押し目買いの好機 3004 三角保合い収束場面か?
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4番目の孫 さくら 10キロ、8ヶ月 猫に興奮している
年々、イベント物(正月とかクリスマスとか)が普通になって、特別感が減じていく。これは歳を取ったせいなのか、一般的な感じ方の傾向なのか?「今日は特別な日」という高揚感というかわくわくするような期待感というか、そういうものが減少してしまって、「ああそうなの?」という白けた気分が蔓延してしまう。それは特別な日に特別な事が起きなかったからなのか、それとも勝手に特別なことを期待して、それが思った事と違ったからなのか、全てが平準化していく毎日というのが当たり前になったからなのか?とにかく、平和な普通の日が僕にはずっと連続していく。休日というのは特別に嬉しい日という感情は、労働が苦痛を伴うものという前提がきっとあるからだろうし、労働から全て解放されてしまった暮らしというのは「休み」も「遊び」も無くて、ただ平らな日がずっと延々と続いて行く。だからという事もあるのかもしれないが、平坦でない事を少しは期待して相場を張るのかもしれないとも思う。
忠告しておくが、貧乏性な人は仕事を辞めないほうが良いと思う。何かしていないと不安になるような意識の人には平和な日々の連続は耐えられないだろうと思う。資本主義とはつまり、特殊性の連続を期待するような仕組みで出来ているのだろうとこのごろ思うのだ。
毎年、ほぼ決まった方から賀状を頂戴する。どうもありがとうございます。お元気で何よりです。最初からわかっているならこちらかも書けば失礼がないのだろうが、いつの間にか正月もクリスマスも僕には無くなって、カードや賀状を書くことが無くなった。なんとか松の内にお返事を書かないとマズいねえと思う。反面、なんか理由もない時に、カードやハガキを出してみたりもする。イベント無しのイベントということか。それでも今年は鹿児島から叔母が着て3週間ぐらい滞在する。今日は長男と孫のさくらが来た。もう8ヶ月で離乳食を食べる。猫に興味津々だから、あと1、2年すると追い回すことになるんだろう。娘の孫たち3人は3年連続で今年もハワイでバカンスだ。当然のごとく生意気なガキに育っている。 |
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なにが欲しくて毎日僕はこんなものを書いているのだろう?
でもチラ見しただけで1000万ぐらいは楽勝で取れそうなグラフだね。
今日は大納会だ。昔は午前取引だけだったのに、今は全日同じようにあるらしい。知らなかったので前場引けで場帳とグラフを締め始めて、後場になって、値が動いている!「ええー」という感じ。今日は8013なんか動いていたが面倒なので放置していた。ストップほど買われるわけでもないし、今週ずっと年初来安値付近だから、どこを買っても馬鹿でも戻りを取れるんだろうから11月から10枚ぐらい(たった1000株)ぐらいポツポツ拾って、前場引けではみな利食いポジションだったが、まあ新年でいいかと放置。5万円なんてどうでも宜しい。「きみの欲しいものはなんですか?」
you-tubeで中森明菜とか吉田拓郎とか古いライブ録画を見ている。明菜ちゃんの25周年ライブなんて見ていると、この人はずっと年をとっても美人で見ていて良いなあと思う。やはり美女は周囲の男を見ているだけで幸福にする特別な魔力を持っているのだから、あまり見た目を強く出ないで欲しいなあと、、、。女が根っから強いのはもう男はみんな知っているのだから、普段は嘘をついてそうでない振りをしていて欲しいよねと思う、、。人類の役割ってきっとそういう事だろう?人類の中での美女の役割ってあると絶対に思うんだ。そうしないと文学が成立しないと思うな。
男と女は別の生き物なんだから、なんでも一緒にするのは良くないなあと僕は思うな。違うほうが(差異があるほうが)お互い楽しいと思うなあ、、。21世紀の男根主義者としてはそう願いたいな。
11時に明日上京する予定だから、高田の馬場で前回振られた日本の名店100に選ばれてる「成倉」というトンカツ屋に電話して、年末年始の営業時間を聞いたら、年末は本日のランチまで(29日昼から)年始は5日の昼からということで、またスカッってしまった。前回はお盆の時でお盆休みで食べられなかった。期待して店の前まで行って休みだと実に落ち込む、、。この店にはシャトー豚ブリアンという特殊な肉の部位があって、この部位のトンカツを食えるのは日本でここだけだ。でも130グラムで2600円と安い。上野の鳳来ならヒレで5000円だ。目黒とんきは名店だが肉の部位の指定は、ロースとヒレだけだから、なんとしてもここが食いたいなあ。日曜と木曜が休みで普通の時期に上京しないと食えない。2万、3万でもいいから明日やってくれよと思うなあ、、。健康でないと美味しい食事のありがたみが楽しめない。年を取るとまず量があまり食べられなくなるのが普通だから、すごく少なくても良いから旨いものを食いたい。金はいくらでも出すから、旨いものが食いたいなあ。自分が作るより数倍、想像もできないぐらい旨いものが食いたいと思うなあ。それには運動して腹ぺこにするのが一番なんだが、面倒くさがりだから運動もあまりしたくない。2日ぐらい絶食したらきっと何でもごちそうだろうなあと思う。今日のブランチはマダムが作ってくれた特製 パエリアをチンして食べた。海老とアサリと蟹のパエリア、実に旨いですよ。
昨夜からコツコツと9110の48年を書いていた。ユナイテッド海運、昔の名前は新和海運。150円と1000円の往復をする元気な奴。今は少しおとなしいけど、また来年ぐらいから動くだろうと思うから、9115の明治と9101の郵船とを場帳に入れようかな?と思う。こういう選択センスは僕はあるから、書いているコードのヒット率は結構高いんじゃないか?と思うな。あと2−3年は無論買いっぱですよ。売ると担がれますよまだまだ。500人見ている中で上手な人は3人以外いないので(総長とベトナムさんと魔法使いの弟子さんだけ)あとは買って3年放置が一番効率が良いと金だけなら思うな。
大発会に買って忘れる。2−3年で4−5倍だ。一番簡単で一番困難な方法ですね。マジ当て物だけど結構鋭く当たるよ。 |
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義母と妻とのささやかなクリスマスディナー
2011年の震災で東京ライフを捨てて静岡の山頂に引っ越してから僕の生活は随分変化した。所変われば品かわるという、そのものズバリの暮らしと言って良い。都会と比べ、人口密度がスカスカというのは実際にどういうものかは移動して3日もたたずに思い知ることになる。まず大きなベンツやAUDIは走っていない。軽自動車ばかりだ。そして夜は行く場所がない。わずかなコンビニがある以外(20キロに2店舗)明るい場所がない。だから人が街にも道にもいないので、時々車が通過するだけだ。「目的の無い移動というものが田舎にはないらしい。」ということが3日でわかった。スゲー所にきたものだと呆れることも多かったが、田舎の人から見れば、都会もんが何をわかりきった事をほざいているという所だろうと思う。カードが使用できない焼肉屋、寿司屋とか不便な店がたくさんあるのにも気がついた。だから食事をする時には現金が財布に10万ぐらいはあったほうが良いと知った。コンビニはそのためにあるのもやっと理解できた。
面倒だから銀行で100万下ろして、自宅の金庫に入れておくのが便利で良いと思ったが、いつの間にか無くなるか減っているのは誰かが使っているからだろうと思う。
田舎の店舗はやたらと広い。どこに何が置いてあるか慣れるまで時間がかかるが、僕の欲しい物は全く置いていない。それは一般性と実用性と低価格という3つの要素が共通してないものは、店にはないと考えたほうが正い。無駄なものは売れないのだろうと思う。だから買い物はつまらない。探す喜びというものが無いのだ。日本中にイオンというスーパーがやっているモールがあるが、あれ以上の品揃えはひとつもない。(一部の野菜や特産品は専門の店があるが、、)だから付加価値のある欲しい物は基本的に一つも売っていない。その結果、ネットの通販とかお取り寄せが最初は多かったが、そのうちいちいち探すのが面倒になって欲望が無くなって(というかすごく小さくなって)別にどうでも良くなってしまった。眼の前に無いと思えば、欲望というのは失せてしまうものらしい。これはきっと人口密度と時間の早さに比例するのだろうと今は思う。
ああ、もうきっと僕の欲望は「物」じゃないんだなあと思ったので、「事」という変化には、住み替えが一番良いと感じて、函南の山頂から伊豆山の山頂に3年住んでフラットを移した。さらに広く豪華で高級なフラットに変わったが、猫と一人住まいだから135平米は広すぎてダイソンの掃除機では一度では電池切れが起きて掃除が完了しない事がわかった。ダイソンは100平米で電池切れになるのだ。コードレスに慣れるとコード付きはもう買う気になれない。
新しいフラットはバブル時に鹿島が設計施工したいわゆるデザインマンションの走りで、7階と12階建てのビルが2棟並立していて4階部分で繋がっている。わずか29戸しかないので、各フロア2戸しかいない。定住は9戸だから定住率は3割のリゾートマンションで僕は62歳でも最年少の口だろうと思う。管理人は81歳の爺さんだが現役で元気だ。きっと熱海の温泉が良いのだろうと思う。機械式のパレットはフルサイズの5300ミリまでの車が入るから、メルセデスとBMW、AUDI、ポルシェ、ジャグアーとレクサスばかりが止まっている。引退したか現役の社長連中ばかりだろうと思う。僕のフラットの前オーナーは味の素の元社長だった。掛け流しの温泉付き、しかも浴槽は琺瑯引きの外国製で伊豆石の浴室だからまあ1泊10万円クラスの和風旅館の風呂並みの豪華さだろう。半露天というか浴室の窓は床から天井まで2メートルのオープンスタイルのガラス張りだから、夜は外からみるとストリップショーなんだが、山の天辺だから鳥しか見ることが出来ない。山並みと月を見ながら風呂に入ることになる。現在は零度付近だから、熱い46度ぐらいの湯を掛け流しにして半身浴が気持ち良い。湯気で浴槽全体が真っ白になる。
仕事も生活もストレスが無いゆっくりとしたゆたかな暮らしをしようというのが都市を捨てた僕の老年の決まり事となった。何事でも無理をしないこと、適当に手抜きをしながら安楽に暮らす事、面倒なことには近づかない事、ちゃんと元気でいるためにきちんと自分で食材を買って道具と時間を使って料理を作って食べて寝ること、少し運動すること、しっかり読書をすること。生ー老ー病ー死 という自然なサイクルの変化を受け入れてジタバタしないでゆっくり楽しくゆたかに死んで行くまで生きる事。それが林住期の僕のスタイルだと自然に思ったら、物欲などが随分と少なくなったような気がした。でも親しい友人に言わせると、「君はもう全てを持っているから欲しい物がないんだよ。だから欲しい物が欲しいなら今を失うしか方法は無いね。」ということだ。まあそうだろうなと思う。たぶん一丁上がりという事だろうな。
暮らしを豊かにするには、女性誌のほうがマジに役に立つ。マガジンハウスの雑誌は具体的な生活の事、家とか料理とか道具とか良いもの満載だから、それを探して東京で買ってくる。ワゴンを買ったから大抵のものが持ち帰ることが可能で合羽橋なんか実に楽しい。キッチンを大改造しようと思っているのだな。見本をいろいろ先輩たちのを見て、料理家の門倉多仁亜さんのキッチンが良いなと思った。ミーレの食洗機とオーブンがメインだ。彼女は20回以上引っ越しをして鹿児島の大隅半島に平屋の家を建てたらしい。
やはりドイツ製が信頼できるということで、メルセデスと同じ選択基準ということだろうと思う。 |
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マダムのクリスマスリース
オレゴンのもみの木で作ります。
──この20年余り、ほとんどゼロ成長で、超低金利の状態が続いている日本の現状に鑑みれば、「定常経済」への移行は現実味があります。
金利がゼロという状況は、常に利潤を得て資本を増やさなければならない事業家や企業経営者、そして投資家などにとってはゆゆしき事態です。しかし、無限に財産を増やす必要はない一般の人々の生活には支障はない。むしろ、金利がゼロというのは、欲しい商品やサービスがもうなくなったというぐらいに、みんなの欲望が満たされた状態と考えてもいいのではないでしょうか。
金利の歴史で、複数年に渡って2.0%の水準を切ったのは過去1回だけ。歴史家のフェナン・ブローデルが「長い16世紀」(1450年〜1650年)と呼んだ、近代に向かう大転換期に、イタリア・ジェノバであっただけなのです。
中世の封建体制の下、陸に囲まれた地中海貿易で繁栄した商業資本主義の時代が行き着くところまで行き、一方で貴族と貧民の二極化などで、社会が変わらざるを得なくなった段階だった。それを考えると、まさに今の状況とかぶるわけで、歴史上の転換期にあるのは自然なことと言えます。
今の日本はどちらかというと、まだグローバル化や自由貿易、成長戦略といった「拡張」を志向する層が多い。それで頑張るのはいいのですが、現実は拡張を志向すればするほど悪くなっています。
財政は巨額の赤字を積み上げ、日銀は「異次元緩和」と称して、資本主義経済の基本である資本市場の機能を殺してしまっています。企業も、無理して利益を上げようと頑張って、おかしなことになっている。東芝がその象徴ですが、見せかけの利益を上げるために、粉飾したり無謀な買収に走ったりして、墓穴を掘ってしまっています。
「定常経済」と言われる利潤や成長を求めない経済では、市場は、資本の利潤を生む場ではなく、単純に資本やモノを交換する機能だけでいいと思います。地域で得られる原材料や食材などをもとにした生産品や、地域の労働力を使ったサービスをその地域で提供して、それで得た所得を地域で消費する循環型の経済を目指すことが重要なのです。
「マイナス金利」を経験しているのは世界でも日本とドイツだけですが、そういう意味では両国が新たな時代の先端にいるといってもいい。つまり、「近代」の次の段階に最も移行しやすいということ。そう考えますと、日本は制度疲労が目立つ「近代」のシステムに固執するのでなく、新しい枠組みを志向すべきなのではないでしょうか。その基盤となるのが、「閉じた帝国」という経済圏なのです。
ダイヤモンドオンライン 水野和夫インタビューより転載
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強気の武者氏を転載したから、公平に弱気の水野氏も転載しておく。両者とも時間軸の長短の捉え方に若干の差があるとは思うが、夢見る未来の構図には正反対の世界があるように思う。きっとある程度の時間がたてば、どちらかに近い現実がやがてやっていくるのだろうと思う。
武者氏が見るのは成功した資本家、投資家の夢であり、水野氏が見るのは没落した一般の労働者の生活という悪夢なのだから、両者が等しく併存する未来という絵図こそ我々が迎える近未来の見取り図にきっと近いだろうと僕は思う。自分が何になるかという差異だけしかそこにはないのだろうし、経済的な成功と失敗の比率はきっとどんな時代でも大きな差はないだろうから、きっとそれは昔から1対100とか1対1000とかの割合だ。だから多くの人はきっと水野氏のような厳しい資本主義が敗北したどこかがひきつったような暗い定常経済の世界と時代の生活をするのだろうし、わずかに成功した人は快適で裕福な生活をする。その格差はどんどん拡大していくという現実の映し絵を強化するだろう。
それでも生産力の持続的な拡大で、常に事物が需用以上に供給され続けることを常態として世界は廻り、と同時にそれを価格面から補強する信用の過剰付与によって支え続けるという物とマネーの関係性の仕組みの中にあっては、膨大な累積されるマネーと信用の分配は、今後は労働とはほとんど無関係に散らばって存在することになるのだろう。ゲートシティーという嫌な街がアメリカに増えているが、きっと日本でもそういう事が起こるんだろうと思う。都市化が進むと当然の居住地区の所得分化が進んで、安全もサービスも教育も品質も全部がやがて階層化されていくことだろう。当面は誰もこれを阻止できない。水野の言う「閉じた帝国」は雛形としての「閉じた街区」をその中にマトリョーシカのように作り出すだろう。無数の脱構築されたリゾーム状の居住地区が不気味に日本列島を覆い尽くす。その単位が60万都市を200作るというコンパクトシティーなのだろうと思う。 |
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