秋の黄葉が舞う中で、彼が権力のすべてを把握し、その主になる事は決してないと悟ったのだ。裏面からしか生を知りえないという運命にあることを、また、現実という迷妄のゴブラン織りの縫い目の謎を解いたり、緯糸を整えたり、経糸の節をほぐしたりする運命にあることを悟ったのだ。もっとも彼は、もう手遅れだというときになっても、彼にとって生きる事が可能な唯一の生は見せかけの生、彼がいるところとは反対の、こちら側からわれわれが見ている生だとは考えもしなかった。われわれ貧しい者たちの住んでいるこちら側では、果てしなく長い不幸な歳月や、捉えがたい幸福の瞬間が枯れ葉のように舞っていた。そこでは愛は死の兆しによって穢されていた。しかし、愛は確かにあった。そしてそこでは、閣下自身は、列車の窓の汚れたカーテン越しに見ることの出来る、悲しげな目をした曖昧な幻でしかなかった。もの言わぬ唇のおののきでしかなかった。誰のものともわからぬ手にはめられた手袋を振る、一瞬の挨拶でしかなかった。われわれもまた、あてどなくさまようこの老人がいったい何者なのか、どうしてそうなったのか、見当をつけかねていた。妄想の産物でしかないのではないかと思ったりしたが、しかし確信はなかった。結局、喜劇的な専制君主は、どちらの側がこの生の裏であり、表であるか、ついに知る事がなかったのだ。われわれが決して満たされることのない情熱で愛した生を、閣下は想像してみることさえしなかった。われわれは充分に心得ていることだけれど、生はつかの間の苦しいものだが、ほかに生はないということを知るのが恐ろしかったからだ。われわれは自分が何者であるかを心得ていたが、彼はくたばり損ないの老いぼれたヘルニアの甘い声に騙されて、ついにそれを知ることがなかった。知らぬままに、秋も終わりの冷たく凍てた枯葉の陰気な音を聞きながら、忘却という真実が支配する常闇の国へと旅だっていった。恐怖のあまり死神の糸のほつれた衣の裾にしがみつきながらである。彼が死んだという喜ばしいニュースを伝え聞いて表に飛びだし、喜びの歌を祝う音楽や、賑やかな爆竹の音などが、永遠と呼ばれる無窮の時間がやっと終わったという吉報を世界中に告げたが、それも聞かずにである。
ガブリエル ガルシア マルケス 「族長の秋」 鼓 直 訳
10年ほど前のことだったろうか、渋谷文化村にある映画館でガルシアマルケスの「コレラの時代の愛」を見た記憶が蘇る。ある美女とのデートだった。その美女が冷房の効きすぎた館内で夏にしては珍しいプラチナカラーのペシュミナのハイゲージニットを膝にかけていたのを何故か僕は覚えている。マルケスのテキストは万葉集に似て音読するためのテキストであり、響き渡る韻の宝庫だからそれが邦訳されていても原文のもつ幻想性は損なわれることが少ない散文詩と呼んでいい響きが魂を振動させる。権力の一番遠い所から一番近い所に、300年を生きる怪物のような権力と栄光をマルケスは愛を経糸に綴る。カフカが、プルーストが、ジョイスが、フォークナーが、マルケスの世界にはずっとどこかで生きているのだろう。
2004年の「わが悲しき娼婦たちの思い出」を最後に新たな作品は書かなかったのだろうか?未公開原稿があれば良いのにと思うけれど、最後は認知症が出たというから期待するのは無理かもしれない。大江にしろ池沢にしろマルケスが与えた影響は圧倒的と言って良い。彼の語り部としての神話的世界は文学そのものを変えたと言えるのだろう。
「安らかに眠れ」そう祈りながら、葬送のために今日は一人で伊豆屋の天丼を食べに沼津港まで走った。コルトレーンのトランペットを聴きながら、、。
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