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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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ロンジの幸運

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蝦夷屋の手代のロンジは大胆な若者だった。以前は大店の越後屋に丁稚で入り毎日掃除とお使いをするのが仕事だった。半人前だから給金は無いに等しい。それでも毎日3度の銀シャリにありつけるのは農家の3男としては夢のような贅沢な暮らしだった。「贅沢は素敵だ!」ロンジは常にそう思っていた。「いつか俺も商売を成功させて大旦那のような贅沢の限りを尽くしてやる。」そう考える割には仕事も遅く怠け者でみんなに小馬鹿にされていた。3男だったせいもあるのかいつものんびりとして言われた事もすぐに忘れてしまう。
 夕方、越後屋の奥では女たちが夕餉の支度をする。日が暮れた頃になると湯を多めに沸かして越後屋の一人娘が風呂に入る時間がくるのだ。庭の大きな木桶に台所で湧かした湯を何度も運ぶのがロンジの夕方の仕事だった。まず木桶に1/3ほど井戸から水を汲んで来て入れてから台所から湯を運ぶ。その日はお使いが遅れてとうに日は陰っていた。「風呂の湯を張るのに遅れるとまた手代に叱られる」そう思ったロンジは急いで走った。裏木戸から庭に駆け込んで井戸にたどり着き、水桶に二つ汲んで天秤棒で庭には運び込む。目隠しの麻の覆いの向こう側の大きな木桶に水を入れようと近寄った時、麻の覆いが風で揺れ水音がした。『????』そっと麻の覆いに息を殺して近づくと娘の夏目が湯浴みをしていたのだ。透き通るような白い肌、翠の流れるような髪、黄金の肩から乳房にかけてのカーブは春本で見た花魁の乳房のようだ。ゴクリと生唾を飲むとロンジは肩に担いでいた天秤棒を降ろして花魁の入浴をしばし呆然と口を開けて眺めていた。風がそよと吹いて麻の覆いが捲れて夏目の裸体が目の前一杯に広がった。あまりの美しさにロンジは言葉も出ない。その時夏目がこちらの気配を感じたのだろう、振り返り静かにこう言った。「覆いの影のロンジ君、こちらにお出でませ。お背中を流して頂戴ね」そう笑いながら言うのである。
ロンジは動揺した。これがもし手代にバレたら大事になる。父ちゃんの借金を返すのにもまだ7年は年季がいるというのにお払い箱になったならなんとしようと考えるのだが、夏目の甘い声にロンジのあそこは既に膨張をしはじめていた。おそるおそる後ろ向きで風呂桶に近づくとロンジは土下座をして許しを乞うた。
 「夏目お嬢様、たいへん申し訳ない誤りを犯しました。ロンジは急いでいたのでお嬢様がもうお風呂に入られているのに不覚にも気がつきませんでした。お許しください。」
 「、、、、あーら、ロンジはいつから嘘がお上手になったのかしらん?あなたのその着物の前にある大きな出っ張りは何かしら?それもしかしたら おち○ち○という物じゃなくて?それがとても大きいというのはどういうことかしら、もっと近くに来てやさしくお背中を流してくれないかしら、罰として。それが出来ないというのならお父様にいいつけても良くてよ。」
「お嬢様、それだけはご勘弁を、田舎のおとんとおかんが干上がりまする。ご勘弁くださしませ。」
「それじゃあ言われた通りにしなさい。まずその汚い着物を抜いてフンドシ一丁でわたしの身体を洗うのがロンジの仕事よ。」
 「しかし、、お嬢様そればかりは、、」
「ロンジ!テメエ小僧の分際で口答えをするか!わしゃー越後屋鬼蔵の一人娘の夏目じゃけん、舐めたらあかんぜよ!」
そう張り手で力づくにロンジの頬を打つ吠える夏目の瞳は炎の如く燃えていた。一月後に祝言を迎える生娘の目とはかように厳しいものなのか?ロンジは圧倒されてすぐに汚い着物を脱ぎ捨てると、フンドシ一丁になって、手ぬぐいで夏目の背中を流し始めた。玉のよう肌に湯滴が転がるごとく流れる。流れるような美しい髪からはツバキ油の香りがロンジの鼻をくすぐり、ロンジのあそこは極大にふくれ上がってしまった。
「ロンジ、次は尻を洗いなさい。」
「イエ、その、、」
「イエではない。ハイと言え。私の言葉にハイ以外は許さぬ。」
「ハイ」
「ロンジ、お前は夏目が好きか?」尻を出しながら夏目がそう聞く。
「、、、、、、うー」
「それでは嫌いと申すか?」
「イエ、めっそうもない」
「イエと申すなと言ったろうに馬鹿者!もう一度聞く、ロンジは夏目が好きか?」
「ウーーーーーー、ハイ。」
「なんだ犬のような男だな。前だけは大きくして苦しかろう、外して構わぬぞ、ロンジ」
「ハイ、しかし滅相もないことで、失礼をお許しください。」
「そうか、ロンジ、お前の夢はなんだ、言うてみい夏目に」
「ハイ、大旦那様にご商売を教わり、孝行してお店のお役に立つ事です。」
「そうか、この越後屋が好きか。では越後屋とこの夏目とどちらが好きじゃ?正直に言うてみい。」
「どちらも大事でございます。」
「ええい、ややこしい奴じゃ、男のくせに煮え切らない。そんな阿呆はこちらが御免じゃ。父上に言いつけて暇を取らそうぞ。」
「それだけはご勘弁を。」
「なら言うてみい、どちらが好きじゃ?」
「はい、夏目さまです。」
「よう言うた、ロンジ。来月から夏目は蝦夷屋の女房になる。知っておるな。そなた夏目について参れ。」
そう言うと夏目はロンジのフンドシの前を力の限り掴んだ。
「ロンジ、なかなか立派な男だな。夏目はな、とても楽しみじゃ。ロンジ、いいなお前は夏目の世話をして越後屋から蝦夷屋に鞍替えとする。年季は5年に負けてやる。その替わり夏目の下男としてせいぜい奉公せい。いいなロンジ。父には夏目から言うておく。」

そう言うと夏目は風呂桶から上がって紗の着物を羽織りロンジの前を無一度掴むと思わせぶりな微笑みを浮かべて屋敷の中に消えた。取り残されたロンジはただ呆然として前を膨らませながら、主の椿の髪脂の香りを胸一杯に吸い込んで、これから始まる新しい夏目の下男としての生活に思いを馳せた。(続く)

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「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」

春寺の坊主はそう唱える。すると唱えたことが全てかなえられることにやがて坊主は気がついた。そして坊主は西方浄土を目ざして一人旅立った。「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」そう何度も何度も唱えながら、、。

 日本海に沿った越後の冬は長い。それは10月の終わりに始まって4月の中頃まで続く深い雪と厳しい風の静謐な残酷だ。あるものは凍え、あるものは餓える。そんな幾百の時を超えて百姓たちは先祖からの土地を守り育て受け継いで来た。ある時は娘を売り、ある時は妻を売り、ある時は子を殺した。またある時は身体の動かなくなった母や父を山に捨てた。そうして百姓たちは全体としての群れを守った。「殺すことは生かす事」誰もがその掟に従ってきたし、それ以外に群れが生き伸びる術はなかった。村落は長を中心にやがて山を切り崩し、川から水を引き込んで新しい土地に新しい田畑を広げて行った。百姓たちは過酷な年貢に耐えながら、次の命の元手となるモミを蓄えていった。たとえ餓えようともみなモミに手をつけることはなかった。そんな彼らにとっては秋の収穫の後にたつ相場が一番の関心となった。米は回船に乗って日本海に沿って蝦夷から越後経由で舞鶴、米子、博多を経由して逢坂を目ざす。港に立ち寄るごとに米や乾物が積み込まれ金が代りに支払われた。天候により、収穫によりその穀物や乾物の値は常に変化していく。港ごとに市が立って、その港に人と物が次第に集まるようになった。十日町、四日町という具合で市の立つ日が町の名前になっていく。佐渡で掘られた金銀は精錬されて幕府の勘定奉行のもとで配分されて、米や着物の支払いに充てれるようになった。
 「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」春寺の坊主は逢坂の港からこの回船に乗ってまず蝦夷に行くか、酒田にまで行き、そこから大陸に渡る船を待つという旅程を考えていた。当時は逢坂から直接大陸に渡る手段はなかったのである。渡航には莫大な金が必要となるが、春寺の坊主にはわずかな路銀があるだけだった。西方浄土を目ざすどころか、蝦夷や酒田にまでいく船賃もない。さてどうしたものか春寺の坊主は思案した。
「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」
「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」
「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」
「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」
「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」
そう5回唱えると目の前に美しい娘が現れた。娘は千里を走る馬の手綱を春寺の坊主に手渡すとこう言った。
「命を助けて頂いてどうもありがとうございます。こうやってあなたのお陰でここまで大きく育ちました。戴いた美しさというものが殿方の心を買い、早く強く美しい馬が手に入りました。どうかこの馬を使って旅をお続けください。」そう言うと娘は消えた。後には花の香りだけが残った。春寺の坊主は馬に股がると、一路北浜を目ざして馬に鞭を入れた。
「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」
「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」
「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」
「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」
「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」
「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」
「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」
「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」
「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」
「ダノモノレオハイカセ、ダノモノレオハテベス!!」
駿馬は疾走する。春寺の坊主は馬上で呪文を唱え続ける。呪文に従って駿馬はまるで風のように軽やかに駆け抜ける。30里の道を一気呵成に走り抜ける様はつむじ風のようであった。

 当時の北浜は日本中から回船米が集まる日本最大の市場であった。日本中の米という米はここに集められ仕分けされ等級が決まると現物取引が金銀は藩札と交換された。交換を指揮するのは幕府の勘定奉行である。大店の米問屋は幕府や大きな藩の御用商人として米以外にも穀物、乾物、絹、木綿、麻などのすべての商品を扱う財閥である。米は作柄と天候によって値が決まる代表的な商品で、ある意味で「金」以上に重要な戦略物資であったから、その値動きは克明に記録され、その値動きによって大店の利益は毎年大きく変化した。記録方という専門の値動きを記録保管する仕事につく手代が相場の行方を予想して大店の旦那衆の参謀となっていた。旦那衆は逢坂の相場で勝つと馬を仕立てて京の祇園に遊んだ。花魁がその祇園の花となった。記録方の中で特に優れた手代は20年の奉公のあと暖簾わけを許されることもあった。そうして大小の店が北浜の大通りに店を構え一年中活気に満ちた空気に逢坂は包まれていた。(続く)
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押目を待ってもあまり深い押しは無い。大半が陰線新安値3本がいいところ。2本のあとに建てるかどうかなんて迷っているうちに戻してしまうようなものが場帳からは多いようだ。そのうち何かネタが出たものからポーンと火柱が立つ。6331とか8088みたいに。
こんな場面を「バカチョン局面」と僕は呼ぶ事にしている。テキストはエマニュエルドッドのパクリである。そうあの「サルコジ局面」とトッドが言ったフランス政治の民主性がねじ曲がる局面を皮肉って彼が言ったように。下手な生徒を見ていると愚図が多い。愚図とゆっくりの差というのは感覚的なものだから、テキストの説明にはそぐわない。自分で実際にやってみたらわかるのだが「手が合うとか合わない」とかいうのは感覚的なものだ。順張りの人のテキストにはそんな感じというものはあまり見られないのが当然で、押しても伸びても変化の方向に建てるという動作であるからテキストそのものが感覚として生まれる理由がないからである。一方、酒田の相場師は逆張りの相場師である。そもそも値動きの細かい連続の様態を差して観察するのだから、彼の頭にある複数の時間軸(月の動き、日々の動き)を微分して彼は時間と強度を受け止める。そして細かな動きの変節点を目ざして、見返りの無い賭けを行うのが本性なのである。「つっこみを拾って戻れば外せ」というのはベトナムさんが見事に後輩を指導した譜にすべてが現れる。彼は言う。「ボケはオメーは!」
追っかけで高値を買ったボケを叱る。それは彼の感覚が逆張りであるという証拠であって、それは師が同じだというせいもあって、僕の怒りと同じことだ。そんなことが理解できるようになるのだって、月足3枚をかいたぐらいでは永久に理解も共感も出来ないだろう。疑問の入り口にまで到達できないのは身体的に値動きを受け止めるというのが「具体的にどういう身体的な動作」であるのかを理解、体験出来ないからである。それが出来ないのだから、当然それをテキストで記述することも出来ない。だから現れたテキストによって、その人のほとんどが、つまり思考と動作の射程の長さ、想像力にとっての命の源泉というような能力を殺されてしまった人たちのほとんが感じる「異和感」なんだろうと思う。「猫やベトナムは気が狂っている」というその狂っている様態こそが「異和感」の本質であり、その本質が普通と異なるからこそ現実のお金を手に出来るという「反復と差異」という現実に直面するのだが、そこまでたどり着く人が数万とか数十万に一人であるのだとしたら、「万民の共感」など所詮起きるはずのないことだろう?とは想像できないの当然だろうと思う。
所詮が「縁なき衆生」と林さんは突き放していた。まあどうでも良いことではあるが。
 ちっとも濡れないネーチャンの3401が先週末ぐらいからジワジワ濡れてきたようだ。昨日から実験でリレー小説を暇つぶしで始めてみたが、なんかタイミングは不思議なものではある。初キャラの農民にベトナムさんを起用したら3401が跳ねる。しばらく彼の時間が始まるということだから、お邪魔をしては申し訳ないから他のキャラを横に広げてジワジワ書いていこうと思う。とてもありがたいことにバトンリレーを受けてくれる人が現れた。トッツイーというのはポールオースターの小説をパクったもので、以前に僕が「不可能な交換」のテキストを引用したのをヒントに新たな視点の記述が構想の射程を拡大するということになった。「資本主義とは何か」という僕たち自身の生きる世界を僕たちは真面目に一度でも問いを持つということがあっただろうか?それを個人の力で1ミリでも変えようとしたことがあるのか?このリレーはそんな意味を込めて僕は書き始めた。テキストは知性に射程を遮られる「根も葉もある虚構に満ちた真実」である。それは事実ではないのだ。
 僕のテキストは随所に『詩」というのがはさまる。 詩=師 と考えてみたらどうか?という提案を受け入れる者は少ない。響きの音、響きの震え、テキストの音韻的側面が誇張したものがやがて「音楽」となったように、人は過去の起源までさかのぼって思考するという習慣を国家産業教育によっていつの間にか無意識に排除されされていることに気がつかないものだ。「肥った豚」ひよこちゃんはそう呼んだ。「鴨」と僕は呼ぶ。
「生産の鏡」という僕が引用したボードリヤールのテキストも「生きた貨幣」というクロソウスキーのテキストも同じ結論を異なった表現で語っている。この種のテキストが、大学の経済学や社会学のテキストとして使用されることはないだろう。シカゴ学派の教授たちが主要大学の経済学の教授会を支配している限りにおいては、、。(笑)
せいぜい哲学科の内田さんとか文学科の大江くんとかが書くにすぎない。
 さてガルシアマルケスの追悼を込めて、僕は「猫太郎」として明治維新を破壊する革命を指揮してみようかと思う。「こんなことが意味があるのか?」「全くない!自己満足以外には無いのだ。だが人生の楽しみとはその自己満足以外に何があるのか?」という問いが僕のメタテキストの本来の意味である。
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猫太郎は不思議な子供だった。胸の乳の間、胸郭とヘソの真ん中ほどに白い斑点状の痣のようなものがある。その痣は成長とともにはっきりとしたカタチになった。尾の長い獣のようなものが走っているような痣だった。一方ひみこの左の尻にも猫太郎と同じ形の痣があったが、この痣は白ではなくピンク色をしていた。二人は兄弟のように仲が良かったが、ヒミコのほうが身体が大きかった。成長するにつれてその差は広がり7歳を過ぎるころになるとヒミコは猫太郎より15センチも背が高くなった。
 5歳ごろになった時、猫次郎は寺の高僧の朝の読経を聞くようになった。経はどこか他の国の言葉だった。猫太郎は意味もわからずに何度も何度も高僧の唱える経の声のマネをして復唱し続けた。半年も続けると次第に猫太郎の声と高僧の声は重複してお堂全体に響き渡るようになる。高僧のアルト、猫太郎のテノールの唱和は独特の響きとなって寺全体に木霊する。その経の音は四方一里に木霊して木立の間を抜けて村の外れまで響き渡った。猫太郎と高僧が経を唱える日には必ず農夫が飼っている鶏が卵を2つ産むという不思議な事が起きた。村では経の力が話題となった。高僧だけが経を唱えても卵は一つしか産まれない。猫太郎が一緒に唱えると必ず二つが産み落とされるという不思議な事がずっと続いた。それからは猫太郎は村で「不思議の子」と呼ばれるようになった。猫太郎は経を唱えながら異国の言葉を理解していった。それは日本には無い言葉の意味を持っていたが、それを誰か他の人に伝えることが出来ないことにやがて気がついていた。ただヒミコだけはそれがわかったようだった。言葉ではなく目の奥でうなずくようなそんな仕草が猫太郎を安心させたのだった。猫太郎の頭に異国の言葉が閃く。ヒミコの微笑みの向こうにこんな言葉が浮かんでいる。
"Teach us to care or not to care. Teach us to sit still"
とても美しい言葉の響き。猫太郎は意味もわからずそれを何度も何度も繰り返し呟き続けた。すると不思議なことにまた言葉が頭の中に浮かんだ。
”Because,I do not hope to turn again
 Because I do not hope
 Because I do not hope to turn"
ヒミコは着物の上から左の尻に偶然に指が触れると不思議なことが起きた。猫太郎の唱える異国の言葉が自然に意味を示したのだ。それはこう言っていた。
「わたしはもう再び振り返ることを望んだりはしない
 わたしはもう望まない
 わたしはもう振り返ることを望まない」そう言葉は言っているような気がした。

ヒミコは12歳の美しい娘に成長していた。足は長く、指は白く、爪はひかり、腰まで伸びた翠の髪は風にそよく柳の枝のようであった。その瞳はすべてを吸い込む深い泉のように澄んでいた。
村中の男たちはヒミコの後ろ姿をうっとりとした眼差しで追いかけた。ヒミコが歩いた後はなぜが空気がそこだけ光っているような不思議なたたずまいだったのだ。ヒミコは村の男たちのアイドルになった。ヒミコの所には男たちが常に何かを持ち寄った。焼き米であったり、卵だったり、川で取ってきた鮎であったりした。ヒミコはそれを受け取ると花のような微笑み静かに言った。「どうもありがとう、とても感謝しています。この恵みを恵まれないすべての人で分かち合えたらどんなにかいいのに、、」
男たちはそんなヒミコの言葉が聞きたくて、懸命に働いて何かを作り、何かを取り、何かを育て、何かをヒミコの元へ運んだ。ただヒミコの言葉を自分が受け取るために、、、。
 ヒミコの美しさはやがて次第に噂となって国中に広まっていった。国中から金持ちの男たちが毎日その美しさに触れようと集まってきた。馬を差し出す男、仏像を差し出す僧侶、小判を差し出す商人、美しい着物を差し出す武士、そんな男たちでヒミコの家は埋め尽くされた。(続)

リレー小説の試み 3

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 浦島という土地に、春寺というお寺があった。そこの坊主は祈祷師でも有名だ。様々な人の病気を祈祷で直すので有名になって日本中から病気を治しに人が集まって来る。春寺の坊主は修行をするために若い頃、全国各地を回って有名なの寺の高僧の教えを乞うた。浪速のある高僧からは人の心の掴み方という方法を教わった。「どういう風に話かけると人は心を開くのかよく考えて見ろ。」ある日そう言われた。翌日から滝に打たれ座禅を組んで心を無にして修行した。念仏を唱える。お経を唱える。写経をする。また滝に打たれる。高僧の問いの答えをひたすら考える毎日であった。『どうしたら人は心を開くのか?」そればかり考えて滝に打たれた暮らしを3年続けた
 心を無にして滝に打たれていると時々幻が見えるようになった。視界が突然パッと明るく開けるとそこは異国の草原だった。どこかで獰猛な獣のうなり声がわずかに聞こえる。じっと聞いていると目の前を黄色と黒の縞模様の巨大な動物がゆっくりと通り過ぎた。シッポの長い巨大な人より大きな恐ろしい動物である。「あれは何だろう? 」「虎だ。」そうどこかで声がする。「虎?」「そうだ、人喰い虎と言われて恐れられている。この春は村人が4人も喰われて死んだ。村人は恐れて夜は出歩かないようになった。虎は子供を喰いちぎり、女をさらう。もう村の若い女が5人もさらわれた。虎は女に子供を産ませる。子供を産まない女はみんな食べられてしまうそうだ。恐ろしいことだ。」「お前は誰だ?」「神」そう言って声は消えた。
その時、突然滝の水が落ちるのが止まった。そして坊主は夢から醒めた。「あれは一体なんだったのだろう。人食い虎とはどんな動物だろうか。古文書にある獅子に似た動物のような生き物か?」坊主は滝に打たれる修行を一時中断することにした。そして毎日、経を唱えて寺に籠った。一月、二月、三月がたった。ちょうど3月目の満月の夜、坊主が経を唱えていると寺の裏山から恐ろしい獣のうなり声が響いた。それは夢で聞いた虎のうなり声と同じだった。坊主はすぐに数珠をつかんで裏山の山道を登っていった。虎の声が遠ざかる。代りに赤ん坊の鳴き声が聞こえる。滝の前の石畳に二つの着物に包まれて赤子が大声で泣いている。その音は滝の水音と反響して裏山全体を覆うような響きだ。赤子は黄色い着物の女の子と青い着物の男の子だった。どちらも元気に泣いている。坊主は寺に子供たちを連れ帰った。
 次の朝、坊主は村の長の所に出かけて乳飲み子のいる農夫の家を教わり、その農夫の小屋を訪ねた。農夫の妻は1歳の女の赤ん坊を生んでいた。乳は大きく張っている。坊主は昨夜の事情を農夫の妻に伝え、しばらく二人の赤子に乳を与えてくれまいかと懇願する。お礼に農夫の妻に自分が托鉢で集めた宝物を与えた。それは黄金で出来た小さな玉だった。
農夫の妻は3人の赤子に乳を与え、坊主は3日に一度自分の食事として出される飯をおにぎりにして届けた。
 やがて2年すると子供たちはすくすくと成長していった。男の子は猫に似ていたので猫太郎、女の子はひみこと名付けられた。二人の兄弟は双子のように仲良く遊んでどんどんと大きくなっていった。

 子供の成長を見守った坊主は、ある夜また夢を見た。「印度に来い」そう神の声が聞こえる。「印度に来い」再び神の声が響く。跳ね起きた坊主は夢の意味を考えた。「印度はどこにあるのでしょうか?」そう坊主は高僧に訪ねた。「海の遥か向こう西方浄土にそれはある。ガンダーラの彼方、仏のお住まいになられる極楽じゃ。お前も修行の旅立ちの時は来た。赤子の心配はいらぬ。明日から旅立て。」
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