ここから本文です
猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

書庫日記

記事検索
検索

残りの時間を大切に

イメージ 1
熱海の景気は良いのかな?マダムをお迎えに8時に熱海駅に行ったけれど駅のパーキングは満車で駐車できないほどだった。しかたがないので有名旅館「ふふ」の送迎のレクサス600の後にハザードをつうけたまま駐車して待つ。旅館ホテル専用駐車ブースを一番良い場所に作るというJRと熱海市のセンスは資本主義的な排他性に満ちている。まあヤクザ止めだが誰も寄ってこないからデカいメルセデスはこういう時は誤解されて便利ね。7時45分着の沼津行きからは、随分たくさん人が降りる。「ふふ」の客も乗っていた。こんなに遅いと食事は多分なしだろうなあ?土曜日だから会社を終えてから多分来た人だろう。そういう平日は東京で働いて、週末を熱海で過ごすという別荘族週末旅行族はかなり多いということだろう。夫婦の片方が別荘に住んでいて、旦那さんか奥様が東京でお仕事で週末に来るという変則別居みたいなケースも僕を含めてきっと増えているのだろうと思われる。待っている車の性別は男女半々ぐらいだと思う。ライフスタイルは父母の時代と様変わりである。大抵女性が偉くなったケースが多いと思われる。男が振り回される平和な時代。ライフスタイルの多様化と言えばそれまでのことだが、人それぞれ都合というものがあるから、別にパートナーとどうしても24時間一緒にいる必要も無いし、無理をしてもお互いに良い事は無いし、それぞれ自分の事がなんとか出来るのならば別に暮らすというものそんなに悪い事でもないんじゃないかな?と体験したら誰でもわかるのだが、踏み出す人は多くはないのかもしれない。無理を続けて定年前後に奥様が切れて、定年離婚しましたというブログをいくつも読んで感じたのは、相手に合わせるのにもう限界という悲鳴が離婚理由であったから、そんなに苦しいことをしていれば、相手だってわかるからお互い苦しいんじゃないのかなと思われる。DVとか危険があるのなら躊躇無くとりあえず離れたほうが安全だ。日本で起きる殺人事件の半数以上が親族殺人(夫婦と親子)なのは、日本の家が狭いせいと関係が深い。大きな家なら逃げ場があるがウサギ小屋では逃げる場所さえないからだ。目に入る範囲内にいなければ感情が高ぶる事は少ないはずで、意識の外に置けば怒りなどすぐに収まってしまう継続性の薄い感情である。相手との距離感を間違うと、とんでもない事が起きてしまうという不幸を甘く見ない方がよいだろう。近い人ほど注意が必要である。それは逃げる場所がほとんどない場合に起きやすいからである。
 今夜は料理を作った。メインは大村という肉屋で買っておいた愛鷹牛のカルビの焼き肉。野菜を5種(アスパラ、しいたけ、もやし、人参、ネギ)を焼いて付け合わせ。小さな一人用の鉄板で焼いて供する。サラダ2種(ローストチキンとレタスのバルサミコソース、自家製ポテトサラダ)それにわかめスープとご飯である。お酒は昨日コストコのセールで1400円で買ったシャブリ。こういうご飯を30分ぐらいでチャチャット用意して、僕はお風呂を沸かしてマダムをメルセデスでお出迎えしている。マジ民宿か旅館の親父のようだが、相場師の毎日なんてこんな他愛ない地味なものである。これで金を妻が払えばヒモそのものだから、冗談の効く相手には「職業は花屋のヒモです。」と言うことにしている。マダムはいつもご機嫌で大きなお花を抱えて改札を抜けてくる。身長が172センチもある大女だしベレー帽と長いダナキャランの黒コートというマトリクスみたいな魔女だから直ぐにわかるのだ。ああ来たなと思うと荷物を持ってドアを開ける、トランクに荷物を入れて、25分で山の家に着く。毎週こんなことの繰り返しを年間50回ほどするわけだ。べつに軽でもプリウスでも同じ事だが、大きなメルセデスクーペで迎えられる女というストーリーが嬉しいなら、それにコストをかけるのが僕也のサービスというものだろう。「ふふ」は一室20万の宿だがレクサスならおそらくこちらは更に高級そうに見える。ここが下らないがハッキリとした差異化ということで手を抜くと意味が無い。レスサスとメルセデスの価格の差とはエスコートされる女の満足の差であると言えるだろう。分かるか分からんかは僕にもよくわからんが、安全な方を選ぶのは相場師の習性と言えるのかもしれない。金でかたがつく事ならしておけという事だ。みんながそんなふうに選択するように変われば、日本人の中高年の消費もスタイルも変化する。我々が変われば当然若い世代も影響を受けるだろう。そうやって世代は交代しながらきっと今まで豊かになって来たのだろうと思われる。だから自分で稼いだ金は自分自身で使い切るという当然の所得消費構造を作っていかないと豊かなスタイルはいつまでたっても群れとしては定着実現しないように思われる。現在、この付近でメルセデスのSクラスで送迎する旅館はただ1軒しかない。箱根の「強羅花壇」である。あの佐藤和三郎が宮家から買った皇室の別荘だ。小説「大番」の主人公牛ちゃんのモデルとなった買い将軍である。一方の売り将軍は山崎種二。山種も熱海の山を買って別荘地を分譲した。温泉地はだから相場師のお気に入りのリゾートだったというのは昔からの伝統だ。是銀も熱海のマンションに住んでいたし。熱海や箱根は大企業の保養所が実に多い。かなり古い大きな物件が常にリストラの一環で売り出される。買い手があまりつかないから、不動産は実に安い。ただし団体用に作ってあるものが大半だから、金持ちの個人が使うには用途性がミスマッチしているから売れないのだろう。敷地3000坪建物300坪の古い保養所が4000万ぐらいであるが、そんな馬鹿広い場所があっても掃除が大変なだけで個人は欲しいとは思わない。一人で住んだらお化けが出そうだし、、(笑)引退族が大半であるから余命がそんなに長いとも思えないから、コンパクトで安全な物が売れる。バリヤフリー、買い物至便、病院近く、坂が少ない、見晴らしよい、ペット可、駐車場有りぐらいが人気である。100平米ぐらいで2000−3000万というところか?都内の1/5ぐらいの中古が売れる。年間で800以上は回転するというから人がかなり入れ変わるのがわかるだろう。普通の田舎だとこんな風には動かない。やはりリゾートという特殊性のある世界なのだと思われる。
 日本人は我慢強く真面目に働く清潔好きな大人しい立派な国民性だ。よく働いたら残りの時間はなるべく楽しく豊かに暮らそう。出来るだけ笑って満足して死のう。お金はあの世には持って行けません。そのほうがお得な気がする。

疑いと確信のはざま

イメージ 1
さぼっていた折れ線グラフの更新をした。大抵まとめて1週間ずつ書くのだが、月足の更新後に疲れていたので今日まで書かなかった。それで2.27から3.7までの7日間の更新をする。9割以上が3.3が目先の底で切り返すというグラフであり、12.30の大納会高値から8週で底入れ完了反発のわかりやすい基本通りのサイクルだ。その前の上げは大納会まで16週のものが多いから(8306などを見ればわかると思う)上げの周期は下落の2倍のタームである。この日柄の比率は基本通りの2対1で上げ相場継続の日柄確認となった。上げ相場とは上げの時間と幅が押しのそれより長く大きなことを指す。そうなるかどうかは自分で道具を整備しないと確信できない。今後サイクルに特段の変化がないかぎり(無いという意味じゃないよ、実に変化はよく起きるからね)16週後に向けて新高値に進まないと上げ相場でなないという事になる。来年のことを言うと鬼が笑うから、3月後のことを言うと猫が笑うぐらいにしておくか?その笑う猫の感じとしては、なんか上げに懐疑的な人が多いような雰囲気である。つまり格言通り「強気相場は心配の壁をよじ登る」という状態であるから、心配するひとが多ければ多いほど「よじ登る」という状態は長引くだろう。投資家がいくら悪い頭で考えても、テーパリングもウクライナも為替も雇用統計もその悪い頭ではどうせ現実を1センチでも変えることは出来っこないのだから、考えるだけ無駄である。効果のない事はしないに限るのだが、脳という臓器は直ぐに裏切ってそういうことに気を回し始める。だから脳が裏切るという事を知っている少し頭の良い奴らは、そんなことは見ない、聞かない、知らないで済ましてしまうのだ。自分の努力で物事が何一つ変えられないそういう世界で相場を張っているという自覚があるのなら、相場がどう動いてきたかだけを真剣に見る以外に行動の答えのヒントはないと考える。アマチュアとプロの差なんてそんなわずかな現実の受け入れたかたの差でしかないのだが、なにか特別な魔法でもあるかのように勘違いの方法論を探そうとする。そしてこの板に変な質問をする。(爆)ちがうかな?俺はプーチンでもイエレンでもないのだから起きうる現実に事態をどうしようもないのは当たり前だろ?起きた現実を誰しもが「はいそうですか」と受け入れる以外にはないのである。だから受け入れれば宜しい。受け入れるという事はどういう事かという具体的なことは毎度くどいが「値動きを見る」という以外にはないのだし、その値動きに対して酒田の相場師なら「逆行の新値を分割で建てて泳いで利食いに持ち込む」という動作をすることで「おまんま」を食うという以外に身の処し方は無い。それが仕事という意識が強いかどうか、その動作の強度と速度と質の差、これこそ大いなる差であると思われる。ただそれだけのあっさりした現実があるだけのシンプルな世界が相場なのである。だから自分の出来もしないことをすれば曲がるだけであるから、突っ込みだけをポツンと買ってあとは放置すればよい。
 結論から言えば、誰しもグラフをみて分かる事は昨年の前半に大きく上げに転換して稼いだ値幅の半値か2/3か1/3か別として「調整」を入れている局面であり、個別の動きは月足を大量に書けば馬鹿でもわかる単純な値動きに過ぎない。黄金分割比を少しでも学んだことの有る者ならば、強度に応じてその比が個別に異なるというだけの事であり、大きく上がれば押しもそれなりに深く長いだけのことで、現実がそうなっているのかどうかを場帳とグラフで確認するだけのことである。2年半以上の期間折れ線を書くのが最低のタームであるという経験則は、すなはち相場の値動きのサイクルは通常は下げで2年程度で保合いに入ることが多いからで、上げにしても大きく上げた後は調整して3ヶ月の整数倍の保合いをつくる場合が多いからである。それにはサイクルの全体像の片側を見るだけでも最低は30ヶ月程度の長さが必要であるという事である。教科書の行動の理由を探しても答えは見つからないし、そうしてアマチュアがなんとかそれで飯を食えるレベルの稼ぎになる手前で抱く疑問は、次第に経験則により修練して自分がくだらん疑問を持っていたものだと自覚できる時がそのうちやってくるのだが、その時間がくる人の比率的があまりに少ないために、多くのアマチュアは一生そういう時間を迎えることなく退場していくのが現実なのだ。
相場で資産をなんとか作れる人は1/20とも1/50とも言われるが、その1になるためにすることは実にシンプルである。上げ相場は買いで取り、下げ相場は売りで取る。そういう単純な動作の質を極めろというしかないのである。

踏みの急所か?

イメージ 1
12     1263     1302      1222     1302       o        80
1       1297     1308       1211    1220       x                             97
2        1212     1234      1139     1211      x                             95
3        1197      1231      1179     1228     o    3/6まで            52


上記は今日現座のtopix の月足の推移である。12月の目先天井から2本陰線が出て切り返しつつあるのがわかる。数値だとピント来ない人はローソクを書いたらわかりやすい。2月は1円だから厳密には陰線だが決まり事では星という。(わからん人は定本を読んでね)
3月は今日までで1228だが、仮に2月高値1234を超えると抱き線が完成する。抱き線というのは直前の揉みを進行方向に離れる前兆(陽なら上、陰なら下)という酒田の線組であるから、同様の線が自分でたくさん書いている他のグラフを見て、どこに出てその後はどう動いたかを調べてみるようなことをたまにはしてみると良い。線組というのは経験則の集積である。つまり長い間の経験的な確率の高いパターン認識とでも言おうか。必ずしもそうなるとは言えないが(相場なんで絶対がないのは当然である)かなりなりそうな、、ぐらいの状況を示すと考えるほうが良いだろう。丁半よりは少し歩があるという感じぐらいかな。でも無いよりはあったほうがやりすいのは言うまでもない。抱き線が出た、あるいは出そうというのは揉み場を離れるということだから、ポジションの修正が一気に起きやすいのは当然である。だらだら下げてコツんと来て揉みに入る。ちっとも元気よくは戻らない、新値5本ぐらいで頭打ちでまた3本押す。それから上か下かわからないが、底値からすこし上でもたもたしている時に2月の足のような月足になることが多い。そういうもたつきを何か材料が出て、今回は売り方が2度攻めてみて(2/4 ,3/3)失敗した。それで売った玉がヤバいので買い戻したら売り玉が薄いので跳ねたというのが今日ぐらいの相場なんだろうと思われる。すると気迷いから参加者が手ぞろいで買い始める、売り玉は急いで踏むということが起きると一気に上に離れて長い陽線を形成するといわゆる抱きの陽線となり、持ち合いが上げのトレンドに変化するのである。1234を抜くと昨年来高値1308まではわずかに70円程度しか無い。一気に走れば新高値ということにも成りかねないぐらいの距離しか無いわけである。(成るか成らんかは誰にもわからんよ、当然)仮に抜けば短期で調整完了確認で、次の上値のメドを目指して3ヶ月の整数倍の上げ相場ということになりやすい。すると1308から1139までの下落値幅169なら倍返し、338なら3倍返しの相場となり、それぞれ1476,1645が目先の上値メドして買い方は攻める,とまあそんなグラフをぼんやり見ながら相場を張っているやつもいるわけだ。テクニカルとはそういう値動きだけで相場を張る人たちを言う。高下の理由はどうせ全部あとづけだからどうでも良いというタイプで酒田はそういう人の建玉法だという自覚が必要である。ウクライナもテーパリングも雇用統計も為替も関係ないのである。値動きだけしか見てないの。材料を見ると追っかけになって下手がウツルのでいやがるのねプロは。またまたクドい説明でいやになるが、月足を毎月更新するときに、そうした急所の線組になってるのかどうか?なりそうかどうか?(最初はきっと急所がどこかはわからないが、1000枚も書けばアホでも自ずと自然にわかってくるものだ)意識して書くのが宜しいかと思われる。書いても最初はわからないの。俺はどこ見てるんだろうと嫌になっても続けてるとそのうち「あ、そうか」に大抵はなる思うなあ。ならん人は才能ないから相場はやめたほうが良いですよ。お金が無くなるからね、確実に。これはもう100%スカンピンデス、保証します。(笑)

 上記はネコのきわめて個人的な考えかた見方であるからそうなるかどうかは無論5割の確率を決して超えないという前提でグラフを見てみよ。数を書く事でしか残らない変化の身体的な強度とはクドい説明だとそういう言葉の意味である。猫ってけっこうべらんめえ口調でインテリくさい説明するでしょ?(笑)エリオット波動も基本は一緒ね。あちらはコンソメ、こちらは昆布とカツオぐらいの味付けの差だと思うけどね。
イメージ 1
格差社会という言葉が普通に使用されるようになった。つまり多くの人たちがその現実を嫌々でも受け入れることに同意したからそういう言葉が定着したのだろうと思う。このままこの調子で市場化がどんどん進むと所得や資産を筆頭に様々な格差が広がることは容易に想像できる。すると格差が定着して世代を超えて続くと今度は階級社会という現実が絵になる。そういう流れに反発してこれを壊そうという勢力が現在は見当たらない。共産党はイデオロギーではそれに近いが暴力革命に打って出るような気配もないし力があるとも思えない。政治に期待できそうもないとすれば、あとは草の根に新たな団結の力の結集を期待するしかないのだろうが、原発一つ民意とは裏腹に潰せない状態だと、しばらくはお先真っ暗という状態が続きそうな気配だ。割り切って俺だけよければ構わない、そう考える強欲な奴が確かに相場師の本性だからしかたがないが、ひどく不幸な人を見ると本人に責任があるならしかたないと思うが、その子供や孫には大きな責任があるとは思えないから、彼ら新しい世代が、せめてひねたり曲がったりしない社会が好ましいと思うが、勉強だけしてるような偏差値で将来を決めるような病的な選別や競争で好ましい社会や未来が作れるとはどう考えても思えない。機械文明が発達しすぎて、もはや物資(マテリアル=財)は過剰生産され続ける。アイコンとしてのマネーと信用も過剰に供給され続ける。たた配分だけが恣意的に格差を助長する方向に傾く。技術的な進化によって、生産性は飛躍的に上昇した。そのおかげで生産1単位あたりの投入労働と投入資本、投入時間は劇的に減少した。その効率の成果を受容する配分に格差の原因があるのは明らかでも、それを法でも倫理でも解消できないのは何故だろう?過剰な生産性の向上は、結果として資本の余剰、貯蓄の余剰、労働の余剰(失業の拡大)を今も拡大再生産中だ。不足するのは有効需要である。それが人口増加にもかかわらず不足する。人口が爆発する国には、需要があっても購買力が無い。先進国でも需要のある世帯は購買力が弱い。貯蓄や購買力がある世帯には大きな需要は満たされてほとんど買い替え需要しか起こらない。所得の少ない世帯の賃金上昇率を、所得の高い世帯の所得上昇率よりも恣意的に高めるということをしないと格差は縮まらない。累進課税はその一つの手段だが官僚のコストに吸収されて貧乏人に金は届かない。官僚を半分ぐらい殺してそのコストを貧乏人に配分すると総需要は上がるだろうが、殺された官僚も貧乏人になるからさらに税収の必要が生まれる。つまり経済ではいくらやっても結局平和的な解決法はないというのが結論か?
 欲望を起動することによって資本主義が駆動するとすれば、欲望を規制することは技術的に可能だろうか?欲望が抑制されれば「もっと欲しい」と思わなくなれば、人は働かなくなるだろうか?老人になるとそういう事が確かに起きると思う。不足するものが無いせいもあろうが物が欲しいとは近頃あまり思わない。それは物の所有による満足という体験に嫌気が差しているという事だろう。不便をすればもう少し改善したいと具体的に思うだろうが、常に腹一杯の状態の満足感はある意味で不幸な状態である。「欲しい物が欲しい」という糸井のコピーが実現した状態は幸せだろうか?働く事に意欲が湧かないし、もともと働きたくないのだからする事が何も無い。それで困らないといえば困らないが、困らないだけの時間は手に余る。あと10年ほどは面白いことをするためにはなんとか生き延びたいと思っても、体と気持ちがもういいやと思えば人間は死んだも同然になるだろう。
 話は変わるが、景気循環の4つのサイクル=コンドラチェフ、クズネツク、ジュグラー、キチンは2000年ぐらいをボトムにして4つの波動が上昇方向に合致しているまさにゴールデンサイクルを現在形成している。おそらくサイクルに特別の異変が生じない限り、このサイクルの3つあるいは2つは2023年までずっと上昇を続ける。株価はそれに先行して上昇すると僕自信は考えているし事実日本は少し遅れ気味ではあるが欧米に追随して昨年から明白に上昇基調に転換した。したがって下落と底練りが長かった分だけ追随する上昇の期間は短縮されその角度が急になるのは自然な動きだと認識している。つまりジェットコースター的に上げて暴落するという絵になりやすいという時間軸の短縮効果が発現されやすい環境に現時点の日本市場はあると考えられる。この20年弱で日本のULC(単位労働コスト)は劇的に低下した。その結果に生じたものは企業価値の劇的な上昇であるが投資家の大半はそれに気がついていない。あるいは気がついていても行動を起こしていない。つまり眺めているだけでは儲からない。金が無いのか勇気がないのかは知る由もないが。僕はファンダメンタリストではないけれど財務諸表や分析ぐらいは理解している。国際比較でPBRが1以下、多くの低位株は0.4などという国は日本以外にはどこにも無い。長く売られた状態がずっと続くとそれがあたかも当たり前になるけれど、そういう前提がデフレの収束とインフレへの転換によって劇的に変わろうとしている状況を昨年の相場が予兆していると思われる。株価のピークが仮に景気のピークに数年先行するとしてもまだ7−8年は上昇の時間軸にあると考えるのがサイクル論からすれば当然だろう。そうした長期の上昇は、直近では1983年から1990年までの7年間であり、いわゆるバブル相場と言われた時期と一致する。歴史は繰り返すというが、株価の動きは先祖帰りの繰り返しであり、それは人間が過去から何一つ学ばないという証拠であるから、今回もおそらく何も学ばないということが再現されるだろう。買いの主体は当初は外国人であり、次第に国内年金資金、金融機関、個人という参加者の増加を伴って頂点に達する。昨年は上昇したにもかかわらず個人は大きく株式を売りこしている。国内勢のシェア低下によって皮肉にもボラが上昇するという状態が今起きているのだが、国内勢の買い越し基調が定着するまでこうしたハイボラ状態は続くだろう。相場は未だ底練りをなんとか脱した状態でしかないから、次は一段上げの後半部分であり、指数で言えばおそらくTOPIX1800−2000程度ということになるだろう。昨年僕は166円買いの東京ドームを717円で売った。短期で4倍以上に資金は化けたのである。これからも低位株ほど大きな上昇率になるだろう。現在120円のアプラスは3年程度で1000円をやがて超える相場になると見ている。無制限の緩和をすることで余った金は土地と株に行きつく以外に合理的な居場所は無いのだ。バブルとは理屈が通らない相場の事であり、そうした熱狂を経ない限り大きな相場は天井しない。日本人は常に「みんなで渡れば怖くない」という不思議な欲望と恐怖の親和性に訓知されている。国民性が10年や20年で変わらないのは当然だから島国根性は数世紀たっても江戸時代のままである。だからこそ酒田罫線の建玉法が生きてくる。(笑)そのみんなとは今年のベアが2000円(冗談か?)を出す出さないというトヨタの正社員の懐具合のことである。僕の孫の小遣いよりも少ない父ちゃんのベアってマジかよと言いたいが、、。
 僕の乗るメルセデス550CLという車は「格差社会の勝ち組」というおめでたいコピーが目に入って衝動買いをした。そう今時はみんながでかいメルセデス見るとそう思うのね。くだらない浪費であることは無論承知の上で2台乗っている。こうしたくだらん消費以外に格差をわずかでも緩和する手段を僕たちは持ち合わせていないのである。「勝ち組ではなくてネコ組です」と実は僕は言いたい!財の移転以外に方法は浪費しか無い。それをするかしないかが需要の裾野を広げて天井までの時間と幅を延長することが可能だと思うからだ。だからみんなも勝ったら少しは金を使ってね。別にトヨタのプリウスでも日産のスカイラインでもいいからさ。そうやってみんなが金を使って景気が良くなって高い時計や車が売れて、耐震性の住宅を建てて銀座に人が戻ったら相場はやがてそのうち天井するでしょ?そこからが面白いゲームの始まりなの。山高ければ谷深しで大暴落が待っている。必ずそれはやってくる。人間が相場をやる限り避ける事はできません。それまでなんとかかんとか生きていたいなあと思います。その時どれぐらい売り玉があるかで相場師の値打ちは決まるなあと思います。それまではつまんないけど逆行の新値をポツンと拾い吹いたら落とすの慣れた動作の繰り返し。慣れて慣れて慣れきっていやになるほど繰り返してそれでも本気でドテンをしてはいけません。ドテンの前に最低1年お休みをすること。林さんの相場師人生の真価はこの1年のお休みにすべてがありました。相場師としてのすべての値打ちはこの1年のお休みだけだと言ってよいと思います。師がいるということはだから幸せなことですね。それが勝手弟子だとしてもです。
イメージ 1
外は雨が降っている。山頂のフラットは下界と比較して雲に近いかその中にある。雲の中にいると音が消えたような不思議な静寂に包まれる。こういう日はただでさえ眠たい。9時間寝て10時に起きてすぐに風呂に入ってコーヒーを飲んでマッサージチェアに30分ほど座るともう12時を過ぎる。少し軽めのブランチを取るとまたすぐに眠たくなる。床暖房で背中が暖かいと人間はすぐにウツラウツラし始める。JBLのスピーカーから知らないピアノが流れて、有線放送というのは買わない曲が流れるのがよいなあと思っているとうたた寝してしまう。猫も朝、目覚ましのようにベッドにやって来て足を齧る。ご飯がない!そういう毎度のリクエストである。彼は8時前に足を齧る事は無いのだが9時、10時と僕が朝寝をするとしつこく齧り始める。仕方ないから猫飯を作ると、一口二口食べて、すぐに寝てしまう。大抵昼間は8割ぐらい寝ている。こういう猫の暮らしは実に上等だと思って、「俺も猫みたいなグータラな生活がしたい」と思ったのは25歳ぐらいの頃だった。勤め人をしていると会社に行きたくない日というのがどうしても出てくる。今日みたいに春の雨の日とか前夜のデートで疲れた朝とか身体を動かす気がしない日というのは人間なら誰でもあると思う。そういう時に言い訳を考えるのは面倒だし、言い訳しないとなにか出来ないような自分がすごく嫌だったという事もあるんだろう、それからどうやったら猫のようにグータラして生きられるかなと考えるようになった。勤勉な性格ではないから結果が全てだという変な割り切りが強い。物事は結果で決まるから、結果を出せばその結果に応じた暮らしになるのは当然だと考えるようなタイプである。だから結果と暮らしが伴わないような生活は本意に反するから排除する。願わくば結果の美味しい部分さえあればプロセスを問わないでも気にならない。といっても別に違法行為をするという意味ではない。電車に乗って、鞄を持ってスーツを着て靴を履いて会社に行って、会議をして事務をして報告をして残業をして疲れて家に帰る。大半の勤め人はこんな暮らしが当たり前のように永遠に続く。「それで良いのか?」と考えると「良い訳が無い」と若い頃の僕が感じたように同じく感じる人も多分少なくないだろう。ここまでは誰だって大差なんてない。その後にどうしたかで結果は必ず変わってくる。良きにつけ悪しきにつけ、変化する事を好む人と恐れる人。
資本主義は勤労と貯蓄を祝詞のように教えるし、そうした行為をラットレースのように強制し包含するから「嫌だ」と言えば群れから外されるという仕組みに出来ている。だから「良い訳がない」と感じつつも、なんとか自分の素直な気持ちを殺して「これが良いんだ」と無理矢理納得させて同じ事を繰り返す。周囲もそれを期待するからそう容易には排除出来ない。救いは無いが、みんなもそうだからしかたがない、そう思う事でなんとかそれについていく。タフな人はそれが30年も40年も続いて晴れて定年退職までそれを続けるという奇跡のような生き方をするが、最近の若者は昔の僕程度の普通の忍耐力に戻ったせいか、大卒の1/3は3年以内に会社をやめるそうだ。それでも2/3はしばらくは続けるのだから、やはりこの国の人たちは実に真面目だなと思われる。僕は最初に入った会社で30歳まで働いた。仕事を覚えるのと部下を育てるのに7年かかった。
 この人たちはなぜこのように懸命に働くのか?多分豊かな暮らしをするためではないか?公約数の答えは何だろう?豊かとはどういうことか?金か?暇か?物か?人か?おそらくその全てか?忙しいとそんな事も考えるのが億劫になるほどで、あと10分だけ寝かせて欲しいと朝ベッドで思うようになるのはあっという間である。そうやって組織で働くと自分也のペースで自分の結果に応じて自分のやり方でという我がままが効かなくなる。たくさん部下でも出来ればなおさらだ。責任という自意識に監視される仕事は緊張の連続だ。身体は不調を訴え、気持ちは重く、結果は思うようには伸びない。その繰り返しを耐えるのが仕事のようになってくる。毎月25日に繰り込まれる金を眺めてため息をつく。「俺の人生、これでいいのか?」良いわけない!
「猫のようなグータラな生活がしたい。」そう本気で思った時に、相場師になったらそんな暮らしが出来るかなと思った。相場師は上手ければ金になるからグータラな生活が可能なはずだ。別に大金は要らないから生活出来れば良い。少しだけ人より多ければ、マダムに贅沢をさせられるからグータラの言い訳料にはなるも、、そして僕は相場師になった。他に仕事が無いのだから、職業欄に相場師と書くしか無いのだが、税務署の職業区分にはそういう職業はない。非社会的勢力?社会的に認知されていないのである。だから昔やっていた会社、今でも多少の売り上げがある会社の名前を書いて、代表者ということにしておく。まあどうでもいいや名前なんて。晴れて相場師になったら「猫のようなグータラな暮らし」が出来るようになるのに数年かかった。最初は資料作りと忙しい売買でちっともグータラ出来なかった。これでは相場師になった意味が無いじゃん。リズムを取るのをやめた。うねりをとるのも面倒になった。本を読んだ。哲学の本だ。相場の本はあまり読まない。
「差異と反復」一度や二度読んだぐらいでは理解出来ないばかりかかすりもしない。テキストが空を飛んで行く。場帳を書く。何度も何度も書く。グラフを書く。同じ銘柄の月足グラフを20年分3回書いてみる。同じ銘柄の折れ線グラフを3年分3回書いてみる。「反復と差異」頭にこの言葉だけを残して、毎日ひたすら同じ事をしてみる。
人間の行動の時間割は、集団生活が組織的に安定的に進行するように自然に出来上がっている。年間のスケジュールが大体決まっている。毎月の進行がほぼ予測出来る。それは計画と達成を繰り返しながら進んで行く。グラフを何度も書いていると、人間の通常の仕事の時間と価格変動の時間とはサイクルもパターンも全く異なることにある日気がついた。相場の波は大きくて長い。人間の時間のように小さなタームでは動かない。そうなんだ、でも反復するという意味では波も人間の時間もサイクルが大きく異なる以外は似ている。上げて天井して下がって戻ってまた押して、底で長い間じっと動かない時間が続いて、突如上げ始める。そのどこをどう取りたいのか?それにはこちらはどう動いたらよいのか。
 「動きすぎてはいけない。繋がりすぎてもいけない。」切断することが重要だ。切断するとはどういうことだ。玉を丸にすることだ。あるいは強気も弱気もなくす事だ。生活も時間も欲望も無限大か無化することだ。またリズムの練習を再開した。上限10枚、最多で4分割。 −1 −1 −2 −3 −3 途中で売りも入れる。 −1 1− −1 −2 1− −3 5− アレンジメントは無限にあるのがわかるようになるには時間はかからない。玉が少し綺麗に動くようになる。ゆっくりと動くようになる。そしてしばらくすると動くのも面倒になった。(笑) 
 92  −5
 90  −5
 123  10−
 117 −1 ああこんなんで良いかなと今は思う。
友だち
白猫次郎
白猫次郎
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(16)
  • rem。
  • ラブレス
  • むう(野生化中)
  • Mr.Blank
  • ベトナム
  • まっちゃん
友だち一覧
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

開​設日​: ​20​13​/1​2/​21​(土​)

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事