「電気とガスが無くなったら僕たちの生活はどうなるだろう?」という問いは僕にはとても面白い。
多分、江戸時代の暮らしと同じになるだろうというぐらいの想像はできる。二つがないと、電気製品も車も生産、運搬、修理も出来ないから、動力と熱という意味でのエネルギーはほとんど無い。木を燃やすぐらいしか手がないから、都市は維持できない。農村で薪を拾って煮炊きする以外に方法論がないから、人類の半分以上が恐らくいなくなる。農薬も肥料も大規模には作れないから食料の自給が大規模には不能だから、自分で食料を調達出来る人以外は全員餓死するということが当たり前に起きるようになる。江戸自体の人口は3000万ぐらいだからきっと1/4ぐらいに日本の人口は減るのが自然だろう。無論、相場なんてやっていられる場合じゃない!のは言うまでもない。
「そんな事は起こらない。」という思考停止をしていれば安心、安全なんだろうが(爆)部分的には地震や災害が起きれば一時的にはそうなった。これが戦争とか核の事故とかが世界規模で起きれば、明日にでもそうなる可能性はある。石油が入らないと大半の車は動かない。ガスが無いと煮炊きが出来ないし風呂にも入れない。電気がないと情報も受け取れないし、電話もパソコンも使えない。人力以外に自分で使えるエネルギーがほとんど無くなるという事だ。劇的にライフスタイルが変るから「資本主義」なんてものは多分瞬時に消し飛ぶんだろうと思う。作るには400年かけてコツコツ作ってきた現代資本制社会は結構モロい部分で出来ているなあとあらためて思う。
なんでこんな馬鹿げた仮定をするかと言えば、数年前に登山の真似事をしたからだ。山頂には電気や水道やガスやトイレはない。(ところが大半だ。)すると欲しいものはリュックに入れて自分で運搬する以外に「方法論」が僕たちには無いのである。それでも便利な水筒や軽いガスバーナーやケトルがあるとラーメンやコーヒーぐらいは少量ならなんとかなるが、せいぜい数日分が可能というに過ぎない。異次元空間の体験というのは、そういう現在の僕たちの幸運をはっきりと教えてくれるという事だ。でもそういう現在って本当に永続的に確かなものなのか?と疑り深い僕は、「多分どこかで人類は大失敗をするはずだから、僕は出来るうちにお先に楽しんじゃおっかなー」と思うので、キリギリスがきっとお得ですよーと毎回書いているのね。まあこれは思考のタイプみたいなもんで、もしかしたらあるかもしれない事に対する、こちらの構えという事になる。イタリアンタイプなのかもしれない。でも車はドイツ車、ペンはドイツ製とイタリー製、時計はスイス製だから、まあ輸入品の高級品は好きなほうだろうと思う。それは製品が「階級化」されているので僕の趣向にきっとマッチしているからだろう。奢侈とはつまり武器と同じという感覚なのだろうと思う。
この「もしかしたらあるかもしれない事に対する、こちらの構え」というものは馬鹿でなければ少しは考えておいたほうがいいんだろうと思う。僕が好きな作家にコーマックマッカーシーというアメリカの売れ筋作家がいるのだが、彼の "ROAD"という作品は、そういう状態になった瀕死の人類がどうなるか?どう生き残るか?というテーマで書いている。僕は体力や生命力に全く自信がないので、そうなると一番先にクタバルタイプだという強い確信があるのだろう、そういう自覚が「予防的な快楽」=キリギリスな生活を生んだという事なんだろうと思う。別にそんなハードな社会でも大丈夫!という人は、どんどん蟻のように働けば?とも思うし、キリギリスとアリの存在比率は多くの蟻の前提によって当然成立すると思ってもいる。だから個人の好みの問題、意志の問題、能力の問題、やり方の問題だよねと思うから、みなさんは好きな事を好きなように自分で決めてやれば良いだけの事である。多様性とはそういうものであり、一致する事はあり得ないという事でもある。
同意であれ、反発であれ、嫉妬であれ、羨望であれ、毎日400−500名もこんな個人のデタラメをよくまあ見に来るものだねと呆れてもいるんだね。暇な人がすごく多いのだろうと思う。 |
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