山の寒さも少し緩んできた。朝でも外気温は5度ぐらいはあるからこの1か月で5−6度上がっていることになる。日中は天気の良い日は日差しが強く少し熱いぐらいの陽気の日もある。春になると部屋から富士山が見えなくなるのだが、今年もそんな季節がやってきた。富士山は休火山だが、江戸時代には大噴火しているから、地球の時間にとっての数百年などほんの瞬きのようなものだから、またいつ活動を始めるのか誰にも予想がつかない。それでもあとせいぜい10年かそこいらしかここに住むこともないだろうから、今のうちに雄大な景色や自然を楽しんでおこう。静岡県というのはどこからでも富士山が見えるというのを引っ越して来て始めて知った。温泉が多いのも伊豆から富士にかけての火山帯のおかげだ。日本は火山列島だからどこに言っても火山や地震からは逃れようも無いが、それが起こす悲劇よりも恩恵を重視して僕たちの祖先は共存してきたのだろう。現代の日本人の長寿は、気候風土に恵まれているせいも大きい。水と空気は綺麗で大量にあるしそれを作る山河が素晴らしい。樹木も多く農産物も実に多彩で美味しい。そんな恵まれた環境をわざわざ原発で汚す必要があるとは到底思えないので、どんどん石油でもガスでも買って発電したら良いと思うのだが、「美しい国」なんて言ってた阿部ちゃんはどうしても再稼働に拘るようだ。やはり核が欲しいということなのだろうなと思う。
不思議に田舎暮らしを始めてからとんと病気をしなくなった。原因がないというのが一番の要因だと思われる。空気が実に綺麗だ、ストレスが無い、野菜が美味しい、よく温泉に入る、よく眠る、少しは運動する、人にほとんど会わないからウイルスと接触する機会がないなど複合的な要素が絡み合って現在の状態がある。そして人口密度が極めて低く、樹木が人の数千倍あるからという比率の問題も大きい。水は日本一綺麗な柿田川の富士山の湧水が水道だという恵まれた環境で、しかも水道代はいくら使っても月に1000円という馬鹿げた安さという申し分無い状態である。東京にしか暮らしたことのなかった僕にしてみると田舎は健康的で暮らしやすいなあと思う。デメリットは刺激がない事ぐらいだろう。その分、心は穏やかになると思う。株式の売買頻度がすごく低く、ゆっくりとしてきたのは年齢のせいもあるかもしれないが、環境のせいも大きいと思う。お金が全然必要のない暮らしなら稼ぐ必要性はゼロである。このまま死ぬまで1円の稼ぎがなくても20−30年は大丈夫だと思えば、あくせく動く必要性がない。そんなにたくさん生きられるとも思えないから、無駄な仕事をしてもしかたない。のんきにグータラ本でも読んでいれば良いのだから、お気楽そのものである。欲望も萎えるというか起きないようになってくる。まああまり不便でなければ何でも良いやと思うと必要なものはすでに全部複数持ってるのだから、増やしても面倒が増えるだけという気持ちになってしまう。一人暮らしだから100平米以上の面積も必要ないし、掃除が面倒ならこんな程度でまあいいかと思う。リビング以外に2部屋有っても物置になるだけのことだし、、。
それでも長期のグラフを1000枚も持っていると、改造した押し入れの半分はグラフで埋まる。重さは想像を絶するもので、全紙版のB0が2000枚以上だから50枚入りのケース40個分ということだ。ケース買いした人なら理解できるだろう。特別に僕しか持っていないものとはこれぐらいで、あとは全部お金を払えば買えるので、全部棄てても無くなっても構わない。買えばすむことだからだ。しかし管理やセキュリティーが良いせいか泥棒の話は全く聞かないから、この別荘地は安全である。外国人はいないようだ。そもそも別荘を買うような人は金が余って買うのだろうから、この山自体には貧乏な人がいないのは当然だろう。貧乏では暮らしていける可能性がないのだ。車と家屋の維持管理費と固定資産税だけでも最低100万前後はかかる。リーマンの年金ではカツカツで無理だろう。ある程度のコストが障害となって貧しい人を排除していると言える。ゲートシティーほど露骨ではないものの「貧乏人さんごめんなさい」という張り紙をしているようなものだろう。生活保護を受けるような人も皆無で、そもそも賃貸住宅がゼロなので、すべて持ち家だから生活保護の対象になれない。現金が少ない人はいるのだろうが、困った話は聞かない。きっと困った人は自動的に排除されてしまう仕組みになっているのだろう。その意味でリゾート暮らしというのは元気で豊かな引退族の選択肢としてもっと需要が増えても当然ではないかなと思う。4000区画の山で、メルセデスSクラスは僕を入れて3台、BMW7が2台、マセラッティー1台あとはコンパクトが50台ぐらいだろう。みんな結構地味に暮らしている。死んだ旦那が社長さんという婆様が実に多い姥捨て山という感じですね。(笑)
さて前回の株の高値は2005−2007年にかけてだった。この時も少しだけ土地の値段が都心部だけ上昇して億ションがたくさん売れた。リーマンショック前までは結構消費も堅調で、エルメスがクロコダイルのコートを1000万円のプライスで売っていたのを思い出す。僕もその時にクロコダイルのローファーが欲しくて黒とチョコを2足買った。他にリザードのモカシンも2足買った。あれから7年ぐらいたつが、4足とも健在である。クロコダイルは足に馴染んで今が履き頃という感じである。セブンティーかアルマーニのスーツで履くことが多かったが、田舎ではスーツなんて着る機会がないのだなあ。クロコダイルの靴は高価だが大事に使うと10年ぐらいは平気で持つ。無論、年に数回の使用だし、雨の日はダメだけど差別化するのには圧倒的なインパクトがある。ロールスやベントレーと同じぐらいのインパクトでどこにでも履いて行くことが出来るから今流行の高級時計よりも更にオシャレ感が強い。まず1万人リーマンがいても一人も履いていない。十万人にたぶん一人いるかいないというぐらい希少性があるのだ。893のボスさんぐらいしか履いていない。軽自動車ぐらいするかもしれないが、護身用にはウッテツケ!(笑)
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