新橋の午後11時ぐらいに酔ったサラリーマン100人に「今したい事はなんですか?」と聴いたら、70%以上が「温泉に行きたい」と答えたそうである。そうか湯治するプラプラごっつあんライフが彼らの夢の暮らしなのかと思った。どうりで最近の熱海は都会からの観光客でごった返している。1泊8800円とか9800円とかでおよそ料理とは言えないような給食センターの作ったバイキングの食事の安いお宿でも予約が取れないほどの盛況だそうだから、「物より事」消費というのは本当らしい。
毎日忙しく通勤電車で苦労して大変な思いで長時間労働をするのが習慣化したしまった人が大半の日本人は「お休みは温泉に入ってぐっすり寝たい」という気持ちは良く理解できる。熱海が無茶混みなのはそのせいだろう。東京から1時間と近いし、温泉があって魚が喰えると便利なのね。
元来、若い時から僕は「仕事なんてどうせ金儲けだろ?」という割り切ったアッケラカンなタイプだったもので、何をするにも効率的でない事は長い時間はモタナイような体質なので、儲からない仕事は続かない。だから結果的に長時間労働で低賃金の仕事を排除していったら、相場以外に残るものが無かったという経験主義者という事なのだろうと思う。何億か稼ぐのに一生かかれば効率が悪いのだから、当てれば2−3年でそれぐらいはポロッと取れるような仕事以外は最初からしない主義である。下らん低効率低賃金の仕事なら何もしないで遊んでいるほうが100倍もマシだという怠け者の代表であると思う。元来、時間というのは「金を作る時間」と「金を使う時間」に別れるが、後者を尊重している日本人は実に稀である。それは大半の人が金が不足してるという状態にあるせいだろうが、これが使いきれないぐらい余った人にとってみれば、「金を使う時間」以外には不要である。必要性の無い事をするのは馬鹿であるという信念があるし、手段と目的を勘違いしている馬鹿が多すぎるから世の中がどこか狂ってくるのだろうと思う。
正月と5月の連休と夏休みしか日本人は連続して休みの取れない貧乏人ばかりだから、365日のうち本気で10日か20日ぐらい働いて、僕のように残りの時間は全部お遊びみたいな人はほとんどいない。周囲には僕と同じような生活をしているような人は事実上皆無なのだ。金があっても更に多くの金を儲けようといつも忙しく働いている人ばかりなのだ。「相場師はそれが可能だから素敵な商売なんですね」と書いて、日々の贅沢お気楽ライフを紹介するのがこの猫ブログの元々の主旨である。働かなくても生きていけるのなら僕は働きたいとは思わない口で、思想信条の自由があるのなら、労働は苦役であると思う。賃労働とは奴隷制度廃止以降の大衆の最も普及した労働形態に他ならないとなんではっきりと日本の小学校の教科書には書かないの?と思う。だから王様や貴族は賃労働では働かないでしょ?
コーラルの二人用の琺瑯製の200万の浴槽に掛け流しの温泉を入れた広ーいバスルームで朝、昼、晩と飲み物を置いて本を読みながらダラダラ温い温泉に入っているのが「僕の日常」なのだが、会議も無し、締め日も無し、ノルマも無し、責任も無し、恐いマダムも半分は無しという極楽ライフは素敵なのですね。湯治という古い習慣があるが、僕は温泉を買って以来、死ぬまで毎日が湯治場の暮らしになった。コストなんて安いものだからその気になれば誰でも出来るのだが、実行する人はとても少ないと思う。日帰りの1日1000円ぐらいの温泉施設に通うのも良いが毎日いちいち通うのが面倒だから、自分の家に温泉を引いてしまうのはもっと良いと思ったから実行したまでの事である。リゾートライフというのがそれであるが、田舎暮らしも物欲が少なくなってくる年齢になれば、それなりに楽しいのだろうと思う。熱海ではポルシェもフェラーリもベントレーも売っていないし修理も出来ないけれど、もうそんなのはどうでもいいか適当に走ればということでメルセデスで何とかなるのだろうと思う。レンジローバーも良いですね。次はそれかね?
贅沢は飽きるが貧乏暇無しよりは数段マシだというのが事実なのだろう。
今日は地味な物欲発生という事で、水筒を買った。サーモスという1Lの冷水専用の水筒だ。前のが4年使用してパッキンが劣化して漏れるようになった。アマゾンで3300円だった。翌日に届くから実に便利だねと思う。相場は1日で2400万の売り建てで70万の利益が伸びているが、水筒なら212個買えることになる。身体は一つだから金は余ることになる。『労働してどうする?』