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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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絶滅危惧種の事

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−−経済の停滞が始まって、企業は非正規を採用してコストを低くしました。それはどのように見えていましたか。
雨宮さん プレカリアートの問題を知ってからは、やっぱり企業は自分たちの利益のために人件費の削減をやっていこうとしているんだと、びっくりしました。日本の企業を誇りに思っているところがあったのに、名だたる大企業が非正規を使い捨てにしたために、派遣労働を経由してホームレスになっている人たちが山ほど生まれた。当時は景気が良いと言われていたけれど、自分たちにはその恩恵はないし、すごく苦しい人が増えているし、大企業の派遣で働きながらも月収10万円ぐらいの人もいた。まったく自分たちが思っていたのとは違う労働世界が広がっていて、その人たちはもう一生はい上がれないようなシステムになっちゃっている。それが始まったのがちょうど私たちの世代くらいからなんです。06年に私は31歳でした。同世代のフリーターは30代を超えて、仕事がなくなり始めてましたね。30の壁を超えられないとか、日本には30歳を超えたフリーターの行き場がないということにも気づいた。
−−企業の言い分についてはどう思いますか。
雨宮さん 結局、グローバル競争を勝ち抜いていくためには人件費を安くして当然じゃないか。一貫してそれです。企業は営利活動を目的としているので、企業を責めてもしょうがない。そこは政治がある程度歯止めをかけないと。営利活動が行き過ぎない雇用形態だとか、あっさりホームレス化しないような生活ができる賃金を払うという法規制は、どこの国でもやっている。日本は働いた賃金だけで生きていけっていうかなりの自己責任社会であるうえに、そこを不安定化、低賃金化されると、働く人に不利にできているので、みんなが不安定になってしまう。雇用保険も失業者の7割以上が受けていない上に住宅政策もないので、失業したらホームレスになっちゃう。
−−80年代から雇用の流動化が進んできましたが、不安定になる人を支える手立てをあんまり考えてこなかったんですね。
雨宮さん そうです。求職者への支援制度とかセーフティーネット的なものがやっとできたのは派遣村以降で、それもあまり使い勝手がいいとはいえないんです。本当は86年に派遣法ができたぐらいからやっておかないといけなかった。00年代に時限爆弾が爆発するように問題化した時には、まだ何もなかった。
−−プレカリアートの人たちに日本が豊かだという感覚は?
雨宮さん まったくないんじゃないですか。90年代は、自分たちが集まって話すときは常にうっすらと「豊かだけど生きづらい」と意識していました。それが00年代に入ると「生きづらいうえに貧乏、カネがない」というのを前提に語られるようになった。だから、一億総中流的なものって、言葉としては05年ぐらいまで生きていた気がします。90年代も自分たちは貧困ライン以下の生活をしていたのに、日本は経済大国という全体の幻想の中で、本当に気づくのが遅れてしまった。当事者は、社会に出たことがないから気づかない。あの時、誰か一人でも、気づいてくれたらと思います。今でこそ、若者の貧困が注目され、非正規の問題に取り組んでくれる人は増えましたけれどね。メディアに問題として発見されたから、認識が改まったってことですよね。
−−今現在の状況はどう見ていますか。
雨宮さん どんどん悪くなっていると思いますね。この前の国民生活基礎調査で、生活が苦しいという人が62・4%と過去最多でした。だから、アベノミクスって何なの、ってことです。年収200万円以下の人が増え、平均年収も下がっています。生活保護受給層は200万人をずっと突破しています。
−−リーマン・ショックの時、緩やかに回復していた景気が急速に悪化して、「派遣切り」などが表面化しました。こうしたことがまた起きる際の備えには何が必要ですか。
雨宮さん 自衛する方法としては制度を知っておくことですかね。労働組合が関われば、寮を追い出されないようにする交渉ができるので、フリーターでも入れる組合を知っておけばいい。あとは、最低限の生活保護に関する知識とか、住宅手当や求職者の支援制度もあります。使えるものは結構あるんですが、それがまったく周知されてない。日本ではそういう生きるか死ぬかにかかわる情報が全然知られてない。
−−どこを変えればいいのでしょうか?
雨宮さん 最低賃金を上げるとか、非正規にいろんな保障をつけるとか、過労死しない労働時間規制とか、そういう個別の小さな政策でできることってちゃんとあります。でも、日本社会がこの格差に対してまひしている感じがあるように思えるんです。最初はみんなすごいショックを受けて聞いてくれたんですが、今は誰も驚かないし、そういう社会だからしょうがないよね、それがグローバリズムに対応する先進国の宿命でしょう、とでもいうようなものを感じるんです。同じ日本に住んでいて言葉が通じないぐらいに格差が広がっていて、生活意識も何もかも全部違って、格差の上位の人と下の人たちで、一つも共感できるところがないふうになっている。そういう社会ってちょっと怖い。そういう相手を助けようとは誰も思わないだろうし、話を聞こうともしない。言葉も通じない怠け者は自己責任だと思ったら、社会保障の分配の対象にするのにも反対すると思うんですね。そういうふうになってきている感じがする。
−−これから先の展望はどうでしょうか?
雨宮さん 自分たちの世代は自分を「絶滅危惧種」って呼ぶようになってきています。結婚して子供を残せない、種を残せないから、そのまま絶滅していくだけの運命という意味です。今住んでいる6畳一間のアパートとかにみんな居続ける。フリーターとか非正規で働いている人たちはその家賃も払えなくなってくると思う。川崎市で起きた簡易宿泊所の火事では、あれが自分たちの未来の姿じゃないかというか、ああいうところで自分たちの世代がどんどん孤独死したり、火事で死んだり、そういう場所に行きつくしかないんじゃないかとすごく感じました。
−−5年先、10年先にやっていきたいことは何ですか。
雨宮さん 自分の世代のこの問題が、何か運動とかすれば解決とか決着というか、どこかに着地するのかと思っていたんですね。雇用があまりにも流動化したことが原因だから、セーフティーネットが必要だ、彼らが悪いわけじゃないんだという認識が社会的にも広まって、どこかに決着の地点があると思ったけれど、10年たってもまったくない。だから、自分の世代の問題として、どこかで落とし前をつけるまではこの問題からは離れられない。10年前は若者の貧困だったけど、今はもう若者じゃない。中年になっていて、それがどんどん初老になり、高齢者になっていく。この世代がどのへんで救われるのかが、ものすごく重要だと思っています。
    毎日新聞  インタビューより転載

実は、筆者(インタビュアー)の次男は大学3年生。1ヵ月半前のこと、彼は突然、夫と私に言いました。「僕は就活しない。休学する」と。えっ、どうして!? 「もっと本も読みたいし」。何を? 「内田樹」――。息子の心の変化に迫り、あわよくば休学阻止をねらって、息子が私淑する武道家で思想家の内田樹(うちだ・たつる)さんにインタビューを敢行。さて、その結果は?

――息子の休学宣言には困惑しましたが、取材を進めていくと、いま、就活をしない学生が少しずつ増えていることが分かってきました

 「もう10年くらい前からの傾向です。何十社、何百社にエントリーし、勝ち抜いた者が成功者で、負けた者は二十歳少し過ぎたところで人生の敗残者、というような競争にさらされてきた先行世代を見て、揺り戻しが来ている。そんな競争に勝ち残ってもたいして明るい未来が開けるわけでもない。こんなやり方がいつまでも続くはずがないと直感しているんです。就活をしない若者たちは、概して無欲です。車やバイクも洋服もいらない。海外旅行もしない。ミシュランの星つきフレンチで高いワインを飲みたいとも別に思わない。いま、センスのいい若者で、バリバリ上昇志向っていう人はほとんど見かけませんね。大学院に行ったり、仲間と起業したり、ボランティア活動に携わったり、農業をやったり。昔のようにイデオロギーや宗教に凝り固まるわけでもなく、ナチュラルに、でも、堅実に生きているように見えます」

――しかし、大多数は就活に必死で取り組み、親も社会もそれを後押ししています

 「だから、ますます若者が苦しい立場になっていくんです。いまの就活は、とにかく狭い市場に学生を押し込もうとする。当然、買い手市場になり、採用する企業はわずかなポストに群がる求職者たちの中から、能力が高く賃金の安い労働者をよりどりみどりで選べる。『キミの代わりはいくらでもいる』という言葉を採用する側が言える。これが一番効くんです。でも、本当は、若者の手助けを求めている職場はいくらでもあるんです。中小企業もそうですし、農業・林業・漁業のような第一次産業、武道でも能楽でも伝統文化も継承者を求めている。でも、そういう無数の就職機会があることを就職情報産業は開示しない。そして従業員1000人以上の一部上場企業に就職しないと敗残者であるかのような幻想をふりまいている。大学を卒業したら、スーツを着て毎日満員電車で出勤して、朝から晩まで働く以外に仕事はないと教え込んでいる」
筆者 渡部せつ子(わたなべ・せつこ) フリーライター
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新聞も取っていないから世の中の事に疎いのだが、今年は大卒の就職率は随分と改善して「売り手市場」だそうだから、素直に良かったねと思う。点だけ見ればそうかもしれないけれども、新卒の3割以上が、せっかく入った会社を3年以内に辞めてしまうというのもこの所ずっとデータの示す事実であるから、雨宮さんが10年ほど前に経験した「貧窮生活」をいずれそうした人は経験する事に多分多くがなるのだろうと思うし、そのまま会社に残って働いても使い捨てでボロボロで病気になって過労死するようなケースも見られるから、ブラック企業というのは日本企業の一般的な体質であり、改善する兆しは全く見えていないと思う。33年前に労働組合を組織した自分の経験から考えても、企業の労働に対する姿勢はますますセコくなっているように思うし、そこに期待しても「無駄」じゃないのか?ととっくに僕は諦めて自分で好きな事をしようと仲間や部下を集めて会社を作ったが、使う者と使われる者の利害の対立は必ず構造的に起きるのでそんな事に嫌気が指すと今度は個人の力だけでなんとか生きる事を考えて実行しようとしてきたのだと思う。
 働く=会社員になる というのが同義語のようになっている日本社会で、リーマン以外で仕事をどうするのかを具体的に知っているような人はあまりというかほとんどいないように思う。少なくとも同期の大卒にはまずいないのだ。リーマンは時間を売って金を貰うという仕事の質である。まあ単価の大小はあるにしろ時間を売るという仕事である。自分の手持ちの時間以上には売れないという限界が低い利益構造である。定年とか体力とか根性とか制約満載だから無視して売ろうとすれば病気か過労死が必ず待っている。
一方、自営業とか自分でする仕事は、商品(材料)を仕入れて、あるいは製造して売る。買い値と売値の差額が損益であり、それの極大化を一応の目的とする。それにかかる時間は最少が理想であり、回転は早いほど良いという事であり、コストは安いほど良い。つまりリーマンの労働は商品の製造原価のコストの部分だから、最少が良いということで、常にカットを前提に構造化されている。(死なない程度の労働再生産が可能な範囲で)。

>でも、日本社会がこの格差に対してまひしている感じがあるように思えるんです。最初はみんなすごいショックを受けて聞いてくれたんですが、今は誰も驚かないし、そういう社会だからしょうがないよね、それがグローバリズムに対応する先進国の宿命でしょう、とでもいうようなものを感じるんです。同じ日本に住んでいて言葉が通じないぐらいに格差が広がっていて、生活意識も何もかも全部違って、格差の上位の人と下の人たちで、一つも共感できるところがないふうになっている。そういう社会ってちょっと怖い。そういう相手を助けようとは誰も思わないだろうし、話を聞こうともしない。
こう雨宮さんは指摘する。僕は同じネットワークの湯浅さんの本も何冊か読んで、彼の講演を聞いたりしていたので、現状はご指摘の通りなんだろうし、貧窮する現状は同情はするのだが、じゃあどういうふうに彼らを具体的に助ける仕組みを作るのか?税なのか福祉なのかそれを具体的に誰が負担するのか?というコンセンサスは社会的に煮詰まっているようには見えない。社会的合意があるのなら、なぜ民主党政権の成立時点でもっと改善の具体策が実現しなかったのかと思う。
幾ら援助してもずっとそれを一生涯続けることは給付と負担の面から無理があるのだから、(少子高齢化で負担する人がどんどん減るから)彼らが内田さんが言うようなスタイルで自立する以外に根本的な解決法はないのだろうと思う。独立して、自立して自分で仕事を作るという事だろう。そういう教育を日本は基礎教育では、全く行っていない。基礎教育で教えるのは「上司の言う通りに動け」という上意下達だけだろう。「右へならえ、前に進め。」ってか?そうじゃネエだろ。(笑)
雨宮さんの言う絶滅危惧種が全員寿命で死ぬ頃(あと40−50年後ぐらい?)は21世紀の中頃だ。それからさらに半世紀たって22世紀の頃には、日本の人口は600万とかそれ以下になっている。総需要は半分ぐらいになって、社会と人間の仕組みがスカスカになってくる。そんな時に東京と名古屋を1時間で繋ぐリニアがあってどんな意味があるんだろう?人口が半減するのだから、東京も名古屋も田舎もスカスカなのだから、東京に住めば良いだけの事。無駄なインフラコストをかけても生産性が上がるとも思えない。社会全体のバランスデザインを考える人がいないから部分が最適解を目指して突っ走るしかないという、いつもの通りの資本制の特性がてんこ盛りなのは大東亜共栄圏の頃と何も変わっていない。「永続敗戦」状態が未だにずっと続いているといことなのだろうと思う。でも全体をデザインしようとすれば必ずファシズムになる。ファシズムと永続敗戦の資本制とどちらがマシか?というあまり選びたくない選択枝を僕たちは嫌でも選ばざるを得ないという虚無感が常に付きまとう。だから格差の上と下の人たちでは、一つも共有できることがないふうになってしまったという事なのかもしれない。でも話を聞こうともしないという事は無いだろう。話は聞くが同意できる部分が実に少ないという事だろう。貧窮とは貧窮している当事者の問題であるのか、構造としてそれを作り出している社会の問題であるのか、おそらくは両者なのだろうが、具体的な解決は具体的に貧窮者自らが個人としての行動を起こす以外に無いだろう。でも貧窮が理由で行動が起こせないのが問題なのか、起こしても改善がないのが問題なのか、そもそも貧窮とは数値なのか?200万というけれど、都市の200万と田舎の200万は意味が異なるし、貧窮する都市の200万の人はコストの安い田舎で暮らせば随分と違って来るから、リターンする田舎暮らしとか農業、漁業など一次産業に帰る若者が増えているのだろうと思う。仮に生活保護受給者の若者部分だけ(40歳以下とか)でも健康を前提として支給条件を田舎に移転して一次産業に従事するという前提で3年支給とか決めれば、事態は動くことは動くだろう。でもそれだと果たして多くの若者のプアが申請するだろうか?彼らは都市に住みたいという事じゃないのか?牛を川に連れていっても牛自身が飲まなければ周囲はどうしようもない。牛自身が何をしたいのかこちらはわかっていないという事だろう。
 自称、「絶滅危惧種」という呼称は「環境変化に適応ができなかった種」という意味なのだろう。ダイーウィンの進化論からすると必然であるという自覚が皮肉にもあるのか?種の都合に応じて環境が変化してほしいと願望してみても、それは多分無理だろう。過去の絶滅種はきっとそう考えたから絶滅したのだと思う。

真夏の夜の夢

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 「心が折れたら死んでしまう、少なくとも意欲がなくなっては前には進めない。」そんな心身の自覚が「人間の(あるいは動物の)最低限の生き残りの本能」なんだろうと思う。林檎ちゃんの「本能」という歌を僕はとても好きなのだが、それは元気の良いネーチャンが、システムに取り込まれていく人間の生き方の有り様を「個人的にぶっ壊す」歌だからだと思う。自覚であり、行動であり、個人の革命であり、闘争でありノマドである。
「もっと中まで入って、アタシの衝動を突き動かしてよ」そう彼女は挑発する。看護婦の白衣を着てヒールを履いてガラスをぶち壊す。

 ふとした事から3月の消印のお手紙を昨日受け取った。郵便屋さんがお隣のお部屋に間違って投函していたものが、リゾート物件だから気がつかないまま8月まで半年あまり放置されて、やっと届いたという事なのだろう。5ヶ月間眠ったままのガールフレンドからの文字たちを一語、一語確認しながら反芻すれば、彼女の悩みや苦しみが綴られていて、今更ながら女性が企業社会で男と肩を並べて生き抜いて行く事がいかに大変なことなのかが想像される。僕自身が経営者だった経験もあるから、女子が同期の男子よりも大抵は真面目で有能な事は承知はしているのだが、それゆえ組織の中で上手く泳いで行くことの困難さと不愉快さに心身の不調を訴えるのは理解できる。
国家教育がフラフラして、そのうえ母親の未達の願望(娘はのびのびと好きなように古い女のワタシの出来なかったことをしてほしい)のプレッシャーから人類史上初めての何でも出来るスーパーウーマンを目指して邁進するという母の夢。鹿島田真希の「冥土めぐり」に父親は存在しない。不在の父と(実際はいるのだが、全く印象に残らない)母とアタシのズレと葛藤の物語。
 50代の有能女子が不調を訴えて、鬱病になるという事件が周囲で連続して起きるのは「男と女は同権だが、同質ではない。」という認識が甘いせいだろうと思う。身体の仕組みが異なるのだから、同じ事を同じようにやれば、「壊れるリスク」は女性のほうが断然高いという事であると思う。女性の身体は理性が否定しようが否応無く「種の再生産」を目的に作られているのだから、それを無視すればどこかに変調が起きるのは当然だろう。女性の寿命が男性より長いのは、子供の発育期間が人間は長いという前提で遺伝子が女性の長寿を補償したからである。

 どうして歴史の上に言葉が生まれたのか
 太陽、酸素、海、風
 もう充分だった筈でしょう

 寂しいのはお互い様で
 正しく舐め合う傷は 誰も何も咎められない
 紐解いて 命に疑う

 気紛れを 許して
 今更なんて思わすに 急かしてよ
 もっと中まで入って
 アタシの衝動を 突き動かしてよ

 全部どうでもいいと言っていたいような月の灯
 劣等感 カテゴライズ
 そういうの 忘れてみましょう

 終わりにはどうせ独りだし
 この際 虚の真実を押し通して絶えて行くのが良い
 鋭いその目線が好き

 約束は要らないわ
 果たされないことなど  大嫌いなの
 ずっと繋がれていたいわ
 朝が来ない窓辺を 求めているの

                「本能  」 椎名林檎 より転載

昨夜は長浜海水浴場という、熱海の先の多賀という場所でローカルな花火大会があった。砂浜に寝転んで、
友人3名と20分間の夏の夜の炎の競演を楽しんだ。「夏が終わるね、、」と僕の感じる時間の感じだ。
日本人は「はかないもの」を作らせると天才的な才能を発揮するのだなあと思う。重工業なんて多分向いていないのね。

予定調和ということ

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6310の最後は
7/24    226   −1  定石の通りここから休み2つ空けて
8/3     219   −2  と建った。さて同じことが起きるなら上がるはずだがどうかね?(爆)

そう8/6に書いていた。その後

8/10   226   2−
8/11   235   1− 

と仕切り23円の利食いだった。基本以外の操作はゼロだ。3手の逆行戻りを売るだけ。馬鹿が目をつぶっていても取れる場面という事だ。定石というのは「考える余地」がないということだからスゥーと動くだけだ。

くどいが予定調和でやる前からほとんどそうなるのだろうねとは感じで分かっている.だってまだ鯨幕相場に変化なしだろ?(爆)わかっていなけりゃ出来っこ無い。だからわかるようになるまで、道具をしっかり準備してそれを使って練習しろというだけのことだ。月足を更新すれば誰でもわかること。
練習を30回で出来る人、100回でもダメな人。いろいろいるんだろうが、やっていれば大抵の人なら慣れる。やっていて慣れないうちに金が無くなれば、才能と感覚の欠如の問題でキッパリ相場は諦めろ。上限300万で打ち止めだ。カローラ一台潰して遊んだと思え。別に人生の仕事の楽しみは相場以外にもたくさんあるのだから、他を探したほうが宜しい。1回2万の損でも150回練習できる。練習に300は最低用意しろとプロがいうのは、それが一般人の適性の限界値ぐらいだろうと思うからだ。生活するための種は最低でも2000−3000は無いと話にならんし無論相場にならん、つまり逆立ちしても飯は喰えんという事だ。相場はだから貧乏人には惨いが旦那芸の要素満載である.

 これでハイオクが150L買えてメルセデスが1.5回満タンになる。1000キロは走るから1月分だ。田舎は金がかからないというか金を使う対象が普段の生活にはほとんど存在しない。(これも自分で実行して初めて知ったことだ。)1000万以上の生活必需品は(必需でもないかな?)不動産か外車が妾以外にはあり得ない世界だから、金を稼ぐ甲斐が正直に言って全く無い。(実際にマジそうなんです。金であくせくしたくない人にはウッテツケの素敵な質素な暮らしである。)
伊勢丹がないということは僕にとればほとんどロクな商品が無いということで(高くてもセンスがないとタダのゴミだから)、新宿の周囲半径30キロ程度しかお金の使い道が日常的には無いのが日本だ。(大阪は阪急の30キロ以内かね?)

 田舎の暮らしは物質的な豪奢はないが、時間的と空間的な豪奢は実に素晴らしい。毎週、世界の名著が飽きるほど読める。今週はG.マルケスの「迷宮の将軍」と「ぼくはスピーチをするためにここに来たのではありません」を再読用に借りた。ついでにカサーレスの「パウリーナの思い出に」とパオロジョルダーノの「兵士たちの肉体」も借りた。函南図書館は優秀だ。熱海図書館の10倍は質が宜しい。税収がたんまり有るのでサービスが良いのだ。(僕は結構これに貢献していると思う。)だから熱海に住んでいても2週に一度は函南で本を借りて、外食をして買い物をしに行く事が日課となっている。満天の星空を見て虫の鳴き声を聞きながら酒が飲める、こんな優雅な良い暮らしは都会では金をいくら積んでも不可能だ。200円の缶ビールが100倍美味いに決まってらあと思う。(残念ながら酒は飲めないけれど、、)
こんな環境でどうやって金を使えというのだろう。ネットで馬鹿なものでも買わん限りは消費する場所が無いのである。高い寿司屋でもせいぜい2名で3万ぐらいだ。東京の1/3か1/4だろうと思う。
還暦で好きな読書が好きなだけ出来るのは本当に贅沢な時間の潰し方だと思う。ネオンとネーチャンが好きな人はでもちょっと寂しいかなとは思う。イノシシと鹿と猿ならいるんだけど.(笑)
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 田舎暮らしがイイねと思ったのは玉村豊男の「田園の快楽」という本を30代の頃に読んでからだった。
マダムはトレンドに滅法敏感な女だから、「素敵な事」に感する情報収集のアンテナには抜群の感度がある。そのせいで僕の人生は随分と素晴らしい結果になったと感謝している。ストーブのあるキッチンで猫や犬とのひがな一日野菜作りと読書と料理と温泉三昧の暮らし。玉村はちゃんと田舎の人たちと混じり合って実業(ワイン造りと換金野菜)をやっていたが、執筆と絵が現金を作るのには都合が良かったのだろうと思う。
都会のように人がたくさんいる空間ではなくて、孤独でも好きな物に囲まれたゆっくりとした時間が欲しかったのだろう。金儲けに24時間闘うという生活は事実「疲れる」ことこの上ない。それが自分や家族のためでも、会社や組織のためでも最初は楽しいけれど何年もやっていると膿んでくる。「オレは何のためにこんな好きでもない事をたかが金のためにかかずらわっているのか?」という疑問が湧くと物事を費用対効果で考える資本主義の発想そのものを疑問に思うようになる。今ならまだスキゾフレスキになれるかな?と35、6で思ったのだ。
 そんな時に見つけたのが ジル ドゥルーズ「資本主義と分裂症」やジョルジュバタイユ「呪われた部分」というようなフランスの哲学書だった。そうかあ?逃走線がオレには無いんだな。トンズラすればいいだけなのだからひたすら人生とか時間とか金とか組織から逃げたら良いのだなと思った。不愉快な事をダラダラしているのは人生の時間の無駄使いである。金より自由、金より時間が僕には本当に欲しかったものだった。個人で可能な逃走線なら相場が一番身近にある対象だったからそれにしたまでのこと。遠洋漁業でも高地農業でもやる気と適正さえあれば何でも宜しいが、いかんせん都会育ちのボンボンには無理である。第一体力が無いし、好きでもない肉体労働はしたくない。(それぐらいの自分に対しての認識はあったという事だ。)相場ならどこに住んでいようが電話1本で出来る。(当時はネットなんて無かったのね。)新聞と電話だけあると出来る商売なんて他に考えようもなかったのだ。40歳ぐらいになるとインターネットという便利な道具が普及して、全国どこにいても株価がわかり、注文が出来るという環境になったので、嫌なお仕事をおさらばして自宅で相場の道具作りにとっぷりとハマった生活が始まる。とにかくただただひたすら道具の整備。1日18時間、風呂と飯と睡眠以外は全部、グラフと場帳だけのどっぷり生活を8−9ヶ月していたと思う。外出無し。遊びなし。ひたすら書く、書く、書く。コクヨ ホ11Nという全紙版の用紙(50枚入り)を毎月6−7箱は必ず使っていたように思う。でも全然苦しいとかきついとか思ったことは無かったが、半年ぐらいして肩が全然上がらなくなった。四十肩になっていたんだろうと思う。右手が5センチも上げられない。何も出来ない。場帳を書くのも激痛!(笑)
 折れ線グラフを100本ぐらい書いていると、周期と反転と鞘という3要素があることにどんな馬鹿でも気がつく。海運でも鉄でも商社でも繊維でも、最初は同業種の代表的なものを1枚の用紙に4−5銘柄、値ごろが少し異なる(100円、200円、300円、500円とか)のを選んでまず2−3年分書いてみる。そしてただじっと見ているだけで宜しい。3日もあればそんな資料は誰でも出来るだろう。すると周期が12週プラスマイナス4週とか8週の整数倍とか、業種や銘柄によって再帰性や反復性がある場合が多いなあと気がつくようになるんだろうと思う。1日2ミリだから、10ミリは1週の値動きだから、60日は12週、その1.5倍(ハーフプライマリーサイクル)2倍(メジャーサイクル)というように、ああメリマンサイクルと同じなんだなあと感じるようになっていた。そんな事を3年もずっと書いていると相場の時間のほうが変ってくるから(天から下げへ、下げから底練りへ、底練りから反発へなどと)、新値の限界とか押しの日柄とか値幅とかに再帰性があるのだねと思うようになったと思う。練習はそこから初めて意味が出て来ると思うが、それまでは何をやっても盲打ちだから大抵は曲がる.(爆)連続して同じ対象を同じように反復して勝てないのは、当て物だから感覚がないので利食いに反復性がない。だから飯を喰えないだけの事。自分の仕切りが反復性がある利益の質まで上げないと飯が喰えるレベルには到達するはずがないのは当然である。だから多分誰がやっても10年ぐらいの時間がかかるのねと言うのです。

 ああまた相場の話になっちゃった。田舎暮らしは良いですとハルトモさんに書こうと思ったのね。最初は別荘地で慣らして、地場の面倒な偏見や習慣は無視したほうが煩わしくないと思います。「金持ちの都会モンが、、ゴルフばかりして遊んでやがって」と小馬鹿にされているうちが華で、気楽にいつでもやめられる、移動できる、金でなんとでもなるようにしておくと飽きて嫌になれば都会に戻ればよいだけです。温泉やプールがあるとプレミアムがついて、子供や孫が寄り付きますね。雪が毎年の大敵ですから、スノータイヤは必需品です。車もあったら2台(安物で充分です。外車はディーラーが遠いので少し苦労するかも)とイザという時に安全ですね。田舎は脚=車なので無いと何ひとつ自由にならないのですね。代替交通機関が当てにならないからです。

引退した都会人がもっとどんどん田舎の別荘地にでもゆっくり住んだら、都会の密度が下がって、若い人も住宅事業が少しはマシになる。あの通勤時間と住宅の質とコストのアンバランスは不幸の元だと思いますね。死ぬまでの時間をもっと積極的な冒険をしたほうが楽しいと思います。それには場所と女(ベトナムさんの場合)かな?せっかく金と暇と欲望があるのなら、やらないのはモッタイナイと思います。奥様が引くのは、伊勢丹がなくて掃除が増えるのがタマンナイからですね^。(爆)妻のいない猫との暮らしも良いっすよマジ。

再び論理矛盾

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原油とレパトリ

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7月の買い推奨

 6月、7月と月足グラフを更新しながら低位のバリューは実に「煮詰まってきているねえ」と書くたびに思う。三角保合い(ペナント)とか平行四辺形保合い(フラッグ)とか、新値3段整理とかいわゆるチャート読みの定番である煮詰まりの型(パターン)が増えているのは多数のグラフを自分で手書きしている人はきっと誰でも感じていることなんだろうと思う。もう20年以上、毎月同じことの反復を飽きずにやっている自分って一体何だろうと思うが「ある意味キチガイか馬鹿か暇な変人」なんだろうが、お陰様でそのせいで金が儲かって、働きもしないでヒラヒラチンタラ毎日遊んで暮らせているのだから、先輩諸氏の経験と助言に素直に感謝する他ないなと思う。
 「たくさんのグラフを手書きしなさい。やればわかるから。」そう言った先輩相場師はだから偉いなあと思う。僕も後輩に同じ事を言う。するとその中で優れた数名が次の世代に同じ知恵を伝える。文化、伝統というのはそういうものだろうし、伝えられていることを実行する人の中から成功する人が生まれてそれがやがて神話になる。世界中の神話の原型の構造部分がほとんど同じなのは、きっとそんな理由からだろうと思う。
 同じ事を経験した人とは話が通じやすい。同じ物を仮に食べた事のある人(ラーメンでもプリンでも)には、あのスープがコクがあって良かったけど、ちょっと塩っぱいからもう少し塩分が少ないほうが良いですねとか具体的な感想や意見が通じやすい。あのプリンは砂糖が多すぎて卵の味と香りが弱いですねとかは、ただ写真を見ているだけではわからない。体感するということは、自分の身体と五感(細胞とか体組織)を通じて、物事が通過していく感覚なのだから、頭で想像したり理解したりするだけでは全く感じが伝わってこない。だからブログを書いていても、実際の写真とか画像があると「ああ、こういう風に具体的にすれば良いんだね。」というのに気がつくので、ハイテク機器は便利だねと思う。僕はPCはMAC3台(Air2, iMAC1)とiPhone5sの組合せで取ったり書いたりしているがiPhone5sを買ったのはちょうど2年前で、写真がラクチンで取り込めるからブログに具体性がついてわかりやすくなったのだろうと思う。以前はテキストだけで説明していたので、細かい部分がよくわからない人が多かったのだ。同じ事を、同じ期間で同じような量でやっている人とは意見が合うことが多いし、結果も同じようなことになりやすい。細かい部分の好き嫌いはあっても大体同じようなことになっていると思う。お会いしていないが、まあ似たようなもんだろう。蕎麦とウドンは味は異なるが麺類という意味では同じだ。
 年初から1699野村原油の折れ線グラフを追加して書いているのだが、現在は新安値更新中である。並記している
新興国指数(1324ロシア、1325ブラジル)と1311(コア30)が逆相し始めている。産油国の新興国市場の通貨と株式が売られ、その資金が安全な逃避先である先進国に戻る(レパトリエーション)動きがそのままはっきりと出いている。原油価格の低下は所得移転を生産国から消費国に移転するという現象となって現れるが、その発現にはタイムラグがあり、所得の減少はすぐに表面化するが、所得の増加は流通プロセスを通じてゆっくりとジワジワと発生する特徴がある。つまりエネルギーの無い全て輸入に頼る国(日本)ほどメリットが大きいし、その中でも内需系の企業ほど恩恵がそのうち生まれて来るということが容易に想像される。低位株の大半は内需系のものが多いので、煮詰まる型が増えているのは「当然の帰結」なんだろうなあと僕は思う。
「貧乏人は株を買え。」論理矛盾は百も承知で2年前にブログを再開した当時僕はそう書いた。もともと株など買うゆとりがないから貧乏人なのである。だからイデオローグは意味があるとも思えない。100円の株がそのうち300円か500円になるだろうから、買った値段の2倍ぐらいになったらサクッと売ってまたその金で売った単価より安い株を再び買え。すると当然持ち株の数が増えるはずだ。その繰り返しをすると可級数的に金が増えるとも書いた。金儲けの理屈は単純だから、その通りに出来た人は少しは貧乏が緩和されたかもしれない。煮詰まるというのはチャンスが近いということだと経験的に思う。世界中の中央銀行が歴史的な緩和策を取っている現実に、秋から冬にかけて変化が多分起きそうな気配である。利上げの初動で相場が崩れることはほとんど起きないのだから、煮詰まったものが吹き上げるのを待つ絶好のチャンスだろうと思う。意外なものほど化けるのはこの世界のこの場面の特徴である。
友だち
白猫次郎
白猫次郎
男性 / O型
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