今
空はためらいながら樹脂を引き
おれのまなざしを一本の綱のように
取りさばき より合わせ あしらい
なにくれとなく演戯などをしてみせる
はしゃぎまわる黄色い帆
はてはまた 天末線まで駈けてゆき
すぐに息を切らして戻ってくる
澄んだ想念の子供たち 飛ぶ鳥よ
そのこころねのやさしさよ
漁り火と烏賊の肌 石の花 色は変る
水は巡る 水は走る
その行き着く果ーー走水に
オトタチバナの面影の
八枚の赤錆びた鉄の板
穴をあけられ 火で灼かれ
組立てをおわり 進水式をすまし
そこにうずくまった灰色の自衛艦
舷門当直の乾いてかすれた顔の彼方
かようランチの錯乱の末に
黒々と立ちはだかり 空を区切る
育成者ーー起重機の林
おまえはそれらを
庭の爪草の花や
山のエンレイ草の実をとるように
誇ることができるか
(また行きどまりだ)
日の影が月の影に重なって
歳月のむこうは透かしても見えない
恥辱の微粉が埃のようにつもる絶対の今日
こうして重く石を踏み おれの足は歩む
三月のつぼみのように なにげない顔つきで
臨海鉄道をとぼとぼと行く
身体の中でまわっている機能の歯車
人さらいの目つき 汚れた手のひら
行けども行けども坂ばかり
さかしらだてのさかうらみ
低い山とて背にしてみれば
心は流れて波間を走り 沖にむかうのに
観天望気を欲するなら
坂を上るほかない
踏みまよう
ヨモツ平坂 長源寺坂
登りつめ
思いつめた葦の原
空はますます演戯に熱中し
水素炎 空一面を飛び回る
記憶の斜交座標に捕われた
これまでの影うすい日々 土地への嫌悪
日が昇った 日が沈んだ
青雲の高原を出発して以来
見た雑貨の数 味わった乾物 人々の罵詈
王の刈り込んだ髪 四角な建物
山を喰い 水を喰う 巨大な獣たち
運転する鬼どもの汗とあがき
何も知らずうろつきまわった錆の山
地獄めぐりの二足三足
やってきた臨海公園のベンチに積もる
はがれたペンキの剥片の色
(昔 ナンタケットは運の良い港だった)
「おれかね 名はイシュマル
職を探している」
ーーー三百分配当
(おれなら八百分でもいい)
『暗車注意』
水の中で未来永劫まわりつづける
闇の車
因果の小車
船よ船よ 今生の頼み
おれを連れ出してくれないか
四つ目の巨人の投げる石のとどかぬ所へ
若い奴隷を一人運んではくれないか
そしてーーー
明日は船が来る日
いや 明日は船が来ない日
『軍港』 池澤夏樹 詩集成 より転載
池沢夏樹がまだ詩を作っていた青年の時代は、日本経済がまだ輝きを失っていない時代だったと思う。団塊の中心的世代の彼がその後、詩を書くのをやめて小説に主戦場を移すのはそんなに時間は必要なかった。埼玉大学理工学部卒だったと思うが、理数系のクリアカットな観察眼で文学から「湿度」を取り除いた心理描写は僕にはとても新鮮に映った。きっと当時はプルーストの読み過ぎだったのかもしれない。村上春樹から演歌とファンタジーをを引いたら池沢か?と思うこともある、、。
札幌出身で、母は詩人。父は大作家の福永武彦である。文芸サラブレッドの血筋だが、二世のメリットを自ら打ち捨てる勇敢さが彼にはあった。やがて彼の放浪の旅が始まる。タヒチ、ハワイ、沖縄、ギリシャ、パリ、世界中の気になった場所に数年しばらく住んで、たまに仕事のために日本に帰るという「渡り」の歳月。
ノマドライフ!!
独特の文体で固定ファンを獲得して(主にうちのマダムのような感覚人間が多いと推定される)いつの間にか芥川賞の選考委員をつとめ、新しい作家たちを発掘するという仕事を自分に課した。その彼も2年前にその席を譲った。
彼の選択眼は鋭いし、職業柄広く深い読書が仕事だ。古典の読み込みもさすがにプロで、日本古典文学から世界文学まで広いジャンルの小説をカバーする。カズオイシグロやガルシアマルケスに深い共感を持つ作家であり、商業的でない小説群を書いて商業的に成功した稀な作家だろう。雑誌(婦人誌や若い女性向けの雑誌)に広くショートや詩を書くが、質は落とさない。アメリカにバニティーフェアとかニューヨーカーとか質の高い総合雑誌があるが、そういう高い鑑識眼を持つ編集者が執筆依頼をする水準を保つ希有な日本人作家の筆頭だろうと思われる。
10年ほど前に彼の選によって、河出書房新社から世界文学全集が発売された。初回配本がいつも僕が書いている「オン ザ オード」ジャックケルアック 青山南 訳である。この全集で池沢自らがアップダイクの「クーデタ」を新訳している。また今年から池沢の選で日本文学全集が発刊される。超豪華執筆陣でこの10年の日本文学の解釈のすべてがここにはあるだろうと期待が高まるのだ。あの内田さんも高橋君も三浦しおんちゃんもちゃんと入っているのが凄いだろ?お金なんてなくてもこんなステキな本が読めれば、すごくシアワセじゃないか!相場なんて下賤な金儲け仕事の数百倍の悦楽がここにはあると思う。たった8万円ほどで幸福は売っているのだ。
方丈記 高橋源一郎 訳■新訳
徒然草 内田樹 訳■新訳:好色一代男 島田雅彦 訳■新訳女殺油地獄 桜庭一樹 訳■新訳
雨月物語 円城塔 訳■新訳菅原伝授手習鑑 三浦しをん 訳■新訳1:古事記 池澤夏樹 訳■新訳
販売チラシを見ただけで即座に「全部即買い!」そう思った。
こんな怠け猫でも若い頃は死に物狂いでお金儲けに奔走した時代もあった。金持ちになって早く引退して、長い引退生活をゆっくりと本でも読んで楽しく暮らすという他愛無いガキの夢。なんとかかんとか金など無いがそうなってからもう20年近くが経つ。「僕はやはり仕事嫌いなんだな。」とつくづく思うこのごろだ。だから輝いて仕事に邁進している立派な同僚を見ると頭が下がる。仕事はお金とはほとんど関係ないと本気で思うが、それは仕事が誰かにとっての役割を引き受けるという責務によるものだからだろう。その意味で、投機は誰の責務も引き受けはしない。つまり幻想であるという強い自覚が必要だ。だから投機で得た金も所詮は幻想である。幻想ばかり喰って生きていると、たまに早起きなどして地に足のついた事に近寄りたくなることもある。7時半に起きて、伊豆の国市の「青空市場」という農産物直売所に野菜を買いに出かけてみた。9時のオープンにもう50人は並んでいる。東京ナンバーも数台いた。みんな楽しそうにたくさん野菜を買っている。朝取り、低農薬、不揃いだが安くて美味しい。イオンの6掛けの値付けかな。
80名の生産者の顔社員が壁に写真付きで張ってあった。僕より若い人はわずかに数名しかいない。みんな後期高齢者ばかりだ。10年後に彼らの多くが同じように農業が出来るとはとても思えない。「安心、安全」な日本野菜の寿命はきっともうそう長くはないだろう。若者は農業を継がない。お金は社会を確実に変えたということだ。
それでも僕は子供の世代の若者たちが「お金」という幻想によって社会革命を起こすことに強い期待を持っている。彼らは必ず日本を変えると信じたい。彼らがユートピアの住人になるという夢を僕は強く信じたい。
可能も不可能も存在しない。ユートピアは、政治経済に反対して注がれたすべてのエネルギーのなかに現存している。しかしこのユートピア的な暴力は決して蓄積されず消え去っていく。それは、経済的価値のように死をなくそうとして肥えふとろうなどど努めはしない。それは決して権力を欲しようともしない。『搾取されるものたち』を権力を獲得するというただそれだけの歴史的可能性のなかに閉じ込めることは、史上最悪の革命の簒奪であった。これに照らしてみると、経済学の諸公理がどれほど深刻に革命的展望を掘りくずし、包囲し、逸脱されたか、がわかるというものである。ユートピアは権力と現実原則に反する言葉をのぞむ。それらはシステムとそれの無際限の再生産の幻覚でしかないからである。ユートピアは言葉だけを欲する。言葉のなかへ消えるために。
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