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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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ヴァンジ美術館

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相場は安値の小動きでちっとも動かない。焦れたら負けだから場帳と折れ線だけ書いて何もしない。この何もしないのがまだこれから3月とか半年とか1年とか続くのかもしれないし、ある時点で一気に動くのかもしれない。そんな事は無論わからない。わからないが丸にしていないほうが良いなあという「感じ」だけで玉をしっかり維持している。すべて感じのお話で、個人の感じは感じ以外に理由が無い。

ということで相場ネタは全然ないので、ヴァンジ美術館に行った。ここは一日遊べる。新東名の沼津長泉インターというのが御殿場の先にある。ここは長泉町という沼津市の北側に位置する町で、駿河銀行が大規模土地開発をして駿河湾を見下ろす丘陵地帯にビバリーヒルズみたいな豪邸が建っている高級住宅地である。区画は最低500坪ぐらいで1000坪ぐらいの敷地に数億の建物がポツン、ポツンと建っている。噂では駿河銀行の頭取一族の住居用に開発したらしく、ここにクレマチスの丘という庭園美術館とサッカーミュージアムなどを建設している。そばには国立がんセンターという静岡県で一番良いといわれるガン専門病院もある。長泉という場所はもとは温泉が無かったらしいが、新規にボーリングして掘り当てて、区画に温泉を供給するパイプが敷設されているから、土地価格が周囲と比べて格段に高いということだ。クレマチスの丘には美術館2つと井上靖文学館がある。休日には結構東京からも観光客が来るようで、リストランテ プリマベーラというここいらでは一番マシな麻のナプキンが立って高いワインがあるイタリア料理のレストランが地元では有名だ。地元民は結婚記念日とかに行く場所らしい。
 ヴァンジ美術館がすごいのはほとんどの作品を触れることだ。彫刻が95%ぐらいだが、庭園内にゆったりと配置されている彫刻群は圧倒的な悲しい存在感に満ちている。季節柄、今はクレマチスが数十種類咲き誇る美しい庭園で、芝生に寝転んで彫刻を見たり、本を読んだりするのには最高のロケーションで気持ちがよい。暑くもなく寒くもないこの時期はクレマチスが終わるとバラが始まるから毎週行っても花が変わるので実に楽しい。そんなわけで自宅から車で30分ほどだから年間パスポートを買った。1万円で何回でも入れて、しかも同伴1名は無料なのだ。普通に毎回チケットを買うと3000円だから2名で6000円かかる。パスポートなら何度も行けるので、図書館で本を借りてその足でここにきてベンチで本を読むのが趣味だ。近くにtree houseというここいらでは一番凝った豆を持っている喫茶店があるのだが、ここのコーヒーとタルトは絶品であると思う。ただし地方都市はどこでもそうだがレストランのラストオーダーは20時だ。夜が実に短い。しかも酒を飲むと足が無い。だから流行らないということになる。僕のような下戸とマダムのような大虎の組み合わせはきっと稀中の稀ということなのだろう。
 することが無い時のほうが長いのが相場というものだろう。そういう時は遊べば良い。何もしないでグータラ出来るのはこういう商売の特権だろうと思う。

夜のお出かけ

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また昨夜は夜のお出かけをした。マダムの生存確認コールというのが毎晩不定期にある。大体21時から23時ごろ、きっと仕事が終わってワインかなんか飲んで、お風呂に入る前後にかけるんだろうと読んでいる。出ないとマズいから(別に悪事をコソコソやっているわけではないのだが)出てから運転が正しい安全運転だ。大体、田舎の道というものは午後9時以降だと全く車がいない。熱函道路という昔有料道路だったらしい道を三島、沼津、富士と国道一号(東海道だ)を走るのだが、23時過ぎだと熱函で100キロ、一号でもオービス区間は65キロ、その他は100キロ前後では安全に走れる。深夜は4軸、5軸の20トンがガンガン走るからすべてぶっちぎりでくねくね走ることもある。ヤーさん走りの伊豆ナンバーのメルちゃんである。でもパトの気配がなんかするので今夜は地味に、、。

 なんか夜のお出かけを一人でするのは、夜這いのようなイヤらしさがあっていい感じが漂う。別に訪ねる相手がいるわけではないから、いつもの通りに「お宝市場」という怪しげな古本、CD、ゲーム、古着なんかを売っている巨大な体育館のような店に行くしか開いている場所が他に無いのだ。古本10数冊とCD2枚をゲットして4850円!安くね?フラットから店まで片道32キロを44分、燃費9.9キロ/Lで走った。燃費良くね?5.5LのツインカムV8 450psよ。飛ばしてはいませんよ。大人しい走りです。
夜遊びをしたくてもお金を使う場所が無いからきっとGDPを消費面から上げるのは田舎では難しいだろう。かといって東京まで90分ですっ飛んで行っても六本木は風営法で1時には閉まるからそばに住んでいないとどうしようもない。だから田舎者は刺激が無い場所で何もすることがないから家で奥方とエッチをするのかもしれない。地方都市の出生率は都心より確実に高いと思われる。図書館に行くと子供を数人連れた若い奥さんが結構多いのだ。

 古本もすごいのがある。こんな古いのは中野のブックオフじゃ希少本でプレミアつきそうなものがあるから都会の人が来るとまさにお宝である。森瑶子「情事」1979年初版第4刷はなんと当時680円だ。これは200円だった。他のは100円が大半だ。今だと2000円前後だろう。本はインフレだ。でも株価は1979年当時と大差がないのは何でだ?と考える人は多くない。実に不思議。僕が14歳の時だからねえ。文体が臭いというか古いというか陳腐で笑える。ポルノの正しい古典型?今時のギャルはこんなsex描写しませんよというぐらい凄いんだな。まるで漫才のように笑える。六本木の外人がたくさん来るバーで若い人妻が男漁りするという物語で、一応スバル文学賞を取ってはいるんだが深夜のベッドで一人爆笑!

「どうしたの?大丈夫かい?」
「ええ。こんなふうになったのは、初めてだったの」
「どんなふうだった?」
「肉体のあらゆる部分が、セックスオーガンになった感じ。とても高い所から一気に飛び降りたような具合になって、吐き気がしたけど、気持ちがよかったわ。それから、全身の毛穴がオーガスムを得たの」
「へえそいつはすごい。ボクのせいでそうなったんだね?」
私は返事のかわりに、レインの手の平に接吻した。少しして、彼は起き上がるとまだ汗に濡れたまま息づいている私の暗い繁みに、
5本の指をしっかりと絡めると、溺愛する幼児の髪の毛を愛撫するように思い入れを込めて、それを強く引っ張った。そして、
「また、会えるね?」と聞いた。「ヨーコ。また会えるね、ボクたち?」
「ええ。あなたは、とても素敵だったわ。私を色情狂にしてしまったかもしれなくてよ。私、あなたを気狂いのように探しまわるわ。どこへ行ったら会えるのか、教えておいて」
                               森瑶子 「情事」集英社刊より転載

まあ、まるで全編「チャタレイ夫人の恋人」のマンマ日本語版猿真似だが、こんなのによくスバル文学賞をやるよねとお笑いだけど。「してしまったかもしれなくてよ」とかカタカナで「ボク」とか書くか?とか言うか?と思いませんか?ドンズバだと恥ずかしいと思ったのか日本語でそれらしく奥様言葉風に外人と話すという無理なシチュエーションではある。頭で考えて書くからこうなるんだろう。駄作というより作にさえなっていないが、まあこんな当時はこんな程度でした。サイテーです。
よくあるでしょ、日本車で新車が出ると、あああれaudiのコピーしたグリルねとかすぐわかるデザインアレンジ。しかも大失敗!あれと同じ事を小説でやっているわけですね。まあ、売れれば良いといえばそうだろうけどねえ、、。
そこへいくと瀬戸内晴美(まだ寂聴じゃないころ)のポルノは良いよ。ちゃんと日本語で違和感がないもの。昭和55「まどう」
新潮社950円ではこんなのがある。亭主の浮気がバレた場面。
 
「でも、また、お前も何だって、のこのこ出かけていったりしたんだ。」
今までの声の調子ががらりと変わって、哲郎の声がとげとげしくなった。
「どうして行ったらいけないんですか」
典子の声も挑発されてとげとげしくなる。
「みっともないじゃないか、スナックの女の部屋まで押し掛けていくなんて」
「行ってみるわけがあったから行ったんです」
「でんと、落ち着いていればいいんだ。おまえは女房じゃないか」
「女房の心には鬼が棲むか蛇が棲むかっていうじゃない」
「いっとくけど、おれは、お前を愛しているんだ。家庭だって大事に思っている」
「それじゃ、マヤさんていう人のことはどういうことなんですか」
「はずみでそういうことになったんだ。男にはそういうことがある」

なんかリアルで奥様の怒りでぶち切れる怖さみたいなもんが伝わりますよね?書くということは実になんでもバレますね。その人となりというのが全部書くという言葉の中に出てくるもんですね。意識の広がりとか空間とか経験とか知性とかが全部出てきます。
だから良い作品と言うのはまずたくさんの作品を読む事でしかわからない。「反復と差異」とドルーズも言っていますが、ある行為を何度も繰り返すということで脳細胞か何だかわかりませんが、その編成が変成するのだろうと思うのです。反復行為の連続の過程で差異化するもの(微分)と累加するもの(積分)を自然に言語感覚が異化していくというふうに僕は理解しているんだけれども、やるしか認識できないから結局するしか方法が無い。相場だけでなく、技能的なものは全部同じ事だと思いますけどね。
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伊豆の別荘地には不動産の売り物がまだ多い。大型物件の買い手が減って、売り手が増えているのは利用者の世代交代がこのところ頻繁に起きているということだろう。都心の住宅事情と地方の別荘とはかなり異なった需要構造にあるんだなあと田舎に来て3年で少しは理解出来るようになった。90年代に引退した人が生きていると80代になって、自分で運転や自立生活が困難になると病院や介護が楽な場所(都会)に移るという流れが必ずリゾートや田舎では起きる。都心より不動産の回転率が高いのだ。ローンで買うような人は企業需要以外ほぼいないだろうから現金払いだと値段がシビアで高い物は売れにくい。したがって高いものほど割安感が強いということが都会と比べて顕著だ。広い豪華な物ほど割安である。上記の物件は300坪の土地に100坪の建物のプールと温泉権付きの築20年ほどのRCが5000万を切っている。土地がゼロとして多建物だけでも坪20万を切っている。都内のマンションよりは設備が数段豪華である。風呂は大理石の2浴槽だし床暖房にプールもある。パーキングは6−7台分ある。多分、企業のリストラがらみの売り物だろうと思う。
駅から6キロの湖畔の伊藤忠の開発した別荘地の物件だが、広すぎて売れない。屋外プールなんてあっても邪魔なだけという感じだ。都内でこんな豪邸に住んだら6−7億はかかるだろうがここでは1/10以下という感じだ。建築費の1/3でも売れないということだ。不動産と株は田舎では逆の価格特性があるなあと思う。仕事場が都会に集中しているという日本人の働き方の特性が変わらないかぎりこうした住宅事情の基本構造は変化がないだろう。ネットで仕事が出来るようになっても田舎で暮らすような若い人はほとんどいないようだ。こんな物件を若い人が4−5人でシェアして住んだらなかなか良いだろうと思うし一人1000万ならどうという値段ではないと思うが、そんな例は皆無らしい。都心のワンルームの半分の値段で5倍ぐらい豪華な暮らしが出来るのにと思うが、、。
観光以外に刺激がない。多分、出会いなんてのも職場か学校以外は無いと思われる。ディスコもクラブも洒落たカフェさえない。あるのはカラオケとネットカフェとマンガ喫茶ぐらいだ。マシな本屋も無い。どこに遊びに行けというのか?ユニクロとホームセンタ−とパチンコ屋の巨大な店ぐらいしか行く場所が無い。だからそこはいつも混んでいるようだ。飲み屋もあまりない。ほぼ仕事をする全員が運転するからだろう。きっと家で飲むのだろうと思う。映画館は20キロ走るとある。御殿場アウトレットが35キロほど走るとあるのが唯一の洋服を買える場所。だからネットで買うのがメインになった。2−3ヶ月に一回、横浜のIKEAとコストコに友達とワゴンで行って車一杯に買ってくるぐらいが憂さ晴らしである。金を使う場所がマジにないのである。それでも買っても10万かそこいらだ。

リゾート暮らしというのは何でも自分一人でなんとかしないと無理だから、都会のようにサービスを買うということが難しい暮らし方である。便所掃除から卵焼きを作るまで誰もやってはくれない。だから金は全く必要ないかわりに手間隙をかけてなんでも自分でやる、作るという生活習慣の無い人には不快だろうというか無理だろう。僕は小学6年でみそ汁とご飯を作ったのが人生で最初で最後、後は全部母親か彼女かマダムがすべて作って50まで来たような家事ゼロの甘やかされた坊ちゃんだった。だから45過ぎてマダムが店を始めてご飯がなかなか出ない暮らしは人生最大のショックだったが、なんとかかんとか見よう見まねで本で作れるようになると自信がつくもので、あれこれプロの本を30冊ぐらい買って半年ほどやってみるとそれなりの料理は出来るのだ。大抵のカフェ飯よりは数段マシな料理になるのだから、やれば誰でも出来ると思う。都会ではどこにでも金さえ払えば美味しい店がある。都会にいたときは毎月30万くらいは飲食代だったが田舎は全くない!静岡でマシな店は5軒しかない。(ラーメン1、天丼1、寿司1フレンチ1、うなぎ1だけだ!)それ以外は自分で作るほうが絶対に旨いのだから嫌になる。全部20−30キロ程度は走る必要があり、更にラストオーダーは大半が18−20時と客を馬鹿にしている!この前は18時で断られた。「ご飯が終わりました。」だと。「炊けよ、馬鹿!」と思うが炊かないしやる気もないのだ。ため息が出るぜほんと。30キロ走ってこういわれると行く気が失せる。
コンビニ弁当なんか食っている男を見ると「こいつは味覚音痴だな」と馬鹿にするようになる。単身赴任の部長クラスなんてそんなのばかりだ。「毒入りサラダなんてよく食えるよなこいつ。」という気分になるとデパ地下も買えなくなるのだ。食品衛生師という仕事があるが、その女性に聞いた話だが彼女はコンビニとかデパ地下の弁当や総菜のサラダ部分を作るライン管理をしていたが、大きな3種類の洗剤の入った浴槽にカット野菜が流れて完全殺菌する行程を何秒で動かすかという仕事をしていた。とてもあの洗剤まみれの食材を自分では食べる気にはならないと嘆いていた。食中毒が絶対に起こらないという殺菌法がライン管理の目的であるから、それこそなんでも殺す洗剤である。「そんなの知ってたら毎日弁当なんて食えるか?」サラダなんて買って来たら水で洗ってちぎるだけだろ。出て来た物を食うという習慣から何を作って出すかという発想に変えることが一人のリゾート定住には必要なことだと思ったね。その分お金はあまり意味が無い暮らしで、僕などまさに仙人のような簡素で貧しい暮らしをしている。2000円ぐらい直売所で野菜を買うと10日使って半分余して棄てる。お金を稼ぐ意味が無いというか使う対象が無いから当然相場のやる気も全然出ない。オネーチャンなんて一人も歩いていないが、オバーチャンは腐るほどいる。(爆)爺1対婆2.5という感じだろう。平日の別荘地の歩行年齢平均は70歳近いと思われる。
 利便性とか面積とか施設設備の豪華さとか商品の特性は「別荘」という年に数回からせいぜい月に数回使用するものと毎日使うものでは特徴が当然異なる。僕は別荘用に作られたリゾートマンションに定住するという変則的な住み方をしてみて、「ああこんな暮らしもあるのね」という意外性にマンガ的な面白さを感じてもいる。
現在の住居は築20年の熊谷組がバブル崩壊以後に着工して売れ残した金のかかったリーゾート物件で発売時は12000万の値札がついたが当然半分も売れずに住友に丸投げして再販売した時の価格はその半値だったらしい。2DKで96平米、温泉ビューバス付き、駐車場無料で管理費46000円、これには水道料金と有線放送がおまけでついている。駐車場は何台止めても良いし、車庫証明も取れるから定住する人は2台持ちが多いようだ。ちなみに108戸の住居に120台のパーキングロットがあり(屋根付きが9割以上、駐車場専用棟がある)車が有る生活が前提の建物だ。12階建、斜向エレベーター2基、定住率30%、広いアトリウムと図書室に温水プールとジャグジーバス(季節のみ)麻雀ルームとレストラン(不味そうなので一度も行っていない 笑)が一応あるがプールを孫が使う以外は施設の利用はしていない。トランクルームもあって何でも置けるので使わない家具と冬用タイア2セットを置いている。
部屋は20畳のリビングと9畳の洋室、8畳の和室、4畳ぐらいのキッチンと広いバスとトイレという構成で一人で暮らすにはまあ必要十分というところか。買値は2011年7月震災直後で850万だった。前のオーナーは相場で大損して売りに出し(FXでがちゃったらしいどヘタ)伊豆の更に田舎に引っ込んだらしい沼津の人だった。(50代の夫婦)
今なら980万から1600万でぐらいで同じ面積の売り物がいくつかあるようだ。
テラスも8畳分ほどはあるからプランターを20、30ぐらいは置いても狭くない。テラスで日光浴をしながらランチという人もいるようだが、日差しは強烈ですぐに真っ黒になるから女性は注意が必要である。山の紫外線は凄く強いからサングラスは絶対必要アイテムとなって3つ作った。因に一年で5−6戸は回転があるらしい。仲介した不動産屋から売るならうちでと電話がたまにかかる。それなりの値段なら回転するということだろう。固定資産税は20万ほどである。因に三島税務署の相続税評価額は現在2700万ということだが、売ると良くて半分か1/3だろうから損得なら死ぬ前に売る方が子供は助かるだろう。(笑)

交通は熱海駅から13キロ、車で飛ばして25分、函南駅からは10キロ18分という感じ。タクシーだと6000円ぐらいだろうと思うが、日に2便(9時と16時)定時に熱海までシャトル便タクシーというのが契約であって1回1000円で乗れる。二人なら500円でバスより安い。多分管理費から補給される仕組みのようだ。マダムはよくこれを使う。定住している人で運転しない人も1/3ぐらいはいるらしいのでその人が東京に行くのに使うようだ。ドアから東京駅までこれだと新幹線利用で90分ぐらいだろうと思う。当時お手軽な週末のリゾートが可能という仕組みをそれなりに考えていたということだろうが、売れなかったのだ。日本で小金のある人は大体忙しい、貧しい人にはランニングコストが高すぎる、じゃあ誰に売るのよ?という商品設計の失敗例ということだろうと思う。

因に山頂から熱函道路というメインの道まで別荘地を3キロ走る(8分)。傾斜が急でヘアピンばかりだから運転が下手だとつらいだろうがすぐに慣れる。来客はよくドリフトで車酔いをすることがあるぐらいだ。最寄りのコンビニまで片道4キロあるから歩くと往復で2時間以上かかる。スーパーは最短で10キロ走る。運動のためにタバコを買いによく歩くが帰りは結構上りでへばるのだ。ちょっとした登山に近い傾斜で標高差は道路から山頂まで400メートルぐらいはある。スントという高度計のついた山用の時計を買って、ここは標高何メートルとか計って遊んでいる。別荘地の隣には富士山を見ながらプレイ出来る立派なゴルフコースがあって東京からも結構きているようだ。
元気で身体がちゃんと普通の生活が出来る状態でないとリゾート暮らしは無理だと思う。だから引退してそれをするのならなるべく早いうちにして10−15年で見切りをつけて、体力が落ちたら都会に戻るというのが一般的だろうと思う。介護が必要になるのなら熱海のような施設がある場所でないと困難であると思う。熱海ならでデイケアとか
弁当宅配とかサービスを買うということが日常的に可能である。老人病院、養老院もたくさんある。

ノマドの方程式

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昨日は500人も来た。なんか世の中がすごく変だと思う。特に安いというのでもないし、面白いことは何も書いていない。場況も当面書くのを止めよう。あまり普通の人が読むと災いが多くて福となるような内容ではないから、読むなら最初から通して読まないと部分で見ると必ず火傷をすると但し書きを書いておくことにしょう。
「厳重注意!相場をする人はこのブログは読むな!」ということである。ねえ、ちゃんと注意書き読んでる?

「中央銀行は賢いか?」というような種類の命題を正面から考えるような人は多分あまりいないだろうと思う.命題は「賢いかどうか」であり「正しいかどうか」では決して無い。だから命題の質そのものが問われると言える。友人、知人の中に相場をする人はかなりいるが彼らがそんな事を話題にしたことを聞いたことが無い。新聞や金融雑誌をたまに見ても、政策の是非についてはその主義主張が政治的な意味合いから議論されることはあるが、緩和か引き締めかというきわめて表面的で技術的な側面から論じられる場合が大半であると思う。前提となるのは金融制度そのものは正しいという共通認識だと思われる。「その前提ホントかな?」というような意地の悪い事を考える人はほとんどいないだろう。伊勢丹に行ってアメックスのカードを出せば無制限に何でも買えるし、円はいつでも他の通貨に交換可能である。だから制度は確かに交換的な意味では現在有効であるというのはある意味で一応表面的には正しいだろうと僕も思うし、「等価交換」という祝詞で資本主義が成立する以上はとりあえずそういう事にしておいたほうがきっと無難だろうと思う。翻って、仮に等価交換なる祝詞が常に正しいのなら、同じように働く人たちがなぜこのように不等価な状態で生活しているのか子供でも納得いくような説明が出来る大人は多くないだろう。貧富の格差がどんどん拡大するのは等価交換が正常に機能している証拠と言えるのだろうか?毎日8時間も10時間も立ちっぱなしで西友のレジで働くマスクをした20代の女性の使う労働力としての時間とエルルギーの総量はメルセデスでパンとトンカツを買う還暦間近のチンタラ猫のきっと数倍あるはずだが、どのような正しい(?)等価交換ならこうしたひどい現実が生まれてしまうのだろうか?ハルトモさんという児童福祉施設の先生が「噛んで含むように」子供たちに本当の話をなるべく自分の経験を踏まえて説明する場面を僕はよく想像して微笑ましい気持ちになる。彼は自分が体験からわかった部分をわかった部分だけ「本当はね、こういう事もあるんだよ。だから自分でよく考えてどうするのか決めて行動するのが大事だろ?」と教えていると思われる。一方でわかっていない人にわかっていない事を刷り込まれる子供たちは、いわば大量生産される資本主義の豚であるから、「等価交換なんてほとんどないよ」と醒めた目で現実を見るごく一部のリアリストの格好の餌食になるはずで、運が良ければおそらく大学を出て官庁、企業に勤めてネクタイをして電車に乗って30年か40年かの間ラットレースを強要されて上手く行くと小さな家を建てて子供を一人二人産み育て年金を貰ってやがて死ぬ。だからハルトモさんの生徒の中に、やがて彼を超えるような立派で強い男(女でも無論良い)が産まれることを僕は期待したい。彼もそれが彼の夢であり希望だろうと思う。100人のうち一人でも二人でもそういう人が生まれれば良いと思う。「生き甲斐」というのはきっとそういう金で買えないもの=希望だ。金が出来るという事は、ある意味彼が不等価交換が個人的に上手だったという結果でしかないから、資本主義の呪われた部分をリアルに体感できる肌感覚に優れた個人であるということだ。それを伝えるということは匂いとか肌合いとか気配とか、数値や文字に還元することが難しい部分を感じ取る感覚というか言語化するのが実に困難な事柄をあっちからこっちから様々な方向と強度で語り続ける事である。僕のブログは引用が多い方だろう。というのも引用する対象は広範囲で国境や時間を自由に超えるから、人類の不等価交換に関する英知と思われるあらゆる領域に広がってしまいある意味際限がない。そうした一度も会ったこともない人たちの考えていた英知を伝えるきっかけを語ることで、才能と資質ある人は僕の書く主張内容の上に位置するもの=メタ言語をおそらく読み解くだろうと思われる。だから僕の書くテキストは実は僕自身の言語ではないのだ。多くの過去のあるいは現在の人々のメタ言語が僕を通じてテキスト化されているという現象である。そうでないなら毎日毎日そうそうたくさん同じ事をかけるはずは無いのだ。誰か僕とは異なった誰かが僕に書かせているのである。児童福祉施設に僕は仕事はないがブログという仮想空間で見た事も会った事も無い(一部は生徒だった人もいるのだろうが)人たちに向けて不等価交換の呪われた部分をこうして書き続けるという毎日なのだろう。だからああいった事とこういった事は当然矛盾することがきっと多いだろう。一人の人間が書いていないのだから当然の結果であると思われる。どこがメタであるかを気がつかないで終わる人も読み手には多いから最初から質問など意味は無いという事がわからないのだ。
 グリーンスパンにしろバーナンキにしろ、彼らはバブルとか、バブル崩壊とは?という現象を実に有効的な金融政策に反映した意思決定をしてきた人たちであったと思う。それは効果として有効だったという事であり倫理的に正しかったかどうかは問題とはならない。中央銀行の役割は裁判所ではないからだ。1929年の大暴落、1990年の日本の崩壊など、金融市場がどうやって崩壊してその後どうなったかという実証研究を実に真面目に行ったと思う。その意味で有能だったと思われるが、それを真似るという意味で日銀の黒田は有能であると思われる。そもそも日本の官僚というのは大半が保守的というか馬鹿だから(記憶力以外に彼らが優れて価値基準の物差を持っていないという悲劇)前例のないことを極端に嫌う。どうなるか前例がないことはその結果生じる事態に対応する手段の強度や量に前例がないという理由からである。黒田の量的緩和というのは前例のない規模と速度のフォワードガイダンスに沿って進行中だが、これはFRBの前例を踏襲したという点では別にどうということは無い。アメリカでリーマンの後始末としてFRBのPFは3倍に拡大して資産市場が機能を取り戻したのなら日本でも同じ事をすればそうなるという信念以外に彼を支えているものはおそらく無いだろう。シンプルで理解しやすいから効果がある。効果とはまさに幻想の拡大効果ということで、別に商品経済の拡大とは必ずしも一致しないという点で画期的なのだ。頭が硬い人にはそれがちっとも理解できないから何もしていないのに株価だけ上がるのは不自然だという。その不自然を作り出すことが政策の目的ということを理解出来ない人が多くいるのが現状だということだろう。その意味では三重野以降の日銀総裁として黒田が一番有能だと僕は思う。過去の日銀の前例を踏襲しないというただその一点に於いての彼の勇敢さが彼の値打ちだと思われる。「期待に働きかける」という政策=つまり2%のインフレ率上昇の達成を2年以内に実現するという地図が彼の政策である。シカゴ学派が牛耳る自由経済の自由度の強弱に関して、金融政策の中立性という部分が市場機能を失った時=それこそまさにパニックという事なのだが中央銀行は何をするのか?という一点が国家の生き残る政策という事なのだ。中央銀行が政府機関である限りにおいて、それは国家の存続と利益のための政策を無限規模で実行しうる唯一の機関=器官なき身体である。そうした自覚がある総裁が黒田だということだ。それを指名したのは阿部である。任期5年の2018年までよぼどの事が無い限りは日銀人事はこのままだ。(もっとも人間は病気や怪我で死ぬ事もあるが、、)黒田が本気であるかどうかの一点で金融市場の価格の大半は決するというのが等価交換の定理である。20世紀を終えて資本主義は水平的な地理的広がりの限界を迎えている。まだ途上国の市場には商品需要は少なからずあるが生産量は既に需要を超える規模の生産力を備給して久しい。残された呪われた部分は既に横軸ではなく縦軸以外には残っていない。つまり市場を空間的に広げるという意味しか資本主義の新たなる「余地」がないことを中央銀行の決定者は認識している。だから縦軸という金の世界に資本主義の余地としての空間を無理矢理広げてしまおうという力動がアメリカングローバリズムの本質である。それに乗るというのが阿部と黒田の戦略であるかぎり空間は時間の問題で拡大する以外に道はない。やがてどこかで無理が来て当然弾けるだろうが、その弾けるまでは膨らむというのが現象の実像であろう。不等価交換をする人たちは水平的な資本主義の広がりの限界を感知して=過剰生産による価格低下を認知して記号を垂直方向に移動させる。底辺が縮小して高さが拡大する不安定な三角形をイメージしたらわかりやすいだろう。三角形の総面積が資本主義の拡大の限界であるとすれば、水平方向の縮小の速度と規模以上に垂直方向の拡大と速度が勝らないと総面積は増えない。需要に応じた生産量に物の生産が落ち着いて価格が安定するまでの時間に縦方向の金を(信用総量を)どんどん増産させること、それが残されたシカゴ学派の現実手段であるとすれば縦軸の伸びの速度と強度がどうなるのか?そういう想像力の問題=つまり幻想の力こそが不等価交換の力学の実像だろう。

 物の回転(例えば自動車の買い替えとか洋服の新調とか)には物理的な限界があるが金の回転(証券や記号の交換)には限界は無い。制約があるとしても担保の範囲内では無限である。だからその担保を無限に拡大すれば回転は早まるというのが彼らの主張であったし、回転が高まれば原資産の価格は上がる。つまりインフレとはそういう現象であり、そういう現象のほうが逆の現象よりはマシであると強く考える人を増やすための手段が政策であると言える。そういう期待によって株価や金利、為替は動くのだ。だから街角景気とか企業業績とかをあまり気にしても意味が薄いと思われる。それは結果であって動因にはならないのだ。それは常に過去であって未来ではないのである。不等価交換とは未来の特定出来ない価格を現在価値で微分する交換という事である。積分する方法で上手くなるはずが無いという点でだから難しい。5%前後しか結果的には残らない理由がそこにあると思われる。

資本を先導するもの

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ことのおこりはこうだった。ある日突然カチアートの奴がいなくなった。ぽっちゃりした丸顔のいかれた奴だ。ベトナムからパリまで歩いて行くって、本当にいっちまいやがった。くそったれの脱走兵ってわけだ。おかげで老いぼれ中尉率いる第三分隊はカチアート追跡に出発だ。野を超え山超えジャングルを超えて、ラオスでベトナム難民のかわいこちゃんを拾ったり、大きな地下トンネルにおっこちたり、ビルマで坊さんたちにもみくちゃにされ、デリーじゃ中尉が老いらくの恋におちて、もう大変。
はたしてカチアートはつかまるのか?それとも、、、

GOING AFTER CACCIATO/  Tim O'Brien を読んでいる。この小説は1979年ジョンアービングの「ガープの世界」をおさせて全米図書賞に輝いた、オブライエンの最高傑作といわれる作品だが、日本ではあまりなじみがないだろう。NYタイムスブックレビューはこう評する。
「カチアートを追跡して」を戦争についての小説と呼ぶことは「白鯨」は鯨についての小説であるというようなものだと。白鯨は巨大な何者かに対しての卑小な人間の挑戦と苦闘の物語である。メルヴィルは人間の生き方を描いたという事だ。困難に直面した人間とか、運命として困難をあえて引きうけようとする人間のということだ。そこに人間の人間らしいあるいは人間らしからぬ面白い値打ちがある、そう感じる物語の読み手がずっといる限り白鯨は古典になっていくのだろう。その意味でマジックリアリズムのこのオブライエンの小説というのは人間に対してのアメリカの不思議な神話と言って良いだろう。人間が極限の「戦争」という不可解で巨大な状況に飲み込まれた時に、人間はどんな風に人間らしくあるいは人間らしからず生きるのか、そして死ぬのか、彼の小説は最初から最後まで常に「生きることと死ぬこと」を実際の歩兵という最小単位の人間を主題に様々な人間を描いてゆく。ある戦友は無事に退役して社会に復帰しようとするが、なかなかな上手くいかない。いろいろな仕事に就くが3月と続かない。大学に行っても半年ももたずに止めてしまう。そしてある日職場の倉庫で首を吊った。遺書は無かった。戦争の傷と言えばそれまでのことだろうがそれが人間のリアルということなのだ。戦争を「相場」と置き換えて読んでみるどうだろう。実に奇態な事が起きるという点で戦争と相場はある意味よく似ているのではないかと思う。戦争も相場もいずれも人間の巨大な欲望がつくりだした怪物だ。銃弾やナパームの変わりに札束が飛びかうという違いはあるにしても、、。異なるのは戦争は敵と味方に分かれる団体戦だが、相場は個人戦だ。自分以外は全てが敵という点が更にシビアーな部分であるが、命を直接は失わないという緩さがある。なぜあの巨大な世界一強力な軍隊を持つアメリカがベトナムに負けたのか?同じ事がアフガンでもイラクでも起きた。なぜアメリカという国家は戦争に負け続けるのか?それはアメリカが国家としてきっと戦争をしたからだろう。いかに強大な軍事力があってもそれで無差別に民間人を殺戮してもアメリカは戦争に敗北し続ける。状況という相手に常に負けている。オブライエンは戦友たち、同時代を生きて死んだ多くの若者とその家族を描くことで、アメリカ人そのものを描く。
歩兵の目からみた戦争、歩兵の目から見たベトコン、僕たち日本人の戦争に対する意識は報道を通じて感じたものでしかないけれど彼の戦争はリアルな毎日の行軍と殺戮と休暇だった。一番下っ端の兵隊からみたベトナム戦争。20歳前後の多感で有能な若者たちから見た戦争だ。僕たち日本人の戦争はCNNとアルジャジーラが伝える戦争だから全く戦争の意味も受け止めかたも異なるのは言うまでもないことだ。間に何かを挟んだ世界と生のダイレクトな世界の差が「正義」の危うさと「人間」の現実をあぶり出す。

カチアートは脱走してパリを目指した。つまり中心から離れて周縁を目指して絶望的な逃走を試みたのだ、アメリカという巨大国家の欲望を否定して。カチアートはノマド(遊牧民)だったのだ。見た目はデブのぽっちゃり丸顔のいかれた奴だがなかなかしぶとい。ある山頂で追跡され接近されて双眼鏡で捉えたられた視界の中で、カチアートは腕を上下にパタパタと鳥のように何度も振った。そして何か叫んでいる。中尉は唇を読んだ。
「サヨナラ」そうカチアートは言った。
1950年代にジャックケルアック、アレンギンズバーグ、ウイリアムバロウズらがビートジェネレーションとしてロード小説を書いてから20年が既にたっていた。20年遅れでアメリカのインテリヤングのオブライエンは(最優秀なアイビーリーガーだ)ノマドに大きく傾いて行く。つまり文学は常に資本主義に先行して変化するということがここでも明らかだ。感覚とは常に資本に先行しさらに表象するという事実が残る。それが文学の本当の値打ちの一つということだろうと僕は思う。
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