私たちは文章表現を放棄した
この世界に、絶望しかないことを認めよう―。最新作『土の記』を上梓(じょうし)した高村薫さん(64)が筆者に語った言葉は衝撃的だった。現代を生きる私たちは、作家が抱く絶望感に何を見るのか。連載第1回は、小説の言葉の力が失われていく状況の深淵(しんえん)をのぞく。
小説の「終わりの始まり」――
今は絶望の時代。唯一の活路は、誰もがみな、身の回りのそれぞれの絶望的な状況を認めること――。
正月明けから2月にかけ、2度にわたり話を聞いた作家、高村薫さんはこう語った。子どもの頃から自分自身も含めた家族、大人たちをじっと見つめ、彼らの心の内を探ってきた生来の観察者。そんな目が女子中学生から警察官、殺人犯、凡庸な初老の男まで、作品を通し、実にリアルな独白を綴(つづ)ってきた。そんな卓抜した想像力が見る今の景色は、ただ一言、「絶望」である。米国をはじめとした世界も、日本も、そして自らが属する小説の世界さえも。
彼女との最初のインタビューは『毎日新聞』夕刊特集ワイド面の「この国はどこへ行こうとしているのか」(東京版1月13日付)で一度まとめた。だがその後、その言葉が耳に残り、作家がなぜ「絶望」を語るに至ったのかを詳しく知りたくなった。
まずは、高村さんが属している最も身近な世界、小説領域から。
作家の絶望感の一つの理由に、人々の知的な営みの衰えがある。「反知性主義」という言葉をよく聞くが、高村さんに言わせればこうだ。
「政治でも商売でも産業でも、確実に知的レベルが下がっています。もともと、日本人はどんな職業の人もそれぞれの職に誇りを持ち、満足を高めて周囲と調和し、充足した人生を築こうとしてきた。でも一枚皮をめくってみると、物事をよく俯瞰(ふかん)し世界を見ている知的レベルの高い人は限られていた。かつては、そんな知的能力を発揮して生きていた人を、そうではない人たちが認めていた。でも今は知の層が薄くなり、人々もそんな知性を認めなくなっている」
知性の低下とは、どんなところに表れているのか。
「近代は進歩を前提としていたでしょ。でも人間って果たしてどのくらい賢くなったのか。ギリシャ、ローマ時代、日本なら江戸時代。当時に比べ、今の人間は賢くなっていないような気がする。身近なところではまず、人がまとまった文章を読めなくなっている。漫画でもストーリーが複雑で登場人物が多いと読者はわからない。
私が選考委員をやっている直木(三十五)賞、織田(作之助)賞のエンターテインメント小説もここ20年ほどで確実にレベルが下がっている。複雑な情報を読者がわからないから、書く方も単純な話だけを書くようになってきている」
高村さんは博覧強記の読書家でもある。小説から戯作(げさく)までのあらゆる文芸、古代から現代に至るまでの哲学、和洋の古代から近現代までの美術、建築、果ては地質から宇宙論までのあらゆる科学技術に通じている。
「私たちの世代は、最初は難しくてわからなくても、いつか読んでやろうという思いで読書をしてきた。でも今は難しいものは端(はな)から読まれない。面白いこと、威勢のいいことを言う人がウケる時代。ニュースなど何でもわかりやすく解説する人は受けますが、難しさや曖昧さ、知的なものが軽蔑される。それが現代人にもはや、必要でなくなったからです」
小説の世界も同じだ。
「これは、私だけじゃなく、出版社の編集の方々も共通の認識を持っていますが、やはりここ20年ほどで変わってきました。小説は19世紀的な小説から自然主義、思想的な小説と、いろいろな発展を経て今日に至っていますが、日本の場合、小説が自ら進化を遂げてピークを迎えたのが1970年代から80年代。そこから停滞が始まって、今は全く違う方向へと小説が変化しているのです」
「MTVの登場で音楽が変容」
70年代から80年代がピークアウトと聞いて、書店に並ぶ文庫本の多彩さが思い浮かんだ。文庫本の発行点数はもちろん、中学生が下校時に立ち寄るような市井の書店で、和洋の古典からエンタメまで実にバリエーション豊富だったのが70年代半ばだった(筆者調査)。角川書店が、
「読んでから見るか、見てから読むか」といううたい文句で映画化とタイアップし、文庫小説を売りさばいていた頃の話。
「その頃を機に、純文学の読者が減ったんです。独自の発展を遂げてきた日本語の文学表現が、純文学の衰退で進化しなくなってしまった。それと前後して、とりあえず出てきたのがエンタメ小説ですわ、私が出てきた頃の」
高村さんは89年、スパイ小説『リヴィエラを撃て』で第2回日本推理サスペンス大賞最終候補に選ばれた。翌90年、同じ賞を金塊強奪の群像劇『黄金を抱いて翔べ』で受賞しデビューする。その後、朝9時に出社し夕方5時に退社する「可もなく不可もない」外資系商社を辞め、専業作家となった。
「私が書いていた時と重なりますが、日本の小説界はミステリー、冒険小説が席巻した時代が20年くらいあって、今また21世紀になって小説という媒体が変わりつつある」
その変化を説明するのに、高村さんは音楽番組のMTVを挙げた。
「ポップ音楽の世界に(81年放送開始の)MTVが出てきたでしょ。それまではラジオやレコードで聴いていた単体の音楽に映像がくっついたんです。ステージやダンス、パフォーマンスなど、目に見えるものと音が合体したんです。気づいたらCDも売れなくなっていた」
2001年、音楽ダウンロードサービスの「iTunes」(アイチューンズ)が出てきて、曲のバラ売りが標準となるが、そのはしりはMTVだったと作家は言う。
「かつてのミュージシャンにはアルバムを作る際、最初と最後に何をもってくるかといったコンセプトがありました。曲はそのコンセプトの一つで、それぞれの曲想を呈していた。でも、そういう作り方が消え、音楽の姿が変わっていった」
「小説でしか描けないものは消える」
小説世界もそれとよく似ている、と言う。
「かつての小説は文字だけでできている世界でした。ところが、技術革新によって、アニメでも割に高度な表現ができるようになってきた。その技術のお陰でアニメと小説、二つの表現方法がくっついたんです。(昨年ヒットしたアニメ映画)『君の名は。』は、(子ども向けの映画を集めた)『東映まんがまつり』と違って、大人が観に行って感動するんです。つまり、アニメが小説に取って代わる世界になったんです。映画は2時間でとりあえず感動を得られる。でも、小説は読むのに丸一日かかる。しかも、アニメは友達や家族と感動を分かち合えますが、小説はそれができない。だから、小説が独自に持っていた特権的な表現なんてものはもうないんです。それで、小説の方もアニメベースになっていくんです」
アニメベースの小説とは何を指しているのか。
「すぐにアニメ化、ドラマ化されやすい小説です。キャラの作りとか登場人物の行動原理が漫画的なんです。『どっかで見たね、この話』っていう感じのものなど、単純でわかりやすい話が多い。その結果、小説の姿が全く違う形に変わり、小説ならではの言語表現という特権が失われてきたんです」
「特権」などと言うとすぐに「上から目線!」と非難する人が出てきそうだ。特にアニメファンの人たちからは「活字がそんなに偉いのか」という反論がありそうだ。高村さんの言う「小説の特権」とは具体的に何を指しているのか。質問を重ねると、こう即答した。
「文体ですよね。例えば、川端康成の『伊豆の踊子』という小説には川端の文体が持っている独特の日本語の世界があるんです。それは読んだ人にしか得られない、小説だからこその言語体験です。こうした体験こそが快楽だった時代がずっとあったんですが、今はそれがなくなった。人にイメージを呼び起こさせる力は言語より映像や音楽の方がはるかに大きい。見る人に直接伝わるんです。現代人はそれに慣れ、小説の言葉からイメージを喚起する力がどんどん失われてきた。受け手にとっては、映像と音楽が一緒になった映画やアニメの方が、作り手の『表現世界』を簡単に受け取りやすいんです」
小説の場合、読者が読むごとに脳内にイメージが築かれる。その風景やムードは人それぞれで、多様だ。言葉で刺激されたそれぞれの脳が作り出す箱庭のような世界像は、人の脳がみな違うがゆえに、異なった形で脳に巣くう。
小説は説いてはならない、結論も押し付けてはならない、読み解きというスペース、曖昧な領域を残し、読者に自由な空間を授けなくてはならない。高村さんの作品を読むと、そんな書き手の姿勢が伝わってくるが、
「そんな小説ならではの(受け取り方の)豊かさが、映像では一つの絵として提示されるため、『世界』が平板化していく。その結果、人間も思考も平板化していくんです」
「平板化」。最近の言い方をすればフラット化するということか。要するに全てがどこか似ていて、突飛(とっぴ)なもの、異質なものが減り、奇抜さに欠け、全体に凹凸感がないということか。言われてみると、そんな気もするが、あらゆる自由な表現が許されるのが小説である。「知」は減退しても、書き手が新たなスタイル、内容を模索する点は変わらない気もする。だが、高村さんは小説の終わりを見ている。「衰退の流れは不可逆です。小説でしか描けないものは消えて行くんです」
衰退は読み手の減少からきているのか。そもそも、表現を模索する人が減ってしまったのか。
「両方です。書き手も読者ですから。かつて以上に書き手と読み手の境目がなくなっています。書き手が読み手と同じ身体感覚に立っているのが今です。両方が変わってしまったので、アニメ化は一つの例ですが、小説が変わってしまった」
「哲学する人間がいなくなった」
文学賞の選考委員として目に触れる作品群はこうだ。
「言葉を発することに対する恐れが完全にゼロになった気がする。ネットの影響でしょうけど。言葉が持っている力、言葉を紡ぎ出すことへのハードルが消えてしまったので、小説の言葉がどんどん力を失っている」
アルゼンチンの作家、ボルヘスは英国の作家、コンラッドを引き合いにこんな話をしている。
〈コンラッドは、世界をリアリズムで書こうとしているのに幻想的な小説を書いてしまう人間がいるのは、世界自体が幻想的で正体のつかめない神秘的なものだからだ、と考えていた。(略)すなわち、世界は自然現象なのか一種の夢なのか。そして他人と共有できる夢なのかできない夢なのか〉(『パリ・レヴュー・インタビュー1』(岩波書店)
この言葉を借りれば、小説が終わるとは、世界など所詮見たとおりの物にすぎず、もはやそこに神秘などないということなのだろうか。
もう一つ。高村さんの直木賞受賞の5年後、1998年上期に『赤目四十八瀧心中未遂』で同賞を受賞した故車谷長吉(くるまたにちょうきつ)氏は小説をこう定義する。
「小説とは『人が人であることの謎』について書くこと。つまり『人間とは何か』という問いに対する答えである」(『世界一周恐怖航海記』(文藝春秋)
これに従えば、今は、人間の謎を考えることを人々がしなくなったということなのか。
人間にも世界にも、もはや神秘も謎もないと。
「哲学する人間、そういうことを思う人間が消えたんだと思う。それよりも何か楽しいこと、面白いこと、地球環境に良いこととか、そうしたことだけを考えている」と高村さん。
でも、少なくとも人は人生の後半に入り、死が近づけば、自分の生の意味を考えるのでは?
その答えを求めるため、小説を書く、あるいは読むという行為は避けようがないことなのでは? そう問うと、彼女はすかさずこう切り返した。
「『死とは』『人生とは』という問いに行き着いた時はもう遅いんです。今の人はみな死ぬ寸前まで生きることを考えていますから。ずーっと死を考えないで終わるんです」
本当だろうか。次回は作家の死生観から、老い、それでも書き続ける理由を聞いていく。
(以下次号)
たかむら・かおる
1953年、大阪府生まれ。国際基督教大卒後、商社勤務を経て90年に作家デビュー。93年に『マークスの山』で直木賞、98年に『レディ・ジョーカー』で毎日出版文化賞、2010年に『太陽を曳く馬』で読売文学賞。近著に『空海』『土の記』(ともに新潮社)
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天才の作品をどうのこうのと言うよりも、高村のテキストを読んで感じる、楽しむ、思索するということが自然な喜びになる人はとても幸福な読書人なんだろうと思う。僕もその一人で、同世代の絶望の世代をなんとか彼女のテキストを読みながら乗り越えようとしているきっと一人なのだ。ぼくは趣味趣向が保守的で古いので映像とかアニメ芸術を現在はほとんど見ないし見たいとも思わない。映画、TV、ビデオなどで見るのは音楽のライブぐらいなものだろう。ピアニストのライブはCDとは異なった面白さがあると思う。これでも本屋の一人息子だったから小学生の頃は見ない漫画本は無いというぐらい店の在庫はなんでも全て見ていた。ませたガキだったから小学生からガロだのSMセレクト(川上宗薫なんてファンだった)の愛読者だったね。(爆)
テキストも構想も実に硬質で良いが、彼女のハードカバーの装画の選択がいつもとても素敵なんだね。例えば「晴子情歌」の挿画は青木繁の「海の幸」唯一の女性モデルは妻のたね、美女である。「太陽を曳く馬」ではマークロスコの抽象画。オレンジと朱が暗示的なのはテキストに繋がるという工夫なんだろうかとも思う。
影響力という意味で、高村が「マークスの山」で直木賞を取ったせいで、老人かそれに近い人たちの登山やハイキングブームを加速させたという事は実際に相当数あったんじゃないか、少なくとも僕が登山靴を3足も買って低い山でも少し登ろうと思ったのは彼女の描く山は美しいなあ、厳しいなあと感じたせいも大きかったと思う。再読、三読、四読に耐えるテキストの質をキープするのは実に偉大な仕事だと思うし、そうしたテキストに出会える経験は稀であると思う。登山というのも実に苦しいマゾヒスティックな快楽だから、苦しい思いをした人しかその後の嬉しい気持ちを体感できないある種のかなり歪んだ快楽じゃないのとハアハア言いながらも毎度思うのだ。このままここで左に転けたら死ぬか、大怪我するなと何度も思いながら、何で俺はこんな道を登っているのだろうと、家族の絶望を考えながら登る。高村のテキストを読む、その絶望を読むというのはある種の登山の快楽と苦痛にとても似ているのだ。夫婦の絶望、親子の絶望、男女の絶望、俺の所有している独特な絶望たち、、数え始めたらそれこそキリが無いと言える。ある意味、現在は絶望の世紀なのかもしれない。だからこそ小説に希望を書くということを意識しているのは村上龍だが、果たして成功しているかと言えば全くダメだね、全く出来ていない書けていないと僕は感じる。その中で薄汚れていても弱い希望がなんとか書けているのは吉田修一ぐらいなのかなと思う。まあ書けたからなんだという事でも実はないんだけれど、、、。絶望を書くというよりは発想と存在そのものがまさに絶望というのが前回の芥川賞作家、村田沙耶香だろう。実に異才だがマジにサイコパス?と一目でわかる文体だ。すごく能力があって優れたテキストだが「読みたくない」のね。ここが惜しい!読みたい文体というのは才能だけでは書けない証拠だろう、そう思うのね。売れない理由はここだろ?
世界中の先進国の婦女子が子供をあまり産まなくなった本当の理由はこの絶望にあるのかもしれない。男ではわかりにくいこと、女の本能が壊れたということ(男も壊れているのかもしれないが、、)は、きっと人類はもう長くないのかもしれない。絶滅に向かって静かに進んでいるということかもしれない。
3月27日になった。まだ知らせは来ない。昨日が長男の子供の出産予定日だった。産まれていれば早生まれということ。予定を1週送らせて4月2日以降が希望らしい。すると零歳児で保育園に入りやすいのだそうだ。また女の子で名前は「桜」。
これで椿、菫、桜と花屋向けの名前が出そろった。つぎは薔薇か菊という事?(笑)ホントにマジに男が産まれにくい家系なんだよねえー。