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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

書庫日記

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 将来の事は誰にもわからないからこそ、今日のこの1日を精一杯充実して暮らす事が本当に大事だねと思う。昨日まであんなに元気だった人が、突然心筋梗塞やクモ膜下でコロッとなくなったりするのが周囲では珍しく無い。50歳を過ぎたら何が起きるかわからないし、大抵はよくない事が起きる事が多いから、そうなる前にしたい事は全部予防的に何でもしておくことが「お得な生き方だね」とつくづく思う。
 自分の5年先の、いや3年先のことだって予想がつかないのだ。まして世の中がどうなるかなんてマグレ以外に当たりっこ無いと思えば、したい事を先伸ばしにする合理的な理由など一つもないと50歳を過ぎれば思う。5年前は東京の中野に住んでいたが、まさか静岡の熱海に家を買って暮らすなんて想像もしなかったことが実際に起きている。全部、自分以外の出来事の成り行き上でそうなったのだし、意図してというよりはなんとなくそうなったのだが、結果オーライにいつもなるのは「嫌いな事は拒否して好きな事しか選ばない」というスタイルが固まっているからだろう。
 温泉好き、じゃあリゾートの温泉掛け流しのマンションを買っちゃおうとなったわけだ。それでそこに住んでも問題ないのなら、しばらく住んでみる。思ったほどは不便ではないから、まあこれでいいかなとなる。都内で駅から車で5分で150平米の駐車場付きのマンションは無論億ション以外にあり得ないが、賃貸でも家賃が月に50万は下らない。ところが熱海ならタダ同然の値段で高級物件が投げ売りになっている。それを拾ってたっぷりと改装費をかけても都内のワンルームと変らないのだ。従業員が3万人いる日本で最大級の食品会社の社長の別荘を買ったということだが、メルセデスより安いのだ。へそくりで何件でも変えるぐらい安い。日本はデフレだねと思うのは、不動産や株式の価格を見ると納得するだろう。

 さてもうそんなにたくさん金はいらないのだが、それでもあっても邪魔にはならんから、あと1億くらい気晴らしに手抜きで取るかと思っているのだが、8604 野村が目についた。
12年5月に250円だったものが1年で4倍になって1000円付近まで上げている。その後300円ぐらい押してまた戻り高値を15年5月ごろに取って崩れた。1年で半値450まで売られている。

 因に配当は15円、純資産は752円と優良だ。
本当にリフレ派の言うように、資産価格が上昇するのなら一番に上がってよい候補なんだろうが今の所は上がらない。配当利回りでも4%近いのだから、預金などの40倍も有利なはずだが安値に放置されている。
仮に450円から20円刻みで1万株ずつ10回買ったら平均350円で10万株になる。資金は3500万だ。配当は140万だ。3年ぐらいでインフレになれば1500円か2000円ぐらいにはなるんだろう。すると税金を払っても1億以上の利食いになるだろう。

ブログで書くようなプロの小技を上達しようと練習しても出来るようになる人は500人に一人二人である。それよりこのほうが単純で楽だし、成功する確率は格段に高いと思う。当て屋だが、安値で拾えばいずれ当たる。相場なんて単純な長っパリのほうが楽だと思うね。
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讃岐でツルツル

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芦ノ湖キラキラ


 早いもんで5月も明日で終わる、なんだか崩れそうで崩れないが、政策対応で消費税増税延期となるらしいが、政権維持に遮二無二突っ走るという意味では、阿倍の政治的本能は多分壊れてはいないという事なのかもしれない。本能というものは何であれ「無理が通れば理屈は引っ込む」という状態のことを指すと僕は思っているから、これで消費のこれ以上の腰折れはしばらくは止まるだろう。
 日本人というのは独特の物価観と労働観を多分持っている国民性なんだろうと思う。そしてそれは「リフレ政策」に関してデフレで対抗するというような「百姓一揆」的なロレツの廻らない対応をしても矛盾とは感じない。だから黒田の政策はちっとも効かない。
「これから2%の物価上昇が起きますよ。すると資産価格や消費者物価が上がりますから、上がる前からお金を使ってそういうものを予め買っておいたほうがお得です。」というのが日銀黒田のリフレ政策の言い分であるが、一方の百姓のほうは「何だ、物価が上がるのか?給料は上がらんのに物価だけ上がれば生活がまた苦しくなるから、今のうちに貯金をしよう。」というように多分考えるのだろうと思う。(爆)まるで噛み合っていないから政策は効かないし、物価と賃金も実質的には上がらない。その27年間でGDPもちっとも拡大しないし、証券市場も高値をちっとも更新しないのは世界で日本だけという有様だから、たしかにデフレ好きという国なのだろう。
 見渡せば、長期国債利回りはほぼゼロであり(一部はマイナス!)、株式配当利回りは4%を越えるものがゴロゴロあるし、純資産倍率が0.5以下のものもこれまたゴロゴロある。つまり日本人の大半は資本主義をまるきり信じていないという事なのだろうと思う。資本主義では、利子率=利潤率となるのが定理だから、「すでに日本は資本主義ではない」そう考えたほうが自然だろうと僕は思ったりする。長期金利がマイナスになるという事実は、「どんな商売をしても損になる」ということと同義語である。果たしてそんな事があるのかね?

 随分前だったが、郵便貯金のテレビCMだったと思うが、100歳を超えた金さん銀さんというバーさんペアが、「将来のために貯蓄する、、」というコピーのCMがあったと記憶している。これはきっと日本人以外には「意味不明」なんだろうと思う。彼女たちにとっての将来というのは自分の残った時間という意味では多分ない。そうではなくて子供や孫つまり自分の係累の将来にとって貯蓄は重要だという意味だろうと思われる。だからこそ「俺俺詐欺」のような相当世界的にはめずらしい犯罪が多数成立したりするんだろうと思う。
現在の需要を将来に先送りする国民性が常態ならデフレが一般化するのは当然であるだろうから、いくら政策を打っても効果がない。「贅沢は敵だ、欲しがりません勝つまでは」というような大本営のスローガンが未だに生きてるという事なんだろう。

 その点では猫は「贅沢は素敵!みんなの諦めた贅沢はみんな僕に頂戴ね。」というリア充な口である。ヒラヒラ毎日遊んでいても何ら困らないどころか、きっと労働している人全員が馬鹿に見えるぐらい資本社会の恩恵を一人受けているのだろう。それは多分、自分の頭で感じて考えて実行してみるという事を若い時から習慣化しているせいで、「世間の常識は貧乏まっしぐら」だねと感じているせいでもある。

僕のブログに来る人の誰かの足跡を辿ったら「私は2015年9月から、信用取引(信用買い)を繰り返して大損をしました。アベノミクスで最初は1000万の資金が2年で1800万になりましたから、強気で下げた所をどんどん買ったら、結局200万まで資金が減って1600万の損になりました。残った200万も無くなりそうです。」とあった。

「おめでとう!貴方はエライ。もっとどんどん強気で相場をやってオケラになりなさい。 君が100人ぐらいいれば、猫はこの先もきっと安泰です。」とホンネで思う。この人の発想はきっと金さん銀さんと同じなんだろうと思う。こういう人たちをオカズにして僕は今ならウドンをツルツルっとやって夜のゴハンは済ましてしまう。暑いのでサッパリが良いよね。

循環論者は悲観的?

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参考図書

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天底一致

相場が下手な人(これで飯が喰えていない人)のために、参考図書をひとつ紹介しよう。一読してから、相場を初めても遅く無い。すると常に買いからしか相場に入らない自分の馬鹿さ加減を自覚するんじゃないかな?と思うから。
 ヌリエル ルービニ「大いなる不安定」ダイヤモンド社  2010年だ。
あのリーマンショックをかなり正確に予言して的中させた経済学者である。この「大いなる不安定」は、ジョージソロスの豪華な別荘を借りて書き上げた本だが、邦訳はこれが最初だと思う。
スタンリードラッケンミラーもジョージソロスもカールアイカーンも循環論者は現在ほとんど全員が「暴落は近い」と警戒して、アセットの多くを「ショートポジション」に変えているという報道をされている。
 相場のネタの事だから、無論真偽はわからないが、世界中の中央銀行がお金を刷りに刷っている未曾有の金融緩和が曲がり角にそろそろ向かうというタイミングに「注意を怠るな」という態度は正しいと僕も思う。だからか2015年の2月ぐらいからずっとショートポジションを増やして、ロングを手仕舞ってきたしそれで良かったと思う。少し売りが早すぎたものも無論あったにしろ、やはりいずれ崩れそうというようなチャートは月足で見ても増えているし、既に崩れてしまって年初来安値が昨年の最安値を下に切ったもの=つまりネックラインを下に切った壊れたチャート が増えている。

 長いグラフ(月足なら30−50年の数度の天底の往来が見えるもの、日足の折れ線なら3−5年の大きなうねりが見えるもの)を見れば、誰にでもわかる(感覚的に小学生でもわかる)ように、大半のグラフが
底(100円かそれ以下)と天(1000円とかそれ以上)をゆっくりと数回往復しているのがわかる。
その往復の一片は、上げで3−7年、下げで3−10年とマチマチだが、上げに時間よりも下げの時間のほうが長い場合が多いと思う。

2年程度のうねりの短いタームでも、「天底一致」というような現象はまず間違いようがないくらいに正確に起きるのでじっくりと観察してみると良い。1699(野村原油)と1552(VIX)などは1日のズレも無くシンクロして反対方向に一致しているが、珍しいことに金曜に逆鞘に変化したので注目のタイミングということに常識的にはなるんだろうと思う。
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夏の花火のようなはかない人間の一生です

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キツいだけのハイキングですが、歩くと腹が減って飯がうまい!
快感と幸福には「肉体的努力」のほうが金より数倍必要なんですね。

リアルな生活が充実しているのを「リア充」と言うらしいのを息子の会話から知ったが、実はブログという電子日記のようなものは(公開が原則だから日記とは本質的に異なる)この個人のリア充を前提条件にして成り立つ擬似的なコミュニケーション世界であるという事だ。だから「俺はこうだもんねー、いいだろ?」というある人のスタートが「でも僕はこんなだよ?どうだ?」という反復によって駒が進むという具合に展開する。こういう決まり事なのだから、わざわざ否定的なコメを書き込む意味がないのだが、オバカな人は自分の意見を書いたり、聴いたりする場所だと本気で思い込むからややこしい炎上なんて馬鹿げた事がホントに起きる.「言わせておけば良いんですよ。どうせ自分とは直接関係ない事なのだから、、」という位の処理をしておけば良い。ネットの会話なんてそんな程度の事である。

 ところがタマに超マジな人がいて、真剣な顔をして「相場師になりたいので弟子にしてください。」とか本気かジョークか言って来る人も5年に5人ぐらいはいるのね。で、こちらは暇だから先方が会いたいと言えば「別にお好きにどうぞ、会うだけならいつでもおいで」と礼儀がわかる相手なら暇つぶしに会ってみたりする。
 するとリア充の適当な世界がいきなりマジな世界に変るので、僕よりも相手のほうが緊張するらしい。デカイメルセデスで迎えに行ってやって、広い見晴らしの良い部屋で大きくて長いグラフを3000枚ぐらいたくさん見せて、場帳と道具をみんなこんな量はいるんだろ?と見せて、典型的なうねり取りやリズム取りの50−60回の1年程度の連続譜を見せてやると、世間話やコチラに合わせて何か話していた人が突然まず黙る。理由はきっと、現在の自分の努力の数量と質が僕との比較でどうか?=圧倒的に不足しているという直感による認識にすぐ変るんだろうと思われる。だから軽い質問の意味に「常にアホと返される本当の意味」が少し想像できるようになるんだろうと思う。その意味では、直接の面談というのも値打ちがあるんだなとは僕は思うので、礼儀がきちんとしている人は暇なら拒んだりはしない。

自分の感覚が「逆張りはマイダスタッチ」になるまで真剣に練習すれば、マジにマイダスタッチなのだ。建てる、落とすというのが数日でも当日でも、あるいは2週でも何でも良いが100%利食いで落ちれば、金なんてどうでも良くなる。ロールスもカローラも同じ象徴価値しか意味を持たないという事になる。
相場師は場所と時間をあまり選ばない商売であるから、田舎の土地の安い自然環境の恵まれた水と空気と食物が上等な場所で温泉三昧で生きて行くのに大したお金は必要ない。多分都会の1/3ぐらいだろう。東京でカードで100万以上毎月使っていたのがせいぜい30万ぐらいしか買うものがない。これもやってみた人しかわからない。目黒や代官山の素敵な150平米のフラットは現在5億円であるが、熱海なら2000−3000万で同じものに掛け流しの温泉がついて来る。その記号の差異47000万分は遊んでいて良いという事だから、時間と手間がお得なのだ。だから仕事なんてしてもほとんど意味が無いとますます思うようになる。でもこれを「リア充」というのがホントの言葉の使用法なんじゃないの?と思うのだね。

 中学だか高校だかの数学で「順列組み合わせ」という授業を受けた覚えがあるが、内容は全部忘れてしまった。500ぐらいの選択枝から項目別(10ぐらいの要素)に自分の好きなものを選んで実行するという問題が仮にあるとして、職業と地域と時間と思考と実行の欄がきっとポイントなのだと思う。
この5点に差異化されているかどうか(デイファレンシエイトされている競争条件かどうか?)で結果の大半が決まるだろうと思われる。勇気が無いと選べないという前提が無論あるだろうが、、。

快適と幸福

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伊豆山から海を見下ろす散歩道

「還暦過ぎたら生きてるだけで大儲け」だと僕は思う。だから一番重大な事は、1日1日と愉快に楽しく健康に過ごすという事で、それだけ出来れば満点だと僕は思う。金とか社会的な評価なんで下らん要素は所詮どうでも宜しい。無いより有るほうが多少はマシだろうが、大富豪のハワードヒューズだって自殺したんだから無いなら無いで楽しめれば良いだけの事だが、貧乏人は楽しみ方を知らないで、恨みがましい目で世間を見るから卑屈になる。

日本人は世界一の長寿民族だから80歳は当たり前と思っているかもしれないが、それは世界の例外中の例外だろうと思う。作家で医師だった渡辺淳一が老いと身体について書いていたけれど、70から75歳ぐらいになると自分の身体の部分部分がどんどんと機能低下を起こして壊れていくのを自覚したという事だった。老化というのは細胞や器官が劣化していくことだから、100%の能力が何割も落ちていくという事だ。そうやってゼロに向かってっどんどんと低下していく。
免許の更新で聴いたが70歳以上は高齢者講習を義務付けられている。高速道路の逆走の7割が
65歳以上らしいし、アクセルとブレーキの踏み間違いも大半が老人の起こす事故のようだから、誰でもいつかはそうなるという事だろう。それを見越して諦めが大事かなとも思う。昔は「姥捨て山」というのがあって、口減らしの為に高齢者は山に棄てられた時もあったのだから、現代でも同じような事が事実上起きているのを全員が知っているから、みんなそれを恐れてコツコツと真面目に働くことを止めないのかもしれない。65歳以上の老人の6−7割もが仕事をしたがる民族なんて日本人以外にはあり得ないと思う。もうすぐ死ぬのが確実なのだから「楽して楽しく生きたい、遊びたい」と感じるのは動物としては当然の本能だろうと思うが、いつの間にか日本人は本能が壊れてしまったようだねとも思う。
 健康の原則は「食事、睡眠、適度な運動」という3要素だろう。日本は清潔好きだから毎日入浴するのが普通だから、感染症も少ないし循環が良いので長寿なのだろう。だから還暦付近になったら、この3つについて個人的には重要な改善努力をすると毎日が健康で楽しい「健康寿命」の延長が可能なのかもしれない。食事は量が少なくても内容の優れたものが良い。それには自分でなるべく作るというのが栄養と味覚と調理技能(反射と感覚と運動とのコラボレーション)という要素から理想的だろうと思う。いくら作っても自分一人で食事をしてもあまり楽しくはないのだから、家族や友人と一緒にゴハンを食べるという習慣を作ると効果的だねと思う。話題がいろいろ出るし、人の意見を聴けるし、第一料理する張り合いが出るのだね。

 「あれを作れば旨いかな?喜ぶかな?」と考えて暮らすほうが、楽しい気持ちになるのだから、結果的に幸福感が倍増する。何か人に具体的に喜ばれる事をするという事は結局は自分の満足になるのだから、そういう事を探して実行することで生活の質が確実に上がるのだと思う。どんな人でも必ずする事を「具体的、質的に向上させる」という点に絞れば効果は直ぐに出ると思うのだ。
別荘を売ったら、娘から「アーア、、」という失望の声が出たそうだ。きっと貰えると思っていたのだろうが、そうは問屋が卸さない。贅沢したいなら自分で稼いで買え。親を当てにしているようでは所詮はクズであると思う。
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