リビングから遠くに駿河湾が見える。目の前に大きな富士が見える。そんな光景が当たり前の一人暮らしになって3年ほどがたつ。この山の暮らしというのはバラモン教でいう林住期という家族のために働いた後の自分を振りかえる時代の孤独な暮らし方というのを五木寛之の本で読んだのがきっかけで始めた。「大河の一滴」だったかあるいは「下山の思想」のどちらかだったと思う。五木にしても遠藤周作にしても、インドやアジアに行って、貧富の巨大な格差を目の当たりにしてはたと自分を考えたのだろうと思う。富む側から貧しい側を見下ろす視線だが、見ないよりは見たほうが良い。気がつかないで、あるいは見て見ぬ振りをして通りすぎるのが当然の世の中だからだ。非力な個人は気がついても事態を変える力は無い。だが自分を少し変えることは誰にでも可能だ。そう五木や遠藤は考えたのだろうと僕は想像する。
別に地震による強制的な立ち退きが理由の引っ越しだから山や林である必要もないし、家族と一緒に都会で今まで通りに暮らす方が普通かもしれないが、あえて離れて暮らしてみるという選択を僕はした。普通でない事が多かった人生だから普通にするほうが僕にとっては普通でないというだけのことだ。このせいでマダムはきっと随分苦労したんだろうと思う。そのお返しというと変だが僕が出来る限りの金で買える贅沢を彼女にはさせたいと常に思う。クラス会があったら一番上等なドレスと一番素敵な指輪と靴を、そして一番素敵な車でお迎えが出来るようにと思う。当初、マダムは僕が離婚したいと思っていたらしい。全然僕はそんな気持ちはかけらもなかった。でも何も言わないでマダムは別居を了解した。12歳の猫もおまけにくれた。後で友達にそう聞いた。少しお金が出来ると生活という意味では家族が自由な暮らしをすることが出来る。家が何軒もあったり、車が何台もあったり、死ぬまでお金の心配がいらなかったりぐらいはまあしっかり仕事で稼いだ男なら(女でも)簡単ではないかもしれないが、出来る奴には容易に出来ることだろう。たまたま運が良くてそれが出来るのならしたほうが良いこともある。お金は記号という認識が年とともに強くなって、記号なら使う以外に意味など無いのだから、全員が積分したがるゲームを僕は微分するという生き方がしたいなという相場と同じ逆バリだ。「変なの?」と思う人が大半だろうが、僕に取っては積分ばかりの人生こそ「変だよ」と思う。「だってお金はお墓に持って行けないよ。」時間は有る程度買えるのだから金で買える時間があるのなら僕は躊躇無く他人の時間を買ってきたのだし今後も買うだろう。その買った時間に労働力とアイデアと商品を加えて客に売りつけるという仕事で金を稼いだからその金は当然リーマンの金の数倍の加速度がついて、気がつくとスーツのポケットには札束が常に唸っていたそんな30代だったように思う。そういう発想で金を作るという意識になってからは、友人や周囲と考え方を比較しても何の意味も無いといつも思っていたし、事実比較すると嫌みな話ばかりになるから、友達の付き合いも少なくなる。全く話が会わなくなるのは当然だ。買う側と売る側だ。本音の話をするのが無理になるのだ。昔の友人と飯を食うような機会があると僕は車で行く。ジャガーだったりポルシェだったりメルセデスだったりする。普通の不味いレストランは行きたくないから、少し高級な場所を予約する。僕は飲めないが昔の同僚は飲めるから酒を飲む。勘定書きが来る。友人はそれを見て目を剥く。それで僕が払う。そんなことを数回すれば誰も僕を誘わなくなる。一晩の食事代が彼らの月の小遣いより多分多いからだろう。それですることがないから本ばかり読むようになった。することがないからグラフや場帳ばかり書くようになった。元々、学生時代からしていた相場というのをそれでは職業にするかと本気で思ったら、他の事をする気が全く起こらなかったので、会社も売ったし、付き合いでしていたある会社の役員も辞めた。面白くない仕事はしたくないのだ。仕事は金になろうがなるまいが、好きな仕事が一番だと今でも思うし、気に入ったもの以外は本来の仕事ではないのだろうと思う。みんながそういう風に生きたら不平や不満はすごく減るだろうし世の中がもっと明るく楽しいものになるんじゃないかと今でも思うが、そんな風に仕事をする人はほとんど周囲にはいないようだ。これは単なるお金の問題ではないのだが誤解している人がほとんどだ。僕の周りには僕より数十、数百倍の資産をお持ちの大金持ちが数名いるが、彼らは僕から見ると随分と不自由で不幸な生活をしている。自分がいくら資産があるのかよく知らないような商業ビルを数棟繁華街に持っているようなご夫人もいるのだが、精神病だったり家族と上手くいかなかったり仕事やお金でいつもイライラ、ヤキモキしている人もいる。つまり多すぎて邪魔なのだがスパッと使えない、棄てられないことからくる問題だったりストレスだったりなのだ。微分すれば一発で解決するのに習慣として出来ないのだ。僕にいわせると「頭が悪い」ということなのだが、悪いものは悪いので60歳を過ぎては直るはずもきっとないだろう。あのままお金に埋もれて不幸な気持ちで亡くなるのだろうと思う他無いのだ。
なんちゃって田舎暮らしというのは楽だ。畑いじりなんか出来ないしする気もない。テラスでハーブや花を少し育てるぐらいで十分だ。それでも日差しはとても強いからトマトだろうがインゲンだろうが何でも育つ。半分は虫が食べるけど。今日は連休が終わったから、12時から長岡温泉に岩盤浴に一人で出かけた。文庫本を1冊持って、バドガシュタイン鉱石の岩盤ベッドで2時間ほどうつらうつらしながら本を読む。汗がどっと出て浴衣2枚がビショビショになるぐらい発汗したら、今度はラドン浴槽でぬる湯に使って休憩室で昼寝をした。帰りにスーパーに寄って牛乳と食材を買ってきた。それでほぼ一日が終わる。「本当の戦争の話をしよう」というティム オブライエンの短編集を読み切った。村上春樹が訳している。僕より10歳ほど上のアメリカ人はベトナム戦争で歩兵となった。戦友が多く死んだ。彼は生き残ってハーバードを出て作家になって、戦争の話ばかりを今までずっと書き続けている。それが彼の「仕事」なのだ。もう40年になるがずっとそれを何度も何度も書く事で彼の戦争、彼の仕事は今も続いているのだろう。帰りの別荘地で見事な藤の棚を見つけた。満開の藤が五月の空を埋めている。お金を追いかけた生活より今のほうが何倍も僕は楽しいし素敵だと思う。山暮らしにお金はちっとも役になんかたたないのだね。何でそんなものを僕は30代で追いかけていたのだろうと不思議な気持ちになっている。きっと年を取ったせいだろうと思う事にしよう。
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