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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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5541場帳

2日間で8割ほど月足更新を終えた。10月は短陽線が大半(8割以上かな?)だったので着彩の無い月は作業が楽で早い。マーカー不要でボールペンだけの作業ですむから、身体も楽だし、目の疲れも少ない。若い時にはなんでも無いことが、年を取るとしんどくなるから、そろそろヤキが廻ったのかねとも思うが、他に取り柄がないから致し方ない。
先週も宮崎県で75歳の老人が歩道を軽自動車で爆走して事故となった。認知症だか、心筋梗塞だか知らんが、やはり高齢者の運転は人迷惑な事故が起きやすい。高速を逆走とかみんな年寄りの起こしたものが大半だが、地方に住んでいると車以外に実質的な足がないから、しかたがない部分もあって、今後もどんどん高齢化とともにこんな事故が増えるだろうと思う。法規違反の意識がそもそも無いから、周囲の対応はなんでも起きると思って防御する以外にないだろう。「事故は必ずやってくるから、来た時になんとかなる車に乗る以外にない。」というつもりでエアバックが11もついている、Aピラーが何トンでも耐えるような頑丈なシェルのメルセデスに乗っているわけだ。金で安全が買えるのだからまあいいかなという事で、省エネの真逆だが省エネなんてしても僕にはメリットがないので無視している。文明とはエネルギーを他人より有利な状態で使用する事であると多分僕は思う。エネルギーとは武器であり、ノマドライフは戦争機械だから当然の結論であるかなと、、。
 10月は反発しているものが大半で、6月ぐらいを天井で(1月や3月天井もいくつかあって、既に大天井で崩れた感じのものも目立ってきたようだ。)つたいの陰線を3−4本引いて、9/29を目先底で反発しているものが大半だろう。だから操作は、買いで入るならその突っ込みに向けて買い下がって、戻りを売る(利食い売り)という操作が波にこちらを合わせるということだ。
線組から10月を見るとすでに上影を長く引いて実体の上げを半減させているようなもの(いわゆる戻り一杯で弱い、たすきの短陽線 例5706など)が目立つと感じれば、利食いの値より更に上があれば空売りでドテンなどして2段下げを狙うというような操作をする人もいるんだろうと思う。どっちみち流れに沿った売買が出来ていれば、結果は利食いに当然なるのだから、自分の玉帳を見て利食いなら合っている、損切りなら間違っている(タイミングか量かインターバルかどれかの要素が合っていないという事だ)はずである。
 売値>買値 という関係なら月足が陰陽どちらになっていようが利食いであるという単純なゲームなので、予想の入り込む余地はあまり無いんじゃないの?といつも思うのだが、当たらない事をグチグチ考えると操作が曲がるから、雑音無視だと立花や板垣がクドクドと書いている通りにすれば良いだけである。が、書いている通りに出来るのは統計上ではたった2%未満だから98%の人は実際には全く出来ないのだから、相場は辞めた方が良いですよといつも僕は書いている。出来ない理由は「脳の編成」がアホだからという以外にない。相場向きに変えるならドゥルーズ&ガタリやニーチェやクロソウスキーを読めという他ないのだが、これまた馬鹿だと理解できない事が書いてある。

 5606と5541の月足を上げているが、30日ぐらいの間で結構クルクル細かい売買をして(15回ぐらいのセット売買で)損切りはゼロだ。みんな買いから入って戻りを売った。5541の最後の1枚は純空で1−と売って翌日会落ちしている。たったの9円だが利食いは利食いだ。
 5541はシホさんと一緒に同じ道具と方法論で実験的にやってみているが、結果は多分随分と異なるんだろう。
小学生と大人がプロレスやっているようなもので、体力と道具と経験と感覚に大差があれば、同じことをしようとしてみても結果に差が出るのは当然だろうと思う。だが、最初は誰でも小学生レベルなのだから落ち込んでみてもしかたがない。自分の一挙手一投足を(縦横の軸に)分解して修正する以外にない。早いのか、遅いのか?多いのか少ないのか?休むのか動くのか?要素は多くは無いはずで、自分の失敗の癖のどの部分を次は変えて行くと理想に接近するのか?
 常識的な事だが、小学生が大人になるまでには10年以上はかかる。一気には大きくならないのだ。四則計算から始まって微分までには距離と時間がかかるから、コツコツ積み上げて行く必要があるのは相場だって同じ事だ。

7276 解説

 グラフ更新の飽きたので暇つぶしに売りの譜を上げる。3週前に生徒が来た時に見せた売りの譜である。N証券の僕のデータをそのまま貼った。7278 小糸製作を年初からポツンと気が向くと売ってみた。まだ無論本気で建てていないから100株と最少単位だ。

2008年のリーマンの後は1000円以下だったのもが2000円を越えてついに5000円に接近した。5倍だからそろそろ天井付近の荒い動きになってくるから、逆張りだけ出来れば利食いで落ちやすい時期になる。1月からだからずっと売りの候補にしていた。これももう6年ぐらい毎週ずっと折れ線グラフを8830,8801と同時に更新している。

 今年は23回ぐらい仕掛けて損切りは一度も現時点では無いから、手があって格好の練習対象になっている。相場全体が崩れれば売りの単位は当然10倍になるのだが、その前にちゃんと売りの感じの準備練習をしているわけだ。モノグサの割には容易周到でしょ?自分の本当の出番の前に値動きに対する反射の「慣れ」をいかに作れるかが大成功の要素なのは言うまでもない。相場は「当て物ではなく乗り物」なのである。大事な場面で、大きな値幅を大きな枚数で取るために、こんなガソリン代ぐらいにしかならないようなつまらない事もマメにこなすのが「お仕事としての相場」なのだ。それでも36万ぐらいの利にはなっている。上げ下げの確率は絶対に誰がやっても5割を超える事は無いが、操作に慣れれば100%利食いになるだろ?目を瞑っていても利食いになるのだ。それは僕に慣れがあるからに他ならない。その慣れを作るような道具と練習操作でないと長く実行する意味が無い。本番で10−20倍で出動すれば、利食いは直ぐに数ヶ月で一銘柄でも1000万を越えてしまうからだ。だからリーマンの9月暴落は単月利食いが売りで3800万を越えていた。

 すべて仕掛けは10ヶ月間純空で出動して、全てを利食いで落とす。長い上げ相場の終盤でも1枚も買いはないのだが、予想は曲がっても(売るからには下がればという期待はあるのだが)なんとかかんとか目を瞑っても向かって利食いで落とすというのは、いわば感覚と技術ということになるんだろうが、頭でなど全く考えていないのはいつもの事だ。場帳を書いていると、「ここね、売っとこ。」と感じる時に出動して、下がれば落とすの反復だ。利幅は少ないから大した利ではないが、利食いでガッた相場師はいないのだから、動けば金が必ず増えているという結果になっている。ソニーも売りしかしていないが同様の結果で今年も1回も損が無い。今年売りで損切りが出たのはカーボンと関東電化が一部で出ただけだ。
注意するポイントは仕掛けではない。仕掛けなんていつも適当に数本新値が出れば売っておく。その落としかたに粘りとアッサリが混在しているのが特徴だ。理屈ではなくて「ここいらがいいかな。」と勝手に脳が感じて動作しているのが実情だ。グラフなんてオレ線は週1しか見ないし、月足も月に1回更新時ぐらいしか見ない。全て場帳で売買している。それでも結果は損が一度も出ていないのだ。

 銘柄選択とか材料とかは相場にはほとんど無関係である。上がる下がるに関しても利益率には少し関係するが、トレンドに逆らってもタイミングと量で利食いに持ち込めるという証拠だろう。上げ相場の3200円から4900円まで買いは一度もないのだから、予想は曲がっても操作で利食いに持ち込めるという証拠だろうと思う。つまり値動きなんて上下どちらでも適当にうねってくれれば良いだけの事である。相場は上がるもの、下がるものを探す事では上達なんて絶対にしないという証明だろうと思う。

 どんなリズムで出て落とすのか?日柄と値幅はどんなピッチで取るのか。どんなバランスで玉を重ねるのか?休みをいつどれぐらい取るのか?
全ての部分で貴女たちとは異なるだろうと思う。真似しろという意味ではないが、何かの操作上の気付きヒントになればと思う。基本は僕は万年強気なのである。あと3年で225は4万円を越えるが、目先は13000円ぐらいまで突っ込むなと本気で今も思っているのね。(当たらんからマジに信じてはダメよ.爆)低位株の根玉はたんまり安値で買ったまま、上値で値がさをクルクルやって遊んでいるのだね。
受渡日▼約定日商品銘柄・摘要口座取引数量単価受渡金額口座残高
15/11/0510/30信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規100  株4,6900
2,072,856
15/11/0410/29信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済100  株4,36518,491
2,064,892
10/29信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済100  株4,3655,395
15/11/0210/28信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規100  株4,5600
2,041,006
15/10/2610/21信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規100  株4,4300
2,034,044
15/10/1410/08信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規200  株4,2000
1,714,757
15/10/1310/07信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済200  株4,17020,900
1,657,958
15/10/0910/06信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規200  株4,2800
1,595,870
15/10/0610/01信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規100  株4,0500
1,395,952
15/10/0209/29信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済200  株3,68530,203
1,114,472
09/29信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済200  株3,68517,181
15/09/3009/25信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規200  株3,8400
1,300,834
15/09/2909/24信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済200  株3,76563,068
1,213,841
09/24信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済100  株3,76517,706
09/24信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規200  株3,7750
15/09/2509/17信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規200  株4,0850
1,233,379
15/09/1809/15信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規100  株3,9500
1,278,294
15/08/1708/12信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済100  株4,79013,632
2,155,402
08/12信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済100  株4,7905,548
15/08/1208/07信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規100  株4,9350
851,632
15/08/0708/04信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規100  株4,8550
833,014
15/03/3103/26信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済100  株3,7153,475
1,523,816
15/03/2703/24信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規100  株3,7600
1,493,460
15/03/1103/06信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済300  株3,71531,952
2,143,572
03/06信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済200  株3,71517,106
15/03/0603/03信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規300  株3,8250
2,554,120
15/03/0503/02信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規200  株3,8050
4,193,860
15/02/1902/16信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済100  株3,4759,939
639,946
15/02/1202/06信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規100  株3,5850
2,838,633
15/02/1002/05信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済200  株3,53559,163
2,838,633
02/05信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済100  株3,53530,334
02/05信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済100  株3,53525,342
02/05信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済100  株3,53517,756
02/05信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済100  株3,53512,235
15/02/0502/02信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済100  株3,7706,505
2,667,460
02/02信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規200  株3,8350
02/02信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規100  株3,7950
02/02信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規100  株3,8450
15/02/0401/30信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規100  株3,8450
2,202,921
15/02/0301/29信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済100  株3,7007,011
2,186,782
15/02/0201/28信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規100  株3,7800
2,153,942
15/01/2901/26信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規100  株3,7200
2,118,097
15/01/2701/22信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規100  株3,6650
2,092,853
15/01/1301/07信用半年  7276
小糸製作所
一般買返済100  株3,52510,477
3,311,519
15/01/0901/06信用半年  7276
小糸製作所
一般売新規100  株3,6400
1,041,085

生成と異質性のモデル

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思考の形式
内部性と外部性とは、思考の形式でもある。たとえば、真理の帝国や、精神の共和国を語るとき、ぼくたちの思考は、すでに内部性の形式としての国家装置に服していると見なされるのだ。この場合の思考のあり方は、次のようになるだろう。

「普遍的方法」の指揮下で「存在」と「主体」という二重の観点から、条理化された心的空間に、あらゆる種類の実在と真理とが位置づけられるのである。 『ミルプラトー』

 これに対して、外部性の形式としての思考、すなはちノマド的思考とは、外部のさまざまな力と格闘する思考だ。内部形式としての思考が、主体ー全体性ー条理空間の側にあるとすれば、外部形式としての思考は、部族ー環境ー平滑空間の側にある。部族というのは、ここで要請されるのが普遍的思考主体はなく、特異な種族だからであり、環境というのは、思考が展開される地平なき平滑空間としての環境のことだ。この思考については、たとえば次のように言われている。

 思考を主体に帰属させる思考ではなく、出来事すなはち此性としての思考であり、本質を規定する定理的思考ではなく、問題提起的な思考であり、自分を大臣と思い込む代わりに、民衆に呼びかける思考である。『ミルプラトー』

 こういった思考の形式の区別は、王道科学もしくは帝国科学と、ノマド科学もしくはマイナー科学と、重なり合うだろう。科学にも国家装置と戦争機械があるのである。ノマド科学の特徴は、ミッシェルセールがデモクリトスやルクレティウスの原子物理学、アルキメデスの幾何学のうちに見いだしたものと符号するはずだ。それを、王道科学と対比しつつ、まとめて見るなら、次のようになるだろう。

 1 固定理論ではなく、流体理論をモデルとする
 2 安定、永遠、自己同一、一定不変ではなく、生成と異質性をモデルとする
 3 定理的モデルではなく、問題的モデル
3に関して、条理空間では、「空間を占めるために教える」ことが問題なのに対して、平滑空間では、「教えることなく空間を占める」ことが問題であるという違いを、指摘しておこう。

道具と武器
 どんな技術的要素も、社会機械に、いいかえるなら機械状の組み立てに左右される。道具を規定するのは、労働機械という組み立てであり、武器を規定するのは、戦争機械という組み立てなのだ。労働機械は、ここでは国家装置の側にあるものとされている。それぞれの組み立てに服する限りでの道具と武器を、ドゥルーズとガタリは、五つの観点から区別するだろう。方向、ベクトル、モデル、表現、情念ないし欲望の調子の五つである。
 まず、方向の観点から、武器は投射によって、道具は内向によって、特徴づけられるだろう。次に、ベクトルの観点というのは、武器は速度によって、道具は重力によって、特徴づけられるからだ。第三のモデルの観点からは、武器は自由活動をモデルとし、道具は記号と関連づけられ、武器は宝飾品と関係づけられるだろう。道具と記号の親和性については、次のように言われている。

 技術的要素は、領土から抽出されて大地を対象とするとき、道具になる。しかし、それと同時に、記号は身体に記入されることをやめ、動かない客体的な物質の上に書かれることになる。労働が存在しうるためには、国家装置による行動の捕獲と、文字言語による行動の記号化が必要なのだ。記号と道具、文字記号と労働組織が、組み立てとしての親和性をもっているのは、このためだ。  『ミルプラトー』

 宝飾品が、すぐれてノマド芸術であったことは、いまや忘れ去られがちであるが、それが動きの中で見られてこそ意味を持つものだったことを思い起こさねばなるまい。それは、まさしく武器と親和性をもつものなのだ。
第五の情念ないし欲望の調子については、あらゆる組み立てが容貌の組み立てであり、情念とは容貌の実現したものである以上、この観点に触れないわけにはいかない。この観点から、道具は感情の体制に、武器は情動の体制に、それぞれあるものとして特徴づけられる。
 感情は、「物質とその抵抗の評価、形式とその発展の感覚、そして力とその移動の経済を含み、いわば重々しさを伴っている」。これに対して情動は、「動体そのものにのみ、さまざまな速度と、諸要素間の速度の合成にのみ、かかわる」だろう。情動は、感動のすばやい放出であり、武器と同様に投射されるものであるのに対して、感情は、遅延し、道具のように内向的である。情動が、自己の解体、主体の解体に通じていることも、見逃してはなるまい。

人間組織の類型
 ドゥルーズとガタリは、国家装置と戦争機械の違いを、めまぐるしいほどさまざまな観点から特徴づけようとする。ポリス対ノモス、将棋と語の区別まで、動員されるのだ。しかしここでは、もうひとつの点だけにとどめておこう。人間組織の類型という観点である。
 集団のあり方は、国家装置においては樹木状モデルに従い、中心に向けて位階化されているのに対し、戦争機械においてはリゾーム的モデルに従う。その点も念頭に置くとして、人間の類型は、三つに提示されている。すなはち、血統的組織と、領土的組織と、数的組織だ。
血統的組織は、未開社会を定義する。大地も大きな役割を果たすが、それはあくまで、さまざまな血統の力動的なあり方が刻印される素材でしかなく、数は刻印の手段でしかない。これに対して、国家装置では、領土が全面に出て来るだろう。領土といっても、人間と大地の脱領土化した関係が問題となるのであって、それとともに、大地の超コード化が支配的となるのである。
「アンチ オイディプス」で、未開社会が領土機械、帝国社会が専制君主機械とされたのと、多少言い回しが異なるが、基本的な切片は変らない。領土が全面に出て来るといっても、血統や数や大地のすべての切片が、それらを超コード化する天文学的空間もしくは幾何学的延長の内部に取り込まれるという意味においてなのだ。
 数的組織は、ノマド社会と戦争機械を定義する。ここで数的組織とは、自立的な算術組織をさす。すなはち、数が主体となり、数が空間に対して独立するあり方をさすのである。このようなあり方は、数えることなく占められるという平滑空間の性質に由来するのであって、数は、数えたり計測したりする手段ではなく、移動するための手段となるのだ。したがって、国家の軍隊におけるような大きな数は問題とならず、むしろ小さな数による処理が問題となる。

 戦争機械の両義性
 国家装置に二つの極があったのと、少し意味合いが違うにせよ、やはり同様に、戦争機械にも二つの極がある。そのひとつの極では、戦争機械は戦争を目的とし、どこまでも拡張しうる破壊線を形づくろうとするだろう。この極が、国家装置に組み込まれるかぎりでの戦争機械のあり方を示すのに対し、もうひとつの極こそ、戦争機械の本質的なあり方は示されている。もう一つの極は「創造的な逃走線を引くことと、平滑空間とその中における人間の運動の編成」をめざす。この第二の極が戦争にかかわるとしても、あくまで代補的なものとしてでしかないのだ。
 今日では、国家が作り出すものであるにせよ、国家もその一部でしかないような世界秩序が支配している。戦争機械も、そのような世界秩序の地平でしかなくなっていると映るかもしれない。ポール ヴィリリオが指摘したとおり、今日の速度体制では、核兵器による瞬時の世界破壊が可能となっているからだ。
 国家を越える企業のあり方も、顕著になりつつある。資本主義の世界的公理系だ。キリスト教に代表される世界宗教も、ある意味で、依然として国家の外部を指し示す。その一方で、国家権力に対して抵抗し続ける、徒党集団、周辺的集団、少数派集団も健在である。そんななかで、例えば量的には小さくとも、創造的な逃走線を引き続けることは、いつでも可能なのだと、ドゥルーズとガタリは説き続けるはずだ。
 ノマドロジーとは、ノマド的なあり方の理論としてある。またノマドロジー(nomadologie)が、ライプニッツの説くモナドロジー(manadologie)のmとnとを入れ替えたものであるのを見てもわかるとおり、窓のないモナドという実体のあり方を、ノマド的平滑空間の中に投げ入れたというおもむきをもつ。それは戦争機械の理論でありながら、広大な射程をもつだろう。ドゥルーズとガタリがガブリエル タルドのうちにその先駆を見たミクロ政治学とかかわる一方で、哲学的な思考のあり方とも、抜きさしならぬ関係を結ぶのである。

      篠原資明  ドゥルーズ ノマドロジー  より転載
==================================

 長々と引用しているが「全ての労働倫理を愚弄する」僕が、何故に労働を拒否して毎日を資本主義の社会規範の根底義務といわれる労働から逃げて廻れるのだろうか、あたかもそれがごく当然な事のように自分で感じてもう20年もそうしてきたのかを、こんなドゥルーズとガタリのテキストを読むと自然にわかるような気がする。「労働という窒息しそうな条理空間の出来事」は全く僕には魅力がないという一点をもって「やらずに済めばそれに越した事は無い」というのがアナーキストの言い分だ。蟻の群れを見れば働く蟻と何もしない蟻がいるのと同じ事だと思う。きっと阿部ちゃんは文科省に地方国立大学の文科系学部の廃止を強制しようとするが、つまりこの種の思想へのアクセスそのものの可能性を排除しようとするのが国家装置の意図であると言う事だ。それぐらいノマドロジーの存在は国家装置に対して危険な武器なのだろう。全員が同じ方向に進めば、仮にそれが破滅の方向なら種は全滅するだろう。今まで種が残ったのは、全体が進む方向を拒否した少数があったからに他ならない。全体と個との関係性とは常にそういうものなのだ。
 逃走する事、いつでも国家装置の隙間を見つけて逃走する平滑空間への無限の展開という点が権力装置の存在と秩序の破壊を可能にするからに他ならない。労働するという事は、国家の側で国家の道具となることと等しい、そういう権力の巻き込みを労働そのものが担っているという個人的な直感の有る無しという事だろう。
 通貨や言語によって国家は個人を登記し移動を制限してきたが(生産の登記)、グローバルな通貨と価値の交換が可能となった世界では、個人は国境を越えて記号の交換(つまり生産の消費)が可能になったから、望めば国家を離れて(逃走線を引いて)無限の平滑空間に意志と意識と記号を移動することが可能になった。そうした移動はある意味で大いなる遊戯性に満ちている。遊戯とは目的とするものが遊戯そのもののもつ感覚的な快感であって、その快感は遊戯そのものに内在する何かであると思う。遊戯によって得られた対価が労働によって得られた対価と仮に同量であったとしても同義の筈が無いのは、遊戯の対価は「羽が生えている」かのようにヒラヒラとした宝飾性に満ちている。その性質の力動性に大きな差異がおのずと生まれるという事だ。

 ノマドロジーの圧巻は、移動する個体はツリー状の組織を持たず、リゾーム状の分子的な動きを勝手に行う運動の総称ということだろう。予見不能性に満ちているから、予定調和は起きにくい。「上か下かという択一ではない」、「上であれ下であれ」というベクトルと強度、速度の否定から逃走線は延長されまた短縮される。

 今日は川上弘美の「水声」を一気に読んだ。
姉が2歳年下の弟に恋をして寝ちゃうという近親相姦の小説である。実に過激な関係性を川上はサラッと美しい日本語で書く。母は私生児を二人産んだ後、父と結婚した。私生児たちの父は同じ男である。母が死んで家族が壊れた後に残ったものは何か?という問いの一つがきっとここにはあるのだろうと思う。血族の崩壊と再生の物語。これもまた一つのノマドライフだ。
 

秋の文学月間

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 毎日本ばかり読んでいる。ひどい日は一日15時間以上読書三昧という日もある。図書館に行って10分で5冊返却して5冊適当に選んで借りるの繰り返し。高齢者の暇人が図書館には随分と多いから、定年後にあまりする事がないのは僕と同じだが、そこにいる事が目的で新聞を読んで、雑誌を見て、席で寝ていたりする人も多いみたい。さっさと借りて家で読んだらと思うが、目的は読書ではなくてきっと「居場所探し」なのかもしれないなあと思う。
 同世代の作家を3人(村上龍、川上弘美、池沢夏樹)を借りて読む。もう一人実は西加奈子も借りた。3人とも芥川賞の選考委員だから「文学とは何か?」という点での造詣は深いと一般的には考えられているだろう。思想背景は様々だし、当然作品スタイルも文体も独自だが共通点は「自由な仕事」をしているという点だろう。「嫌な事はしないし、書かない。」=金の為だけの売文はしていないという点が一致している。僕の評価では一番過激なのは川上弘美、中間が池沢、最も凡庸なのが村上という区分けかな?西加奈子は更に過激だと思う。
あと50年たてば、この順番で残るかな?と思うが果たしてどうか?
「一番過激なのは」という過激の目的語は何だと思う?
僕の答えは「関係性」という事で、人間と人間(あるいは動物とかその他の物とかとの)の関係性のあり方という点、それは引力と斥力との成り立ちに関する不思議な力という事だ。特に親族や家族、あるいは一番生活をしていて近い関係性にあるものとの物語だ。社会は家族の拡大延長だから、社会の理解は家族の成り立ちや有り様を置いて他に無い。モデルとなる家族(あるいはそれに類するもの)が崩壊したとすれば社会も当然崩壊する。家族が壊れて、分子のように個が個として結びつきをもたないままふらついているような生活状態が現在の日本社会の在り方なのかもしれない。
哲学や文学は「全然金にはならない」けれど、相場の何倍も面白いと思うな。
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