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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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タイトル変更しました

タイトル変更をしてみた。「猫次郎のなんたら書き放題」 サブコピーが「お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね」
とまあ人を食ったようなアホなタイトルで軟派な性格が透けて見える。他人様のタイトルを見るとベトナムさんは「ベトナムとお姉ちゃんと相場のこと」とこれまた軟派丸出し、もう一方の大阪の達人は『なるようにしかならん!」と達観派で禅僧のお題のよう。はるともさんは相場師というよりは勝負師という感じで「たいした話でもないですが、、、すこしこだわったりして」自分なりの「生きる」を綴る  と控えめなタイトルの割には手は腰!という内容。

まあラングとかテキストの選択というのはその方の何かを表象するものであるから個性が表れて面白い。僕は「白猫次郎のブログ」というつもりで設定したら何か変な表記になったが面倒なんで半年そのままにしていた。この種の設定とかダメで、昔はネット関連で30名ほど理数系の院生や学生を雇っていたせいで、全部「ああやれ、こうやれで」で済んだし、キーボードを打ってテキストを書く以外はしたことがない。だから写真がどうの、フォントがどうのと言われても「やっとけ」『バカ、そうじゃねえだろ』で全部すましたワガママ社長ばかりでなんとかここまで来たし、今後も多分変化ないだろうから、「面倒なことは給料を払った奴にさせる」というスタイルに変化無し。だってそのための給料だろ?「その上から目線、チョームカツク」というのが娘の言い分で、だから娘とはなるべく会わないように心がけている。オメーの大学費用を誰が払ったと思ってんの?とも言わないし、言っても子供だからしかたない。俺に一番似ているからきっと波瀾万丈だろう。シメシメ。

 なんたら書き放題というのは、秘密保護法が通過したせいで治安維持法なみのやばい状況になったなとレフトは憂いているが、ライトはそうでもないらしい。これで小競り合いから紛争にでもなったらエラい事になるんだから、周縁の小さな国は小さくなって金だけ持ってきゃ良いじゃねえか、あまり他に能があるとも思えんし、核が日本中の米軍基地にあるということは、北朝鮮も北京もそれに合わせて数千発のミサイルの照準がそこにあるのだから刺激しないほうが良いよねと思うんだが、「植民地」としての自覚の無い人が多いんだなと思う。アメリカの植民地という自覚がない人が政権を取ったらどうなったか「記憶にありません」というのはまだすこし早すぎはしないか?まだ2年だしね。政治と倫理は書かない方針だが、他の事を書いているうちに筆が滑るのはしかたがない。ネーチャン書くと嫌でも通常人の「倫理」に触れるし、経済を書くといやでも政治に関連せざるを得ない。他人様の個人的意見は興味がないし、勝手にお好きなものを選ぶのが宜しかろうと思うのだが「問いの立て方」というのはその人の伸びしろに大いに関連する事項だから、すこし拘る。その意味で「書き放題」で書いている。『お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね」は3年ほどの生活の近況の感想で、まあ五木さんではないけれど、「辺境」に住むというのは異次元の体験を日常化するという実践だから、これから引退して「ロハコな生活」とか「エコな生活」なんてしたい人には「こんなもんですよー」という実際がバレでいいかも。みんさんが日常的に追いかけるお金やお仕事やお幸せが一歩引いた人間の目(猫という動物の目)から見るといかに異様でアホらしい幻想か?資本主義の逃走線(注:ジル ドルーズ 資本主義と分裂症 参照)から方法論を疑うという視点はちょっとはショックかも?「自由ってなんでしょう?」というような高校生の社会科のテスト論文みたいなことを考えるというのも、金と暇があればこそで、そもそも偉大な哲学者の大半はブルジョワの子弟ばかりはなんでだろう?それはきっと暇と金があるので労働の必要がないという前提があって、初めて人は「ものごとをピュアな視点から考え始める」という部分があるんじゃないのかな?と思います。だって貧乏で寝る暇を削りながら働く必要がある人たちは視点にバイアスが嫌でもかかるでしょ。自覚の有る無しは別とてしかたのない事で、バイアスの無い人と噛み合うはずがないのだろうと思います。これはしかたない現実だろうと。立場の差だから。その立場を逆転しようとするのか、温存したいのかの欲望のうずきの差という事かしら?
自分が「生きた貨幣」として欲動渦巻く金融市場の中で身体を直接貨幣として流通させることで成り立つ「不等価交換」の幻想をどういう視線の位置から見たらいいのかしらというメタ言語空間になったらいい鴨(かも)?という親父ギャグ。

さてクドイお話を何度もしたが、やっと少し人の話を聞いて月足グラフを真面目に書く人が出始めたようで嬉しい。ベトナムさんではないが、最初は書いても何がなんだがよくわからない。それで宜しい。書いたからどうだとかアホな頭で考えると馬鹿らしくて作業がちっとも進まない。演繹思考で今日まで自分が勝てなかったという自覚のある人は(ここまで気がつかせるのにも半年かかったぜ、マジ疲れるなあ、、何万字のテキストを必要としたことか)とにかく1000枚ぐらいは書いてみよ。それでわからんならそれで諦めがつくだろうと思う。アホな頭というのは相場で何千万か何億か取れないような頭という意味だ。
ただたくさん書くと普通の人は次のようなことが自然に湧いてくるものだ。つまり「相似と類似」ということがシバシバ相場では起きる。2つのグラフは同じ銘柄の異なった期間の月足部分の写真だ。さてこれから何か見えるか?というクイズはどうだ。見えない人は見えないし、見える人は見えると思う。なぞなぞだが、上手い人は銘柄名も見れば察しがつくと思う。これを見て、グラフの見方というものが自分で大抵判断できると思う。感じないなら多分ちゃんと「見えていない」のだ。「眼がどこについてるの?」という笑い話だが、そんなことばかりが相場では毎日きっと起きている。


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ひよこちゃんが4022の月足を書き上げて昨夜アップしていた。最初だから修正が沢山出て苦労したらしい。でもかったるい作業をしてみたら、わかった事が確かにあったという感想だ。「そういうこと」が彼女の中で変わっていく部分という事だ。これを僕は「呪われた部分」なんて呼んでいる。仕事は変動感覚を醸成するということだが、「自分を変成する」のは苦しいのだ。だから身体作業の反復を必要とする。武道の「型」という習得法と同じだろうと思う。
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 『この世でおまえの仕事は、平和に恋いこがれる魂に救済をもたらすことでもなければ、おまえの肉体を金銭の栄光でつつむことでもありはしない。おまえの仕事は、ある不可知の宿命の探求にある。そのためにこそ、おまえは、限界への憎しみに燃えてーー礼儀作法の体系が自由と敵対させる、かずかずの限界への憎しみに燃えて、闘っていかなければならないのだ。そのためにこそ、おまえは、ある内密の自尊心と、不屈の意思とを身に鎧わねばならないのだ。好運がおまえに与えたさまざまな利点ーーおまえの美貌、お前の華麗さ、おまえの生の激昂は、おまえの裂傷にとってなくてはならぬものだ。
 もちろん、こうした証言が本当に白日を浴びることなどありはしないだろう。おまえから発する光は、眠りに沈んだ田園を照らす月光に似たものかもしれない。にもかかわらず、おまえの裸体の悲惨と、裸でいることに苛立ったおまえの肉体の失神的陶酔だけで、諸存在の限界づけられた宿命というイメージを破砕するのに十分なのだ。落雷が、自分に触れた者たちにおのれの真理を開いてみせるように、生身のやさしさのうちにあらわな姿を見せる永劫の死は、ごく少数の選ばれた人たちだけを撃つだろう。そうした人たちは、おまえとともに、もろもろの人間のわざが滅びさるあの夜の中へ入って行くだろう。なぜなら、ただ無辺際の闇だけが、かくも電撃的な閃光を、昼の隷従から守護しつつ、隠す事ができるからだ。かくて、裸体のハレルヤの中では、おまえはまだ、真理が残るくまなく姿を現わす、あの絶頂にまで達してはいない。病的な法悦のさらに向こう側で、死の影の中へ入ってゆきながら、おまえはなおも笑わなければならない。その時こそ、存在を固定性に縛り付けるあれらの絆は、おまえの中で解け、ほどけていくだろう。そしておまえが、大空におまえの数かぎりない妹たちを見つけて、涙をながさねばならぬのか、笑わねばならぬのか、わたしにはわからないのだ。、、』
  
             ハレルヤ 「無神学大全」 G。バタイユ  現代思潮車より転載
 
 定番のラブレターの文体というものが僕にはある。彼女の知性にもよるが、あまりにバカそうなネーチャンでない限り、僕の恋文は40年間みんなこんな感じだ。変更があるのは「おまえ」が「「君」となり「わたし」が「僕」に変わる。するととても柔らかくてグッと身近な文章になる。変えて音読してみてほしい。大半の美女は、男からいろいろ言い寄られることが多いから、「軽い誘い」には慣れっこになっている。だがメールや絵文字が主流となったコミニュケーションの渦の中にあっても、文学的に推敲された文章を生活の一部にしているような男は職業作家以外はまずいない。だからこんな種類の恋文を手書きで受け取るような経験は大半の美女にとっては皆無である。人生の初体験をすることになる。「ショック」があると目つきが少し変わって、デートの話題にその後ある種の品が出る。
 普段は「かあるーい男」のチャラ男丸出しで、メルセデスかジャガーにボッテカかアルマーニのヒラヒラからでも、こうした恋文を受け取った直後のデートというのは実に効果的で、女性の話言葉に大きな変化が現れる。つまり品定めでオツムの感じを見られていると思うのだろう、服装もシックな色使いになるし、話題もテレビ番組みたいなものは出てこない。彼女たちはデート中は「知的緊張」を強いられるからきっと疲れる。それが嫌な女性はデートには来なくなる。テキストの理解というのは、読み手のナレッジの幅と深さを選ぶから「好み」がどうあれ、水準の間違いは起こらない。仕事、会社、金、家庭の話を最初のうちはしてはならない。「金」が豊かにあるという部分は服装や車を見れば女性はみんな全部知っている。クラブに行く時には最初は金時計なんかしてくとエラい目に有った経験がある男なら、そういう場所は安物に限る。それと反対で職業的でないご婦人とデートする時には、ステキな車とステキなお洋服はマナーだし、ステキなレストランはこちらの「気持ち」である。間違っても毛沢東Tシャツとかカモフラージュパーカなんて着てはいけない。そこいらへんの安くてマズいレストランで済ましてはいけない。パシャという安っぽい音で閉まるドアの大衆車に乗せても絶対いけない。「ボム」という音が重要なのはそれらは「高級のシニフィアン」ということで、高級ということは本人が大切に扱われたという意識を勝手に相手に植え付ける。『贅沢はステキ!』は女性の本脳であるから細胞が否定しようもない事実である。この細胞の記憶を利用できないような男はいわゆる貧乏人かアホという事だから、多分いい女とはあまり縁がない。もっとも最近はアンジーのように「ダメンズ」趣味のステキなご婦人も増えているようだが絶対数は稀だ。軽いプレゼントも効果的だが、ありきたりな物では意味が無い。僕はよく本や詩集や写真集を贈る。すると次のデートまでに読まないわけにはいかなくなる。なにげに印象なんか聞いてみて、あまりにアホならどんな美女でも御免こうむる。別に知性と恋をするわけでは無論ないのだが、その女の背景にあるものが何かというのは重要で、姿形の美醜ならお金でいくらでも買えることぐらいは僕も知っている。だからその種の興味はこの年になると全くないのだ。そうではなくて女性的なるものとの愛情の相互交換贈与性というものが目的だとすると、実際には未婚の人は少ない。大抵は誰かのものだ。サルバドールダリではないが、「神々と同じ残酷な方法論」以外にこちらは手が無いのだが、そうした方法論に耐え得る知性と忍耐が前提の恋ということが楽しめるという事である。統計的にお金持ちの奥様といのは刺激に餓えている。貧乏な奥様はパート仕事でお忙しい。指を見ればどれほどかは直ぐに察しがつくものだ。お顔もそれなりに大切ではあるが、僕はお手てと指を見る。そのご夫人の生活が透けて見えるからでもある。一度ぐらいは相手が安全ならイケナイ冒険をしてみたいというご婦人は少なくない。医者、土地持ち、会社持ち、彼女たちは結構暇である。子供がいない家庭は尚更だ。因に動物学と生殖学統計によると、女性の卵子は最初から数が決まっているから「無駄打ち」をしない本脳なのだそうだ。一方で男性の精子は量産品だから当り構わずまき散らす。知性とは無関係に身体と原始脳はそうなっている。だからご婦人がたは自分より上位の男しか視界に入らないが、男性は無関係だそうだ。その点、僕は女性的傾向があるということになる。鳥の生殖遺伝子研究で、一夫一婦制のペアでもその3割が配偶ペア以外の♂の遺伝を持った子供が生まれているそうだから、人間がどうかはわからないが、そういうケースもきっとあるだろうと思われる。
 笑い話とし聞いてほしいのだが、10年ほど前に僕は「猫塾」という相場塾を楽しみで始めてみた。お金儲けの意図が無かったわけではないが(このどう転んでもいいやという諦めが僕の常のスタイルなんだが付き合いの浅い人はそれがわからない)、多くの量的期待という意味では必要性が無いからどうでも良かった。無料の掲示板の保つ猥雑性を「金銭」という防波堤でブロックする。特にウルサくて貧乏なネットオタクを排除するのが一番の目的で、そのコストを負担する意思のあるものだけに僕は書きたかったという事である。ねこ塾のサブコピーは「相場師の出会い系サイト」というもので、別段風営法には抵触しないし、「チキンハート(ひよこ)」ちゃんみたいなステキなオネーチャン(ネカマちゃん?)が「毛」までですか?とか「割れ目」はダメ?とかいう質問もなかったし、事実一枚の画像も乗せなかったからどうということのない、僕のテキストだけの「読み込み」のための空間だったわけだ。すると不思議にお金を払えない人たち、身分を示せない人たち(会員は住所確認と写真付きの公的証明書が入会条件だった)が2ちゃんにスレッドを建てた。これが逆に面白いことに「宣伝効果」を発揮したのかどんどん普通の人が入るという現象が生まれた。相場と同じで意図して仕掛けたことが意図しない結果を産むという教訓となったわけだ。A rolling stone gathers no moss.というわけだ。
 相場研の板の時からの弟子でアサキさんという方がいる。板でアキレスの売買を僕に聞いた人である。彼女は相場を始めたばかりで林さんの所に行って、「うねり取り入門」を買ってサインをしてもらったらしい。その時に「相場は習得するのに10年はかかる仕事です。地道にコツコツと利益を積み上げなさい。」というような書き込みをしてくれたそうである。すると実際の相場師というのは「どういう男なのか?」という興味が更に湧いてその確認のためか年齢が若い僕のところに来たそうである。それで塾生になった。それから10年がたって昨年彼女から連絡があって、2013年の総資金の利回りは60%を超えたという良い結果を聞いた。細かいリズム売買であり、つなぎを入れた買いも売りも取る売買で資金はそう大きくないが立派な成果だった。一体、何千万もギャラを取る機関投資家やHFのファンマネで彼女の利益率を超えた人が昨年何名いただろうか?もう昼間の事務仕事にも飽きたし、生活の目処もたったからそろそろ相場専業で行きて行こうかなと思っているというお話が出た。爺さんは亡くなったが、その遺鐸を継ぐ人がまた一人生まれた事をすごく僕は嬉しく思う。彼女は爺さんの子供であり僕の子供であるハイブリッドだ。生命的遺伝子は無いが「テキストを通じての身体としての動作から得られた何か」を継承した伝承芸の子供である。
 僕はリベラルだということが体質だと昨日書いたが、それは♂も♀も両性具有もお釜もネカマも問わないということである。べつにネット上でエッチが出来るわけではないからだ。リベラルとは対象とするものは何でもありという事だ。その意味では僕のテキストは「凶器」である。いわば凶器準備集合罪に概念的には抵触するのだが、その「凶器」性が認識できるには凶器を凶器として使用する人たちにもれなく10年の投企の時間を犠牲とさせるだろう。実質人生の1/3か1/4だ。掛け金は短くはない決定的な供儀の時間軸と疲労。富と自由へのパスポートの値段!
 そういう猫が書く定番の恋文の文体というものは「つっこんだら拾って戻れば外せ」というありきたりな逆張りである。それを少しエレガントとエロチックにゴージャスな香りを加えて皿に盛る。
『その時こそ、存在を固定性に縛り付けるあれらの絆は、おまえの中で解け、ほどけていくだろう。そしておまえが、大空におまえの数かぎりない妹たちを見つけて、涙をながさねばならぬのか、笑わねばならぬのか、わたしにはわからないのだ。、、』ということになるのだろう。(笑)

リベラルということ

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h en* u*u 21さんからブローデルのご推薦があった。「地中海」を読んだのはもう10年以上前になる。大部の歴史研究書で途中で飽きて随分と飛ばし読みをした記憶がある。(笑)歴史認識のおいての偉人だから、歴史時間の区切りかたというポイントが彼の業績だろう。アナール派は現在西欧歴史政治思想の中核というよりはむしろ異端だが、コレージュドフランスが偉いな、東大と本質的に異なる高い質を現在も維持しているのは「異端」と言われてるものの評価をきちんとすることだろう。複眼的な評価眼というか、物事の視点の位置の多層化というか、一つにまとまるはずのない認識をきちんと並立させる賢さがある。それでもなお高い権威を保つのが良い点で人文分野での懐の深さがあって、現実政治がどちらかの方向に偏っても、きちんと学問分野としての存在を際立たせるという点が素晴らしいと個人的には思う。だからこそ個人的な趣向(例えば性とか結婚とか家族とか)に対しても寛容で、異民族の文化に対しても力学的な優位が確立すれば(これは国民国家ならいたしかないことではあろう)受け入れるという懐の深さがある。最初から拒絶する日本とは大違いだなと僕は少し右派が恥ずかしい気分だ。フランス大統領の離婚と結婚とか、女優の追っかけとか、フーコーのゲイとかが何でも無い世界であるのは、日本でいうと阿部チャンが離婚して綾瀬はるかと結婚するとかキャリーを追い回すのと同じだし、内田先生がゲイだというのと同じ事だが、仮にそうなら自民党の支持率はどうなるか、内田先生の大学の父兄はそれを認めるかというのと等しい。多分×がつくだろうと僕は思う。その点で日本の右派も中道もかなり頭が悪いと思う。(御免ね)こんな本音を書くとまた変な書き込みで荒れるのが嫌だが、、。総じてどの国でも右派はメタ言語的な疑問符というものを保たない人種が多いようだ。アメーバと言いますか?(笑)
 政治や倫理に関して、深く対立する論点を争うようなブログにするつもりはないし、そんなに大層な主張がこちらにあるわけでもないが、リベラルであるという事は僕のスタイルだからしかたがない。もやは体質であるとさえ言える。アナール派は民間、民族の下から目線で歴史を見るという点でその後フーコーなどに強い影響を与えたし、藤原書店はそんな本ばかりを出している。最近のヒットは間違いなくエマニュエルトッドの「帝国以後」であるし、それはアメリカには読んで欲しくない本のベストテンに間違いなく入る名著だろうと思う。h en* u*u 21さんはとてもインテリな方なんだろう。だから僕のテキストが政治的なこと、認識論的なことに触れるとたちまち反応がある。残念なのはブログを開設されていないので質問からの想像でしかお答えができない。
 相場的な事柄に関する質問等は一切受けない主義だからそれはそれとして、それ以外のプライバシーに関する質問も当然ツールのリスクからはお受けできない。想像して戴く以外にないということである。それ以外のことなら別段隠し事など何も無い。
ただし僕がリベラルであるということは、任意の論点に対して、多数派を形成するような目的があるとう政治的な動きには巻き込まれたくないという点である。ノマドロジーはある意味、アナーキストと同じである。「群れ」を食うという共食いがお仕事だから多数派の形成は本来的に無意味だ。必要なのは遺伝子の存続としてのペアという生物学的♀とテキストという知性に経験と技量という複合された何か=伝承としての相場師ということだ。遺伝子的には子供ではないが複号された何か的には子供という事である。ややこしいブログで申し訳ないのだが、そんなつもりで僕は書いている。

成功のイメージ

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さて、私の書いている場帳からの雑感です。
少ない銘柄数ですが…
場帳を数銘柄でも書き始めると、銘柄による癖の違いがなんとなく、ほんとなんとなく分かってくる気がします。(いや、俺みたいなアメーバには分かってないな、絶対。っていうか数銘柄場帳書いただけで分かったつもりになるのがミーハーなんだよ、バーカ)
もっと書こう、値動きが気になって気になって書きたいと思う今日この頃です。
 
●6507 シンフォニアテクノロジー
下げ止まった感じ 高値から90日(その前の高値からは120日)
 
●3107 ダイワボウHD
下げ止まった感じ 6507より動きが速い(すでに上げ)
 
3109 シキボウ
下げ止まった感じ
 
8090 昭光通商
下げ止まった感じ
 
7971 東リ
既に上げの初動リズム
旭先生の本にあった太平洋海運の値動きと今の動きが似ている感じがしてならないですね。
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後輩にブログを始めろと言ったら、グラフを書き始めて日々の雑感を書き始めた。きっと勉強のできる優等生なんだろう、昔の自分を見ているようで微笑ましい。これでも若い頃は僕も30まで普通のリーマンで仕事をした経験があるから、ちょうど会社の上をみて、このまま年を取ればロクでもない結果は目に見えているなと感じて、「なら俺が出来ることは何だろう?」と普通の男なら考えて動きはじめる時間ということになろうか。リーマンの子息が可哀想だなと思うには、「仕事=良い会社(組織)で出世」以外の発想が無いということだろう。それ以外の世界を知らない。それで一生が安泰なら幸運だが、近頃はそうもいかないんじゃないかと傍目で見て思う。本来金が欲しいやつは勤め人には最初からならない。安定と成功はリスクの反対軸にあるからだ。
 バートンビックスの小説や「ライアーズポーカー」、「バーバリアンズ アット ザ ゲイト」など海外証券小説ものをマンガのように読んで、アメリカの男の経済的成功イメージというのものが僕にはある。分かりやすい絵ということだ。

30か40までに成功して早期引退が絶対の時間軸。フェラーリやベントレーに乗って、コイーバのシガーを燻らせて、浜辺の別荘のプールのデッキチェアで全裸で泳ぐ金髪美女を見ている。時々側にきてあそこを舐めたりするサービス付き。キンキンのドライマティーニにスピード。ボルサリーノを被って麻のパンツを履いて腹が減らないから今日も一日することがない。「何も欲しいものが見つからない」というのが悩み。酒もセックスも美食も飽きて麻薬で自殺でもするか?というような感じだろう。完璧なキリギリスの暮らしだ。金で買える幻想の絵葉書だ。
 そんな具体的な成功のイメージだったと思う。自分を考えると下手で無能だから何一つ満足に出来ていないのだがまあ最後の「何も欲しいものがみつからない」というのはそんな気もする。ガキの頃の強い欲望が嘘のように枯れるのは何故だろう?しおれた花か。化け猫発掘グラフ閲覧会を開くと言っても若い人の反応は鈍い。一日500もくれば3割ぐらいは若者ではないか?と考える僕のほうが甘いのか、それともグラフや場帳を書くという時間的な事が生活では無理ということか、今時手書きグラフと場帳など前時代的で流行らないという事か、様々な理由がきっとあるんだろう。それでも足跡を辿ると様々な人のブログに辿りつくのだが、総じてみなさん真面目が服を着て歩いているようなそんな印象が強い。勉強のできる優等生。不良っぽい僕のようなのはあまりいない。

 アメリカ人という人種はいない。アメリカという幻想の国家があるだけだ。だから入植した貧乏人の彼らは西へ西へと「狩りと略奪」の移動をすることを繰り返して国家を作ってきた。だから西に行くぼど新しいという文化的傾向がある。東海岸と西海岸ではまるきり空気が異なる。西には「落ち着き」というようなものがないのだ。どこか猥雑で開放的で楽天の空気が満ちている。イーグルスのホテルカリフォルニアの世界。そういう空気を20歳の頃の僕は帝石を当てた金でグレイハウンズのバス旅行をして知った。自分で稼いだ金をどう使おうと親父の知ったことかという生意気なガキだったが、学費とアゴアシは親掛かりなのだから「あまちゃん」のワガママである。
 そんな父親が24の時にアッサリと死んだから30でリーマンをきっぱりと辞めて、今のようないいかげんな生活をするようになったのだろう。親父が仮に定年まで普通のリーマンをしているような地味な家庭に育ったら、きっとこうはなっていないだろう。それぐらい父親というものの生き方は子供の生き方に影響するものだろうと思う。だからか自分の子供もやはりリーマンは出来ないようで会社を始めてひいひい言いながらもなんとか生きている。いつかベントレーに息子が乗るようになれるとも思えない。カエルの子はカエル。(笑)それでも僕の影響なのか「女」が大切ということだけは理解している。自分で言うのも変だが息子はすごくモテる。ジャニーズ系のかわいい顔をしているから中学の頃からずっと女の問題でいくら弁護士に金を僕が払ったか、きっと新車のSクラスはでは下らないぐらいの無駄な金を払った記憶があるがこれも俺のせいだと思えばしかたない。20歳ぐらいから半年ごとぐらいに驚くような美女を連れて遊びにくる。ベトナムさんの彼女かもっとモデル顔の化粧品のCMエスティーローダーの美女のようなのを連れくる。「一人俺に回せや」というぐらい美女なのだ。母親が美人ということもあって、その影響が強くてママより美人と結婚するというある種のトラウマがあるのかもしれない。たいてい2−3人掛け持ちして2−3年で別れての繰り返し。常に振られるのは俺にそっくり。まあエネルギーが余っているのだからほっておくしか無いんだろう。その点娘はシビアだった。学生時代から医者か社長の息子としか付き合わない。その中で一番言いなりになる男を拾った。女はズルイのである。

 若いうちに少し余分な金が出来ると日本人の生活や考えがもう少し明るく楽しいものになるんじゃないか?というのが持論であり、金はマダムに任せるなというのも持論だ。同僚のこづかいを聞くと寂しい気持ちになる。月に10万あるリーマンは少ない。ベトナムさんが書いているがマジかよ?と思う。彼の稼ぎとのバランスが異常に低い。億を金を2−3割で回せば2000−3000万。3割を楽しみに使えば1000万だろう。月100万。まあそれぐらいあれば贅沢は無理にしろ都会でもそれなりの楽しいことは出来る。なんでそういう男が少ないのだろう。金は幻想なんだから、生活費以外は全部が幻想だ。2000−3000万を会社でリーマンとして取るには役員クラスだから早くて50ぐらいだろう。彼らには時間がない。遊びに費やす時間がないのだ。月に
300時間以上も仕事をすれば遊ぶエネルギーなんて残らないだろうと思う。ヘトヘトでは遊べない。「金がある時には暇がない、暇がある時には金がない」という矛盾の中で一生を過ごす、下手をすると金も暇も無縁の暮らしになることさえある。そういうことが30ぐらいなると見える人とそうでない人がきっといるんだろうと思う。
 教育の問題もある。試験で良い点を取れば良い大学良い会社良い給料というグローバリズム的な誘導があって、それはそれで良いのだが、考えて答えを出すことがイコールお金という発想習慣になっていることに「自覚」がない。答えを出してそれを「実行する」ことでお金になるという体験にまでたどりついていない。出した答えが実行されるのが組織ならお金は組織のもので僕にはたくさんは分配されない。世の中はそんなもんだときっと思うのだろう。でも個人で実行すればみんな個人のものになる。相場は個人のものだから、どう考えるかだけでは金にはならない。どう実行するかとは道具を揃えて玉を動かすという部分だが、そこには工夫も手法も戦略も技法もほとんどない。根拠無き楽観と無秩序な資金管理ならオケラが待っているのは確実だ。そんな人が大半だろうかと思われる。まあいいか、頭の良い人が増えるとこちらは仕事がしにくくなるから間抜けとアメーバのままでいるほうが楽だし。

月足グラフの印象

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TOPIX


5/21日を当面の底とて相場は戻りを鮮明にしつつあるようだ。ここまで7−8本の新値戻りが多いようだが来週あたりは一呼吸有っても自然だろうし、事実場帳からは今日は上値で戻り売りに押されて詰まった感じのものが増えたようではある。かといって昨年6月の突っ込みの安値をぼぼ下限として2ー5月の月間安値は陰陽を別としてほぼ揃った形の短線の線組が多いので、これからこの下値を崩すのは容易ではあるまい。
海外も新高値に進む市場が目立ち、為替も落ち着いているから東京の割安が目立つようになってきた。年初来、最も売られた東京だが、個別の理由というよりは昨年の上昇が特別に高かった反動安というのが自然な感じだろうかと思われる。場帳を切り替えると、一株順資産の増加、増配銘柄が急増しているせいで、企業はリストラによってコストカットをぎりぎりに進めた結果、身軽な体質に変貌を遂げた。削りすぎて仮に増産となった時の対応が困難な所も増えている。土地供給もなかなか薄い状態のようで、用地取得に手間取る大手不動産会社も多いようだと聞く。中古マンションの値上がりも順調で住み替えを伴った買い替えなどが出て、増税の影響が一段落する夏場には新高値から19000−20000円程度の225はあってもよいような戻りかたになっている。 まだ多くは無いものの今週位から、低位株の一部は出来高が2桁増で急進する派手な株らしい値動きのものも散見される。こうした動きが横に広がればムードが明るくなるから期日開けを狙って上げの波動が鮮明化していくことも予想されよう。昨年春に高値をとったもので12−14ヶ月、9月に取ったものから8ヶ月、年末年始から5ヶ月と日柄的には結構長めの調整と結果的にはなってるようだが、値だけを見れば下値の底練りをしていたという単純なチャートのものが多い。NとWの型ではWのほうが断然多いと思う。賃金や賞与が今年は稀な上昇率となった統計を見たが、久しぶりに家計にお金が厚めに入ることで、消費もそれなりに順調となろう。問題は供給面だろう。設備投資は1−3が強い数字が出始めたが、絞るだけ絞っていたものの更新需要だろうが、ここに来てオリンピックに向け、都市のインフラ整備や防災設備の新規投資が活発化していくとデフ脱却が現実化してくるのは時間の問題ではあるまいか。すると人員不足による賃金の構造的上昇が始まって、資産価格を刺激し、不動産、株式の上昇が次第に明確になってくるというのが日銀のシナリオだろうと思われる。まさに教科書の通りのディマンドプルインフレの始まりである。理屈から考えてもいつ上昇が強度を増しても不思議はないだろうが、やはり相場ものは心理的な部分が大きいから、「心配の壁をよじ登る」というような地味な戻りが当面の主体となるのだろう。
 月足グラフでも下値で詰まったもの、星が多くなって、ここから「売れるもんなら売ってみろ」というような硬いものだらけという感じだ。
全体を先導するようはセクターや銘柄も見当たらないから、結局水準訂正のリターンリバーサルがジワジワ進む。ジリ高は買いずらいというのがそのまま絵になる相場つきになってくるのかな?と感じている。
 長期の強気にはどうでも良い事で、こんな値位置ではどうせ外すということもあり得ないから、今後年金、法人がどの程度出てくるのか?カラカラに絞った株式をどの程度まで戻すのかによって上値の伸びは決まるのだろう。思いのほか海外金利が低いが、それは景気の弱さの結果というよりは景気の良さの原因となっている節がある。技術革新や生産拠点の海外移動、人員合理化などによって使用総資本が漸減してコスト負担なき生産拡大という事態が生まれて「利益が出やすい体質」に改造されている大手企業が多いので資金需要が弱いから低位金利が続く。
 問題は供給と需要がミスマッチしているという部分の解消に時間がかかるという事だ。「金のある奴は欲しいものが無い。」という状態を突き破る魅力的な新商品とサービスという言う面では、田舎暮らしのせいか、ちっとも欲しいものが現実的に売っていない。かといって東京にそれがあるようにも思えない。更新需要だけではインパクトに欠ける。腕は1本しかないので10も20も高級時計が欲しい人は稀だろう。身体が一つしかないのだから車にしても一人が5−6台も買うとも思えない。絵画、骨董趣味がある人は別として、男が金を使うのはやはり「カジノ」ぐらいしか見当たらないという事なのだろう。大阪にカジノ建設が具体化するのかどうか見守ることになる。話は変わるが、相場の上手い人はやはり東京より関西に多いようだ。ブログで大阪弁の人は上手い人が多いようだ。最初は書き言葉だからわからないのだが、慣れて来ると関西弁の記述が出て来る。そうなるとスルスルと本音のお話になって実に勉強になる。京都で数年前に講習会を毎月していた経験があるが、会話に必ず「ボケと突っ込み」みたいな漫才調のトークが入る。こちらは慣れないので不思議な感じで面食らったが関西ではきっと挨拶代わりということなのかもしれない。言葉つきが妙齢の女性でもそれに面白そうに加わるから、東京では見られない光景だったのが印象的だった。声のトーンがキー2つぐらい上がるというのははやりそれなりの「興奮」がきっとあるんだろうなあと思う他ないが、こんな所にも地方色があるのだと思った。関西弁のカーナビが売れるという話も面白い。名古屋も方言がすごいので「何を言っているのかよくわからない」こともあった。
 先日つけたTVで東海地区の地震被害想定というのをやっていた。愛知県で震度7で津波被害で4万人の死亡という大きな数字となっている。東海は自動車中心の重工業地帯で静岡も同じだ。リスク回避からどうしても生産の海外移転が増えるのは必然と思われる。

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