また昨夜は夜のお出かけをした。マダムの生存確認コールというのが毎晩不定期にある。大体21時から23時ごろ、きっと仕事が終わってワインかなんか飲んで、お風呂に入る前後にかけるんだろうと読んでいる。出ないとマズいから(別に悪事をコソコソやっているわけではないのだが)出てから運転が正しい安全運転だ。大体、田舎の道というものは午後9時以降だと全く車がいない。熱函道路という昔有料道路だったらしい道を三島、沼津、富士と国道一号(東海道だ)を走るのだが、23時過ぎだと熱函で100キロ、一号でもオービス区間は65キロ、その他は100キロ前後では安全に走れる。深夜は4軸、5軸の20トンがガンガン走るからすべてぶっちぎりでくねくね走ることもある。ヤーさん走りの伊豆ナンバーのメルちゃんである。でもパトの気配がなんかするので今夜は地味に、、。
なんか夜のお出かけを一人でするのは、夜這いのようなイヤらしさがあっていい感じが漂う。別に訪ねる相手がいるわけではないから、いつもの通りに「お宝市場」という怪しげな古本、CD、ゲーム、古着なんかを売っている巨大な体育館のような店に行くしか開いている場所が他に無いのだ。古本10数冊とCD2枚をゲットして4850円!安くね?フラットから店まで片道32キロを44分、燃費9.9キロ/Lで走った。燃費良くね?5.5LのツインカムV8 450psよ。飛ばしてはいませんよ。大人しい走りです。
夜遊びをしたくてもお金を使う場所が無いからきっとGDPを消費面から上げるのは田舎では難しいだろう。かといって東京まで90分ですっ飛んで行っても六本木は風営法で1時には閉まるからそばに住んでいないとどうしようもない。だから田舎者は刺激が無い場所で何もすることがないから家で奥方とエッチをするのかもしれない。地方都市の出生率は都心より確実に高いと思われる。図書館に行くと子供を数人連れた若い奥さんが結構多いのだ。
古本もすごいのがある。こんな古いのは中野のブックオフじゃ希少本でプレミアつきそうなものがあるから都会の人が来るとまさにお宝である。森瑶子「情事」1979年初版第4刷はなんと当時680円だ。これは200円だった。他のは100円が大半だ。今だと2000円前後だろう。本はインフレだ。でも株価は1979年当時と大差がないのは何でだ?と考える人は多くない。実に不思議。僕が14歳の時だからねえ。文体が臭いというか古いというか陳腐で笑える。ポルノの正しい古典型?今時のギャルはこんなsex描写しませんよというぐらい凄いんだな。まるで漫才のように笑える。六本木の外人がたくさん来るバーで若い人妻が男漁りするという物語で、一応スバル文学賞を取ってはいるんだが深夜のベッドで一人爆笑!
「どうしたの?大丈夫かい?」
「ええ。こんなふうになったのは、初めてだったの」
「どんなふうだった?」
「肉体のあらゆる部分が、セックスオーガンになった感じ。とても高い所から一気に飛び降りたような具合になって、吐き気がしたけど、気持ちがよかったわ。それから、全身の毛穴がオーガスムを得たの」
「へえそいつはすごい。ボクのせいでそうなったんだね?」
私は返事のかわりに、レインの手の平に接吻した。少しして、彼は起き上がるとまだ汗に濡れたまま息づいている私の暗い繁みに、
5本の指をしっかりと絡めると、溺愛する幼児の髪の毛を愛撫するように思い入れを込めて、それを強く引っ張った。そして、
「また、会えるね?」と聞いた。「ヨーコ。また会えるね、ボクたち?」
「ええ。あなたは、とても素敵だったわ。私を色情狂にしてしまったかもしれなくてよ。私、あなたを気狂いのように探しまわるわ。どこへ行ったら会えるのか、教えておいて」
森瑶子 「情事」集英社刊より転載
まあ、まるで全編「チャタレイ夫人の恋人」のマンマ日本語版猿真似だが、こんなのによくスバル文学賞をやるよねとお笑いだけど。「してしまったかもしれなくてよ」とかカタカナで「ボク」とか書くか?とか言うか?と思いませんか?ドンズバだと恥ずかしいと思ったのか日本語でそれらしく奥様言葉風に外人と話すという無理なシチュエーションではある。頭で考えて書くからこうなるんだろう。駄作というより作にさえなっていないが、まあこんな当時はこんな程度でした。サイテーです。
よくあるでしょ、日本車で新車が出ると、あああれaudiのコピーしたグリルねとかすぐわかるデザインアレンジ。しかも大失敗!あれと同じ事を小説でやっているわけですね。まあ、売れれば良いといえばそうだろうけどねえ、、。
そこへいくと瀬戸内晴美(まだ寂聴じゃないころ)のポルノは良いよ。ちゃんと日本語で違和感がないもの。昭和55「まどう」
新潮社950円ではこんなのがある。亭主の浮気がバレた場面。
「でも、また、お前も何だって、のこのこ出かけていったりしたんだ。」
今までの声の調子ががらりと変わって、哲郎の声がとげとげしくなった。
「どうして行ったらいけないんですか」
典子の声も挑発されてとげとげしくなる。
「みっともないじゃないか、スナックの女の部屋まで押し掛けていくなんて」
「行ってみるわけがあったから行ったんです」
「でんと、落ち着いていればいいんだ。おまえは女房じゃないか」
「女房の心には鬼が棲むか蛇が棲むかっていうじゃない」
「いっとくけど、おれは、お前を愛しているんだ。家庭だって大事に思っている」
「それじゃ、マヤさんていう人のことはどういうことなんですか」
「はずみでそういうことになったんだ。男にはそういうことがある」
なんかリアルで奥様の怒りでぶち切れる怖さみたいなもんが伝わりますよね?書くということは実になんでもバレますね。その人となりというのが全部書くという言葉の中に出てくるもんですね。意識の広がりとか空間とか経験とか知性とかが全部出てきます。
だから良い作品と言うのはまずたくさんの作品を読む事でしかわからない。「反復と差異」とドルーズも言っていますが、ある行為を何度も繰り返すということで脳細胞か何だかわかりませんが、その編成が変成するのだろうと思うのです。反復行為の連続の過程で差異化するもの(微分)と累加するもの(積分)を自然に言語感覚が異化していくというふうに僕は理解しているんだけれども、やるしか認識できないから結局するしか方法が無い。相場だけでなく、技能的なものは全部同じ事だと思いますけどね。