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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

書庫日記

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毎日が給料日が始まる

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グラフ更新を地味にやっている。毎月グラフを書いて、「ん、これいいかも?」と思ったコードをメモる。月の引け値と一緒に専用ノートを作って書いておくと後々
自分の「感じ」の速度がわかる。連続でつたいの陰線を買うというような買い下がりが初心者のなんぴんになるんだろうが、どれぐらい「つたう」かは長さと日柄だ。
コツンと来て買ってみるほうが、楽だし上げになるまでの「やきもき」が無いぶんだけ気の速い人向けだが、どうしても動作がおっかけ癖がついてしまう。

引っ張ってコツン付近を団子で建てれば理想と思うが、そうでもない。あまりに良い団子が出来ると「売らない我慢」が苦しい。
利食いをしない我慢というのは、高級な我慢だから下手な人はなかなか出来ないから、やはり年季がいることだろう。
5月の後半以降、上げの日柄が増えている。その日が給料日みたいな日がポツポツと2週に数日だったものが、だんだんと週に数日となり、やがて連続で3−4日も給料日みたいに金が増えていく。
こんな時は何かしてはいけない。「売らない我慢」の始まりだ。
団子の良い玉というのを売ってしまうと跡で「あーあ!」に大概なるものだ。だからそういう時こそ「順張り」タイムで乗せの好機ということに自然になるのだが、
逆張りばかりしているとどうしても利食いが早くなりがちだ。

僕はポツン、ポツンと拾って、離れた遠い玉が引かされることも多い下手の典型だが、この引かされた値幅がかなりあるそれぞれの玉が一枚ずつ、利に変るのを待っている時間というのはなかなか辛抱の練習には良い物だと思う。何もしないのだが
自分の時間軸が自然に変化していく。季節が変わるように、夏がもりもりと緑を増やしていくように愛でている時間。
そんなことをしていると1月で何百万も調子が出ると数千万もお金が増える。

年末から買い推奨していた「その他金融」の8585,8589などが高値を更新してきたようだ。まだ出来高からみて上げの序盤だろうと思う。1年間ゆっくりと調整してから昨年高値まではそんなにここから時間はかからんだろうと思う。
さて昨年の高値をどういう風に抜くのかな?だけ見ていればよいだろう。2倍返しが3倍返しが。一般的な傾向として目先の安値の3倍化ぐらいに上げる低位株のうねりの周期はある意味メドとしては有効である。黄金分割というのはじつに「美しいバランス」である。デザインという意味で、身の回りを「美しいバランス」の物で固めると効果的だと思う。ベトナムさんも僕もMac好きというのは、「バランスの美しさ」で買っているんだろうと思うのだ。
 毎日200万金が増えても、外出しないと1円も使えない。グラフを書き終えるまでは下山したくないから、4−5日で1000万ぐらい増えちゃいそうだ。
働かないのに悪いなといつも思う。春闘で7000円父ちゃんの給料が上がるというのが10年ぶりのことらしい。いつも労働者はジャンボジェットの後輪だなあ、ご苦労様だと思うが、こういう我慢強い農民のおかげで日本の工業はきっと保っている。
 昨日、練習生にはハッパをかけるメールを送った。相場というのは、身体の使い方の練習と頭の使い方の練習の組合せだ。脳の記憶の要素はほとんどない。指が記憶するのである。「貧窮ビジネス=サラ金」は大きな伸びしろがある商売だ。これからまたどんどんと貧窮する人たちが激増するだろう。増税で構造的に人口の何%かは毎年確実にそこに叩きおとされる仕組みが完成したと言って良い.そういう状態で通貨発行を2倍、3倍にすれば何が起きるかは馬鹿でもわかる。
低位のボロ株が木の葉のように舞い上がるインフレの季節が来ているのだろう。


ヒミコの返信

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猫太郎&all girls ;half of my mine                                                   平成35年 神無月

 猫太郎、久しぶり!元気かな?って聞くのは馬鹿げてるよね。溜まりすぎてるってそれエロいでしょ?女子にそういう言い方するとビンタ喰うからね、気をつけろよ脇甘過ぎ!前から思ってんだけどね、猫太郎はクドイのね。嫌われるよ何度も同じ事いうとさ。一回聞いたら大抵普通の人はわかるから、何度も何度も同じことばかり書いててさ、読む気しなーい、そういうの。
あたしね、実は春寺のおっさんに馬をあげたのよ。何か力はいってるじゃない、あの人。思い詰めたような眼しててさ、いっちゃってんのかな?と少し危ない感じもしたんだけどね、貧乏っていうかすかんぴんなんだよ、あの親父。いい年こいて金もない。頭悪すぎ!それで印度に行くって頭おかしいのは猫太郎と同じでさ、船賃どうすんのよ?って現実的なことはちっとも意味プーなんだな、男って馬鹿丸出しね。まあ悪い奴じゃないんだろうけどさ、それだけじゃ×ですね。あのね、ヒミコさ、トリップしてんの。葉っぱじゃないよ。時間よ、時間。場所じゃ結局ダメなんだとわかったから、縦じゃなくて横に行くのがいいんだよ。するとね、変るのよ劇的に。平成って知ってる?そこから150年ぐらい飛ぶとあるんだけどさ、幕府が飛んで日本が出来て戦争やって負けて男はガタガタ。みんな農民は一応止めたんだけど、工場や会社で農業やってる変な国なんだよね。つまり目的と手段の一致がない世界で、どんどん自殺が増えてる。間引きってあるでしょ。それが今、仕事の世界になってんの。数だけは3倍になったから一応なんでも物はあるんだけど、全部が全部白色レグホン状態で、なんでもかんでも捕り放題!毎日毎日バーゲンセールで毛唐にごっそり持っていかれてるよ。でね、あたしはこの毛唐の商い見ようかと思って、一応いろいろ覚えたの。リンダラリーっておばさんがいるのよ、毛唐の。そいつ上手いのよ相場が。でね弟子入りしてさ、安月給でいろいろ覚えてる所。すこしわかったら今度教えてあげるよね。そのかわり焼き肉奢れよ。只じゃ絶対教えねえからね。


あたし中卒やからね仕事もらわれへんのやと書いた
女の子の手紙の文字は とがりながら震えていた
ガキのくせにと頬を打たれた少年たちの眼が年をとる
悔しさを握りしめすぎた こぶしの中爪が突き刺さる

私本当は目撃したんです 昨日電車の駅の階段で
転がり落ちた子供と突き飛ばした女のうす笑い
私驚いてしまって助けもせず 叫びもしなかった
だた恐くて逃げました 私の敵は私です。

ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ

暗い水の流れに打たれながら魚たちはのぼってゆく
光っているのは傷ついてはがれた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ 流れに落ちてしまえば楽なのにね
やせこけて そんなによせこけて 魚たちはのぼってゆく

勝つか負けるかそれはわからない それでもとにかく闘いの
出場通知を抱きしめて あいつは海になりました

ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ

薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかけるって言われてさ
出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるて言われてさ
うっかり燃やしたことにしてやっぱり燃やせんかったこの切符
たんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字の東京ゆき

ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ

あたし男だったらよかったわ 力ずくで男の思うままに
ならずにすんだかもしれないだけ あたし男に生まれればよかったわ
ああ 小魚たちの群れはきらきらと海の中の国境を越えてゆく
諦めという名の鎖を身をよじってほどいてゆく

ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ
ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ
 
 「ファイト」詩 中島みゆき


 こんな手紙が来たんだよ。でもこんな女はもういないんだけどさ。なんていうか、バカ男のノスタルジーってあるでしょ?それの受け狙いなんだろうけど、けっこうダサイ筋に売れた唄みたい。演歌っていうの?まあ少しはこういうこともあったらしいけど、女子は男子の10倍強いから、鱗が剥がれてもなんとかすんのよ。それでね、ドルーズとガタリっていう医者と学者が本を2冊書いたのよ。猫太郎がこないだくれたテキストって実はそれのコピーなんだね。ミルプラトーの「器官なき身体」てエクリチュールなんだ。良いとこ突いてるね。そこでさ、「少女とは何か」っていうスゲーテキスト発見!
こういう考えがアリなんだよ。体感的っていうのかマジハマる!でしょ?

 女性独自のエクリチュールについて意見を求められたとき、ヴァージニアウルフは「女性として」書くと考えるだけで身の毛のよだつ思いだと否定している。それよりむしろ、エクリチュールが女性への生成変化を産み出すこと、一つの社会的領野を隈無く貫いて浸透し、男性にも浸透し、男性にも伝染して、男性を女性への生成変化に取り込むに足るだけの力を持った女性性の原子を産み出すことが必要なのだ。とても穏やかでありながら、厳しく、粘り強く、一徹で、屈服することのない微粒子。英語の小説におけるエクリチュールに女性が台頭して以来、いかなる男性作家もこの問題に無関心ではいられなくなった。ロレンスやミラーなど、最も男性的で、男性至上主義者のきわみといわれる作家たちもまた、女性の近傍域、もしくはその識別不能性のゾーンに入る微粒子を受け止め、放出しつづけることになる。彼らは書く事によって女性に「なる」のだ。ここで問われるべきなのは、大掛かりな二次元的機械の内側で男性と女性を対立させる有機体や歴史や言表行為の主体ではない。というか、それだけが問題になっているのではない。ここではまず身体が、つまり二元的に対立する有機体を製造するためのわれわれから盗まれる身体が問題なのだ。ところが、まず最初に身体を盗まれるのは少女なのである。そんなにお行儀がわるいのは困ります、あなたはもう子供じゃないのよ。出来損ないの男の子じゃないのよ、、、。最初に生成変化を盗まれ、一つの歴史や前史を押し付けられるのは少女なのだ。次は少年の番なのだが、少年は少女の例を見せつけられ、欲望の対象として少女を割り当てられることによって、少女とは正反対の有機体と、支配的な歴史を押し付けられる。つまり少女は最初の犠牲者でありながら、もう一方では模範と罠の役割も果たさなければならないということだ。だからこそ、身体を「器官なき身体」に作り換え、身体の非有機性を推進する試みは、少女への生成変化や分子状女性の生産と不可分の関係をもつことにもなる。少女も、確かに器官的、モル的意味における女性になりはするだろう。しかし、逆の見方をすれば、女性への生成変化や分子状女性は少女そのものだとも考えれるのだ。処女性によって少女を規定することはできない。少女は、運動と静止の、速さと遅さの関係によって、また原子の結合や微粒子の放出によって規定されるのである。つまり「此性」である。少女は器官なき身体を駆け巡る。少女は抽象線、あるいは逃走線なのだ。したがって少女たちは特定の年齢や性別に、あるいは特定の秩序や領界に帰属することがない。むしろあらゆる秩序や行為、あらゆる年齢や性別の狭間に滑り込むというべきだろう。こうして少女たちは、あらゆる二元的機械を自在に横切り、またこの機械との関係において、逃走線上にn個の分子状の性を産み出すのである。二元論を抜け出す唯一の方法は「あいだ」に身を置き、あいだを通り抜けてインテルメッツオに達するところに求められるわけだが、これはヴァージニアウルフが不断の生成変化に身をゆだねつつ、その全作品で死力をふりしぼって実践してみせたことにほかならない。少女とは、男性と女性、子供と大人など、ニ項的に対立するすべての項と同時に存在する、いわば生成変化のブロックである。少女が女性になるのではなく、女性への生成変化が普遍的な少女を作り出すのだ。子供が大人になるのではなく、子供への生成変化が普遍的な少年を作り出すのだ。謎めいた小説家トロストが描いた少女の肖像には、革命の命運が結びついている。つまり少女の速度、その自由自在の機械状身体、その強度、抽象線あるいは逃走線、分子状の生産、記憶への無関心、さらには非具象的な性格。一言でいうなら、それは「欲望の非具象性」なのだ。ジャンヌダルクがその代表者ということになるだろうか。あるいは、ロシアのテロリズムにおける少女の特異性___例えば爆弾を持ち、ダイナマイトを警護する少女?確かなのは。分子状の政治学は少女と子供を経由するということだ。しかし、もう一つ確かなのは、少女と子供がその力を引き出してくる源泉は、彼らを屈服させるモル的状態ではないし彼らが受け止める有機体や主体性でもないということである。少女と子供は、彼らがすべての性と年齢の間にいきわたらせる分子状の生成変化から、つまり大人にも子供にも当てはまる子供への生成変化や、男性にも女性にも当てはまる女性への生成変化から、その力のすべてを引き出してくるのだ少女や子供が生成変化をとべるのではない。生成変化そのものが少女や子供なのである。子供が大人になるのではないし、少女が女性になるのでもない。少女とは男女両性に当てはまる女性への生成変化であり、同様にして子供とは、あらゆる年齢に当てはまる未成熟経の生成変化である。「うまく年をとる」ということは若いままでいることではなく、各個人の年齢から、その年齢に固有の若さを構成する微粒子、速さと遅さ、そして流れを抽出することだ。「うまく愛する」ということは男性か女性のいずれかであり続けることではあなく、各個人の性から、その性に固有の少女を構成する微粒子、速さと遅さ、流れ、そしてn個の性を抽出することだ。「年齢」そのものが子供への生成変化なのだし、性一般も、さらには個々の性も、すべて女性への生成変化、つまり少女たりうるのである。___これはプルーストはなぜアルベールをアルベルチーヌに変えたのだろうかという愚劣な問いへの答えである。


 今、相場をやっている所はボスが外国人で労働者も半分が外国人だから、あちらの言葉を覚えたよ。日常会話も仕事も日本語ではないことが多いんだ。するとね、言語の成立過程が異なるから言語の使用法が結論に大きな影響を与えるというのが毎日体感的にわかるのね。きっと狩りに向いた言語と農業に向いた言語があるんだ。農業言語で狩りをしても獲物取れないというか逃げちゃうことに気がつかないことに気がつかない。(爆)まるでマンガです。
 猫太郎、覚えとけよ。あんたは少し馬鹿だけどまだ本物の馬鹿になりきってないでしょ?そこがポイントなんだと思う。下らない大人って何でくだらないかを自分で自覚出来ない部分がくだらなさの本質でしょ。だからそうじゃない大人を見ればいいんじゃないの?そうじゃない大人、つまり本来のあるべき大人ってたまにはいるでしょ。そいつらの共通項ってなんだろう?ヒミコの眼には「無邪気さ」に映るね。ある種の子供以上の無邪気さがあるんだよ。結局は年を食って、爺や婆になってもさ、とんがった奴は「無邪気」なんだ。すべての力の源泉がきっとそこにある!
そいつらはオタクだからいつも同じ事ばかりしている。24時間、とにかく自分の好きな事ばっか追いかけて、棄てられて、裏切られて、叩かれて、それでも繰り返し追いかける。それがさ、ある意味快感なんじゃないの?Mっけたっぷり。(笑)そうやって追いかけていると常に変化していくんだろうと思う。テキストでいう生成変化、分子状の。この変化というのが全ての力の源泉なんでしょ?ところがさ、何をトチ狂ってんだろうと思うんだけど、下らない大人は全員が全員、この生成変化の結果しか見ていないんだよ。その結果の数値しか見ていない。変化そのものなんて視野の外なんだ。結果なんてどんな数値が出るかなんて常に偶然だろ?とは思わないんだ、頭が悪いからさ。程度が酷いと、自分に都合の良い結果の数値だけ集めて「ああだ、こうだ」とくる。
 馬鹿じゃないかって思うのは、力の源泉が生成変化そのものだとすれば、その変化の主体になる以外、成果の配分があるはずないよね。主体=客体の同化と異化のズレが隙間ということでここに少女は滑り込む。逃走線だよね。つまり現実的には時間と分散の積だろ?積はさ、一項の絶対値の大小ぐらいは小学生の算数だから、結論明白、実践容易と思わない?「散らして引っ張れ」以外ないじゃん?  エヘヘ ヒミコ頭よくなってるでしょ?

猫太郎、あんたそのうち印度へ行くんでしょ。ドゴンの卵を絶対持って来てね。持って来てくれたらさ、あんたのおち○ち○ちょっと気持ちよく触ってやってもいいからね。ちゃんと洗っとけよ、ヒミコはバッチイの嫌い!
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jsbach2014さんという所に行って無理やりお友達にしてもらった。押し掛け強盗にきっと近いんだろうと思う。林さんの「商品相場の技術」からの引用が多いから多分プロかプロに近い人だろうと思う。譜もないけどブログを始めたばかりだからそのうち出るのを期待したい。
でも爺さんに習った人で長っパリになると仕切りなんてあっても年数回だから、今年は連休前は安いので買いなら仕切りはほとんどないだろうし、年末ぐらいまでは寝かすんだろうからしばらく出ないよね。自分のこと考えても値幅が欲しけりゃ寝るしかないんで、遠藤さんなんか2−3年寝てるのが普通だもんね。こんなのは従来の相場師とは違うのかな?100円上げて売って、押してくれれば良いんだが、そのまま上げて窓が空いたら買い直しが効かないんなら売るバカいないよね?
商品から現在は株式に変えたようだし、財務分析なんかしているからきっと慎重なタイプかもしれない。それでも丸善で金の万年筆を買うというのは東京かその近郊の方だろうし、アイコンが広重か「東海道五十三次」みたいな浮世絵だから江戸趣味だ。安さんみたい!でカッコイイ。
あ、今度はサクランボになった。
プロフィールを見ると「秘密主義」で何も書いていない。だからペリカンで場帳を付けているのと資料をきちんと財務分析してふるいにかけていることがわかる。あと何だか知らないが安全な資産株の化け(といっても半年で2−5割)を狙う投資法の概略があるから、まあ無難というか安全というか、技法に偏らない方法の紹介があって、ほんとにこんなことしてるんかな?

 「引かれ腰が強く、利食いが早い」という下手の典型を書いているということ、上手い人は一旦波に乗ったら玉が寝るということ、つまり長っ張りの「あるべき操作の理想論」をきちんと書いているからゆっくり操作の本質が分かってる人である。それが体感でわかる人が下手なはずがないのだから、「お友達」をお願いしてポチっとしてみたら「OK」だった。だからこれからきっといろいろ書いてくださるんだろうと思う。多分、僕より年上の方なんだろうが言葉使いはご丁寧でこちらはベランメエで失礼なんだが、相場師はみんな友達だから敬語は「上下」の世界だからそぐわない。名刺を出して「こういうものです」という世界での話ではないから、まあいいかねと僕は勝手に思います。

なんか僕のサイトは上手い人も結構見てるんだ?と不思議である。彼らは大抵は寡黙でほとんど書かない。「男は黙って札幌ビール」みたいな笑っちゃう美学みたいな人ってまだ日本にいるんだ?と思う。「絶滅危惧種」とか「天然記念物」って最近の女子は言いますよ、こういうの。結構定年過ぎてかみさんに棄てれられやすいタイプなのよね。典型は相場研の総長ね。一見は武士みたいな感じの硬派なんだけど、話すと実は優男でさ。俺より隠れて悪い事結構してんじゃね?という感じだよ。
 でもさ、日本の男子が総じてダメになった理由がこれじゃね?てサッカー見てても思うんだね。女子は世界一で男子はド下手。美しい動きの選手が男子は一人もいない。個人というレベルでみれば、ブラジルの選手はカモシカで日本のそれはどれも豚か狸。ダサイ、遅い、弱い、小さい。要素として1000に一つの勝ち目もない。ダサすぎる!見ていて恥ずかしい!
何でかね?「自分を変える勇気が無いからでしょ?」と思わんのかなあ。女子はさ、子供生んだり、生きるのに身体使って必死でしょ。嫌でも変らざるを得ない。男はアホな頭でグチグチつまんねえこと気にして身体が動いてないんだね、多分。
男はベラベラ女みたいに話すなというような価値観は保身的な価値観なんだよね。テキストでその人のお里が知れるのは当然だから、自分のお里が知れるということを無意識に恐れる、精神分析で言うと憂鬱症なんだな。つまり積分、統合的価値観なんだな、大抵。別に批判じゃないよ。人はそれぞれだから好きなもんでいいかなとは思う。でもさ、たかが人間一人が積み上げたものなんて大それた物のわけ元々無いじゃん?とは思わんのかね?精々が金が多いか少ないかという記号の大小の下らんバカ話に過ぎないのにねえ、、。近藤紡みたいに2000億積んだって話じゃねえだろうが?
 僕がベトナムさんと仲良し(僕が勝手にそう感じているだけだろうけど)になったのは、相場の腕が良いということも無論あるんだけど、ベトナムという遠くて暑い国に16年も駐在してオネーチャンと相場が好きで、昔の女に金借りて成功するガッツがあってすげえ人だなと思ったからだ。
俺じゃ絶対無理!飯が無理、ホビロンなんて喰えないもん。暑いの困るし、でもネーチャン綺麗なのは羨ましいなあ。
 よっぽどベッドでのサービスが上手いんだろうと思うんだね。そのわりに相場はあっさりいっちゃうのが不思議な気もするけど、まあ気持ちが良いのを回数こなす人なんだろうなと思う。張り方は実際は似ていないし、利食いも必要性の差がきっとあるのだろうし、してきた仕事の業界は少し近い部分があって、今の繊維業界の事を教われるから為になるのはあるけれど、「遊んでなんぼ、楽しんでなんぼ」みたいなある意味女性的な悦楽現実主義っていうか美意識主義っていうか、まずしたい事があってそのために自分が一直線に突っ走るという闘争の(逃走か?笑)の仕方に共感があるのが大きいなと思うんだね。俺の周囲はケチ臭い優等生ズラしているようなのが多いのよ。面白くもなんともないんだよ、こういうタイプってさ。目くそ、鼻くその微小な差で優越感に浸っちゃってさ、世界がリーマンしかないんで、つまらんのよ、話がさ。ゲロ吐いて空飛ぶみたいな話はゼロです。遊びは損得がないからオモロいと思わんのかなあ?
一流の昆布とか鰹節をおっさんが自分で用意するような男はなにしても細かいしきっとウルサいよ多分。「マズいもんは喰えたくねえ」という事だろうと思う。ベトナムの飯が口に合うともどう考えても思えんけれど、優先するもののために我慢するものはする。マーおねえちゃんと相場にはそのほうがきっと良いんだろうなあ、今の幸せって書いてるもんなあ、、。

 それは「自由の個人的実現」ということだから、多分というか確実に「人迷惑も顧みず、したい事はなんでもやるもんね、俺は」という個人のワガママがまずある。正直なんだね、欲望に。欲望の実現のためには、結構涙ぐましいマメさでやる事は人一倍やるというのも似ているのかな?いや僕のほうが怠け者だね、きっと。彼は普段でも早起きして会社のデスクでPC起動して日計りしているようだし、だから日常の動作はきっと全然というぐらい見た目は異なると思う。でも道具の整備は似ていると思うな。自分のやり方を固めるという時に、自然に自分の好きな方法に個人が固まっていくということが普通なんじゃないのかなと思う。なんでも良いんですよ、方法論なんて喰えてりゃ関係ないんだ。喰えるかどうかだけよ、職業なんてそれ以上でもそれ以下でもなくてさ、餌の取り方のお話なんだから。飯の喰い方をさ「ああやれ、こうやれ」誰かに言われたんじゃ、どんな高級な飯でも豚の残飯みたいな気になるようなのがきっと全員相場師になるんじゃねえの?って僕はガキの頃から思っていたから、自立するのがきっと早かったんだろう。相場師の自立はそんなに早くもないけれど、リーマンなんて鳥肌立つぐらいに嫌だったから、仕事の仕方を教わったらとっとと後足で砂掛けまくってトンズラだ。一人は「キモチイイ!」で思ったし、しなきゃいけない我慢というのはさ、自分のやりたい事をやるために我慢しないとエネルギーの浪費だろと思ったから、つまんないアホな会社でくだらん上司の下で安月給なんかで我慢なんかしても人生の無駄だと思ったんでオサラバしまスタ。でもこれって日本じゃ例外かもしれんけどね、他の国では「普通の普通」ですよ。日本だけダラダラへばりついてるのは実に不思議よね?いつまでたっても農村経済ね。天皇制の歴史的弊害か?とも思うね。温いというか、ダサイねえ。
 大した欲望なんてしてみりゃ大抵の人が何もないんです。「本をゆっくりと読める」「たまにごちそうが食べたい。」「通勤は絶対にしたくない。」「きれいなオネーチャンが好き。」「好きな時に風呂に入りたい。」「昼寝と夜更かしがしたい。」貧乏人の欲望だから大抵がかわいいもんですよね。どれも金とはほとんど関係ない欲望なんです。工夫すれば良いだけです。時間的なことが大半です。リーマンは月給が安いのに、上記の事が全部というぐらい出来ない職場でした。まあどんな場所でも会社はきっとそうなんだろうと思います。自由を売って金を貰うという仕組みですからねえ。そういう交換はしたくない。どう考えても等価交換とは僕には思えないということだったんでしょう。

クローズド レビーストロース って知ってる?フランスの人類学者というか社会学者というかコレージュドフランスの教授で「悲しき熱帯」を書いた人です。
その本でね、アマゾン奥地の非文字文化民族の近親婚の調査とかしてね、原住民のライフスタイルと経済が書いてあるの。前にも書いたけどさ10人くらいの拡大家族(夫婦、第二婦人、子供数名、甥、姪、その両親など)の経済は、夫婦の狩猟と収集(植物と果物、薬草、貝)が一日2−3時間だけで10人程度がちゃんと喰えるのです。他の時間は祭儀の準備、戦争、生殖、育児、教育、睡眠、遊戯、休養という実に豊かな時間配分で、もうこれと比較すると日本人の資本主義現代社会の時間経済配分は恐ろしく貧しいのね。もう最低の最低レベルですね。ゴミ以下ですね。「なんでかね?」と思う人はほとんどいません。「考えないようにしている。」「無視して見ないふり。」だから日本男子はあのサッカーになっちゃったと僕は思いますね。会社ではさ「改善」をさかんに全員がするのにさ、「自分のカイゼン」は全然しないんだもん。「アホちゃうのこいつら?」そいつらが相場したらアッという間にオケラでしょ?と思わんのが僕はとても不思議。鋤と鍬では鹿は捕れんわね、普通。道具(頭の使い方)変えないとマジやばいよ。

結局は「お金」という記号論の問題を克服できていないという事でしょ?克服する気がないんですよ、最初からきっと。だから相場やる人が「狩猟民」的発想をどうしても入れないと無理なんです。だって「狩り」というのは何を狩るかとは相場では「共食い」なんだから。ゼロサムってそういう事でしょ.綺麗ごと言ってもさ。

 なんかこれだけブログが多いから、「リレー小説」始めたらもっとたくさん書く人がでるかなと期待していたんだけど、Bさんしか書いてくれないんだなあ。足跡見るとサイトはあるのに、記述が無い。面倒で時間がないという事だろうなあ、世の中で暇な遊び人は少ないんだなあ!と思います。
でも記号の収集という事はさ、言葉も記号の代表でしょ?数値は記号ですから扱いのコツは同じなのね。アレンジメントという事です無限の。だから言葉の扱いというのは数値の扱いとある意味一緒だから、ちゃんと言葉の扱いを練習したほうがいいと思いますよ。それは創作ということですね。創作というのは動作と同じで、動くということなんですよ。どう動くかということです。頭を使ってさ。

ヒミコへの手紙 1


ヒミコへ;  half of my mine                                                                                                       慶応元年 葉月

 さて君が突然この村から姿を消して18ヶ月になる。春寺の坊さんがいなくなってしばらくして君もいなくなった。きっとどこかで二人は一緒に生活しているのかな?僕たちの父である虎はきっと印度という西のほうの遠い場所にきっと今頃はいるのだろう。僕と君は多分想像だが父は一緒だが母は異なる異母兄弟だと思っている。それは君のお尻の痣と僕の胸の痣の色が違うからだ。僕たちの秘密の交感は不思議なことをたくさん教えてくれたように思う。きっとそれはヒミコも同じだろう。虎父と人母の間に産まれた僕たちは村の他の誰とも違う人種(?虎種)だろ?僕の痣が白いのはきっと白人種の人母のせいだろう。ヒミコの痣はピンクだからどんな人母なんだろうか?村の噂では江戸のほうに浦賀という港があるらしい。そこに大きな黒い異国の船がついて、白い肌をしたヒゲの異人たちがやってきたらしい。きっとこの国を攻めに来たんだろう思うんだ。僕の人母の国の人かもしれないと思ったよ。
 ヒミコの尻の痣に僕が触り、ヒミコが僕の胸の白い痣を触ると不思議なことがいつも起きたよね。なんか身体の全部がぐるぐる回転するような変な気分なんだよね。僕の頭の中でその時になると「異国の言葉」みたいなものが浮き出ているんだ。喋ったり書いたりすることが無かった言葉なのだけれど、それはきっと白人種の言葉たちなんだろう、今はそう思っている。ヒミコは何かそれで変ったかい?僕から見ると、ヒミコはどんどんと綺麗に大人っぽくなって、村中の男たちの評判になっただろ。ケチなゴン助が米をくれたり、意地悪な庄助が鮎をわざわざ君のために捕ってきたり村中の男が大騒ぎで君に取り入ろうとしていたね。君の噂はあっという間に広まって、国中からたくさんの男たちがやってきた。貴族も武士も僧侶も商人も、男という男たちがやってきてヒミコに求婚する。まるで「竹取り物語」と同じじゃないか?だから以前もきっとこの国では同じようなことが起きていたんだろう、そう僕は思っている。以前のときは、姫は月に帰ったという話じゃなかったっけ?するとヒミコもどこか他の星にいまはいるのかな?
 交感の後、ヒミコは大人になっていったけど、僕の身体は相変らずのろのろと成長している。身長も3センチしか伸びていないし体重は4キロ増えているけど、まだ君より随分とチビだ。でも交感を止めてからまた変なことが僕の身体には起きている。なんていうのかな、何かか身体で溜まるという感じと不足するという感じが同時に起きるんだ。溜まるのは異国の言葉と精液だ。これはすごくたくさん溜まるから時々放出しないと気持ちが悪い。不足するのはそれ以外の全てだ。とにかく全てが足りないで不足している。だからその不足しているものたちを急いでかき集めてなんとかしないといけないような気持ちにいつもなるんだ。
 山寺の偉いお坊さんが僕にいつも言っているのは「言葉は書き写すことが重要である。言葉は復唱することが重要である、全ての言葉を書き写し、復唱しなさい。」ということなんだ。だから墨と硯、それに筆と半紙を僕に好きなだけ使って良いという許しが出た。こうやって君に手紙を書くのも、それが実際には君に届くことがないのもわかってはいるのだけれども、きっと言葉はきみの心に必ず伝わるという強い想いがあるんだね。どこか空の上、星かな、そんな所から君が僕の手紙をそっと覗いてる、だから言葉を書き記すという事が大事なんじゃないか。僕の書く言葉というのは僕にはよくわからない事だらけなんだよ。浮かんでくるのさ見た事のない文字で横に小さな蟻というか虫というかそれが並んだような文字の言葉なんだね。でも胸の虎痣に触ると僕たちの言葉=日本の言葉に置き換わる。それで置き換えた言葉を君に絶対伝えないといけないと思って手紙を書く事にしたんだ。
 僕は君の事を考えるのが好きだ。すると好きな事をしていると幸せな気分に誰でもなるだろう?それはきっと僕が君を好きということとは少し違うことなのかな、よくわからない。村の男やこの国の男が君を好きなのは女として妻にしたいという意味での好きだろう。「ヒミコを自分のものにする」という所有という意味での好きなんだろう。まあ実に低能な奴らだなと笑っちゃうんだけどね。だってさ、僕たちの半分は虎なんだぜ。しかも人食い虎の親分じゃないか僕たちの虎父はさ。だから全部そのうち君や僕に彼らは全部喰われる運命にあるのにさ、それも知らずに自分から喰われに来るというのは不思議だよね、人間という種族はさ。
僕が君のことを考えると言葉が浮き出してくるんだ。今日もひとつ浮かんだからここに書いておくよ。ああ、それと他に何かとても難しい事が塊で浮かんできたからそれも書いておく。ドゴンの卵って何だろう?
それが僕が探しに印度にいく目的なんじゃないか?今はただぼんやりとそんな気持ちがする。意味がわからないことばかりが浮かんでくるのだけれど、何度も復唱しているうちにきっと僕にもヒミコにもわかるようになるんだと思う。ちゃんと間違いなく書き写しているとは思うんだけれどね、ドゴンの卵ってホントに一体なんだろう?虎父は知っているのかな、その在処を?
                               あなたの猫



 塩の道

鳥の群れはひっそりとしていた
おまえは死んだ銅剣だった
商人は寒い山頂で演説し
腐爛という言葉が喰いつくされ
波紋だけが波を浅く染めた
事故をよそおって水面をだまし
海底に点々と散って 空を見ず
水をまねて身をゆすったばらばらの死体
勝手に砂を噛んでいた無関心な骨

命令は死んだ者を襲わない
死体売買の連中は沼地に迷い
倒木に腰かけ途方に暮れたものだ


けれども
季節の公転の錆びた環は
日輪を日夜焚きつづける
春分祭の到来をきっかけに
波と波が手を打ちあわせ
諸要素の組合せが次々に変る
なにかがおぼろげに見えてきた
大気圧は水を押しかえし
鳥は文法の練習にも私闘にもあきて
一斉に騒ぎはじめた

沖から行楽に来た幼い鮫人たちが
おまえの4肢を岸に投げかえす
かつて眼を棄てた眼窩に
また黒い眼の光が棲みつく
起きろ

隊伍を組んで到着した
昨日の 去年の おまえの群れが
おりかさなって 猛然と
肋骨の籠へおどりこむ

この世界
決してかすまない風景
鋭い輪郭の切れあじ
焦点は明日の色に焦げ
立ちのぼる朝六時の煙
出発の狼煙だ
慈悲なき風だ
立て

                  「塩の道」池沢夏樹  より転載
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ともかく、きみたちはそれをひとつ(あるいはいくつか)もっている。それがあらかじめ存在しているからでも、でき上がったものとして与えられているからでもない、___とにかく、見方によってはあらかじめ存在するのだが_____とにかく、きみたちはそれを作り出すわけであり、それを作り出すことなしには、欲望することなど不可能なのだ_____そしてそれは、きみたちを待っている、訓練であり、避けがたい実験であって、この実験をきみたちが企てるときには、すでになされており、企てないかぎりはなされないわけだ。それは油断のならないものだ。捉えそこなうことが大いにありうるからだ。ときにはまた恐るべきものであり、きみたちを死に導くこともある。それは欲望であり、しかも非欲望である。それは観念や概念ではなく、むしろ実践であり、実践の総体なのだ。「器官なき身体」(Corps sans Organnes  以下CsOと略される)に人は到達することがない、到達はもともと不可能でありただ、いつまでも接近し続けるだけ、それは一つの極限なのだ。人は問う、CsOとは一体何なのかと___だが、虫けらのように地を這い、盲人のように手探りし、砂漠の旅人や大草原の遊牧民や、狂人のようにさまようとき、人はもうCsOの上にいる。その上でこそ、われわれは眠り、夜を明かし、闘い、闘いに勝ち、闘いに敗れる。自分たちの場所を求め、未聞の幸福や、途方も無い没落を経験し、侵入しかつ侵入され、そして愛する。サディストや娼婦によって、眼や、肛門や、尿道や、胸、鼻を縫い合わせてもらう。器官の活動を停止させるため自分を宙づり状態におき、器官があたかも皮膚にへばりついているかのように皮を剥がれ、犯され、息たえだえになる。すべてがぴったりと閉じ、封印されてしまうように、というわけだ。

 針で縫われ、ガラス状になり、緊張症になり、吸い込まれてしまう身体のこの陰惨な行列は、何ゆえなのだろうか。CsOは、快活さ、恍惚、舞踏にも満ちているはずではないか。なぜこのような例ばかりを見、なぜこうした例を通過しなければらないのか。満ち足りている空っぽになった身体たち。いったい何が起きてしまったのか。きみたちは十分慎重だったろうか。賢明であることなどではなく、服用量を守ること、実験に内在する規律として慎重さが必要なのだ。慎重に注入すること。この闘いにおいては、多くのものが敗北する。見るための眼、呼吸するための肺、飲み込むための口、話すための舌、考えるための脳、肛門、咽頭、頭、足を、もはや耐え難いものと感ずることは、何故そんなに悲惨で危険なことなのか。なぜ逆立ちで歩き、骨のくぼみで歌い、皮膚で見、腹で呼吸しないのか。「単純なるもの」「抽象的実体」「満ちた身体」「動かずにする旅」「拒食症」「皮膚的視覚」「ヨガ」「クリシュナ」「LOVE」「実験」。精神分析が、立ち止まれ、君の自我を再発見せよ、というところでわれわれはこう言おう。もっと遠くへ行こう。まだわれわれはまだCsOを見つけていない。われわれの自我を解体していない、と。回想よりは忘却を、解釈よりも実験を。きみ自身の器官なき身体を見つけたまえ。それこそ生死にかかわる問題、青年と老年、悲しみと喜びの問題なのだ。すべてはここにかかっている。

 CsOは強度にしか専有されないし、群生されることもないように出来ている。強度だけが流通し循環するのだ。CsOはまだ舞台でも場所でもなく、何かが起きるための支えでもない。幻想とは何の関係もなく、何も解釈すべきものはない。CsOは強度を流通させ生産し、それ自身、強度であり非延長である内包的空間の中に、強度を配分する。CsOは空間ではなく、空間の中に存在するものでもなく、一定の度合いをもって空間を占める物質なのだ。この度合いは産み出された強度に対応する。それは強力な、形をもたない、地層化されることのない物質、強度の母体、ゼロに等しい強度であり、しかもそのゼロに、少しも否定的なものは含まれていない。否定的な強度、相反する強度など存在しないのだ。物質はエネルギーに等しい。ゼロから出発する強度の大きさとして現実が生産される。それゆえ、われわれはCsOを有機体の成長以前、器官の組織以前、また地層の形成以前の満ちた卵、強度の卵として扱う。この卵は軸とベクトル、勾配と閾、エネルギーの変化に伴う力学的な傾向、グループの移動に伴う運動学的な動き、移行などによって決定されるのであり、副次的形態にはまったく依存しない。器官はこのとき純粋な強度として現れ、機能するからだ。器官は閾を超え、勾配を超えながら、変化していく。  タントラ的な卵。ドゴンの卵。その強度の分配。




          ナッシュ&ポッツイー 4


ええかげんな奴じゃけん ほっといてくれんさい
アンタと一緒に泣きとうはありません

どこへ行くんネ 何かエエ事あったんネ
住む気になったら 手紙でも出しんさいや
季節がいくつか訪ねて来たろうが
時が行くのもワカラン位に目まぐるしかったんじゃ

人が好きやけネー 人が好きやけネー
さばくもさばかんも 空に任したんヨー
人がおるんヨネー 人がそこにおるんヨネー

何かはワカラン 足りんものがあったけん
生きてみたんも 許される事じゃろう
自分の明日さえ 目に映りもせんけれど
おせっかいな奴やと笑わんといてくれ

理屈で愛など手にできるもんならば
この身を賭けてもすべてを捨てても 幸福になってやる
人が泣くんヨネー 人が泣くんヨネー
選ぶも選ばれんも 風に任したんよ
人がおるんヨネー 人がそこにおるんヨネー
 
心が寒すぎて旅にも出れなんだ
アンタは行きんさい 遠くへ行きんさい 何もなかったんじゃけん
人が呼びよるネー 人が呼びよるネー 

行くもどどまるも それぞれの道なんヨ
人が生きとるんネー 人がそこで生きとるんネー
人がおるんヨネー 人がそこにおるんヨネー
                                 「唇をかみしめて」 詩 吉田拓郎


ナッシュは夢から覚めた。頭の中で詩が響いていた。妻の詩か、それとも新妻の詩か? To be or not to be That is the question!

 洞窟の天井付近にわずかな亀裂があり、亀裂から差し込む光に埃のような煙がわずかに立ちこめている。甘く苦い香り。頭の芯が熱い。涙が悲しくもないのに流れるのはなぜだろう。越南に残してきた新妻は今頃どうしているのだろう。逢阪に残して来た妻と子はどうしているのだろう?遠く離れて僕はどうしてここに来ているのだろう?
「おはよう、おっさん良く眠れたかい?どうしたの、ボヤッとしてさ、気分でも悪いの?」
「いや、少し疲れているみたいだな、もう年だしね。」
「あっと言い忘れた。気分が曖昧な感じだろ?それはね、葉っぱのせいだ。オレッちがさっき炊いといたんだよ。
人間って奴はさ、単純な動物なんだよね。だから葉っぱ一つでトリップできる。おっさんみたいな単純なタイプはさ
なんていうか、狩りをしたいなんて突然言うもんだから、狩りってどういうことか本当は全然知らないだろう?狩りっていうのは弓矢で動物を仕留めることだと本気で農耕民は思ってるんだよ。そんなもんは大バカの考えることでさ、俺に言わせればなんにも分かっていない大バカという事。」
「どういうことだよ、それ?」
「まあ黙って見ていてよ。ほらこの壁の絵を見てよ。なんだと思う?」
ナッシュは薄暗い光の中にうっすらと浮かぶ傷のような、ゴミか傷がついたような膨らんだ壁面の天井付近に
描かれたらしい線描の配列を見た。
牛か、野牛だろうか?弓矢を持つ原始人のような数名の狩人は腰布をしているだけだ。ヒゲを生やしたように頭と顔が黒い。野牛の角はO型に湾曲して天を突くように荒々しげに突き上げる。前足は立ち上がり祈るような目をしている。一方では何十頭ものヤギだろうか、追い立てられて湖の崖に多いつめられて逃げ場はない。その前の女と思われる腰布と大きな乳房の槍をもつ腕が今にも一頭のヤギを着き刺そうとしているかのようだ。
壁面の下部には洞窟の内部のような楕円形の空間に、祈祷師のような巫女が一人、全裸で煙の前で祈っている。香炉のような平たい石の台の上から煙が立って、女は叫ぶような口の開き方で何かを叫んでいるのだろう。
「聞こえるかい?」
「何がだ?」
「耳を澄まして目を閉じるんだ。きっと聞こえるはずだ。俺の母ちゃんのそのまた母のそのまた母のそのずっとずっと前の母の母の母の母の、、、母の祈りだよ。
何かかすかな音がするようだ。

「、、、イコへココイコヨウュギヤ
 、、、、、レマツアニココヨチタノモケノテベス
、、、イコへココイコヨウュギヤ
 、、、、、レマツアニココヨチタノモケノテベス
イコへココイコヨウュギヤ
 、、、、、レマツアニココヨチタノモケノテベス」
「聞こえる、、たしかに、でもなんて言っているのかわからない。日本の言葉ではないようだ。なんて言っているのだ?」
「意味なんてどうでもいいんだよ。よく聞くんだよ。そして同じように音を辿って祈るんだ。
「どういうことだ?」
「祈りさ。狩りとは祈りだよ、ただそれだけだ。」
「祈り?」
「そうさ、狩りとは祈りそのものなのさ。さあ祈れよ、あんたも。」
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
「、、、イコへココイコヨウュギヤ
 、、、、、レマツアニココヨチタノモケノテベス、、、」
「、、、イコへココイコヨウュギヤ
 、、、、、レマツアニココヨチタノモケノテベス
、、、イコへココイコヨウュギヤ
 、、、、、レマツアニココヨチタノモケノテベス
イコへココイコヨウュギヤ
 、、、、、レマツアニココヨチタノモケノテベス」

ナッシュの瞼がだんだんと下がっている。視界がぼやけて頭に中で祈りの音が響き渡る。波が、海が、空が、大地が
祈る。波が、海が、空が、大地が獣と交合する。波が、海が、空が、大地が精子を吹き上げる。

「、、、イコへココイコヨウュギヤ
 、、、、、レマツアニココヨチタノモケノテベス
、、、イコへココイコヨウュギヤ
 、、、、、レマツアニココヨチタノモケノテベス
イコへココイコヨウュギヤ
 、、、、、レマツアニココヨチタノモケノテベス」   (続く)










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