猫太郎&all girls ;half of my mine 平成35年 神無月
猫太郎、久しぶり!元気かな?って聞くのは馬鹿げてるよね。溜まりすぎてるってそれエロいでしょ?女子にそういう言い方するとビンタ喰うからね、気をつけろよ脇甘過ぎ!前から思ってんだけどね、猫太郎はクドイのね。嫌われるよ何度も同じ事いうとさ。一回聞いたら大抵普通の人はわかるから、何度も何度も同じことばかり書いててさ、読む気しなーい、そういうの。
あたしね、実は春寺のおっさんに馬をあげたのよ。何か力はいってるじゃない、あの人。思い詰めたような眼しててさ、いっちゃってんのかな?と少し危ない感じもしたんだけどね、貧乏っていうかすかんぴんなんだよ、あの親父。いい年こいて金もない。頭悪すぎ!それで印度に行くって頭おかしいのは猫太郎と同じでさ、船賃どうすんのよ?って現実的なことはちっとも意味プーなんだな、男って馬鹿丸出しね。まあ悪い奴じゃないんだろうけどさ、それだけじゃ×ですね。あのね、ヒミコさ、トリップしてんの。葉っぱじゃないよ。時間よ、時間。場所じゃ結局ダメなんだとわかったから、縦じゃなくて横に行くのがいいんだよ。するとね、変るのよ劇的に。平成って知ってる?そこから150年ぐらい飛ぶとあるんだけどさ、幕府が飛んで日本が出来て戦争やって負けて男はガタガタ。みんな農民は一応止めたんだけど、工場や会社で農業やってる変な国なんだよね。つまり目的と手段の一致がない世界で、どんどん自殺が増えてる。間引きってあるでしょ。それが今、仕事の世界になってんの。数だけは3倍になったから一応なんでも物はあるんだけど、全部が全部白色レグホン状態で、なんでもかんでも捕り放題!毎日毎日バーゲンセールで毛唐にごっそり持っていかれてるよ。でね、あたしはこの毛唐の商い見ようかと思って、一応いろいろ覚えたの。リンダラリーっておばさんがいるのよ、毛唐の。そいつ上手いのよ相場が。でね弟子入りしてさ、安月給でいろいろ覚えてる所。すこしわかったら今度教えてあげるよね。そのかわり焼き肉奢れよ。只じゃ絶対教えねえからね。
あたし中卒やからね仕事もらわれへんのやと書いた
女の子の手紙の文字は とがりながら震えていた
ガキのくせにと頬を打たれた少年たちの眼が年をとる
悔しさを握りしめすぎた こぶしの中爪が突き刺さる
私本当は目撃したんです 昨日電車の駅の階段で
転がり落ちた子供と突き飛ばした女のうす笑い
私驚いてしまって助けもせず 叫びもしなかった
だた恐くて逃げました 私の敵は私です。
ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ
暗い水の流れに打たれながら魚たちはのぼってゆく
光っているのは傷ついてはがれた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ 流れに落ちてしまえば楽なのにね
やせこけて そんなによせこけて 魚たちはのぼってゆく
勝つか負けるかそれはわからない それでもとにかく闘いの
出場通知を抱きしめて あいつは海になりました
ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ
薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかけるって言われてさ
出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるて言われてさ
うっかり燃やしたことにしてやっぱり燃やせんかったこの切符
たんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字の東京ゆき
ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ
あたし男だったらよかったわ 力ずくで男の思うままに
ならずにすんだかもしれないだけ あたし男に生まれればよかったわ
ああ 小魚たちの群れはきらきらと海の中の国境を越えてゆく
諦めという名の鎖を身をよじってほどいてゆく
ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ
ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ
「ファイト」詩 中島みゆき
こんな手紙が来たんだよ。でもこんな女はもういないんだけどさ。なんていうか、バカ男のノスタルジーってあるでしょ?それの受け狙いなんだろうけど、けっこうダサイ筋に売れた唄みたい。演歌っていうの?まあ少しはこういうこともあったらしいけど、女子は男子の10倍強いから、鱗が剥がれてもなんとかすんのよ。それでね、ドルーズとガタリっていう医者と学者が本を2冊書いたのよ。猫太郎がこないだくれたテキストって実はそれのコピーなんだね。ミルプラトーの「器官なき身体」てエクリチュールなんだ。良いとこ突いてるね。そこでさ、「少女とは何か」っていうスゲーテキスト発見!
こういう考えがアリなんだよ。体感的っていうのかマジハマる!でしょ?
女性独自のエクリチュールについて意見を求められたとき、ヴァージニアウルフは「女性として」書くと考えるだけで身の毛のよだつ思いだと否定している。それよりむしろ、エクリチュールが女性への生成変化を産み出すこと、一つの社会的領野を隈無く貫いて浸透し、男性にも浸透し、男性にも伝染して、男性を女性への生成変化に取り込むに足るだけの力を持った女性性の原子を産み出すことが必要なのだ。とても穏やかでありながら、厳しく、粘り強く、一徹で、屈服することのない微粒子。英語の小説におけるエクリチュールに女性が台頭して以来、いかなる男性作家もこの問題に無関心ではいられなくなった。ロレンスやミラーなど、最も男性的で、男性至上主義者のきわみといわれる作家たちもまた、女性の近傍域、もしくはその識別不能性のゾーンに入る微粒子を受け止め、放出しつづけることになる。彼らは書く事によって女性に「なる」のだ。ここで問われるべきなのは、大掛かりな二次元的機械の内側で男性と女性を対立させる有機体や歴史や言表行為の主体ではない。というか、それだけが問題になっているのではない。ここではまず身体が、つまり二元的に対立する有機体を製造するためのわれわれから盗まれる身体が問題なのだ。ところが、まず最初に身体を盗まれるのは少女なのである。そんなにお行儀がわるいのは困ります、あなたはもう子供じゃないのよ。出来損ないの男の子じゃないのよ、、、。最初に生成変化を盗まれ、一つの歴史や前史を押し付けられるのは少女なのだ。次は少年の番なのだが、少年は少女の例を見せつけられ、欲望の対象として少女を割り当てられることによって、少女とは正反対の有機体と、支配的な歴史を押し付けられる。つまり少女は最初の犠牲者でありながら、もう一方では模範と罠の役割も果たさなければならないということだ。だからこそ、身体を「器官なき身体」に作り換え、身体の非有機性を推進する試みは、少女への生成変化や分子状女性の生産と不可分の関係をもつことにもなる。少女も、確かに器官的、モル的意味における女性になりはするだろう。しかし、逆の見方をすれば、女性への生成変化や分子状女性は少女そのものだとも考えれるのだ。処女性によって少女を規定することはできない。少女は、運動と静止の、速さと遅さの関係によって、また原子の結合や微粒子の放出によって規定されるのである。つまり「此性」である。少女は器官なき身体を駆け巡る。少女は抽象線、あるいは逃走線なのだ。したがって少女たちは特定の年齢や性別に、あるいは特定の秩序や領界に帰属することがない。むしろあらゆる秩序や行為、あらゆる年齢や性別の狭間に滑り込むというべきだろう。こうして少女たちは、あらゆる二元的機械を自在に横切り、またこの機械との関係において、逃走線上にn個の分子状の性を産み出すのである。二元論を抜け出す唯一の方法は「あいだ」に身を置き、あいだを通り抜けてインテルメッツオに達するところに求められるわけだが、これはヴァージニアウルフが不断の生成変化に身をゆだねつつ、その全作品で死力をふりしぼって実践してみせたことにほかならない。少女とは、男性と女性、子供と大人など、ニ項的に対立するすべての項と同時に存在する、いわば生成変化のブロックである。少女が女性になるのではなく、女性への生成変化が普遍的な少女を作り出すのだ。子供が大人になるのではなく、子供への生成変化が普遍的な少年を作り出すのだ。謎めいた小説家トロストが描いた少女の肖像には、革命の命運が結びついている。つまり少女の速度、その自由自在の機械状身体、その強度、抽象線あるいは逃走線、分子状の生産、記憶への無関心、さらには非具象的な性格。一言でいうなら、それは「欲望の非具象性」なのだ。ジャンヌダルクがその代表者ということになるだろうか。あるいは、ロシアのテロリズムにおける少女の特異性___例えば爆弾を持ち、ダイナマイトを警護する少女?確かなのは。分子状の政治学は少女と子供を経由するということだ。しかし、もう一つ確かなのは、少女と子供がその力を引き出してくる源泉は、彼らを屈服させるモル的状態ではないし彼らが受け止める有機体や主体性でもないということである。少女と子供は、彼らがすべての性と年齢の間にいきわたらせる分子状の生成変化から、つまり大人にも子供にも当てはまる子供への生成変化や、男性にも女性にも当てはまる女性への生成変化から、その力のすべてを引き出してくるのだ少女や子供が生成変化をとべるのではない。生成変化そのものが少女や子供なのである。子供が大人になるのではないし、少女が女性になるのでもない。少女とは男女両性に当てはまる女性への生成変化であり、同様にして子供とは、あらゆる年齢に当てはまる未成熟経の生成変化である。「うまく年をとる」ということは若いままでいることではなく、各個人の年齢から、その年齢に固有の若さを構成する微粒子、速さと遅さ、そして流れを抽出することだ。「うまく愛する」ということは男性か女性のいずれかであり続けることではあなく、各個人の性から、その性に固有の少女を構成する微粒子、速さと遅さ、流れ、そしてn個の性を抽出することだ。「年齢」そのものが子供への生成変化なのだし、性一般も、さらには個々の性も、すべて女性への生成変化、つまり少女たりうるのである。___これはプルーストはなぜアルベールをアルベルチーヌに変えたのだろうかという愚劣な問いへの答えである。
今、相場をやっている所はボスが外国人で労働者も半分が外国人だから、あちらの言葉を覚えたよ。日常会話も仕事も日本語ではないことが多いんだ。するとね、言語の成立過程が異なるから言語の使用法が結論に大きな影響を与えるというのが毎日体感的にわかるのね。きっと狩りに向いた言語と農業に向いた言語があるんだ。農業言語で狩りをしても獲物取れないというか逃げちゃうことに気がつかないことに気がつかない。(爆)まるでマンガです。
猫太郎、覚えとけよ。あんたは少し馬鹿だけどまだ本物の馬鹿になりきってないでしょ?そこがポイントなんだと思う。下らない大人って何でくだらないかを自分で自覚出来ない部分がくだらなさの本質でしょ。だからそうじゃない大人を見ればいいんじゃないの?そうじゃない大人、つまり本来のあるべき大人ってたまにはいるでしょ。そいつらの共通項ってなんだろう?ヒミコの眼には「無邪気さ」に映るね。ある種の子供以上の無邪気さがあるんだよ。結局は年を食って、爺や婆になってもさ、とんがった奴は「無邪気」なんだ。すべての力の源泉がきっとそこにある!
そいつらはオタクだからいつも同じ事ばかりしている。24時間、とにかく自分の好きな事ばっか追いかけて、棄てられて、裏切られて、叩かれて、それでも繰り返し追いかける。それがさ、ある意味快感なんじゃないの?Mっけたっぷり。(笑)そうやって追いかけていると常に変化していくんだろうと思う。テキストでいう生成変化、分子状の。この変化というのが全ての力の源泉なんでしょ?ところがさ、何をトチ狂ってんだろうと思うんだけど、下らない大人は全員が全員、この生成変化の結果しか見ていないんだよ。その結果の数値しか見ていない。変化そのものなんて視野の外なんだ。結果なんてどんな数値が出るかなんて常に偶然だろ?とは思わないんだ、頭が悪いからさ。程度が酷いと、自分に都合の良い結果の数値だけ集めて「ああだ、こうだ」とくる。
馬鹿じゃないかって思うのは、力の源泉が生成変化そのものだとすれば、その変化の主体になる以外、成果の配分があるはずないよね。主体=客体の同化と異化のズレが隙間ということでここに少女は滑り込む。逃走線だよね。つまり現実的には時間と分散の積だろ?積はさ、一項の絶対値の大小ぐらいは小学生の算数だから、結論明白、実践容易と思わない?「散らして引っ張れ」以外ないじゃん? エヘヘ ヒミコ頭よくなってるでしょ?
猫太郎、あんたそのうち印度へ行くんでしょ。ドゴンの卵を絶対持って来てね。持って来てくれたらさ、あんたのおち○ち○ちょっと気持ちよく触ってやってもいいからね。ちゃんと洗っとけよ、ヒミコはバッチイの嫌い!