、「現実の世界」=「いま、ここ」から小さな物語たちを立ち上げるためにこそ、虚構は欲望され、産み出される。
 前説の比喩を用いれば、前者の虚構とは仮想現実的であり、後者の虚構は拡張現実として機能している。
 私たちの世界を規定する「壁」の存在が国民国家から貨幣と情報のネットワークに変化することで、私たちと虚構との関係もまた同時に書き換えられたのだ。

 戦後日本の社会学を援用した社会/文化批評には「現実」との対立概念「反現実」が何か、によってその精神史を区分する伝統が存在する。
 その始祖である社会学者の見田宗介は、その「反現実」が戦後半世紀の中で「理想」から「夢」へ、そして「夢」から「虚構」へと移り変わってきたと論じた。見田によれば敗戦時、すなはち1945年から1959年までが復興という「理想」、あるいはソビエトコミュニズム/アメリカンデモクラシーといった新しい政治体制に対する「理想」が社会を規定する「反現実」として機能した時代である。見田はこの時代を「理想の時代」と名付けた。そして60年代に入り高度成長期と「政治の季節」を迎えると「反現実」として機能する概念は近代社会の限界それ自体をドラスティックに解放しようとする「夢」に変化した。さらに70年代半ば以降、消費社会の到来以降の「反現実」は、商品として流通し始めた「かわいい」「おしゃれ」「きれい」といった意味を纏う記号たちに代表される虚構ーーーここでは差異化のためにあえて提示されるものーーーに変化した、とする。
               「リトルピープルの時代」 宇野常寛 より転載


 長々と人様のテキストを転載するのは常に僕の悪弊だが、僕のブログの読者はツイッターのそれとは異なってクドくて長いわかりにくくても込み入った論理構造と言語手段を愛する人たちがかなり多いと僕は思う。まあテキストマゾヒズム=インテリ向けと言えるだろう。
昨年4月、京都に桜を見に行ったのだが京都駅で朝に写真を上げたら翌日の昼に駅の付近でタクシーの後部座席の窓がスルスルと開いて「猫さん?」という男性の声がしてびっくりした。「僕は毎日読んでいます。」というのである。休日でもきちんと金がかかった素敵なスーツとシャツとネクタイの紳士だった。
僕は業界人だったのでこの紳士がどれぐらいオシェレに金をかけているのかは3秒でわかるし、そういうことがわかる人以外には僕のテキストを読んでもきっとあまり意味は無いのじゃないかなと常に思う。
 消費社会が到来して貨幣と情報が上位の存在として君臨する拡張現実の虚構に生きてるという同時代感が僕や彼ら、彼女らを支えているのだし、そういう奢侈の無意味さの意味を救うことがブログ成立の条件でもあるからだ。そんな僕がたまに本当のブルジョワに会うことがある。もう何世代も都心に大きな土地や建物をずっと所有しているような家系のマダムである。昨日はその人がスコーレの新規売り出し物件を見に来たのだ。僕と同じ新車のアウディーA1に乗って。ゴルフ好きで健康のために毎週コースに通うような人である。熱海のスコーレの隣のゴルフクラブは温泉付きの9ホールで会員権は250万だそうでまだ飽きがあるようで、実に美しい設備のクラブハウスにお邪魔した。
ゴルフや乗馬やスキーをしなくても人は生きてはいけるだろうし、それが無くても困る人は食料が無い人よりはきっと大幅に少ないだろうと思う。かといって無くても良いとは僕は思わない。

 お金持ちのマダムは70歳を過ぎて広尾の億ションで一人暮らしだ。金は無論使いきれないほどあるのだからもっと大きな車のほうが安全だろうと僕は思うが、大きいと邪魔で走りにくいそうである。年を取れば無駄をなくすのが重要だそうで、三越のデパ地下で総菜を買っていたのが面倒でセブンイレブンにしたそうだが実に美味しいと褒めていた。こんな大金持ちがセブンで夕飯を食っているようでは日本の平気は当面は駄目だろうなあと思う。
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湯河原 飯田商店  ワンタンシャーシュー麺     1450円


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宇野常寛   評論集

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平塚 ころも  穴子特製天丼 1950円(手前)

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見納めの河津桜

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ノーベル賞を取ったマンローと逃している春樹の翻訳と、、


それが高度資本主義社会というものだった。気に入るといらざるとにかかわらず、我々はそういう社会に生きていた。善悪という基準も細分化された。ソフィスティケートされたのだ。そういう世界では哲学はどんどん経済理論に似ていった。哲学は時代のダイナミズムに接近するのだ。
 当時はそうは思わなかったけれど、1969年にはまだ世界は単純だった。機動隊員に石を投げるというだけのことで、ある場合には人は自己表明を果たすことができた。それなりに良い時代だった。ソフィスティケートされた哲学のもとで、いったい誰が警官に石を投げられるだろう?いったい誰が進んで催涙ガスをあびるだろう?それが現在なのだ。隅から隅まで網が張られている。網の外にはまた別の網がある。何処にもいけない。石を投げれば、それはワープして自分のところに戻ってくる。本当にそうなのだ。
          村上春樹「ダンス、ダンス、ダンス」より転載



本を買いに藤沢の湘南T SITEに行ったり、ヤナセからメルセデスの車検が返ってきたり、はたまた平塚のなじみの天丼屋ころも で特製天どんに舌鼓を打ったり、夜に河津桜を見物するために135号を大人4人でぶっ飛ばしたりとなかなか楽しい冬の終わりの毎日を堪能している。函南に3.5年、熱海に約2年と僕のカントリーライフ=静かな林住期が平和に過ぎて行くのだが、波乱も特に無く、まあまあ健康で快適な日々が続いて、こんなにおっとりと安楽に過ぎていってホントに良いんだろうかねえ?と不思議な気分だ。

 同時代の作家、村上春樹の指摘する「リトルピープルの時代」が進んでいくなかにあって、45年ほど前に大学の英文学のカリキュラムのテキストで読んだジョージオーウエルの「1984年」がTSUTAYA書店では新訳で出ていたようだった。もう僕の書棚に早川文庫の旧約があるかのかどうか見つけるのも難しけれども、ビッグブラザーによって世界が3分割される未来の共産階層社会を描くSFとして、当時は国際旅団に従軍した彼がカタルーニャで見たもの、フランコ独裁とソ連のスターリニズムへの抵抗という輻輳した自由への希望が切実なテーマだったと思う。そんな時代の僕は学校に行っては麻雀ばかりをしていたが、勝ちすぎて誰も客がいなくなってしまって、結局は家庭教師と書店の店番という普通のアルバイトをする軟派な優等生だった。

 評論と小説を交互に読むという習慣(というほど厳密なものでもないのだが、偏ると飽きるのでそうなった、他人様の解釈というのも読んでいて実に面白いものがあるからだ)は、答えの無いものにあえて答えるという野暮さで成り立つ感情的な世界なんだろうと思う。最初から答えは無い(というか無数にある)のだから、どうでも良いようなものではあるが、人間と動物を区別したものーーーつまり言語と禁忌と文化というものが、意味の病気にかかって(つまりは精神分裂して)、リトルピープルは生まれてしまったという事なのだろうと思う。共同幻想の多くが既に破綻して、次に信じるに足る新たな幻想を僕たちは見つけられないでいる時間、きっとそんな時間を僕たちは現在生きている気持ちになっている。

「時々ね、どうしても我慢できなくなることがあるんだ。自分が金持ちだってことにね。逃げ出したくなるんだよ。わかるかい?」
         村上春樹 「風の歌を聴け」より転載
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