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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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イメージ 1富士川上流の河川敷

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早川町のアルプス蕎麦(自家製蕎麦と山菜10種)   1600円  上手いっす!

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秘湯の宿  白根館

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絶景 露天風呂

糸魚川ー静岡線というのをたしか高校の地学の時間かなんかで学んだ記憶があったが、この線は日本列島が地殻変動によって折れ曲がった線だったはずで、膨大な圧力と熱で地殻がもろくなっている部分でフォッサマグナというぼろぼろの破断した断層によって形成されている。ちょうど地理的には富士川の流域に該当して、国道でいうと52号線で(清水ー韮崎ー糸魚川)、海では清水からさかのぼって富士宮、南部町、身延町、早川町、南アルプス市という縦のラインに該当する素晴らしい河と渓谷美の風景である。
 と同時に破断した地層の地下深くから特別な恩恵である素敵な温泉が湧出する類い稀なる泉質の名湯が湧き出る。

 西山、奈良田と信州の秘湯中の秘湯といわれる名湯だ。昨年10月にAUDIが納車になったので試しに300キロほど身体を慣らしに走って、身延山で登山の真似事をしてから早いものでもう半年以上が過ぎた。この間、8000キロほど走っているので、遠距離はほとんどないから僕にしてはマメに使ったほうだろうと思う。100−150キロの近距離圏の往来が多かった。(東京、横浜、鎌倉、静岡などだ。)

 新緑の信州は素晴らしく美しいのを以前何度も訪れていたので、昨日は友人夫婦とお昼から走ってきた。新東名で新清水まで走り、そこから52号で身延経由で南アルプス街道に入り、西山でアルプス蕎麦を2時半に食べている。ちょうど山菜の最後の時期なので山菜天ぷら蕎麦を頂いた。これがことのほか美味で10種の山菜を天ザルで頂く。1600円と良いお値段だが、美味であった。
 早川町は日本で一番人口の少ない町だということで、とにかく人が少ない。産業も砂や砂利を掘って売るぐらいしかめぼしい仕事がないらしい。だから少しは都会の人がきて何でもよいから子金でも落とさないと立ち行かないだろうと思う。蕎麦を食って、温泉に入って、土産を買うぐらいしか出来ないのだが、まあしないよりはマシだから、年に数回は行こうと思う。みんなも行ってくださいね。
 温泉は奈良田温泉白根館の露天は圧巻である。地下500メートルからの含硫黄ナトリウムアルカリ泉のぬるぬる度は抜群。30分も入るとノックアウト状態でなんとか帰りの運転をしたがだるい、眠いのだが泉質は極上だった。万病に効くというので、お仕事が忙しくて体調がよろしくない人は1週間ぐらい湯治でもすれば何でも直ってしまうと思うね。
 ベトナムさん、いろいろ検査で大変だったらしいけれど、気は持ちようで、気合いで直る病気も多いということですよ。とくにガンなんて医者が諦めても、温泉でコロッと無くなったなんてよく聞く話しですから、たっぷりお休みして人生を楽しんだほうがお得だと思いますよ。金も使ってナンボの世界だし、、。残りの時間が時分なりに見当がついたらそれはラッキーというもので、全部遊び倒してみるのも良いかもと思います。飛行機落ちても死なないから大丈夫ですよ。だから遊びましょうね、もっと、もっと。


帰りは清水まで走って、1号線で静岡に寄って、焼き肉を死ぬほど食ってきた。10時間ほどたっぷりと遊んで総距離350キロ、平均時速48キロ(高速ほぼ無し)燃費8.6キロだった。山道3名でドンドン踏んだ割には悪くないと思うね。10年落ちの150万のデカいAUDIは田暮らしには適した優れた道具だと思う。ズバルが売れる理由はこれを小振りにしているからなんだろうと思う。

奇妙な体験談

イメージ 1雲底の天才  孫娘椿  7歳

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少年サッカーチームの孫 一番左のチビ  蒼  10歳

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熱海のオーベルジュ VILLA  DEL  SOL
ここで台湾のお客さんが結婚式を本日していました。徳川家の図書館を麻布から移築して作ったようです。1日一組限定の豪華なヴィラです。お金があると良い事も多いね。


 親しい友人の口から飛行機のなかでの奇妙な体験談を聞かされて、私がただちに記憶によみがえらせたのは、もう随分前に読んだピエール ド マンディアルグ の『レオノール フィニーの仮面』という文章からの一説だった。次に引用してみる。
 「人間的な領域に話しをもどすならば、ヴェネチアとパドヴァのあいだのブレンタ運河の岸に、16世紀になって建てられた、マルコンテスタ荘の奇妙な便所のことを不問に付するわけにはいかぬだろう。排泄の瞬間は、魂のなかの曖昧なものの時刻とあまりにも緊密にむすびついているので、これをその瞬間において捉えようと努力するのは適当でないかもしれない。ところで、マルコンテスタ荘における便所は、この地方で最初につくられたものの一つであろうが、ドアがついていなくて、そのかわり一個の仮面が備えつけてある。そこに閉じこもる人間は、この仮面で顔をかくして用を足す仕組みになっているのだ。」
 ひとたび仮面で顔をかくして匿名の人間になってしまえば、用便中のすがたを人目にさらすという、人間ならばだれでも持っているはずの恥ずかしさの感情も、嘘のように消えてしまうらしいのである。いや、そう簡単に消えるかどうかは分からないが、少なくとも仮面という魔法の小道具の利用によって、マルコンテスタ荘の設計者が、そういう方向をめざしていたということだけは間違いないだろう。仮面は人間を匿名化するといってもよいだろうし、あるいはまた、個性を廃棄するといってもよいだろう。
 民俗学や人類学の貢献によって、仮面の社会的意義は徐々に明らかになりつつあるが、そういうものに私はいちいち律義につき合おうとは思っていない。私はただ、仮面の効果的な利用によって、いかに人間が踏み越える困難な人間的限界を突破するか、ということの例をいくつか挙げてみたいと思う。人間的限界を突破するということは、日常的現実の外に超脱することだ、といい換えてもよいであろう。どうやら仮面には、そういう働きがあるらしいのである。マルコンテスタ荘の便所の例も、ごくささやかながら、こうした例の一つにほかなるまい。
 イギリスあるいはアイルランドあたりでは、死刑執行人がしばしば仮面を用いるということがあったようである。もちろん、それは威嚇のためとか、一種の呪術的あるいは儀式的な意味とかいったものがあったかもしれない。しかし私の思うのに、これはたとえば銃殺や電気椅子による処刑の場合、多数の執行者に銃を射たせたりボタンを押させたりすることによって、誰れが致命的な一撃をあたえたかを曖昧に分からなくしてしまうことにも似た、匿名化の方法の一つではなかったろうか。職業として人間に死を与えるには、それだけの手続きが必要だったのであろう。
 仮面をつける習慣をヨーロッパ世界に広めたのは、まず16世紀ヴェネツィアの高級娼婦だということになっている。ヴェネツィアでは、仮面はやがて高級娼婦ばかりでなく、一般人のあいだにも急速に普及して、貴族も市民も、男も女も、こぞって白昼に仮面をかぶって大道を闊歩するようになった。こういう例は、世界の歴史を見わたしても希有の例に属するであろう。「18世紀のヴェネツィアはほとんど一つの仮面文化である」といったのはロジェカイヨウであるが、こうしてヴェネツィアは300年にわたって仮面文化を洗練させたのだった。年齢も性別も階級の差もなくしてしまうヴェネツィア式の仮面は、誰もが一瞬、幻覚のように自由と平等を楽しむことができる社会を実現していた。しかし仮面がどこよりも効果を発揮していたのは劇場においてであって、これを顔につけると、貴婦人たちはその反応をだれにも知られることなく、安じて舞台上の卑猥な言葉を楽しむことができたんだという。これも匿名化のための手段といえるかもしれない。
 いわゆる仮面舞踏会が貴族社会であれほど好まれるのも、仮面というものが、個々の人格を無責任に自己解体させるような集団感情を誘発したからにちがいあるまい。ヌーディストキャンプに着衣の人物がまぎれこんだときのように、もし素面の人物が仮面舞踏会にまぎれこんだとしたら、おそらく会場の空気はしらけるであろう。これは私が或る筋から聞いた話しであるが、乱交パーティーの主宰者は、参加者のあいだを隔てる個性の壁を取っ払うために、全員に同じ浴衣なら浴衣を着せるのだそうである。しかし単なる均等化、あるいは画一化とはちがって、仮面はなによりもまず自己諧謔のための手段であり、日常的現実の外側にある一つの機能を手に入れるための手段である、ということを忘れてはなるまい。


 マンディアルグの文章のなかに出てくる「ヴェネツィアとパトヴァのあいだのブレンタ運河の岸に、16世紀になって建てられた」というマルコンテンダ荘について、ごく簡単に説明しておきたい。
 まずゲーテが『イタリア紀行』のなかで、次のように書いているのを見られたい。
「パトヴァからヴェネツィアまでの旅について、ほんの数語を記しておく。ブレンタ河を乗合船に乗って、お互いに礼儀を重んじる行儀のよい、イタリア人たちと一緒に下った船の旅は、作法も乱れず気持ちよかった。両岸は農園や別荘で飾られており、小さな村が水ぎわまで迫っているところがあると思うと、ところによっては人通りの多い国道が岸辺に沿って走っている。河を下るのは水門によるので、船はいくたびか停まる。その暇を利用して、私たちは陸にあがって見物もできれば、豊富に提供される果物を味わうこともできる。それからまた船に乗り込んで、豊穣な、活気のある、生き生きした世界を通っていくのだ。」
ゲーテがマルコンテンタ荘を見たかどうかは、この『イタリア紀行』の記述からだけでは分からないが、ヴィチェンツゥア、パドヴァ、ヴェネツィアと旅を続けているあいだ、アンドレア パラーディオの建築にあれほど熱中したゲーテのことだから、記述にはなくても、実際に見たということは十分に考えられてよいだろう。マルコンテンタ荘はブレンダ河くだりの最後を飾るにふさわしい、河口に近い海寄りの土地に建てられた、古代的な美しい柱廊玄関をもつパラーディオの小傑作なのである。別名フォスカリ荘ともいうが、これはヴェネツィア貴族の名門として知られるフォスカリ家の人々がここに住んだためだ。
 ヴェネツィアというラグーナ(潟)都市は湿気が多く、夏は極端に暑いので、そこに住む貴族たちはテラフォルマ(本土)と呼ばれる背後の土地に好んで別荘を建て、そこで夏を過ごした。とくにブレンタ河の両岸は緑の樹々が多く、ヴェネツィアからごく近く、水路によって小一時間で達するほどの便利さだったから、彼らが別荘をつくるには絶好の土地柄だった。「これらの別荘では、夏の夜、貴族たちが提灯をつけて祝典を催し、茂みのかげにかくれたオーケストラがヴィヴァルディや、ベルゴレージャや、チマローザの曲を演奏した」とミシュランのガイドブックに書いてある。
 イタリア語でマルコンテンタは不平の、不満の、あるいは失意の女の意である。なぜこんな不吉な名前がつけられたのかというと、この別荘にフォスカリ家の娘のひとりが幽閉されて、失意のうちに死んだからだという。また17世紀ごろ、このあたりの土地に疫病が蔓延して、一時はひどく荒廃したためだともいう。どちらにしても伝説で、あまりあてにはなるまいが、不吉な名前はかえって或る種の好事家の注意を惹きつけたにちがいない。げんにマンディアルグが目をつけているのも、幾分は、この別荘の名前の特異さのためではあるまいかと私は疑っている。
 しかしアッカーマンの『パラディーオの建築』やウィットコウアーの『ヒューマニズム時代の建築原理』に目を通しても、あるいは日本の福田晴虎氏や長尾重武氏の綿密周到なパラディーオ論を参看しても、ついに問題のマルコンテスタ荘の便所に関する記述は残念ながら発見することができなかった。建築学的な見地から眺めれば、一個の仮面を備え付けた便所なんて、取るに足らぬ小さな問題にすぎぬであろう。
 もし私が今後イタリアにあそぶ機会にめぐまれたら、忘れずにマルコンテンタ荘の便所をしらべてきたいものだと思っている。

 エドガー ポーの『赤死病の仮面』、マルセル シュオックの『黄金仮面の王』、あるいはジャン ロランの『仮面の孔』など、私の好きな19世紀の仮面文学は多い。
 ヨーロッパから東洋へ目を転じると、私は蘭陵王の故事を思い出さないわけにはいかない。舞楽の曲名になっているから周知であろうが、北斉の蘭陵王長恭が 自分のやさしい顔をかくすために怪奇な面をつけて、五百騎をひきいて出陣し、北斉の軍を金遙城下で撃破したとう故事である。三島由紀夫の短編に『蘭陵王』というのがあるが、おそらく三島には、この美しい名前のひびきに見せられたところがあったのではないか。
 『蘭陵王はかならずしも自分の優にやさしい顔立ちを恥じてはいなかったに違いない。むしろ自らひそかにそれをほこっていたかもしれない。しかし戦いが、是非なく獰猛な仮面をつける事を強いたのである。しかしまた、蘭陵王はそれを少しも悲しまなかったかもしれない。或ひは心ひそかに喜びとしていたかもしれない。なぜなら敵の畏怖は、仮面と武勇にかかわり、それだけ彼のやさしい美しい顔は、傷一つ負わずに永遠に護られることになったからである。本当は死がその秘密を明かすべきだったが、蘭陵王は死ななかった。却って周の大群を、金遙城下に撃破して凱旋したのである。」
 いかにも三島らしいロジックで、彼は武勇のほまれ高い蘭陵王が戦場で死ななかったのを、画竜点清を欠いた生涯として、ひそかに惜しんでいるのでもあるかのごとくである。
 私は最後に、モーリス マーグルの詩集『地獄の登攀』から抜いた一遍の詩を紹介しておきたい。マーグルは20世紀の半ばまで生きた作家だが、どこか印象派の生き残りみたいなところがあって、ちょっと古風な仮面の詩をいくつか書いている。そのうちの一つ、題して『サムライの仮面』という詩である。


今宵、恋人は恐ろしい日本の仮面をかぶり、
身ぶりよろしく異様な踊りを踊ってみせてくれた。
まるで悪鬼のように、凄い笑みを浮かべつつ
サムライの火色の漆の絶望を表現した。
ガウンを頭の上まで跳ねあげたので、
そのぴったり合った両膝と、力強い上半身の、
美しい隠れた線があらわになり、
その上に恐ろしい仮面が踊っていた。
けれども彼女が仮面をとろうとすると、すでに
火色の漆は女の顔と一つのものになっていた。
爪はむなしく、彼女の顔にはりついていた
この恐るべき仮面を引き剥がそうとするが、
美しい卵形の顔の上に、傷のようにくっついていて、
いつまでも離れないのは醜悪なしかめ面だった。
美よ! 一瞬間でもお前を忘れるものに禍いあれ!
恋人はじたばたしながら恐怖の叫びをあげた。
その声は、絹の長毛と色あざやかな漆の下で、
やがて間遠になり、痴呆めいてくるのだった。

  『 澁澤龍彦 奇譚集 』 仮面について   より転載

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京都も鎌倉も美しい街だ。いずれも永い歴史のある街で、たたずまいがしっとりとしているし、どこかでなつかしい昔の日本の幻影というような気配がある。
1ヶ月ほど前、義母をつれて長谷寺と大仏のある寺に花見に出かけた。最後に八幡寓に参拝してその帰りの小町通りから少し入った古書店で、偶然に店頭で『 澁澤龍彦 奇譚集 』を見つけて即座に買った。

澁澤は大学時代からの愛読書であり、マルキドサドの「悪徳の栄え」の翻訳販売に関してのわいせつ図書販売、同所持に関する最高裁有罪判決(昭和39年)から出来る限り集めていたけれど、そもそも売れない高い本が多いから絶版化して手に入らない。それがたまたま鎌倉散歩で遭遇したのだから、犬も歩けばという文字通りの好運となった。

人生のすすみ行きの決定因の最大値はこうした「運勢」だろうと個人的には強く思うが、これの有る無しで行って来い結果が異なる。結果オーライなら警察はいらないという事で、それで僕は随分と好運なことが多かったように思う。
さて運という不思議さに関してという意味で、現代は情報化社会とかいうけれども、そういう情報なんて僕はほとんど全く信じていないし、当てにしない人生だったと自分で思う。自分の好きな事しかしないでここまできたし、きっと後の残りも同じだろうと思う。それでなんとでもなってきたのだし、それはきっとそういう好みが運を呼んだという事実があった、この本が500円で目の前にぶら下がるというような出来事も、平日に花見をしたからだろうと思う。でもいらない人には値打ちなんてゼロだろう。
いかすぐれた価値があると思うテキストだって、猫に小判というケースのほうが100倍も多いのだろうとも思う。文化というのは所詮、そういう片務的なものだろうと思うな。
 さて昨日はマダムの母のにのヘルプで東京を往復した。たまたま孫のサッカーの試合があるので見物しろということで8人制の小学生のサッカー試合を始めた見た。なかなか孫は足が速いが、8割が6年生のなかにあって4年生ではやはり体が小さいなあと思った。当たり負けするのだ。それでも後半の20分をよく走っていた。結果は2−2で引き分けだったようだ。一方妹は雲梯と鉄棒の天才である。実にすばやくバランスが宜しい。きっと運動好きの父親に似たんだろうと思う。これも僕からみたら突然変異なのだが、変異が起きる前提には交配の自由度が前提となっているのだろうと思う。ほとんどの人があまりしない事が自然にできる人。そういう気質が重要だと僕は思って物事をすすめてきたように思う。
 やがて全ては消滅に向かうという摂理。それはある意味で僕が澁澤のテキストから大学時代に読み取っていたことでもあった。そんななつかしさをこめて奇譚集を読み進めている紫陽花の頃だ。

生と死の結び目

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ツツジが満開の小室山

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川奈ゴルフクラブを見下ろす

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北海道道東の地図

 ある夏、大学の喫茶店で、夕暮れの窓の風景を眺めながら麦酒を飲んでいる青年を見た。これはきわめて日常的な話だ、誰だってこの青年の誰かれを、抽象的にいえば、つねに見ているのである。この青年は、僕自身であり、あなたでもある。
 ぼくはその、いわば反個性的である青年の隣のテーブルに座り、雨もようの暗い空を見あげ、一瞬、僕からその青年の存在は消えてしまった。ぼくもまた反個性者となった。
 ところが、不本意にぼくは、自分の耳につぎのような声がささやかれるのを聞いたのである。茫然としているような、力点のふたしかな声で、しかしあきらかにぼくむかって、ーーーぼくは明日結婚するんですよ。
 ぼくはふりかえり、その見知らぬ青年が、涙ぐんだ眼でぼくをみつめているのを見た。
 青年はぼくを非難しようとしているのであろうか?その青年にとってぼくは、かれにぼくにとってそうであるように反個性者にしかすぎない。したがって、かれの非難は次のように敷行されるべきものである。
 ーーー反個性者よ、人間よ、ぼくは明日、結婚するんですよ。結婚制度を数千年にわたって文化の発生以来とでもいっていいほど長いあいだにわたって守っている人間よ、ぼくは明日結婚するんですよ。
 ぼくは青年に黙ってうなずき、それから急に不安な気持ちにとらえられて、そのまま立ち上がると店を出た。ある夏の夕暮れのことだ、土埃と湯気の匂う舗道を歩き、数多くの人たちと行きかい、しばらくするとぼくの心には、もう不安はのこっていなかった。
 それだけの体験だ。しかしぼくはたびたび、あの反個性的な青年の声を思い出し、もの思いにとらえられる。それは、ーーーーぼくは明日自殺するんですよ。
 という言葉を、あたかもその時ぼくが聞いたのであったならば、やはりそう感じたにちがいない重く深い感覚、不安の感覚とともによみがえってくる。しかも、自殺という言葉は不適当なおきかえであるかもしれないのだ。
 明日の自殺、それは人間にたいする運命としての意味を、かならずしも持っていない。明日の自殺、それはあの青年がそれを中止する自由を持っているし、ぼくがかれにそれを中止させることもできる。この言葉は、ぼくは明日、自殺するんですよ、という言葉は、真実の言葉という感じを聞く耳にあわせあたえない。これは欺瞞の言葉だ、人間はこれを信用する義務がない。社会生活をおこなっているものとしての人間は、この言葉が自由に発せられるのを見逃す権利もない。
 しかし、明日の結婚、それは、逆に、運命的な、ある、犯しがたいものをもっているのである。また、人間は一人の青年にたいしてそれをとどめることはできないし、一人の青年は、自分の具体的な明日の結婚をおもいとどまるためには非常な勇気を要請される。これは社会生活者としての人間にとって、放火とか殺人とかと同じような、破壊行為だ。しかも、かれは明日の結婚を破壊するという困難な作業を、ひとりぼっちで、あらゆる人間に背を向けて、孤独に行わなければならないのである。
 むしろぼくは次のように言葉をおきかえるべきであろう。
 ーーーぼくは明日、自然死するのですよ。
 あの夏の夕暮れ、まったく唐突にぼくに話かけた青年の眼が、涙に濡れているのを、ぼくはいま理解することができる。かれは、自然死がそうであるように、人間にとってまったく不条理な大怪物にとらえられようとし、そこで黙っていることができなかったのだ。
 ここであきらかにしておかなければならないのは、この青年が、決して、結婚という不条理な大怪物を拒否しているのではない、ということである。不安と戦いながら、かれは怪物のまえを自分の意志において逃げ去るだけではない。かれは耐える。
 自然死についてぼくは、ある体験をもっている。それはぼく自身の父の死にたちあった時の体験で、ぼくの少年期の主調低音はそれから導かれた。父が、危篤になったとき、家族がその床のまわりに集まった。父は意識を失っていなかった。眼も見ひらいていた。しかし、かれは家族たちのいかなる呼びかけにも応ぜず、森の奥でひとりぼっちで死ぬ獣のようにひっそりと黙って、眼だけしっかりひらいていた。
 医者は、父が意識不明なのだといって、泣いて叫ぶ家族を納得させようとしたが、ぼくはそれが正しくないことを知っていたのである。父は死という強大な怪物の接近を、不安におしひしがれながら感じていた。そしてかれは、死という大怪物を決して拒否しようとはせず、恐怖とともに受け入れようとしたのである。父の眼はそれをあきらかに示していた。父が死に、仏教の僧がやってきて読経したとき、ぼくは、その意味不明の一種の歌が、あの死の寸前の父の眼にぼくが見たところのものを説明しときあかすべく不毛な努力をかさねているもののように思われた。僕は僧を恐れ、また、成長してあの経の意味がわかり始める日のことを絶望的に恐れて少年期をすごした。
 ぼくは死を恐れていたが、それよりもなお死を拒否せず、納得する人間の精神をおそれていたというべきだろう。ぼくの心にもまた、この怪物にひざまづく心がおきかわる日がおどずれるのだと思うと恐怖にうちひしがれる思いがした。それはぼくの少年期の恐怖のもうひとつのものとつながる。別の恐怖とは、宇宙への恐怖だった。宇宙の拡がりに対する恐怖。ぼくは星座表に夢中になっていた一時期をもっているが、星の群れのそのまた奥に限りない空間の拡がりがあると思うと、眼も眩むほど不安であった。またそれは、ある時期を過ぎると、次のような形の不安に発展した。人間一般がこの宇宙の無限のひろがりを殆ど意に介せず暮らしていることの怪物性!
 この恐怖を救ってくれたのは宇宙物理学の通俗解説書のアインシュタインに関する部分で、私はそれ以降、この物理学者に宗教的な畏敬の念をいだいていた。また、抽象という言葉の真の人間的意味について発見したのもこの黄色い紙に刷られた不思議な書物をつうじてであった。ぼくは思い出す、理科実験室の隅の木椅子と、それに腰をかけて読書する少年をめぐる暗く湿っぽい光線を。
 この二つの恐怖は、ともに無限の感覚とつながっている。死=時間的無限と、宇宙=空間的無限と。そしてぼくは再び、少年期の愛読書であったものの一冊の表題が<時間、空間を横切って>という胸をときめかせる一句であったことを思い出す。それには、牙が長くのびすぎたために滅亡した一種の虎の種族の想像的復元図があって、それも、また、死についてのもの思いをかきたてるものであった。
 ぼくは25歳の誕生日に結婚したが、その前日、ぼくが考えたこと、回想したことは、これらのことであった。ぼくは夕暮れに一人で喫茶店に座ってものを考えていた。ぼくは、その寒い夕暮れ、自分がじつに深く消耗しており卑小な弱い存在となってい、反個性的な存在であるのを感じた。ぼくは不安におしひしがれ、暗い沈み込んでうきあがれない気持ちであった。
 ぼくはこれを誓うことができるが、その夕暮れにもまた、明日の結婚を積極的にのぞんでいた。ぼくは昼のあいだじゅう、結婚式の準備のために走りまわり、新婦にための蘭を遠くまで電車にのって買いにいったりもしたあとであった。しかし、ぼくは自分が、隣の席にいる見知らぬ男に心からの感情をこめて次のように話かけたい気持ちであるのを発見し、しかもそれを驚きもしなかった。
 ーーーぼくは明日、結婚するんですよ。
 ぼくはその言葉をはっしはしなかったが、その言葉が発せられ、その言葉のもっとも深い意味を理解した見知らぬ男から力づけの言葉をかえされるという理想的な人間コミュニケーションを空想し、涙ぐましい思いにとらえられた。
 家に戻ってから、深夜だったがぼくはふいに鏡を見たいという激しい欲求にとらえられた。滑稽な話だが、あいにくなことにぼくは部屋をかわったばかりで、鏡は未整理な書物の山の下にあった。そこでぼくは紙とインクとガラスを使って鏡を作り、それで自分の顔を見た。とくに眼を僕は見た。
 ぼくは自分が父親の眼ときわめて似かよった眼をしているのをあらためて発見した。ぼくは父親の種族であり、父親が耐えていたように、黙って耐えようとしていた。ぼくは不可有境に出発したかった。

 結論にたいする、あるいは新しい結婚者への、批評というものがあるならば、ぼくがそれを初めてうけたのは、ある壮年の文学者によってであった。文学者は次のような意味の批評をおこなった。
 ーーーきみは結婚して、明るい顔になったよ、かつてきみには独身者の暗さがあった。
 独身者の暗さ、それは動物的な暗さだ。動物世界の暗闇にむかって窓のひらかれている暗さであって、その窓に照明をあてることはできない。
 結婚していない青年と結婚している青年とをくらべると、前者には激しい魅力があるが、いったんホテルの個室にとじこもると、前者にたいしては本能的な恐怖を感じる、とある一人の、不幸な恋愛をつづけてきた女優から聞いたことがある。ぼくらはつづいて次のような問答をおこなった。
ーーー独身者の青年の性器は凶器のような印象を与えるというわけですか?
ーーーいやそういうことではなく、その独身の青年には肉体の内部に、暗い穴ぼこのようなものがあるように感じるのよ、それに触れると、とりかえしがつかないような気がする。ひとりぼっちで住んでいる青年の部屋の壁に穴をあけて覗くとするわね。その青年が一人だけでどんなことをするか、奇怪で怖い。自分の人間としての本
質を否定しなければならなくなるような行為をその青年がするとしたら!独身の青年と寝ることには、そういう不安があるのよ。
ーーー逆にいって、ぼくの友人に処女恐怖症の男がいましたよ。かれは農家の長男で、やがては田舎の処女の娘と見合い婚をしなければならなくなる筈だったから、結婚を戦争のようにおそれていたな。両親を説得できることができるなら、旧赤線の娼婦と結婚したいといっていた。四十近い娼婦に十九歳の農村の娘の服装と化粧をさせて結婚したいといっていた。この場合をどう思いますか。
ーーーそのお友達は、不能じゃないかしら?あたしはそういう人を何人か知っていたけど。
 この問答は、おそらくその時、まだぼくが独身青年の一人であったために、性的な側面を強調したきらいがある。性的なかげをあわせもつものではなく、性的世界の外の恐怖が結婚生活にあらわれることがある。それはとくに永いあいだ一人で暮らしてきた青年が結婚したときにおとずれる恐怖である。
 ぼくが結婚してもっとも痛切に感じたのは、つねに四十六時中、他存在が、はっきりといえば他者が自分のそばにいるという意味である。ぼくはほぼ十二年のあいだ一人で下宿生活をしてきた。ぼくにとって個人生活とは、文字どおり、一人だけで一つの部屋にいる生活であった。ぼくから発する意識の矢はぼくにまっすぐ戻ってきた。
 ぼくは少年期の後半を、そして青年期の前半以上を一人で下宿に暮らしてきたが、そのあいだに孤独な存在が体験する危険のすべてを体験したといっていいと思う。一人の青年が閉じこもっている部屋では、じつに様々なことがおこなわれる。かれは自分の殺人者的資質を発見することがある。かれは自分が発狂寸前までいたっていることに気がつくことがある。
 ぼくは一昨年、礼文島に集団の一員として旅行したが、冬のさかなの極北端のこの島で、ぼくは殆ど一瞬も一人でいる機会がなかった。雪と荒れた海のなかにとじこめられた十日間のあと、ぼくはとくに許可をえて札幌にひとりで戻り、ホテルの一室で三日間をすごした。最初の夜、ぼくは鍵をとざした部屋のなかを、熊のように吠えながら這いずりまわり、それを非常識だとは思わなかった。三日のあと、やっと平衡をとり戻してぼくは集団の中へ帰ったが、この三日間の孤独な生活がその中間にはさまれなかったら、ぼくは自分が発狂したであろうと信じている。
 結婚したあと、ぼくは独りの生活が内包している様々な危機に思いいたった。そしてそれをあらためて検討する欲求にとられらえているが、結婚生活にもまた、人間存在の根元につながる恐怖が顔を出すことがあるのである。
 きわめて平和な夕食のあと、ぼくは妻と、外国の映画監督の談話をめぐって話しあっていた。それは殺人の方法についての談話で、そのうちぼくはゲームを試みる気になった。その談話を骨子にして恐怖物語をつくるゲームだった。ぼくが勝って、先に物語を話し始めた。
ーーー二階に四つの洋室と水洗便所のある家を階下にすまっている家主から借りてすまっている若い作家とその妻がいる。職業がら、かれはあまり外出しない。台所のゴミを下水道に流すためのデスポーザーを、電気器具店から試用する目的で、その若い作家がかりて行く。電気器具商は、調子を見にきたが、デスポーザーは台所にでなく、推薦便器の上にのせてあったので気をわるくしてかえってしまう。その夜、家主夫婦はたびたび水洗便器の水が流される音をきき、眠れなかった。きっと下痢でもしたのだろう、と考えている。さて翌日、若い作家はデスポーザーの調子が悪いからと返しに行って、電気器具商をますます不機嫌にさせた。かれは怒って独りごとをいうほどだ、あんな若造はこのデスポーザーで粉々にしてやりたいよ、人間一匹くらい平気な機械だぜ!その後、若い作家の妻を見かけた者はいない。
 ぼくにつづいて妻もその物語を話し、二人は大笑いをしたが、そのうちぼくも妻も、恐怖にとりつかれてしまった。ぼくには妻の顔、体、呼吸音、動き、それらすべてが奇怪に思われ、心に涌きあがった考えをできるだけ忠実になぞるなら、ぼくは次のように考えたのである。 
 ーーー自分より他の人間と一緒に、無防備で夜をすごす、そんな怖いことはできない!
 妻もほぼ同様な恐怖を感じたのであるにちがいない。ぼくたちはたがいに、こわばった表情で恐怖におののきながら見つめあい、もしどちらかが動いたなら、叫び声をあげてしましそうな気配となった。電話のベルがなり、それがぼくの義父が羽田空港からかけているもので、一時間あと訪問してくれるという内容であったとき、ぼくも妻もやっと恐怖の発作から解放されたのであった。
 一般に、結婚が女の空想力を退化させるという意見にぼくは反対であるが、ちなみに妻のつくった物語はこうだ。おなじく若い作家の夫婦で、その台所のデスポーザーが過度の使用のために壊れた。そこで工事人がやってくる。妻だけしかいない。工事人はデスポーザーの奥に手をさしいれて調べる。水がたまっていて、自分の手が影のむこうにうつり、それは奥から白くふやけた手がつきでているみたいだ。工事人は覗き込んだまま水をぬいてみる。水はなくなったのに、手の影だけは、いやにくっきりと残っている。
 しかしこの恐怖は、単に夫婦のあいだだけでねく、この人間社会のなかにどこでもころがっており、いかなる組み合わせの人間間にもあらわれるものであると考えるべきかもしれない。結婚生活とは、その機能の本質において、社会生活の雛形なのだ。

 結婚は、性的要素に人間の肉体および精神のなかでの妥当な位置づけをおこなう。
 性的要素は、一般に独身の青年にあっては拡大されすぎているきらいがある。したがって、結婚した青年は、結婚というものを、いわば反セックスの域だと考えることがある。独身の青年というイメージは性的な匂いをもっているが、結婚した青年というイメージはむしろ性的なものとは逆の、反セックスの印象を与える。
 ここでぼくはさきにひた、不幸な恋愛者である女優の例は次のようなかたちに解釈することができることになる。
 彼女はセックスの匂いのするものを恐れ、反セックスの存在にかくれることを望んでいるのだ。そしておそらく彼女は病的にまで精神的であり性的な快楽を感じないがわの人間なのだ。彼女は、不能者の男としてキリストを考えるとぼくにかたったアメリカ人の女学生と会って話しあうべきだったかもしれない。おたがいに理解しあっただろう。
 またぼくは、結婚が反セックスの域であるということの認識をつうじて次の現象を理解するようになった。
 男色家の青年が女と肉体的な恋愛関係をもつことはめずらしいようである。かれらは、セックスの存在を背後におしやったような種類の美女とギャラントな友情をもつことでそれにかえている。
 ところが重要なことは、こうした男色家の青年が、きわめてやすやすと女との結婚生活に入り、それを破綻させることなく維持しているという事実だ。ぼくはごくみじかに、このような幸福なる男色家の夫婦の例を三つもっている。かれは結婚によって初めて、セックスの破壊的な攻撃からまぬがれる域を、反セックスの域をかちえたのである。
 しかし、あらゆる社会に悪人がひそんでいるように、幸福な男色家たちとその妻の夫婦にも悪しき人物がいる。かれらは、女と結婚しているということを罰則ルールとしてゲームをますます興味深いものにしようと試みるものがいる。また、心ならずもそのような、罪悪感と快楽のはざまにおちこんでしまうものがいる。ジイドの日記やサルトルの<自由への道>が、この悪人たち、あるいは犠牲者たちを描いている。
 かれらは、この結婚という反セックスの域にこもることで、セックスを肉体と精神の秩序に平衡とともにくみいれる時期を失してしまった。かれらはもう、セックスの世界から逃れることができない。かれらは青春と別れる契機をうしなった。少年のようにういういしく、したがって二重に老醜をさらして、男色家の老人たちが渇いた老年を耐えなければならなくなるのは、この事情にふれた場合である。
 結婚した青年が、さいわいこの罠におちこまず、反セックスの門をくぐりぬけたとき、新しい問題となってあらわれるのが、生殖の問題である。または反生殖の問題である。
 少年たちが辞書をひっぱりまわして見つけだし、大笑いする言葉の一つが、生殖器という言葉だ。ぼくは思い出す、性器=生殖器の関係が少年のぼくにもたらした大笑いを。生殖器という言葉には、陽気にとぼけた滑稽なものと深刻なものとがつかずはなれず同居している。
 結婚した青年は、性的抑圧から解放され、かれはもはや、自分の性器を、意志に反して欲望とつながる、半独立存在だとは考えなくなる。たちまちかれは、永い禁欲期間について忘れてしまう。
 しかし結婚した娘にとって、生殖器としての性器は、たちまち野性の獣のごときものにかわり、独立を主張し、恐慌のみなもとになる。彼女たちは、妊娠または出産の恐慌からのがれることはできない。彼女たちは妊娠を多かれ少なかれ、外部(男性または処置の不手際など)からおしつけられたものと考える。自然死がそうであるように、彼女たちは出産を恐れ、それを不当だと考えても、拒否する権利はないのだということを知っている。人工流産の心理には、つねに欺瞞がある。ぼくは婦人科の医院にインターン生としてつとめている友人をもっているが、かれの体験では、そこへおとずれる人工流産希望者は、ほとんどみな、その処置を、外部(男や家族など)におしつけられ、拒むことができないのだという態度を示すそうである。そういう自称被害者に、それでは手術を中止して産むようにすすめると、彼女たちはたいしてのりきにならない。しかも彼女たちは手術台に上がるまで、突然気を変えた夫や恋人が手術中止をもとめて駆けこんでくることを夢見ているのだ。
 妊娠、出産に関するかぎり、おそらく若い母親はつねに他力本願なのである。彼女たちは極力、責任回避をもとめる。そして、いったん子供が生まれると、こんどは逆に、彼女たちは自分しか、この全能の創造主たる自分しか信じなくなる。
 ぼくは出産について次のような仮説をもっている。女性にとって出産はもうひとつの死なのだ。次の死のとき、彼女のすべてが死ぬる。したがって出産された子供は、彼女の一部の死においてあらわれたのだ。子供は生命の象徴ではなく、死の、全面的な死の予告ということになる。
 一般に、母親は子供にたいして、一度全面的にあきらめる瞬間をもつものだ。彼女は子供がいつまでも自分の腕のなかに柔順にひそんでいると考えている。しかし子供は彼女から去って行く日をかならず待つ。母親はあきらめる。ここでも、母親は死をあきらめることの予行練習をおこなっているのだ。
 子供が生まれたとき、母親のこの傾向は父親に移行することがある。ぼくの友人の若い作家は、いわゆる若い新戦後派の旗手のような存在であるが、次のようにその長男の誕生について語った。
 ーーー子供が生まれると厳粛な気持ちになるよ、それは過去と未来の人間の鎖の、一つの輪に自分がいまなったと感じることなんだ。どだい、世界にたいして肯定的になるよ。
 かれは過去の鎖にたいしては、現在の自分の生を強調して感じることができる。しかし未来の鎖にたいしては、すでに自分の死を見ているのだ。死者はこの世界にたいしてつねに肯定的であるほかない。
 さてぼくは、結婚の前日の感情、結婚生活、結婚の反セックス性、妊娠と出産について感想をのべてきたのであるが、つねにぼくの声は死の色彩にかげらされてきた。結婚と死のイメージとはぼくにとってつねに同時にあらわれてきたのである。
 しかしそれは、人間の生活をめぐる問題であるかぎり、生のイメージと結婚とがつねに同時にあらわれてきたといいかえても、決してあやまりではないのである。なぜならば、生を意味づけ、また生命を増幅し、生活の一瞬を輝かせるものが死であるからだ。そして結婚とは、生と死の結び目のもっともめだつ重要な場所であり時なのである。
 いわば無宗教の平均的日本人が宗教との関係において行動するのは、結婚および死の二つの機会においてである。

     結婚と死  「厳粛なる綱渡り」   大江健三郎     より転載
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 僕がこの大江の悪文ぷんぷんたる実に読みにくいテキストを最初に読んだのは大学4年の頃だったように思う。つまりいまから40年ほど前、当時21歳であった。手元の書籍は昭和40年6月の第4刷(出版当時は僕は10歳だったことになる)だから当時きっと神田の古本屋で見つけて拾ったものだろう。既にひどく黄ばんだ507ページの大判のエッセイ集が発売当時は600円だから書籍だけ見れば物価はきっと3−4倍にはなっていると思う。当時僕にはつき合っていた彼女がいたが、結局は別れてちがう美女と結婚したのが25歳の時だったから人生はどう転ぶのか誰にも全くわからない。
 今月は桜木志乃という主に北海道の道東(釧路、根室、知床など)を舞台にした作家の作品をずっと読んでいる。都合15冊ぐらいは読んだろうが、北海道という北と東の土地と人がどういうものかという事が少しわかって(というか気がついて)勉強になった。辺境という場所が中心とどれほど異なるか、その離れ方によって大きく異なるのは当然だが、その皮膚感覚としての温度差という絶対値によって生き方も決め方も変わる。
僕はすごくミーハーなところがあって、好きな作家の作品に出てくる土地と時間にこだわりがあって、いつか訪れることを夢にみながら本を読み続ける。例えば四国の四万十の山の中とか紀州の海沿いの道だとか青森の日本海沿いの海辺であったりとかだ。
 釧路と根室は20代、30代で2度ほど車で夏休みに通過した経験があるだけだが、もう暗い湿った土地だったという以外に印象にない土地である。こんどはもうすこしゆっくりと滞在してみたいと思う。
北は北方領土、南は沖縄と国境線では他国との境界線で辺境ならではの変化と切実な問題を常にかかえている。それも戦争に負けたという時点から厳しい変化がこの地域を襲ったのだろう。男と女が生きて行く途中で、結婚という制度と生活の変化に遭遇する前後では、生と死の結び目がかならず大きく変わる。それを小説に落とし込んだ上手い女流作家が桜木志乃ということなのだろう。ホテルローヤルで直木賞を取ったがどれを読んでみても上手い!と思う。
先週は小学校3−4年の時のクラスの担任の先生にお会いする機会があった。もう88歳で4年前に夫を看取ったという熱海在住22年の先輩である。でもやはり女は強いねとまた感じたから、きっと日本な大丈夫だろうと彼女たちを見ていて思う。

太腿の記憶

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芦ノ湖と富士山  湯河原オレンジライン山頂より

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安室チャンはグラフの友

 カロリーヌ イェサヤンの腿に手を置いたとき、ブリュノの気持ちとしては彼女に結婚を申し込んだのと同じだった。彼が思春期を始めた時代は、一つの移行期だった。いくらかの先駆者は別としてーーーそもそもブリュノの両親が、その不愉快な例だったーーー、前の世代は結婚、セックス、愛のあいだにきわめて強固な絆を打ち立てていた。実際、50年代におけるサラリーマン階層の拡張と急激な経済成長によってーーー世襲財産という概念がなお実際上の重要性を保っている、小数派となりつつある階層においては別だがーーー、<理性による結婚>は好まれなくなっていった。婚姻外の性行為に対して常に批判的な眼差しを向けてきたカトリック教会も、<愛による結婚>へと向かう傾向を、より自分たちの教義にかなうものとして歓迎した(「男と女を神は作りたもうた」)。それが教会のそもそもの目的である、平和と忠誠と愛にもとづく文明への第一歩につながると考えたのだ。この時代、カトリック教会に対抗しうる唯一の精神的権威であった共産党もまた、ほぼ同じ目的のために戦っていた。こうして、50年代の若者たちの誰もが、<恋に落ちる>その瞬間を、今か今かと待ち望んでいたのである。地方の過疎化と、それにともなう村落共同体の消滅によって、将来の伴侶の選択範囲は無限に広まると同時に、伴侶の選択は極度に重要な事柄となっていったのだからなおさらだ(1955年9月にはサルセルでいわゆる「団地」政策が初めて試みられたが、これは社会の枠組みが核家族にまで収縮したことを如実に示す事例であった)。かくしてわれわれは、50年代およぼ60年代の始めを、誇張なしで、真の<恋愛感情黄金時代>として定義することができるーーー今日なお、ジャン フェラや初期のフランソワーズ アルディーの歌を通してそのイメージをつかむことが出来る。
 しかしながら同時に、アメリカに起源を持つセックス享受型大衆文化(エルヴィスプレスリーの歌、マリリンモンローの映画)がヨーロッパにも広まり出す。冷蔵庫や洗濯機といった、カップルの幸福を応援する道具と並行して、トランジスターラジオやレコードプレーヤーも広まり、<思春期の火遊び>という定型が流布されるようになる。60年代全般を通じて潜在していたイデオロギー的葛藤は、70年代初頭は「マドモアゼルはお年頃」や「20歳」といった雑誌を舞台に噴出した。当時の最重要問題「結婚前にどこまで許される?」という問いに、その葛藤が凝縮されたのである。同じ時代、アメリカ起源の快楽主義、セックス至上主義的立場は、アナーキーを信条とする諸雑誌によって強力に支持された(「アクチュエル」の創刊が1970年10月、「シャルリエブド」の創刊が同年11月)。
 これらの雑誌は原則として反資本主義的な政治姿勢をもつものだったが、娯楽産業とは肝要な点において一致していた。つまり、ユダヤ=キリスト教的道徳の破壊、青春と個人の自由の擁護である。相矛盾する力に引き裂かれながら、少女向け雑誌は緊急の妥協案をこしらえたが、その内容は次のような少女の一生の物語に要約できる。まず始めのうち(12歳から18歳までのころとしよう)少女は複数の男の子と<出かける>(<出かける>という単語の曖昧さ自体が、実際の行動の曖昧さを反映してもいたーーー男の子と<出かける>とは、いったいどういう意味なのだろう?それは口にキスすることなのか、それとも<ペッティング>や<ディープペッティング>のより深い快楽、さらには性的関係そのものを指すのか?男の子に自分の胸を触らせていいの?パンティーを脱がなければならないの?そして彼の体は、いったいどう扱ったらいいのだろう?)。パトリシア オヴェイエールにとっても、カロリーヌ イェサヤンにとっても、頭の痛い問題だった。彼女たちの読んでいる雑誌に載っているのは、はっきりしない答えや矛盾した答えばかりだった。次の時期になると(大学受験が終ったころ)娘は<真剣な話>がなくてはならないことを感じるようになり(のちにドイツの雑誌は、それに<ビッグラブ>という名称を与えた)、そうなると「わたしはジェレミーと一緒になるべきなのかしら?」というのが正しい問いになる。これが第二の時期であり、原則としてここで運命は決定される。処女向け雑誌の提示するこうした妥協案がまったく役にたたないものであることはーーー実際、これは正反対の行動モデルを、人生の二つの時期にいいかげんに当てはめただけのものだったーーー、数年後、離婚が一般化した時点で初めて明らかになった。とはいえ何年かのあいだ、この現実味のない図式は、周囲に生じている変化の早さについていけないうぶな娘たちにとって、信頼できる人生のモデルとなり、彼女たちはそのモデルに合わせようと一応の努力をしたのである。

 アナベルにとって、事態はまったく異なっていた。彼女は夜寝る前にミシェルのことを考え、朝起きて彼にまた会えるのを喜んだ。授業中何か面白いことや変わったことがあると、それをミシェルに話してあげようとすぐに思った。昼間、何かわけがあってミシェルに会えないと不安になり、悲しくなった。夏休みの間(両親はジロンド県に別荘を持っていた)、彼女に毎日手紙を書いた。自分でははっきりそうだと認めていなかったにせよ、手紙に情熱的なところはすこしもなく、同じ年の兄弟に書いているような文面だったにせよ、そして暮らし全体を包み込んでいるその感情が、身を焦がす熱情というより優しさの輝きを放っていたにせよ、アナベルの心の中では次のような事実が次第に明らかになっていったーーーそれを求めることもなく、本当には望みさえしないうちに、自分はいきなり、<大恋愛>に直面しているのだ。最初に出会った男の子がその相手だったのであり、もう他に誰も現れないだろうし、そんなことは問題にもならないだろう。「マドモアゼルはお年頃」には、そういう場合もあると出ていたーーーでも勘違いしちゃだめ、そんなのめったにあることじゃないんですからね。でも時として、本当に珍しい、奇跡的な場合にはーーーとはいえ現実にあったことは証明済みーーーそういう場合もあるのです。それはこの地上であなたの身に起こるかもしれない、いちばん幸せなことなのですよ。

  『素粒子』 ミシェルウエルベック   野崎 歓  訳  より転載


 現在世界で最もスキャンダラスな作家が、この作品『素粒子』でコングール賞を取ったウエルベックといえるのだろう。たった数ページのテクストを抜粋して載せただけで彼の異才ははっきりと読み取れると思う。
文体、構造、視点と全てが独特で比較する者がいない天才といえる。あえてその異才を比較するとすれば、ガルシアマルケスかトマスピンチョンか1世紀にせいぜい一人か二人の天才といえる独自性の文体といえる。世紀と大陸を代表するそんな才能なのだろう。

 この連休の後半は、桜木紫乃を5冊ほど続けて読んだ。北海道の釧路、道東という特殊な気候風土の生んだ文学といえる。「ホテル ローヤル」で149回直木賞受賞の乗りに乗っている旬の女流作家といえるだろう。そもそも女の一生というのは男のそれとは非対称だとつくづく思うのだけれども、なぜ現代社会の生産性の要求はそんな異なる非対称性を無視したような同一性を彼女たちに無慈悲にも今も期待するのだろうか?実に愚かな発想だろうと僕は思う。いびつな資本性社会の狂った本能の結論は結局は人口減少という人類の自滅という結論以外に何一つ産み出さないというのは明白な結果だろう。先進国の人口動態を2世紀分ぐらいみればどんな馬鹿でも見当がつくというものだ。

 さて生まれて初めて女の子の太腿に手を置いた記憶というのはどんな男子にとって特別なもの=そういう感覚と論理構成で彼のテクストは始まる。それはミッシェルレリスでもジルドルーズでもあるいはジョルジュバタイユでも同じ事で、彼らにも「初めての女子の太腿への接触」という体験は必ずあったはずである。それは明らかな身体と人格への侵犯行為の入り口であり、この人格と身体の融合(これによって)によってはじめてその後に生殖が始まる。何を誰とどうするのか?正解と誤解が同じ行為の中で並立する。ある者は許され、ある者は拒絶される残酷で無慈悲で非合理な世界が、この愛の入り口であり、多くの男子がそれを怯え、恐れ、諦めているのが現代という時間なのだろう。拒絶を強行すればほとんどが犯罪になるが、一部が有償化され受容される。見極めが難しから初心者ほど失敗しやすい。しかし誰もが最初は初心者である。

 ある意味で販売され、レンタルされ、月賦で買える、生殖の入り口の行為というもの。それを文学にすれば、様々な意匠に変わる。生殖を制度化したものが仮に結婚だとすれば、制度化されていない生殖とは非婚によるものだ。そういうハイブリッドが増加すれば新しい人類が生まれるのかもしれない。つまり優れた文学とは思考方法の新たな区分なのだ。

 古い船には新しい水夫が乗り込んでいくだろう
 古い船を今動かせるのは古い水夫じゃないだろう
 なぜなら古い船も新しい船のように新しい海に出る
 古い水夫は知っているのさ、新しい海の怖さを   

   吉田 拓郎「イメージの詩」

本当の事を言え!

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ストーブで作ったラタツゥーユ

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それでアレンジして作ったパスタ

T  最初にも言いましたけれど、『決壊』の中に繰り返しでてくる「本当のことを言え」という言葉は、この小説のキーワードになっています。つまり、ポストモダン的であるということはどういう事なのか。
それを一言で言うならば、この社会の中では「本当のことは言わない」と宣言するしかないということです。それに対し、対立している社会の側は「本当のことを言わせまい」とする。社会には幸せのファシズムが溢れて、「みんな幸せだろ?幸せが最高の価値だよ」と信じ込まされている。みんな薄々「本当かな?」と思っているけれども、本当のことを言うと困ったことが起こるので言わない。だから、社会の建前は「本当のことを言うな」です。
 で『決壊』の中に出てくる「本当のことを言え」という言葉は本来モダンな立場だと思うんですよね。いわば近代文学は、「これだけは本当のことだ」という告白ですから。「どんなフィクションであってもこの部分には本当のことがあり、私はこれを言明する」。絶えず「本当のことを言うな」という社会に対抗するためには、そういう言い方しかなかったわけです。
 僕の感覚だと、今までの平野さんの小説開発部が作った最新鋭の車には、「本当にことはないんだ」というステッカーが貼ってあった。『決壊』は、一見ステッカーに「本当のことを言え」と書いてある150年前の車に見えるけど、これが公道を走るとすごくカッコいい(笑)。どこかで僕たちは時代が直線的に進むものだと思ってきて、イデオロギー対立がなくなったら千年王国が来ると信じていた。ところが、その後にはもっと古い原理主義が出てきて、歴史がまっすぐ進むことへの信がすっかりなくなってしまった。こういう時代に、「本当のことを言え」という近代文学が最初に持ってたスローガンが一番しっくり来るんだな、と思いました。

H スラヴォイ ジジェクが「全体主義体制を維持しようとしたときに一番困るのはバカ正直にそれを信じてる人で、ネタとしてシニカルに受け止める人が行動面では従うからこそ体制は保たれていた」というような言い方をするじゃないですか。そういうネタによって世の中持っているんだという考え方を、 ジジェクは批判していて、僕自身もネットでガス抜きされたシニシズムによって逆に現体制が強化されているような現在、「本当のことを言うべきだ」とは思うんです。ただ、「じゃあ本当のことって何なの?」という今の時代の難しさがこの小説のテーマでもあるんですね。文学史の話で言えば、ある時期までは自然主義と耽美主義は同時代に並列してた現象だったのに、戦後になって突然、単線の世代論になってしまう。

T  それ以降は、世代間対立しかないよね。

H  しかも世代のあいだにも別に積極的な同一性はないんですよ。だから『決壊』で書いた「本当のことを言え」という言葉は、反動ではなくて、ポストモダン時代を経て歴史が単線で一直線に進むという考え方が解体された後に、もう一回大きな円を描いて戻ってきた命題だと思っているんです。

T  この沢野崇の悩みというのは、平たく翻訳すると「私とは何か」ということで、ある角度から見ると、「そんなことはもう120年もみんな書いてきたじゃないか」という問題なわけです。が、もうちょっとシンプルな形でやられたらつまらなかったかもしれないけれど、ここまで執念深くやられると目が覚めた感じがするんですよね(笑)。「文藝」で斉藤美奈子さんと対談したときに、もっと若い世代の作品の特徴としてデジタルハイビジョン的リアリズムという言葉を使いました。それは、一言でいって過剰なリアリズムです。そして、それ故に、非リアルな触感をもってしまう。『蟹工船』がいま目新しいように、「私」の問題も時代とともに変形している。要するに、「私」はいつもライブの問題として存在してきたことを実感してしまうのです。決して、解決済みの問題ではないわけですね。
 この小説のもう一つの特徴は、)インターネットをかなり意識的に使っていることでしょう。モダンの時代はインターネットというものを知らなかった。インターネット時代の「私」はモダンの「私」と、違ったものになっているかもしれない。それから、モダンとは歴史区分ではなくて思考方法の問題だから、モダンは絶えず更新されるべきだという考えがありますが、そう考えると、新しいバージョンで作り出されるボダンに、「私」もアップデートさせていくべきかもしれない。

H  そう思います。「古典主義」と「ロマン主義」みたいに、「モダン」と「ポストモダン)も思考スタイルの問題としてモデル化されるでしょうね。

T  インターネット後の状況で、こういう感覚は想像してなかったという部分がずいぶんあって、つい最近も思ったのですが、ヤフーニュースで例えば「フィギュアスケートのコーチが教え子を強姦、逮捕」となると、読者が「あそこをちょん切ってください)「即死刑」とかコメントを寄せ、「同感した」というレスが数千数万とあっという間に集まる。気持ちはわかるけど、強姦で死刑は法的にありえないわけで、匿名の無意識のちぶやきがそのまま言語になっていて、それに共感する人間がこれだけいるいんだという事実に恐ろしくなります。あるいは、そういう秘められるべきつぶやきが可視化されてもいいんだという巨大な合意に恐ろしさを感じます。ネットの世界は、近代の発展形なのか終末形なのか、それとも近代じゃないステージに来ているのか。

T  高橋源一郎 
H 平野啓一郎    対談 21世紀の「人間」を描く  より転載

5月の大型連休も後半に入ったようだ。こちらは サンデー毎日がもう22年もずっと続いている怠け者だから、普段リーマンで急がしい人たちが休んだり遊んだりしているのを邪魔しても悪いから、ずっと普段の通りで料理をしたり、読書をしたり、買い物にいったりと平常通りの老後引退生活をしている。
頭が良くて仕事が出来る男は30歳までに成功して、後はリッチな老後の引退生活を海辺の別荘で美女と送るというイメージを学生時代からずっと持っていたから、結局それができたのは海辺ではないけれど都会の億ションで40歳の時だった。きっとまだ都会の贅沢に未練があったからだろうと思う。それでも56歳になった時に大きな地震が起きて、都会の暮らしに疑問をもったせいで一人と猫で田舎暮らしを始めてみたら、これがなかなか快適だった。ポイントは田舎暮らしといっても、ご近所とか地域融合なんてのは煩わしい事は最初から無視して、リゾートと別荘暮らしに特化すれば、都会のスカスカの空疎な快適空間での生活がそのまま可能だろうという事だった。だから金があれば出来る事というのは、田舎でも可能な楽チン暮らしという事でもある。
 レシピで今年始めてのラタツーユを作る。茄子とパプリカとズッキーニの良いのが手に入ると作りたくなる。適当に15ミリの輪切りにして、オニオンとニンニクと唐辛子を焦がさないように透明になるまで炒めて、軽く塩を振っておいた野菜を加えて炒め、トマトソースで煮込むだけだ。鍋が重要で厚手で蓋が重い事が美味しくできるコツだろう。水を一滴も加えないですばらしい料理になる。

僕はこれに厚切りのベーコンを加えて茹で上げたパスタを絡めて、パルミジャーノをたくさん削ってかける。素晴らしいパスタになるんだ。都内のどんな素敵な三ツ星のイタリアンより美味しいと思うね。
 21世紀の人間の個人的な幸福っていう一例なんじゃないのかと高橋と平野の対談を読みながら感じたのだね。あまり複雑な事ではないんだね。ゆっくりと楽しく快適に暮らすという単純化がきっと一番重要なのね。
21世紀の人間はきっと毎日遊んで幸福に暮らす。だから大型連休が楽しみな人は20世紀の古くて無能な人という事かね?(ゴメンネ、本音書いて)
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