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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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バケットチキンローストサンドイッチ

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ガソリンチケット 62000円が当たったようだ。詐欺じゃないみたいね。
別に何か申し込んだわけではない。メールを読んでポチっとしただけね。

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オーガニックコットンのバスタオル  860円
インドと競争しても絶対に勝てないなあと思います。

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ハングリータイガーのトーテムポール?
ナニか深い意味があるんだろうか?

 丁寧な朝食を作るというのは「心と身体」に良いと自覚している今日この頃だ。内科医から「食い過ぎ注意」という勧告とタケプロンやガスターみたいな胃散抑制剤を投与されて、なんとか胸焼けを止めているようなだらしない欲望の奴隷としては、1日2回の食事は一番大事な日課であり、人生の目的と快楽でもあるのだから、僕に残った10年、7300回ほどの食事はできるだけ質の高いものにしたいねと思う。どう浪費しても残りそうな金をなんとか使い切るにはどうするか?まあ相場に大失敗でもすればすぐにオケラ街道まっしぐらというのは相場師の常なんだが、僕は真剣には相場を張らないという才能がマジに優れており、引かされれば投げる踏むというのが人よりちょっと旨いので金がなかなか減らない。(爆)減らないうちにチャンスがきてマグレで取れるので結果的に好きな事をして働かないでずっと22年も生きているという後半戦の人生になったのは事実だから、そういうふうにやれば怠惰でも結構豪華なブルジョワ生活が可能であるとも思う。

 昨日も連続して座間という米軍基地のある街のコストコに行ってお買い物をして夕飯を横浜のソールフードと言われるハングリータイガー本店でしてきた。いわゆるハンバーグ屋さんであるが、満員で40分待ちで盛況、盛況!税込み2250円でセットメニューの飲み物とサラダとスープのついた220グラムある球形のハンバーグを目の前でハーフカットして鉄板で中を焼くという儀式の後に食するのだが、オーストラリアビーフという事だがなかなか美味で楽しめた。良い友人がいるので、毎度僕は得をしているねと思う。それにしても、なんで店の中央に巨大なトーテムポールみたいなオブジェがあるのだろう。「トーテムとタブー」というフロイトのテキストを読んだばかりだったので(インセストタブーに関する有名なテキストである。)ちょっとびっくり。

 コストコはとても好きだ。買い物が小さな祝祭になるからだ。ということで忘れやすい頭のメモを諦めてちゃんと紙に買うものを書いて行く。それの中で一番よさそうなものを買う。(一番高いものではないよ。安物でも良いものを探します。)昨日はオーガニックコットンの大きなバスタオルを2枚買った。コストコのオリジナル商品らしく、インド製 30×58 インチの大判でなんと860円だ。デカい、厚い、柔らかいと第一印象は良いが吸水性が良いのかどうかは今後使用してみないとわからない。だから2枚でやめてよければ、あと6枚ぐらい次に買おうと思う。同じタオルでも今治タオルはなかなか良いのだが、色柄がすごくダサいので辞めておいた。
バスタオルはユニクロ店頭でも1000円で売っているのだが、少し薄くて柔らかすぎるというか腰がない。そういうソフトなタイプが日本人には人気なのかもしれないが、僕はアメリカ製のぶ厚いタオルのほうが安心感とか安定感があって好みなのだ。どちらかというと体積とか重みとか存在感が過大なもののほうが好き=車でもメルセデスなど魁偉なものを好むから塊としての量感のあるものを好むという権力志向が強いのかもしれない。
 以前はワイズリビングというヨージの黒いバスタオルを御殿場のアウトレットで買ったような記憶が6年ほど前にある。1枚3000円ぐらいだったような気がするが最近硬くなってきたので買い替えタイミングという事なんだろう。肌触りというのは重要なファクターであると思う。ラルフローレンのタオル(日本製とアメリカ製の両方)でも、好きなのは無論アメリカ製である。日本製はライセンスでツカモトが作っているが、よく株主優待品などで送ってくるがうすくてぺらぺらなので我が家の猫のシーツに変わる。(爆)僕は毎日1−2回は温泉に入るし上がり湯は使用しないから塩分ミネラル満載の水をバスタオルが常に大量に吸収するという差異があるから、きっとタオルの消耗が激しいんだろうと思う。塩分と繊維の関係性なら、繊維のくたびれは加速するから、質感のよい素材は実に好ましい。その点安いのにユニクロのスーピマコットンのTシャツは優れていると思う。だから30枚ぐらいまとめて買って2年使って全部捨てて買い直すの繰り返しだ。セールで買うと1枚1000円だから30枚で3万円。これを24ヶ月で1回転だと1ヶ月1250円だ。安いねと思う。
それでも6年前に3000円だったものが今日は860円だとコストは1/3以下になっている。これをデフレというのだろうと黒田に教えてやりたいねえ。(爆)物価が下がれば実質賃金は上昇するのだから全員の生活は豊かになっているはずだが、そういう人は実は少ないのかしら?金を使うほど豊かになるというのにそうしないから恩恵に預かれないという自覚がない馬鹿が多いんじゃないの?と思うね。使ってナンボが金の購買力ですよ。「いま、ここ」でしょ?
  コストコのパン類は優れているなあと思うが、今回はバケット2本399円というのを買ってサンドイッチを作ってみた。ロテサリーチキンという若鶏の丸焼きが1羽699円で売ってる。これをカットして野菜を焼いてローストチキンサンドにすると実に豪華で美味であり、有名ホテルで食べると1500円ぐらいの質の素敵なサンドイッチが出来る。レタス、チーズ、ピクルス、と好みのものを足してソース(今回はマヨネーズと胡椒とチリ)で食べる。2本のバケットで6つ出来るから1200円で6つで1個当たり200円だ。外食の1/7というコストで旨くて豪華なんだからやはり自分で丁寧に食事を作るというのは大事な社会生活なんじゃないのかねえと暇な老人は思う。このバケットに使用している小麦粉がフランス産だからコクがあって旨いのだと思う。焼き方もハード系でシャレている。わかった人が作っているなんだねー。

 朝飯を抜いているリーマンが多いそうだが、無駄な会議なんてする時間があるならみんなで優雅な朝食を作って食べればよほどヤル気が出て良い仕事になるんじゃないのか?と今頃になっては思うが、僕も社長をしていた30-40代の若い頃はそんな気持ちの余裕は確かになかったねえと残念に思うなあ、、。近視眼的に前のめりになって働いてもあまり有効な結果は産まない事が多いねと経験的には思うので「ゆっくり」が難しいが儲かるコツなんだよねえ、、。まあわかっても出来ないんだけどねえ、、。
 パスタを茹でるとかソースを作るとかパンを焼くとかワインを選ぶとか生活に重要な基本要素を大事にするとすごく毎日が豊かになると思うねえ。総額28372円買ったなかで一番多かったのはマダムの安ワインを14本と久保田の千寿(2798円)、およそ半分がマダムのお酒だったから重いのである。台車で1回では運べないし、A6のサスが少し後ろが沈むのね。
 そうして朝寝坊していたらピンポーンとなる。出るとヤマトの決済指定便というのが来た。覚えがないのであけるとエネオスカードが62000円分入っている。ガソリン62000円がくじ引きで当たったらしいのだ。なんかそんな詐欺まがいのメールが来ていたような気がするが、どうやら詐欺ではなくホントだったらしい。こんな事も有るんだねえ、長い人生にはさあ。でもガソリン1年分というけどそれだと僕は35万ぐらい必要だね。62000円だと2月分ですよ、僕の場合では、、。(笑)

女系家族の男子の憂鬱

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昨日買った本
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平塚 エピスのヒレカツカレー大盛り  1300円 とホタテと大根サラダ


今年の女子のマトリクスという個人的な女子評価というのが僕には毎年あって、実に大きなお世話なんだが、勝手にマトリクスを選んで評価対象にして楽しんでいる。それぐらい女は不思議で面白い生き物だよなあと女系家族の不思議な跡取り息子という微妙な立場の僕は思う。よくやるのは文学マトリクスで今年版はこうなっている。

 さて今年は文学者版では 川上弘美ー村田さやか  高村薫ー西加奈子  という芥川賞対直木賞、関東対関西、ゾンビ対ゴジラという対照的なマトリクスとなった。西加奈子か三浦しをんかと迷ったが、まあ治まりという意味でも辺境性という意味でも西を今年は選んだ。個人的ケースで恐縮だが、僕は女系家族というのを内心実に恐れている。2/7という僕のケースの男子の構成比の家族というのは、男、長男、お味噌という決定的な位置づけだから、良い意味でも悪い意味でも「特別扱い」が当然という育ち方、育てられ方をする。だから中学校の中間テストで500人ぐらいいる学年で500点満点で497点とか取って首席になって点数と名前と順位を張り出されて隣のクラスの知らないちょっとカワイイ女子に「○○君、勉強できるんだ、眠たい顔しているけど、、、」とかカチーンというようなことをいきなり言われても「ナニオー?」とかは絶対に口にしない。「あの娘、映画に誘ったらくるね。パンツ脱がしてもきっと平気だろうなあ、、」なんて思ってましたよ。姉が二人に妹、それに母と祖母がいるような構成だと、女子のパンツの中身なんて嫌でも見ないはずが無いでしょ?パンツの中にあるべきものが無い=つまり不在について日常的に思考認識する哲学習慣がいやでもつくよねえ、、。(爆)
「僕さ、社会科一問だけ未記入にしてたの。設問意図が政治的で嫌いだったし、、、」とか言う実にませたイヤミなガキだったわけですね。

高村の新作「土の記」は記紀の時代(古事記と日本書紀、稗田の阿礼の7世紀)から奈良盆地で大地主だった富農の末裔の女の自殺未遂に巻き込まれた婿養子の話です。4代続く婿養子の家系に早川電機に35年勤めたぼんやりとした善人が定年退職して実家の農業をやるのだが、72歳でまだらボケが始まって最後は妻の妹と台風豪雨による地滑りで生き埋めになるというお話で、例のごとく硬質なタッチで高村の筆は流れるので レディージョーカー や 神の火同様に600ページを一晩で一気に読ませる良い小説なんですね。
高村のタッチはあの合田刑事の時からずっと好きで、サムライな感じがして文体の見本のような物でしょ?村上春樹みたいにネチネチしてないから読んだらスカッといい感じなんですよ。娯楽ということはそういう部分は実に切れ味としては大事なんだよね、僕にとっては。

TSUTAYAにいって4−5冊買ってカードで5000円とか1万円とか買って少し満足して、大盛りのカツカレーなんて雑誌で見つけた場所に電話して、何時までやっているかなんて確認してナビで平塚まで42キロ58分なんて出ているから、友人夫婦と木曜の午後6時とかから走って夕飯食うぐらいしか熱海の老人に楽しみは無いのですね。

「土の記」の伊佐夫という男は72歳でまだらボケが始まり9ミリの脳梗塞をMRIで見つけて血栓融解剤で治療するんだけど、みんな忘れて霧の中のようになっていくんですね。美人の妻は40歳の時に不倫に走って村中の評判になって、ついに単車でダンプカーに突っ込んで自殺未遂で植物人間になって16年、毎日毎日寝ている妻のオムツを換えるのが日課の老後なんだけど、金は腐るほどあって、インテリの娘もいるけれどアメリカ行って外人と結婚して日本には帰ってこない。孫もこれまた娘で男はいない。これで家の血筋が途絶えて誰が地所を引き継ぐのかさえはっきりとしない、そんな家の後先を600ページのテキストに変える力が高村のペンなんだよね。

 市場化された商品交換としての世界=経済 には正解がないという答えとしか書きようが無いという結論なんだろうとも思う。虎屋の水羊羹と黒い新車のメルセデスというブルジョワの小道具を使ってよくかけているよなあと村田さやかなんかと比べて母娘の差がやはり現れるんだんだねえー。コンビニ人間だったらちゃんと売れ筋商品名を具体的に入れないとテキストが浮くなんじゃないかなあとか、、、まあ余計なお世話かな?

72歳まで、あと10年だもんね。楽しい事しかなるべくしないように注意していてもどんどんと楽しい事は年を取るごとに減るんだよね。これが慣れってことなんだね。自分がマダムのオムツを16年毎日換えることが出来るかなあ?と思いながら昨夜は寝ましたね、自信はあまり無いなあと思うね、情けないなんだけど。
月並みだけどはやり夫婦は健康が第一デス、ハイ!!

消費壊滅にみる時代性

イメージ 1伊豆山神社の桜は満開
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 熱海も再開発真っ最中  ビルを壊して駐車場に


 突然の三越伊勢丹の社長交代とかセブン会長の鈴木サンの更迭とか、流通業界の大転機が来ている証拠だねと思う。何でも持っている人にとれば物を買ってももうあまり嬉しくないのだね。セブンも伊勢丹も業界のトップが転けるという事は、そもそも日本経済そのものがもう成長しないどん詰まりにはまったという証拠なのだろうが、なんとか凌いできたのがここにきて力尽きたという事だろうと思う。もう大衆消費にしばらく明るい未来はないと思った方が良いねと思う。衣料品はユニクロとシマムラとネット通販とアウトレットで全部用が足りる時代なのかもしれない。13000円の300グラムのカシミアカーディガンが3500円のセールで投げられるのをカード払いしているのが今年の僕のお買い物である。これを5年も着られたらニット業界は壊滅なんじゃないの?原価割れという事らしいが、慌てて買わない消費者がそこにはいるんだろう。カシミヤのニットは既に10枚以上は持っているのだから、追加で買うにはそれなりの理由がいる。色やデザインが良いとか値段が安いとかサイズがぴったりとか何かのサムシングが必要で、無いなら無いで買わないでも数年は困らないという僕のような消費者がきっと多いんだろう。ユニクロのセールで9800円が半額でもいいやと思っていたら、無印が3500円だったから店舗で2枚買った。4900円と3500円とわずか1400円の差があるが、これが特に理由ではない。店舗で触って色柄がいいなと思ったから買ったが、同じ物を12月の半額(6500円)では買わなかった。まだ下がるだろ?と思ったからだ。急ぐ必要の無い客に季節物を売るのはこのように実に大変だねと思う。
30年前にネクタイ屋にいた時にはシルクのドットのネクタイを4800円の上代で売っていたけれど、ユニクロでは同じような品質が現在プロパーで980円で売っている。市場が1/4以下に縮小した事実を受けいる必要があるのだ。それがわかっていない人ばかりが仕事をしていると思う。
だから、伊勢丹やパルコ、三陽商会や樫山が潰れそうなのは当然だねと思うな。

もう流行もあまり無くなってきたし、定番のスタイルが固まってくると需用は買い替え以外には起こらない。全部が全部そうなって、壊れる以外には買う必要の無い人が増えたという事なのだろう。しかも人口減なら消費は壊滅するほかに無いという事だろう。しばらく御愁傷様な時代が続くと見ておくべきだろう。
 一番大きな、家と車がそもそも余っている。不動産は負動産となって売却するほうが金を払うようなケースも出てきている。維持に金がかかると(固定資産税、取得税、登記費用、管理費用など)それが馬鹿らしいと思う人は売って借りるという事になる。何でも良いならいくらでも日本中で余っているのだ。人口減というのは常識が逆転する世界だから、今までの成功法則はみんな地獄往きという事がしばしば起きるのだ。これからは不動産を持っているというだけで破産の憂き目に会うリスクということがしばしは起きてくると考えたほうが良いだろう。
湾岸の高層マンションなんて去年が天井でオリンピック後は暴落の値崩れ必至だろうと思う。銀行は1990年代以来の大きな不動産向け不良負債を抱えることになるだろうと思う。大手不動産会社(三井、住友、三菱)の株価が新値を取れない理由はそれだろうと思うね。全く売れていないのは何故だろう?上がりすぎたからに過ぎない。大きな在庫調整は必至だから、その前に投げが当然入るだろうなあ、、。

 僕が最後に伊勢丹で何を買ったのか?と思えば6年前ぐらいに地下で花見の弁当を5000円分くらい買って「まずいな」と思ったのが最後で、最後にデパートで買い物をしたのは昨年末に新宿高島屋の地下で食品を3万ほど買った(パンとフルーツと野菜とワインとチーズとお菓子)のが最後だ。セブンはドライブの途中でトイレを借りるのでいつもカード(nanacoカードを年間2万ぐらいは無料で貰えるので)で払うが、それ以外で何か買うということもタバコをやめてからは全く無くなった。
田舎に住むと、ガソリンぐらいしか現金で買うものはほとんどない(あっても数千円のものぐらいしか売っていない)。AUDI A6AVANTの中古を買って以来、何か買ったなあと記憶に残るものが無いのだね。景気が良くなるはずはないなあと自分の去年の消費を見ても思うのだ。
僕は「欲しいものが欲しい」のである。

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昨夜は沼津の 王味(ワンミ)で中華を食べた。
四川マーボ豆腐、イカと小エビの炒め物、チンジャオロースー、豚のカリカリ焼きなど

3人で腹一杯たべて5000円もしないのね。だから午後5時からいつも満席です。



 しかし問題は、このような互酬交換がどのようにして生まれたか、です。今日の人類学者はそれを問わない。人類学者は通常、遊動的狩猟採集民と定住化した狩猟採集民の区別を重視しません。遊動的であるか否より、狩猟採集民であることのほうを重視しているからです。しかし、人類が定住したことは、画期的な出来事です。定住することによって、互酬原理が成立するようになったのです。では、いかにしてか。
 この問題に関して参考になるのは。フロイトの考えかたです。彼の考えでは、意識から抑圧されたものは必ず回帰する。そして、抑圧されたものが回帰するとき、それは強迫的なかたちをとる、というのです。それは彼が精神分析から得た認識です。この観点から、フロイトは『トーテムとタブー』を書きました。
 フロイトはここで、トーテミズムの起源を問うたのですが、それは同時に、互酬制の起源を問うことです。先に述べたように、インセストの禁止などは、外婚制のために生まれたものです。そのために、近親相姦が厳重に禁止されたわけです。では、それはいかにして発生したのか。フロイトの説では、最初にすべての女を独占する「原父」がいた。そして、息子たちが団結して、その父を殺した。息子たちは父に対して両価的(愛しかつ憎む)感情を抱いていたので、父を殺したあと、悔恨、罪感情を抱くとともに、父を敬うようになり、父が禁じたことを自ら実践するようになった。すなわち、女たちを断念する。それがインセストの禁止である、とフロイトは言うのです。
 しかし私は、『世界史の構造』で、つぎのような事を書きました。原父のようなものは存在しなかった。原父は氏族社会の後に出現するものである。つまり、原父とは、国家あるいは家父長的な存在を、過去に投射したものである。それを最初にもってくるのはおかしい。遊動民社会では、そんなものはなかった、と。
 フロイトがいう原父は、ダーウィンその他当時の学者の意見です。そして現在では否定されています。が、私は、原父殺しというフロイトの説を、全く放棄する必要は無いと考えます。たとえば、つぎのように考えればよいのです。定住後の社会では「原父」的な存在が出現するのは不可避的であるから、それをあらかじめ殺す儀式、つまり、このトーテムの儀式をくりかえし行う必要がある、と。つまり、互酬交換によって、定住、蓄積によって生じる富と力の格差を妨げる必要があります。
 しかし、そのような目的のために、人々が互酬交換を考案し採用した、などということはありえません。それでは、互酬性のもつ強い反復強迫性を説明できないからです。だから、フロイトは原父殺しを想定したのですが、それではうまくいかない。にもかかわらず、やはりフロイトの認識が必要です。ただし、それは後期のフロイトです。後期のフロイトは、第一次大戦後に戦争神経症患者に出会ったことから、彼らの反復強迫を説明するために「死の欲動」という概念を考えました。それは、有機体が無機質であった状態に戻ろうとする衝迫です。
 私はそれを似たことが、遊動民が定住したあとの社会についていえる、と思います。遊動民のバンド社会では、人々は少数であり、また、いつでも他人との関係を切断できた。彼らはいわば「無機質」であった。しかし、定住以後の社会では、それらが多数結合された「有機体」になります。それは葛藤、相克に満ちた状態です。互酬性とは、このような不安的な有機体的状態から無機質的な状態にもどろうとする「欲動」にもとづく、反復強迫的なシステムであると解することができます。
 定住後に人々は、かつての遊動状態に回帰しようとする欲動をもつ。人々が原遊動性を意識することはありません。しかし、意識しないが、それは無意識に残っているのです。この問題に関しては、後期フロイト(死の欲動)から出発したラカンの理論を参照できると思います。私がいう交換様式Aは、ラカンがいう象徴界に対応します。実際、ラカンは象徴界を、レビーストロースの親族構造の理論から考えたのです。
 遊動民は定住したのち、交換様式Aによって組織された社会を形成した。それは、いわば、象徴界に入ること、そして、象徴界の「法」に属することです。その場合、原遊動性は抑圧されながらも、執拗に残ります。ラカンはそれを、リアルなもの(現実界)と呼びました。現実界は駆逐されたにもかかわらず、頑固に存在し回帰しようとする。現実界は表象できないが、実在する。

   「山人と山姥」柄谷行人 講演集成 「思想的地震」より転載
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 東日本の大震災から今日でちょうど6年が過ぎたことになる。いまだ仮説プレハブ住宅に住んでいる多くの被災者や福島の汚染から逃れている避難民の人も8万人ちかいという。この国に民主主義は本当にあるのだろうか?著しい経済発展したはずの国がなんでこんな無様な醜態を6年たってもいまだに曝しているのだろう?よく革命が起きないなあとそのお行儀の良さには呆れる!
 それでも柄谷行人はこの地震で少し日本が変わった点があるという。それは日本が普通に「デモをする国になった」ことだという。9条も秘密保護法も立法府の外で反対する大規模なデモが起きたということは、黙っていられないで抗議する人が生まれたということだろう。日本人の多くは行儀は良いが決して馬鹿ではないという事だろうと思う。阿部のしようとしている悪辣なことをきっと見抜いていると思うのだ。銃刀法を改正して銃規制をアメリカ並みに緩めたら、きっと政治は少しはまともな方向に進むのかもしれない。いい加減な政治家はきっと多数が暗殺されるだろう。規制緩和をするのならさっさとやれと言いたいな。

 さて今度は東南海地震がくるかもしれない。周期からすればもういつ来ても不思議ではないタイミングで、その被害規模は死者34万人(東日本の17倍)、GDPで100兆円という巨大なスケールもありえるそうだ。沼津、下田で33メートルの津波が10分以内で到達するというから、静岡の死者は海岸線が長いので10万を軽く超える想定になっている。津波の被災の程度は、推進70センチで致死率が7割を超えて、水深1メートルだと100%の致死率となっている。それぐらいトルクフルで水からは逃げられない力なのだ。だから水に少しでも触れたらまず助からないと考えたほうが自然だろう。家屋倒壊ならまだ救助の可能性も少しはあるが、津波では2分で呼吸が止まるので救助は事実上不可能である。少しぐらい泳げても水中で何かに流されてぶつかれば怪我をして水死にすぐになってしまう。だから致死率が高いのだ。絶対に濡れない場所に住む必要があるから、標高で40メートル以下の場所は全部危険ということになる。
 自分の家の標高が東京から四国、九州まで40メートル以下の人はどれぐらいいるのだろう?きっと静岡県では大半が海沿いに住んでいれば40メートル以下だろう。熱海駅がちょうどそれぐらい、沼津駅は8メートルだ。完全に水没すると思われる。静岡、浜松しかり、富士しかりだ。だから10万を超える被害想定なんだろう。
震災後、静岡県の人口はどんどん減少している。工場立地がアジアに移転したせいもあるが、地震で沿岸部から逃れて静岡を去った人もきっといるのだろう。僕は逆に東京から熱海に来たが、住居の標高は240メートルの山頂だから寝ていて地震がきても水は恐らくは来ないだろう。仮にここが水没するようなら、列島の太平洋岸全体が水没する、小松左京の「日本沈没」そのものになるのだろう。東京、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都とすべてが水没することになる。日本という国がほぼ無くなると見て良いだろうが、そういう事態は毎度お得意の「想定外」という事なんだろうと思う。(爆)

 それでも人類はここまで生き延びて大繁殖してきた事実があるということは、危険を察知すれば移動する、原遊動民が多くいたという事実があるのだろうと思う。カルデラ爆発のような大規模な火山噴火が起きると九州全体の生物そのものが死滅するような規模の被害になるそうだから、何度もそういう規模の災害が実際に起きてもなんとか乗り切って生き残った種がいたということだ。それには、異なることをする種が常に存在する事実が重大である。9割の多数のする事と逆行する1割の人。(比率は98対2かもしれない)

「山人と山姥」柄谷行人 講演集成 「思想的地震」より転載 を読んだが、きっと山人と山姥という人種が生まれたのは、海岸に定住することを逃れた人がいたということだったのだ。オオカミ伝説にもあるが、そういう原遊動民がこの列島に過去に存在していた。その理由はもしかしたら大規模な地震と津波被害のせいだったのかもしれないなあとも思ったのだ。人は自分の一生の時間の長さでしか物事を想像できないが、巨大な想定外が明日なのか200年後なのかは誰にもわからない。200年という時間は地球にとっては単に瞬きの時間でしかないのだから。生き残る秘訣は
1 まず運が良いこと  2 つぎに慎重なこと  3 すべき事をすべてやり終えておく事
個人の努力の余地があるのは3以外に無いが、その意味で対策を真面目にしている人にあまりお会いした経験が僕にはないのだ。考えないように生活している人ばかりがいるような気がする。(99%以上がそうだろうと感じる。)
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鎌倉  雨の浄妙寺  枯れた庭が実に素敵!

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こちらはチョコパフェ 720円  珈琲のかき氷がとても苦くて美味しい。

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普段お家ご飯ではマダムが結構立派な鯛飯なんかを作ってくれる。ストーブ40センチのオーバルで4人用でギリですね。4合炊いて4人で食べて、あと1回二人で食べるぐらい出来ますね。


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avirexのボマージャケットはずっと前に古着で買いました。ムートンで暖かい!
プリントがエロいからサングラス爺が着ると目立つね。


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こちらはドリスバンノッテンのレザーのライダース。
バーニーズで買いました。テーブルと同じぐらいだったかな?イングランドグリーンの
ジャグアーXJSドロップヘッドクーペの緑と同じで、その時オープンで着てました。
「いま、ここ」の消費の物語以外に僕たちには何も無いんですね、残念ですが、、。


 例えばマルクスは『資本論』の序文で「経済形態の分析においては、顕微鏡も化学試薬も役にたたない。抽象力が両者にとってかわらねばならない。」と書いています。「抽象力」とは、いわば、思考実験のようなものです。つまり、原遊動民のあり方は、現在の遊動民の調査に基づくとともに、一定の思考実験によってのみ解明されるものです。
 すると、大体、つぎのようなことが言えます。原遊動民の社会では、たえず移動するため、物を蓄積できない。ゆえに、余ったものをすべて分けてしまう。客人にもあげる。それに対してお返しを求めない。常に移動している状態では、お返しする機会もないからです。したがって、そこに、贈与とお返しという互酬性(A)はない。それは他者との関係が継続する定住を前提とするものです。
 したがって、互酬性の原理は定住以後に始まったシステムであると言えます。つぎの問題は、なぜ人が定住したのか、です。人々は好んで定住したのではない。たとえば、現在の遊動民でも遊牧民でも、定住することを嫌がります。国家が強制しないと、定住しない。それは定住が、それまでなかった多くの問題に直面させるからです。たとえば、定住すると、大勢の他者と共存することになり、そこからさまざまな葛藤が生じます。それだけでなく、定住は、死者との関係を困難にします。遊動状態では、死者を埋葬して立ち去ればよかった。定住すると、死者の霊と共存しなければならない。だから、人々は定住を嫌います。定住するほうが楽だとわかっている場合でも、定住を避ける。

 では、なぜ定住したのか。遊動的な狩猟採集生活ができなくなったからです。それはおそらく、前8000年、最終氷河期が終わったころです。氷河が後退し草原となるにつれて、獲物となる動物が減少した。人間は湖岸や海岸に定住して漁撈に従事するようになった。そして、定住すると、簡単な栽培や飼育が自然に始まります。たとえば、飼育といっても、地面に穴を掘ったり、木でフェンスを作って生け捕りにしてきた動物を入れておくだけでいいからです。
 日本列島にいた縄文人はどうでしょうか。彼らも定住してきた人たちです。狩猟もしますが、むしろ漁撈に依拠しています。漁撈といっても主として川で、鮭のように産卵のために川を上ってくる魚をとるものです。縄文人は彼らがもったいた土器からそう名付けられたのですが、土器を作ることは定住とは切り離せない。遊動していると、土器など運べないからです。しかし、土器があると、食料の保存が可能になる。つまり、富の蓄積が可能になる。それによって、貧富の差が生じ、権力が発生するようになります。
 それを抑制するのが互酬原理です。贈与しなければならない、贈与を受け取らねばならない、贈与に対してお返しをしなければならない。この三原則が強い掟(法)となります。この原理は富や権力の集中を抑えます。
 つぎに、定住後に生じるもう一つの問題は、先にいったように、死者との関係です。死者の霊(アニマ)は、生きている者を恨む。だから、それをなだめねばならない。そのために葬礼がなされるのですが、これは死者への贈与です。贈与を受ければ、霊のほうもお返しをしなければならない。このような死者との互酬的関係によって、祖霊、氏神の宗教が生じます。
 呪術もまた、贈与の互酬性にもとづいています。原遊動民の時代にもアニミズムがあったし、万物に霊があると信じられていた。しかし、呪術はなかったのです。それは互酬交換がなかったからです。たとえば、供犠とは、霊に贈与、お供えをすることであり、それによって霊にお返しを強いることです。
 また、贈与の互酬は、近傍の他部族との関係において、不可欠です。それによって平和を作るのです。婚姻もまた贈与です。つまり、娘や息子を他の氏に贈与することによって、さらに次の代でそのお返しをすることによって、婚姻による紐帯を作ります。だから外婚制の根底には互酬性原理があります。また、それがインセストタブーをもたらす。それは外婚制、つまり、娘や息子を外に贈与するために、内部での性関係を厳重に禁止するものです。原遊動民の段階では、インセストは自然に避けられただけで、特に禁止はなかったといえます。(続く)
     「山人と山姥」柄谷行人 講演集成 「思想的地震」より転載


成人男子にとって最も生活全般に影響が大きいのは「妻」の存在であると僕はホトホト思います。26歳で結婚してもう36年ですから、僕のほぼ一生は妻のために有ったと言えます。婚姻は贈与であるという柄谷の言説を信じる僕としては、贈与された女の返礼をすることがある意味では相場をする最大の動機でもあるわけで、婚姻から産まれる子孫(僕は息子と娘とその孫たちと)とその生育について、「差異化」の極限はつまり相場をする事と同義であるとも思います。でも結婚する時に思ったのは、定住する女とは一緒に暮らすのはきっと難しいだろうなという事でした。常に移動するノマドな暮らし、そういうのに慣れた女が良いのです。妻は国家公務員の娘でしたから移動、転勤は頻繁でおよそ同じ場所に3年といることはなかったという育ちかたをしていたのです。だから僕が定住民の子孫でも彼女はノマドピープルでしたから、移動することが喜びでもあったはずです。
 こういう偶然とか好運を呼び寄せる素質とか力とか運勢とかが実は努力の何倍も重要な成功要素であるという事実を学校は教えませんね。まあ教えたら諦める人が増え過ぎて、世の中の全体効率が落ちるからなんだろうと邪推するのですが、鈍い人は一生気がつかないまま終わる。同じ場所に定住して生活するとそういう事が見えなくなるのだろうか?とも思います。マグロは回遊しないと大きくならないそうで、同じ場所にいると死んでしまうそうです。人間も同じ要素があるんじゃないかと辺境ラジオの名越康文さんという精神科医の話を聴くとうなずけます。朝8時前後のラッシュの山手線の乗客の8割以上が緊急入院を必要とする精神病患者レベルの死んだ目をしている現実をみると、住宅ローンで長期間定住を強いられたホモサピエンスがしばしば自殺するのは当然であるという診断なんですね。だから頼みもしないのに自分からそういう事をしてしまう人(定住志向の人)はまさに資本主義の餌ですねえ。同じ事をハルトモさんが異なる書き方をしているんだけれど、彼のは個人的な直感的な感じかたなんですね。理論的に言うと僕のような見方に近いんじゃないのかねと思います。僕の周囲の同期でもこいつ有名大学出て、有名企業に入ってもしている事はまるで鴨かどアホというのが9割ですからねえ。考えて無いんですよ全く、社会構造と消費というか支配のルールとかいうことを。


生活というのは昔から、衣食住が基本でこれに遊ぶ、運ぶが追加されたのが現代の生活の代表的なケースです。そのいちいちに物との関わりが生じます。唯物史観で育った左寄りの僕にはあまり形而上学的な物事は後にして、「いま、ここ」の快楽に専念するのですね。後は野となれ山となれ、、ってね。
「山人と山姥」柄谷行人  をしばらく続けて転載します。じっくりと読んでください。東日本の地震から6年が過ぎました。そろそろまた東南海とか関東は注意に時間ですね。



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