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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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老随筆 3部

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老猫  15歳 近景近景


五木 寛之  「遊行の門」    85歳

川本 三郎  「ひとり居の記」  73歳

町田 康  「飢餓道巡行」   55歳

老男子3名の随筆やエッセイを続けて一気に読んだ。図書館で借りた2册と古本1冊でどれも年齢と年代と価値観に日本人の平均的な足跡が刻まれているようではっきりと世代的な差異が生まれている。因に五木と町田は30年、親子の年齢差があるから、形而上学的なもの=例えば霊的なもの、宗教的なものに対しての距離感に大きな差がある。きっと無意識な現実的な墓場への距離感と言ってもよいのだろう。
因に僕は川本と町田の間、62歳の戦争を知らない子供たちの一人である。川本のみ8年前に妻に先だたれたチョンガーで一人暮らし、子供もいない孤独な暮らしで、あとの2名は奥方健在である。

 五木は僕の義母と同じ年だから戦前生まれで青春時代に終戦を迎えた物不足に苦労した時代の人で、戦後の高度成長期の躁の時代に活躍したが、ここにきて日本は鬱の時代に突入して困惑している最中だと指摘する。遊行とはインド哲学の死に支度の時間である。以前、林住期についての彼の本を読んだのだが、80歳に近づいたので覚悟を決めて次のステップを書き始めたのだろうと思う。老いー病気ー死 と進むプロセスを嫌ってもどうなるものではないないのだから、自然にそれを誰もが受け止めるという生き方が素直で楽な気持ちがする。ここまで生きている事自体が凄いことなのだから、どんな状態であっても生きている事それ自体がすばらしいと思う。しかも高齢まで夫婦で一緒に生活していられるということは何と幸福な事だろうか?8歳下で妻を亡くした川本は、妻の死後、なんとか自分が死なないでいることが奇跡のようだと述壊している。誰もいないお酒好きの「お一人様の老後」の中で、自分の子供ぐらいの年齢の編集者に励まされて著作を続けている。車の運転ができないのですべて徒歩、電車や飛行機を使って次々と旅行記を書いている。10キロくらいなら平気で歩いているところが実に良いなあと思ったが、やはりお酒を飲む人は運転するわけにはいかないのだなあと思った。一方、五木は車好きで家を5軒ぐらい買えるほどの車道楽だったが60歳の時に老化を覚えて運転を断念したという。今でも自動車雑誌は毎月見るが運転はしていないという。
一方、町田は熱海在住のネコ好きのハードロッカーの小説家だが、「食べる、飲む」という事には実に貪欲で、 15年ほど前にブルータスという雑誌で上海のグルメ特集で秘密の5星レストラン巡りをしていた。それを僕は買って、マダムと2週間かけて上海と杭州の素敵なレストランを15軒ほど彼の後をトレースして回ったおぼえが有る。実に美味な贅沢な店ばかりで今まで食べて中で最高の食事だったから、道楽という意味で町田の舌は特級であると思う。「金は天下の回りもの」だからどんどん廻していかないと詰まって意味が無いと思い始めた頃だった。僕の生活が少しだけ華やかになったのは彼のせいもきっとあると思う。ヨーガンレールやヨージやコムデギャルソンの服を着たもの似たような時期だったろうかとも思う。「くっすん大黒」で芥川賞を取ったのは「音韻」のせいであると思う。彼のマダムは今も熱海でペットショップとトリマーをやっているし、白いSクラスのメルセデスセダンに乗っている。酒は飲むが車も運転していようだ。たまに散歩で海岸ですれちがう。

 「明日ありと思う心の徒桜」とは親鸞が幼い頃に詠んだ歌だと語り伝えられている。

  「夜半に嵐の吹かぬものかは」と下に続く。真理をついてると僕は思う。
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和栗のモンブラン   湯河原に新しい店ができた。500円でマジ美味しい。

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元旦の富士   十国峠展望台より 午前6時20分


熱海市は10日までに、市内に約1万軒ある別荘の所有者らに対応し、満足度を高める専属の職員「別荘コンシェルジュ」を、2017年度から新たに配置する方針を固めた。17年度当初予算案に必要経費を計上する。
 観光振興などを担当する部署に職員を1人置き、非定住の別荘とリゾートマンションの所有者のさまざまな要望や提案に耳を傾ける。市は観光プロモーションの強化で、専属職員がテレビや映画のロケ誘致と撮影支援を24時間365日態勢で担う「ADさん、いらっしゃい!」を展開し、誘客増につなげている。メディア露出増で注目が集まる現状を好機と捉え、手厚く対応して歓迎する姿勢を強く発信することで、別荘などの購入促進や来訪頻度の向上につなげる。
 首都圏から近く新幹線駅がある立地から、熱海で週末などを過ごす「別荘・マンション族」は多く、市は全国で唯一「別荘等所有税(別荘税)」を課している。近年の人口転入・転出状況をみると、別荘などを購入し、市外から移住してくる人が多いとされる50代以上は転入超過が続く。
                            静岡新聞より転載

 別荘とか外車とかダイアモンドとかは庶民からは無くても困らん贅沢品だと思われているらしく(まあ事実有っても無くても命に別状はないので誰も困らんと思うが、有るときっと気分が変わって庶民も嬉しいと僕は思うな。)、それなりに税率とかが高いものが多い。事実持っている人より持っていない人のほうが多分多い種類の資産だろうと思う。預金や株券や投資用不動産があっても別荘や外車やダイアモンドは無いという超地味な人がマジな日本人には実に多いが(周囲はそういう人が実際とても多い)、逆に別荘に住んで外車を数台持っているような人で預金や株券を持っていない人は僕の周りには一人もきっといないと思う。車は排気量が大きいと税金が高いし保険も高い。別荘は固定資産税が割高だし(僕の物件は都内より高いと思う)取れる所から取れという税務署の基本方針そのままだろうと思う。まあそれで宜しい。金はある所から無い所に流れる以外に基本的な道筋はないと思うから。それでもたった1万人ぐらいしか見切れる老人がいない国ってちと寂しいなあと思いますね。

 ところが日本では1996年頃から不思議な事が起きている。別荘も外車も新築や新車は高価で世界で一番高いが、少し中古になると驚くほど安くなって素晴らしい性能のものが凄く割安かタダ同然になるという現象が増えているから、それに気がついてライフスタイルを少し変更した人はきっととても美味しい楽しいお得な暮らしができますよともう5年も前からずっとイヤミなクドい話を書いている。でもそれを読んで熱海に引っ越してきた人の話はまだ聞かないね。相場やっている人って動きが凄く鈍いんだなあと思います。実に情報の感度が悪い!
僕のブログはほとんどが楽チン、チンタラヒラヒラリゾートなんちゃってブルジョワノマドライフのおすすめなんだけどみんなマジで働いてばかりでちっともお金を使わない。だからそのせいで不景気なのだけど自分が変わんないと世の中も変わらんよというのが理解できないんだろうと思う。庶民ってホント心配性で嫌ね。(爆)
 つまり高額品、高級品、贅沢品、奢侈品のリセールマーケットが日本には全くないと言って良いので再販価格が捨て値に近くなるという現象がもう20年ほどずっと続いている。これを資本主義の終わりとか資産市場のいびつな歪みと僕は呼んでいるのだが、人口が急激に減少して移民を禁止していれば資産価格は老人の死亡によって供給が増えて子供の減少によって需用は減るから現物価格は漸減するのが当然で、不動産はコンスタントなアンダーカーブをもう27年続けているという事になる。しかもあまり使用価値の無い空き家が既に800万戸もあるんだ。これを見越してどううまくやるの?というのが人生ヒラヒラゲームなのだが、将来の買い手の数が減って、買い手の懐が痩せれば価格は無論下がる。国際比較して日本が著しく割安(何割ではなくて数分の一ぐらいの差)になれば、多少の外国人の保有が生まれそうだが(あるいは空冷の911のように動産なら輸出されるだろうが)、移民をある程度自由化しないと劇的な需用の拡大が起きない限り大きくは資産市場は上がらないという事になるんだろうかとは思う。

 僕のフラットでも既存の住民たちはなるべく変な中国人が買わないように管理費を周囲の2倍ぐらいに上げて管理組合が外人が買いにくいように管理規則を作り変えようとするし、保有と使用が別になって民泊などができないような規則にしようとしているようだ。日本人の小金持の村社会の意地悪根性がモロに出ているから、その点でも保有しにくくコストを上げて防御している分だけ流動性が下がって価格は上がりにくいという状態になる。これが香港のようになんでも原則自由にしたら商業保有が増えて物件価格はすぐに数倍になるだろう。モゲージを証券化して市場を作るという発想が日本人には元来無いんだね。アホというかまあ市場性ということに慣れていない処女なんだなあと思う。すでに新築価格と中古では10倍近い価格差が生まれているから投機にはチャンスだろうと僕は思うな。日本は都銀も地銀も証券もだから馬鹿ばかりしかいないでしょ?担保価値以外には融資ができないって事だもの。銀行員のツラ見ればすぐにわかるもんねえ。発想に多様性が皆無だと新規市場商品開発なんて事は全くできないものね。
RCで新築のゼネコンの坪単価は都内で80-100万ぐらいで、打ちっぱなしが一番難しいので100万越えぐらいなんだが、土地を入れれば当然その分がプラスで土地代で坪100万なら原価は坪200万になる。つまりスコーレは鹿島が作った40坪で裸で8000万という事で、原価がそれなら小売りだと億を超えてくると思う。事実1994年のトーメンの新築売値は2億割れだった。(温泉権付き17890万です。)同期のやつが目黒駅徒歩13分120平米新築を2年前に2億割れで買ったもんなあ、こいつもマジ馬鹿だねと思ったけどまだそういうおめでたい人が生息しているおかげで日本経済が助かるからまあいいんだけどねえ。50年の二世代超長期ローンてマジ危ないだろ?と思わんところがアホだねえ。彼のお子さんきっと10年以内で首括るなあ、、。日本がそんなに保つかいね?(爆)楽観にもほどがあると思うんだか、こういう詐欺まがいな事を銀行員は平気でするんだね。

 熱海は日本で唯一別荘税がかかるけど、住所がここにあるとかからないのね。だから僕は固定資産税しか払ってないけど、それでもスコーレレベルで年間34万ですね。メルセデスsクラスの自動車税3、4台分という所でしょ?無駄って言えば無駄なんだろうけど、温暖で雪は降らないし夏は涼しいし温泉出るし地震でも揺れないし駅まで車で5分だし静かで物価は安いし病院近いしまあ年寄りには悪くない暮らしだと思うなあ、、。でも箱根がカルデラ大噴火したら即死だろうし、富士山ドカーンといっても相当影響はあると思うよ。なんせ富士箱根国定公園なんだからねえ。
だから居直った50歳以上の老齢人口は常に流入超になるんだと思うよ。日本中の小金持ちが最後にプチ浪費をしにくる場所なのね、きっと。別荘関連の取引件数は不動産屋の実績で2016年は前年比8%アップということで快調に流入超過だと思います。だから売りたい人も優良物件が相場値なら結構すぐに売れると思いますねえ。早いと2週だそうですよ。人生なんでも見切りが大事なんだと思うんだけどね。だって若者と老人が決定的に異なるのは手持ち時間の差異でしょ?生きてるうちしか金は使えんのよ誰でもさ。(爆)
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高山ラーメンとパスタソース

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おつまみ用缶詰

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パスタはこれ!

 3か月に1回ぐらい出かける店にコストコという会員制スーパーがある。一番近いのは神奈川の座間にある店で、熱海から小田原厚木道路経由で1時間強ぐらいの場所にある。距離で60キロぐらいだろう。246から少し入った倉庫街にある店で、何時に行っても平日に行ってもパーキングは常に満車に近い。大きなカートに一杯買うと600Lのステーションワゴンの荷室が一杯になるぐらいだから、量という意味でもとにかくたくさん買う人が多いと思う。マダムの安ワインを20本ぐらい買うとかなり重い。段ボール箱の底が抜けるかと思うほど重いから、一人でいくとヤバいのでいつも友人と行って、二人で持つのね。ワゴンのサスが後ろが少し下がるぐらい買うこともあるのだ。帰りはパーキングロットから台車に積んで7階まで乗り継ぎのエレベーターだが1回ですんだ試しが無いものね。冷凍庫はすぐ満杯になってしまうから、相当減ってから行くことになる。これで災害が来てもかなり助かるということになるんだろうと思う。帰りに中華街で華正楼の肉まんを6つ買うと(2人で3回食べるから)冷凍庫がもう一つ欲しくなるから次はステンレスの業務用平置き冷凍庫を買うかな?と狙っているのね。ロハコかアマゾンプライム買いが僕は月平均10回ぐらいはあると思うが、翌日玄関で受け取れるってマジ経済的で楽チンですよねえ。出かける必要がないものねえ。お年を召したらこれしか無いですよマジ。水もネコ砂もみんなネットですね。文庫1冊でもくるんだものねえ。古本1冊1円、送料250円で251円ですよ。価格と流通と運送のバランスが変化して資本主義が変質している証拠ですね。新品を店で買ってという前提では仕組みが回らないのですから、頭が悪い人は即死です。

 ちなみに商品の一例がネットでも注文できると思うが、年間4000円ぐらいの会費がかかるはずで、写真をとってカードを発行してもらい、支払いは現金かアメックスのカード払いだけだ。でも銀行ATMがレジのそばにあるから慌てる必要は無いが、僕のようにいくら買ったか計算しないでレジに並んでお金が足りないとせっかく選んだものを一部諦めないといけなくなる。今週の火曜日も友達と行ったのだが店の中ではぐれて、53000円ぐらいの買い物なのに48000円しか現金が財布に入っていなかったので困った。「あのー、すぐにあそこでおろすから駄目?」と聞いたら「駄目です。商品を減らすか、並び直してください。」と言われてブリタの交換フィルアー6000円を外して間に合った。うしろに既に3人並んでいたのね。友達はアメックスカードがあるから一緒ならいつも彼のカードで一緒に支払って現金を彼に渡すということをずっとしていたからこういう時は面倒だねと思った。なんでビザとマスターは駄目なんだろう、手数料が高いのかしら?
 1回平均で5万円買ったとして1年で4回20万買って4000円の会費だと2%の手数料になる。個別の商品価格はおそらくイオンより2%以上は安いのだろうと思う。僕が一番高いモノを買ったのはシャープの55型液晶テレビで11万ぐらいだった。(配送費込)これだって電気屋の半値ぐらいだろうと思う。熱海往復にきっと2000円ぐらいはかかるので毎回5万ぐらいは買わないと無意味なのだろうと思うが、コストの問題よりもここにしか売っていないものを探すのが楽しいから通っている部分が大きいと思う。買い物がちゃんとレジャーになっているんだね。イオンが下手なのはあれは買い物がちっとも楽しくないお仕事だからですねえ。

 熱海で大きな現金を必要とする買い物は皆無。だからいくら性格に財布にあるかなんて知らない事が多いから万札が数枚になるとおろすという事の繰り返ししかしていない。したがっていくらもっているのかは多分5万-10万位だろうと思っているが足りない事も1年に1回ぐらいはあるんだね。普通は少し高額の支払いは全部カードだから3万円のガソリンプリペイドカードを買う時ぐらいしか現金はいらないことが多いのだ。ヤナセは全部締めの振込だし。今月の一番高い現金支払いは税金8万(固定資産税第三期)ぐらいだと思う。これも銀行窓口で振っただけだものねえ。
 東京にいる時は財布に10万-20万ぐらいは入っていたことが多かったと思うが、熱海にくるとお金を使う場所がそもそも無いのだから5万-10万ぐらいしか入れないようになった。かさばって二つ折りの財布が開くのが嫌だからなんだが、長い財布は嵩張ってパンツのお尻に入らないので嫌なのね。

 コストコのバイヤーの選択眼は鋭いと思う。特に食品は素晴らしい!
パスタ(乾麺)ひとつとっても今までどのレストランで食べたパスタよりもモチモチした食感のものがすごく安い。 オーガニックのイタリーデュラムウィートセモリナのパスタ4キロで1400円ぐらいだったと思うが、これはグルテンの質が抜群に良いのでソースとの絡まり具合が抜群である。 茹で時間が11分と少し長いが待ちごたえがあるのが食えばわかると思う。一人120グラムだと33回食べられる。1回で50円にもならないからコスパ抜群で毎日こんなものを食っているとお金は全くかからない。ソースに100円かけても150円だから、これを1000円のランチで売ればきっとそれなりに儲かるという事なんだろうなあと思うが、粉もの商売はボロいというのはある意味本当なんだろうと思う。

 グローバリズムの功罪というのは様々だと思うが、悪いことも良いこともいろいろだから、なるべく良い所を生活に取り入れるのが賢いだろう。イオンでの買い物と比較してどこが良いのかは行って買ってみればすぐわかるだろうと思う。
バイヤーの絞り込みが旨いので、たとえばレトルトカレーは1種類しかおいていない。中村屋のカレーしか売らないのだ。いろいろ置かないで絞るから量が売れて安いという事だと思う。
i-phone6sの補助バッテリーのmophieでもネットで13000円が4800円で売っているが、期間限定で再販はしていないから、見つけた時に買わないと次には売っていないのね。きっと投げを待ってさらって買って売り逃げるというのがお上手なんだろうと思う。

サラ飯ならぬネコ飯論

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なかなか読み応えのある幻想論と欲望論だ

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国宝 1億円の壷

 結構いろいろな場所で短期間働いた経験があるが、大企業はひとつもない。客には大企業が結構たくさんいたが自分が働いたのは小さな会社ばかりだった。(て言うか、いくつかは自分で作った会社だからしかたない。)社食があるような大きな会社に勤めた経験はないが、得意先の大企業の社食には5社ぐらい行って何度か食べた経験がある。味はまあまあだが驚くほど旨い所はやはり無い。まあ値段なりの品質と味という事だろう。安いといえば安いが是非食いたいというほどのものではあるまい。労働者の空腹を最低限度満たす質というぐらいのもんだろうから喜びには欠けるが、まああんなもんだろうなと思う。大学生協の食堂を小振りにした感じだ。それ以上を望むなら自分で作るかちゃんとした金を払う必要が有るのが市場原理というものだと思う。つまり車で言うと社食の質は安い軽自動車の品質である。走るには走るがそれ以上ではないということだ。

 ベトナムさんがホーチミンでよく現地の人の昼ご飯を撮影していたが、見るからにマズそうで(失礼)あれは僕には相当の拷問に見えた。ベトナム勤務は到底できそうもないし、たぶん中国勤務も駄目だと思う。そういうご苦労をしないと現地の人と仲良くなるのは難しいという部分が、異民族との接点としての困難な現実という事だろう。外国人と結婚したり一緒に長い期間生活をしたりすれば当然文化や習慣の差異に遭遇して困惑することも多いと思うが、最後は相手を人格的に信頼できるかという点に総てが収束するのだろう。だから礼儀とは同期する相手への信頼の構えのことだろうと僕は普段から思っている。

 30年ぐらい前のリーマン時代の昼飯は僕も外食か弁当だった。バブルが崩壊して不景気になると多くの同僚や友人、部下は弁当屋で安い胸焼けがしそうな弁当を買っていた。そのうちコンビニの弁当とカップラーメンを食べるような部下が増えていたように思う。僕のコンビニ嫌い(というかアレルギー)は当時から始まったのだ。
 僕も何度かホカホカ弁当なるものを食べたが胃腸が当時は弱かったせいもあってか胸焼けがして著しくマズいのである。若い時はマダムの愛妻弁当をずっと持って会社に行っていたから、どうしてもそれと比べると売っているものは全部総じてマズいのである。特に揚げ物はマズい。油の質がひどいのだろうと思う。一度も旨いと感じた事がない。伊勢丹のデパ地下の2000円の弁当でもやはりマズいのは、きっと防腐剤とかが入っているせいなのだろうか?新宿御苑で花見をするのに有名店のを5000円ぐらいいろいろ買って食べてみたがちっとも美味しくないのだ。あれじゃ売れないと思う。

 日常生活で普段感じる幸福感というのは、「食べる(酒を飲むを含む)、眠る、風呂に入る、遊ぶ(例えば歩くとかスポーツするとか)」ぐらいが一般的で反復性がある日常動作だろう。頻度が高いほうが良いかというと適当な頻度というものがあって、多すぎると苦痛になるから少し不足気味のほうが快楽が深いような気がする。
少し欲望に対して飢餓感があったほうが有り難みが有る分喜びが大きいという事だろう。希少性があると嬉しい感じが強まるのは快楽は自動的な要素と他動的な要素が混じっている身体的な複雑な感情的反応なのだろう。

 ホリエモンと2ちゃんのひろゆきが雑誌で対談していたが、高齢化社会がどんどんと進むと既存の幸福感とは別の次元の個的な価値観の幸福感が生まれてくるという。金なんて要素は今後はあまり重要ではなくて、無いなら無いで工夫次第でどうとでもなる。それは金やモノが余っている世界というのが常態化するからだ。買うから拾う、持つからシェアして分け合うという所有と使用の差異が生まれつつある。等価交換による通貨市場システムから贈与による縁故関係システムへの緩やかな移行が現れつつある。
 モノ(家とか車とか)の所有などは既に無意味化してきてかえって邪魔になるケースも起こりえるから、家など無くても安い家賃の郊外や地方住宅ならシャアハウスに住むとかするとタダ同然で住んだり使ったりもできる。だからその所有のためにあくせくと長時間も働くような価値観は頭の良い若い人からは無論馬鹿にされる。100万の家賃やローンを支払うために寝ないで働かないといけない不幸な高額所得者と、月の家賃が3000円か5000円の人なら働く必要が全くないから自由な時間が何十倍も生まれて低所得でもずっと幸福感が高いということが当然起きる。過疎地の古民家をタダで借りて、自分で農業をやりながらゆっくりと子育てをするような農村、漁村へのリターンする若い世代が少しづつ増えている。都市と資本を捨てた人たちという事だ。
 怠け者のほうが得をするという事で、マジに働くのは馬鹿のする事ということになりがちだ。これは僕はもうずっと20年以上も前から感じていた事で、やっと現実がそうなってきたなあと思う。だから働くのは自分の喜びのためでないとそのうち市場から裏切られると思う。資本主義の末期症状というのはきっとこういうステージの変化なのだろうと思う。拡大できなくなった時点で資本主義は死ぬ。徐々に部分から腐り始めて、次第に全体が骨格から筋肉、神経と崩れて行くプロセスを現在進行形でたどっている。日本はそのトップランナーなんだろうと僕は思う。拡大を停止した時点でシステムは維持できないのが資本の性質なのだと思う。
 でも主義がどうあれ、生きるという動物の生の摂理に基本的な変化なんてないのだから、食う、寝る、遊ぶの基本を個人レベルで押さえておけば比較的快適に生き残ることは可能だろう。かつての日本の一流企業(東芝、日立、三菱重工、石川島、NEC,シャープなど)がここにきて総崩れなのは、末期症状の明白な証拠なんだろうと思う。とっくに主義の主戦場は幻想空間に移行している。それがグーグルやアップルやソフトバンクやゴールドマンという事なのだろう。集積期なベクトルが崩れて分裂的なベクトルに移行したのだ。それについて行く方法と組織を日本は見失ったということだろうと思う。残業なんて死ぬほどしてみても方法と組織ができるはずも無い事に気がついていないのだ。だから低迷が30年もずっと続いているのだろう。

 人口が減少し始め労働力が減りはじめて全体の消費量が減少しても生産量は機械化が進んで増加すると需給バランスの逆方向のベクトルが生まれて、価値観の逆転減少がいたる所で始まる。
 現在日本では空き家が急増している。比率で18%もあるらしい。だから今後も家賃は下がるし資産価格は下がる。値下がりする物件を持っていると損をするわけだが、不思議に新築の値下がりしやすい物件ばかりを買う人が大半で、全員が人生を棒に振るという結果になっている。1990年からもうずっと30年もそうなっているが、30年もの長いローンを組んで兎小屋を買う馬鹿ばかりいるから銀行、不動産屋、ゼネコンはそれで食っている。家や車は叩いてキャッシュで買うものだろうと思うが、そういう人は少ない。

岸田と武田の幻想論と欲望論を読む。20年以上前の対談だがズレていない。時代が追いついてきたという事だろうと思う。MOA美術館が新装オープンしたので見てきた。国宝の壷があった。(市場価格1億ぐらいらしい。)写真撮影が自由でフラッシュを炊いても怒られない。値打ちと値段について冷静に考えるには美術館は良い場所だと思う。
 自分にとって毎日の生活の快楽とは具体的に何か?という結論はすぐ出ると思うが、その快楽の質を更に高めるにはやはり自分なりの努力と工夫が大事で、基本は反復と差異ということにやはりなると僕には思える。林住期のまっただ中にあって、残った時間を静かに楽しんで暮らして行こうと思う。昨日、郵便局から老齢年金の受け取りかたの指導通知というのが来た。もうそんな年齢になったということなのね。

横浜でワンタン

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横浜でワンタンを食べた。中華街も不景気で客単価は落ちたらしい。

 自分が海老蔵と同じ立場だったらと思うとはやりゾッとする。自分かまたはパートナーや家族とか一緒に生きている大事な人が深刻な病気になるという事は、当人だけではなくて、他の家族や近い関係の人の日常とその後の人生に深く影響する。良い影響ならまだしも深刻な悪影響が普通は起きることが多いのだ。親が高齢になって不自由な生活になったり、痴呆や寝たきりで介護が必要になりやがて亡くなるという自然な順番の老ー病ー死というプロセスだってその進行途中は戸惑いばかりだったような気がする。どうしようもない事ばかりが次々に起きて、こちらの個人の努力なんて現実には金ぐらいしかできなかったりすると無力感の固まりになる。手に負えない事が起きても黙って我慢して通り過ぎるのをじっと待つしか方法がない。そうならないことが一番良いが、所詮は順番でなる時は全員がなるからどうしようもない。みんな同じで遅い早いの差なのだがわかっていてもやはり当人は困るのだ。運が良いとか悪いとかそういう運の事が一番結果に深く影響するのがわかるような年になれば、どうしたって判断と行動は慎重で懐疑的になるのが普通なんだろう。でもそうすると大抵は益々運が逃げるね。

 海老蔵みたいに小さい子供がいてまだ学校にいくかいかないかという時期だと、それそこ毎日、毎朝が戦争になってくるだろう。昔は親と同居して祖父母に頼れたのだろうが今は核家族だとどうしようもない。家族の構成が半世紀あまりで変化して、大半が会社員になって、仕事と家族がバラバラの状態になった。だから単身赴任が当然という状態だから、そもそも家族の体をなしていない。それでそれぞれの利害が個人レベルで衝突すればたちまち分解するということが起きやすい。離婚率の上昇はそういう理由からだろう。我慢する意味が無いという事でもある。

 同世代の友人がガンや脳梗塞で死んだというような事が結構ちょくちょく起きているし、ましてや年上の世代ではそんな事が当然のように起きるのだから、次は自分や家族の番が来てもちっとも不思議は無いと思う。対策なんて無いのだが、それが来る時までせいぜい楽しく人生を過ごすという以外には手が無いのだから、僕は比較的早く引退という道を選んだ。40歳だったからそれからもうフラフラと22年も生きている。親が61歳でガンで死んだせいもあったろうし、自営で30代に働き過ぎで疲れたという事もあったのだろうが、人より随分と気が早いがなんかもういいや仕事はと当時はそう感じて辞めたのだろうと思う。まだ子供は中学生だったが家族の事なんてあまり考えもしないで決めたと思う。「まあなんとかなるだろう。」というような能天気さというのはきっと僕の才能だと思う。人と比べて同じでないと気が済まない人もいるらしいが、僕は逆で人と同じだと危ないといつも感じるほうだ。だって行動と結果は普通は相関することが多いが、行動の時間的な配分が人と同じということが相関の最大因子であると思うなら、期待する結果が欲しいのなら同じ事をしたら駄目に決まっていると思うからだろう。人生の成功の確率はみんなが考えているより恐らくずっと低い。だからそれを望むのなら同じ事を選んだ時点で即座に勝負事は負けである。地味にコツコツの真面目なリーマンが一番リスキーだと僕は思う方だ。成功の解釈はそれぞれだろうが、僕の基準は怠惰に暮らしても全く困らない快楽的な暮らしという事に尽きる。きっと左翼だから根っからの唯物論の申し子なのだろう。(爆)

 深刻な事態が起きると、生活を見直すという事が起きる。例えば僕は1年半ほど前に函南から熱海に家を買い替えたのは実はマダムが怪我をして入院したのが理由だ。当時は東京で倒れたのだが、仮にそれが函南だったら車で片道25分は致命的に長いと感じたので、大きな大学病院に車で5分の場所に住み替えたのだ。救急車の往復だと50分と10分とでは生死に大きく関わるだろうと思ったのだ。結局、最初に病院のお世話になったのは僕だったというのはジョークにもならないが、タクシーで夜に外来に行ったら即座に入院だった。こういう事が起きるのが老人という事なのだろうと自覚した瞬間だ。
 別段、健康体だったら函南の山の山頂付近の別荘暮らしも特段に不自由はなかったし静かで快適ではあった。でも運転ができるという前提が崩れたらとても危なくて住めないのだなあと大雪が降ったり、道が凍結したり身体が不調になったり、目が悪くなったりしたら即座に響くのである。地震とか噴火とか自然災害が起きた時の対処という意味でも問題が少ないにこした事は無いと思ったので、地盤が強固で建物の耐震性が優れた物件がマストだったのだ。函南のある友人は43歳で脳梗塞をやった。それ以来視界が少し切れいているので狭いから左の下のほうが見えていない。その状態で運転すると夜間の狭い側溝があるようなカーブや坂の道は脱輪リスクで危ない。だからそういう場所には安全には住めないという事になる。脱輪はすぐに数十メートル崖の下に転落するというのが田舎の暮らしである。
 去年のちょうど今頃に入院してのだったが、運転したくても視界がぼやけて距離感がつかめない。熱が出てきっと三半規管が不調になると到底運転なんでできないということになってしまう。そうなる4日前に医者にいって薬をもらっていたのだが、それでも悪化して入院になったのだから、体力が落ちていたのだろうと思う。肺炎や重度の気管支炎で死ぬ人はすごく多いのだそうだ。それでタバコをやめた。やめないとまた3年で同じ事が起きると医者が言うからそうなんだろう。あんなに苦しいのは二度とご免だと思ったのね。
 できるならお一人様の老後にならないように誰かと一緒に楽しく暮らすことが質的に快適な人生そのものである。離婚はまずいしすぐに生命の危機に直結すると思うから円満が大事であると思う。そのためにはこちらもそれなりの努力が必要で、最低限度の家事や雑用はするのが当然の前提で、その質を上げることも重要だ。金も生活に必要なぐらいは無いと困るだろうが、まあ無いなら無いで働けば宜しいかと思う。

 特別でなくても良いから、少しマシな家庭料理を作れるようになる事が大事なのだろう。掃除と洗濯は機械がやる部分が多いから、優れた高級な機械を買えばなんとでもなる。技術での差は小さいのだ。一番品質に差が出るのは料理である。旨いマズいは生活の質そのものに関わるのだから、旨いにこした事は無い。だから男も基礎を少しマジにどこかで習って、普通の家庭料理をちゃんとできるようにすることだ。食べる事、運動する事、眠る事は健康の基礎の基礎だ。それが駄目ならきっと総てが駄目になるとつくづく思う。

 カレーでもラーメンでも鍋でもステーキでもやはり素材の扱いの基礎が大事だろう。何が適しているのか?どう調理するべきか?どういう道具だと上手く行くのか?という具体性である。あとは反復によって上手くなる以外に方法なんてないのだと思う。
自分が健康で幸福だということは自分だけの事ではなくて家族やパートナーのためにも必須な要素である。片方が寝れば、残りに大きな負担が生まれる。それがずっと続くと深刻な危機になることは疑いようが無い事だろう。食事、運動、睡眠のバランスが大事で、仕事も全く無いよりは少しはしたほうが良いかもしれない。
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