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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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 沖電気の減益、シャープの不調に続き、東芝の仰天5700億の赤字、キリンブラジル子会社の大幅赤字等16年3月期の日本株の増益基調にここにきて俄に少し?なムードが出て来た。すると17年3月ははやりダメか?と怪しい気分になるのは誰もが当然だろうと思う。原油が暴落中で底が未だに見えないから、大半の資源株はお辞儀をして8月、9月の年初来安値をこににきて更新して下抜けしたものが本日62、並んだものなど多数であり、ここでコツンと止まって戻りそうな気配は場帳を書いている感じでは「全くしない」ということで、今日もまた僕は少し売った。というか10−11月の戻り場面で空売ったものが垂れて来たので、何でも戻り売りはクルクル順番で買落ちになる。すると売り玉が利食いだから、その減った分をまだ崩れていない強張っているもの(例えば1332,4996など年初来高値を取っているものなど)を売っておかないとバランスが悪い。買いの根玉が程度はあるのだから、このような場面は放置しているだけでは買い玉に当然評価損が出るのだからその分の現金を作るには適当になんでもいいから高いものを売って、その後の崩れを買い戻して現金を作るといういつもの操作をするわけである。
この順番でなんでも買い落ちになるというのが重要な事であって、それは一見無造作に建てた空売り玉が相場の流れに沿った、逆バリで建っていたという事実に他ならない。
 株価の動きとは常に現実に先行して動くという習性があるのだから、8月からの下げというのは、来年前半の日本の行方を占っていると見て間違いないだろうと思う。

 強気とか弱気とか自分の個人的な思いなんてものは所詮当たらんからどうでも良くて相場の流れについて行くという操作をする、つまり上げても下げても相場とは常に現金を作るゲームなのだから、上げれば現物を売って現金を作るし、下げれば空売りを買い落ちして現金を作る。作った現金で底付近で安いものを根玉にして総玉の数量を増やして次の大きな上げの波に乗って行くという反復をするという事が一番簡単な相場で飯を喰う方法だろうと個人的には思う。
 相場は上げ下げを当てようとしてもなかなか思うようには当たらないが、流れというものの周期にはある程度の時間や値幅の規則性や反復性があるのだから、その流れに沿って分割で有利な方法で玉操作をすれば良いという事をするのが一番堅い取り方なんんだろうと経験からは思うので、その前提として相場の下手な人は(つまり相場で飯を喰えないというようなレベルの人は)、
 1 道具をちゃんと揃えて
 2 上記のような操作のために初歩の2分割の買い方と売り方を練習して
 3 その後、一連の玉操作によるリズムやうねり取りに進む

というような反復的な操作の感覚と技術を習得したら良いとクドイ話をもう2年もずっと書いている。
まあ、感覚と技術というのが体感できるまでに、まず1を完璧に準備するのでも専業でないなら数年はかかるし、2を基礎から売りと買いの両方からバイアスなく実行できるまででも数年は早い人でもかかるんだろうと思うから、ものになるには優れた変動感覚があっても結局は早い人でも10年は必要かなと個人的には思う。10年の間には底練りから上げ、天井、下げ、底と大きなラウンドが数回有るはずで、上げで正解だった事が、下げでは全く逆になったりすることもあるし、押しと下げ、上げと戻りというものがどういう時間的な差異、感覚的な差異になるのかも道具を通じて段々と体感できるようになって始めて「波に乗る」という感覚が徐々に自分のものになってくるのだから、「上達を焦っても全く無駄」という事になる。まぐれで少し取れても反復性がないと飯なんて永久に喰えないのだから、どんな相場でもなんとか現金を増やせる事が出来るようになるのが、まずは最初の目的となるだろうと思う。それには、数百、数千、数万回の反復操作が事実必要になるだろう。
 自分の取りやすい場所がやっていると自然に身体でわかってくる、それを予定調和というのだが、その調和があまり曲がらなくなってくるまで、とにかく1−3を無限反復すること、それが全てだと思う。
まだ底は打っていない。猫のアクセス統計の確率はこの2年は100%当たっていた。アクセスが500前後に必ず翌日コツンときている。まだ350では打たない。日柄で見れば早くても1月中旬ぐらいまでは下に行くだろうと思う。

金権主義の成れの果て

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 三島由紀夫は、金色夜叉の名文として知られる、「車は馳せ、景は移り、境は転じ、客は改まれど、貫一は易らざる其の悒鬱を抱きて、遣る方無き五時間の独に倦み憊れつゝ、始て西那須野の駅に下車せり」を挙げ、この名文が浄瑠璃の道行の部分であり、道行という伝統的技法に寄せた日本文学の心象表現の微妙さ・時間性・流動性が活きている部分だと解説し、「『金色夜叉』は、当時としては大胆な実験小説であつたが、その実験の部分よりも伝統的な部分で今日なほ新鮮なのである」[13]と述べている。また小説の主題である金権主義と恋愛の関係については、「金権主義が社会主義的税制のおかげで一応穏便にカバーされてゐる現代は、その実、『金色夜叉』の時代よりもさらに奥深い金権主義の時代なのであるが、これに対する抗議が今ほど聞かれない時代もめづらしい。といふのは、現代では、金権主義に対抗する恋愛の原理が涸渇してゐるからであり、『金色夜叉』において、金に明瞭に対比させられてゐる恋愛の主題には、実はそれ以上のものが秘められてゐたのである」[13]と述べている。

 日曜日は、熱海港とお山の往復をまたしてみた。往復4キロ傾斜16度の急斜面が続く。心臓がもう2つほど欲しいぜと思う。認知症予防のため30分間早歩きが有効というダサイTVを見たせいだが、おかげで今朝も爆睡で筋肉痛だ。
散歩なのに登山靴を僕は履く。グリップが優れているということ、階段が数百段あるのがわかっているから、足首の捻挫のリスクを考えるとハイカットのスキーカーでも危ない。ということでキーンというアメリカものの登山靴を僕は3足交替で愛用している。これで2300メートルの南アルプスも登った靴だ。これは実は4万円の靴だが、中国の製造メーカーの横流し品である。余分に5%ぐらいは不良品が出来るから多めに生産するのだが、それを別ルートでコソッとネット販売しているから、サイズと色に偏りがあってすぐに品切れになるのね。だから4万円のプロパー品がたまに8900円で売っている。こういう中国商売には慣れっこだからなんでも探してみるといろいろあって面白い。著作権や商標なんて概念そのものが無い国だから、パチもの天国だが、本物とパチものの差がないものも中にはあるのである。だって同じ工場で同じ人が作って、別のルートで売るだけだかねー。委託生産ならこれは生産量の数%なら免れようがないねと思う。この金を海外で蓄積して逃げ出すことを考える中国の工場主を僕はたくさん知っているのね。昔おつきあいしてたから、まあロンダリングと同じことを商品輸出を通じてやっているだけですね。華僑恐るべしというか、、。だから真面目に物作りして儲けようと考えてる日本人って、ホントマジに馬鹿っていうか、マヌケってきっと映っていると思うなあ、彼らの目には。国民性という意味では商売に向いてないのねという自覚が無い.(爆)

熱海の海岸の側に、尾崎紅葉の金色夜叉の「お宮を足蹴にする場面の銅像」があるのを知っているかな?新聞小説だったから三島は上記のようなコメントをしていたらしいが、時代は様変わりで現在の若いネーチャンにこんな話をしたら全員に爆笑されるだろうと思う。
「金のない男はペアリングの対象外」という冷静な婦女子の風潮は、古今東西、常に世の常識で国営放送の「仮カレ」というドラマの主題と一緒である。まあ目的ゲットの手前の空いた時間は、テキトウに見た目が良さげなのをつまみ食いして暇つぶし。本命を見つけたら猛然と奪取して、餌を取るという行動は、ライオンの牝と同じだから、♀の生き残りの前提条件であり、今更「金権と恋愛」などと脳内ドーパミンの作用を否定するかのような三島の言は逆さまである。「アホちゃうか?」と思うのね。
 フィアンセを金持ちに寝取られた男が惨めさに女を足蹴にして「覚えてろ!」という棄て台詞を吐いて、結局は自分も高利貸しになって金持ちを目指すというダサイお話だが、それなら最初から恋などという幻想を信じるなアホ!ということになるだろう。まさかこんな男は現代にはいないと思うが、、。いたら国宝ものだろうと思う。だからこの銅像は国道沿いに建っているが一人も観光客がいないのね。

 さて相場は予定調和の通りに突っ込んで来た。このまま17000円前後までは節目が無いので短期でストンと行きそうだ。板が薄いから裁定買い残の解消売りだけで下げている。ソニーなんてまだ1000円ぐらいはすぐに取れそうな感じかね。14年10月の日銀ギャップを埋めるということになれば225は 15000以下というのが最初のコツンかね?とも思う。朝成りで数枚売ってみたが「いい感じ」で利が乗るものが多いよね。「なんでもかんでも戻れば売れば取れるでしょ?どんなアホでも売れば利食いですよ、しばらくは。」でも信じて曲がっても知らんけど、、

不可解な決定

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金曜の日銀政策決定会合の決定は「意外で不可思議で無意味」な内容だったと個人的には思う。これについて少し考えてみたい。「黒田がこんな半端な決定を失敗を承知でなぜあの最悪のタイミングでせざるを得なかったか?」と僕はすぐに考えたのだが、きっと官邸の意向を無視できなかったのだろうという推論にならざるを得ない。来年早期に始まる国会に向けて「経済が全てに優先する」という大見得を切った阿部としては「日銀も何か明確はメッセージを市場に、、、」と恐らく考えていたのだろう。現時点で、つまりFRBがカードを切った直後に、最悪のタイミングでその市場の反応がどう落ち着くかを見極める暇が無い段階で、逆方向に小出しのカードを切っても無駄弾丸になるぐらいは黒田も無論承知の上だったろうと思う。それでもあえてそれをせざるを得なかったほど日銀が追い込まれていたという事もあるのかもしれない。インフレ率2%の早期達成をお題目に、絶対に不可能な事を変えないという黒田に姿勢とは「緩和は永久に続く」というシグナルに等しい。今後10年でもインフレ率が2%を越える事は一度も起きないだろう、そう黒田自身も多分考えていると僕は思う。
 そもそもが市場の期待に(インフレ期待に)働きかけるのが彼の政策の本義だったはずであり、それは今後も変らないとすれば、市場の期待を裏切れば当然しっぺ返しが待っている。案の定、予定調和の通り、株式は売りで、為替は円買いで即座に反応したから、官邸の期待の正反対の動きになったわけである。この動きも黒田は予想していたろうと僕は思う。どうせ無駄弾丸になるから大した事はしないでおこうという内容だった。別段わざわざ「微調整などど会見」するほどの事ではないだろう。
 アメリカとその他の先進国の金融政策が「逆方向」に舵を切った後のしばらくは、市場ではボラティリティーが急増するといういつもの反応になる事が多かったが、今回もいつか来た道の通りになってきた。ゼロ金利が前提のアメリカ債券市場が今後1年で1%の金利上昇が起きれば、ハイイールドのジャンク債のデフォルトや新興国国債のデフォルトリスクは否応に増す。CDSを売りまくった欧州の銀行や保険会社が行き詰まるリスクは目に見えて高まったきた。ここに来ての、欧州の銀行のリストラ速度が加速しているのがその意味でも気になる。to big,to fall
は今回以降は無しだという法令変更がひっかかる。

先週、オバマは41年ぶりに米国産原油輸出解禁の法案にサインしたから、来年からシェールオイルの輸出が事実上解禁となるが、これは現在も新安値を更新する石油市場に更なる下落圧力となり、WTI20ドルも現実味を帯びて来た。商品ファンドの買い持ちは大きく減ってはいない状態だから、必ず破綻で幕を閉じるということがいつかどこかで起きるだろうと思う。あの08年のバリバショックと同じ事になるだろう。来年のどこかで、0.25%の4回の利上げを完了する前に、FRBは逆に「利下げ」に追い込まれる事も起こりえるだろう、そんな気がするのだ。
原油が止まるまで無条件に株は売りだろうと個人的には思う。

お一人様の時間

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上野千鶴子が「お一人様の老後」を書いてしばらくたった。彼女はジェンダー女子で結婚しなかったし、子供もいなかったから生涯独身で、定年後もずっと一人暮らしだ。(実は隠れた恋人と同棲していたりして?笑) 「スカートの中の劇場」のような威勢の良いことを常に書いたり話したりしているが、実際は京都の医者の娘でブルジョワのお嬢さん育ちだから、女性の自立というのは彼女の場合は父からの独立という単純な親離れという事でしかなかったのだろうと僕は思う。(こうしたケースを見るとフロイトは凄いねとやはり思う。)
彼女の言うように優雅な一人暮らしのお一人様が出来る女子は、結局は社会の上層に属する裕福な人たちの事であって、僕のように底辺付近をウロチョロしている男子にはあまり当てはまらない部分も多い。もっとも子供や孫はいても金の無心ぐらいしか役に立たないのだろうから、こちらも煩わしいので子供は勝手に生きてくれと言う他ないから、親の金なんて当てにしてもみんな使い切るから何も残らないよと予め言ってあるし、大金を残して死ぬ予定は無い。マダムが浪費家だから、きっと少し残っても綺麗さっぱり全部酒を飲んで無くなるだろうと安心している。
 それでも人の命というのは自分で予定が立たない事が大半だろう。あっけなく連れ合いに先立たれれば、再婚する意志がなければ誰でもお一人様に順番になっていく。僕としてはできれば僕のほうが先に死にたいねと思うけれどどうなるかは誰にもわからない。どちらかが先に死んだら「どうか再婚したいならして下さいね」とお互いに言ってはいるが、多分どちらもしないんじゃないかなと思う。だって今更いろいろと面倒くさいと思うからだ。

 老後の暮らしというのは単純である。「喰う、寝る、遊ぶ」基本はこの反復以外にはない。というか金の無い人は老人でも仕事をしないわけにはいかないだろうから「老後」は無いのだ。僕も相場をするから自由時間の比率はすごく多いが仕事は1日2時間と短いけれど「老後」はない。出来るうちは多分相場をするだろうと思う。林の爺さんは亡くなる1週間前まで場帳を書いていたというし、是銀は100歳を超えてから病院のベッドで「5401はいくらだ?」と毎日看護婦に聞いていたそうだ。92歳で別子を持ち上げたぐらい根性があったから、まあ元気ならいくつでも相場は出来るんじゃないのと思う。
別に大きな相場を張る必要は無い。そもそも上手い相場師は大きな相場なんて10年に一度ぐらいのチャンスにしか張らない。普通は小さな玉を買っては投げ、売っては踏みを冗談みたいにしているだろうと思う。上手いとはそういう事だと思う。老人夫婦の生活費なんていくらもかからないし、そんな金は死ぬまで必要ないぐらい当然ある前提がないと本気で相場なんて張れっこ無い。

 そもそも「老後」という概念は自分のほうで作ったというよりは、社会制度=定年退職 という制度が作った概念と時間なのだから、リーマンとしては「使用済み」の使い物にならん人生の時間という事であり、随分と失礼なお話だろうと思う。それでも高齢になっても必要とされる人はされるだろうし、個人差のある事だから張り合いがあったほうが楽しいだろうとは思う。サラリーマンとはサービス業である。会社あるいは上司の命令や期待にサービスするのがお仕事だから、まあ気疲れがして向いている人とそうでない人がいて、僕なんて全くダメだからさっさと辞めてしまった。一方で相場師は、漁師や猟師に近い商売だから、行動の本質がサービスには無い。これを職業と呼ぶかどうかは税務署の見解だろう。娼婦は歴史的に見て一番古い女子の商売だが、これを職業と呼ぶかどうかに等しいと思う。税務署の職業区分には相場師と革命家いうのは無いから、必要経費は認められていない。きっとそういうのを認めたら公序良俗に反するという考えがあるからだろうと思う。まあ、どうでも良いけど、、。日本が活力がなくなったのは実はリーマンの比率が92%になったせいだろうと思う。
どんな現業をするにしてもみんなが会社員として雇用される立場なのだから、全員が上をみたサービスをする事に結局は慣らされていく。その比率が92%にもなればそもそも自分で考えて動くという事が出来なくなるに決まっている。考えても大半が無駄になるからだ。日本最大の銀行に勤める銀行員は、物事の決済の稟議に自分から頭取まで17個の印鑑が必要になるというのだから、自発的な意見や計画なんてどこかで詰まって通らないことが最初からわかっている。だから黙る。降りて来る仕事だけをするしか無いという事でつまらない。92%の人口がそんな事を毎日日本中でやっているのだから活力が無いのは当然の帰結という事になる。

 逆説的に考えると、日本人の大衆の行動特性は同質化して動くという現象になりやすい。常に一方通行のように集団で動くから、その逆をやると成功しやすいという単純な事が起こりやすい。逆張り有利というのはだから当然なのだと思う。エコカーが流行れば逆にデカイ5−6Lぐらいの燃費の悪い車がお得になる。2000万の車が中古では400万で売っている。新車のプリウスより安いが走ると100倍楽しいという事になると思うが、そんな事をすると白い目で見られると思うから誰もしない。2年もすれば原油100ドルが30ドルに落ちて燃費なんてどうでも良いぐらいに状況は勝手に向こうのほうから変化するのだが、そんな事は大衆は考えの片隅にも無いから92%は常に鴨になるように社会と物事の仕組みができ上がっていると言えるだろう。こういう状況を「鉄板」というらしいが、、。

 老後かどうかは別として、「お一人様」の暮らしはいつかは誰にでもやってくる。その時に家事が結構慣れが無いと上手く行かないから、教師がいるうちに練習をしたほうが男子は良いと思う。優れた妻がいる人ほど毎日当然飼いならされているから、喰う、寝る、遊ぶに付帯する様々な雑事に疎いから、自分だけの力と時間でやってみるとこれがなかなか上質な暮らしを維持するのは大変である。妻というのが職業かどうかは別として、控除の対象になる意味が納得できると僕はしてみて感じた。
キャベツの千切り一つを例にとってもマダムなら同じ包丁で0.2−3ミリで出来るものが自分で切ると最初は1ミリぐらいにしか出来ない。当然味も食感も異なる。品質とはその差異であるが、練習する以外には外食するより他に手が無いのである。道具の差というもの大きい。Vitamixというミキサーのお化けのような機械があるが、これが日本製のミキサーやジューサーとは全く異なる。スムージーを作ってみると全く味も出来も異なる別の商品になる。10万と1万だから当然だが、これも使ってみないとわからない。ペリカンのスーベレーンと三菱のゲルインクのマーカーぐらい違いがあるから、味(受け止めた場味)が異なるので極端な利益の差が生まれるという事になりやすい。
1本5万のペンでも使い方で1000万も2000万もの変化があるのだが、貧乏人だとそれが出来ない、そんな世界は知らないまま大半は終わる。「思考と行動の射程」と言う事だ。

 KINFOLKというアメリカの雑誌がある。こういう上質な暮らしは好ましいなと思うから、自分で出来る範囲に絞って僕は真似っこをしている。

富の利用法  2

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富の利用法  2

むろん、賭博経済を決定的な現象として提示するのは馬鹿げたことであろう。賭博経済が貯蓄経済と競合しているところでは、どこでも、それが貯蓄のために一つの手段あるいは餌となっている。従って、今やラテンアメリカが世界経済の中にすっかり組み入れられ、そこでの資本主義的形態の開発が非常に進んで、体制の違いなどはすべて二義的なものでしかなくなっている以上、これらの国々おいて賭博の果たす役割の重要性を誇張して考えるのは適当ではないだであろう。しかしだからといって、これらの国々において賭博というものの占める位置を検討することが、古典理論家たちの視野を広げるのに役立つであろうことには変りはない。彼らはほとんど常に、儲け方だけを考え過ぎて、使い方を考えないし、生産と蓄積の仕方だけを考え過ぎて、富の浪費と破壊の仕方についてはほとんど考えようとしないのである。見落としてならないのは、儲けを絶えず賭博に注ぎ込んだり、あるいは奢侈的で非生産的な用途に当てるという習慣は、それらがひき起こす純粋に経済的な結果は別としても、なお一つの文化の様相を決定するということがままあるということである。

 チベットの場合には、国民所得の大部分が莫大な数の僧侶たちの生活を維持するのに当てられるが、それを分析して、ジョルジュバタイユは躊躇無く次のような法則を立てた。『全体として、どのような社会もつねにその生存に必要なもの以上を生産し、自由に処理することのできる余剰を常に所有している。従って、その社会を決定するのは、まさにこの余剰の使いかたである。この余剰こそ、その社会の動乱、構造上の変化および歴史全体の原因なのである。』
 実際人口的にも経済的にも成長しつつある社会は、自らが所有している過剰分の用途を選択することによって、その社会の独自性そのものを選択するのである。つまり。その社会は自らの欲するところに従って、軍事的、宗教的、工業的、奢侈的等々、それぞれの色彩を帯びた社会となることができるのだ。チベットは、その点で一つの極端な場合を代表してるが、それはこの国の置かれている地理的な状況のもつ極度の特殊性によって説明される。すはわちこの国は事実上交易を禁じており、またたとえ征服の野心をいだくものがいたにしても、その侵略者にとってこの国はきわめて魅力に乏しい戦利品としての意味しかもちえないといったことである。こうした状態では、通商関係は存在せず、、国防の必要もなく、従って軍隊を維持することも不要なのであって、自由に処理できる過剰分のほとんどすべてを、僧侶という多数の純消費者からなる一階級に捧げることができる。あるいはむしろ、捧げるよう命じられているとさえも言う事ができるのである。その数たるや大変なもので,成人男子の俗人三人に僧侶一人の割合である。暇があって、操正しく、生産と生殖とを進んで放棄しているこれらの寄生者たちが、人口の増加を阻害し、国の資源の余剰を吸収する。彼らの存在たるや、祭りとまったくの無駄である大量の消費、闘技の際の膨大な商品と富の威光的な破壊、戦争と征服、軍備と産業の進歩、豪壮な記念建造物と華麗な芸術など、こうした問題に対して歴史や民俗学の示しているかずかずの尋常な解釈をもってしては、解明することの困難なものであり、またその解明も問題の表面をなでたに過ぎないものとなるのである。
 無論これほど特殊な例をわざわざ援用するまでもなく、ことのほか奢侈的で利子付きの貸借を原則として禁じていた中世などの経済において、富の余剰はいきおい、信じている神の栄光のために捧げざるをえなかったということ、またそうした事情があったにもかかわらず、当時建てられた大聖堂が、現在人類の世襲財産の中で無視することのできない地位を占めていることは、誰もが知るところである。同じように、社会階級を区別しようとする場合、月給総額だけでは不十分で、もっと大きな違いは生活様式、すなわち各人が収益をどのように使ってるか、その使い方に由来するものであることを社会学者はよく知っている。肉体労働者とサラリーマンとが同額の給料を得ていることはままあるが、彼らはそれを同じ仕方で稼いでいるわけではないし、とりわけ同じように使っているわけではない。つまり肉体労働者の方はそのより多くの部分を食費として使うが、それに反してあばら屋に済み、衣服はなおざりにする。サラリーマンの方は、もっと良い家に住み良い身なりをするために、食卓のものは進んで犠牲にする。
 すでにラスキンはこうした点に注意を喚起して、次のように書いている。
『億面無く言わせて頂くならば、あなたがたのいう経済学は真の経済学ではない。なぜならばそれは問題のもっとも重要な部門、つまり消費の研究をまさしく怠っているからだ。』無論この警告は人々の同意を得た。しかしながらここであらためて、次の点を強調しておくのは無駄ではないだろう。つまり、富の獲得手段についてよりも、むしろ消費の目的について問うことこそが、一方では、自覚されなければされないほどいよいよ危険なものとなる時代の偏見を越えることにつながるのであり、またそれは、文明というものの究極的な目的について本当に深く思いをいたすことの誓いともなるのである。 (了)


富の利用法  ロジェ カイヨウ「本能」その社会学的考察 より転載


「金で人を釣る」というようなゲームが選挙の前になると露骨に出て来るようになるのだろうが、今回の自民党は「低所得の年金受給者に一律3万円支給する」というよな陳腐な内容のものだった。これはつまり貧乏老人を一人3万円で釣るということだが、「そうかあ、老人票というのは3万円なのか?」と老人の命の値段の相場を知って愕然としている。まあ人頭税という税金があるが、この逆バージョンで民主党の「子供手当」というのも同じ措置だが、どうせなら将来のある人に金を配るほうがこの国の未来のためには効果的なんじゃないのかね?とまるで愛国心なんてないノマドの猫が言っても説得力がないのだが、まあそんな季節ではある。
 国であれ、事業体であれ家族であれ、一つの経済体が活動すると、余剰を産むそれと不足を生むそれが結果的には出るのだろうが、その集合としては日本は常に「余剰」を産んで来たと思う。新聞を長く見ていれば誰でも知っている。だが、全体では生産過剰による余剰の発生が、分配法の問題で個人または小さな経済体では不足になる比率が実に高いというのもこれまた事実なのだろう。
「自分はそこそこ豊であると考える人は全体の2割程度」という調査があるし、「自分の将来に経済的な不安がある」という人の比率は9割に近いという調査もある。まああまり困っていない人はきっと統計からは実際には1−2割という所なのかもしれない。

 朝早くから起きて、混んだ地獄の通勤電車に乗って、面白くもなんとも無い会社に通って働いて、雀の涙のような月給を貰って、深夜になるまで残業してヘトヘトになって帰宅する。だから休日は本来は泥のように眠りたいが、家族の事を考えるとそうも言っていられないから、どこかに遊びに行って夕飯でも外食して帰宅する。そんなローテーションの反復を延々としている人がきっと都市部では多いのだろう。こういう種類の人々は、生産も消費も全く自分では何も考えないで惰性でやっているのだろうから、きっと調査では9割の方に分類されることは間違いないだろう。それでもたまに相場を教えてくれというような人が来て、その人たちは堅実にとりあえずは貯蓄して株式を買うぐらいの余剰があるからそういう行動になるんだろうと思われる。貯蓄とは使い切れなかった金だからだ。ところが不思議な事に、無理に消費を削って、本来消費するべき金を削ったような貯蓄で相場をしてみても、ほぼ全ての人がその金をすぐに失うという事が起きる。ダイエットでリバウンドという反転効果があるらしいが、それと同じで無理に絞り出したような種類の金は結局続かないという事なのだろうと思う。
 ラスキンの言う消費の研究を怠っているからつまり彼らは文明の究極的な目的を理解できないという事が起きるわけである。文明などど大げさなものでなくても宜しいが、普通の動物の生存の目的は何か?と言えば遺伝子を残す事以外にはあるはずもない。つまり生殖と繁殖を置いて他にないのだから人間もまずはそれだろう。それが出来ないでは生きている意味があるとも思えない。だから「若いネーチャン」は世界中どこでもプレミアムがつくのだろうし、それは生殖と繁殖の対象として「好ましい」と♂が本能的に感じて行動するからに他ならない。だから価値(金でも権力でも財宝でも)は必然としてこの種の生殖と繁殖の付近に集まらざるを得ないという当然の運動の性質を持っている。結論としてお金儲けがしたいなら会社になんて行っても全くの時間と労力の無駄で、もっと真面目にネーチャンの研究をしたほうがずっと儲かるに決まっていると思うし、だから僕はネーチャン向けの雑誌なんてものを年間購読なんかして、おばさん趣味で出来る部分を真似っこなんてして面白がっている。ジャムなんてもう30年ぐらい食べた記憶がないが、雑誌に書いてあると「作ってみるか、孫にでも。」と思うようになるし、一つ鍋でもカレーでも上手い具合に出来るようになれば今度は少し高級な道具や材料が欲しくなるものだ。そうやって何かに自然にハマっていくことが本来消費というものの本質的な部分の持つ特徴であり、性質であるから、「面白い」「興味深い」「違いが分かる」=つまり差異化しやすいという現象と結びつく。だから豊かな1−2割の人の消費というのはこの種のプレミアムの要素が常に満載で、「安いもの」なんて探さないし、欲しがらないし、興味が無い。だからこそ金がそこにやってくる(まさに向こうから自然にやってくるのである)。つまりお金というものの動線が見えている人になるという事なのだろうと思われる。後は梃の原理で、逆張りクルクルが上手くなると大金はあっという間に出来てしまうものだろうと思うのね。
 「女性美とは何か?」という本質的な問いを課してみると、一つの答えは表面的な幻想の成立にあるのだろうと僕は昔から感じている。 DAVID HAMILTONという写真家がその具体的な答えを出しているが、彼の美しい写真集は猫の図鑑と同様、いつ見ても飽きない。まさに富の利用法の優れた一例である。


 
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