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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

書庫日記

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秋の黄葉が舞う中で、彼が権力のすべてを把握し、その主になる事は決してないと悟ったのだ。裏面からしか生を知りえないという運命にあることを、また、現実という迷妄のゴブラン織りの縫い目の謎を解いたり、緯糸を整えたり、経糸の節をほぐしたりする運命にあることを悟ったのだ。もっとも彼は、もう手遅れだというときになっても、彼にとって生きる事が可能な唯一の生は見せかけの生、彼がいるところとは反対の、こちら側からわれわれが見ている生だとは考えもしなかった。われわれ貧しい者たちの住んでいるこちら側では、果てしなく長い不幸な歳月や、捉えがたい幸福の瞬間が枯れ葉のように舞っていた。そこでは愛は死の兆しによって穢されていた。しかし、愛は確かにあった。そしてそこでは、閣下自身は、列車の窓の汚れたカーテン越しに見ることの出来る、悲しげな目をした曖昧な幻でしかなかった。もの言わぬ唇のおののきでしかなかった。誰のものともわからぬ手にはめられた手袋を振る、一瞬の挨拶でしかなかった。われわれもまた、あてどなくさまようこの老人がいったい何者なのか、どうしてそうなったのか、見当をつけかねていた。妄想の産物でしかないのではないかと思ったりしたが、しかし確信はなかった。結局、喜劇的な専制君主は、どちらの側がこの生の裏であり、表であるか、ついに知る事がなかったのだ。われわれが決して満たされることのない情熱で愛した生を、閣下は想像してみることさえしなかった。われわれは充分に心得ていることだけれど、生はつかの間の苦しいものだが、ほかに生はないということを知るのが恐ろしかったからだ。われわれは自分が何者であるかを心得ていたが、彼はくたばり損ないの老いぼれたヘルニアの甘い声に騙されて、ついにそれを知ることがなかった。知らぬままに、秋も終わりの冷たく凍てた枯葉の陰気な音を聞きながら、忘却という真実が支配する常闇の国へと旅だっていった。恐怖のあまり死神の糸のほつれた衣の裾にしがみつきながらである。彼が死んだという喜ばしいニュースを伝え聞いて表に飛びだし、喜びの歌を祝う音楽や、賑やかな爆竹の音などが、永遠と呼ばれる無窮の時間がやっと終わったという吉報を世界中に告げたが、それも聞かずにである。
           ガブリエル ガルシア マルケス 「族長の秋」 鼓 直 訳 

 10年ほど前のことだったろうか、渋谷文化村にある映画館でガルシアマルケスの「コレラの時代の愛」を見た記憶が蘇る。ある美女とのデートだった。その美女が冷房の効きすぎた館内で夏にしては珍しいプラチナカラーのペシュミナのハイゲージニットを膝にかけていたのを何故か僕は覚えている。マルケスのテキストは万葉集に似て音読するためのテキストであり、響き渡る韻の宝庫だからそれが邦訳されていても原文のもつ幻想性は損なわれることが少ない散文詩と呼んでいい響きが魂を振動させる。権力の一番遠い所から一番近い所に、300年を生きる怪物のような権力と栄光をマルケスは愛を経糸に綴る。カフカが、プルーストが、ジョイスが、フォークナーが、マルケスの世界にはずっとどこかで生きているのだろう。
2004年の「わが悲しき娼婦たちの思い出」を最後に新たな作品は書かなかったのだろうか?未公開原稿があれば良いのにと思うけれど、最後は認知症が出たというから期待するのは無理かもしれない。大江にしろ池沢にしろマルケスが与えた影響は圧倒的と言って良い。彼の語り部としての神話的世界は文学そのものを変えたと言えるのだろう。
「安らかに眠れ」そう祈りながら、葬送のために今日は一人で伊豆屋の天丼を食べに沼津港まで走った。コルトレーンのトランペットを聴きながら、、。

10年以上の時間を経て、相場戦略研究所の掲示板に辿り着き
本当に”むさぼる”ように徹夜で読み、エクセルに張り付けて読み、
一通り読み終わるとまた要点を整理するように読み・・・と
今、完全に「猫中毒」になってしまいました。(笑)
私は女性ですが、猫先生の「相場=おねえちゃん理論」?は
すっごく理解出来ます。官能的な表現の中に真理が見える気がします。
私は今、スタートラインに立ったばかりです。
これからあの掲示板で猫先生が教えてくれたことを一つずつ実践して行きます。
あの掲示板から10年以上経った今もずっと変わらず
相場師としてご活躍されている姿こそが私にとっての励みとなります。
心から感謝しております。


このようなカキコがroniさんという美女からあった。おまじないが効いたようでギャル大好きの猫としては個人的な話を少ししよう。
相場研の総長は林さんの直弟子=だって毎日注文を出していたから だった人です。「そんなことをしてはいけません」というような具体的な指摘をたまには戴いたと思われる。ラッキーな人だと思う。僕は林さんにお会いしたのはたった2回。グラフの書き方が正しいか、玉帳で1年分の売買を見て頂いて改善点の指摘をして戴いた。先生いわく「売りはしないのかい?もっとゆっくりとした売買をしなさい。あと休みを入れなさい。」この3点である。面談は5分ぐらいだった。19年前だったと思う。あの魚屋の上の蛎穀町の事務所だった。林さんの本は残らずこの時点でほとんど読んでいたと思う。だから指摘されることの予想はついていた。だがあれから20年たっても、言われた事が確実に実行できているか?というのは疑問である。馬鹿ではないし無茶はしないしド下手でもないから生き残れたということもあるんだろうが、あれから何億もお金を儲けても言われたことが技法的な部分でちゃんと正確には出来ていない時が今もあるのだ。だからそういう時は成果がよくない。テキストの読解というのは個人の力量である。だから林さんの指摘を僕はこう解釈する。
「君ねえ、ちゃんと折れ線と月足を書いているだろ。まあ綺麗には書けてはいるよ。でも書いていて動きがどうかはちゃんと冷静に見ていないね。今は(相談したのは1995年)下げているよね。だから基本は売りポジションの時間のほうが長いはずだよね。それなのに君は買いしかしていないよね。短い戻り相場を買いの片張りで取るのはプロでも難しいと言われているのだから、ヘタクソというかアメーバのような感覚しかないのだから売らないとダメじゃないか。相場をやるのなら「売り」をしなくてはダメなタイミングということをグラフから読み取れていないよね。だから相場なんて辞めた方が良いよ。」
更に「下手だから買い始めが早いんだ。どん底の手前を狙って、ゆっくりと分割しないと平均が落ちないだろ。利食いも早いからあまり儲かっていないじゃないか。どこ見てるんだ。売ったあとにすぐ買い始めるからそんなことになるんだよ。ちゃんと休みを入れて下げてくるまで待つんだろ。」ということである。
まず作業的なことだが、当時それでも200枚ぐらいは月足を、折れ線も20ぐらいは書いていた。場帳も50ぐらいは4本酒田でつけていたと思う。でもつけてはいても見えていないのだ。ベトナムさんも同じようなことを書いていたが、グラフを漫然と見てそれを視覚的に受け止めるという慣れが出来ていないから、見える物が見えないということが不思議に起きる。アマチュアは100%全員がそうだと思う。見えるものが見えない=オカルトのような話なのだが、それぐらい視覚的な受け止めというのは簡単ではないのだ。何が見えないか?というと縦ではなくて横、縦と横の関係が見えていないということである。相場を初めて10年ぐらいまではそうなのだ。毎日場帳を書いて、グラフの更新を怠らないでやって(僕は母の葬儀の日も場帳はかかしていないぐらいマジだ)もその程度しかものは見えないという経験がある。だから書け、書けという。僕の周囲で長い相場人生で生き残っている人は実に少ない。ましてやそれで飯が食えてまとまったお金を作れている人はほんの数人しか僕は知らない。数万、数十万、数百万の中での数名だろう。税務署の署長の話では2005年の申告ベースで有価証券売買の申告利益で5000万以上の申告者は27万人の利益申告者のなかでたったの一人だったということである。猫塾では僕を含めて2名だった。グラフ量は僕が最大の1200枚だった。Rさんが5300万で資金量は僕の2倍だったと思う。僕は3口座で9000万ぐらい取れていた。その反対側には損の人がは27万人以上無論いたわけだ。それぐらい簡単な馬鹿でも取れるような上げ相場でもアマチャアは取れないのが現実だ。
プロ相場師で活躍できる確率は東大を首席で卒業するぐらいの数字的な確率に近いと言ってよいだろう。記憶力が良い悪いという意味ではなくそれぐらい結果的な確率が低いビジネスであるということだ。それは予測不能な値動きを受けとめてこちらがそれに応じた対処をするという動きの上手い下手という頭と身体の反応の善し悪しという質の部分の話である。そのためにどう日々の作業をし、どう感覚を醸成し、どう対処するかを猫塾で僕は教えようとしたわけである。身体で覚えろという事だが、時間とエネルギーと程度の金がないと出来ない仕事である。それでも塾生の中に昨年60%のリターンで転がしたガールフレンドがいたのだ。プロではないがプロになろうとしている。彼女も相場を始めて15年ぐらいは経っている。やれば出来ると思う。諦めないかぎりなんとかなるものだ。
この板でド下手の質問がよくある。僕はあまり答えない。何故か?答えても意味が無いからだ。言われたことがわかるには言った人と同じ程度以上の作業量と売買量を経験しないかぎり理解も納得もできないことがこちらには最初からわかっているからである。1000枚毎月更新して、80枚折れ線を書いて250枚場帳を書いてそれを10年やれば俺の売買が譜を見て一瞬でわかるだろう。ベトナムさんは俺がわかるし俺も彼がよくわかるのだ。お互いの譜をちょっと見て10秒でお互いがもう分かったということになる。だから無駄なことを考えず、言われた作業だけをしろ。それこそが一番早く上手くなるコツなのだ。

さてここまでは僕の個人的なお話だ。さらにroniさんには個人的なお話をしよう。
メアドは非公開である。がネーチャンは特例で以下にメールくれればなんでもお答えしよう。ただしきっと時間をかけないとわからないと思うが。一度お山の家にグラフを見に来なさい。熱海でも三島でも新幹線でくればお迎えにメルセデスで参ります。ではね、バイバイ。
  nekojiro612@gmail.com

春の秘密のおまじない

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相場師はエッチな奴が多い。なぜスケベなのか?スケベな奴が相場師になったのか、あるいは相場師になるとスケベになるのか。金を儲けるとそれですることは大抵そのスケベに関連した浪費となることが多いようだ。僕は紳士だから書かないがVさんなんてお写真付きで堂々と一夫多妻である。ひがみで「こいつを逮捕しろ!」とちくってやりたいが国外にいると警察圏は及ばない。俺なんか金がないから、どうやってそこいらのネーチャンがひっかかりそうか日夜考えてもなかなか成功しない。ネーチャン受けしそうな車なんか買ってトロール漁法で「ドライブしない?」なんて甘くささやいても下心ミエミエだとスカる。大体、でかいメルセデスは受けない。座るとなんか大企業の重役室のソファみたいで、あるいはファーストクラスの飛行機みたいで真面目っぽい。そこにいくとジャガーとかマセラティーは愛を囁くのに向いている気がする。なんかつやっぽいというか色っぽい雰囲気というのがある。ミニもなんか可愛い。AKBみたいなションベン臭いのならこれだろう。釣りと同じで魚に応じたルアーの効果というものがあるんだろう。
楽しみというのは相場と同じで、入りと出の快楽だ。旨いものを食う。うまい酒を飲む。腹が膨れれば眠たくなる。それで誰か美女と寝る。単純だが基本である。基本を無視した快楽は成立しない。だから金がそこに落ちるという素直な動きだ。逆説だが、相場の下手なやつは女あしらいも大体下手だ。ケチが多いせいだろう。(玉でも金でも)落とすという所作にどこか未練がたらたらな感じで潔さが無い。落とす前にウダウダ考えるようなタイプは最悪だ。落とした後もアレコレ悩むタイプは一生女にも相場にも縁がないだろうと思う。損得なんてどうでもよいからスパッととかストンとかいう音がしそうな落とし方が出来るのが上手いということだ。最近は女が料理を真面目に作らないようになった。それもそのはずで、本来の女の機能(子供を産んで育てる)以外に、金儲けまでやらせようとするから忙しくてできるはずがない。「無理!」と言えば良いようなものだが、子育てよりもお金儲けのほうが面白いのを覚えてしまったのでどうしようもないのだろう。だからこういう現代女性に受けるには、炊事、洗濯、掃除という家事の3要素を男がすると受ける。それに金とエッチを加えるとなかなか珍しい男になるから棄てられないということになる。多少の悪さをしても目を瞑る。代替品があれば交換するのだろうが、5要素を完備するお得な男はそうそういない。男に品質表示タグがついていて、市場で何が売れ線か考えてみれば宜しい。棄てられないためにお料理が大事ということになる。
豪快に桜鯛の鯛飯を作ってみた。魚が大きい時には僕は中華鍋でたくことにしている。普通は重しを置いて炊くのが常識のように思ってる人も多いようだが、板前に教わったらそんな必要は無いという。桜鯛は先に粗塩で焼いておく。それから出汁で炊いて米肌が出てから乗せるという感じだ。愛でたらほぐす。
その板前は大学院を出て(水産科)30過ぎてから板前になった自称、お魚と話が出来る唯一の職人という柾さんという人で道楽のような割烹店を中野の新井薬師という駅のそばでやっている。カウンター7席の小さな店だが毎朝チャリンコで中野から築地に仕入れに走る。市場で3匹だけ彼の話が理解出来る魚を選んでそれのみで料理を組み立てる。7−8品出て来て6000円ぐらいと実に安いがその訳がある。仕事が馬鹿丁寧なのだが、7時に入って11時まで食事に4時間かかるから暇がある人以外は大半の一見客は怒りだす。絶対に一品ずつしか料理しない。前回は越前蟹の良いのが入ったのでその酢の物を作るのだが、目の前で割ってピンセットのようなもので身を取る。7人分の作業に43分かかった。僕は作業の速度をいつも暇なので計っている(笑)。彼に言わせるとこのように食事というもはゆるゆる取るべきものであり、ゆるゆる作るべきものであるという考えを実行する。絶対に接待には使えないし、友達を連れて行くと大抵機嫌が悪くなる。リーマンで怒らなかった人はいない。(笑)だから僕はいつもマダムと行く事にしている。彼女はダラダラ飲むのが好きだし、美味しい物が好きだから、こうしてゆっくりと話をしながら酒を飲むのが趣味のようだ。酒は静岡の菊酔という銘柄一本だ。ビールも無い。魚に合わないからだ。その柾さんは近所の主婦を相手にお米の炊き方教室を始めたらしい。あまりに店の運営がスローで趣味的なので売り上げは伸びないし、奥方の機嫌が悪いのでサービスをするために昼の時間開いている店を使いアルバイトを始めたのだ。ランチなんかあんなもの人が食う飯じゃないと言って絶対にしない。仕事だから金と無関係とはいかないが彼のような仕事のしかたもある。時間効率などという発想はどこにもない。自分の嫌な客には店に入れないような作り方と出し方という事で、その選別した客の売り上げの範囲内で生活する。「俺はいやなことまでして金なんか欲しくねえよ」と江戸っ子そのものでカッコイイ!だからメニューなんてないからほとんどの人は入るとビビって後悔すると思うが、魚は実に旨いから東京に行くとたまに寄る。変わっているし何故かなつかしいので年に数回行っていた。たまに電話をかけると
「今日は良い魚がなかったから休みだ」という時も何回かあった。だから昼過ぎまで予約を取らないし、取れないのだ。こんな不思議な店を僕が知っているのは紹介でたどりついた。だから友人は大切だと思う。一人では知らないこと、経験出来ないことも可能性が広がるからだ。内田樹の友人の平川克美という人が「小商いのすすめ」という本を書いている。彼はアーバントランスレーションという翻訳会社を内田と作り成功したビジネスマンだ。「誰も経験したことがない時代をどう生きるか」という観点から移行期的乱世の思考法として「小商い」を提唱している。内田にしても成長という「大きな物語」が終焉して文明の大きな曲がり角で今までの方法論が通用しない時代になったという認識の学者は多いだろう。左翼の大半がそうだし、僕個人もそう考える一人だ。
経済が必要以上に肥大化して、世の中の全てが「過経済化」しているという認識にある。交換という経済が物と物から、物と金に換わり、ついに金と金になったらその速度が異常に加速化して収集がつかないようになってきた。金は記号化して今度は記号と記号の交換となった。通常の人間の生活のスピードや感覚では理解できないほど過激に運動するようになった。それを「馬鹿げている」と正面から否定して自分のやリ方で受け止めるという柾さんのような仕事の仕方もある。僕のように毒を食らわば皿までという居直った仕事のしかたをする奴もいる。「行き着く所までどうせなら行ってみろや。天井でもどん底でも市場があるかぎり値だけはつくだろ?売るか買うかのどっちかだろ?幻想は単純でいいわな。」という具合だ。いろいろいて良いだろう、それが多様性というものだから。当人が好きでやっている限りは納得済みだからだ。しかし仕事が単にやらされる感が残ればそうはいかない。「押し付けられたものは仕事でなく義務である」から苦しい。その義務の反対給付が小銭だと更に空しいということになりがちだ。チャリンとも言わないし身体に悪い。(爆)
 自分が毎日生き生きと元気に暮らせるというのが幸せの基本だ。物や金がいくらあっても病気になったら意味が無い。だから食事と睡眠と娯楽をいつもまともにとれないような仕事はどこかがやはり狂っている。レビーストロースというフランスの社会学者がアマゾンの非文字民族の生態調査でわかった事は、彼らは10人程度の拡大家族で生活する。(一夫多妻であるケースが多いようだ)夫は狩りをする。妻たちは収集(果実とか植物とか虫とか)をする。それぞれ一日3時間程度だそうだ。後は食事と昼寝と工作(祭儀に使用する服装とか装飾品とか道具とか)と遊びと祈祷とセックスぐらいだ。3−4人の3時間の労働で10人の家族を食わせて再生産するが人口はほとんど増えないそうだ。農耕はしていない。したがって貯蓄はほとんどない。(薬と干し肉ぐらいはあるらしい)効率を考えると、日本の標準家族よりアマゾンの原住民のほうが数倍効率が良い。日本では夫が10時間か12時間、妻も数時間働いて下手をすれば子供もいない。親の面倒も見ないそんな低生産性の核家族が病気になるほど働いているのが現状だ。理由は「他の同僚もそうだから。」笑うしか無い発想のお粗末さだろう。資本主義的労働は一歩引いた目で見ればちっとも豊かでもなければ優れてもいないからだ。だから現在移行期的混乱がおそらく生じているのだろう。生きているうちに資本主義がどう変わるのかを見る事が出来るかどうかはわからないが、一日3時間というアマゾンの話を聞いて、僕はアマゾン並みに仕事時間を制約することが出来ないか?と考えたら相場師ぐらいしか当時は見当たらなかった。(笑)それでも最初は昔の癖で14−15時間グラフばかり書いていた時期はあったけれど、、。あれから20年近くの時間が過ぎた。毎日の仕事はほどなく2−3時間になった。仕事の時間という意味では僕の移行期はとっくに完了して久しいけれど市場は以前より更に加速している。それでも仕事のやり方に工夫すれば柾さんではないが、それなりに食えるものだ。僕は孫が3人目がそろそろ生まれる。妻は一人しかいないけれども。(泣)だから暇を見つけて市場に行って祭儀のために鯛を買ってご飯を作る。儲かれば鯛飯、儲けがないならタケノコ飯。1匹1500円の鯛を買うのに1500円のガソリン代と6000円の償却費を払うが祭儀に効率は無関係だ。祭儀とは消尽の遊戯であるから古来の伝統に則っている。どちらでもいつでも春のお祭りだ。元気な孫が生まれるように!ついでに火柱高が来ますように!(爆)だから仕事は生活の原因でも結果でもない。単なる暇つぶしなのである。鯛とタケノコのお祭りは毎年結構効き目がある。今日は特別に秘密の僕のおまじないを紹介した。
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板東英二のブログをリンクで少し読んだ。75歳らしい。なんかスキャンダルで干されたらしいが芸能のことは与り知らぬのでわからないが、彼はたしか元プロ野球選手だったはずだ。それを辞めてタレントになった。タレントはプライバシーが無い客商売だから「良い人」を演じないと勤まらないだろう。まことに窮屈で大変なご商売だと思う。その彼のブログは「病気」とか「病院」という記事がとても多い。
プロ野球選手だったぐらいだから、もともと体力は相当なものだったはずだし、それなりの訓練とか練習とか厳しいこともしたと思われる。そんなスポーツマンでも75歳になれば、身体のどこかに不調が出る。五木さんや養老さんはこれを「老、病、死」と言って、生命が終わる自然な課程と冷静に見ている。いくら有名になり社会的地位が高く裕福なお金持ちでも、程度の差はあるにしろこの「老、病、死」を免れることは無論出来ない。人間だからそれでもなんとかそれを後に延ばして若いままでいたいと自然の流れに抵抗する。運動をしたり、ダイエットをしたり、サプリを飲んだり、化粧を変えたりとまことに涙ぐましい努力をしている人も多いようだ。頭が薄くなると植毛したりカツラを被ったり、しわを取る整形をしてみたりと無駄な努力をして見た目を整えようとする。そんなCMがテレビをつけるといつもやっているように思える。わかりきった結論にどうして人間は抵抗するのだろう?多分欲望ということなのだろう。その人也の欲望。でも考えを少し変えて、事態を自然に受けいれたらどうだろう?「老、病、死」は自然な流れだから、それにそって老いて、病んで、死ぬ。抵抗しようがしまいがいずれ程度の差こそあれ全員がそうなる。良いも悪いも無い。すべてそうなるのだからどの道、嫌でも受け入れざるを得まい。別に節制をするなという意味では無論ない。したければすればよい。周囲を気にしてしたくないことまですることはないというだけの単純な話だ。
 友達に神父がいる。いわゆるエリートの優等生で、高校時代に家は仏教なのに聖書研究会に入ってクリスチャンに改宗した。都立大にストレートで入ったのに2年で辞めて上智の神学部に入り直して神父になった。いわゆる勉強が出来る進学校で一番二番の成績だった。目白のカテドラルで司祭をしていたが、クモ膜下出血で50歳の時に倒れた。酒が大好きで僕のマダムや高校の同窓生と朝までよく飲んでいた。神父は過酷な仕事だ。毎日毎日、正しく美しい言葉を吐き続ける。信徒が相談に来るが、悩み事や懺悔という「つらい話」にいつも対処するのが仕事である。ストレスの塊で休日もほとんど取れない。精神科医やセラフィストの仕事に近い部分も実際多い。葬式や結婚式の儀式も司るから繊細な神経を要求される精神的なハードワークである。あまりお金とは関係ない仕事だから憂さ晴らしに豪遊するということも出来ない。女は御法度の世界だから酒にいくしかなかったのだろうと思われる。35ぐらいの時だったか、僕が少し儲けてジャガーを買った時のことだ。マダムが好きな車だった。時々教会を抜け出して、僕の家に夕飯を食べにくる。酔った席で「いいなあ、、僕も外車に乗りたいよ。アウディーに乗りたいな。」そうポツンと言った。「乗ればいいじゃない。アウディーでもポルシェでも好きなの乗れば、遺産が入ったんだろ?」「そういうわけにはいかないの、教会は」とつまらなそうに言っていた。
 ここからは僕の想像だ。彼を見て僕が思った事だから真実かどうかはわからない。彼は自ら望んで神父になった。宗教とか思想とか彼の考える理想に従って仕事を選んだということだろう。その意味で彼は職業選択に周囲の反対を押し切って自分の意志を通したのだから、神父の生活というものを知らなかったわけではあるまい。窮屈な暮らしや規律というものが職業上の方法論となっているのが一般的な宗教者だろう。(もっとも生臭坊主がいないわけではないのだろうが)だから一旦そういう仕事を選んだら、何かを求めれば何かを諦めるというのが仕事の規律である。分業で世の中が成り立つ以上いたしかない。誰でも何かにはなれるが全てにはなれないのである。それを僕は決断の「覚悟」と呼ぶ。商人の覚悟、役人の覚悟、サラリーマンの覚悟、主婦の覚悟なんでも良い自分の選んだ道を進むための必要な犠牲(供儀と言っても良い)だ。彼が聖職者として成功し、仮にローマ法王に成れたならきっとアウディもポルシェも許されるのかもしれないが、そうでない限りカローラの生活は続くのだろう。それが嫌なら宗教者を断念して明日からリーマンでも商人でも相場師でもなんでも金になりそうな事をすれば数ヶ月か数年で運が良ければ好きな外車に乗れるだろう。だから彼に必要なことは自分と他人を比べて「いいなあ」と比較することでは解決しない現実を、自分でどう変えようとする行動の変成力の自己実現なのだ。いくら酒を飲んで愚痴を言っても行動の変成力は変わらない。いくら高尚な説教をミサでたれてもポルシェを信徒は奉納してはくれまい。したくもない仕事をする正しく美しい言葉を僕は信じない。ニーチェはだからやはり正しいなと皮肉にも思ったものだ。
 じゃあどうすれば良いんだ?簡単だと思う。自分の本当に心の欲するままに決めたら良い。過去の決定が仮に過ちだと思えば修正して自分の良いと思う現時点のベストの方法論を選択して突き進めば良い。悩んでいるほど人生は長くない。その結果が仮に経済的に思わしくない(しばしばほとんどそうなるが)結果を生んでも自分に覚悟があれば、事態が良い方向に進むまでその道で努力する根気が続くだろう。いやいや物事や仕事に取り組むほど身体や心に悪いことはない。職業経験からそう思う。金になろうが成るまいがいやいやの仕事は身体と心を破壊する。人がどう思うかではない、自分がどう望むかという点に人生の値打ちの全てはかかっている、それが近代という神を殺した時代の人間の普通の生き方のはずだ。こうなったのは全て自分が好きで選んでいるという自己意識があるのなら、人はあまり悩んだりしないだろう。先進国に住んでいる限り権力者に奴隷状態を無理やり強いられるというような事態に我々はいないのだ。つまりいつも常に自由なのだ。その自由をどうしてよいかわからないという豪勢な悩みが現代人という事だ。だから欲望の自己肯定をして法の規範の内で自分がせいいっぱい活動する、行動するということしか残念ながら我々は手段を保ち得ない、そういう覚悟があったなら、「いやいや」ということは起き得ない。従って愚痴は起きないのだ。愚痴というのは運勢を下げ、身体を壊し、心を壊す。一旦、そういう悪い運命の波に飲み込まれてしまうと手が付けられないほど落ちて行く。そうやって僕の周囲で病死、事故死、自殺した人もすでに5人以上いるのだ。 死なないまでも不幸な状態にいる人は更に多くいる。何もしなくても人は年を取れば 「老、病、死」の過程を嫌でも進む事になる。身体の老化は20代から既に始まっているのだから。だからこそあえて自分から身体と心を痛めつけるような生活をする必要はない。金のため、家族のためと言ってはみてもそれで死んだり病気になっては元も子もない。人は豊かに暮らすために生まれて来たわけではないがその豊という言葉も何も金と関係ある部分は極わずかだろう。金以外の豊かさのほうが実は大きい。一度でも猫と数年暮らしてみればそれがよくわかる。ご飯と昼寝だけの単純な欲望だが猫は飼い主の何倍も幸福そうな顔をして寝ている。一番大きいのは時間の豊かさだろう。気持ちの豊かさというのもある。いくら金があってもそれを楽しんで使う時間や気持ちが無かったら無いのと同じかそれ以下だ。仕事で金を作るには人並み以上の努力や苦労はいつの世もつきものだからだし、だからこそ作った金が惜しいのは分かるが、金は使ってなんぼの記号でしかない。その記号を使うという所作にこそ面白みや個性が出るから記号に意味が出るのだろう。日本人が成熟国家になれないのは金の作り方ばかり追いかけて、その作った金のスマートな使い方をちっとも真面目に考えたり実行したりしなかったからだろう。馬鹿だから自分で作った金を使えない。それは作る時点で何に使おうかとちゃんと考えていないからだ。だから貯蓄超過で円高デフレ不況になったのだ。経済政策なんてだから実は凄く単純なんだ。極楽とんぼになって、金がある奴は暇を作って遊べ。金のない奴は仕事を見つけてマジに働け。そうしたら金持ちも貧乏人も今よりは愚痴が減って金回りが良くなって笑顔が増える。他人同僚の事はどうでも宜しい。人と比較して自分の幸福なんてあるはずはない。みんな一人一人幸福は異なるはずだ。まず自分が、あるいは自分の身近な家族が喜ぶような生活をすればよい。まず自分が幸せになれない限り人を幸せになどできるはずがない。
 相場師は人一倍強欲である。そういう自覚が必要だ。世間の人の普通のお金では満足しないから相場を張って金のやり取りをする。政府公認の合法的な賢いヤリテの泥棒と言ってもよいだろう。汗もかかず(下手だと冷や汗をかくが、、笑)身体も動かさず、指一本で大金を稼ぐ(上手くなった人だけだが)。何度も書くが相場師は資本主義の呪われた部分なのだ。相場をするかぎりどんなに規模が小さくてもそういう部分にとらわれた商売(税務署は認めないが、、)なのだ。彼は、彼女は幻想を売り買いしている。人気という幻想の鞘取り師である。場立ちの時代からコンピューターに道具が変化しても、人気の売買という仕事の本質は変わらない。幻想は拡大し成長しやがて破裂する。いつもその繰り返しが10年ぐらいの周期で繰り返し起きる。破裂するまで買って買って、弾ける手前で売って売っての繰り返し。その単なる上手い下手の技芸の世界だ。倫理も無ければ付加価値もない。でもその強欲という部分の責任はついて回る。自分で起こした欲だから自分でどうにかするしかない。
何一つ作らない。何ひとつ生み出さない。何ひとつのサービスも出来ない。すべてが金という一つの記号に収束する欲望と恐怖の資本主義のブラックホールなのだ。だから納得ずくの馬鹿しか近寄ってはならない世界と言える。だから1枚でも建てるのならその前に自分にその覚悟があるかないかよく考えてから相場を始めないと意味が無いと思うのだ。相場の敷居が低くなって誰でも簡単にこの世界に入れるようになったから誤解している人が多いように思う。相場は修羅の世界だという自覚無しに選ぶ仕事ではない。

 タケノコの季節

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ベトナムさんのベトナム料理は怖い!」この世のものとは思えない実にアバンギャルトな革命性を持っていて、食事に対しては保守的な僕の出る幕は無い。こんなスゲーもの毎日食べていれば、大抵の事は驚かなくなるのは当然だろう。ベトナムといえばあのアメリカとの戦争で勝利した誇り高き左翼の国だ。こういう怖いご飯をするすると食うという部分が、きっと飛行機が落ちてもあいつだけは助かるという周囲の彼のイメージに繋がっていると思われる。それにしても今晩、このホビロンの夢を見ないですむことを祈りたい。(笑)ホビロンよりアオザイを来た綺麗なオネーさんの国というイメージが僕は好きですが、、。そのオネーさんもホビロンを食ってると思うと多分、ベッドでは激しいなんだろうか?なんて下品なことを考えるのね、猫は。
生活で一番大事だと常に僕の感じているのは入りと出である。つまり食や飲とセックスや排泄である。これ以上の肉体の快感は無い。だから一番重要で、その相手とは人生の質そのものを決定する。その意味で僕は実に恵まれたマダムと暮らしている。
マダムの料理を食べるたびに「こいつはなんてイイ女なんだろう!」そう感謝する自分がいる。久しぶりに月曜に一緒に買い物に行って、タケノコ、菜の花、フキ、カサゴ、黒ムツなどの和食の食材を買った。近所に(といっても車で20キロほど走るが)村の駅という農産物直売所があって、週一とか二週一とかで野菜や卵、魚、果物を買いに行く。農家の直売とか漁師の直売だけあって、新鮮で安い食材の宝庫で都会の人がお土産によく買って行く。イチゴなどもその朝取ったものしか置いていない。完熟のあき姫がこれほどぎりぎりまで引っ張って完熟収穫されたものは直売以外の売り方以外では口には入らないだろう。小ぶりの卵ほどある立派なイチゴが15粒入って700円で売っている。高野や三越の地下なら3000円とか4000円のプライスがついてるような商品だが、鮮度はこちらが抜群に良いから味も格別なのは言うまでもない。東京で俺は一体何を食っていたのか?とアホらしい気分になる。食べ物は旬のものを食べるのが一番体に良いから、特に果物はハウスはダメよと漢方医に説教されたのがなつかしい。
 黒ムツという魚は塩焼きにすると抜群の油とコクがある。こうした小ぶりの魚は市場には出回らない。大きくて商品価値の高い物は都内の高級料亭に行くが、小さなものは量も無いから流通経路に上がらないで自家消費されることが大半だろう。でもお土産屋のように定番ではなく、取れたものしか売らないという売り方ならば、こうしためったに口に入らないようなものでもお目にかかれる。10年ほど以前に山本益浩がカウンター割烹日本一で押していた早稲田の「松下」という料理屋があるのだが、黒ムツはそこで食べて以来だった。そんなに特に高級店ではない。一人飲んで食べて2万ぐらいのお店だが実に手の込んだ料理を作るのだ。ここの藁で炙りのカツオは最高だ。是非試してみてはどうか?予約してないと入れないと思うけどね。
僕は近くに寄ったらこの村の駅に行って、美味しそうなものを探して、後は料理の本で調理法を探す。和食なら麻布の「分けとく山」の野崎さんの「おいしい方程式」が便利だ。今日はたけのこご飯を炊いてみた。
米に1割ほど餅米を入れるのと油揚を使うのがコツである。コクが出るにはまず茹でたタケノコと油揚をネギの青い部分を加えて出汁、酒、醤油を加えて炊いてから出汁とタケノコを分けた後で米肌が出た時に加えるというのが美味しいコツなのだが、そういうプロの一工夫がこの本には惜しげもなく書いてある。だから誰でも何回か失敗しながらやっているうちに自然と上手になる。なんだ相場の玉操作と同じじゃないかと思うのだ。同じレシピでも鉄の鍋で炊くのと土鍋で炊くのでは味わいに無論差が出る。僕は伊賀焼きという土鍋を伊勢丹の食器売り場で買った。ご飯は全部これで炊くのだが、火加減は音と香りと湯気の出方で覚えてしまった。どれぐらいの時間がベストかというのも少しおこげができるぐらいが好ましい。それは冬と夏では温度差で変わるのだから慣れるしか無い。でも10回も20回も同じ事をすればどんな馬鹿でも上手くなる。飯炊きも玉操作も同じ事で繰り返し練習する以外に感覚的なことは学べないということだ。でもその感覚を学ぶということも、ちゃんとしたプロの書いた教科書が無いと意味が無い。でも書いているとおりにやればいろいろな料理が食卓に並ぶ。僕は京都のサバ寿司が好きで、それの真似をしてみたことがある。すし飯の炊き方というのもコツがあるのだ。みんな野崎サンはこの本に書いている。サバの表面の薄皮をムクのが結構難しいのだなあと思った。細い小骨を毛抜きで抜いておかないと口当たりが悪いから手間がかかる。砂糖や塩の使い方の基礎が書いてあり、最初に砂糖を使わないと後では砂糖は吸収しにくいそうだから、調味料の投入順序というものがあるのだが、これは化学の問題なんだなと思った。料理の世界は実に面白いと思う。こんなことをしていると半日ぐらいはすぐにたつから暇が潰れて良いのだ。
 ハルトモさんがボッシュの相場のことを書いていた。なんだこの人はうねり取りをやってるだけなんだが多分自覚がないのだろう。僕やベトナムさんがやっているうねり取りの繰り返し売買というプロの売買法を買いの片張り部分を実は自覚無しにやっているのだが、そんな本を読んだことがないだけで、やっていることは玉操作という意味では全く同じだから勝てるのだろう。教わらないでもそういう方法を自分で見つけて出来るのだから随分頭の良い人なのは間違いない。ある意味、値ごろ感の天才的なコツを持っているのだろう。本人いわく無敗の投資家だから、なんぴん買い下がりで引かされても、ここは下がっちゃオシメエよと我慢が出来るんだろう。そこは他のギャンブルで苦労したことが身になっていると思われる。安く買って高く売る。あるいは高く売って安値で買い戻す。単に商売の基本に忠実なだけである。大事なのはいつどんなタイミングでどれだけの量をどれぐらいのタイミングで分割売買するかということだけの事だ。相場を技術論としてグラフや場帳で見ているかどうかの差なのだが、それが波に合っているかどうかということだ。多分、ボッシュの売買で買い始めが早すぎたという反省が多分あるんだろう。彼が仮に試し玉を使えれば−1と建てて10%押したら1−と落として1万の損だ。(100円が買い始めとして)それを2週とか1月置きに数回やれば3回やっても損は3万だ。70円から下が無いのならそこから100枚買えば700万だ。それが200円になれば2000万で1300万の利食いになる。3万の損と1300万の利食いなら無敗になんか拘るよりも3万負けておいたほうが賢いだろうと僕なら思うが、まあ好きにしたらよい。要は安値で買う感覚と高値で売る感覚ということなのだが、これは慣れと練習で上達するものであるというのが我々うねり取りのプロ相場師の立場なのである。
2−2の売買をどう外すかという練習の意味さえわかっていないひどい質問があったが、テキストの意味が理解できないというのはこいつは日本語が読めないのか僕の説明が悪いのか?と不安になる。僕の説明はくどいほど丁寧だと思うが、なんでだろう?それでも質問なんかするな。繰り返し同じ事を無限にやればどんなアホでもそのうち身体でわかるから。うねりの波に乗るという感覚は乗ってみて初めてわかうことだ。食ったことのないホビロンを味は勇気を持って食う事からしかわからないのと同じ事。でも出来れば猫はご遠慮したい気がする。(笑)

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