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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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SEVEN LAKES

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経済の国際化が否応無く進む。ベトナムさんのように一年で200日以上も海外に住んで現地でたくさんの人を雇って技術指導やクレーム処理をするうな現法社長さんをする人やハルトモさんのように海外の自動車を売る仕事で世界中のさまざまな国に行って仕事をするような人が珍しくなくなってきた。僕も30代の前半は日本にいる時間と海外にいる時間が同じぐらいの一時期があったから、こと「お金」を企業で儲けようとするならば、職種とか仕事内容とは別として、日本だけに留まっていたら競争にならないし、チャンスが回ってこないという時代にもう既に現実はなっているのだろう。それでもこちらは日本人、相手は外国人。乗り込んで行く方としては言語も習慣も所得も常識も異なる国の人を相手に商売をするのは沢山の思いがけない苦労をいつだってするだろうと思う。それでも双方に「お金」というメリットがあるから、お互いにわざわざ面倒で手間と暇がかかることを我慢しながら継続して続けていくという事をするのだ。たくさんの日本人が海外で仕事をして、たくさんの海外の人が日本に来て仕事をする。いわゆる3kという仕事はきついから、日本では若者がやりたがらないので求人倍率は現在6を超えるらしい。当然不足すれば労賃は上がる。いくら上げても人は足らないが、納期や工期は待った無しだからなんとかやりくりして間に合わすしかない。だから都会のマンションを作るのでも労賃が急上昇したから売値を上げるしかなくなってきた。23区内で7000万以下の新築マンションは(25坪ぐらい)もうコスト割れになるらしい。新築が上がると買う方は資金が不足するから今度は中古を買う。するとみんな中古を買うからその値段も上がる。そうやって人気のある立地の部分から不動産価格がジワジワと上昇するというのがインフレ時代の資産価格の推移だろう。それでも友達の香港の不動産屋に言わせれば東京は他の都市(シンガポール、上海、NY、ロンドンなど)と比較すればまだ割り安感が強いという。安全な割には安いと彼女は言うのだ。きっと失業率とか移民の容易さなども都市部の人口動態に関係が深いから、よそ者嫌いの国民性が不動産価格上昇の足を引っ張っていると思われる。まだ原価の上昇に見合っての価格上昇などという局面は上がり始めの序の口で、本当に上がる時なら投機的に棒上げの状態になるものだ。円が安くなっている部分で(2年弱で40%)不動産も株も$ベースで見たらまだそれほどの割高には見えないんだろうと思われる。
2060年には人口が8000万と現在比で5000万ほど減少する予測が出ているが、アジア、アフリカなど人件費の安い国の人口増加率はまだ2桁の所もあるから、結局はいつかの時点で移民をもっと積極的に入れないと国内で仕事ができなくなるという事態になるんだろう。すると減少した5000万人分の住宅の少なくない部分は今度は外国人が住むということが起きる事になる。シェアハウスの話が出て来ているが、安い家賃が都心部で絶対必要となるならそれに近い需要とサービスが生まれるだけのことだ。借地借家法、消防法、民法とかウルサい規制はあるにしろ、実体のほうが先にいつも進むというのが世の習い事であると思われる。
 一つの町、一つの会社、一つの学校、一つの共同体があって、そこに言語、民族、習慣、信仰、常識の異なる2つ以上の人たちが暮らすという経験をほとんどの日本人は国内でしたことがまだないだろう。一部の地域、会社では既にそういう事を経験して、様々なノウハウを学んだろうが、大半の日本人はまだ未経験である。だから当面は混乱が予想されるし、様々な事件、事故が起きやすい。すると外国人批判がワッと出て、移民反対の声が上がる。大陸ではたくさんの種類の人が混在して生活する環境を島国という特殊性から日本人の均質性を頑に守ろうとするから摩擦が起きるわけで、時間とともに段々と慣れが相互に出来て来るというのを待つしか解決法がおそらく無いことである。お互いをお互いに「変なの」と思っている事実は時間をかけてもきっとあまり変わらないが、その「変なの」を許容して干渉しないという知恵が生まれるまでに時間が必要となるに過ぎない。旅行でなら素晴らしいと賞賛される「オモテナシ」も生活なら度がすぎる「おせっかい」に変わらんとも限らない。マナーと意識の公準はなかなか難しい。
 この辺の事情を内田樹は「辺境論」という書物で日本人の心性の歴史特性を大陸との微妙な距離感から読み解く。なかなか読ませる論考だ。ノマドロジーという解決のヒントになったから興味がある人は読んでみたらよい。「行きづまり」「閉塞感」というのはある意味で空間的な感覚だ。つまり距離という横軸の参考になる。圧迫されているという被害者意識は空間的なものが主体だろう。そこで逃走線に引きかたといういつもの話になるわけだ。
 鵜飼 幸 「セブンレイクス」笠倉出版 という小説を読んだ。2時間ほどでパラパラと読めるライトノベルだがマリアというフィリピン人ダンサーと偽装結婚した大輔というトラック運転手の「恋と結婚と家族」の物語だ。男は33歳、オネーチャンは5歳の子持ちの23歳。病気の母親がいてお金の無心をしてフィリピンに新婚旅行で里帰りする。このお話は男が女から偽装結婚の見返りに日本に入国するために70万を受け取り、ビザの発給更新まで毎月5万を払うという契約だった。ダンサーがダンサーだけで食えるはずもないし、女は国の家族を食わすために日本に来たのだから金のために働く。それが彼女の生活というものだ。誰が文句を言える筋のものではない。それでも男は女に惚れて本当に結婚式をして本当の夫婦になろうとする。(ヤバいよね、男が独身でホント良かった!と僕は拍手をしたのだ)前提となるものが全く異なる男女がそれでもそれを超えて結びつくという事がハイブリッドという事である。生活は現実だから、当然お金が絡むが、そのお金のことで男がしたことは、毎月貰う5万円をその時のデート代に大半を使ってしまう。まあ浪費だ。きっと浪費することで仕事を彼は「恋」に変えたかったんじゃないかと僕は読んだ。そしてついに市ヶ谷の釣り堀が見える公園で二人の結婚式が桜の花の咲く季節に始まるが、、、やがて子供が二人生まれる。というお話である。落ちは書かない。二組の男女の生活と結婚とお金と家族のことを書いている。多分、多くが実話に基づいているリアルがそこにあるように思う。
 僕の生徒にも国際結婚をした女性がいる。相手はアメリカ人だ。このパターンは小説とは随分とまた異なるように思われる。どちらが日本人でどちらが外国人でも、日本人同士よりも複雑で困難な状態は誰にでも予想できよう。それでもそれを確信してまでも男と女が一緒に生活しようという勇気は素晴らしく美しい動機と欲望に満ちている。そんな時に不思議に「金こそ」は素晴らしい幻想作用を持つように思われる、金がなかったら起きなかったことが金があることで起きて行くという部分に僕は金の持つ不思議な幻想の拡張性を世界中の人たちが同時経験するという事なのだ。記号が記号として、あるいは記号が幻想として生活を表象する。資本主義でなければ起き得なかったことが目の前で起きている。高速で回転する金であれ、サービスや商品で交換される金であれ、理由や性格は問われない。ただ金は人と人、男と女、国と国とを結びつける。だからある意味で金はある種の「全能性」を持って国家をスルーする。
銀行に預金として退蔵された金はわずかな利息以外には何も生まない。これが勢い良く動き出すことで様々な「閉塞性」と「行きづまり」が解けていく。そういう風に物事を考える人は多くないというかきっとほとんどいないだろう。資本主義は微分の世界というのはそういう世界の事だ。誰かさんが相場が上手いのはだからやはり当然なんだろうと僕には思われる。

餌より大事なモノ

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i phone5というい携帯電話を使っている。ブログを書くようになってから、カメラがあると実に便利なものだなと思った。写真の趣味などないし、第一機械ものは面倒だから取説を読むのがわずらわしい。だから馬鹿チョン(差別用語でしたね)でないと触る気も起きない。だからアップル製品のように誰でもすぐに使えるような簡単でユーザーフレンドリーなものしか使う気がしない。どうせ中身はブラックボックスで理屈なんてわからないのだから、使い易く性能が良くてカッコイイのが大切だ。その点は車とか電話とか眼鏡とか機能が重要なもので気に入るものは大体少し高いものが多い。まあ高いと言ってもせいぜい2−5倍ぐらいの範疇に入るものばかりだから、工業製品はいくら高いといってもそれなりの理由がある。高いなりの理由と納得がないと客は買わないし、再生産するのが前提の物作りだから原価と値づけにはそれなりの関係があると思う。
ブログを読む時に写真が1枚でもあるとなんか嬉しい気がする。人様のを読んでも、テキストでは伝わらないその人の選んだ何かというのが映像になるというのは伝えようとする別の何かを嫌でも伝えてしまうというような要素があるのでないかと思う。表現の難しさというか複雑さというか。
 小説でも男女の関係を伝える時に、長年付き合った男女がいたとして喧嘩が始まる。女が「あんたなんて大嫌い!」そうヒステリックに叫んだとしよう。それはその場面の女の感情の高ぶりを伝えると同時に「あんたが好きで好きでしょうがない」という含意をどこかに含んでいる。文学というものの重要性とはまさにそこにあり、人間という得体の知れないもを伝えるという重大な役割を果たしていると思う。反語というか隠喩というかテキストの組み合わせと選択が伝わりにくいものを伝えるという役割を見事に果たす。複雑系の説明には等式は用をなさないのを賢い人なら誰でも知っているように。テキストを書く側と読む側にある種のさまざまなズレを生んで複雑で陰影のある意味の含みが生まれる。だからテキストはその意味で、そこに書き手の全てが現れるからある意味恐ろしい。自分を晒すことになるし、晒すことによって多くの人がそれに巻き込まれることになる。
 「キャラが立つ」という言葉があるらしい。麻生総理がテレビで言っていた。思い違いとか言い間違いとか勘違いが多いとされる政治家だが、育ちが良いのが伝わる。顔は怖いが爺さんが偉かったから苦労も多かったろうと思う。スポーツマンらしくアホを装って一言も二言も多いので物議をいつも醸し出すが、彼は多分それを楽しんでいるかカラカって遊んでいるんじゃないかと思う事が多い。「どうせ何を言っても何をしても爺さんを俺は政治家としては超えられんという評価だろ?なら適当に俺の好きなようにやらせろ。俺は麻生太郎で吉田茂じゃないぜ!」とでも言う風に。国会答弁で庶民の暮らしが苦しいという質問が社民党の女性議員からあった時に、「総理はインスタントラーメンのお値段をご存知ですか?」という質問に「多分300円とか500円とかじゃないのでしょうか。買った記憶がないので良く知りませんが、、」
 マリーアントワネットが1789年に同じ事を言っていたが、あれから200年以上がたっても同じ事を言っている。彼がラーメンの値段を知らないことが問題であるとは僕は思わないし、知っていることが政策に影響するとも思わない。麻生さんはアントワネットの言った事がチラッと頭によぎったろうと思うのだ。あと200年たって、おなじような質問が出たとしてもきっと同じように答弁する元首がいて当然だろうと思う。「興味の対象がそこには無い」ということはどんな人にもどんな時にも起こりえることで、それをあげつらっても物事の解決にはおそらくなり得ない。一方が意識の外にあるものに他方が特段の意識を持つ。そのズレが無限の差異を限りなく生み出す。社会というものはきっとそういうモノだろうし、そうでなければこれだけ多くの差異化されら商品や物事が同時に成立するはずもない。「知らんものは知らんし、そんなもんは関係ないよ、俺には。」で当然だろうと思う。その上で麻生サンは恐らく知らなかった。だが適当に言えば物議を醸すだろうことは予想してわざと適当に答えた。「さあなんか新聞が書くぜ、、」それをニヤニヤ待っていたんだろうと思う。「おれがトっぽいネタを出したらみんな喜ぶだろ?」そう権力自体をおちょくっていたのかもしれない。彼はコイーバの葉巻を吸っている。1本3000円だ。リーマンのランチは500円というワンコインというご時世だ。タバコを吸うのは国賊というキャンペーンが姦しい世の中だが、「好み」に他人がグチグチ言うなよなという態度は大人である。金を払っても身体に悪い楽しみをするのが「人間」ってもんだろ?という人間の不思議を伝えるという意味で彼は正直な男だろうと僕は思う、同じコイーバの愛煙家として。

 長島友里枝という写真家がいる。美しい写真を取る。クレマチスの丘で彼女の絵葉書を買った。枯れた花でも美しく取るという不思議な感性だ。花の写真はいいなあと思う。写真集は昔、結構嵌っていろいろ買ったがこちらに来てから1冊も買っていない。神田神保町の古本屋を回るのが東京で一番楽しい趣味だった。毎月2−3回はそれで一日潰して遊んでいた。きっと秋葉もハイテクオタクのデスニーランドなんだろうと思う。田舎ではそういう集積は望むべくもない。人が多いということはその点では羨ましい部分ではあるなあ。土曜日にマダムに東京に来いと命令されたから、また神保町で本でも探すことにしようかな。

欲望が伝えるもの

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今日もクレマチスの丘で一日遊んでいた。先週からたったの8日間で庭の風景がガラッと異なるから、自然の変化は思っている以上に早いのだろう。
気温も昼間は23度ぐらいだが、僕のフラットより3度ほど高いので花の開花が早いのだろう。紫陽花でも山頂はまだだが下ではもうしっかりと咲いている。別荘地を散歩すると庭にたくさん植物を育てて自分の庭園を作っている奥様たちは実に熱心だ。年を取ると草花とか虫とか鳥とか、都会ではなかなかお目にかかれない事に興味が行くのは何故だろう。定年ぐらいになれば誰でも身体の衰えや心の疲れが溜まるのは自然なことだろう。静かに「死」というものが足音を忍ばせて自分の側にやってくるそんな気配を感じる頃になると多くの人間は、生き物の生きる力を身近に感じたくなるのかもしれない。育てている植物に話かけてみたり、ペットに話しかけてみたりして、命の不思議を確認するのだろう。
 クレマチスの丘には WHITE GARDEN がある。白い花(バラ、クレマしスなど)だけで構成されているイングリッシュガーデンタイプの庭で女性に人気がある。その庭の角に小さなカフェがあって、お茶を飲みながらゆっくり庭園を鑑賞できるようなレイアウトになっている。小一時間そこで休憩していた。何をするでもない、今日はマダムもいたので読書もしないで、花を見たり、芝生に寝転んだしているうちにあっという間に4−5時間は過ぎてしまう。年を取ると時間がすごく早く感じるんだなあとつくづく実感するから、時間というのはきっと主観的な存在なのだろうと近頃は思うようになった。だから長短に関してもすごく個人差の本来あるものなのかもしれない。だから寿命なんて卑近な事柄に関しても、客観的な長さと個人的な長さの比較は無意味かもしれないのだ。第一長ければ良いというものでもないだろう。満足の無い、無駄に嫌な長さならたまらないはずで、それなら短いほうが楽だろう。安楽死の問題はそれの典型的な感じかたの部分であると思う。意識が無くなって、チューブだけつけて呼吸している状態なんて僕は嫌だな。医者の売上げに貢献しているだけだ。それでみんなの保険を使うから医療費が上がって困るということにきっとなっているんじゃないかな。若い時ならそれでも持ち直して健常な元の身体に戻るなら実行してみる意味もあるけれど、寿命近い年齢になったら苦しい想いなんかしないでとっととオサラバしたほうがいいなと僕個人はそのつもりでいるから、生命維持の特別な事はしてくれるなとマダムには言ってある。あと2年で父親の寿命に届くので、それを少しでも超えればもう親不孝とは言えないだろうと思っている。したいことの全てをもうしてしまったという感じも強いので、欲が枯れてしまったという事もあるだろう。「あれをしないうちは死んでも死に切れない」という対象はもう多分無いだろうと思う。そう考えると僕の欲望は結構あっさりしているという事だ。あまり食欲が子供の時から強くなかったというせいもきっとあると思う。生命力とは欲望の強さとある意味で言えるだろうし、体力は基本的には食欲と運動の相関であると思うから、そのどちらも強くないのだから、意識がいかに高望みをしたところで、それを土台で支える基盤になる欲求が小振りだから欲望の総量なんてたかが知れているという事だろう。この30年ぐらいはお金が少しは人様より豊かだったせいもあって、みなさんが懸命に働いている時間を大きな病気もしないでたっぷりと好きな相場と読書と贅沢が出来た事に感謝している。すごく貧しかったらそういう選択はしたくてもおそらくは出来なかったろうし、家族のいる人は責任があるから自分の好きな生き方をしたくても出来ない人のほうが多分この世には多いのかもしれない。元々、誰かと自分を比較しても意味は無いと若い時から思って来たので、自分なりに満足するような「時間」の使い方が一番大事だと思ったから、勤め人という選択は僕には向いていなかったという結果なのだろう。それに向いている人もきっといるんだろうと思うが、他人様のことは正直わからないし、あまりわかろうともしなかったのだろう。わかってどうなるものでもないし、、。
IZU PHOTO MUSEUM で 増山たづ子 写真展が現在開催されている。2006年に86歳で無くなるまで「カメラばあちゃん」としてダムに沈む村の風景や人々を取り続けていた人で、年金の全てをつぎ込んで60万カットもの写真を撮り続けていた偉人がいることを知った。やはりここでも「女」の力は偉大だなあと思う。廃村になってもその村に通い続けて風景を、自然を取り続けるその執念とは何だろう?欲望の強さか 怒りの深さか 無念の祈りか とにかく凄い!徳山ダムという巨大治水ダムは浜名湖の2倍の水量で東海3県に水道を供給する滋賀県と福井県の境にあるダムらしい。いつか機会があったら訪れたいと思う。おばあちゃんのコニカで取った村の子供たちの笑顔は都会の子供とは全く異なる無邪気さに満ちている。無駄な競争のない世界の子供たちの瞳の輝きには「陰」がない。220世帯全てが集団移転して村は水に沈んだ。資本主義は子供の笑顔を変えてしまう。何が本当の豊かさかという問いに、「金」という答えは単純過ぎはしないか?と思う事が多い今日このごろだ。

アジとキリギリス

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 別荘地でも再開発が始まるようだ。ダイヤランドは熱海から車で30分ぐらいの三菱が昔開発した山ひとつを丸ごと分譲している区画で4000近い大型の土地だ。温泉配管が主要の道に敷設してあるから別に温泉契約をすると各戸に給湯されるしくみで、バブル時は億ションが結構たくさん出来たらしい。現在は当時の引退族が亡くなって世代交代で安い物件中心に回転が始まった。僕は震災で逃げて来たマレなタイプだったが昨年秋ぐらいから急にマンションの定住の人が増えて来た。団塊世代とその後ぐらいの年齢層が主だろうと思う。別荘地全体でも各所で新規物件がポツポツと建っている。駐車場にも「なにわ」「三重」「千葉」「練馬」「浜松」「和歌山」などの東名や名神沿いのナンバーが平日にあるから、きっと定住しはじめたということだろう。結構日本中からお客さんが来ていることになる。きっと他より安いからだと思う。不思議に北はいないのだ。新潟とか福島とか仙台、青森ナンバーは見た事がない。地震の避難の人はいないようだ。多分、遊んでる場合じゃないということなんだろうと思う。
写真のビル解体は、3年ほど前に倒産したヤッチャンが経営していた岡本ホテル(詐欺事件で出資金250億を集めてドロンした会社)の隣の古い建物を壊して、岡本ホテルをどこかが競買で落として来年また改装オープンするらしい。9800円とか7800円とか超安値で泊まれる食事がバイキング形式の安ホテルにするのにこれが見栄えが悪いので解体中なのだそうだ。きっとツアーバスかなにかで団体客を連れてくる計画だと思われる。韓国、台湾、中国、マレーシア、フィリピンなど海外の人も富士山が世界遺産になったので箱根にたくさん来ているらしいので、ここは箱根の隣の山で近いからそうした人たちが手軽に泊まることが出来るようなホテルなのだろうと想像している。あまりこの別荘地は外国人は多くない(それでも横文字の表札の豪邸が10戸ぐらいはある)けれど、そのうちたくさん外国の人が来るようになるかもしれない。彼らは結構お金を使うから地元に貢献するかもしれない。ちょうど日本人が旗を持ってゾロゾロガイドの後をついて行った頃の旅行風景に似ていると思われる。LCCは安いから、狭くても我慢できる時間なら誰でも気軽に海外に行けるようになった。それは日本人には大きなメリットではなくてもアジアの人には嬉しいニュースだろう。だから憧れの日本に来たいという奇特な隣人を歓迎するべきだろう。戦時中の歴史問題でごたついてるのは事実だが、そんな事を気にしているのはきっとどの国でも一部の人たちだけだから、若い新しい人たちで新しい豊な関係を作っていこうという前向きさが必要だ。「老兵は死なず、ただ消え行くのみ」である。
 昨夜は沼津港の側にある 鮨どころ「さいとう」(055-954-3009 21時閉店注意!)にマダムと出かけてみた。半年ぶりだった。ここは静岡新聞の鮨本でみつけた江戸前の鮨屋で安くて美味しい。酒も焼津の銘酒「磯自慢」を置いている。カンパチとアジが実に美味しかった。炙りの金目、キンキなども最高である。ここではとびきりレアなアジがたまに(1年に数回)食えるので有名だ。そのアジは「倉沢アジ」という黄金色の肥ったアジで釣りアジで40センチぐらいのが1万円ぐらいの浜値だという幻のアジだ。由比という場所の少し静岡よりの海岸沖15キロぐらいの場所にしかいない駿河湾の特別なアジだということだ。昨日はいなかったので食べられなかったが、1貫大体2000円ぐらいとのことだった。桜えびをイワシが食べる、そのイワシを倉沢アジが食べる。すると脂が乗って実に美味なアジになるとのことだ。駿河湾は深い海溝がすぐ側まで迫る地形だから、ひとたび地震が起きると大災害になるのは避けようが無い。でもその地形のせいで特別な自然の恵みがあるのも事実だから物事の好悪はコインの表と裏の関係だから切り離すことは不可能だ。だから賢い人はまず良い所を先に徹底して楽しんでしまうに限る。それで時間切れになればラッキーだけ頂戴することなる。だから「キリギリス」ばかりを出来る限り最初から長くやるのが成功の秘訣だと僕は思う。だが日本人は真面目すぎて死ぬまで蟻の人が大半である。僕のオヤジがそうだった。61で死ぬ半年前まで働いていた。反面教師で僕は40で引退した。なぜなら冬が来る前に大体真面目な蟻は疲労困憊で先に死ぬことが多いからだ。そしたら蟻がまたキリギリスの餌になる。不思議なもので引退した時より今のほうがあれだけ好き勝手の浪費をやり続けても時間も金もあるし自由なのである。先にキリギリスをやったほうが「逆張り」なだけお得だという実例であると思われる。

大本営発表は嘘ばかり

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35〜64歳を対象にした内閣府の調査で、老後になってからの経済的な備えが足りないと感じている人が66・9%に上ることが17日、分かった。現役世代が公的年金や、貯蓄・退職金の取り崩しだけでは老後の暮らしに不安を抱いている実情が浮き彫りになった。65歳を超えても働くことを希望する人は約半数に上った。調査結果は6月に閣議決定する高齢社会白書に盛り込まれる。調査は昨年11〜12月に約6千人を対象に実施。 老後の経済的な備えについては「かなり足りない」が50・4%、「少し足りない」が16・5%で、両方を合計した「足りない」は66・9%。5歳ごとに分析すると、「足りない」は40〜44歳が74・4%で最も多く、年代が上がるにつれて下がる。一方、「十分だ」と答えた人はわずか1・6%。「最低限はある」の21・7%と合わせると計23・3%だった。
この種の報道が出ると、またみんなが更にコツコツ貯金するというのが日本人なんだろうと思う。内閣府の調査らしいか、まず統計が正確かどうか、仮に正しいとして内閣府はどういう意図でこうした数値を公表するのだろうか?へそ曲がりなんで政府公報なんて全部北朝鮮と大差ないだろうと穿った見方しかしなくなっているので、この種のデータはどういう方向を政府が好んでいるかという部分しか僕は見ていない。「みんな金が足りないと不安に思ってる人が実は多いのです。だからみなさんそんな心配することはないのですよ。でも年金はそのうちダメですから、消費税を上げるのはしかたないでしょ?」という来年10月向けのプロパガンダかなとも思う。またはインフレで金利が跳ねてしまった時にデノミで新円切り替えで預金封鎖して一人ooまでしか引き出せません。あとは没収なんてことをして財政赤字を埋めるとかさ。あまり政府なんて信用しないほうがいいと思うよ。国というのは国が残るためだけが目的なんだから、そのためには何でもするのが資本主義国家の歴史ですからね。治安維持法なんて最たるもので、秘密保護法もおなじことだけども段々そんな方向に向かっている気がするけれどねえ。北朝鮮の潜水艦を領海内で仮に撃沈して戦争になれば、経済でなんて何をするかわかったもんじゃありませんねと思います。
きんさん、ぎんさんのCMではないが100歳になっても「老後のために」貯金するというのだから、この国の倹約貯蓄という明治からの「坂の上の雲」的な思考方法や生活態度はなんとかならないものだろうかとホトホト悲しくなる。時代錯誤も甚だしい。司馬遼太郎の功罪は今や罪のほうが大きいと思うが、不思議に今も彼の小説は人気がある。「大きな物語」は既に終わって20年以上も経つのだから、今必要とされるような「小さな物語」を何故日本人は自分の手で書こうとしないのだろう。所得や資産を人と比較してもちっとも幸せにはならないし、そんなことをしても第一お金は増えない。だが暮らしかたや生き方でシアワセは何倍にもなるということを知らない人が多すぎる。なんでもモードとメディアンの世界から抜け出せないのは「大きな物語」を仕事を辞めてまでも見ているからに過ぎない。僕の同期で上場企業に入って役員をして2000万のギャラの男がいるが、彼は給料は一般人より高いかもしれないが実に時間に貧しい。月の休みは2、3日しかない。それも大抵は接待ゴルフで潰れる。乗ってる車はプリウスだ。小遣いは月に20万だそうだ。毎日片道80分の通勤だ。太り気味で調子が悪いといつも飲むとボヤクが酒を止めない。「そのうちお前死ぬんじゃないの?」と言うとまだローンがたっぷり残っているという。「でも死んだら保険が出るんだろ?」と行ったら、「止めてくれ、オレの人生は郊外の小さな家一つということか」と絡むのだ。だってそうだろ実際に。なんとか常務になりたいそうだ。ご苦労な事だがそのために健康がマジにヤバい。こいつは金で命を売るんだな、それ以外にきっと選択肢がない仕事を選んだんだろうと思う。良く知らないがきっと大きな会社の競争というのはそういうものなのかもしれない。自分で自分の人生や健康を決める事さえできないのかと気の毒だから奢ってやった。「オレの経費で落とせる」というがオメーの会社に義理なんかねえと断った。見栄なんか棄てて楽してヒラヒラ暮らせば良いものをと思うが、本人は大真面目にこれが幸福への最短距離だと信じている。まあ信じて裏切られなきゃいいがなと、、と思うが。
 長く会社勤めをして65歳で定年だとすると平均余命は男性で15年だ。その間いくらかかるかなど暮らし方を変えればいくらでもどうとでもなると思う。子供が家を出ていなくなったら広い家もいらないし、通勤が無いならそもそも高い土地の場所に棲む必然性なんてないのだから、売るか貸せば良いだけだ。田舎に住めば住居費なんて数分の一ですんでしまう。アジアならもっと安い場所もある。年を取れば飯だってあまり食えないし、服だってほとんど必要ない。足だけあれば(これだって日本は壊れない安い中古車がいくらでもある)へいちゃらだ。自分が生活するスタイルを柔軟に変化させれば良いだけのことなのだが、頭が硬い馬鹿が多いからなんとか金を確保して安心したいだけという心理なんだろう。ところが所得が下がる下り坂の世界は微分の世界だ。まずなんでも売るのが先で買い戻しは後なのだ。つまり株で言ったら空売りの時代なのである。そこで積分するから失敗するのだ。そのかわり仕事を辞めれば腐るほど時間はあるのだ。資本主義の下り坂をどう楽しく生きるかは積分発想では不可能だ。日野正平のテレビではないが「下り坂サイコー!」の自転車操業が正しいのである。当然中心ではなく辺境、中央ではなく周縁から中心を望むという姿勢が基本なのである。ノマドロジーというのは場所や空間に固執しない生き方だ。定住なんかしないで周縁や辺境をフラフラとリゾームのように移動する。ツリー状の価値観を壊せばすごく自由で楽しい生活ができる。価値観が古くて頭がツリー状のままの人はこれからの時代はいくら金があっても幸せな気分で年を取れないのだろうと思う。年を取るプロセスで自分がしてきた仕事がちゃんとしていたら自分で自分の食い扶持ぐらい年を取っても会社にいなくてもどこに住んでいても健康ならなんとか出来るというのが本来の大人という事だろう。何を30年も40年もこいつは会社で仕事をしてきたのかと呆れてしまうのだ。仕事=誰かが雇ってくれるもの という発想がそもそも貧しい。そういう奴に限って昔の名刺なんか棄てないで思っていてこういう仕事でしたと言うんだな。「それでオメー今何よってんの?」(爆)と聞くと黙る奴が大半だ。
仕事は自分で考えて作り出すもので、それに市場性があれば値段がつくという事に過ぎない。20代のケツの青いガキでは出来ないことが出来るというのがそもそも大人の仕事のはずである。時間を売る事だけが仕事のはずがないだろうと思うのだが。1世帯当たりの平均貯蓄が1700だか1800万だというニュースがあったが、こんな豊かな国は他にないと思う。人生の残りの15年で割れば100万強だ。これだけあれば田舎なら贅沢しなければ何もしないで暮らせるだろう。自分と他人を比べると惨めになるのなら、もっとしっかり稼げば良かっただけのことで、何億か欲しいならそれは元々リーマンだけじゃ無理に決まってらあと思う。十分という人の比率が1.6%というのはそういう人は何億かあるか、あるいは欲望が少ないかというどちらかであるのだろう。どちらでも自分の好みで宜しいが、自分の欲望と数字のバランスが取れる人がたったの2%にも満たないということは、それ以外の日本人の人生は結局算盤として失敗だったということになりはしないのか?と自問してみたらよい。1000万で満足出来ないのは1000万の暮らしをしたいからではない。1000万の安心の量が1億の1/10だと比較するから妬ましいというだけの事でしかない。10倍あるような人は2%以下しかいないなら、そんな数字は見なければ良いだけのことだけである。どんな世界でも上を見れば切りがないし下を見ても切りがない。日本で住んでいるだけの最低限の生活保護の人でさえ世界の所得上位20%以内に既に入っているという自覚もない。だから要は日本人は金の使い方がド下手、作り方はもっと下手という自覚がない人が大量にいるという不思議な国というが自覚ないだけのことである。だから今までが均質で共産圏より差がない国で凡人天国だったということだ。最近少し差が出て来たがあと数年か10年ぐらいしたらきっとこんなものでは済まないと思われる。こんなに均質で安全だったからこそオレオレ詐欺が大きな時代のニュースになるのだろうと思う。平和ボケというか他を知らないだけのコトである。
 僕の周囲でも、仕事が好きで真面目は人が多いけれど歯を食いしばって成功したような人でも人生の全てを仕事に投入したような人は早死にが多い。30代、40代で燃え尽きるか、失敗して自殺するか病死するというケースだ。金がいくら出来ても、大きな家に住んで外車に乗っても血統書付きの高い犬を飼ってもさ、そんなもんはちっとも幸福でもなんでもないのは一度自分で経験してみれば誰でもわかることだ。「ああ、こんなもんか」と全部すぐに飽きるのだ、例えばこの種の贅沢ではごちそうを毎日食べ続けると1週2週で身体の調子が悪くなる。胃が重くなって「ああ、梅茶漬けが食べたい」と大半の日本人は思うだろう。3週間もイタリー出張すれば誰でもそんな気分になるんじゃないかなあと経験から何度も感じたのだ。それぐらい日本という場所にボクたちのスタイルや好みの傾向は固着されていると思う。島国だから大陸的な生き方には向いてない。農民だから移動する遊牧民のようには自由に動けない。マスがそうなら逆をすれば(逆張りだ)勝機が増えるに決まってる。おれなんかケチだから獣医からタダの日本猫雑種を戴いてそいつともう13年一緒だけど、値段と相性は別モンだろ?目覚まし時計より朝はしつこいし、気に入らないとグラフにゲロ吐いて復讐はするし、嫉妬もしてなかなか可愛いんだよ。値段は愛とは無関係だなと思うね。20万のカシミアセーターに4枚穴を開けちゃったけどさ、怒ってみても相手が猫だとどうしようもないね。自分の甘さ、不注意に気がつくくだけだ。ユニクロなら9800円で済んだろうけど、まあそれはそれだ。猫に記号的価値なんて意味がないんだからね。つまりボクたちの欲しがるものなんて実用価値のないのだと猫でも知っているということでしかない。
 なんか近所との距離が近すぎるせいか、みんな人の目、世間の目を気にしすぎるという百姓根性が100年たっても抜けないんだろう。別に困っても世間や近所が助けてくれるわけでもないんだから、もっと自分勝手に自由に好きな事をするほうが気楽で楽しいのだから、「我」を通して生活してみたらよいのにと思う。それだって日本人はそんなに奇抜な事がもともと出来ない人種なんだから。バッシングというのは妬みという事だ。村八分というのが今も生きている19世紀の国なんだな。そのうちTPPで村ごと丸焼けになるのは明らかでもさ。(爆)
オレはそんなことどうでもいいと思うから、月曜の朝は40分かけてミネストローネを作ったよ。ベランダのハーブと頂戴したトマトと直売所で買った野菜とイタリーパルマの生ハムとだ。ベランダで富士山見ながらブランチ食うのは最高だせ。金なんて全くかからんだろ?きっとMacの朝飯程度だよ。時間があると随分と贅沢できるよ。
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