タイトル変更をしてみた。「猫次郎のなんたら書き放題」 サブコピーが「お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね」
とまあ人を食ったようなアホなタイトルで軟派な性格が透けて見える。他人様のタイトルを見るとベトナムさんは「ベトナムとお姉ちゃんと相場のこと」とこれまた軟派丸出し、もう一方の大阪の達人は『なるようにしかならん!」と達観派で禅僧のお題のよう。はるともさんは相場師というよりは勝負師という感じで「たいした話でもないですが、、、すこしこだわったりして」自分なりの「生きる」を綴る と控えめなタイトルの割には手は腰!という内容。
まあラングとかテキストの選択というのはその方の何かを表象するものであるから個性が表れて面白い。僕は「白猫次郎のブログ」というつもりで設定したら何か変な表記になったが面倒なんで半年そのままにしていた。この種の設定とかダメで、昔はネット関連で30名ほど理数系の院生や学生を雇っていたせいで、全部「ああやれ、こうやれで」で済んだし、キーボードを打ってテキストを書く以外はしたことがない。だから写真がどうの、フォントがどうのと言われても「やっとけ」『バカ、そうじゃねえだろ』で全部すましたワガママ社長ばかりでなんとかここまで来たし、今後も多分変化ないだろうから、「面倒なことは給料を払った奴にさせる」というスタイルに変化無し。だってそのための給料だろ?「その上から目線、チョームカツク」というのが娘の言い分で、だから娘とはなるべく会わないように心がけている。オメーの大学費用を誰が払ったと思ってんの?とも言わないし、言っても子供だからしかたない。俺に一番似ているからきっと波瀾万丈だろう。シメシメ。
なんたら書き放題というのは、秘密保護法が通過したせいで治安維持法なみのやばい状況になったなとレフトは憂いているが、ライトはそうでもないらしい。これで小競り合いから紛争にでもなったらエラい事になるんだから、周縁の小さな国は小さくなって金だけ持ってきゃ良いじゃねえか、あまり他に能があるとも思えんし、核が日本中の米軍基地にあるということは、北朝鮮も北京もそれに合わせて数千発のミサイルの照準がそこにあるのだから刺激しないほうが良いよねと思うんだが、「植民地」としての自覚の無い人が多いんだなと思う。アメリカの植民地という自覚がない人が政権を取ったらどうなったか「記憶にありません」というのはまだすこし早すぎはしないか?まだ2年だしね。政治と倫理は書かない方針だが、他の事を書いているうちに筆が滑るのはしかたがない。ネーチャン書くと嫌でも通常人の「倫理」に触れるし、経済を書くといやでも政治に関連せざるを得ない。他人様の個人的意見は興味がないし、勝手にお好きなものを選ぶのが宜しかろうと思うのだが「問いの立て方」というのはその人の伸びしろに大いに関連する事項だから、すこし拘る。その意味で「書き放題」で書いている。『お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね」は3年ほどの生活の近況の感想で、まあ五木さんではないけれど、「辺境」に住むというのは異次元の体験を日常化するという実践だから、これから引退して「ロハコな生活」とか「エコな生活」なんてしたい人には「こんなもんですよー」という実際がバレでいいかも。みんさんが日常的に追いかけるお金やお仕事やお幸せが一歩引いた人間の目(猫という動物の目)から見るといかに異様でアホらしい幻想か?資本主義の逃走線(注:ジル ドルーズ 資本主義と分裂症 参照)から方法論を疑うという視点はちょっとはショックかも?「自由ってなんでしょう?」というような高校生の社会科のテスト論文みたいなことを考えるというのも、金と暇があればこそで、そもそも偉大な哲学者の大半はブルジョワの子弟ばかりはなんでだろう?それはきっと暇と金があるので労働の必要がないという前提があって、初めて人は「ものごとをピュアな視点から考え始める」という部分があるんじゃないのかな?と思います。だって貧乏で寝る暇を削りながら働く必要がある人たちは視点にバイアスが嫌でもかかるでしょ。自覚の有る無しは別とてしかたのない事で、バイアスの無い人と噛み合うはずがないのだろうと思います。これはしかたない現実だろうと。立場の差だから。その立場を逆転しようとするのか、温存したいのかの欲望のうずきの差という事かしら?
自分が「生きた貨幣」として欲動渦巻く金融市場の中で身体を直接貨幣として流通させることで成り立つ「不等価交換」の幻想をどういう視線の位置から見たらいいのかしらというメタ言語空間になったらいい鴨(かも)?という親父ギャグ。
さてクドイお話を何度もしたが、やっと少し人の話を聞いて月足グラフを真面目に書く人が出始めたようで嬉しい。ベトナムさんではないが、最初は書いても何がなんだがよくわからない。それで宜しい。書いたからどうだとかアホな頭で考えると馬鹿らしくて作業がちっとも進まない。演繹思考で今日まで自分が勝てなかったという自覚のある人は(ここまで気がつかせるのにも半年かかったぜ、マジ疲れるなあ、、何万字のテキストを必要としたことか)とにかく1000枚ぐらいは書いてみよ。それでわからんならそれで諦めがつくだろうと思う。アホな頭というのは相場で何千万か何億か取れないような頭という意味だ。
ただたくさん書くと普通の人は次のようなことが自然に湧いてくるものだ。つまり「相似と類似」ということがシバシバ相場では起きる。2つのグラフは同じ銘柄の異なった期間の月足部分の写真だ。さてこれから何か見えるか?というクイズはどうだ。見えない人は見えないし、見える人は見えると思う。なぞなぞだが、上手い人は銘柄名も見れば察しがつくと思う。これを見て、グラフの見方というものが自分で大抵判断できると思う。感じないなら多分ちゃんと「見えていない」のだ。「眼がどこについてるの?」という笑い話だが、そんなことばかりが相場では毎日きっと起きている。
ひよこちゃんが4022の月足を書き上げて昨夜アップしていた。最初だから修正が沢山出て苦労したらしい。でもかったるい作業をしてみたら、わかった事が確かにあったという感想だ。「そういうこと」が彼女の中で変わっていく部分という事だ。これを僕は「呪われた部分」なんて呼んでいる。仕事は変動感覚を醸成するということだが、「自分を変成する」のは苦しいのだ。だから身体作業の反復を必要とする。武道の「型」という習得法と同じだろうと思う。 |
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