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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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あたらしいじぶん

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roniさんという人にアドレスを知らせたらメールが来た。相場に興味がある女性らしい。近頃は肉食女子が多い。事実僕のかつて教えた女性はみなさんそういうタイプが多かった。元気がよくてハキハキと物言いをする。よく食うしよく飲む。まあガッツがあるのは日本の未来を考えると頼もしい。できれば彼女たちに子供もバンバン産んで欲しい。金なんて後でどうにでも成るのだから後回しで宜しいと思う。我が家も息子よりも娘のほうが10倍は怖いから、きっと日本は女性中心の国に遠からず変化すると思われる。女の戦いには正義などというロマンチックは効かないから男の時代のように牧歌的にはなるまい。競争は益々激しいものになるんだろう。皆さんの健闘を祈る。

若い人がこのブログを読んでいる。相場師という仕事がどういうものかという単なる興味ということもあろうし、変わったおっさんが変わった山暮らしをして好き放題書いているという週刊誌的興味の人もいるんだろう。こちらからリンクを辿ると、アニメーションとかゲームとか子供や孫の世界みたいな所に繋がって引く。正直に言って、やったこともないし興味も無い。毎日400−500人来るというのが宣伝もしないのに何故かがわからない。ランキング登録もしていないから、検索で「相場師、酒田罫線、逆張り」ぐらいしか調べようが無いはず。「猫」でも出るのかどうかはわからない。仕組みを知らないとどうやって来たのかもわからないし、それでも何名かは専業相場師かセミプロ、過去の塾生とまあ書いたことの意味ぐらいは伝わるだろうかと思う。別にメランコリーで書いているわけではなく、単なる暇つぶしの話だが、どうしても相場が仕事なので(他に言いようが無い)その話が多くなる。従って質問もそうした部分が多くなりがちだが、あまり答えても実際は意味がないことのほうが多い。
個人の感覚などそれ以上でもそれ以下でもない、当人しかわかりようのないことである。以上、おしまい!何か知識的に知りたいなら、みんな林さんの事務所で売っている本に系統づけて書いてある。別に林さんの回し者ではない。2度面談して教えを乞うという経験に感謝している勝手弟子というに過ぎない。この業界で飯を食っている人で林さんを知らない人はたぶんモグリだろうと思うぐらい、方法論について具体的な記述をした人である。特別に相場の玉操作が上手いというほどではなかったのではないかと個人的には思うが、まあ悪口を弟子が書いてもしかたがない。
 士官学校出で敗戦という時代の人だから、今と基本的な考えが異なる。やり手の営業マンで所得番付に登るぐらい歩合で稼ぐというのは、大手客に可愛がられたということだろう。4回破産して復帰するぐらいまあ化け物のようにタフだ。だから弟子も結構変なのを可愛がる。総長なんて息子のように可愛がられた。バカラ氏やベトナムさんにもやさしい。波長が合うんだろうと思う。僕はへそ曲がりだが、それは体制嫌いという性格的なものだ。組織嫌いと言っても良い。組織には個人の自由が効かないのが大きな理由だ。商人の家に生まれると、何でも自分で決めて自分で考えて自分で実行してその責任を自分一人でとるのは当たり前という前提で仕事をする父親を見ている。それだけで仕事というのは良いのだと思っていた。成果と報酬は連動して当たり前だと自然に思っていた。だから同期とか同僚とか友達とかそういう比較感で物事を判断するというのが正直理解出来なくてリーマンの時は困ったのを覚えている。人は嫌いなことには熱が入らない。嫌いなことは後ろ向きな姿勢になる。大きな仕事をするには大きな組織が必要なのは理解できるが、別に大きいか小さいかという価値観は僕にはどうでもよくて、好き嫌いという飯のメニューとか女とかと同じ基準で仕事も趣味も選んで来たし、個人の自由で何が悪いと未だにそれは変わらない。だから自由に選ぶという条件が最低の価値基準だったということだろう。どこかの偉い医者が嘆いていたが、最近の医者になる若者は、医者になりたいという動機が薄く、成績順に医者になれと周囲にいわれて医者になるというのが大半らしい。だから頭は良いが無能だから3分診療、判断ミスが増えるのだそうだ。なるほど、好きこそものの上手なれかと思う。こんなに何でも便利で自由な国なのだから、それこそ誰だって好きな事が一つぐらいはあるだろうと思うが、何が好きかもわからないような人も多いらしい。9割ぐらいがリーマン家庭の子弟なら疲れた両親しか見ていなければ、それに自分の未来を見て絶望するのも無理は無い。過去ログでダンテさんという若者が、リーマン家庭で育って、正社員になれとだけ言われて育ったという趣旨のことを書いていた。だからどうやってリーマン以外の仕事をすれば良いのかわからないという趣旨だったと思う。本を読め。とにかく手当たり次第、興味を感じた本を読む。すると自然に神の手に導かれて人は誰かに出会うものだ。そうした出会いがあれば半分は成功したようなものだ。その出会った人の所に行って、門前にテントを張って会ってくれるまで何日でも粘れ。きっと1週間も待てば相手が焦れて会う事になる。熱意が伝われば物事は進む。身体でぶつかるのが一番早い。若者はあれこれ考えてもあまり意味が無い。行動すれば結果が嫌でも出る。それが好ましからざる結果なら、次の挑戦はそれなりの反省や戦法が生まれるものだ、道はおのずと開けると思う。自分とクラスメートや友達を比較しても始まらない。好きの世界にはそんな比較や序列や平均は馴染まない。自分の好きの強度の問題だ。強度が弱ければ即座に弾き飛ばされる。情熱が薄ければ鼻も引っ掛けられない。努力が足りないと文字通り即座に殺される。つまり生きるか死ぬかの真剣な生存競争の世界である。誰も助けない。自分一人が全ての世界だ。
彼には大人社会に対する漠然とした不満感や不安感を持っているように僕には感じられた。グラフを書いてみる、推薦した本を読んで見るという実にこちらが言った事に素直な反応をする若者だが、同じことをきっと周囲の教師やご両親は多分言っただろうと思われる。親子というのは近すぎるからどうしても反発になりやすいというのも僕にも息子や娘がいるから今ならわかるが、当時は何でこの馬鹿息子は俺が理解できないのかと悩んだのだから、ダンテさんも少ししたらご両親の気持ちもきっとわかるだろう。ハルトモさんというこうした事のプロの話を読んでいると、彼はご家庭が複雑で苦労された分だけ、子供たちの気持ちがよくわかっている。自分のことのように手に取るようにわかるのだ。それで一歩引いて、子供の見方になってどうしたらすんなりと現実に同化していけるのか工夫する。まさに天職であるから相場なんてつまらんことはしないでこれだけしてほしいと思う。だって他に出来る人がいないからだ。金儲けは誰でも出来るがそういう仕事は特殊な能力と経験がないと出来無い仕事で、今一番子供たちに必要とされている仕事である。リーマンが嫌なら、資金を集めて園長をすればよい。と人ごとだから簡単に言うが、きっと彼が園長をしたら、もっとよい学校か施設が出来るだろう。
 きっとしばらくすると企業中心社会が行き詰まると僕は思う。企業内ではすでに大半の人が行き詰まっている。構成員が行き詰まれば組織もそれにならうのは必然である。時間の問題と言って良い。リストラで株価だけは上がるが組織はどんずまりになる。拡張しない市場に資本主義の生命線は無い。だから個人は逃走線にそって逃げるだろう。それでリストラが無限に繰り返される。ソニーもシャープも売り食いだ。大半の生産物は過剰で、価格競争が激しい。需要は常に生産を下回る。所得は先進国では伸びす、購買力に偏りが著しくなるだろう。欲しい人には金がなく、金がある人には欲しいものがないという資本主義の構造矛盾だ。キーワードは好きな事である。それを小さな仕事として自分と家族か仲間でするような小商いビジネスが広がる。身の丈にあった仕事と商品やサービスだ。大企業に出来ない小さい量だが好きな商品やサービスだ。無限の需要があるが生産も手仕事に近いから多分儲からない。きっと食うのもカツカツが大半だろう。でも好きだから楽しい。それで仕事は実は十分だと個人的には思う。机に座っていると25日に口座に金が振り込まれるという種類の仕事ではない。今日売れないと明日の仕入れが出来ないという仕事だろう。だから食うのにも必死だろうが、何故か面白いのだ。きっとやればわかるだろうと思う。そういうものは時間を忘れ、金を忘れ、疲れを忘れるがやった!という深い満足に満ちている。制度では出来ない個人の好きという力の成果であるから、真似のしようがない。だから好きがありさえすれば誰にでも五体満足なら出来るだろう。それがきっと あたらしいじぶん ということだろう。
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ワンレン、ボディコン、BMWとなんかあの頃(1993−)が懐かしい。お立ち台に上がって扇子をヒラヒラ、パンツも見えるし深夜の六本木はカローラよりBMWのほうが実際多かったんじゃないかなと思います。駐車場がないでしょ。従って路駐しかないから、会社の新人はいつも道で車の中で待ってるの、そんな車で渋滞でした。ジュリアナやマハラジャがなぜだか復活する兆しがあるようで、これももしかしてアベノミクスと関係あるんでしょうか?ディスコはクラブとは違って、何故だかムードが「明るいの」ね。まあオツムが軽いイケイケの人中心というか、楽天的なアホばかりという感じだったから、今回もそうなるかもしれません。暗い顔して「吉野家」の牛丼ばかり食べているのもきっと飽きたといいますか疲れたといいますか、なんかパーっとしたい時代の気分というものあるんでしょ。復活したディスコはそれでも男性3000円というお値段は
はやりここでもデフレですかねえ。(笑)営業も風営法で午前1時までというからかなり健全ムードです。規制緩和はどうしたの?戦時中でもないのだから、いちいち民間の営業時間を法令で規制するというのは、ここは共産圏か?とアホらしい気分ですが、誰も文句もいわないのは何故?
昨年の新車登録では外国車の比率が7%オーバーと言うし、各社販売レコードということだから労働人口の1割前後の金回りは悪くないということだろうと思います。みんながみんな何も軽やプリウスでケチケチ気分ということでもないだろうと前々から思っていましたが、少しは動きが活発にならないと、「安心、安全」だけじゃつまらないよなあ、、、と思います。
震災と原発で、世の中が一気に暗い沈滞ムードで「日本はダメ」というのが決定的な時代のムードになって、おまじないのようにNHKが「花は
花ーなは花は咲く、、」とやって、そしたら3年ぐらいで底練り飽きたねという感じかなあ、、。相場の世界に「大回り3年」と言いまして、相場のサイクルは3年ぐらいで変わるから気をつけましょうということのようですが、実際はこのところそれより周期は長いです。ジュリアナは90年代前半ですからあれから20年ほど経ちますね。当時のギャルはよくてマダムでそろそろグランマです。お家のマダムもグランマで孫は3人で、毎年毎年やれお誕生日、やれクリスマス、やれ入学式、卒業式とそのつど「手」が出ます。「なんこれ?」「お祝い頂戴」なんですね。
最近の生意気な小学生はランドセルに8万円も払うのか?俺のトートバッグより高いなあとマジ感心しました。まあそれでちゃんと学校行って少しはお勉強でもしてくれたらいいかなと思いますが、瀬戸内寂聴さんの話だと、日本で現在、「処女」というのを見つけるには幼稚園に行かないと見つからないそうですから、現代のガキはおマセですね。まあこんなにネットで何でも見ればそうなるのは当然と言えるんだろうけど、、。
なんか就活とか婚活とか、物事のイベントを計画的に実行するのが時代のムードみたいなものなんでしょうか、そんなに合理的に論理的に計画的に人生いくんだろうか?なんて無計画で行き当たりばったりで、勘と感覚と偶然とサイコロで決まって来たような自分と比較しては実に「偉いな!」と思います。「3高と結婚してみたらベッドで失敗なんてしたらどうすんのよ?」と心配してもしかたないのかな。状況は常に変わるものですから、スタートが良いのはラッキーですが、いろいろ10年もしないうちに大きく何でも変わるもので、もう還暦ぐらいになるとそれはもう大違いになりますね。ホームレスで段ボール引いて地下道に寝てる人もいますし、自殺してしまった人もいます。僕みたいな世の中ナメテルようなヒラヒラなおっさんもいるし、まあ人それぞれして来た事の結果が出るんじゃないのかなあ、善し悪しはご本人の心と身体の問題ですから、お互い元気に楽しくやりましょうと言うしかありませんが、、。
 ほんの200年ほど前の日本では、半玉は12歳、人気の芸妓は17−18歳、22を超えるとババアと呼ばれ平均寿命は28歳というのが風俗の世界だったと山本夏彦の本にはありました。実に女の盛りは早くて短い。いまだとロリータで逮捕されるような年齢から性と生殖の世界に入っていたのです。男でも妻帯できるのは1/3程度。風俗が流行るのは当たり前でした。江戸の人口は3000万とも4000万とも言いますが、ゼロ成長で基本的に移動の自由はありません。ほぼ全員が農民です。それでも日本人が一番、安定していた時代ということで、これからの半世紀とか1世紀とかはこういう時代のムードに似てくるのかもしれません。建前は公平で平等でも実質は階級化、階層化。自由というものがどんどん進んでいけば、当然強くて賢い人の総取りになりがちです。お金は寂しがりやですから、多い所に集まるという性格はいつの時代も同じ事。だからマルクスレーニンの科学的社会主義思想は歴史の終わりになるはずでしたが、そうはならなくて資本主義のほうがとりあえず残ったという結果です。なんとか残った資本主義もなんかやらせのどんずまりで喘いでいる感じ。行き着くとこまで行ったら、突然変わるということも充分に有り得そうで、そんな日が見られるのかどうか楽しみなような、そうでも無いような、、
 どんなにあがいてみても、あと残った時間は10年かそこいらでしょうから、出来る事ならグータラ猫のように意味なく明るく楽しく元気に生きたいなと思います。
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訪問者472 22時35分のDATAだからおそらく21日は500オーバーになるんだろう。レコード更新かな?505になったな。
なんでかな?21日の出来高は今年2番目に低い、いわゆる「陰の極」にちかいからだろうか?それとも当て物の8585,8589が少し動いたせいかな?それならベトナムさんが具体譜上げてるからそちらのほうが増えるはずだし、とんまな僕の解説を見るというのも変だなと思うし、あとは意味不明の日野啓三のテキストだ。きっとチンプンカンプンだろうけど、1%でも「そうか」と思う人が出るといいなと思って転載している。そもそもこのブログ、個人的な感覚とは何か?という定義や理解に決してなじまない対象を、あっちから、こっちから、そっちからと、角度を変えて、ベクトルとトルクと書き方を変えて、テキストの引用先を変えて、テキストのイデオロギーを超えて、とにかく読んで、集めて、転載する。著作権に少し触れるのかもしれないが、まあいいか、クレーム今まで出た事ないし、出たら削除すればいいだろうぐらいの気持ちで書いている。それでも伝わるのはきっと文学好きの数%の人だけだろうと思います。
 ねこ塾では、昔なんかいつの間に宗教の教祖みたいにされちゃったことがあったから、あまりマジな普通人は来ないでほしいのね。2ちゃんでまたスレッド建っても困るしねえ。サリン撒いたりはしないよ僕は左翼だけれども。俺は教師じゃないよ。俺は曲がるからね、信じても予想はあたらんよと書いてるんだけど、斜めに読んで提灯つけて損をしても知りませんよ。つい先月に太平洋興発の兆し陽線の記事を書いてみたら、高値更新後に暴落して、誰か損したみたいで文句を書いてきましたが、きっと団子で高値を買った人が暴落で投げたということでしょうか。「分割ですよ、分割、逆ばりですよ、逆ばり、そのほうが下げても損が少ないよ」と書いても読まない人が多いです。それは読み手の勝手ですし、勝手にやれば結果もたぶん勝手に悪くなるんだろうなあと思います。俺知らんよそんな人。持ち合いというのものね、月足を300枚も書いたらさ、最初は三角のペナントになってくるとしてもさ、そこから2−3本突っ込むと今度は平行四辺形のフラッグになったりするんだね。だから分割でペナントでもフラッグでも平均を弄って相手が濡れてくるのを待つんじゃない?入れても出しても(あー嫌らしいテキストね)どっちでもいいからさ、試しでそういう動きにこちらの腰を合わせてさ、突いたり引いたり止まったりといろいろこちらも少しは苦労をするわけでね、そういうの無視してどんどん突いても困るでしょ相手は?自分一人で相場しているわけじゃないからね、、そういうのを日柄をかけて玉を溜めると言うけどね、ポツンと立てて、さっと落として、また少し上か下か逆らわないで乗ってみる、降りてみるそういうことして「まあ、いいか」でまた溜めて行く。だらだらしているのよ、下値では。奇麗に丸になるのは年に1回か2回、高値でなくても良いのよ。疲れたり曲がったりしたら落として休むの。だから損切りで落としても下手とはちがうんだけどね、自分なりに波に乗れないときは無理して乗ろうとするから曲がるんで、そういう時は落として休むの上手い人は、そうしないと長い間は残れませんよ。総長はだから今お休みですね。合わない時は休んでいれば損はしないからね。こちらの手と相手の息が合うという時だけ相場はすれば良いのですね。
ど安値狙ってさ、たまたまマグレで数枚建ったとしてもさ、引っ張って売れなきゃそんな買値の数十円か数円なんてどうでも良いことに神経使って疲れてさ、その後の月足の長ーい本体何本か取れなけりゃアホ丸出しなんだけどね、最初は生徒はそんなのばかりでさ、60人に同時に同じものさせてもね、出来たのは2−3人です。理屈は理解してもやらしたらほぼ全員が最初は出来ないの。中学生の童貞の時にさ、ねーちゃんがホントに喘いでいるかどうかなんてちっともわからんじゃない?こっちに余裕と経験ないとさ、わかりっこないよね。だから処女なんて抱いてもいつも最低だったでしょ?官能というのも感覚の具体的な極地だからさ、お互い繰り返し深めていかないと良くはなりませんよ。とエッチな猫は僻みまじりに書いてみる。お金よりベトナム移民もいいかなあなんて見果てぬ夢のほうが楽しいよね。どうせ乗るならメルセデスより美女のほうが良いですよと猫も実は知ってるの。でもねえお互いもっと怖いものがあるじゃない?足場が崩れるとなーんにもならんからねえ。(笑)
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画家にとって作品は全て「私は見た」であろうと思う。実際に彼らが描く絵がかくも多様であるのは、人間が「見る」のは顔の目だけではないからだ。視覚領野の神経細胞は網膜と第一次視覚野とだけつながっているわけではない。脳の内部からの興奮も伝えられる、新皮質の前頭前野だけでなく、古い情動的記憶にかかわる海馬や扁桃核など辺縁系の神経細胞塊とも。
「見る」という人間の機能はとても複雑だ。外光がレンズを通ってフィルムに像を結ぶカメラの機能と余りに違う。見たいものを見ている(見たくないものは見えない)。内部から浮かんだ像を外部に投影している。画家たちは風景を描くとき一応写生するようだが、外界の写像は大幅に変更されることはいまや常識だ。ただしその際にスケッチ像をいわば上方に変形するタイプと下方に変形するタイプがあるように思われる。上方に、とは様式美へと抽象することであり、下方に、とは画家本人のきわめて個人的な意識深層、長期記憶の暗い森からの定かならぬイメージ、意識されざる記憶の情動に応じて、無意識的に行われる変形である。いや正しくは、内なる奥からのエネルギーのゆらめきを「見る」ために、外界からの表象の一部を利用する、というべきかもしれない。
 その意味では幻影と現実像の違いは本質的ではない。どんな幻も「見た」ものなのだ。人によって他人が見て描いた幻像を意識して模倣修正する場合もあるだろうが、頭で想像された幻像と、身体的に「見た」幻像とは迫力が違う。奥行きも陰性も違う。(中略)

東山氏は実際、森の奥で白い馬だけでなく魔女にも会ったことがあるのではないか。それは「幻」でも「気配」でもなく、記憶なのではないか。失われた記憶、と安易にわれわれはそう言う。だが完全に失われた記憶なら、それにまつわる幻も現れなければ、気配を感ずることもないはずだ。
 時あってごく稀に、ふっと蘇っては忽ちすっとまた意識の彼方に遠ざかってしまう遠い記憶ーー何千年、もしかすると何万年前の記憶。農耕牧畜以前の、長い長い狩猟採取時代の体験の記憶。
 その不等に忘却された遥かな記憶が蘇りを求めて、そっと私たちの意識の奥底を叩く音が、「既視感」のめくるめく魔術的至福の訪れなのではないだろうか。
 多分私たちの全き現実性(トータルリアリティー)は、いつでも思い出せる記憶、目に見える事物の範囲だけでなく、
潜在的記憶を含めて個人のこの生涯の境域内には収まり切れないのだ。宗教的領域には触れないとして、諸芸術の存在、その言いがたくリアルな何かに対するわれわれの魂の共鳴、そしてそこから生まれる「遥かなる永遠の想い」を考えるとき、意識の境界だけでなく個人的無意識の境界も大胆に超えてゆかねばならないように思われる。
    「忘却の河」 日野 啓三  2003

 遺作となった日野啓三の「書くことの秘儀」から転載した。東大教養学部出の新聞記者から芥川賞作家に転じた彼が、東山魁夷にインタビューした際の印象について「書く」あるいは「描く」ということについての論考である。実に興味深い記憶や幻や像についての大胆な仮説というか想いを書いている。「見る」ことと「書く」ことの関係性とかその効能とか、手、指で書くのか、頭で書くのか、目で書くのか、あるいは記憶が書かせるのか、それは論理的な正確さを求めて「書く」というのとは異なる身体的な様々な身体部分をフィルターのように通じて、イメージがアウトプットするということだろう。その身体が、指、腕、あるいは筋肉というのと、脳細胞、視神経、というのとがきっと総合されてわれわれの感覚というものが脳に定着する。視覚だけでは弱い、視覚だけでは時間軸が無い。平面を立体化するのには繰り返し毎日毎月書き加えるという作業が必要だ。時間と価格、時間と厚み、時間と変化の限界値の変動。だから毎日とか毎週とか毎月とか一定の時間軸を経て繰り返し同じものを追いかけ続けるうちにあちら側の動きの気配のようなものにこちらも少しは慣れが出来てくる。だから繰り返したり数をこなす以外に方法がないのだろうと僕は思うのだ。だからやりさえすれば多少の個人差はあっても感覚はやがていやでも出来てくる。そして出来つつある感覚に基本の通り、玉をそっと置いて、重ねて、外す。そっとだ。力ずくはだめだ。強姦しても痛いだけで相手は嬉しくない。相手の喜ぶ快感が増して行くそういう過程を受け入れてこそ僕たちの快感も更に増す。快感は2人の脳が感じる相互的、補完的作用の結果だから、長持ちするほどお互いの動きは自然に激しくなっていく。意外な動きが出れば出るほど快感の質は強く、深く、脳が痺れるように、音がこだまするように、2つの身体は一つにトロケル。2つが一つに。2つは無数に、、。幻影が見える、光が見える、そうしたら少しだけすきま風。ここが実に意地悪だ。波が自分になる。自分は波になる。

フロイトが幻覚と夢のなかに垣間見て、プリミティブな社会の先住民たちが魔術の演出のうちに体験した、あの全能性だ。幻想的な支配などではなくて、幻想そのものの支配である。「私はもはや賭けをしない。私自身が賭けなのだ。」 

 ポールオースターの小説「偶然の音楽」で、ポーカー賭博師のジャックはこう語る。
「俺はいつもその感じがしてくるのを待っているんだ。体のなかでスイッチがオンになるみたいにさ、全身がブーンとうなり出すんだよ。その感じがしてきたら、もうこっちのもの、勝利へ向かってまっしぐらさ。いったんツキが回ってきたら、それを止められるものなんてありゃしない。世界の何もかもが、いっぺんにあるべき場所に収まるみたいに思えるのさ。自分がこう、自分の体の外に出たみたいになって、あとはもう夜通し、自分が次々に奇跡を起こすのを見物しているんだ。もう自分とは関係ないと言ってもいいくらいでさ。コントロールしようったってできるもんじゃない。とにかく考えすぎたりしないかぎり、間違いひとつ犯しようがないのさ。」
もしそうなら、こんな逆説的仮説にちっとも禁じられはしないだろうーーーわれわれのことを考えているのは世界のほうだとまず考えてみるとすれば、世界をコントロールしているのは、たしかにわれわれの思考なのだから。
「人間がお茶を飲むのではない。お茶が人間を飲むのだ」       
 運命の分水嶺 「不可能な交換」ジャン ボードリヤール 塚原 史 訳 2002

朝からなんですが、、

ベトナムさんが8585食っちゃった。彼女のお小遣い出すんだと思う。ゆっくり分割で建ててじっと待って、スパッと落とす。お上手です。こんな風になるように
練習してほしい見本のような譜ですから、プリントし張っておくと良い。折れ線書いて、どこで建てて待って落としたか、そのイメージを固着させるように。
プロトタイプがあるだけで練習の励みになるはずだから。

実に上手いよね、でも3401みたいに繋がないものね。最初から本気でやる気ないということだから、あっさり自分なりだよね。
俺はさ、材料何か出たかなと思ったんだけど、それが何かも未だに知らないのね。貧窮ビジネス大流行りだからしばらくはいいやって感じです。
8585を30枚と8589を50枚抱えてさ、まあしばらく何もしないんだよ。グラフの半分(500−600円)まで今回は届くかのな?ダメかな?って見てるだけ。
こういうラリッタネーチャンみたいのが一番好きでさ。
時々、短いスカートからパンツが見えそうで見えないで誘ってんだか馬鹿なのか、多分両方なんだろうが、まあ放置しとくと勝手にイッチャウ早熟なタイプでさ。
こちらはさ「いいねー、濡れて来てるよ、君の声すごいんだけど、、おれ君のこと大好きだからさ、いっぱいいっていいからさ、何度も何度もいくんだよ」って言葉に出して言うんだよ。すると喘ぎは伸びてさ、たまには窓も空いたりしてさ、天国に登るような気分でさ、そこで初めてすきま風なんだよな。安さんはスケベだなあて思うなあ、女がほっとかないだろうなあってさ。
耳元で風を送るようにね「まだガマンしてね、、」って耳の内側をぺろっとナメルとさ、大抵最初に行くんだな。それまで年だから見ているだけです。

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