後場寄りでも1回転
5707 3910 −2 買い落ち
7970 850 −5 同
8698 416 −10 同
4751 4725 −1 同
6701 3360 1ー 売り乗せ
5232 4790 1ー 同
9984 8861 1ー 新規 空売り ついでに孫さんも逮捕しないの?
9110 2997 3ー 乗せ
都合6−18
合計 7−35 何でも手あたり次第売れば転がりますね。
本日 利食い 13.2万です。時給で7万ぐらいだね。
あー、こりゃ、ええねえ、、金が落ちてるねえ、、至るところにねえ、、。
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2時過ぎたら利食いで減った売り玉をなんでもいいから戻りを面倒がらずに売っておく。銘柄はお辞儀しそうなものなら何でも宜しい。わからん奴は猫の空売り11月リストを売れ。当たり確率8割でイチロー真っ青だそうだ。(俺が調べたわけじゃねえよ。誰か提灯が言っている。)
んで、それを信じて俺も乗った。
7734 2307 1ー 新規 売り建ち
5301 1571 2ー 乗せ 昨日に続いて陽線引けクサイから当然売り
きっと明日からまたツルベオトシ?
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「カチアート」を追いかけて、活性化の話の後、ふたたび「カチアート」を追いかける
外国の新刊書の場合、紹介記事を読んで関心を持ちながら、洋書店に実物がとどく頃には、なんとなく忘れてしまっているということがよくあります。忘れたままならそれで終わりですが、なにか機縁があって、あらためてあれは面白いにちがいない、と考えることになり、ペイパーバックスでなりと、という具合に探しはじめるが、なかなか見つからない。しだいに思いはかろうじて、そのうち当の本がどう書かれているのかを考えめぐらすことにもなります。とくに新趣向の仕掛けが用いられているらしい小説については、こちらも作家である以上、深入りして考えつづけるということになってしまいます。
このところその経験としては、ティム オブライエンという初めて聞く名前の作家の『カチアートを追いかけて』がありました。ヴィエトナムの戦場からカチアートという名の兵隊が脱走する。
かれはおもに徒歩でパリまで逃げて行くつもりなのらしい。所属していた中隊がかれを追いかけるが、とどのつまり追跡行はパリまで続くことになってしまう。紹介の大筋はその程度でした。めずらしく僕はニューヨークにまで注文を出したのですが、いつまでたっても本は届かず、いったいこの奇想天外な着想がどういうリアリティーにおいて実際に書き上げられているものか、繰り返し考える羽目になったのでした。短編ならば、これは一応の説得力あるものに書き上げることができるだろう。たとえばサーバーならば、漫画にカチアートの肖像を描くなりして、短かくたくみに物語るだろう。しかし長編でこれをどう書くか?しかしそれならば、先行世代の直接の模倣ということで片づけられてしまうはずだろう、、、、。
さて、この春カリフォルニア大学バークレイ校で大学生協の書店を見てまわっていた時、僕はやっとのことで逃げ続けた相手を掴まえた、という思いとともにオブライエンの本を買うことができました。扉に、ーーー兵士らは夢見る者ら、と引用されている詩行を読んだだけで、この小説の書き方の基本方針は納得できるようでした。つづいて、いかにも知の訓練のある作家の、よく考えた小説の仕掛けに、自分がこれまでつづけていた試行錯誤の想像とあわせ、小説の方法についてあらためて考えながら読みすすめることになったのでした。
この小説は、三種の書き方を、交互に組み合わせて進行します。a,実際にカチアートがパリに向けて脱走したのを、中隊が追いかけてラオスに入りインド、アフガニスタンからギリシアを経てーーーアテネまで辿り着けばあとはやさしい、とカチアートはいっていたというのですがーーー
武器を持った軍装のままパスポートもヴィザもなしに、ついにパリへ到る。裏街のホテルに隠れているカチアートを捕えるべく、真っ暗な部屋に踏み込み、そして叫喚、という物語。このレヴェルでは、地の文のなかにも「想像力による歩み」という種の表現が使われるとおり、映画の珍道中物のような、ファンタスティックなドタバタ喜劇調が用いられます。逃げているとうのカチアートからつたえられた、道路の穴に気をつけろ、という伝言を無視したため、中隊の全員が難民の娘ともども、深い穴へアリスのようにどんどん落下する。このシーンなどaのレヴェルの性格をとくによく表しています。
bは現実にヴィエトナムで苦しい作戦にしたがい、幾人も死者を出している中隊の行動、人間関係を、たとえばジェームスジョーンズに見られるようなリアリズムで書くレヴェルです。その作戦のなかからカチアートは脱走していくのですし、この中隊がパリまで追跡していくのでもありますが、bのレヴェルにおいてヴィエトナム戦争は、現実的な重いものの見方で語られているのです。そしてこのレヴェルが、aのファンタスティックなレヴェルに対置されることで、小説に動かしがたいリアリティーを与え、作品にヴィエトナム戦争の一報告たる性格をも担わせているわけです。もとより全体をその方法でつらぬけば、いまその名をあげたジョーンズの戦争小説を超えることはできない。若い後進の作家としては、aのレヴェルの工夫が切実に必要であったはずです。
「小説のたくらみ、知の楽しみ」大江 健三郎 より 転載
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雑誌「coyote」を初めて買った。MAGAZINE FOR NEW TRAVELERS というコピーにあるように、新しい旅行者のために 編集された雑誌である。この旅行者=TRAVELERS という言葉は日本語ではあまりなじみのない当て字のような響きが僕にはする。こうした感覚的なことを何の学術的知識のない僕が思いつきで書くのもナンだが、旅行という無駄=奢侈をなんでわざわざ人はしたくなるのだろう?と思う。
わざわざ時間をつくって、お金を支払って交通機関に乗って、宿を取り、美味しいものを食べたり、美しいものを見たりして、富を消尽することに人生の時間の一部を投下すること。そして誰かにお土産を持ち帰ること。旅というのは出発があって、帰還がある一連の人間の移動行為のことであると思う。特にこの雑誌 coyote は登山やトレッキング、クライミングの特集が多い雑誌のようで、僕が定期購読を始めた「MONKEY」と同じスイッチパブリッシングという会社が出しているかなりマニアックな雑誌である。季刊か隔月刊が知らないが、テント、登山靴やリュックの宣伝広告が多いから、暇人のための雑誌だと思う。
僕も55歳を過ぎてから、ハイキングに毛のはえたような低山(1000メートル以下の低い山)しか登ったことがないし、偉そうなことは何も言えないが、一度だけ登山教室に参加して唐松岳という2000メートルオーバーの夏山に先生に連れられて登った経験がある。にわか登山だったから、途中でやはり高山病になったようで軽い頭痛がずっと下山するまで続いた苦い記憶がある。先生が言うには(この人は70歳近い山男で長野県の登山業界の長老のような酒豪で、毎年数百名のアマチュアを唐松岳に連れて上げて戻して来るという荒技を続けておられる偉人だ。)「山は怖いよ。とくに下りが怖い。僕の教室で起きた事故の9割が下山の時なんだよ。」という言葉が耳に残った。
人はきっと上を向いて、頂上を目指して苦しい道を少しづつ這い上がるように前進している時にはまだ注意力が集中してあまり大きな事故を起こしたりはしないものなんだろう。しかし目的を達成してさてあとは帰るだけという途中で、大きな生命の生存そのものに影響するような事故を引き起こす。たぶん「油断」ということや「緩む」ということがそれの誘因なんだろうなあと思うのだ。
相場や人生を登山に例えるのが正しいのかどうかは知らないが、登った山は降りないと街には帰れない。相場も上がった山は降りないとサイクルは成立しないのは同じだ。標高のレベルが上がれば上がるほど、下山時の角度は急斜面が多くなるから滑落多発というのは自然な事だと僕は思うので、「そういう危ない斜面を上がるのは馬鹿のすること」だと安全に街に帰る降り方の指導をするかという事でおせっかいにも「空売り教室」を1回だけ東京ですることに決めた。人生最後の庶民へのサービスである。遠くは北海道と島根県から来る人がいる。
今朝もNYは500ドルも崩れている。急斜面を滑落している。(爆)こういう時に登る人は多分、ほどなく死体になるなと経験からは思う。
お知らせ 「空売り教室」の申し込みはすでに終了しています。 猫次郎