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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

書庫日記

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欲望の存在密度

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神田川沿いの桜並木のカラス

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一度も泣かない 孫のさくら

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ミシュランで星のついた神楽坂 蕎楽亭の天ざる  甘い十割蕎麦です。


「興味ないの」わたしはきいた。
「興味ないな」と聖ははっきり言った。「信じるとか信じないとかじゃなくて、なんていうんだろうな、つまり、、、何であれそういうものに頼るのがいやなのよ。どんな答えをだすにせよ、それは自分の頭で考えたものじゃないと厭なのよ。自分で決めて、それで行動したいのよ」
「人まかせみたいのがいやなの?」とわたしはしばらくしてきいた。
「そう。あらゆる意味においてと人まかせというものを受けつけられない人間なの」と聖は笑った。
「自分でやるのがいいじゃん。まあそういうと、ああいう人たちは『人はひとりで生きられないし、生きてないのよ』って言うんだろうけど、もちろんそんなのわかっているわよ。当然じゃない。そんなの承知で、だからこそ自分でなんとかやっていくことに意味があるんじゃない。」そう言うと聖は薄い金属の板でできたメニューを手にとってじっと見た。
「ピクルス食べない?」
食べる、とわたしは言った。聖は三種のピクルスとセロリのスティックを注文した。
「ーーーいいのよべつに。わたしも含めて、みんな好きにやれば。でもね、普通に話をしていていきなりそういうのを押しつけられるのはたまらないわよ。気分悪くなるもの。でもあの人たちは自分たちのことを『気づいた側』の人間だって自負していて、それが唯一のアイデンティティだから、それを黙っていられないのよ。そしてその極意みたいなものを惜しげもなくみんなにシェアできるわたしって大きいよね、うっとり、みたいな話なわけよ。まあとにかく、単に優位にたっていたいってことでしょ。安っぽい精神的セレブ病みたいなもんね。」
              「すべて真夜中の恋人たち」川上未映子  より転載

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ひよこちゃんが久しぶりにコメをくれたが、あいにくと東京出張中で無駄に忙しくコメが遅れてご免ね。僕はまだひよこちゃんにお会いしていないし、きっと会うような機会もないんだろうと思うが、僕の妄想的なひよこちゃんのイメージというのは、川上未映子や川上弘美みたいなしっかりとハードに働く賢い女という感じなんだよね。ちょっといつも軽い僕みたいな男を小馬鹿にするんだけれど、それでもそういう男がいないとちょっと寂しいそういう感じの女です。(爆)でこの3日間に4回東京の本屋に行って買った中で、聖のようにきっとこんな感じでひよこちゃんは仲間同士では話したりしているんじゃないかなあ、賢い女の本音ってそういうもんだろ?と思ったのね。

東京の4日間はマダムのお仕事が結構タイトなスケジュールだったので、仕事の合間に花見をしたり、孫の顔を見たり、買い物をしたり、ミシュラン飯を食ったりと熱海とはまるで反対の忙しい時間でした。神楽坂の蕎麦屋、蕎楽亭はミシュランで星がついている蕎麦屋でお昼に予約なしで10分待ちで大盛りの天ざるを食べた。(僕は海老でマダムはホタルイカ二人で4500円)実に甘い石臼曳きの蕎麦だったからこれだけで行った意味があったねと思うが、お金がある東京ライフは確かにすごく充実するように出来ている。6年前までは毎日こんな生活をしていたんだなあと懐かしい気もするのだが、3日もいると随分疲れがたまるのは、人間の欲望の密度が格段に濃いせいなんだろうと漠然と思う。まあ、年に数回でいいかなと思うね。
 

さくら 始まる

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伊豆山の桜
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近所の別荘地販売  坪2万前後が多いかな。 1000坪で1800万とかです。
みなさん別荘どうですか?  温泉もありますよ。

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ブレッド&サーカスの巨大ハンバーガー  480円
焼き茄子とトマトとサラダ菜、パプリカ、タマネギと野菜たっぷり
バンズは独特でもっちりタイプです


 なんとか3月の月足グラフの更新を終えて、桜walk と伊豆山から海沿いの135号沿いに湯河原駅まで歩いてきた。11.5キロ  49階、16295歩とダウンジャケットでは汗ばんでしまった。どうやら春は本物のようだ。もう4月になったというのに、熱海も伊豆も桜の開花は遅い。都内と比べ3日−1週ほど遅れ気味で早い花で現在3歩咲きぐらいのものが多い。

 湯河原には素敵なパン屋さんがある。ブレッド&サーカスという店で都内から車を飛ばして買いにくるファンも多い店だが、小さな店だから一度に5名しか入れない。だから店の前に並ぶことが多いのだが、本日はたった8分待っただけで入れた。いろいろ3000円ほど買う。それで、お昼はここのオリジナルのハンバーガーを買ってみた。コンビニでカフェオレを買って、桜木公園のベンチで花見をしながらランチとなった。珍しくマダムと一緒に10キロ歩いた事になる。今週はマダムは何故か1週間ここにいて、明日は鎌倉に花見に行って、木曜から3日間、東京にお出かけすることになった。花屋の手伝いで運転手が必要という事でホテルを予約した。東京でも花見が出来そうだね。

 昨日は友人夫妻と伊豆の国市の青空市場という野菜の直売所に8時45分に並んで15キロ、8000円ほどの野菜を買って、息子と娘の所に黒猫便で送った。現在旬となっているのは、クレソン、芥子菜、山葵菜、トマト、小松菜、原木椎茸、大根、春キャベツ、レタスという所。これに地元のコメを5キロ入れて送った。田舎にあるもので都市にない物はきっと旨い野菜とか肉だろうと思う。
孫がまた産まれて、名前はひらがなで「さくら」という事だから季節感がある名前の孫がそろったという事になる。予定では息子は5人くらいは産んでほしいとお嫁さんに言っているらしい。にぎやかな事が好きな家系という事だろう。楽しいことがたくさんあると良いねと思う。お金は無くとも子は育つと思うな。


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爺さんはこんな調子で孫を待っていた

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晩年の読書はこのような棚の前から始まる

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5時間かけて伊豆牛1キロを煮込んだビーフシチュー

晩年の読書のために

 大きい地震に備える、ということを考えたのが始まりでしたが、もう先の見えている自分の、本の読み方自体を整理する、という進み行きとなって、書庫とそこからはみ出しているものを片付ける仕事に3年かかりました。
 いま見通しの良くなった棚の間に立って思うのは、若い時に本能のようなものが働いて、ジャストミートする時期のために買っておいた本は、ほとんどすべて有効に読んだようだ、ということです。
 さらに、あと十五年若かったらやりなおすことができるんだが、という思いと、結局、自分はこういうものだった、という思いがあります。そしてポカリと数日空くと、一つの棚の前に立つ、新しい習慣ができました。
 それは、ある期間続けて読んでいる本とは別に、これは正面から立ち向かわねばならないと気にかけていながら、むしろそのために読みそびれていた本を取り出すことです。新旧、様々な本が棚に並んでいます。
 この正月は、近年失った敬愛する友人たちの、終わりのころの本を2冊読みました。切実な感銘と強い楽しみを味わうことになりました。
 一冊はE.W.サイードが白血病と闘いながらの晩年、力をつくしたパレスチナ関係の仕事とは別に、専門の比較文学の、あるいは文化の総体を見渡す仕事として続けていた、芸術家の「後期の仕事」(レイトワーク)を検討するものです。完成にはいたらなかった、しかしよく編集された論文集の校正刷りをもらっていました。
 もう一冊は、英文学者高橋康也の、死後しばらくして出版されていた『橋がかりーー演劇的なるものを求めて』岩波書店です。
 両書ともに、学殖と挑発のあふれている本ですが、私は子供のころ残っているページの少なさに嘆息したのを思い出すほどで、間に幾つか必要な手紙を書いて、本を読み終わるまでの時間を延ばそうとしました。
 まず、この二人の本がもう出ない、ということがあります。加えて、サイードがグレングールドの演奏について、またそのインタビュー発言について用いる表現ですが、「知識人の名演奏」をサイード、康也さんともにやり遂げているのです。
 二人とも迫っている終わりの時をあきらかに意識して、生涯の仕事の頂点を刻み出そうとしています。やはりサイードがベートーヴェンの後期作品についてもいうとおり、異様なほどの精気に満ちていますが、技術にも論旨にも、エラボレーションを重ねた上での、優美な軽みがあります。
 まさに流麗な力技ともいいたいような文章を読み進むうち、かれらと実際話していた際の、声音や目の表情が阿智上がって来て、私は、ーーーーああ、かれはもう居ない、という認識に打ちのめされるようであったのです。(中略)

 サイードの本は、死後ロンドンの新聞に出て、『新潮』に訳載されもした論文を柱としています。ある種の(本当に独特な)芸術家の晩年の仕事が、よく言われる円熟や社会への調和とは裏腹に、個人として抱え込む矛盾とカタストロフィーの予感の攻めぎ合いのなかで、奇跡のように達成される、ということを実証しているのです。
 シチリアの貴族の最後の思いを、生涯一遍だけの長編小説に残したランペドゥーサ。その『山猫』を、貴族趣味のかぎりをつくして映画化した(死ぬまで共産主義者であった)ヴィスコンティー監督。両者の間に、「後期のスタイル」の発想を生んだアドルノと、シチリアをふくみイタリア南部に近代化をもたらす貧困を、獄中で予想したグラムシを置く。それも興味深い細部を繰り出しながら語るサイード。
           大江健三郎 「伝える言葉」プラス   より転載

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 村上春樹に理屈を足すと大江健三郎になると言ったのは文学者の高橋源一郎だったと記憶している。だからというわけでもないのだが、村上が毎年ノーベル文学賞候補と騒がれながらも受賞しない理由はこのように明白で、つまり理屈が欠落しているという点と画期性が無いという点であろうかと実は僕には思われる。大衆が大好きでよく売れれば取れるという賞では無論あるまいとは思う。ウルトラマンや、仮面ライダー、エバンゲリオンがいくら売れても取れないだろう。それは文学の質の問題だからなのだろう。
 昔というか十数年ほど前に相場塾というのを3年ほどしていた時の事だが、年に数回講習会というのを楽しみがてらやった。僕のそれはお高いので(参加費が3−4日の講習で20万ぐらいはしたと思うが80名ほどの参加者がいた。)それなりの資金規模とか金持ちとか社会的な成功者が参加者には多かったという特徴があったと思うが、いつも爆笑された話の一つにつぎのようなコメントをした記憶がある。
「『人を見かけで判断するな』と良く小さい頃から親に教えられた記憶が僕にはありますが、僕はずっと高校生の頃から共産党支持者でしたので、常に一番大きなメルセデスやジャグアーに乗ることにしています。ですから僕の政治思想を信じている人は周囲には実は一人もいないようです。」

 相場をしようというような人で金が嫌いな人は多くはないし、実際「人生は濡れ手に粟が最高!」というような資本主義で市場は満たされているのだから、そんな中にあっては自分の政治信条たる共産思想をモロに表現しようものなら袋だたきに合うに決まっているのだから、一番誤解されやすい事=見た目の身なりこそ欺きの衣装としては最適(差異的でもある)だから、デカい高級外車=資本主義の権化という衣装は実に僕には好ましいと思ったから、実際に自動車が生活に必需品となった長男が誕生した時、確か26歳の時に買ったのが230Eという縦目のメルセデスだった。これで自前で作った労働組合の初代委員長をしていたのは事実である。(あいつはナニを考えているのだと上司や諸先輩はきっと疑っていたと思われる。)共産主義革命がプロレタリアート主導で達成されるなどという夢想を僕は決して信じないし、ブルジョワの力動を馬鹿にするなと今でも僕は思っている。以来もう20台ほどの高級欧州車にずっと乗っておるが、お値段はそれほど高くない中古車も好きである。だってお得だからでもある。
だからというのでもないが、残り時間がきっと迫っているという自覚ができた男たちが(いくらかの女たちも)どういう具体的な生活を送るのかというのは、そのような特別な特徴がある派手なものではないと思う。具体的には平凡で平和で猫と静かに同期する楽しい暮らしなのだ。春になると服を買って、5時間かけて美味しいビーフシチューを仕込んで、神奈川県で一番高級なパンを買って、好きな本を惜しみながら1ページずつ舐めるように読む初春のまだ肌寒い一日のようなものである。全ての物が溢れかえる余剰で過剰な時代にあって僕のすることは少ないし小さい。それを喜びだと思う。
 昨夜、孫のさくらが産まれた。3400グラムも元気な女子だ。孫が4人目というような大学の同期生は誰もいない。社会に役にたつような素敵なお仕事は僕は一度もしてないのだが、きちんとセックスをしたので子供が産まれた。その子供も同じことをしたので孫が産まれた。社会とはそういう単純な事の反復で成立していると思う。
「さくら、凄い美人になあーれ!」とお祈りしている爺さんがここにいる。
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京都 八坂神社の大枝垂

私たちは文章表現を放棄した
 この世界に、絶望しかないことを認めよう―。最新作『土の記』を上梓(じょうし)した高村薫さん(64)が筆者に語った言葉は衝撃的だった。現代を生きる私たちは、作家が抱く絶望感に何を見るのか。連載第1回は、小説の言葉の力が失われていく状況の深淵(しんえん)をのぞく。
小説の「終わりの始まり」――
 今は絶望の時代。唯一の活路は、誰もがみな、身の回りのそれぞれの絶望的な状況を認めること――。
 正月明けから2月にかけ、2度にわたり話を聞いた作家、高村薫さんはこう語った。子どもの頃から自分自身も含めた家族、大人たちをじっと見つめ、彼らの心の内を探ってきた生来の観察者。そんな目が女子中学生から警察官、殺人犯、凡庸な初老の男まで、作品を通し、実にリアルな独白を綴(つづ)ってきた。そんな卓抜した想像力が見る今の景色は、ただ一言、「絶望」である。米国をはじめとした世界も、日本も、そして自らが属する小説の世界さえも。
 彼女との最初のインタビューは『毎日新聞』夕刊特集ワイド面の「この国はどこへ行こうとしているのか」(東京版1月13日付)で一度まとめた。だがその後、その言葉が耳に残り、作家がなぜ「絶望」を語るに至ったのかを詳しく知りたくなった。
 まずは、高村さんが属している最も身近な世界、小説領域から。
 作家の絶望感の一つの理由に、人々の知的な営みの衰えがある。「反知性主義」という言葉をよく聞くが、高村さんに言わせればこうだ。
「政治でも商売でも産業でも、確実に知的レベルが下がっています。もともと、日本人はどんな職業の人もそれぞれの職に誇りを持ち、満足を高めて周囲と調和し、充足した人生を築こうとしてきた。でも一枚皮をめくってみると、物事をよく俯瞰(ふかん)し世界を見ている知的レベルの高い人は限られていた。かつては、そんな知的能力を発揮して生きていた人を、そうではない人たちが認めていた。でも今は知の層が薄くなり、人々もそんな知性を認めなくなっている」
 知性の低下とは、どんなところに表れているのか。
「近代は進歩を前提としていたでしょ。でも人間って果たしてどのくらい賢くなったのか。ギリシャ、ローマ時代、日本なら江戸時代。当時に比べ、今の人間は賢くなっていないような気がする。身近なところではまず、人がまとまった文章を読めなくなっている。漫画でもストーリーが複雑で登場人物が多いと読者はわからない。
 私が選考委員をやっている直木(三十五)賞、織田(作之助)賞のエンターテインメント小説もここ20年ほどで確実にレベルが下がっている。複雑な情報を読者がわからないから、書く方も単純な話だけを書くようになってきている」
 高村さんは博覧強記の読書家でもある。小説から戯作(げさく)までのあらゆる文芸、古代から現代に至るまでの哲学、和洋の古代から近現代までの美術、建築、果ては地質から宇宙論までのあらゆる科学技術に通じている。
「私たちの世代は、最初は難しくてわからなくても、いつか読んでやろうという思いで読書をしてきた。でも今は難しいものは端(はな)から読まれない。面白いこと、威勢のいいことを言う人がウケる時代。ニュースなど何でもわかりやすく解説する人は受けますが、難しさや曖昧さ、知的なものが軽蔑される。それが現代人にもはや、必要でなくなったからです」
 小説の世界も同じだ。
「これは、私だけじゃなく、出版社の編集の方々も共通の認識を持っていますが、やはりここ20年ほどで変わってきました。小説は19世紀的な小説から自然主義、思想的な小説と、いろいろな発展を経て今日に至っていますが、日本の場合、小説が自ら進化を遂げてピークを迎えたのが1970年代から80年代。そこから停滞が始まって、今は全く違う方向へと小説が変化しているのです」
「MTVの登場で音楽が変容」
 70年代から80年代がピークアウトと聞いて、書店に並ぶ文庫本の多彩さが思い浮かんだ。文庫本の発行点数はもちろん、中学生が下校時に立ち寄るような市井の書店で、和洋の古典からエンタメまで実にバリエーション豊富だったのが70年代半ばだった(筆者調査)。角川書店が、
「読んでから見るか、見てから読むか」といううたい文句で映画化とタイアップし、文庫小説を売りさばいていた頃の話。
「その頃を機に、純文学の読者が減ったんです。独自の発展を遂げてきた日本語の文学表現が、純文学の衰退で進化しなくなってしまった。それと前後して、とりあえず出てきたのがエンタメ小説ですわ、私が出てきた頃の」
 高村さんは89年、スパイ小説『リヴィエラを撃て』で第2回日本推理サスペンス大賞最終候補に選ばれた。翌90年、同じ賞を金塊強奪の群像劇『黄金を抱いて翔べ』で受賞しデビューする。その後、朝9時に出社し夕方5時に退社する「可もなく不可もない」外資系商社を辞め、専業作家となった。
「私が書いていた時と重なりますが、日本の小説界はミステリー、冒険小説が席巻した時代が20年くらいあって、今また21世紀になって小説という媒体が変わりつつある」
 その変化を説明するのに、高村さんは音楽番組のMTVを挙げた。
「ポップ音楽の世界に(81年放送開始の)MTVが出てきたでしょ。それまではラジオやレコードで聴いていた単体の音楽に映像がくっついたんです。ステージやダンス、パフォーマンスなど、目に見えるものと音が合体したんです。気づいたらCDも売れなくなっていた」
 2001年、音楽ダウンロードサービスの「iTunes」(アイチューンズ)が出てきて、曲のバラ売りが標準となるが、そのはしりはMTVだったと作家は言う。
「かつてのミュージシャンにはアルバムを作る際、最初と最後に何をもってくるかといったコンセプトがありました。曲はそのコンセプトの一つで、それぞれの曲想を呈していた。でも、そういう作り方が消え、音楽の姿が変わっていった」
「小説でしか描けないものは消える」
 小説世界もそれとよく似ている、と言う。
「かつての小説は文字だけでできている世界でした。ところが、技術革新によって、アニメでも割に高度な表現ができるようになってきた。その技術のお陰でアニメと小説、二つの表現方法がくっついたんです。(昨年ヒットしたアニメ映画)『君の名は。』は、(子ども向けの映画を集めた)『東映まんがまつり』と違って、大人が観に行って感動するんです。つまり、アニメが小説に取って代わる世界になったんです。映画は2時間でとりあえず感動を得られる。でも、小説は読むのに丸一日かかる。しかも、アニメは友達や家族と感動を分かち合えますが、小説はそれができない。だから、小説が独自に持っていた特権的な表現なんてものはもうないんです。それで、小説の方もアニメベースになっていくんです」
 アニメベースの小説とは何を指しているのか。
「すぐにアニメ化、ドラマ化されやすい小説です。キャラの作りとか登場人物の行動原理が漫画的なんです。『どっかで見たね、この話』っていう感じのものなど、単純でわかりやすい話が多い。その結果、小説の姿が全く違う形に変わり、小説ならではの言語表現という特権が失われてきたんです」
「特権」などと言うとすぐに「上から目線!」と非難する人が出てきそうだ。特にアニメファンの人たちからは「活字がそんなに偉いのか」という反論がありそうだ。高村さんの言う「小説の特権」とは具体的に何を指しているのか。質問を重ねると、こう即答した。
「文体ですよね。例えば、川端康成の『伊豆の踊子』という小説には川端の文体が持っている独特の日本語の世界があるんです。それは読んだ人にしか得られない、小説だからこその言語体験です。こうした体験こそが快楽だった時代がずっとあったんですが、今はそれがなくなった。人にイメージを呼び起こさせる力は言語より映像や音楽の方がはるかに大きい。見る人に直接伝わるんです。現代人はそれに慣れ、小説の言葉からイメージを喚起する力がどんどん失われてきた。受け手にとっては、映像と音楽が一緒になった映画やアニメの方が、作り手の『表現世界』を簡単に受け取りやすいんです」
 小説の場合、読者が読むごとに脳内にイメージが築かれる。その風景やムードは人それぞれで、多様だ。言葉で刺激されたそれぞれの脳が作り出す箱庭のような世界像は、人の脳がみな違うがゆえに、異なった形で脳に巣くう。
 小説は説いてはならない、結論も押し付けてはならない、読み解きというスペース、曖昧な領域を残し、読者に自由な空間を授けなくてはならない。高村さんの作品を読むと、そんな書き手の姿勢が伝わってくるが、
「そんな小説ならではの(受け取り方の)豊かさが、映像では一つの絵として提示されるため、『世界』が平板化していく。その結果、人間も思考も平板化していくんです」
「平板化」。最近の言い方をすればフラット化するということか。要するに全てがどこか似ていて、突飛(とっぴ)なもの、異質なものが減り、奇抜さに欠け、全体に凹凸感がないということか。言われてみると、そんな気もするが、あらゆる自由な表現が許されるのが小説である。「知」は減退しても、書き手が新たなスタイル、内容を模索する点は変わらない気もする。だが、高村さんは小説の終わりを見ている。「衰退の流れは不可逆です。小説でしか描けないものは消えて行くんです」
 衰退は読み手の減少からきているのか。そもそも、表現を模索する人が減ってしまったのか。
「両方です。書き手も読者ですから。かつて以上に書き手と読み手の境目がなくなっています。書き手が読み手と同じ身体感覚に立っているのが今です。両方が変わってしまったので、アニメ化は一つの例ですが、小説が変わってしまった」
「哲学する人間がいなくなった」
 文学賞の選考委員として目に触れる作品群はこうだ。
「言葉を発することに対する恐れが完全にゼロになった気がする。ネットの影響でしょうけど。言葉が持っている力、言葉を紡ぎ出すことへのハードルが消えてしまったので、小説の言葉がどんどん力を失っている」
 アルゼンチンの作家、ボルヘスは英国の作家、コンラッドを引き合いにこんな話をしている。
〈コンラッドは、世界をリアリズムで書こうとしているのに幻想的な小説を書いてしまう人間がいるのは、世界自体が幻想的で正体のつかめない神秘的なものだからだ、と考えていた。(略)すなわち、世界は自然現象なのか一種の夢なのか。そして他人と共有できる夢なのかできない夢なのか〉(『パリ・レヴュー・インタビュー1』(岩波書店)
 この言葉を借りれば、小説が終わるとは、世界など所詮見たとおりの物にすぎず、もはやそこに神秘などないということなのだろうか。
 もう一つ。高村さんの直木賞受賞の5年後、1998年上期に『赤目四十八瀧心中未遂』で同賞を受賞した故車谷長吉(くるまたにちょうきつ)氏は小説をこう定義する。
「小説とは『人が人であることの謎』について書くこと。つまり『人間とは何か』という問いに対する答えである」(『世界一周恐怖航海記』(文藝春秋)
 これに従えば、今は、人間の謎を考えることを人々がしなくなったということなのか。
 人間にも世界にも、もはや神秘も謎もないと。
「哲学する人間、そういうことを思う人間が消えたんだと思う。それよりも何か楽しいこと、面白いこと、地球環境に良いこととか、そうしたことだけを考えている」と高村さん。
 でも、少なくとも人は人生の後半に入り、死が近づけば、自分の生の意味を考えるのでは?
 その答えを求めるため、小説を書く、あるいは読むという行為は避けようがないことなのでは? そう問うと、彼女はすかさずこう切り返した。
「『死とは』『人生とは』という問いに行き着いた時はもう遅いんです。今の人はみな死ぬ寸前まで生きることを考えていますから。ずーっと死を考えないで終わるんです」
 本当だろうか。次回は作家の死生観から、老い、それでも書き続ける理由を聞いていく。
(以下次号)

たかむら・かおる
 1953年、大阪府生まれ。国際基督教大卒後、商社勤務を経て90年に作家デビュー。93年に『マークスの山』で直木賞、98年に『レディ・ジョーカー』で毎日出版文化賞、2010年に『太陽を曳く馬』で読売文学賞。近著に『空海』『土の記』(ともに新潮社)

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天才の作品をどうのこうのと言うよりも、高村のテキストを読んで感じる、楽しむ、思索するということが自然な喜びになる人はとても幸福な読書人なんだろうと思う。僕もその一人で、同世代の絶望の世代をなんとか彼女のテキストを読みながら乗り越えようとしているきっと一人なのだ。ぼくは趣味趣向が保守的で古いので映像とかアニメ芸術を現在はほとんど見ないし見たいとも思わない。映画、TV、ビデオなどで見るのは音楽のライブぐらいなものだろう。ピアニストのライブはCDとは異なった面白さがあると思う。これでも本屋の一人息子だったから小学生の頃は見ない漫画本は無いというぐらい店の在庫はなんでも全て見ていた。ませたガキだったから小学生からガロだのSMセレクト(川上宗薫なんてファンだった)の愛読者だったね。(爆)
テキストも構想も実に硬質で良いが、彼女のハードカバーの装画の選択がいつもとても素敵なんだね。例えば「晴子情歌」の挿画は青木繁の「海の幸」唯一の女性モデルは妻のたね、美女である。「太陽を曳く馬」ではマークロスコの抽象画。オレンジと朱が暗示的なのはテキストに繋がるという工夫なんだろうかとも思う。
影響力という意味で、高村が「マークスの山」で直木賞を取ったせいで、老人かそれに近い人たちの登山やハイキングブームを加速させたという事は実際に相当数あったんじゃないか、少なくとも僕が登山靴を3足も買って低い山でも少し登ろうと思ったのは彼女の描く山は美しいなあ、厳しいなあと感じたせいも大きかったと思う。再読、三読、四読に耐えるテキストの質をキープするのは実に偉大な仕事だと思うし、そうしたテキストに出会える経験は稀であると思う。登山というのも実に苦しいマゾヒスティックな快楽だから、苦しい思いをした人しかその後の嬉しい気持ちを体感できないある種のかなり歪んだ快楽じゃないのとハアハア言いながらも毎度思うのだ。このままここで左に転けたら死ぬか、大怪我するなと何度も思いながら、何で俺はこんな道を登っているのだろうと、家族の絶望を考えながら登る。高村のテキストを読む、その絶望を読むというのはある種の登山の快楽と苦痛にとても似ているのだ。夫婦の絶望、親子の絶望、男女の絶望、俺の所有している独特な絶望たち、、数え始めたらそれこそキリが無いと言える。ある意味、現在は絶望の世紀なのかもしれない。だからこそ小説に希望を書くということを意識しているのは村上龍だが、果たして成功しているかと言えば全くダメだね、全く出来ていない書けていないと僕は感じる。その中で薄汚れていても弱い希望がなんとか書けているのは吉田修一ぐらいなのかなと思う。まあ書けたからなんだという事でも実はないんだけれど、、、。絶望を書くというよりは発想と存在そのものがまさに絶望というのが前回の芥川賞作家、村田沙耶香だろう。実に異才だがマジにサイコパス?と一目でわかる文体だ。すごく能力があって優れたテキストだが「読みたくない」のね。ここが惜しい!読みたい文体というのは才能だけでは書けない証拠だろう、そう思うのね。売れない理由はここだろ?
 世界中の先進国の婦女子が子供をあまり産まなくなった本当の理由はこの絶望にあるのかもしれない。男ではわかりにくいこと、女の本能が壊れたということ(男も壊れているのかもしれないが、、)は、きっと人類はもう長くないのかもしれない。絶滅に向かって静かに進んでいるということかもしれない。
3月27日になった。まだ知らせは来ない。昨日が長男の子供の出産予定日だった。産まれていれば早生まれということ。予定を1週送らせて4月2日以降が希望らしい。すると零歳児で保育園に入りやすいのだそうだ。また女の子で名前は「桜」。
これで椿、菫、桜と花屋向けの名前が出そろった。つぎは薔薇か菊という事?(笑)ホントにマジに男が産まれにくい家系なんだよねえー。


運と縁起と、、

イメージ 1縁起の善し悪し

「孤独死」といえば、独居老人というイメージが強いが、近年、20〜30代の若者が自宅でひっそり亡くなり、発見されずに放置されるケースが増えているという。都監察医務院のデータによると、15年に23区内で孤独死した20〜30代は計238人。男性が8割近くを占めている。13年は246人、14年は260人と、ここ数年は250人前後で“高止まり”している。「病死、不審死、自殺などの異状死のうち、自宅で死亡した一人暮らしの人――これが孤独死の定義です。ここ毎年、若者でも一定数います」(同院担当者)ちなみに厚労省では、「社会から孤立した結果、死後、長時間放置された事例」を「孤立死」としているが、若者の孤独死は何も都内に限った話ではない。
日本少額短期保険協会の「孤独死の現状レポート」(16年3月)によると、年代別では男女とも60代が最も多いのだが、女性は30、40代がそれに次ぐ。発見までの日数は平均で死後20日というから、切ない。

フリーターの増加も一因
一人暮らしの娘を訪ねた親が、インターホンを鳴らしても応答がないため、管理会社に連絡。ようやく娘の孤独死を発見した、なんてケースもあるという。同リポートでも「孤独死は決して高齢者だけの問題ではない。もっと幅広い年齢層にわたる対策を構築する必要がある」と指摘している。「孤独死のリアル」(講談社現代新書)の著者で、淑徳大教授の結城康博氏(社会福祉学)が言う。「若者の孤独死が増えたのは契約、派遣社員、フリーターの増加も一因です。彼らが数日間、無断欠勤したぐらいでは、会社は心配してくれない。体調不良で動けなくなっていても見過ごされがちで、亡くなっても気付かれにくい。また、一人っ子が増え、一人でいる方がラク、友達関係も希薄という若者が増えたせいもある。コミュニケーション能力が低下し、素直に感情を出したり、他人に助けを求めることができない若者は珍しくありません。家賃の支払いに困り、食生活が偏って体調を崩しても、友人はもちろん、家族にすら言い出せないのです」雇用も収入も不安定だから、気軽に病院に行けないことも問題だ。結城教授によると、わが子がフリーター(契約、派遣社員)で、たまに会って話をしても「友達」の話題が出ない場合は、孤独死するリスクが高いという。要注意だ。
                         日刊ゲンダイ より転載
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 まあ死んだ後の事は死んだ本人にはもうわからないのだからどうでも良いようなものだが、家族や周囲への後味という意味であまり良いものではないから、死ぬまでの生きるという生活部分で孤独死を選ぶ人以外は(こういう死に方が素晴らしいという価値観だって無論あるとは思う)毎日の生き方を少し工夫すれば良いのだろうと思う。
 老人が死ぬのは当然で、しかもお一人様の生活(家族はいても別居しているなど)が今後はとても増えるのは当然なのだから、そうなった時に3週間も放置されてしまうような悪臭ぷんぷんという状態は避けたいねえと僕は個人的には思う。子孫の後味を少しは考えるからだ。それには介護サービスがついているのような住宅(老人ホーム、サービス付き高齢者住宅、老健、特養など)に入れる人はそういうのが楽チンだろう。そろそろ自分でヤバいかな?という見極めが出来るなら少し早めにそういう暮らしを受け入れる心の有り様も現実的だ。老いては子に従えというが、そもそもその子がいない人も多いのだから、若い人の客観性のある意見を取り入れる心の柔軟性が大事だろう。頑固爺とか意地悪婆はマジ食えないのね。金があると少しはマシな選択が出来る可能性は確かにあるんだろう。だが地獄に持って行けるわけではないんだから葬式代を残して使い切ったら算盤に合うねと思う。
 理想的には手足がまだ健康で運転ぐらいは出来る状態でぽっくり腹上死か入浴死というのが僕の理想だが、なかなかそう上手くもいかんのなら、少し痛いがモルヒネ漬けでガンで死ぬくらいの覚悟があればなんとか平均的な死に方ぐらいは出来るのだろうとは思う。もう還暦過ぎてだんだん古希に接近するようなら十分に生きて人生を楽しんだろうからあまり未練は無いんじゃないのかねと思う。現在平均値が男79、女85だとすると、男は定年から平均19年で死ぬということは、僕の場合なら40で仕事をリタイアだったから59で平均並、それ以上はオマケの時間ということで既にもう3年はプレミアがついてる。70まで上手い事生き延びると老後が30年もあったことになるから、定年後90まで生きたのと同じ時間を過ごせたことになるから、まあ我ながらそれは少し欲張りだねと思うのだ。
 20−40代での孤独死ってのはどうなんだろう?何か社会とか周囲と上手く関係を作れない出来損ないのお馬鹿な世代という事なのだろうけれど、若いのだからまだ修正が効く余地はあるんだろうから謙虚になるのが一番安上がりで簡単な方法論である。駄目な自分を自覚して受け入れることが出来るなら、そんなにお先真っ暗ということでもあるまい。これだけ世の中が物質的に豊かになったのだから、あとは当人の才能と運に人生は依存するということで、自由と平等を謳歌するにもそれなりの才能と資格が必要ということではある。それにしても若い孤独死の8割が♂というのはマジ情けない。チンチンを上手に使えていないからこうなるのね。(爆)
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