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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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秋の箱根ドライブ

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離陸する観光ヘリ   5分4000円です。

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箱根の芦ノ湖、山のホテル

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お弁当ドライブは楽しいな。栗の甘露煮はデザートに最適。枝豆も良いよ。


 世の中を舐めて暮らすというのが生活信条になって久しい。なんでも平均的な考え方や行動の真逆をやると効率が良いことに気がついたのは高校生の頃だったが、それが未だに癖になっているので、三つ子の魂は本当だねと思う。
例えば「全ての労働倫理を愚弄する」というのは敬愛するジョルジュバタイユの借り物だし、「感覚とは刺激であり、純粋受動という創造平面の神秘である」というのはドゥルーズだし、西欧以外の文明で西欧より優れた効率があるというのはストロ−スからの知識である。知的偉人の視点は全て平均的でも常識的でもないが、大きな真理をどこかに含んでいるものだ。だから社会の一般常識の欠陥につけ込んで逆手に取ると効率がすこぶる宜しいと経験より思うことが多いのだ。普通の人々は現在が変化しないで同じように継続すると考えたがるが(いやそういう事さえちっとも思考の片隅にも無いのだが)、敏感な人は変化の予兆を感じ取って先手を打っておく。感性や頭の善し悪しと言ってしまえばそれまでの事だが、前者と後者の比率は多分20対1か30対1ぐらいだろうと思う。これはどんな時代、どんな国でもきっと同じような配分比だろう。支配と非支配の配分比は歴史を見てもそんな所に大抵は落ち着くものである。
 例えば国策の欠陥や失敗を出汁にして美味しい所を頂戴するというのは僕の十八番である。バブルの時代に不動産投資とかリゾート法とかまあとにかく日本中が金まみれになった時代の遺物の再利用とかは現在相当なお得感満載で、これも友人の一級建築士に教わった。ゴールドマンと星野リゾートが組んで同じ方法で当たっているがそれを個人でやれば良いだけだろうと思う。坪単価が都内の1/10とか1/20とかいう不動産価格は需給の歪みで成立するが、新築との鞘が極端すぎればいずれは縮小するはずで、それがいつかはわからないが、そんなに遠く無い気がする。リソルというミサワリゾートを三井不動が買った会社の株価なんて見ていると、どん底からかなり戻し始めているし、東急も同様だ。ということは仮に株価が将来の企業の解散価値の現在割引価格と論理的に仮定すれば、取扱商品の単価上昇が劇的に起きるという暗示である。暗喩(メタファー)というのは20世紀的文学手法だが、そんな文学的な事を金儲けにも使えるというのは楽しいねと思う。多分近いうちに関東や東海で巨大地震が発生すると、既存木造住宅は被災して相当部分が水没や火災、破壊で使い物にならなくなるだろう。被災した人で生き残った人はそれでもどこかに住まないわけにはいかなくなる。大移動が始まっても、新たな住宅を直ぐに大量に建設するのは容易ではないから、良質な空き家の急激な価格上昇が東京近辺から起きるだろう。鉄筋耐火でM8以上に絶えられて、駅近で、津波の心配がないという条件の物件が高騰するのは仙台や東北の例でも明らかだから、多分熱海なんて良いねと思う。気候温暖で温泉あるし、物価安いし、病院たくさんあるし、新幹線が無事なら東京は42分だし、、。原発も遠いし(100キロぐらい離れているし)海岸沿いはアウトだが山側は安全だ。(地盤がとても堅いのね。)引退老人がドット来れば高騰しそうである。小金持老人が日本は350万人ぐらいはいるから(65歳以上の5000万以上の現預金保有者)、その5%でも17万人だ。現在の熱海の人口(3.2万)の6倍だから、該当物件は不足するだろうと思う。東京に仕事や家があるにしろ、慎重な人は安全な場所にセカンドハウスを確保しておくぐらいの知恵と金はあるんだろうから、そういう動きが今後は増えるんじゃないのかなあ?と思うのだ、リソルの株価の堅調さはそんな予兆なんじゃないの?と思う。
 するとベトナムさんではないが、災害時にどんな道でも走れる4WDの車が必需品ということになるかもしれない。NYでテロが起きた時に坂本龍一は即座にレンジローバーを買ったそうだが、人間心理に大きな差は無いだろうと思う。スタイル的にはランドローバーは古いデイフェンダーの丸目が美しい!と思うが、実用に考えるとどうなんだろう?無論トヨタが安くて良いのがわかるのだが、どうもスタイルが醤油臭くて好きになれんのだ。スタイルというのは好みだから当人にとれば大問題で、まだカイエンのほうがマシかなと思う。障害物とかオフロードとか山道とか雪や雨の道とかだと車高がある程度無いと踏破できないだろうから、イヴォーグぐらいがお手頃という事だろうが、いかんせん玉が薄いねえ。試乗しては見たんだが、「遅い」「トルクが細い」「乗り味は薄っぺらい」のが喰い足りない。はやり新車で600万ぐらいではこの程度しか無理という事かね。ハマーに試乗してみようかね?とも思うが熱海は道が狭いからフラットまで辿りつけないかも?と思う。360度のクランクが駅まで4カ所あるんだよ。ミニのペースマンの4WDのほうが数倍実用性があるとも思うが、なんか今一歩その気にならんのだねえ、、。こうやってウダウダ考えて迷っているうちに地震のほうが先に来ちゃうかもね。

 今日は義母が来ていたので、箱根の芦ノ湖スカイラインまでドライブに出かけた。84歳で僕より2周り上の羊年。超右翼で軍人の妻だから大の左翼嫌い、大江なんて抹殺しろという口です。(爆)政治意見は正反対ですが贅沢好きで僕とは仲良しですね。メルセデスに乗せると「御姫様気分で最高!」とご機嫌でした。お弁当を作ってもらった小学生のようですね。お握り、卵焼き、ウインナー、塩昆布キュウリと枝豆、デザートは栗の甘露煮と葡萄でした。冷蔵庫にあるもの大集合という感じで、夕飯はパエリアをフライパンでマダムが作ってくれました。世の中はシルバー5連休ですね。秋も深まって箱根はススキが満開でした。元気に楽しく生きるのが幸福という事ですね、きっと誰でも。

 巨大地震と津波、連動して富士山噴火で首都圏壊滅という最悪シナリオではさてどうなりそうだろう?まず円は叩き売り、株も債券も叩き売り。日本売りで225は9000円ぐらいまで突っ込み、円は160円まで暴落、金利が急騰してインフレが加速する。市場が再開して2−4週の短期間でぐらいでそんな事が起きるだろうと思う。
 政府は50−100兆円の臨時財政出動で円を刷りまくる。首都圏の大半を全部作り直すのだから、すごい実需が生まれるだろう。首都圏以外の工場はどこも24時間フル生産しても足りない。鉄、ガラス、セメント、非鉄、化学、薬品、食品、自動車と素材がフル生産でも多分足りないだろうと思う。内需の1/3が一瞬で破壊されるのだから、全てが不足するという事態になるんだろうと思う。
円暴落で食料品や輸入物価が急騰してガソリンはハイオク220−300円なんてことになるんだろう。インフレだから資産価格は一端底打ちすると今度は灰汁抜けして収益性の高いものから切り返し始める。災害によって世代交替が進んで、首都圏の老人死亡数が急増して土地、現金、株式の世代交替が加速する。配分比の構成が変ると消費が一時的に活発化して景気が一時的にすごく良くなる。円安で海外生産が不採算になるので、製造業の国内回帰が進み、輸出入とも活発化して雇用が安定し賃金が上がり始める。それを先取りして叩かれた株を外人と国内の長期投資家が拾う。そんなシナリオが近いうちに起きるかもしれないなあと遊覧ヘリコプターの離陸を見ながらフッと思った。大湧谷を取るロープーウエイはまだ休止中だ。箱根も弾けるかなあ?フラットまで直線だと18キロぐらいか?火山礫が飛んで来るかな?やっぱ少し古めのレンジローバーかなあ?
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6703 沖電機 月足   下げ方がそっくり

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逆鞘発生の値がさ株   ソニーと日揮と小糸製作(空売り候補)


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突っ込んだ鉄の様々な下げ方    5406を新規で追加してみた。


「相場のどこをどう具体的に取るか?」というのは腕と好みだが、下手なうちは何が上がるか?という銘柄ばかりが気になって上がる理由をなんとか見つけて探すというトンチンカンなことばかりしている。情報が重要だとかトンマな体制側の刷り込みをマジに信じて、行動は新聞、ニュース、ネットの誰でも知っている下らない材料など相場の利益とは全く無関係な雑音ばかりをかき集めて自己満足しているというような人が平均的な鴨の投資家像だろう。死んでも死んでも次々に湧いて来るのでいくら殺しても殺すほうは困らない。国境を越えて渡り鳥の鴨も来る。国産の鴨は暴落ごとに何千羽単位で無謀な順番で破産して毎週のように電車が止まるという愚行を毎度毎度繰り返すが、それがなくなる事は決して無い。「馬鹿につける薬は無い」という格言の発生はきっとこれを指して言うのじゃないのかと思う。
短期なら上げて来たもので詰まったもんを何でも良いから空売りすれば時間は下げのほうが上げより短く深いのだから時間効率が良いから空売れば宜しいが、空売りなんてしたことがないので出来ない人が大半だ。そんな程度の情報さえ書いていない新聞雑誌で何が情報による投資かとヘソがお茶を湧かすぜと思う。相場は上げるなら買えば良いし下がるなら売れば良い。そんな簡単な事さえ出来ないようでそもそも金が儲かる筈が無い。まあ鴨とは資本主義のコスト(出汁とも言う、鴨だから良い出汁が出る。)のだから、自分が資本コストの償却対象にならんように注意しないとヤバイのだが、そんな自覚がないうちに殺されるのが普通だろう。
マスコミの目的は新聞や雑誌やニュースを売って金儲けをするのが仕事だから、読者が欲しがりそうなネタを書くのが商売のコツである。そんなもんをマジに信じる馬鹿がいるほうがどうかしているぜ。上げて来て天井付近の強い銘柄をもっと上がると書くほうが、短時間の回転、毎週雑誌が売れるという意味で都合が良いのだから、半年、一年先、数年先に上がりそうなものなんて書いても雑誌も売れないし、ネットも顧客が集まらないのでスポンサーがつかない。現実をリアルに俯瞰して、では自分はどうすれば2%の勝ち組に残れるか?というような冷静な人はほとんどいないのが現実なのである。大衆というのはそんなもんだ。パチンコ屋にあれだけの人が毎日行っているという事実だけを見ても、馬鹿は多分死んでも直らんだろうなあと思う。トヨタの経常利益ぐらいパチンコ産業の売り上げがあるというだけでも、人はスリルの為には金を払うという事である。
 反語的だが、相場で利益を出すのは実は単純で、上記のようにすぐに明日にでも金が倍になるというような夢物語を欲しがる相場が博打だと思う鴨が多い中にあって、そいつらを出汁にして時間を味方にしてゆっくり自分の取れる所を取れば良いのである。つまり胴と同じ発想の側に立って相場をすれば良いのだ。それには対象とするものの値動きがどうか?を見ればよいということになる。銘柄の値動きはそれごとに癖があるから、上げて止まって持ち合って押してまた止まって反転して上がるというようなうねりの動きの「自分がどこをどう取るのか?」という具体的な事が一番重要なのだ。その具体的な取り方の練習をしろという事である。上げの日柄、保合いの日柄、下げの日柄なんて、結構反復性があるものもあるのだから、自分の対象の値動きが、取りやすいと感じた時間に絞って動くと効果的である。(当たりが出やすいということだ。)
 月足で6703を上げているが、これは天ー底の下落の日柄は6−7ヶ月が多いのだ。つまり6ヶ月周期で上下動する特性がある。だから今年3月高値からちょうど6ヶ月の現在が年初来安値なのである。前回の押しも6−7ヶ月で止まって、それから倍加波動を半年で描いている。うねりの周期が今後はどうなるかは無論わからんが、ここで止まれば半年ぐらいすると倍化で上げても不思議でない、前回はそうなっているからで、今回もそうなるかもしれない。なるかならんかは時間が経たないとわからないが、相場をするということは常に未知の未来に向けての投機をする事なのだから、曲がれば落とせば良いということになるか、当たるまでじっと待つということになるかも好みであると思う。当たる曲がるという予想の確率は5割を越える事は無いが、自分の得意な時間に絞って出動すると5割を超える事が経験的に多いのだ。そして更に重要なことは予想が仮に曲がっても、玉操作で曲がりを当たりに変える事が出来るという事である。そういう時の利益率は低いのだが、1円でも利食いで破産した相場師はいないのだ。下げ相場の突っ込みを拾って戻りを売るとか、上げ相場の吹き値を売って、その後の押しを買い戻すとかいうリズムやうねりの操作である。どこをどう取っても良いのだが、一番容易な取り方というのは底の緩い値動きの突っ込みや押しをコツコツ拾って溜めて、3ヶ月−6ヶ月のうねりの上げを取るというのが簡単でしかも大きく儲かる。6703は現在そんなチャンスのタイミングが近いかな?と個人的には感じるが、まあ曲がるかもしれないから期待しないで見ていると良いと思う。
それには月足や折れ線が道具としては大事である、値動きの受け止めは個人的な事だから、道具も個人的な手書きで無いと切実感がないから上達しない人が大半だと個人的には思う。長期の月足を1000枚、折れ線を100本ぐらい書くと億ぐらいは単なる通過点で取れると思うが、、。

狩りの美意識

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 9月は災害が多い月だから、防災の日というのが出来たのだろう。9/1は関東大震災の日だったかな?チリで大きな地震が起きると、津波が太平洋を越えて日本沿岸まで到達する。今回は静岡県沼津の沿岸に避難指示が出たそうだ。良く行く寿司屋の親父が下がるのに30分かかる電動式の堤防の愚痴を言っていたなあ。間抜けな官僚的対応という意味で日本人の危機意識を象徴しているといつも思う。幸い大きな被害は無かったようだが、大きな台風とか集中豪雨による堤防決壊による風水害、土砂災害など自然災害が最近はたくさん起きる。加えて火山噴火も加わって、災害てんこ盛りの日本というイメージが定着しつつある。
おまけにやめときゃ良いのに自分から戦争法案なんか作って、米軍の下請けをしようと言うんだから阿部はホトホト大馬鹿じゃねえのかと思う。きっと算数は赤点だったろ?(爆)
どうせ日本は植民地並の三等国家なのだから、三等なら三等らしく責任なんて放棄して金だけ払って米軍になんでもさせておくほうが安上がりでマシだろうと思うのだ。自立する気がさらさらないのだから戦後70年過ぎても、国内に他国の軍事基地がたくさんあって、外交も軍事も経済も主要政策の何一つ独自決定できない国家のようなものでしかないという認識ぐらいは気の利いた大人ならみな知っている。だから軍事はアメリカに只乗りするのが一番利口なんだから、余計な事はするなという事である。アーミテージが何を言おうと「はいはい」と言って何もしなけりゃいいんだよ。野党のせいにして今は無理ですと永久に言っていればいいんだろうに。それともなんなら53番目のアメリカの州になるか?そうなると天皇制はいくら何でも大統領制との並立は無理だろ?
 世界を見ても「王制」が残る国が少なくなってきた。イギリスと日本は先進国(?とも言えないか)の中では例外的だろう。民主制と言いながら、言っていることとしている事が食い違うというのはまあ良く有る事だが、その意味では両国の国民感情はアンビバレントというかイイカゲンというか
一本化出来ない変な国なのだろうねえ、、。交戦権を認めない現行憲法の自衛隊というのは、アメリカの下請けの汚れ仕事専門を日本の金でやれというアメリカの国益に一致することなんだから、「できないよ、そんなこと。」と言ってりゃいいじゃないかねえ、。マジ、アホちゃう阿部?

 国家は所詮、共同幻想なんだから幻想は幻想として適当にアシラって、楽しく毎日を過ごしましょうというのが小馬鹿にしていてなかなかオシャレねと個人的には思うから、選挙は洒落で常に共産党支持でここ35年ほど過ぎたが、入れた人が当選した事は一度も無いなあ。全部 死票だったが民主制とはそのような決まらない事に意味の有る制度なんだから、しょうがないと思う。「決まってたまるか。どうせ政治決定は間違いしかしないのだから。」とアッケラカンとシラケているんだなあ、、。税金とは共同幻想の劇場の入場料、使用料金みたいなものだから、まあ人並みに定量制で払うのがルールという事だろう。電気代とかガソリン代とかと同じである。デカイエンジンなら燃費が悪い分は支払いが多くなる。でも悪い分の楽しみというのもあって、それで良いと思ってこちらは使っているんだから良いでしょ?という事である。通貨だって共同幻想だし、株価なんて幻想以外の何物でもないのだから、いろいろ考えると全て無駄になると思う。
 上がる、下がる、横這うの3態の順列組合せだと思えば良いんだね。要素を単純化して見れば、答えなんて単純なのに、どうもあれこれ悪い頭で考えて曲がる人が多いんだろうと思うなあ。考えてもわからないし、考えた通りにならないから成立する世界があるという事を認めないと即座に鴨になるのが、この世界なんだろうと思う。
「カオスから脳へ」というドルーズ/ガタリのテキストを先日転載したけれども、自分の脳のアレンジメントを変えるという事が、基礎訓練の目的だという事を理解させようとして書いたのだが、良く言う「変動感覚」というラングの意味を切実に考えている人は本当にちゃんと読んだのかな?
玉操作が下手で損ばかりなのは、脳の構造が相場向きではないからで、それを相場に合った脳に変えられないと(アレンジメントの変更)いくらやっても損が増えるだけの事なのだが、それに自覚がないうちに破産する人が9割以上なのである。何十年もかかって洗脳されている国家的な脳の構造のアレンジメント(鴨の脳)を自分で破壊して、動物と同じような相手の動きに応じて攻撃し、休憩し、防御し、再度反撃するような動作可能な脳のアレンジメントへと変える訓練が相場の基礎を固めるという事なのだが、動物の捕食行動とは全てが身体動作によって成り立つのだから、相場をするということが身体動作にならん限りは餌が取れるわけがない。日本人は何十世代も農耕民族だったせいで、農耕による共同作業が村の掟だったせいで未だに農業を辞めても、会社という農業法人で都市で農業をやっている、そんな脳の構造なのね。村八分を極端に嫌うんだなあ。みんなと同じでないと不安なのよ。本能に刷り込まれたものを取り除くのは凄い恐怖心を伴うから、まずスタート時点で狩りをするのに向いていない。
狩猟するということは、他人がもう取った場所には獲物はいないと考えて他の場所に行くのが常態という発想でしょ?だから人と違う場所や方法を自分でなんとかしないと獲物にありつけないのだね。一方農民は、隣の田んぼや畑と同じことをすれば同じ収穫になると考えるから(細胞レベルでそう考えるのよ)例外的な事を嫌うでしょ?

 シホさんが5541の突っ込んだ安値を「こわー、こわー」と1枚づつ拾いながら書いてるけれど、最初は誰でも恐いのよ。だからその恐い所をソッと眼を瞑っても拾うというような逆張りの訓練を10回ぐらいやって戻りをしっかりでもちょぼちょぼでも取れる経験をすれば、そのうち暴落したら「ドーンと100枚建てられる」ようになるんだが、それにはまず恐い時を10回、20回と経験する必要があるわけで、1年に2回暴落があっても10年は必要でしょ?
だから誰でも上手くなるには時間がかかるのは当然なんですよ。だって相場は相手があることだから、自分だけ力んでも意味プーなわけね。だから月足、折れ線書くんでしょ?相手の事が全然わからないで、誰も男女交際なんてしないでしょ?知らないで寝たら「ヤバー」って事になりますよ。グラフと場帳とは相手(値動き)を良く知るための道具なんだから、書かないで分かりっこ無いと思うよ。知ろうとすることは、相手の動きなのね。つまり数値の絶対値と角度とインターバルでしょ?
業績、金利、ニュースなんて全部雑音だから無視すりゃ良いんでしょ?それなのにド下手はそんなどうでも良いノイズばっかを気にしているからちっとも上手くならないのですねえ、、。脳の構造がダメなままだから、金にならんのですねえ。

 感覚=刺激 とドルースは言うでしょ。つまり感覚は純粋受動なんだから、受動した数値にこちらは反射動作で応じる以外に無いのね。感覚は美意識でありバランスであり創造なのね。受動的創造平面とでも言うかなあ?下手な人はまず刺激を刺激と感じないの。とくに小さな動きは?となる。小さな動きが反復して、次第に大きな動きに繋がって波が出来て行く。酒田っていうのは「新値」の方向を重視する方法論でしょ?だから馬鹿で鈍くても数だけ数えられれば認識できるわけ。
練習生でまさか定本を読んでいない人はいないと思うけど、10回ぐらい読んで文字面を理解できたと思っても、やらせて見て出来た人は400人で2人だけですよ、マジ。それぐらい脳のアレンジを変えるのは恐いし困難なのね。シホさんは3%に入っているよというのは「素直に」行動できるからさ。損でも利でも素直に値動きに応じて動くことが出来る、つまり刺激に応じて反応するという動作の基礎とは「美意識」なんだね。だから相場の上手い人は美意識が強いと思うよ。
 美意識とは美味しいものが好き、美しいものが好き(たとえそれが合理的、経済的でなくても)という事なのね。経済なんて金だけあれば何とでもなるものだから下らんなあと思うからよ。ある人にとればどうでも良い事でしょ?だって相場に落ちているのをちょっとだけ拾えば良いじゃない?
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 雨の平日は、10時位に寝坊して起きて、とても濃いカフェオレをたっぷりテラスで飲む。コイーバのシガリロを1本ゆっくりと燻らすと頭がフラーっとしてラリッタ気分で気持ちが良い。多分貧血になっているのだろうが、快楽は素敵だねと常に思う。

こういう雨の日は、料理と温泉が日課だから、きっちり7日間塩蔵しておいた豚のロース肉を使って、フランス田舎風ポトフーを作る。大きなラウンドの18インチのストーブ鍋に水を2L入れて、豚肉を極弱火で加熱して灰汁を取る。その間2時間。暇だからゆっくりたっぷり温泉浴が出来る。
 大きなバスタブ一杯に湯を張って、プラスチック製の椅子を沈めて大好きな本とタオルとウーロン茶を持ちこんで40分でも60分でも飽きるまで半身浴で本を読む。鍋ではポトフーの出汁が出ている。風呂から上がって、ゴボウ、ニンジン、タマネギ、エリンギ、ソーセージ、大根を入れてまた2時間ほど煮込むが、決してグツグツ沸騰させないことがスープが濁らないコツだね。極弱火で長時間煮るとトンデモナイ美味さ!になるから不思議である。
 お外は酷い雨でも浴槽は極楽だ。どんな災害が起きても、きっとここは残るだろうなあと地震が来るたびに思う。基礎が重要なのは相場と同じだなあ。築23年と随分古いはずだが、リゾートで年に2回ぐらいしか前オーナーは使っていなかったらしいのでほとんど電気製品以外は新品に近いなあと思った。改装に1000もかければピカピカになるね。豪華リゾートは使用されないまま、こうやって償却されていくものが多いのだろうと思う。3ヶ月住むとトータルで100日だ。多分、僕のほうが22年所有した前の人よりもう多く住んでいることになるだろう。
忙しくて時間が無いということがいかに貧しいかという証明でもあるんだろう。従業員4万人の大会社の代表取締役社長にとっては、たった1日の休日を取るのも容易ではないかもしれない。ご苦労さんな事である。

 さてしがない相場師は売ったり、買ったりを成り行きでするだけだから、相場観なんてまあ当たらんし当てにならんが、自分の好きな場所で買って売るだけ、突っ込みを現物で買って、戻りを外して、戻り天井を空売ってと動作はいつも同じだが、不思議に100発98中くらいは当たるんだね。今回14日間の時給で63000円だったから、少しは下がったか(去年までは10万円だった)。コツンとした音は聞こえたから、それはまた当たったようではある。ブログのアクセス統計は今回も正確にド下手の存在確率を立証したねと思う。
まあどうせ使い切れないのだから金の多寡はもうどうでも宜しいと思う。売っても買っても利食いなら、どっちでも良いということだ。相手の動きに合わせて、ちょっと乗ってサッと降りるの不等分割のリズム取りの練習の繰り返しだ。1000枚も転がればと2000−3000万ぐらいにはなるんだよ。メルセデスでもベントレーでも買えるでしょ?相手ごとに少し値幅や日柄や分割のバランスが異なるが、慣れれば誰にでも出来ることだろうと思う。
 月に100万取れば、贅沢を言わなければ普通の人は普通の生活することは出来るのだろうと思う。だから仕事嫌いの人はそういう相場の張り方をゆっくりやれば良いのだろうと思うのだ。
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 超越の錯覚でさえ、私たちの役に立ち、いくつかの生活上の逸話を提供してくれる。というのも、私たちが、内在における超越なるものに出会っているのだと自負するとき、私たちが行っているのは、ただ、内在平面に内在そのものを再充填することでしかないからである。たとえば、キルケゴールは平面の外へ跳ぶのだが、しかし、この運動の中断、停止において、彼に「取り戻される」ものは、婚約者もしくは失われた息子であり、内在平面の上での生存(実存)である。キルケゴールはこう言ってためらうことがないーーー超越に関しては、いささか「忍従」しておけばそれで十分であろうが、それ以上に、内在が取り戻されるということが必要である。パスカルは、神の超越的存在(の信仰)のために賭けを行うのだが、この賭けの賭金、つまり神の存在に賭けられるものは、神が存在するということを信じる者の内在的生存である。ひとりそうした生存のみが、内在平面をカバーすることができ、無限運動を獲得することができ、いくつかの強度を生産し再現することができるのであり、それに反して、神の存在を信じない者の生存は、否定的なもの(否定的な運動)に陥るのである。以上の場合についてさえ、フランソワ ジュリアンが中国思想について語っていることを、私たちも主張してかまわないだろうーーーすなわち、超越はそこでは相対的であり、もはや或る「内在の絶対化」の代理でしかない。もろもろの生存様式が或る超越的価値を必要としていて、その超越的価値によってこそ、それら生存様式は互いに比較され、選択され、それら様式の一方が他方よりも「いっそう善い」と決定されるだろう、などど考える理由はまったくない。反対に、内在的でしかない基準が存在するのであり、個々の「生の可能性」は、それが内在平面のうえで描くいくつもの運動と、それらがそこで創造する数々の強度に関して、生の可能性それ自身において評価されるのである。描くことをしないもの、創造することをしないものは斥けられる。個々の生存様式は、「善」と「悪」から、そしてあらゆる超越的価値から独立に、よいかわるいか、高尚か低俗か、充実しているか空虚か、のいずれかである。生存の内容、生の強度の増大、これ以外の基準は全く存在しないのだ。それは、パスカルとキルケゴールが十分理解していることなのである。というのも、彼らはあの無限運動に精通しており、ソクラテスに対抗しうる何人かの新たな概念的人物を、旧約聖書から取り出しているからである。キルケゴールの「信仰の騎士」つまり跳ぶ者と、パスカルの「賭ける者」つまり骰子を投げる者は、なるほど、或る超越のすなわち或る信仰の人である。しかし、それらの者は、たえず内在を内在平面に再充填する。それらの者は、哲学者であり、あるいはむしろ、仲介者であり、その二人の哲学者としての価値をもつ概念的人物でありーーー神の存在を信じる者の生存がもたらす無限な内在的諸可能性だけを気にかけて、もはや神の超越的存在は気にかけない概念的人物なのである。(中略)
 「私」というのは脳である、が、「私」とは一個の他なるものである。それは、超越が存在しないにせよ、二次的な連結と統合からなる脳と同じ脳ではない。そしてこの「私」は、哲学としての、脳の「私は概念的に理解する」であるばかりではなく、芸術としての、脳の「私は感覚する」でもある。感覚は、概念におとらず脳である。ひとは、神経の連結つまり刺激ー反応を、そして脳の統合つまり知覚ー行動を考察してみるならば、経路のどのような契機においてまたどのような水準において、感覚が現れるかと自問しないだろう。なぜなら、感覚は前提されているからであり、引きこもっているからである。引きこもりは、俯瞰の反対ではなく、ひとつの相関項である。感覚、それは刺激そのものである。ただし、感覚が反応へと漸進的に引き継がれ移行するかぎりにおいてではなく、感覚がおのれを保存し、おのれの振動を保存するかぎりにおいて、感覚は刺激そのものなのである。感覚は神経の表面であるいは脳の容積の中で刺激物の振動を縮約する。すなわち、先行するものは、後続するものが現れるとき、まだ消えないということだ。それが、カオスに応答する感覚なりの仕方である。感覚はいくつもの振動を縮約するがゆえに、それ自身振動する。感覚は「モニュメント」である。感覚はおのれの倍音たちを共振させるがゆえに、それ自身共振する。感覚、それは、縮約され、質、変化性=多様体へと生成した振動である。その場合、したがって脳=主体は心あるいは力と言われるのである。なぜなら、物質が放散し、あるいは放射し、前に出させ、反射し、屈折させ、あるいは変換するものを、ひとり心だけが縮約して、保存するからである。そうであれば、私たちは、反応とその反応が引き継ぐ刺激にとどまっているかぎりは、また行動とその行動が反映する知覚にとどまっているかぎりは、感覚を探求しても無駄なのである。ということは心(あるいはむしろ力)は、ライプニッツが語っていたように、何もつくらないし、能動的に作用もせず、ただ現前するだけであるということ、心は保存をするということだ。つまり、縮約は、能動ではなく、純粋受動であり、先行するものを後続するもののかなで保存する或る観照である。それゆえ、感覚は、メカニズムや力動や、合目的性とは別の平面の上にある。それは、つまり、ある合成=創作平面であり、そのうえで、感覚は、その感覚を合成するものを縮約しながら、そしてその感覚がさらに縮約する他の諸感覚とともに合成されながら、形成されるのである。感覚は純粋観照である。というのも、ひとがそこから生じてくる当の諸要素をひとが観照するのに応じて、ひとはおのれ自身を観照しながら、要するに観照によって、縮約をなすからである。観照すること、それは創造することであり、受動的創造の神秘であり、それが感覚なのである。感覚は、合成=創作平面を満たし、自分が観照するもので自分を満たしながら、自分自身で自分を満たすのである。要するに、感覚は「享受」であり、「自己ー享受」である。感覚は、ひとつの sujet (主体、下に投げられたもの)であり、あるいはむしろ injet(中に投げられたもの)である。プロティノスは、すべての事物を、すなわち人間や動物ばかりでなく、植物や大地や岩をも、観照として定義することができた。概念によって「イデア」を観照する、というのではない。反対に感覚によってまさしく物質の諸要素を観照する、ということである。(中略)
 
 芸術と科学と哲学はそれぞれ非なるものを必要としているのだが、しかしそれら非なるものを開始として必要としているわけではないし、それらが実現されたあかつきにはその中で消え去る運命にあるような終着点として必要としているのでもなく、それらの生成あるいはそれらの展開の各瞬間にそれら非なるものを必要としているのである。ところで、それら三つの「非」は、脳平面から見ればまだ区別があるのだが、脳が潜んでいるカオスから見ればもはや区別はない。脳がそのように潜んでいるということについて、こうも言えそうであるーーー芸術が名付けるような、しかしまた哲学と科学もそう名付けるような、「来るべき民衆」の影が、カオスから引き出されるのだ、と。
民衆ー団塊、民衆ー世界、民衆ー脳、民衆ーカオス。クレーの非概念的世界、あるいはカンディンスキーの内的沈黙のような、三つの非のなかに横たわっている非思考的世界。そこでこそ、哲学と芸術と科学が、あたかも、それらの異なった本性をつらぬいて広がりながら絶えずそれらに付き従う同じ影を共有しているかのように、識別不可能なものへと生成し、同時に、概念と感覚とファンクションが、(真偽)決定不可能なものへと生成するのである。


  ジル ドゥルーズ/フェリックス ガタリ「カオスから脳へ」
               財津 理 訳より抜粋転載
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