−−経済の停滞が始まって、企業は非正規を採用してコストを低くしました。それはどのように見えていましたか。
雨宮さん プレカリアートの問題を知ってからは、やっぱり企業は自分たちの利益のために人件費の削減をやっていこうとしているんだと、びっくりしました。日本の企業を誇りに思っているところがあったのに、名だたる大企業が非正規を使い捨てにしたために、派遣労働を経由してホームレスになっている人たちが山ほど生まれた。当時は景気が良いと言われていたけれど、自分たちにはその恩恵はないし、すごく苦しい人が増えているし、大企業の派遣で働きながらも月収10万円ぐらいの人もいた。まったく自分たちが思っていたのとは違う労働世界が広がっていて、その人たちはもう一生はい上がれないようなシステムになっちゃっている。それが始まったのがちょうど私たちの世代くらいからなんです。06年に私は31歳でした。同世代のフリーターは30代を超えて、仕事がなくなり始めてましたね。30の壁を超えられないとか、日本には30歳を超えたフリーターの行き場がないということにも気づいた。
−−企業の言い分についてはどう思いますか。
雨宮さん 結局、グローバル競争を勝ち抜いていくためには人件費を安くして当然じゃないか。一貫してそれです。企業は営利活動を目的としているので、企業を責めてもしょうがない。そこは政治がある程度歯止めをかけないと。営利活動が行き過ぎない雇用形態だとか、あっさりホームレス化しないような生活ができる賃金を払うという法規制は、どこの国でもやっている。日本は働いた賃金だけで生きていけっていうかなりの自己責任社会であるうえに、そこを不安定化、低賃金化されると、働く人に不利にできているので、みんなが不安定になってしまう。雇用保険も失業者の7割以上が受けていない上に住宅政策もないので、失業したらホームレスになっちゃう。
−−80年代から雇用の流動化が進んできましたが、不安定になる人を支える手立てをあんまり考えてこなかったんですね。
雨宮さん そうです。求職者への支援制度とかセーフティーネット的なものがやっとできたのは派遣村以降で、それもあまり使い勝手がいいとはいえないんです。本当は86年に派遣法ができたぐらいからやっておかないといけなかった。00年代に時限爆弾が爆発するように問題化した時には、まだ何もなかった。
−−プレカリアートの人たちに日本が豊かだという感覚は?
雨宮さん まったくないんじゃないですか。90年代は、自分たちが集まって話すときは常にうっすらと「豊かだけど生きづらい」と意識していました。それが00年代に入ると「生きづらいうえに貧乏、カネがない」というのを前提に語られるようになった。だから、一億総中流的なものって、言葉としては05年ぐらいまで生きていた気がします。90年代も自分たちは貧困ライン以下の生活をしていたのに、日本は経済大国という全体の幻想の中で、本当に気づくのが遅れてしまった。当事者は、社会に出たことがないから気づかない。あの時、誰か一人でも、気づいてくれたらと思います。今でこそ、若者の貧困が注目され、非正規の問題に取り組んでくれる人は増えましたけれどね。メディアに問題として発見されたから、認識が改まったってことですよね。
−−今現在の状況はどう見ていますか。
雨宮さん どんどん悪くなっていると思いますね。この前の国民生活基礎調査で、生活が苦しいという人が62・4%と過去最多でした。だから、アベノミクスって何なの、ってことです。年収200万円以下の人が増え、平均年収も下がっています。生活保護受給層は200万人をずっと突破しています。
−−リーマン・ショックの時、緩やかに回復していた景気が急速に悪化して、「派遣切り」などが表面化しました。こうしたことがまた起きる際の備えには何が必要ですか。
雨宮さん 自衛する方法としては制度を知っておくことですかね。労働組合が関われば、寮を追い出されないようにする交渉ができるので、フリーターでも入れる組合を知っておけばいい。あとは、最低限の生活保護に関する知識とか、住宅手当や求職者の支援制度もあります。使えるものは結構あるんですが、それがまったく周知されてない。日本ではそういう生きるか死ぬかにかかわる情報が全然知られてない。
−−どこを変えればいいのでしょうか?
雨宮さん 最低賃金を上げるとか、非正規にいろんな保障をつけるとか、過労死しない労働時間規制とか、そういう個別の小さな政策でできることってちゃんとあります。でも、日本社会がこの格差に対してまひしている感じがあるように思えるんです。最初はみんなすごいショックを受けて聞いてくれたんですが、今は誰も驚かないし、そういう社会だからしょうがないよね、それがグローバリズムに対応する先進国の宿命でしょう、とでもいうようなものを感じるんです。同じ日本に住んでいて言葉が通じないぐらいに格差が広がっていて、生活意識も何もかも全部違って、格差の上位の人と下の人たちで、一つも共感できるところがないふうになっている。そういう社会ってちょっと怖い。そういう相手を助けようとは誰も思わないだろうし、話を聞こうともしない。言葉も通じない怠け者は自己責任だと思ったら、社会保障の分配の対象にするのにも反対すると思うんですね。そういうふうになってきている感じがする。
−−これから先の展望はどうでしょうか?
雨宮さん 自分たちの世代は自分を「絶滅危惧種」って呼ぶようになってきています。結婚して子供を残せない、種を残せないから、そのまま絶滅していくだけの運命という意味です。今住んでいる6畳一間のアパートとかにみんな居続ける。フリーターとか非正規で働いている人たちはその家賃も払えなくなってくると思う。川崎市で起きた簡易宿泊所の火事では、あれが自分たちの未来の姿じゃないかというか、ああいうところで自分たちの世代がどんどん孤独死したり、火事で死んだり、そういう場所に行きつくしかないんじゃないかとすごく感じました。
−−5年先、10年先にやっていきたいことは何ですか。
雨宮さん 自分の世代のこの問題が、何か運動とかすれば解決とか決着というか、どこかに着地するのかと思っていたんですね。雇用があまりにも流動化したことが原因だから、セーフティーネットが必要だ、彼らが悪いわけじゃないんだという認識が社会的にも広まって、どこかに決着の地点があると思ったけれど、10年たってもまったくない。だから、自分の世代の問題として、どこかで落とし前をつけるまではこの問題からは離れられない。10年前は若者の貧困だったけど、今はもう若者じゃない。中年になっていて、それがどんどん初老になり、高齢者になっていく。この世代がどのへんで救われるのかが、ものすごく重要だと思っています。
毎日新聞 インタビューより転載
実は、筆者(インタビュアー)の次男は大学3年生。1ヵ月半前のこと、彼は突然、夫と私に言いました。「僕は就活しない。休学する」と。えっ、どうして!? 「もっと本も読みたいし」。何を? 「内田樹」――。息子の心の変化に迫り、あわよくば休学阻止をねらって、息子が私淑する武道家で思想家の内田樹(うちだ・たつる)さんにインタビューを敢行。さて、その結果は?
――息子の休学宣言には困惑しましたが、取材を進めていくと、いま、就活をしない学生が少しずつ増えていることが分かってきました
「もう10年くらい前からの傾向です。何十社、何百社にエントリーし、勝ち抜いた者が成功者で、負けた者は二十歳少し過ぎたところで人生の敗残者、というような競争にさらされてきた先行世代を見て、揺り戻しが来ている。そんな競争に勝ち残ってもたいして明るい未来が開けるわけでもない。こんなやり方がいつまでも続くはずがないと直感しているんです。就活をしない若者たちは、概して無欲です。車やバイクも洋服もいらない。海外旅行もしない。ミシュランの星つきフレンチで高いワインを飲みたいとも別に思わない。いま、センスのいい若者で、バリバリ上昇志向っていう人はほとんど見かけませんね。大学院に行ったり、仲間と起業したり、ボランティア活動に携わったり、農業をやったり。昔のようにイデオロギーや宗教に凝り固まるわけでもなく、ナチュラルに、でも、堅実に生きているように見えます」
――しかし、大多数は就活に必死で取り組み、親も社会もそれを後押ししています
「だから、ますます若者が苦しい立場になっていくんです。いまの就活は、とにかく狭い市場に学生を押し込もうとする。当然、買い手市場になり、採用する企業はわずかなポストに群がる求職者たちの中から、能力が高く賃金の安い労働者をよりどりみどりで選べる。『キミの代わりはいくらでもいる』という言葉を採用する側が言える。これが一番効くんです。でも、本当は、若者の手助けを求めている職場はいくらでもあるんです。中小企業もそうですし、農業・林業・漁業のような第一次産業、武道でも能楽でも伝統文化も継承者を求めている。でも、そういう無数の就職機会があることを就職情報産業は開示しない。そして従業員1000人以上の一部上場企業に就職しないと敗残者であるかのような幻想をふりまいている。大学を卒業したら、スーツを着て毎日満員電車で出勤して、朝から晩まで働く以外に仕事はないと教え込んでいる」
筆者 渡部せつ子(わたなべ・せつこ) フリーライター
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新聞も取っていないから世の中の事に疎いのだが、今年は大卒の就職率は随分と改善して「売り手市場」だそうだから、素直に良かったねと思う。点だけ見ればそうかもしれないけれども、新卒の3割以上が、せっかく入った会社を3年以内に辞めてしまうというのもこの所ずっとデータの示す事実であるから、雨宮さんが10年ほど前に経験した「貧窮生活」をいずれそうした人は経験する事に多分多くがなるのだろうと思うし、そのまま会社に残って働いても使い捨てでボロボロで病気になって過労死するようなケースも見られるから、ブラック企業というのは日本企業の一般的な体質であり、改善する兆しは全く見えていないと思う。33年前に労働組合を組織した自分の経験から考えても、企業の労働に対する姿勢はますますセコくなっているように思うし、そこに期待しても「無駄」じゃないのか?ととっくに僕は諦めて自分で好きな事をしようと仲間や部下を集めて会社を作ったが、使う者と使われる者の利害の対立は必ず構造的に起きるのでそんな事に嫌気が指すと今度は個人の力だけでなんとか生きる事を考えて実行しようとしてきたのだと思う。
働く=会社員になる というのが同義語のようになっている日本社会で、リーマン以外で仕事をどうするのかを具体的に知っているような人はあまりというかほとんどいないように思う。少なくとも同期の大卒にはまずいないのだ。リーマンは時間を売って金を貰うという仕事の質である。まあ単価の大小はあるにしろ時間を売るという仕事である。自分の手持ちの時間以上には売れないという限界が低い利益構造である。定年とか体力とか根性とか制約満載だから無視して売ろうとすれば病気か過労死が必ず待っている。
一方、自営業とか自分でする仕事は、商品(材料)を仕入れて、あるいは製造して売る。買い値と売値の差額が損益であり、それの極大化を一応の目的とする。それにかかる時間は最少が理想であり、回転は早いほど良いという事であり、コストは安いほど良い。つまりリーマンの労働は商品の製造原価のコストの部分だから、最少が良いということで、常にカットを前提に構造化されている。(死なない程度の労働再生産が可能な範囲で)。
>でも、日本社会がこの格差に対してまひしている感じがあるように思えるんです。最初はみんなすごいショックを受けて聞いてくれたんですが、今は誰も驚かないし、そういう社会だからしょうがないよね、それがグローバリズムに対応する先進国の宿命でしょう、とでもいうようなものを感じるんです。同じ日本に住んでいて言葉が通じないぐらいに格差が広がっていて、生活意識も何もかも全部違って、格差の上位の人と下の人たちで、一つも共感できるところがないふうになっている。そういう社会ってちょっと怖い。そういう相手を助けようとは誰も思わないだろうし、話を聞こうともしない。
こう雨宮さんは指摘する。僕は同じネットワークの湯浅さんの本も何冊か読んで、彼の講演を聞いたりしていたので、現状はご指摘の通りなんだろうし、貧窮する現状は同情はするのだが、じゃあどういうふうに彼らを具体的に助ける仕組みを作るのか?税なのか福祉なのかそれを具体的に誰が負担するのか?というコンセンサスは社会的に煮詰まっているようには見えない。社会的合意があるのなら、なぜ民主党政権の成立時点でもっと改善の具体策が実現しなかったのかと思う。
幾ら援助してもずっとそれを一生涯続けることは給付と負担の面から無理があるのだから、(少子高齢化で負担する人がどんどん減るから)彼らが内田さんが言うようなスタイルで自立する以外に根本的な解決法はないのだろうと思う。独立して、自立して自分で仕事を作るという事だろう。そういう教育を日本は基礎教育では、全く行っていない。基礎教育で教えるのは「上司の言う通りに動け」という上意下達だけだろう。「右へならえ、前に進め。」ってか?そうじゃネエだろ。(笑)
雨宮さんの言う絶滅危惧種が全員寿命で死ぬ頃(あと40−50年後ぐらい?)は21世紀の中頃だ。それからさらに半世紀たって22世紀の頃には、日本の人口は600万とかそれ以下になっている。総需要は半分ぐらいになって、社会と人間の仕組みがスカスカになってくる。そんな時に東京と名古屋を1時間で繋ぐリニアがあってどんな意味があるんだろう?人口が半減するのだから、東京も名古屋も田舎もスカスカなのだから、東京に住めば良いだけの事。無駄なインフラコストをかけても生産性が上がるとも思えない。社会全体のバランスデザインを考える人がいないから部分が最適解を目指して突っ走るしかないという、いつもの通りの資本制の特性がてんこ盛りなのは大東亜共栄圏の頃と何も変わっていない。「永続敗戦」状態が未だにずっと続いているといことなのだろうと思う。でも全体をデザインしようとすれば必ずファシズムになる。ファシズムと永続敗戦の資本制とどちらがマシか?というあまり選びたくない選択枝を僕たちは嫌でも選ばざるを得ないという虚無感が常に付きまとう。だから格差の上と下の人たちでは、一つも共有できることがないふうになってしまったという事なのかもしれない。でも話を聞こうともしないという事は無いだろう。話は聞くが同意できる部分が実に少ないという事だろう。貧窮とは貧窮している当事者の問題であるのか、構造としてそれを作り出している社会の問題であるのか、おそらくは両者なのだろうが、具体的な解決は具体的に貧窮者自らが個人としての行動を起こす以外に無いだろう。でも貧窮が理由で行動が起こせないのが問題なのか、起こしても改善がないのが問題なのか、そもそも貧窮とは数値なのか?200万というけれど、都市の200万と田舎の200万は意味が異なるし、貧窮する都市の200万の人はコストの安い田舎で暮らせば随分と違って来るから、リターンする田舎暮らしとか農業、漁業など一次産業に帰る若者が増えているのだろうと思う。仮に生活保護受給者の若者部分だけ(40歳以下とか)でも健康を前提として支給条件を田舎に移転して一次産業に従事するという前提で3年支給とか決めれば、事態は動くことは動くだろう。でもそれだと果たして多くの若者のプアが申請するだろうか?彼らは都市に住みたいという事じゃないのか?牛を川に連れていっても牛自身が飲まなければ周囲はどうしようもない。牛自身が何をしたいのかこちらはわかっていないという事だろう。
自称、「絶滅危惧種」という呼称は「環境変化に適応ができなかった種」という意味なのだろう。ダイーウィンの進化論からすると必然であるという自覚が皮肉にもあるのか?種の都合に応じて環境が変化してほしいと願望してみても、それは多分無理だろう。過去の絶滅種はきっとそう考えたから絶滅したのだと思う。 |
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