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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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THE BIG SHORT

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 ガソリンを入れたら、ハイオクが119円だった。3週位前は122円だったと思うし、去年の春は安くても150円前後だった記憶がある。震災の時は190円でも10Lしか入れてくれないスタンドばかりで、地震が起きたら大食いのメルセデスはダメだなあと思った。まあ、そういう時は自分と家族が生きているかどうかだけが問題だから、値段はどうでも宜しい。「金は使ってナンボの値打ち」だから積んで置いても意味は無いが、世界で一番この意味の無い事をしているのが日本の老人たちだから、きっと日本の老人たちは、世界で一番愚かな人々という事になるのかと思うが、まあそれは好きにすれば宜しいかと思う。
「オレオレ詐欺なんてのにひっかかるのは日本の老人だけである。」というのは正しい。子供や孫が大きな負債を抱えても、海外では親は全く関知しない。自己責任で自分でなんとかするのは当然であるからだ。という意味では使い道の無い金を貯めこんだ愚かな老人たちが毟り取られても社会全体としてはどうという事はない。それが国内で消費されれば、立派な「景気対策」になるんだろうと思う。

 相場は4ヶ月ぶりのショートのチャンスである。売れば何でも取れるショートの時間だから、場帳で2-3本戻りを売ればほぼ例外なく落ちる。というか2-3本戻るものが「ほとんどない」のが当然で、毎日ドンドンと新安値を更新している。僕のブログサイトのアクセス統計は実に正確で、通常は350-400前後をずっと維持している。一定数のリピーターが必ず見ているのだろう。それが3月とか半年とかぶりに、500オーバーに急増する時、翌日必ずコツンと来て、うねりの方向が逆転している。

 昨年から、原油価格の動きは株価に先行して動いてきた。今回も同様で新安値に突っ込んで32.69ドルまで売られても反発の兆しが無いということは、火曜日には再び日本株は「窓を開けて下に寄りつく」地獄の6連続陰線にきっとなるんだろうと思う。CME225は現在17280だから金曜引けより400ほど下だ。近頃は1日の変動値幅が300-500円はザラに動くから、来週は17000円割れの日が恐らくあるだろうと思う。日柄ではまだ下げ始めて6週目なのであと6週は不足している。6週で3000円だから12週なら6000円が普通だとすると、やはり節分過ぎぐらいには225で14000円どころが「普通のうねりの状態」ということになる。毎日、SWFとPFが実弾でガンガン現物を売り、その裁定解消売りが同時に出るので反発しない。個人は投げられず、無論買いの手も振れないという状態で、胴がドンドン先物を売っている。(野村、GSの売りが最大だったはず、、)

 この調子で原油が20ドルに突っ込むと、リフレ政策の失敗が確実になる。物余り、人余り、金余りと全部が全部世界中で余っているのだから「価格が上がる」はずがない。つまり下がるという事で、それで取るのならショートするしか方法が無いという事である。だから不動産株も銀行株も証券株もみんな安い。インフレ資産は全て安いのである。さてFRBがQQEをついに転換した。世界中の金が「かたずを飲んでリスクオフ」なんだろうと思う。それがどんなペースか?年2-4回か?まだよくわからないから、コツンとも来ないんだろうと思う。 
『下げても下げても止まらないのは何故だろう?」と考えて見れば良い。14年に13兆買い越した人がそれを売り続けているからだろう。まだ売りは沢山出てくると思うね。サウジもイランも金がいる。戦争するには金がいる。だから油は大増産だし、持ち株は換金化という事なんだろう。中国、ブラジルとロシアが弾けて、市場がパニック化する時間はそう先ではないのかもしれない。サウジ国債のCDSはフィリピン以下だって知ってた?

ライアーズポーカーを書いたマイケルルイスが『THE BIG SHORT』を2010年に書いている。当時の内実を詳しく調べているなあと思った。この時はCDSをショートしているが、今回は原油をショートしているんだろうと思う。あとハイイールドのジャンク債をショートしているはずだね。i phoneが売れていないそうだから、アップルをショートしたら多分大儲けだとも思うね。
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 ほんとか嘘かは知らないが、ジムロジャースは8月の急落時に日本株は全部投げたと11月頃に何かに書いていた。きっと買いは損失だったという事なのだろう。
まあ、チャートが崩れたから、彼はもともと今回の世界の中央銀行のQQEにはマヤカしで否定的だったから、市場から資金を引き上げて、ショートポジションを作ったという事だろう。アメリカはハイテク株(アップルとかだろう)とハイイールド債を大きくショートし、金と原油はそろそろロングだそうだから、典型的な逆張りで、タイミングは結構似ているなあとも思う。何かをロングするには、何かをショートしておくのは保険のためであり、その極点のズレを分割で乗って行くのがテクニックという事になるが、感覚や操作には個人差のある自分の道具ということで、僕は古典的で場帳や手書きのグラフである。古典的というのは、「過去に少なく無い成功者がいたという事実を尊重しているからで、仕事は保守的な考え」なのである。あとは個人として自分の操作が使い物になるかららんかというだけの事。1000人か10000人かいて最低でも3番以内に入るぐらいでないとプロでは長い間では残れないと思う。そういうつもりのお仕事っていう意識がそもそも無いのね、下げ相場でオケラになるみなさんには。
 オケラの特徴は 1 丸腰  2 ど下手  3 順張りで値動きべったり  4 能天気
2009年から7年も上げっぱなしのNYが永久に続くはずもないのは当然で、2015年は遂に年足がマイナスになったのだから、そろそろお辞儀するに決まってらあと長期のグラフを見ればアホでもわかる。長い上げ相場の崩れの平均は30-50%ぐらいの調整は平均なのだから、6000ドルから18000ドルまで3倍に化けたものが一端お辞儀になると、3割で5400ドル、5割なら9000ドル下落することになる。そんな大規模な下落が起きて、日本株その他世界中が無傷でいる筈が無いから、多分日本でも同じようにお辞儀になるんだろうと思う.21000円から3割で6300、5割で10500円の調整幅だとすると14700-10500となる。今日が18000割れだから、まだこの先は相当にあるねと思う。
秋に225は2014年の日銀ギャップを下にブレークになると何度もクドイ記事にしたが、ちゃんと自分でグラフを書いていると馬鹿でもわかる事だろうと思うのね。わからん人は「数が不足している」だけのこと。1000枚ぐらい書いたら多分わかると思う。

 業界は、素人騙して、毎年「今年は上がる」と書かないと買ってくれないと困る。その買い玉をみんな、
1全部飲んじゃう  2 売り向かう という具合にブツケルから出来るわけなんだね。6月に天井して、8-9月に崩れて、そこから2本戻して12月に2番天井で上に抜けないんだから、「一杯なのはバカでも分かるんじゃねーか?」だから戻した所を、適当に分割で空売っとけば崩れるにきまってらーと何度も書いているし、毎日、細かい売買の具体譜まで書いているのだから、これで(猿真似)出来なきゃまるでバカだと思うが、そういうのが多いのね。売るほうが買うより数倍も簡単で、「目を瞑っていても毎日朝起きれば現金が増えている」良い相場であると思うが、売れなきゃ取れっこ無いんだねー。素人はほぼ全員がおマヌケだから、投機をするということを「買う」ことだけしか考えないんだねー。

 ジャンク債と原油がこれだけ突っ込んで、商品ファンドが耐つ分けないし、そのうちどこかで大きな破綻が出るね。それを見越して外人は大ロットで現物をどんどん毎日投げてるから、大型や値がさの下げがキツいでしょ?外人比率の高いのだけを見越して売って来ているだねー。今期最高益更新みたいのが「一番下がるよ」と思いますねえ。(笑い)
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 確かに、待つということは長いことかもしれない。なぜなら、いずれの社会もそれ独自の特殊な無気力を呈するものだが、この無気力を動揺させるには大衆に向かって都合の良い事件をたくらみ、そのうえ、長期間にわたる準備段階を経なければならないからである。それゆえ革命はめったに起こらない。軍事的敗北、政体の危機、恒常的で解決策のない不安感が必要であり、一方では大きな衰退が、他方では異例なほどの力が必要とされる。こうした回り合わせは、何度も度重なって訪れるものでない。要するに、社会は生存本能のようなものをもち、どこから危険が来るか分かると、さっそく抑圧に頼る。だがそれでは遅すぎる。そうすることによって、社会を破壊しようとするセクトの信用を増大させ、セクトを自己の主たる敵とみなしながらも、結果的には味方のものたち全員をセクトに寝返らせてしまうことになる。そして寝返ったものたちは、どこに加担すべきものが存在するか、そのときから理解するのである。従って、闘いがどのように移り変わろうとも、社会の敗北は確かだ。社会に数と、富と、力があるのは疑いの余地がない。だが社会は分裂しており、、懐疑的で、無精で、怠惰で、無気力なものである。その資力を浪費し、まき散らしている。めいめいは自分ひとりの仕事にかまけている。ある者は財産を蓄えることに、そしてある者は快楽とか野心に心をくだいている。また、芸術とか科学のためだけに生きている者もおり、哲学に没頭している人間もいる。だれも邪魔されたくないのである。
 このような精神環境では、どんな矯正も必ず失敗する。矯正は集団的無関心と衝突する。社会はもはや習慣とエゴイズムのかたまりでしかなく、それらは、お互いに一線を画しながらも、表面的秩序を維持するに過ぎない。根本的対策は、目に見えない多くの障害に遭遇し、その効果は微々たるものとなってしまう。その成功を保証するには、民衆の好意が欠けている。危険が戦争時におけるように切迫し、目に見えるものであれば別だが、そうでなければ誰一人として、娯楽や個人的関心事の日常的なものから抜け出すことに同意しないのである。
 反対に、反逆者たちは自らの意志に頼ることしか出来ないので、自分たちに欠けているものをどこかで見つけ出さねばならない。だからこそ、反逆者たちは人数こそ少ないが、不敵であり、激烈であり、疲れを知らないのである。彼らは不思議な魅力があり、人を導いたり、説得したり、堕落させたりする能力がある。どのような状況下におかれても、彼らが狼狽することはない。おもて向きは政治的かけひきの法則にのっとりながら、彼らは権力の征服を追求する。セクトが彼らに強いた厳しい規律は、今やその実を結ぼうとしている。大衆は、右すべきか左すべきか決心のつかないまま、大いなる希望を抱く機会と熱狂の対象をもとめていたが、またたく間に、反逆者のかかげる約束と錦の御旗と熱意にとらえられる。それ以外に取るべき手立てがないからだ。セクトは跪弱で貧乏でもいっこうに構わないのである。セクトは、強者であっても、必要な仲間意識や同情共感にいたわりを示し、自分で使う金にも困るものたちが、さらに幾分かを切り詰めて、大富豪を買収するために必要な大金さえつくることができるからだ。かくして、乗り越えることができないと思われていた障害は、ついに、彼らの強靭な力と献身的努力によって克服され、消滅してしまう。
 これと同じように、ある種の政党が一種奇妙な形で出現することがある。これは、それらの政党の主張するところが、制度や風俗の部分的変革ではなく、むきだしの改造である場合である。これが果たして政党なのかといぶかれるほどに、他の政党とは異なっている。それらはいわば法の枠外に位置し、交互に利益をもたらす正規の競争の代わりに、決定的な勝利の日まで続く容赦のない戦いをすすんで起こそうとする。その時から、外見はどのようであっても、彼らはもはや政党ではなく、セクトになるのである。彼らはモラルと権利の規範を偽善的で時代遅れの因習とみなしながら、暴力的方法をもちいて、壊乱を目的とした行動を求める。極端な場合には、犯罪や殺人にまで依存する。彼らは追いつめられる。そして、そのような手段に訴えることを強制されたがゆえに、他の手段を選ぶことができなかったのだという確信に浸る。マフィア、テロリストの結社、襲撃隊、他の不法組織等、その形態は実に多岐にわたっているが、いずれも同じ一つの現象に過ぎない。一つの神聖なモラルが他のモラルと対立し、他の結社の内部で、その結社に取って代わろうとするものなのだ。

     ロジェ カイヨウ「セクトの精神」より  転載

 就寝前の読書という習慣は睡眠不足の原因だと懇意にしていた漢方医に指摘された覚えがあるが一向に悪癖は直らない。就寝前には好きな音楽でも聞いているほうが安らかな眠りを誘うらしいが、まあ睡眠不足というのはある時間に必ず起床しなければならない人の宿命だろうと思うから、昼近くまで寝ていても一向に不都合が無い者にとればかかりようのない病状と言えるんだろう。睡眠剤を飲む友人も多い中でその種の「ご病気」が訪れる気配はない。好きなだけ本を読んでいるといつのまにか空が白く変って朝が来る。眼が疲れると少し寝るかとウトウトする。起きれば午前11時45分なんてことが月に数回あるから時間割は僕の生活ではすでに過去のものとなったようだ。
それでも家族が来れば、彼らはきちんと3食は食べるのだからサイクルが僕よりは規則的なんだろう。夜型の家族だから午前2時前に電気が消える事は極めて稀だ。だらだら酒を飲んだり、好きな事をしている。ゴミを棄てるのは僕の日課だが、午前1-2時のベッドに入る前に、毎晩フラットの外に出て道路から建物を見上げると電気がついているのは自室だけということがほとんどだ。
 熱海の夜は暗いというか黒い。周囲が山と海に囲まれた傾斜地の光量は都会のそれとは異次元だから
昼が明るいだけ闇は深いというコントラストに恵まれている。カズオ イシグロが長崎の風景を描いた
A Pale View of Hills は1982年だから、あれからもう33年が過ぎている。同年代の最も成功した日本人作家という意味で、移民というマイノリティーが多民族主義の国でどうやって生きて行くのかの手本のような人なのだろうとも思う。

 「小さな社会にひっそりとみんなで仲良く暮らしましょう。」というような定常社会なら、ガツガツ何かを積極的に押し出して行こうとするよりも、大きな間違いをしないように全体と調和を測って足をすくわれないように生きて行くのが日本人の習性だったろうし、それは稲作という共同作業によって富の大半を作ってきた歴史からは「瑞穂の国」という言葉をもってしても歴史的常識だったはずだ。ところが近代
の都市化が日本人一般の生活スタイルになったのはこの70年ほどだから、それによって過去の共同体というものは明らかに変質して、家族や仕事や社会の有り様が「定常社会」に都合のよい有様では無くなったのだろう。パイがどんどん増加している間は「分配法」は少しでも去年よりは増えるでなんとかなってきた。それが1996年まで続いてたいたが、ついに息切れしてなんともならなくなってしまった。
1979年大卒初年度の冬の賞与を100万円貰った記憶がある。月給12.2万の時だった。その後、
1993年頃か、月給は20倍以上になっていた。「そんな若造が大金を稼ぐなんて世の中が狂っている。」そう言った父親は既に死んでいた。確かに狂っているのかもしれないが、社会の変化はそういう大きな変化とチャンスがあったし、波に個人で乗れた人は自然に変化していったのだ。だから生き残る種は強い種ではなくて、変化に対応できた種なんだろうと思う。だから残る種は必ず「例外的な特性」をどこかに持っている。自覚の有る無しは別として多数が持っていない何かを持っているし、多数が必ず持っている何かを決定的に欠いている。「狂っている」というのはつまりそういう常態なんだろう。
しばらく暇を見つけて、ロジェ カイヨウを転載しようと思う。きっと多くの人(というよりは極少数以外の全ての人)が上手くいかない理由は、それが思考の片隅にも無いせいだろうと僕は確信する。

ワタシバカヨネ

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「辺境ラジオ」というローカルな大阪のラジオ番組がある。名越康文という旅する精神科医と 自称=知の伝導師内田樹という武道家、それにNSBアナウンサーの親父3人組のトーク番組でまあ関西のウルサイ漫才の乗りで世相を斬るという特徴があるから、「異論」「激論」「極論」「常識外れ」を良しとしている。きっとリスナーの大半は「変人好き」という特徴があるんだろうなと僕は思う。
1年に1回ぐらい公開収録をするらしく遠く佐渡から大阪のスタジオまでくるような熱心なファンがいる。遅い時間にやるので終電には間に合わないから、お客さんは全員タクシー以外では帰れないようだが、毎回80人ぐらいは来るらしい人気番組のようだ。僕はいつもポッドキャストで聞いている。
 このスポンサー無しの夜間の放送休止枠を使った放送は、誰に気兼ねすることなく「言いたい放題」が言えるという本音でラディカルなトークが突き刺さって毎度気持ち良い。国営放送のような体制ベッタリ、民放のサガ=スポンサーに気兼ねする という「曖昧な日本」の必要性がないし、もともとゲスト二人は自由業だからカミさん以外にはきっと恐いもの無し!「個人的な断り」という注釈付きではあるがズバズバ何でも言うから気持ちが無い。その意味で極めて日本的でないトークと言える。わざとらしいオベッカでお互いを褒め殺すという粋な芸をもはさんであっというまに60分ぐらいは過ぎるので、僕は月足更新の時に流して笑っている。まあ知的な高級漫才を聞いているようなものだが、二人はどちらかと言えば左翼上がりの愛国者というお面を被っているから「経済効率優先社会」についての激しい批判とただならぬ深い悲観という通低重音が基調で、現代の効率優先グローバル社会を誘導せんとする政治言論体制を強く批判する。ある意味で同じ東大卒でも西部慂と対極にあるのかと思う。
 名越の観察によれば、午前8時台の山手線と大阪環状線の乗客の6割以上が重度の精神疾患患者と同じ顔つきと眼つきをしている現状は緊急入院の必要があるほどで、その結果ずっと1日当たり100人の自殺者の出ている日本の現状を憂う。それをじっと我慢強く続けることの蓄積による重層的な肉体と精神への致命的な悪影響、および社会の出来様が歪であることから生まれる社会総体の病理の相を憂うというかなり内容は暗い番組なのだが、トークの基調が「お笑い」だから、やはり関西だねと思う。
 リーマン時代の僕は(もうかれこれ30年以上前になるが、、)通勤電車に乗るのが死ぬほどいやだった。毎朝生命の危険を感じる位に混んでいる。「なんで自分がこんな家畜以下の密度の空間にいるのだろう?」と何度考えた事だろう。だから7年でリーマンを辞めて会社を始めた時から楽な車通勤に変えた。でも今度は毎日また酷い渋滞だ。「なんでこんなに東京の道は混んでいるのだろう?」そう何度も思った。自分で状況を変えるには、つまり自分が快適な状況を作るには相手を変えようとしても無駄な時には自分が変る以外に方法なんてない。「通勤という無駄をしない生活をすれば良いのだ。」が唯一の結論だとすれば、行かなければ良いだけの話であるから、そうでない仕事を選べば良いという事で結局は自宅で出来る手軽なお仕事という意味で(やってみると結構難しい部分もあったとも思うが)相場師になることにした。友人に「何で君はあんな電車にずっと30年以上も乗ってて平気なの?」と聞くと全員が「みんなが我慢しているから自分だけワガママは言えない.」という状況の説明はするのだが「なんで?」という理由とは言えない。なんでというのは、少なくても個人的に合理的な理由があって当然だろうと思うが、単なる会社の命令と習慣というだけのような気もする。そうやって日本人は多分半世紀の間、同じ酷い状況をずっと続けている。ほとほと電車に乗ってる日本人は馬鹿なんじゃないかと思うし、どこに生活や仕事の豊かさや喜びがあるんだろう?だからか毎日100人ずつ自殺者がずっと出続けてる。先日のパリのテロの死者と同数が毎日もうずっと何十年と続いていることの自覚というのが全くないし、改善するために自分がどうするという意見と行動を起こさない不思議な国民性だと思う。やはりこれぐらい全員が馬鹿だと騙すのは簡単だから、「国民は天皇の赤子と言われて赤紙一枚で招集され犬死にをする」状態をきっと当時も容易に受け入れていたのだろうと思う。70年たってもちっとも状況が改善することがないばかりか、状況は更に悪化しているかもしれない。
 人もモノも金も中心に集まるという現象は都市化の効率という意味である程度は理解できるとしても「程度の問題」という部分はあるだろう。1000万以上の都市は世界でたくさんあるが、こんなに酷い電車はザラにはない。通勤に片道毎日1、2時間もかけたら、もうそれだけでエネルギーを消耗して仕事になんてならんだろうと思うが、どうやってそういうクタビレタ頭と身体で何か優れたモノやサービスが作れると想像できるのだろうか?国民全体が既に失ってしまった時間と効能の累積は計り知れない量と質なんだろう?とは多分誰もが考えないのかもしれない。まあ蟻が何匹死んでも関係ないというのが本音なのか?結果的にもう20年もほとんど唯一追求する経済成長でさえ実現しないという無様な景色が広がっている。そこまで馬鹿にされれば、普通の神経なら何かするはずだろう?と思うとジッと我慢して定年まで続けるか鬱になって自殺する。どこかが決定的にオカシイと思う。日本製の商品全体にちっとも活気も魅力もない理由は、通勤疲労のせいも大だろうと僕は思う。だからあまり買いたい商品がないのだ。ビスケットや紅茶、食器、文房具から車やオーディオまで全てお辞儀をした顔をしている。金がある人は元気で楽しい外国製品を買えるから、トリクルダウンがなかなか起きない.(笑)

 解はある。樹から茎へ、ツリーからリゾームへの分散とミクロ化だろう。集約から拡散へ、中心から辺境へというベクトルとトルクカーブの配分の変更である。「身体が快楽的な方向へ」という動植物の快感がヒントなのだろう。マルセルモースやストロースを読むまでもなく、そうしないと日本人自体が保たないという限界を既に越えている。先進国の人口の自然な減少はそれを予定調和のように見事に暗示していると言えようか。人類の生命の再生産が自然に可能な場所、それはもはや辺境にしかないかとも思う。「辺境ラジオ」という番組は、そういう憂国のトークショーであると思う。

 私バカよね、おバカさんよね
 うしろ指、うしろ指 さされても
 あなた一人に命をかけて
 耐えてきたのよ 今日まで
             「心のこり」   なかにし礼  

 このあとに秋風が吹く港の町を船が出て行くように私も旅に出ると歌うのだが、山の手線の混雑は酷くなるばかりでそんな話はとんと聞かない.(爆)

光る海

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 熱海に転居して半年余りが経った。昨年12月に内覧して3月に契約して6月に移転したので、不動産の移転にはやはりそれなりの準備や時間がかかるものだねと思う。「面倒臭いのは大嫌い」という性格があるので、身の回りの事を有能な妻とか誰かが面倒を見てくれないとデタラメをするという自覚があるので、「人生なんでも出たとこ勝負」でここまで来ているが別段困った事がほとんどないのでそれがイイねと思ってもいる。別段意識はしてないのだが、周囲の人に恵まれてるという事なのだと思う。深謝!

 日記というのでも無いが、日々暇つぶしに何かを書くというのを習慣にすると、結局2年余りで700タイトル近いテキストになったということは、ほぼ毎日何かを書いていたという事になるんだろう。指を使うと惚けの予防になるかもしれない。手仕事は重要な習慣だねと思うから、場帳やグラフを書けば惚けるのは遅くなるかねと期待している。根が真面目だから好きな事はちゃんとヤル。嫌いな事はいくら大金を貰ってもやらない。まあワガママを絵に描いたような男だから世間の常識というものをそもそも最初から舐めている。リーマンには無論向いていないからしない。好きな事をしてなんとか生きていけるのだから、結構イイ線行ってるのだろうと自己満足して呼吸している。
 リンクを辿れば大半がリピの人が多い様子で、何か相場の事を書くのかと期待している人は気紛れを当てにしないほうが良い。特に猫の予想は大抵曲がるからそれを信じて大損をしても無論関知なんてしない。勝手に死んでザマア見ろと何時だって思う。そもそも相場の巧拙とは、予想が曲がっても金を引っ張って来る感覚と操作技術だとクドイ話を100回以上書いているのだから、そういう風に自分が出来るようになれば良いだけの事である。そうなれば、明日からでも飯が喰えるはずだと思う。
 例えばベトナムさんがずっとやっている5202板ガラスというのがあるが、これは2年連続の年足陰線になっている。つまり2014年1月が目先高値で持ち合いながらもダラダラ下げて今年も安値引け(100円割れ)だから2年連続の年足陰線だから弱い。まだ二番底を多分打っていないだろうから12年8月の53円に対して来年当たり対応するニ番底があるんだろ?と思っているので僕は玉がない。それでもこの間に、突っ込み買い戻り売りで少し入って都合20枚ぐらいは全玉利食いで仕切ったから、別段下げ相場でも買いで戻りを取れれば良いだけのお話で、それはベトナムさんも僕もやり方の差はあるんだが同じ事をしている。つまり相場の巧拙とは予測の当否とはあまり関係が無いという事実であるが、9割以上の人は信じない。まあどうでも良いけど、、。
 シホさんという今時珍しく真面目で礼儀正しい女子がいる。多分テキストからは子供さんが幼いから僕の娘ぐらいの年齢かなと思っている。大抵売買があったら彼女のブログに迷惑承知でひよこちゃんの時同様に玉操作を書き込んでいる。アマチュアが道具をちゃんと揃えて上達を目指す時に少しは参考になればとクドイ爺さんや立花の本にある事を実際の個人のケーススタディーのつもりで書いているのだが、シホさんが目指す所は当面はこの「突っ込みを買って戻りを売る」という具体的な操作という事になる。自覚があるかどうかは知らんが、相場の巧拙とは状況に応じた玉操作という事だから、相手に逆らっては上手く行かない事が大半だ。
 下げ相場だとすれば、戻り売りから入って突っ込みを買い戻すという空売りのスタートとなるだろうし、上げや保合いなら突っ込み買いから入って戻りを現物売りでも良い。好きなやり方と方法を自分で決めてすれば良いだけである。たったそれだけの事を確実に出来るようになる事。お仕事としての相場はそれだけの単純な事だが、同時に練習している人でも出来るようになる人は多く無い。数%しか事実いないのだから、飯を喰うのは容易ではないのだろうと思う。理由を考えてもよくわからないが、当てようとしているうちはダメなんじゃないと思う。だって事実誰もが当たらんのだから、、。
 指数なんて見ているとアマチュアは変に影響されて事実を見誤るというか錯覚をする。225もトピも2年連続年足は陽線なのだ。でも5202や5401など低位株は年足は2連続陰線だから、指数を見れば誤るという事が起きる。対象を見て個別に操作しないとドジるという事である。まあ15年もやっている人でもそうなんだから(後輩で爺さんに直接うねりを習った後で僕の所に来た人がいた)普通の人は推して知るべしという事だろう。練習法とは何か?という目的さえ明確な自覚の無い人が大半である。眼がドルマークになっているとそうなってしまうのだろう。まあ、生きようが死のうがどうでも良いけど、、。

 昨日から花村萬月を2冊ほど読んだ。「色」という文学界に連載した短編を読むと彼の住居の事を書いている。小説が売れて印税で初めて三鷹に9000万の家を建てた。その後、北海道の事を書こうとしてそれなら寒い場所で住まないとリアリティーがないだろうという事で、旭川に辺鄙な廃業した酪農牧場を買おうとしたが、雪深い不便な場所で都会者が生きていけるはずがないと周囲に止められで結局札幌のマンションを買った。三鷹の家は数年住んだだけで半値で叩き売った。140平米の無駄な30畳のリビングのフラットだ。カミさんが出て行ったので一人でそこに住んでいた。雪が真横から走るという記述があるように風によってはそうなるんだろう。暖房費のガス代が毎月冬は20万かかるという。その後、今度は時代小説を書こうと思い、若い頃住んでいた京都に土地を買って家を建てた。みずてんで建築家にコンクリートの立方体の家を建てさせた。こんどは金がないので出版社から印税の前借りだが、細かい事は一向に気にしない。借りられるうちが華だからしたい事をまずしてしまう。まさに典型的なノマドライフだが、本人が承知でしているのだから金勘定などどうでも宜しい。サスガ不良である。「出たとこ勝負で気持ちが良い。」中卒で施設育ちのアル中やシャブ中でヒモという理想的な男性の生き方だなあと思う。でもテキストは精緻で勉強家であるのは読めばすぐに納得する。文体の才能があるから主語を略するという日本語の特性をきちんと守る。その彼が50歳を過ぎて今度は3度目の結婚を25歳のネーチャンとして初めて女児を授かった。その体験談が「これは何だ?地獄かな」という新刊である。なかなか良い。親馬鹿で年賀状に家族の写真を乗せる親の気持ちとはこういうものかと書いている。この親バカがある間はその家族はきっと崩壊しないだろうと思う。
 車は地味でスバルレガシィだ。別段ポルシェでもフェラーリでも買えるんだろうが、そういうのはきっと肌に合わないのだろう。堅実な所もあって日産のセレナなんかをカミサン用に買って、それに車中泊が出来る道具を積んで道の駅を巡って日本中を4歳児とドライブする。実に良い親父だねと思う。保育園や幼稚園なんて行かせない。つまんないガキになると思うからだろう。(つまんないガキとは周囲と調和して生きることしか考えないような没個性的なガキという意味だ。)
 無論、小説だからストーリーは事実とは異なる部分もかなりあるのだろうが(女児がストーリーでは死亡したり、離婚したり、DVがあったりと)、なんとなく作者の生活がリアルに伝わって来る。変に良いかっこなんてしないという部分が好感が持てるし、マジだからちゃんと自分の体験から書く。シャブ中の事でも、村上龍なんかより具体性があって自分で実行して周囲にもそんな人が沢山いたのが良くわかるので、嘘くさく無いのである。1955年生まれから同年だから、同年代の不良という意味では頑張っているねと思う。その彼でも身体の衰えははやりあるらしい。座り仕事で眼とか足とかが弱くなる。肩こりも酷いらしい。そうだよね、俺もマッサージチェア買って良かったものね。あると無いとじゃ大違いだと感じたね。
 SEX,SPEED,DRAGなどテキスト中の男の快楽要素は村上と同じようなものだが、ヒモをしていただけの事はあって女の身体、実体、生態を良くご存知だから、龍なんかより数倍も面白いということに当然なる。やはり自分で実行してみないことには、さらに場数を踏まないことには本当はわからないという事だろうと思う。(わからんでも良いという意見は当然あるだろうが、、、)ソープランドが大好きらしく、雄琴や沖縄のそういう場所に行って、女の違いを比べてみたりする。実にマメで研究熱心なのである。法則性として、「南に行くほど女は快楽的になる」というのが結論で僕もこれに激しく同意したいと思う。東男に京女という断りがあるが、女は南のほうが宜しいという事だろう。(北の女がいたら御免ね!)
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